この話しで僕は泣きました
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#626 [名前のない生活]
>>422->>423
>>-424>>425

⏰:09/12/09 11:31 📱:W54SA 🆔:N0rY45Uk


#627 [名前のない生活]
私が大学生だったとき、ある人と付き合い始めました。
その人はお世辞にもかっこよくはなく、センスもよくない。でも私をとても優しく受け止めてくれる人でした。
そんな彼と付き合って三年と少し、私の誕生日に彼は小さな箱をくれました。中には指輪が入っていました。でも結婚しようとは言わず、いつでもはめていてとだけ言いました。
その半月後彼はくも膜下出血でなくなりました。お葬式にも出られないくらい泣きました。私は彼がプロポーズしなかった訳を知りました。

⏰:10/01/06 21:08 📱:P02A 🆔:cjFLasJA


#628 [名前のない生活]
628

⏰:10/01/07 17:14 📱:P01B 🆔:☆☆☆


#629 [名前のない生活]
表皮水疱症、大変やなぁ…(´;ω;`)あんな小さい子が頑張ってんのに自分がちっぽけに見えた

⏰:10/01/07 17:35 📱:N906imyu 🆔:☆☆☆


#630 [名前のない生活]
>>574-575
いい話すぎて何回読んでも泣ける

⏰:10/01/07 21:44 📱:W52H 🆔:☆☆☆


#631 [名前のない生活]
父は2009年6月に亡くなりました。

理髪店を営む父は、私が小2の時に肝臓を壊して入院。お酒はもうダメと先生に言われていました。
お酒をたたれた父は、甘いものを沢山食べるようになりました。
おかけで今度は糖尿病…
たびたび1ヶ月くらいの長期間調子悪くて仕事を休むようになりました。

私は結婚し、主人は単身赴任のため、実家にいます。なので、父が具合悪い時も知っているし、私が面倒見ていました。

亡くなる2ヶ月くらい前、父が私にネックレスをくれました。
今まで父親らしいことなんてしてくれなかった父が…
私が「新しいコテ(髪の毛用)が欲しい」と言ったら
父「カタログにいいのあったから、買っといた」
と言って、コテ買ってくれたり。

今思えば、父は長くないことを分かっていたのかもしれません。

⏰:10/01/07 22:42 📱:N906i 🆔:☆☆☆


#632 [名前のない生活]
亡くなる1ヶ月前、父はまた仕事を休み初めました。

私は「またいつものか…」
くらいにしか思っていませんでした。
ダメなお酒のんで、お母さんを怒鳴り散らして。

私は本宅、父は離れに住んでいましたが、怒鳴る声は聞こえてきました。

亡くなる1週間前
父はかなり衰弱していました。
普段仕事休み初めると、一切離れから出てこない父が、離れから這いずるように出てきて
「〇〇(お母さんの名前)が作った卵焼きが食べたい」
と言ってきました。
でも、母は留守でいませんでした。
代わりに私が作って離れに持っていきました。

母が帰ってきて、そのことを伝えると、母は卵焼きを作って持っていきました。

⏰:10/01/07 22:49 📱:N906i 🆔:☆☆☆


#633 [名前のない生活]
亡くなる2日前
私は、父を病院まで連れて行こうとしましたが、父が言うことを聞いてくれず、断念しました。
昔から、病院大嫌いで、自分でインシュリン打ってるから大丈夫と言っていたので…

その夜、母に、父に病院行くように説教してほしいと言いました。
父は、月曜日に行くと母に言ったようです。
この日は土曜日でした。


亡くなる前日
父が離れからでてきて
「明日病院行く。きっと入院するから、準備して」
と言いました。


次の日の朝、父は亡くなりました。
母が目を覚ますと、まだ温かかったけど、動かず、返事もしない父が横にいました。
苦しくもがくこともなく、綺麗な格好で、仰向けで。

⏰:10/01/07 22:59 📱:N906i 🆔:☆☆☆


#634 [名前のない生活]
怖くて動けない私。
母は必死で、叫ぶような声で、父を呼び、救急車が来るまで人工呼吸をしていました。


救急車が到着し、蘇生を試みるも、無理でした。


その夜、私は、一晩中父の亡骸の前に座って居ました。
なぜもっと早く病院へ連れて行かなかったのか。
なぜこんなに弱っていたのを気付なかったのか。
なんで…
なんで…


自分の馬鹿さ加減と腑甲斐なさでいっぱいでした。
せめてもの償いにと、子供の折り紙で、理髪用具を作り、棺に入れました。


棺を閉める時、私わ自分の髪の毛をその場でバッサリ切り、棺に収めました。

⏰:10/01/07 23:06 📱:N906i 🆔:☆☆☆


#635 [名前のない生活]
今だに父が居ない実感が湧きません。

葬式後、妹が私に
「お姉ちゃんはいいよ…
結婚式もお父さんいたし、孫もみせられた…
あたしは…まだなんにもしてない。ホント、親孝行したい時に親はいないんだね。」

と。


今でも、棺に収められる前に布団に横たわる父に添い寝していた母の姿を忘れられません。



後日、母に聞くと、母も何度も病院に行くように促したそうです。そのたびに父に怒鳴られていたらしいです。
父は亡くなる1週間ほど前くらいから、ほとんど固形物を食べられなかったらしいです。最後に母の卵焼きが食べたかったのかな…。




支離滅裂な長文すみませんでしたm(__)m
ここを読んでいたら、思い出してしまい、文章になるかわからずに書いてしまいました。
不愉快な思いした方はすみませんm(__)m

⏰:10/01/07 23:16 📱:N906i 🆔:☆☆☆


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