あんころもち
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#25 [匿名]
完全に転移だっただけの話だ〜泣
それだけドクターのニュートラル性が高いということな訳

⏰:20/05/01 06:31 📱:iPhone 🆔:SHLfKI5k


#26 [匿名]
スーパーバイザーが「中立性が何より大切で、私は全てにおいて中立よ」って圧をかけられ続けていたけど、あんなん中立でもなんでもなかったわ。ただのばばあやわ。うおおおおお

⏰:20/05/01 06:32 📱:iPhone 🆔:SHLfKI5k


#27 [匿名]
先生行動療法学派なのに、あのニュートラルさはなに???ふーむ、あれは〇大学派所以たるもの???

⏰:20/05/01 06:34 📱:iPhone 🆔:SHLfKI5k


#28 [匿名]
このつぶやき同じcpに見られたら終わるわ笑

⏰:20/05/03 17:37 📱:iPhone 🆔:Z6Jk2KFI


#29 [匿名]
疲れた疲れた疲れたつかれた
ずっと休みがいい(;_;)

⏰:20/05/04 19:13 📱:iPhone 🆔:J.m8.Yys


#30 [匿名]
喉が痛い(;_;)

⏰:20/05/04 23:18 📱:iPhone 🆔:J.m8.Yys


#31 [匿名]
衣替えで洋服3着しか捨てれんやった(;_;)なんで

⏰:20/05/04 23:21 📱:iPhone 🆔:J.m8.Yys


#32 [匿名]
オグデンの移行的エディプス
オグデンはフロイトのエディプス論は男の子にせよ、女の子にせよ、外傷の文脈で語られている(それを受け入れることで乗り越える)が、本当にそうだろうか?という疑問から議論を開始する。

それよりも内的対象関係から、外的な対人関係への動きを非外傷的な形で媒介する心理的-対人的なプロセスを考慮する必要がある。
その媒介物となるのが移行的エディプス関係。女の子の場合は「父を愛し、母を憎む」の前に「父親としての母親と愛を交わすと同時に、母親としての父親とも愛を交わす」段階があるのではないか。

エディパルな三者関係は、まずは二者関係の文脈の中で動き始めるのではないか。すなわち、最初の異性愛的な関係は母と娘の二人の女性の間で始動するのではないか、という仮説である。

⏰:20/05/06 02:33 📱:iPhone 🆔:hdp8qmNE


#33 [匿名]
少女は母の中の内的父親(母自身のエディプス関係を通じて、母自身がその父親と同一化して形成された自己部分)に恋をする。
→ここで大事なことは、少女が愛しているのは父親なのか母親なのかを「問われない」こと。
→少女は父を愛するために母を拒絶する必要はない。

⏰:20/05/06 02:34 📱:iPhone 🆔:hdp8qmNE


#34 [匿名]
ここで大切なことは、母親が少女の異性愛を「父親として引き受ける」と同時に「依然として母親としても存在する」こと(これは少女が母親を性愛対象にする陰性エディプスとも違う)。

、、、理論的には以上で、あとはこの移行的エディプス対象関係が機能不全に陥った際の精神病理が記されている。

⏰:20/05/06 02:34 📱:iPhone 🆔:hdp8qmNE


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