この話しで僕は泣きました
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#285 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
遠足

小学生の頃、母親が入院していた時期があった。

それが俺の遠足の時期のちょうど重なってしまい、俺は一人ではおやつも買いに行けず、戸棚にしまってあった食べかけのお茶菓子とかをリュックに詰め込んだ。

そして、夜遅くオヤジが帰宅。「あれ・・・明日遠足なのか」と呟き、リュックの中を覗き、しばし無言。
もう遅かったので、俺はそのまま寝てしまった。

次日、リュックを開けて驚いた。昨日詰めたおやつのラインナップがガラリと変わっている。オマケのついたお菓子とか、小さなチョコレートとか・・・オヤジ、俺が寝てからコンビニ行ったんだな。
俺、食べかけの茶菓子でも全然気にしてなかったんだけどさ。

あの時、オヤジがどんな気持ちでコンビニへ行ったかと思うと、少し切なくなる。

⏰:08/10/15 10:39 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#286 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
反抗期

これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。

けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。私は毎晩、夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。

そんな毎日を繰り返しまた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二〜三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。

この一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。

そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。
大好きだよ。

⏰:08/10/15 10:45 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#287 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
メロンパン

ふと気がつけば、もう随分と昔の話。

学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。
「うん、美味いな」「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」「……いや、いい」オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。

それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。そこで初めて知った事が二つ。オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。
オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。

思い出して、涙が止まらなかった。
一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。

⏰:08/10/15 10:57 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#288 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
二十歳になって

先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。

それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。

⏰:08/10/15 11:02 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#289 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。
写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。

母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。お母さんがいないということ。
だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。お父さん。ありがとう。お母さん。産んでくれてありがとう。就職活動、頑張ります。

⏰:08/10/15 11:02 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#290 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
オムライス

5年前のこと。
妹が短大を中退した。

たいした理由はなく、なんとなく短大をサボりがちになってこのままでは2年間で卒業できないのが明らかになったから。かなり無理して妹の学費を用意した父は激怒。
妹は家を出て行くように言われた。

それから2週間で妹はアパートと契約社員で雇ってくれる会社を探し、家を出て行く準備を整えた。その間、父と妹はほとんど口をきかなかった。妹が家を出る前の日の夕食はオムライスだった。
母は私と一緒に夕食の準備をしながら妹にいった。「お父さんの手前、赤飯を炊くのはできないからオムライスにしたの。赤いごはんは同じでしょ。自力で会社も探して引越しの準備もして、偉かったね。これはあんたのちゃんとした門出なんだからお母さんはお祝いするわよ」妹はすこし泣き、その日オムライスを2皿食べた。
父はオムライスを食べなかった。母の意図がわかったらしい。

去年、妹が結婚相手を連れて帰ってきた。父は何事もなかったかのように妹と婚約者を歓迎した。そして、札束の入った封筒を妹に渡して言った。「お前の短大の学費が1年分余っていた。好きに使え」
その日はまたオムライスだった。

⏰:08/10/15 11:12 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#291 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
ファミコン

おれは今22歳の誕生日を迎えようとしている。
家族は姉、母、血の繋がっていない父がいる。

おれが7歳のとき離婚したのだ。 おれが小学校のとき学校から帰ってくると家には親父がいた。母は働いて帰りが遅いし、姉も遊びに行ってしまっていなかった。 毎日毎日喧嘩ばかりしていた親。やさしくなんかなかった親父。その親父がおれにファミコンを持ってきてくれた。勿論うちは貧乏だって幼いながらわかっていた。友達の周りにはスーパーファミコンを持っているヤツがチラホラ出てきたころだ。でもおれは嬉しかった。

しかし感謝の言葉がうまく出なかったのを覚えている。 ドクターマリオも買ってきてくれたので二人して遊んだ。親父はすぐ帰ってしまった。母に来たことは内緒なと言われたがそのとき意味はわからなかった。
その日から母の帰ってくるまで毎日二人でドクターマリオをやっていた。ただ純粋に幸せだった。ずっと厳しかった親父。すぐ殴る親父。おれにも母にも。ずっと嫌いだった親父。だから感謝の言葉が出なかった。
中学に上がり自然と親父とは会わなくなってきた。年に数回会うくらいに。おれが19歳のとき、親父は大腸癌の為、亡くなった。涙が、止まらなかった。何故か、止まらなかった。いい思い出なんかなかったのに・・・。

⏰:08/10/15 11:20 📱:PC 🆔:wXauqI6U


#292 [クソスレマスター◆.k7s0i/hfw]
今この歳になり、あのとき親父がおれにしてくれたやさしさがわかった。淋しかったおれの為に・・・。おれの部屋にはまだファミコンがインテリアとして置いてある。彼女にはいい加減捨てなよと言われるが笑って流している。捨てるわけにはいかない。大切なものだ。素直に『ありがとう』と言えなかった後悔を忘れないために。
今いくら言っても届きはしないが、この場を借りてありがとう親父。
そして今日もホコリをかぶったファミコンにはドクターマリオがささっている。

⏰:08/10/15 11:21 📱:PC 🆔:wXauqI6U


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