日本を誇りに思う
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#238 [.JWMDA.]
>>234そうか(゚ω゚)
地震速報なんかも不要になったからか…?
いやでも急に来なくなるとは(笑)
:11/03/21 00:25
:SH05B
:☆☆☆
#239 [避難民南相馬]
8禁なんかいってないんだかんね(>ω<)
:11/03/21 00:26
:P906i
:☆☆☆
#240 [日本]
お!つながった
:11/03/21 01:06
:N03A
:☆☆☆
#241 [とくめい]
宮城県名取市の桜井歩さん(46)の最後のアナウンス。流された消防車は
無残に押しつぶされ、団員3人は遺体で見つかったが、助手席の桜井さんは右手にマイクを握りしめたままだった。歩さんの妻美裕紀さん(43)は20日、消防団のメンバーらと現場を訪れ、外れたバンパーの上に線香と花をそっと置いた。「おれは消防団員だから、何かあったら後は頼むと言っていたけど…」。大粒の涙が頬を伝った。市消防団下増田分団第5部に所属する歩さんは地震直後、「行かなきゃなんねぇ」と言い残し、慌てて家を飛び出した。歩さんは同僚の森達也さん(40)、都沢章さん(49)と3人で消防車に乗り、拡声器で避難を呼び掛けながら、逃げ遅れた高齢者を避難所へ送り届けていた。津波が迫る中、街には「高台へ逃げてください」という歩さんの声が響いた。近くの避難所に車で向かっていた先輩の森清部長(57)は、歩さんの消防車が津波の方に進んでいるのを目撃した。「(津波の)ごう音が大きくなって、歩の声が途切れた。3人とも最後まで勇気を持ってよくやってくれた。無念です」翌日、美裕紀さんが現場を訪れると、大破した消防車の窓から歩さんの腰が見えた。「服の色で分かった」。車から引き出された歩さんの右手にはマイクが握られていた。1人でも多くの命を救おうと夫は津波にのみ込まれるまで声を振り絞った。「私も夫の声を聞きながら必死に逃げた。最期までマイクを離さなかったんです。人のために尽くす人だった」「3人のおかげで助かった人がいるのが救い。いろんな人に『歩の声聞こえたよ』と言ってもらえたから」(終わり)
:11/03/21 18:52
:N06B
:☆☆☆
#242 [つるまつ◆TsuruMAX7E]
(゚-゚)あげ
:11/03/22 18:39
:P08A3
:☆☆☆
#243 [とくめい]
今テレビでスリランカの人たちの言葉や気持ち、支援に感激した。
『日本は(スマトラの時)たくさん助けてくれた。だからこんな時は逃げるんじゃなくて恩返ししなくちゃいけない。』
:11/03/24 17:07
:SH705i
:☆☆☆
#244 [大阪]
海外サイトから
〜日本、地震で壊れた道路をたった6日で修復する〜
NEXCO(西日本高速道路株式会社)の偉業が称賛されています。
6日後 [jpg/34KB]
:11/03/25 16:09
:N08A3
:☆☆☆
#245 [筑西市☆なめこ☆茨城西]
>>243日本にとどまってくれるってことかな?なんかほんとに外国の人も日本を応援してくれてるのが伝わってくるよね
外国からの応援の言葉は泣ける
:11/03/25 16:18
:P03A
:☆☆☆
#246 [とくめい]
ぶっちゃけ命かけてまで他人を救う人なんていないに等しいと思ってた。
実際死に直面したら本能的に逃げてしまうもんだと思ってたけどそうじゃない人がいる事に本気に感動した。
:11/03/25 16:29
:S004
:☆☆☆
#247 [とくめい]
JR駅前で写真店を経営する菅野有恒さん(56)と太佳子さん(55)夫妻が、離れて独り暮らしをする母光子さん(87)を車で助けに来たのは、地震から十数分後のことだった。「おふくろ、早くしろ」。急いで薬と保険証をリュックに入れ、家を出る。すると、近所の独り暮らしの女性ら3人が道路にいた。全部で6人。小さなワゴン車に乗れるのは5人だけだ。顔を見合わせると、「私が残ります」。太佳子さんが申し出た。有恒さんもうなずいた。「後ろの荷台に乗れるでしょ」。光子さんが叫んだが、太佳子さんは笑顔で首を振った。車は太佳子さんを残して急発進した。避難所の入り口で降ろされた光子さんらは、ごう音とともに建物をなぎ倒す津波を見た。「おふくろを頼みます」。近くの人に言い残し、有恒さんの車が猛スピードで引き返し、津波の中へ突っ込んだ。「ああっ」。車が見えなくなってすぐ、波が街をのみ込んだ。避難所では、有恒さんの車に助けられた女性たちと枕を並べる。「息子さん夫婦に命をいただいた」と涙ぐむ女性たちに気兼ねして、光子さんは「避難所では泣けません」と気丈に笑う。でも、本当はつらくて、眠ることができない。息子は嫁を残したことを悔やんだに違いない。引き返す時「命が危ないのは分かっていた。でも、行くなとは言えなかった」。そっと避難所を抜け出しては近くの公園でお経を唱え、人目を忍んでおえつを漏らす。23日の午後、小さな避難所の片隅で、光子さんが家族と写る年賀状をいとおしそうに見つめていた。アルバムはすべて流された。これが唯一残る家族の写真だ。来年はみんなで撮れないかもしれない。 (浅井俊典)
:11/03/25 18:50
:N06B
:☆☆☆
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