あんころもち
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#29 [匿名]
疲れた疲れた疲れたつかれた
ずっと休みがいい(;_;)
:20/05/04 19:13 :iPhone :J.m8.Yys
#30 [匿名]
喉が痛い(;_;)
:20/05/04 23:18 :iPhone :J.m8.Yys
#31 [匿名]
衣替えで洋服3着しか捨てれんやった(;_;)なんで
:20/05/04 23:21 :iPhone :J.m8.Yys
#32 [匿名]
オグデンの移行的エディプス
オグデンはフロイトのエディプス論は男の子にせよ、女の子にせよ、外傷の文脈で語られている(それを受け入れることで乗り越える)が、本当にそうだろうか?という疑問から議論を開始する。
それよりも内的対象関係から、外的な対人関係への動きを非外傷的な形で媒介する心理的-対人的なプロセスを考慮する必要がある。
その媒介物となるのが移行的エディプス関係。女の子の場合は「父を愛し、母を憎む」の前に「父親としての母親と愛を交わすと同時に、母親としての父親とも愛を交わす」段階があるのではないか。
エディパルな三者関係は、まずは二者関係の文脈の中で動き始めるのではないか。すなわち、最初の異性愛的な関係は母と娘の二人の女性の間で始動するのではないか、という仮説である。
:20/05/06 02:33 :iPhone :hdp8qmNE
#33 [匿名]
少女は母の中の内的父親(母自身のエディプス関係を通じて、母自身がその父親と同一化して形成された自己部分)に恋をする。
→ここで大事なことは、少女が愛しているのは父親なのか母親なのかを「問われない」こと。
→少女は父を愛するために母を拒絶する必要はない。
:20/05/06 02:34 :iPhone :hdp8qmNE
#34 [匿名]
ここで大切なことは、母親が少女の異性愛を「父親として引き受ける」と同時に「依然として母親としても存在する」こと(これは少女が母親を性愛対象にする陰性エディプスとも違う)。
、、、理論的には以上で、あとはこの移行的エディプス対象関係が機能不全に陥った際の精神病理が記されている。
:20/05/06 02:34 :iPhone :hdp8qmNE
#35 [匿名]
男性の移行的エディプス関係
男の子の場合もやはり「母を愛し、父と対決」の前に母親との間で非外傷的な心理的-対人的プロセスを進む必要があるだろうとオグデンは考える。
男の子は母親との間でかなり悩ましい関係を生きることを余儀なくされる。自身を世話し、万能的なニーズを叶えてくれ、無慈悲に破壊し、修復してきた、かつての主観的対象である母親に対して、一方で性愛的な情緒を向けていく(父との関係の文脈で存在する母を愛していく)ことにまつわる困難がある。
:20/05/06 02:36 :iPhone :hdp8qmNE
#36 [匿名]
ここには@対象の他者性・外在性に外傷的な形で遭遇してしまうリスクとA分離の感覚をゼロにしていこうとするプレエディパルな母親に呑まれてしまうリスクという二種のリスクがある。このリスクをうまくやりくりしていかねばならない。
で、ここでもやはり「母親の中の父親性」が鍵になるとのこと。
:20/05/06 02:36 :iPhone :hdp8qmNE
#37 [匿名]
母自身がひとりの少女として自身の父親との関係を生き、その父親もまた自身の娘(=母親)との愛情関係を十分に生き、そのうちに母親は自身の夫との愛情関係を生き、そうして結ばれた夫婦がそれぞれに世代間境界を守っているような、そうした母親の中のエディパルな対象関係の全てが「母親の中の父親性」に関連する。
母は自身が取り入れた彼女自身の内的なエディプス的父親を介して、息子と共にエディパルな関係をつくりだしていく。
→母親は男の子に性的な権限の芽生えを付与する内的対象としての父親の役割を担うと同時に、彼の性的な欲動の矛先となる外的対象としての母親にもなっていく。
:20/05/06 02:37 :iPhone :hdp8qmNE
#38 [匿名]
→同時に母親による保護的な禁止令が発動され、それこそが男の子の中の母と結びつこうとする近親姦的な挑戦や父親の殺害というバイオレンスな衝動に対する最初の緩衝材になる。
で、こうした移行過程を媒介し、性発達のオーガナイザーとなるのが原光景空想だとオグデンはいう。
:20/05/06 02:38 :iPhone :hdp8qmNE
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