よすが
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#451 [蜜月◆oycAM.aIfI]
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歩道の端に植えられた桜は蕾を膨らませ、その下を歩く全ての人に春めいた空気を味わわせる。
あたしとサトルはバスに乗って街の端にあるマンションに向かっていた。
バス亭からマンションへと続く歩道には間隔を開けて桜の木が植えてあり、枝の間をくぐりぬけて落ちてくる太陽の光が時折あたしの目を眩ませる。
マンションまでは歩いて約二十分。ちょうど半分くらいまで来たところで、あたしは歩きながらセーラー服の上に着ていた黒いカーディガンを脱いだ。
もう、冬は終わったようだ。
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:08/06/12 05:10
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#452 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そしてそれと同時に、ハナを苦しめていた悲劇も終わりを迎えた。
「やっぱりまだ家には戻らないって?」
ふいにサトルがそう尋ねる。
ヒラヒラと桜の花びらがあたしの目の前を横切った。それを目で追いながらあたしは答える。
「うん、まだ……。でも体は良くなってるし、食事の間ぐらいなら一緒に過ごせるようになったし、もうすぐだよ」
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:08/06/12 05:11
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#453 [蜜月◆oycAM.aIfI]
風を受けながら地面に落ちてゆく花びらから視線を外し、サトルに笑顔を見せる。
「そっか。なら良かった!」
嬉しそうに表情を崩したサトルは軽い足取りで桜を見上げながら歩いてゆく。
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:08/06/12 05:11
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#454 [蜜月◆oycAM.aIfI]
悲劇は終わった。
けれど、なにもかもが元通り、という訳にはいかない。
ハナの心に深く刻まれた精神的な苦しみは今も彼女を攻め続けている。
あたしはその傷を塞ごうと、ハナの元に通い詰めた。
ハナの中に残った傷はこの数ヶ月で随分癒えたけれど、時折傷口を広げては血を流し、ハナを苦しませる。
あの犯人の男が、今もなおハナを苦しませているのだ。
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:08/06/12 05:12
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#455 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルが十年振りにハナと再会を果たしたあの時、犯人の男はいなかった。
あの場所にいなかったのでは無く、既にこの世にいなかった。
ハナの言うところによると、男は自分の過ちを悔い、自ら命を絶ったようだ。
しかも、ハナの目の前で。
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:08/06/12 05:13
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#456 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そのことを話した時のハナの様子は、まるで愛した相手がこの世から去ってしまったかというほどに落胆し、絶望し、哀しんでいた。
あたしが両親の元に帰ってから四年ほど後のことらしい。
その四年間で、ハナとあの男の間には他人が踏み入ることの出来ない繋がりが生まれていたのだろう。
四年も一緒に暮らせば誰だってそうなるのかもしれない。
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:08/06/12 05:14
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#457 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれどあたしはやっぱりあの男を許せなかった。
いくらハナがあの男を慕っていたとしても、ハナをここまで苦しませている原因なのだから。
それに、苦しいのはハナだけではない。
父も、ハナと同じか、それ以上に苦しみ悲しんでいるのだ。
ハナは父という人間にあの男の影を見る。
共通するのは、大人で、男で、父親だということ。ただそれだけ。
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:08/06/12 05:14
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#458 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、ハナは父を前にすると苦痛を感じてしまうのだ。
彼女は、犯人の男を憎んでいるつもりも恨んでいるつもりも、ましてや恐怖を感じているつもりもない。
そして彼女自身は自分の父とともに過ごしたいと望んでいるのに、心に残された傷痕が悲鳴をあげて暴れ出す。
長い間共に生活し、そのせいで心の表面は犯人の男を受け入れた。
しかし奥深く、心の深層では男に恐怖を感じているのだ。
そしてその恐怖の対象に、父も入れられてしまった。
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:08/06/12 05:15
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#459 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父の悲しみは深く、あたしや母にもそれを埋めることは出来なかった。
そしてまたハナ自身も、会いたいのに会えない、自分の感情と苦しみの板挟みに哀しんでいた。
しかしここ数日の間に、ハナは父と会話し、お茶を飲み、食事をともにするところまで回復していた。
あたしは今希望を掴んでいる。また家族四人揃って一緒に暮らせる希望を。
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:08/06/12 05:16
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#460 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがドアの横のチャイムを鳴らすと、パタパタとスリッパの音が聞こえ、ドアが開かれた。
「お帰り」
「ただいま!」
ハナの出迎えにまずサトルが答えてドアをくぐる。
あたしもそれに続き、今ハナが一人で暮らしている部屋に入る。
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:08/06/12 05:16
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#461 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ただいま。これ、スーパーで買って来たよ。足りないものある?」
一人で暮らしていると言っても、今のハナは一人で外出もままならない。
生活費は両親に出してもらっていて、必要なものがあるとあたしが学校帰りに買って届ける。
初めは母が届けていたけれど、いつの間にか毎日来ているあたしが届けるようになっていた。
「ありがと。……シャンプーと、歯磨粉と……洗剤。うん、大丈夫、完璧だよ」
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:08/06/12 05:17
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#462 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今日もハナの笑顔が見られた。
十年間見ることが出来なかった笑顔を、これから先少しでも多く見ていたい。
あたしはそう思っている。
マンションは五階建てで、ハナは最上階の部屋を使っていた。
ワンルームキッチン付きのあまり広くはない部屋だけれど、荷物が少ないせいか狭くも感じない。
ベッドと、小さなテーブルと小さな引き出し式の棚。その上に電話機があり、洋服なんかはクローゼットにしまってある。
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:08/06/12 05:17
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#463 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「今日は僕が話したげる! ……ユキの失敗話、聞きたい?」
サトルはベッドにもたれながら、隣に座るハナに顔を向けた。
あたしたちはあの時の約束通り十年間を分かち合うべく、この部屋に来ては自分たちの今までに起きたいろいろな話を教え合った。
サトルが来た時はいつも、彼があたしの笑い話や失敗話を披露してくれるのだけれど、あたしは毎回必ず恥ずかしい思いをさせられる。
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:08/06/12 05:18
:SH903i
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#464 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「もういいよ〜あたしの変な話は……あ、サトルの話にしない?」
あたしは仕返しにサトルの恥ずかしい話をしてやろうとハナにニヤリと笑いかけた。
選択を迫られたハナは、あたしとサトルの顔を見比べながら悩んでいる。
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:08/06/12 05:19
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#465 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うーん……どっちも聞きたい!」
まるでサトルのようなハナの答えに、あたしたちは小さなテーブルを囲んで笑いあう。
「じゃあ僕からね! あのねーユキが高校に入学した時に……」
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:08/06/12 05:19
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#466 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルがお互いの暴露話を次々と繰り出しあたしたちは小さな部屋の中笑い転げていた。
そんな状態に一区切りついた時、ハナがおずおずと切り出す。
「あのね、昨日思い出したことがあるんだ……あの人が死んだ時のこと考えてたら」
さっきまで笑いが溢れていた空気が急にピン、と張り詰めた。
ハナは特に辛そうにするでもなく、必死に記憶を手繰り寄せているようだ。
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:08/06/12 05:20
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#467 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ハナ、無理しないで」
失った記憶を取り戻すのがどれほど難しいか。あたしはよく知っている。
けれどあたしの心配をよそに、ハナは俯き気味に語り始めた。
「いつだったかはっきり覚えてないけど……多分あの人が死んですぐだと思う。あたし、一度家に帰ったの」
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:08/06/12 05:20
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#468 [蜜月◆oycAM.aIfI]
手に持つマグカップに落としていた視線を瞬時にハナへ向ける。
あたしの記憶にそんな出来事は無い。
あたしが驚きに固まっている中、ハナは言葉を続ける。
「でも……そこにいたのは知らない人だった。門にかかった表札も、あたしの知らない名前だった。それで初めて引っ越したんだって知ったの」
――そっか。……前に住んでた家に行ったんだ。
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:08/06/12 05:21
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#469 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家族との再会を夢見て山を下り、懐かしい我が家へたどり着いたのに、それが叶わなかったハナを思うと胸が苦しくなった。
自分の顔が歪むのを止められなかった。
あたしが見つめるハナの顔は、歪んではいないけれど少し哀しさを含んでいた。
「それから電話帳でお父さんの名前を調べて、電話したの」
「え……」
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:08/06/12 05:21
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#470 [蜜月◆oycAM.aIfI]
電話? 家に?
じゃあハナはその後、父と母と連絡を取っていたのだろうか?
しかしあたしは全く知らない。
ハナがここに戻ってからも、そんな話は聞いていなかった。
驚きの目をサトルに投げかけると、サトルも「聞いていない」という風に首を振る。
「夜だった……お父さんが出たの。
引っ越したって何か事情があったのかと思ったから、自分だって言わないで、T小学校の同級生だって……」
「ハナ……っ」
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:08/06/12 05:22
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#471 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナがどんなに家族想いか、あたしは信じられない思いだった。
耐え切れず涙が浮かぶ。
どうしてこんなに優しいハナがあんな目に?
あたしは改めて神様を恨んだ。
膝の上で強くにぎりしめた拳に、ポタリと涙が落ちる。
唇を噛み締め、声を押し殺した。
――あたしが泣いてどうするの? ハナの方が辛いはずなのに……っ!
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:08/06/12 05:23
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#472 [蜜月◆oycAM.aIfI]
涙を堪えようと下を向いて強く目をつむる。
と、ふわりという感触があたしのまぶたを撫でた。
力を抜いて目を開けると、ハナがティッシュペーパーを一枚手にして微笑んでいた。
あたしの涙を拭ってくれたようだ。
「泣かないで、ユキ。ユキが笑っててくれないとあたしもサトルも悲しいよ」
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:08/06/12 05:23
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#473 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その言葉にサトルが頭をブンブンと振って頷く。
それがおかしくて、あたしは泣きながら笑ってしまった。
「んっ……大丈夫、ありがとう二人とも……。ハナ、続けて?」
あたしの目から未だ零れる涙をもう一度ティッシュで拭うと、ハナは続きを話し出した。
「えーと……そう、同級生だって電話して、お父さんが出て……それで、よくわからないままユキちゃんは元気ですかって言ったの。そしたら……記憶はまだ戻らないけど元気だよ、って……。それで、ユキがホントに約束守ってくれたんだってわかったの」
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:08/06/12 05:24
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#474 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナはそこで一度言葉を切り、テーブルに置いていた紅茶に口をつける。
あたしやサトルに返事を求める様子もないので、あたしたちは無言でハナを見守った。
「お父さんの声が懐かしくて……会いたくなって……。でもユキがあたしのことを忘れているなら会いには行けないと思った。それでいろいろ考えてたら……『ユキをよろしくね、お父さん』って言っちゃったの。すぐに電話を切ったけど……それからは寂しくて、何回も電話したくなっては我慢して……」
ハナの口調は最初から最後まで淡々としている。けれどやはり表情は悲しげで、切ない微笑みが浮かんでいた。
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:08/06/12 05:26
:SH903i
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#475 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんなハナの表情に気を取られる一方で、あたしはハナの話を聞いて何か頭に引っ掛かるものがあった。
「ハナ……それって、あたしが帰ってからどのくらい? 覚えてないかな?」
俯くハナの背中に手を当て、出来るだけ優しく尋ねる。
あたしの考えが当たっていれば、ハナの答えは、四年と半年――。
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:08/06/12 05:27
:SH903i
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#476 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「四年と……半年くらいかな。……あの人が死んだのがそれくらいで、すぐに電話をかけたから」
――やっぱり。
「ハナ」
そう呟いて、あたしはハナの首に両腕を回して抱き寄せた。
ハナの手があたしの髪を撫でる。
「その日、……きっとハナが電話した日だよ。お父さん酔っ払って……すごくイライラしてた……いつものお父さんじゃなくて、何かずっと考えてて……それであたしに昔のことを少しだけ話したの」
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:08/06/12 05:28
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#477 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父は、きっと葛藤していたのだ。
ハナが生きている。
それを知ってしまった。
けれどあたしは事件とハナのことをすっぽりと忘れ去っている。
ハナを探し出しても共に暮らせるかどうか……けれどハナを放ってはおけない。
そうして、苦悩していたに違いない。
そしてあたしに引っ越したという話をしてしまったのだろう。
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:08/06/12 05:28
:SH903i
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#478 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その結果父がどう行動したのか、母には話したのか、それらは全くわからないけれどきっと父もそれから約五年半の間、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて来たのだと思う。
「あたしが電話で『お父さん』なんて言わなかったら……お父さんの苦しみを増やすこと無かったのに……」
ハナが苦しそうに小さく漏らした。
「そうじゃない、ハナは悪くない! 自分を責めないで、ハナのせいじゃないから。お父さんもきっとそう思ってるよ」
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:08/06/12 05:29
:SH903i
:80/PBkxE
#479 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは抱きしめたハナの体をさらに強く抱きながら、ハナに語りかけた。
ハナが何をしたと言うのか。
ここまで自分を犠牲にしてきたのに、まだ自分を責めさせるの?
神様は残酷だ。
あたしはハナの体を抱いている手で撫で、目を閉じた。
神なんて……様付けで崇められているけれど、人間を弄んで喜ぶ変態だ。
あたしは神からもその他全ての悪からも、ハナを守る。
もう、二度と失いたくないから。
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:08/06/12 05:30
:SH903i
:80/PBkxE
#480 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナがあたしの腕を抜けたのを感じた後に、チャリ、と言う音がした。
「これ……ちゃんと着けてくれてるんだね」
あたしは目を閉じたまま頷く。
ハナが手に取ったであろう物体は、あたしの首から提げられたリングだ。
チェーンを通して肌身離さず着けている。
「ずっと着けててね……あたしとユキはあの人を忘れないでいてあげないと……ダメだから……」
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:08/06/12 05:31
:SH903i
:80/PBkxE
#481 [蜜月◆oycAM.aIfI]
トン、と胸に重さを感じて瞼を上げると、ハナの体がもたれかかっていた。
顔を覗き込むと、目を閉じて穏やかな顔をしている。
眠ってしまったようだ。
「寝ちゃったね」
サトルが小声で囁きクスリと笑う。
あたしの顔にも自然と笑みが零れた。
静かに寝息を立てるハナを起こさないようにベッドに寝かせながら、あたしは自分の胸が温かくなるのを感じていた。
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:08/06/12 05:31
:SH903i
:80/PBkxE
#482 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナとこうして普通の、ありふれた楽しい時間を過ごせることがあたしには奇跡みたいに思えていた。
毎日この部屋に来ては尽きることのない思い出を語り合う。
それだけなのに、あたしはそれまで感じたことのない幸福感に包まれていた。
記憶に穴があったせいか、無意識にハナを求めていたせいかはわからない。
けれど今になって思えば、あたしには何かが足りない、何か欠けているという喪失感があったような気がする。
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:08/06/12 05:32
:SH903i
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#483 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けして不幸せだったとは思わない、むしろ両親やサトルに温かく守られてあたしはぬくぬくと生きてきた。
それでも、あたしは心のどこかでこれを――今のこの満ち足りた状態を、欲していたのだと思う。
ハナがいなかった世界と、今ハナが近くにいる世界とは、同じに見えて同じじゃない。
ただハナがこの街に帰ってきたというだけなのにその違いは、あたしの内部に大きな変化をもたらした。
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:08/06/12 05:33
:SH903i
:80/PBkxE
#484 [蜜月◆oycAM.aIfI]
これが、この状態こそがあたしにとって、そしてハナにとってあるべき状態だと。そう感じている。
心には余裕が溢れ、些細なことにも心を動かされるようになった。目に映る全てのものに感謝の気持ちを持てるようになった。
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:08/06/12 05:33
:SH903i
:80/PBkxE
#485 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナが側にいてくれることで、あたしは生きる意味を見出だせたような気がする。
あの時の誓い――この先の全てをハナに捧げるという誓いを、あたしは胸に刻んで過ぎ行く一瞬一瞬を消費してゆくのだ。
それが、あたしの生きるよすがだ。
―了―
:08/06/12 05:34
:SH903i
:80/PBkxE
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