よすが
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#1 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/02 23:45
:SH903i
:KU4lIxIQ
#2 [蜜月◆oycAM.aIfI]
幼い頃、ある事件に巻き込まれ記憶を失った少女。
十八歳になった彼女は記憶を取り戻す為、幼馴染みの少年を連れて過去へと遡る。
記憶を辿る中で明らかになってゆく事件の全容と彼女の知らない事実。
そして幼馴染みの少年に隠された秘密……。
事件のあった場所で彼女を待ち受ける真実とは――?
:08/04/02 23:50
:SH903i
:KU4lIxIQ
#3 [蜜月◆oycAM.aIfI]
では、本編スタートです(・∀・)ノ
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:08/04/03 00:07
:SH903i
:RM1EQ/SI
#4 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――あの日、季節外れの花火の下で約束したこと、まだ覚えてる?
私の生きる縁(よすが)は、君だよ――
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:08/04/03 00:08
:SH903i
:RM1EQ/SI
#5 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―T―
授業開始のチャイムが校舎に鳴り響く中、冬だというのにあたしは一人屋上で考え事をしていた。
昼休み、いつも通り自分の教室で友達と一緒に弁当を食べた後、一人になりたくて屋上に来た。
昔のことを考えている内に、昼休みが終わってしまっていた。
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:08/04/03 00:10
:SH903i
:RM1EQ/SI
#6 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今まで授業をさぼったことなんて無かったけれど、今日は教室に戻りたくなかった。
授業よりも、自分の過去と向き合うことの方が今のあたしには重要に思えたから。
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:08/04/03 00:12
:SH903i
:RM1EQ/SI
#7 [蜜月◆oycAM.aIfI]
昨日の夜、夢を見た。
あたしは、小さな女の子と一緒にいた。
長い長い坂道を、あたしたちは手を繋いで登っていた。
登っても登っても、終わらない登り坂。
あたしの口が言葉を発した。
「あなたは……だあれ?」
「私は……」
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:08/04/03 00:14
:SH903i
:RM1EQ/SI
#8 [蜜月◆oycAM.aIfI]
目が覚めた時には、女の子の顔は忘れてしまっていた。
けれど、あたしはあの子を知っている。
そんな気がする。
.
:08/04/03 00:15
:SH903i
:RM1EQ/SI
#9 [蜜月◆oycAM.aIfI]
八年間。
あたしには、八歳までの記憶が無い。
病院のベッドで目を覚まし、父と母が泣きながらあたしを抱きしめているのが、一番古い記憶。
八年間をどこかに落としたまま、あたしは十八歳になってしまった。
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:08/04/03 00:17
:SH903i
:RM1EQ/SI
#10 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何があったのか思い出そうとしても、何一つ思い出せない。
父や母に何度も聞いてみたけれど、答えは毎回同じ。
「あなたは知らなくていいの。これからは普通に暮らしていこうね」
あたしたちに、何か普通でないことが起きたのだろう。
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:08/04/03 00:20
:SH903i
:RM1EQ/SI
#11 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父や母がその問いに答える時の顔には決まっていつも、悲しみが浮かんでいた。
しかし同時に、あたしへの愛情に満ちていた。
だからあたしは、過去を捨てて今を生きることにした。
父と、母とともに。
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:08/04/03 00:21
:SH903i
:RM1EQ/SI
#12 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど昨日の夢は、あたしに過去を取り戻させようとしている気がした。
今まで考えないようにしてきたけれど、やはりいつかは向き合わなければいけないことをあたしは知っていたのだと思う。
そのいつかが今だと、昨日の夢があたしに知らせていた。
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:08/04/03 00:23
:SH903i
:RM1EQ/SI
#13 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そしてあたしは、落としてしまった自分の八年間を、あたしの頭の中に閉じ込められた記憶を、探し出す。そう決心した。
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:08/04/03 00:24
:SH903i
:RM1EQ/SI
#14 [蜜月◆oycAM.aIfI]
屋上で冷たい風に吹かれながら、十年前のことを考えてみる。
病院で目を覚ました時、あたしの頭や腕には包帯がぐるぐるに巻かれていた。
父と母はその体を抱きしめながら、あたしの名前を呼んでいた。
「ユキ、ユキ! ああ、良かった……ユキ」
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:08/04/03 00:25
:SH903i
:RM1EQ/SI
#15 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それが一番古い記憶。
何度頭を痛めても、やはりそれ以前のことは思い出せない。
しかし八歳のあたしは、意識が戻ってもすぐには退院出来なかった。
体の傷がかなりひどかったらしく、目を覚ますまでにかなり回復していたけれど、それでもその後三ヶ月は治療が続いた。
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:08/04/03 00:26
:SH903i
:RM1EQ/SI
#16 [蜜月◆oycAM.aIfI]
病院では、いつも父か母が一緒にいてくれた。
一度、偶然二人とも傍にいない時に、他の入院患者に聞いてみたことがある。
「あたし、いつからここにいるの?」
「半年くらい前からかしらね。あなたのお父さんとお母さんは、その間毎日来てらっしゃったのよ。感謝しなくちゃね」
同じ病室のおばさんは、穏やかな笑顔でそう教えてくれた。
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:08/04/03 00:31
:SH903i
:RM1EQ/SI
#17 [蜜月◆oycAM.aIfI]
傷が治って退院した後、あたしは新しい学校に転入した。
そもそも、前の学校のことも友達のことも何も覚えていないのだから、あたしにとっては同じことだった。
後になって父から聞いたのだが、あたしたちはもともと田舎の方に住んでいたらしい。
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:08/04/03 00:34
:SH903i
:RM1EQ/SI
#18 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父も母も、あたしの記憶が無い頃の話を未だにしようとしないが、その話をした時の父はひどく酔っていた。
田舎から、同じ県内の中心部であるこの街に引っ越して来たのだと言ったきり、父は黙ってしまった。
その時あたしは、父が普段なら絶対に口にしない過去の話をしたことと、いつもとは違う父の雰囲気に驚き、何も言えなかった。
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:08/04/03 00:34
:SH903i
:RM1EQ/SI
#19 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それからは元通り、父も母も過去の話には触れなかった。
転校してからは特に不自由なこともなく、中学に上がり、受験戦争を乗り越え高校に入学、と普通の毎日を過ごしてきた。
両親が望んだ通り、普通の生活。
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:08/04/03 00:36
:SH903i
:RM1EQ/SI
#20 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは今、その普通から飛び出そうとしているのかもしれない。
自分の記憶を取り戻すことによって、今の普通で幸せな生活が壊れてしまうかもしれない。
そうなった時、あたしはどうすればいいのだろうか。
――怖い。
傷だらけになり記憶をなくした幼い自分が蘇る。またあんな風になってしまうのか……。
恐怖、その感情があたしを支配しそうになる。
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:08/04/03 00:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#21 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、あたしは過去を受け入れる。そう決めたのだ。
ぎゅっと目をつむり、恐怖を向こう側へ押しやる。
しかし、父と母にはもう心配をかけたくなかった。悲しませたくなかった。
何があったのか、二人には聞けない。
でも、他に手掛かりは無い。
――あたしの過去に続く道は何処……?
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:08/04/03 00:39
:SH903i
:RM1EQ/SI
#22 [蜜月◆oycAM.aIfI]
騒がしい声が聞こえてきて、思考を中断させられた。
屋上を囲っている柵越しに校庭を見下ろすと、家に帰ろうとする者や部活の準備をしている生徒が大勢歩いている。
とりあえず家に帰ろうと教室に戻ると、一人の男子生徒があたしを待っていた。
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:08/04/03 00:42
:SH903i
:RM1EQ/SI
#23 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキー、どこ行ってたんだよー? 保健室行ってもいないし。鞄置きっぱなしだし。午後の授業出なかったんだってー?」
この男子生徒、サトルは、あたしが転校した小学校で出会った、一つ年下の幼なじみのようなもの。
彼とは家が近く、学校の行き帰りを共にすることも多かった。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してたらこんな時間になってた。帰ろうか?」
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:08/04/03 00:43
:SH903i
:RM1EQ/SI
#24 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは笑って答えながら鞄を手に取った。
「うん!」
サトルを見ていると、人懐っこい子犬みたいだといつも思う。
眩しいくらいの笑顔で返事をするサトルを見て、なんだか安心してしまった。
――あたしは変わらない。
例え何があろうと、あたしには大切な人たちがいるから。
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:08/04/03 00:44
:SH903i
:RM1EQ/SI
#25 [蜜月◆oycAM.aIfI]
学校を出て、サトルと並んで歩いていた。
そうしていても、昨日の夢のことが頭を巡ってしまう。
「ユキ、ユキ!」
サトルがあたしの顔の前で片手を振っている。
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:08/04/03 00:46
:SH903i
:RM1EQ/SI
#26 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「どうしたの? なんか今日変だよ、ユキ。何かあった? 誰かに虐められた?」
サトルが本気で心配してくれているのが解る。
「サトル、今日時間ある?」
「あるけど、何?」
あたしはサトルを連れて学校の近くのコーヒーショップに入った。
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:08/04/03 01:09
:SH903i
:RM1EQ/SI
#27 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルはちょっとバカだけど、いざという時は頼りになるし、心の底から信じられる友達だ。
出会ってすぐの頃、サトルとあたしとあたしの母と、三人で大型のショッピングセンターに出掛けたことがあった。
あたしとサトルは楽しくて、母の言うことを聞かずに走り回って遊んでいたら、いつの間にか母とはぐれてしまった。
複雑な構造のショッピングセンターの中で、あたしとサトルは母を探してあちこち歩き回ったけれど、母の姿はどこにもない。
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:08/04/03 01:10
:SH903i
:RM1EQ/SI
#28 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは心細くなって、泣き出してしまった。
するとサトルは、そんなあたしの手を引っ張って、近くにいた店員さんに話しかけた。
「迷子になっちゃったんですけど、どこに行ったらいいですかっ」
サトルの顔は真っ赤だった。きっとサトルも心細かったに違いない。
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:08/04/03 02:11
:SH903i
:RM1EQ/SI
#29 [蜜月◆oycAM.aIfI]
迷子の放送をしてもらい、母が迎えに来てくれたとき、サトルも泣き出してしまった。
あたしが不安にならないように、我慢していたのだろう。
それがすごく嬉しかったし、あたしには一つ年下のサトルがとても強く見えた。
.
:08/04/03 02:11
:SH903i
:RM1EQ/SI
#30 [蜜月◆oycAM.aIfI]
大通りに面したコーヒーショップの窓際の席に座り、あたしはサトルに夢のこと、過去のことを全て話した。
サトルは何も知らない。
今まで、あたしの中で過去の話はタブーだったから。
初めて聞くあたしの話に、サトルは一生懸命耳を傾けてくれた。
たまに理解出来ないところを聞き返してくることもあったけれど、それ以外は黙って聞いてくれた。
.
:08/04/03 02:14
:SH903i
:RM1EQ/SI
#31 [蜜月◆oycAM.aIfI]
全てを話し終えて、あたしは最後にこう付け加えた。
「あたし、思い出したいの」
サトルは、あたしの顔を真っ直ぐ見つめて黙っていた。
何と答えようか、考えているのだろう。
.
:08/04/03 02:15
:SH903i
:RM1EQ/SI
#32 [蜜月◆oycAM.aIfI]
たっぷり五分は沈黙が続いた後、サトルが口を開いた。
「もし、ユキが辛くなったら、僕がいるから。何があっても僕がユキを守るからね!」
嬉しかった。サトルはいつも、あたしを安心させてくれる。
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:08/04/03 02:18
:SH903i
:RM1EQ/SI
#33 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、ありがとう」
サトルは、自分に手伝えることは無いか、と言ってくれた。
あたしはその言葉に甘えることにした。
.
:08/04/03 02:18
:SH903i
:RM1EQ/SI
#34 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたちはコーヒーショップを出て、昔一緒に通っていた小学校に向かった。
「久しぶりだよね、小学校なんて。高校入学の報告に行ったきりだなあ、僕」
「あたしもだよ。中山先生、まだいたよね?」
中山先生とは、あたしが小学校に転入した年の担任教師だ。
記憶を失って精神的に不安定だったあたしを、いつも気遣ってくれる、良い先生だった。
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:08/04/03 12:55
:SH903i
:RM1EQ/SI
#35 [蜜月◆oycAM.aIfI]
学校に着き、事務室の窓口で中山先生を呼んでもらおうとした。
「中山先生は去年、T町の学校に転任されましたけど」
あたしとサトルは顔を見合わせた。
「しかたないね」
サトルがそういって悲しそうな顔を見せる。
サトルにそうだね、と返し、窓口の事務員に尋ねた。
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:08/04/03 12:56
:SH903i
:RM1EQ/SI
#36 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたし、十年前にここに転校してきたんですけど、その前にいた学校がどこか調べてもらえませんか?」
そう言うと、事務員の女性はあからさまに不審な目を向けてくる。あたしは慌てて説明した。
「あの、あたし、八歳の時に記憶喪失になって、ここに転校してきたんです。それより前のことは覚えてなくて……」
「……身分証明できるものあります?」
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:08/04/03 12:57
:SH903i
:RM1EQ/SI
#37 [蜜月◆oycAM.aIfI]
女性がまだ信用しきっていない様子なので、あたしは急いで学生証を出した。
それを受け取った女性は、窓口の向こう側にあるパソコンに何やらカチャカチャと打ち込んでいく。
「確かに十年前に転入されてますね。その前の小学校は、T町のT小学校です」
「ありがとうございます!」
学生証を返してもらい、サトルを連れて校舎を出た。
.
:08/04/03 12:58
:SH903i
:RM1EQ/SI
#38 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「中山先生、ユキの前の学校にいるんだ!」
サトルはブランコをこぎながら嬉しそうに笑った。
あたしが中山先生に担任してもらった次の年、先生はサトルのクラスを受け持っていたから、サトルも中山先生が好きなのだ。
「ユキ、行くよね? 僕も一緒に行く! いいでしょ?」
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:08/04/03 16:35
:SH903i
:RM1EQ/SI
#39 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、もちろん。でも今日はもう遅いから行けないよ。T町まで電車で一時間はかかるし」
もう辺りは夕暮れに染まり、あたしたちのいる校庭は夕日に照らされて眩しかった。
「明日、学校終わってから行こう」
.
:08/04/03 16:37
:SH903i
:RM1EQ/SI
#40 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはサトルにそう言いながら、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
家に帰って父と母の顔を見たら、過去を知るのがもっと怖くなってしまうような気がした。
だから、自分の決心が鈍らないように。
もし心が揺らいだとしても、きっとサトルが背中を押してくれると信じて。
――明日、行こう。
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:08/04/03 16:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#41 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家に帰ると、母が夕飯を用意しているところだった。
「おかえり、ユキ。遅かったじゃない」
「ただいま。サトルとちょっと話してたんだ。着替えたら手伝うね」
あたしはなるべくいつも通りに振る舞おうとした。
でも、母の顔を真っ直ぐ見られない。
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:08/04/03 16:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#42 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――ごめん、お母さん。あたし、過去を知りたいんだ。
けれどそれは、今が大切じゃないということではない。
今あるこの家族や友達は何があろうとなくしたくない。
――でもあたしは、あたし自身をもっと理解したい。全てを知りたいんだ。
あたしには、その権利があるはず。
.
:08/04/03 16:40
:SH903i
:RM1EQ/SI
#43 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「いいわよ、もう出来上がってるから。手洗ってきなさい」
その優しい母の声に、決意がほどけそうになる。
うん、とだけ答えて、自分の部屋へ向かう。
――決めたんだから。決めたんでしょ。
自分に言い聞かせる。
――迷わないって決めたんだから。
.
:08/04/03 16:41
:SH903i
:RM1EQ/SI
#44 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしのために、父と母は二人で創ってきた人生の一部を捨ててくれた。
大切な思い出や、毎年祝いたい記念日もあっただろう。
それを、あたしは潰してしまったのだ。
そんな二人に逆らうように、あたしは過去に縋(すが)りつく。
.
:08/04/03 16:42
:SH903i
:RM1EQ/SI
#45 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、あたしが八年間の記憶を思い出せば、父と母の八年間も取り戻せるのだ。
二人には、人生に影をつくって欲しくない。最初から最後まで、輝くほど幸せな人生を送って欲しい。
そのためにも、あたしはどんなに無様(ぶざま)だろうと、どれだけ辛い思いをしようと、なりふり構わず過去に縋りつこう。
.
:08/04/03 16:44
:SH903i
:RM1EQ/SI
#46 [蜜月◆oycAM.aIfI]
着替えながら、ほどけそうになった決意をきつく結び直していると、父の声がした。
「あれ、ユキは? まだ帰ってないのか?」
部屋を出て父に声をかける。
「いるよー! おかえり、お父さん」
父と母、二人の顔を見て、改めて思った。
絶対に二人には、心配も迷惑もかけない。
自分で自分の過去にけりをつけるんだ。
.
:08/04/03 16:45
:SH903i
:RM1EQ/SI
#47 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―U―
次の日、全ての授業が終わると、あたしは走って屋上に向かった。
昨日の夜は、あの女の子の夢を見なかった。
もしかしたら、夢が何か過去につながるヒントを示してくれるかもしれないと期待していたけれど、現実はそう上手くいかないものだ。
屋上に来たのは、自分を戒めるため。
最初に過去と向き合うと決めた場所に来れば、心を強く持てると思ったから。
.
:08/04/03 16:48
:SH903i
:RM1EQ/SI
#48 [蜜月◆oycAM.aIfI]
マフラーもコートも教室に置いてきてしまったから、屋上に出た途端体が震えた。
それでもあたしは足を進め、柵の手前に立った。
あたしが過去を置いてきてしまった、あの町の方を眺めてみる。
――あの女の子は誰? あたしはどうして記憶を閉じ込めたの?
「……絶対に思い出してやる」
一人そう呟いて、あたしは屋上を後にした。
.
:08/04/03 16:49
:SH903i
:RM1EQ/SI
#49 [蜜月◆oycAM.aIfI]
教室に戻ると、昨日と同じようにサトルが待っていた。
「ユキ、行こう」
サトルはあたしの心が読めるのだろうか?
なんて、非現実的なことを考えてしまうほど、サトルはいつでもあたしの求めている言葉をくれる。
.
:08/04/03 19:51
:SH903i
:RM1EQ/SI
#50 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ありがとう、サトル。行こう」
サトルは、何故感謝されたのか解らない、という様子で首を傾げている。
そんなサトルの手を引いて、あたしは探している何かがあるはずの場所に向かった。
.
:08/04/03 19:52
:SH903i
:RM1EQ/SI
#51 [蜜月◆oycAM.aIfI]
T小学校に一番近い駅まで、あたしたちは電車で約一時間かけてやってきた。
サトルは終始ニコニコしっぱなしで、中山先生との思い出話をたくさんしてくれた。
駅から小学校まで歩いている今も、早く会いたいのだろう、今にも走り出しそうなくらいだ。
「サトルは中山先生がほんとに好きなんだね」
.
:08/04/03 19:53
:SH903i
:RM1EQ/SI
#52 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルは、あたしがほとんど呆れ気味に発した言葉への返事の代わりに、いきなり走り出した。
「ちょっと、どうしたの?」
慌てて追いかけると、サトルは『T町立T小学校』と書かれた門の前で手を振っている。
――ここが、あたしの通った小学校……?
.
:08/04/03 19:53
:SH903i
:RM1EQ/SI
#53 [蜜月◆oycAM.aIfI]
見たことがあるはずの建物を前にしても、やはりあたしの頭は何の反応も起こさなかった。
「あれ? あそこにいるの、中山先生だよ! ねえ、ユキ!」
あたしがサトルの立っている場所に近づくと、彼はまた走り出した。
「せんせえーーっ! 中山先生! 久しぶりー!」
.
:08/04/03 19:54
:SH903i
:RM1EQ/SI
#54 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルの走っていく先には、花壇の花に水をやる手を止めてこちらを振り返った人物がいた。
白髪混じりの長い髪を頭の後ろでひっつめて、ベージュのロングスカートをはいたふくよかな女性……中山先生だ。
先生はこちらから走ってくるのがサトルだと気付いたのか、手にしていたホースを地面に置いてあたしたちの方に近づいて来た。
.
:08/04/03 23:57
:SH903i
:RM1EQ/SI
#55 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「サトルくん……?」
「サトルだよおー! 先生久しぶり! 元気!? ユキも一緒なんだよ、ほら!」
サトルのテンションは最高潮に達してしまったようだった。
身振り手振り全開で、普段から高い声のトーンも一層高くなり、うるさいくらいだ。
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:08/04/03 23:58
:SH903i
:RM1EQ/SI
#56 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「中山先生、お久しぶりです」
とあたしがお辞儀すると先生は、驚いた、と言わんばかりにあたしとサトルへ交互に目を向けた。
「サトルくんに、ユキちゃんも……、久しぶりねえ。二人は相変わらず仲良しなのね」
そう言って笑う先生は、昔と変わらず優しい雰囲気をまとっている。
あたしは先生を前にしてなぜか焦ってしまい、普通なら昔の思い出話をしたりするはずなのに、唐突に用件を切り出してしまった。
.
:08/04/04 00:06
:SH903i
:h9h3B4Yg
#57 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「先生、久しぶりに会っていきなりこんな話するのおかしいんですけど、あたしの昔の話聞かせて欲しいんです」
あたしがそう言い切ると、先生は驚く訳でもなく、あたしの眼をじっと見つめた。
その顔には、悲しみなのか哀(あわ)れみなのか、それとももっと別のものか……あたしには区別が付かない感情が表れている。
.
:08/04/04 00:10
:SH903i
:h9h3B4Yg
#58 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしも何も言わず、先生の眼をじっと見つめ返す。
ここで拒否されれば、もう過去につながる道は無いかもしれない。
けれどここは、先生の判断に委ねたかった。
永遠にも思えた一瞬の後、先生の口から予想外の言葉が発せられた。
.
:08/04/04 02:07
:SH903i
:h9h3B4Yg
#59 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「待っていたわ、ユキちゃん」
――え……?
「あなたがいつか来るだろうと思っていたの。ユキちゃんの聞きたいこと……私が話さなきゃいけないと思っていたことと同じはずよ」
――そうか。先生は知っていたんだ。
あたしの知らないあたしの過去を。
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:08/04/04 02:08
:SH903i
:h9h3B4Yg
#60 [蜜月◆oycAM.aIfI]
遂にこの時が来てしまった。
思っていたよりも随分と早い。ここで昔の自分との対面を迎えてしまうのか?
正直、あたしはまだ完全に腹をくくり切っていなかった。
――待って、本当にいいの?
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:08/04/04 02:09
:SH903i
:h9h3B4Yg
#61 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ああ、また揺らぎ始めた。
揺れる……揺れる心……ほどける決意……あたし……
頭の中で幾つもの感情がぐるぐると巡る。
ふと目線を上げると、先生の優しい眼差しとぶつかった。
あたしを急かすこともなく、ただその優しい瞳で見つめてくれている。
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:08/04/04 02:10
:SH903i
:h9h3B4Yg
#62 [蜜月◆oycAM.aIfI]
顔を横に向けると、サトルもあたしを見ていた。
サトルの瞳は先生のそれとは違い、不安、心配、疑問、のようなものが入り混じっているかに見えた。
それぞれの顔はもちろん違うが、その表情にはひとつ共通するものがあった。
それは、あたしへの愛情。
.
:08/04/04 02:11
:SH903i
:h9h3B4Yg
#63 [蜜月◆oycAM.aIfI]
愛されてると言い切るなんて、自意識過剰だと自分でも思う。
けれど二人の目からは、溢れるくらいの愛が、あたしに向けて注がれていた。
なんて幸せなことだろう。
二人だけじゃない、あたしには両親もいる。
無償の愛を、見返りを求めることのない愛情をくれる人が、こんなにもいるのだ。
.
:08/04/04 02:14
:SH903i
:h9h3B4Yg
#64 [蜜月◆oycAM.aIfI]
きっと彼らは、どんなあたしも受け入れてくれるに違いない。
守られている……そう感じた。
――もう大丈夫。
「先生。……教えてください」
あたしの答えを聞くと、先生は穏やかに微笑み、あたしたちを校舎の中へと案内してくれた。
.
:08/04/04 02:15
:SH903i
:h9h3B4Yg
#65 [蜜月◆oycAM.aIfI]
通されたのは、社会科準備室。
普段あまり使われていないのだろう、そこら中に散乱している大きな地図やプリントの束には埃が積もっている。
真ん中の机だけは、辛うじてきれいに掃除されているようだ。
先生は、あたしとサトルに折りたたみ式のパイプ椅子に座るように勧め、お茶を煎れてくれた。
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:08/04/04 02:20
:SH903i
:h9h3B4Yg
#66 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その間、あたしとサトルは言葉を交わさなかった。
椅子に座ってもサトルはキョロキョロと室内を見回していたが、あたしに気を遣ってくれているのか話し掛けてくることは無かった。
あたしはというと、先生の口から何が話されるのかという不安で頭がいっぱいだった。
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:08/04/04 02:21
:SH903i
:h9h3B4Yg
#67 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたちの前に煎れたてのお茶が出されると、ようやく先生も椅子に座った。
「さあ、ゆっくり話しましょうか」
そう言って、あたしとサトルの正面に座った先生は自分の前に置いたお茶に口をつける。
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:08/04/05 00:22
:SH903i
:Ltba8Hdw
#68 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは、何をどこから聞けば良いのか解らず、口をつぐんでしまった。
そんなあたしに気付いたのか、先生はゆっくりと話し始めた。
「ユキちゃんが向こうの小学校に転校して来たのは、確か……三年生の時だったかしらね? すぐにサトルくんとも、クラスのみんなとも仲良くなって、先生安心したのよ」
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:08/04/05 00:23
:SH903i
:Ltba8Hdw
#69 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あの頃のことを思い浮かべているような先生の柔らかい表情につられて、あたしも懐かしい気持ちになっていた。
先生やサトルがあたしを気遣ってくれたから、すぐに普通の生活に戻れたのだと、あたしは二人に感謝している。
先生は一旦言葉を切ると、真剣な顔であたしの目を見つめた。
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:08/04/05 00:23
:SH903i
:Ltba8Hdw
#70 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「私は、ユキちゃんの身に起きたことを全て知ってる訳ではないの。それでも、私が知っていることは全て伝えるべきだと思ってる。お母様とお父様は、何も話してくれなかったのね?」
先生の言葉が、核心に触れた。
あたしは思わず目を逸らし、息を一つ吐いて背筋を伸ばす。
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:08/04/05 00:24
:SH903i
:Ltba8Hdw
#71 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「はい。父と母は、……昔の話をしたがらないんです。何年か前まではあたしも知りたかったから、聞いてみたりしてたんですけど……今はもうあたしから聞くこともありません。きっと父と母は、あたしのことが心配なんだと思います。
……あたしが今こうやって昔のことを調べてること、父と母は何も知りません。もうこれ以上心配かけたくないから……黙ってるつもりです」
.
:08/04/05 00:25
:SH903i
:Ltba8Hdw
#72 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは途切れ途切れになりながらも、心の内を吐き出した。
伏せていた目を上げて先生の方を見ると、やはりまだ真剣な顔をしている。
いつでも優しく笑っていた中山先生の顔に笑顔が無い。
それだけであたしは、とてつもない不安に襲われた。
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:08/04/05 00:25
:SH903i
:Ltba8Hdw
#73 [蜜月◆oycAM.aIfI]
きっとあたしの顔が強張っていたのだろう。
先生は表情をふっと柔らげて、微笑んでくれた。
「そう……ユキちゃんはすごく大きな決断をしたのね。やっぱり立派になったわ」
.
:08/04/05 00:26
:SH903i
:Ltba8Hdw
#74 [蜜月◆oycAM.aIfI]
嬉しそうにそう言ってくれる先生を見て、あたしはなんだかほっとした。と同時に、少し照れ臭くなってサトルの方を見た。
サトルはやっぱり心配そうな瞳でこちらを見ていたので、あたしはにこっと笑いかけた。
.
:08/04/05 01:47
:SH903i
:Ltba8Hdw
#75 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしも、先生があたしにしてくれたように、サトルを安心させたかったのだ。
サトルの顔がほころんだのを確認して、あたしは再び先生に目を戻した。
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:08/04/05 01:48
:SH903i
:Ltba8Hdw
#76 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「先生の話をする前に、ユキちゃんが知っていることを話してくれるかしら?」
あたしは先生にそう言われて、悩んでしまった。
.
:08/04/05 03:55
:SH903i
:Ltba8Hdw
#77 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「知ってることって言っても……入院してから半年で意識を取り戻して、それから三ヶ月ぐらいで退院して転校した……ぐらいしか解らないんです」
.
:08/04/06 00:35
:SH903i
:Q83A9i1s
#78 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは、何か他に思い出せることは無いかと頭をフル回転させたけれど、記憶の壁はやはり厚く、突き破ることは出来なかった。
なんだか、自分で自分が情けなかった。
授業中先生に当てられた時に、簡単な問題で正解はわかっているはずなのに答えられない、そんな気分だった。
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:08/04/06 00:36
:SH903i
:Q83A9i1s
#79 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「そう……あれから何も思い出さなかったのね」
「あれから……?」
先生の言葉の意味が解らなくて、思わず聞き返すあたし。
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:08/04/06 00:36
:SH903i
:Q83A9i1s
#80 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキちゃんが転校してくることが決まった時、お父様とお母様から説明を受けたの。九ヶ月ほど入院していて、それまでの記憶が一切無い、って」
言われてみて納得した。
記憶喪失の生徒を、何も聞かずに受け入れる学校などないだろう。
.
:08/04/06 00:37
:SH903i
:Q83A9i1s
#81 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「お医者様からは、後々記憶が戻ることがあるかもしれないと言われたそうなの。
ご両親は、ユキちゃんの記憶が戻ることを望んではいなかったようだけど……。思い出してしまうと、ユキちゃんはきっと自分を責めてしまうから。そうおっしゃったの」
――あたしが自分を責める?
あたし……あたしは、何をしてしまったの?
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:08/04/06 00:38
:SH903i
:Q83A9i1s
#82 [蜜月◆oycAM.aIfI]
椅子に座っているはずなのに、あたしの視界がグラグラと揺れ出した。
あたしは被害者だと、今の今までそう思っていたけれど……。
それは間違いだったのだろうか。
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:08/04/06 00:38
:SH903i
:Q83A9i1s
#83 [蜜月◆oycAM.aIfI]
気が付くと、あたしは両手で顔を覆ったままテーブルに伏せていた。
手の平を映しているはずのあたしの目は、しかし、何も見えていなかった。
手の甲に触れている机の表面が、なぜかとても冷たく感じる。
混乱と不安と疑問が押し寄せ、溺れてしまいそうだ。
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:08/04/06 03:15
:SH903i
:Q83A9i1s
#84 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが溺れまいと感情の波の中であがいていると、何か温かいものがあたしの手に触れた。
「大丈夫? しっかりしてよ。ユキは何にも悪いことしてないよ、絶対」
サトルの手だった。
:08/04/06 03:16
:SH903i
:Q83A9i1s
#85 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの両手を掴んで、顔を上げさせる。
真っ直ぐで澱みのない彼の瞳があたしの目を射る。それに堪えられず、あたしは視線を逸らしてしまった。
「でも……」
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:08/04/06 03:17
:SH903i
:Q83A9i1s
#86 [蜜月◆oycAM.aIfI]
自分で自分が解らないということは、こういうことなのだ。
今初めて気付いた。
もしかしたら、あたしが記憶を無くした八年間の中で、誰かを傷つけていたかもしれないのだ。
急に自分が怖くなった。
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:08/04/06 23:27
:SH903i
:Q83A9i1s
#87 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「大丈夫だよ! ユキは間違ったことなんか絶対しないもん!」
「サトル……」
視界が歪み、ぼやける。
あたしの目に、じわじわと涙が溜まっていた。
自分で自分を信じることさえ出来ないあたしを、サトルはまるごと信じてくれているのだ。
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:08/04/06 23:27
:SH903i
:Q83A9i1s
#88 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキちゃん。あなたのお母様とお父様は、ユキちゃんは優し過ぎるから自分を責めてしまう、っておっしゃったのよ」
先生は、サトルが掴んでいるあたしの手の上に、自分の手を置いた。
――温かい……。
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:08/04/06 23:28
:SH903i
:Q83A9i1s
#89 [蜜月◆oycAM.aIfI]
先生の優しさが形になって、あたしの手を包み込んでいるようだった。
「ユキちゃん、よく聞いてね。いい?」
いつの間にか、あたしの腕を掴んでいたサトルの手は離れ、あたしは両手を握られながら先生と向かい合う形になっていた。
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:08/04/06 23:29
:SH903i
:Q83A9i1s
#90 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今、先生は、きっと一番大事なことを言おうとしている。
真っ直ぐこちらに向けられた先生の眼から、あたしはそれを感じ取り、自分の気持ちを精一杯落ち着かせた。
目を閉じて、呼吸を整える。
「はい、先生」
.
:08/04/06 23:29
:SH903i
:Q83A9i1s
#91 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが答えると、先生の口元に少しだけ笑みが戻った。
先生は、少し微笑んだその優しい表情のまま、あたしに告げた。
「あなたには、――――」
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:08/04/06 23:32
:SH903i
:Q83A9i1s
#92 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それを聞いた瞬間、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受け、目の前が真っ白になった。
先生の言葉が頭の中で何度も何度も再生される。
その後ろで、まるで耳元で鳴っているのかと思うほど、心臓の音が大きく響く。
だんだん息がし辛くなって、あたしの喉が音を立て始めた。
座っているのか、立っているのかさえわからない。
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:08/04/07 21:56
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#93 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ぼやけた視界に映った先生とサトルの口が動いているけれど、一向に声は聞こえてこない。
あたしは世界から断絶された。
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:08/04/07 21:57
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#94 [蜜月◆oycAM.aIfI]
帰りの電車の中。ちょうど帰宅ラッシュに重なってしまい、車内はかなり混雑している。
先生の口から知らされた事実は、あたしの予想を遥かに越えたものであり、それと同時に、あたしが知っているはずの事実だった。
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:08/04/07 21:58
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#95 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ドアの横にもたれかかっていたあたしは、サトルが一緒なのも忘れて、先生の言葉を思い返すという行為に没頭していた。
その言葉は、容易にあたしを混乱させるものだった。
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:08/04/07 22:00
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#96 [蜜月◆oycAM.aIfI]
先生から知らされた事実、それは――。
『あなたには、妹さんがいたらしいの』
――まさか?
そんなこと、お母さんもお父さんも一言も言わなかった!
.
:08/04/07 22:02
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#97 [蜜月◆oycAM.aIfI]
先生は、パニックを起こしたあたしの肩をしっかりと支えながら説明してくれた。
先生も何があったか詳しくは聞いていなかったみたいだけれど、あたしとあたしの妹は何か事件に巻き込まれたらしい。
それがあたしの記憶喪失を引き起こした原因のようだ。
.
:08/04/07 22:04
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#98 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そして、あたしだけが父と母の元に帰って来た。
……あたし一人だけが。
.
:08/04/07 22:05
:SH903i
:H4NZ7Jvc
#99 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの怪我の程度から見ても、妹の生存の可能性は低いとされ、捜索はすぐに打ち切られたらしい。
父と母は、あたしに妹がいたことは本人には言わないでくれ、と先生方にお願いした。
そして両親は妹に関する全てを封印し、三人家族として暮らしていくことにしたのだという。
.
:08/04/08 00:19
:SH903i
:U9CTaOi2
#100 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――妹……あたしに妹がいたなんて?
信じられない……。
.
:08/04/08 00:19
:SH903i
:U9CTaOi2
#101 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが意識を取り戻した時、それまでの記憶は失っていたけれど、両親のことはしっかり覚えていた。
父と母とどうやって暮らしてきたかは忘れてしまっていたが、目の前にいる二人は間違いなく自分の両親だと認識していた。
.
:08/04/08 00:21
:SH903i
:U9CTaOi2
#102 [蜜月◆oycAM.aIfI]
もし、妹と四人で生活していたのなら、何故あたしの頭から妹だけがすっぽりと抜け落ちているのか。
それを考えると、何か不思議な力の存在を感じた。
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:08/04/08 00:23
:SH903i
:U9CTaOi2
#103 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――一体何が……?
あたしと妹に何があったの?
妹は……? 妹はどうして戻らなかったの?
ああ……思い出せない。
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:08/04/08 00:23
:SH903i
:U9CTaOi2
#104 [蜜月◆oycAM.aIfI]
先生はあたしたち家族について話し終えると、自分が知っていることはこれだけだと言って、あたしを落ち着かせる為に温かいお茶を煎れなおしてくれた。
気持ちが十分に落ち着く前に空が暗くなって来たので、あたしは呆然としたまま小学校を後にした。
.
:08/04/08 23:11
:SH903i
:U9CTaOi2
#105 [蜜月◆oycAM.aIfI]
帰りがけ、先生がサトルに「ユキちゃんをお願いね」と言っているのが聞こえたが、あたしの頭の中を通り過ぎていった。
.
:08/04/08 23:12
:SH903i
:U9CTaOi2
#106 [蜜月◆oycAM.aIfI]
電車の揺れに身を任せていると、急にサトルに手を引っ張っられて、降りるべき駅に着いたことに気付いた。
駅構内の人込みの中、サトルに手を引かれて歩く。
サトルの背中しか見ていなかったあたしは、すれ違う人に何度もぶつかり、その度にあたしの腕を掴むサトルの手に力が入る。
昔、ショッピングセンターで迷子になった時のことを思い出した。
.
:08/04/08 23:13
:SH903i
:U9CTaOi2
#107 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――あの時と同じだ。
あたしはあの時のまま……一人では何も出来ない、弱いままだ。
でもサトルは違う。
前を向いてずんずん進んでいくサトルの表情は見えないけれど、後ろ姿だけで解る。
サトルは……逞しくなった。
.
:08/04/08 23:14
:SH903i
:U9CTaOi2
#108 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あの時も強いと思ったけれど、今のサトルには“強い”よりも、“逞しい”という言葉が似合う。
こんな面倒なことに巻き込んだあたしを、サトルは気遣い、支え、信じてくれる。
それを無駄にはしたくない。
サトルが信じていてくれる間は、あたしは何も諦めない。
.
:08/04/08 23:14
:SH903i
:U9CTaOi2
#109 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――でも……サトルは今、何を考えているんだろう?
「ねえ、サトル」
駅から家に向かう道の途中で、あたしは声をかけた。
あたしの手を引いて前を歩いていたサトルが、立ち止まると同時にくるっと振り向いた。
.
:08/04/08 23:15
:SH903i
:U9CTaOi2
#110 [蜜月◆oycAM.aIfI]
振り向いたサトルの表情は、……笑顔だった。
いつもの、人懐っこい子犬のような笑顔。
「なあに?」
見慣れた笑顔が目の前にあった。
きっとサトルは、心配そうな、困ったような顔をしているんだろうと、あたしは思っていたのに。
.
:08/04/08 23:16
:SH903i
:U9CTaOi2
#111 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ふふっ、……あっはっははは!」
急におかしくなってきて、あたしは吹き出してしまった。
あたしは何を心配してたんだろう?
何も心配することなんか無いじゃない!
まだ笑っているあたしを、サトルは不思議そうな顔をして見ている。
.
:08/04/08 23:17
:SH903i
:U9CTaOi2
#112 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「何でもない!」
あたしはそう言って、今度は逆にサトルの手を引っ張って歩き出した。
「なにー? 一人で笑ってずるーい! 何が面白いの? 僕にも教えてよ!」
サトルがいつものようにギャーギャーと騒ぎ始めた。
あたしはそれがなんだか嬉しくて、「秘密だよ」とだけ言って歩き続けた。
.
:08/04/08 23:17
:SH903i
:U9CTaOi2
#113 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家に着く頃には太陽は沈み切って、立ち並ぶ街灯や看板の明かりが道を照らしていた。
あたしは別れ際、帰り道の間に考えていたことをサトルに伝えた。
「明日ね、図書館に行こうと思ってるんだけど。……一緒に来てくれないかな?」
街灯の光で、二つの影が地面に伸びている。
.
:08/04/09 01:01
:SH903i
:APNEtQ/Q
#114 [蜜月◆oycAM.aIfI]
明日は土曜で学校は休みだ。
あたしは、記憶喪失の原因になった事件のことを調べようと思っていた。
「珍しいね!」
目を真ん丸にして、嬉しそうにサトルがそう言ったけれど、あたしは何のことか解らない。
「ユキが僕についてきてなんて、今まで言ったことないよね」
.
:08/04/09 01:01
:SH903i
:APNEtQ/Q
#115 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――そうか、あたしが頼まなくてもサトルがいつもついてきてくれるからだ。
気がつかなかった。
あたしが一緒に居て欲しい時、何も言わなくてもサトルは来てくれてたんだ。
サトルは、どうしてあたしの気持ちが解るんだろう?
.
:08/04/09 01:02
:SH903i
:APNEtQ/Q
#116 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「え、ユキ? ちょっとっ……どうしたの? ごめん、何か嫌だった?」
気がつくと、あたしの目から涙が一筋流れていた。
「ち、違うのっ……ごめんね、サトル。嫌なことなんか無いんだけど……」
自分でも驚きながら、溢れる涙を拭い、サトルに無理矢理作った笑顔を見せた。
.
:08/04/09 01:03
:SH903i
:APNEtQ/Q
#117 [蜜月◆oycAM.aIfI]
多分この涙は、自分の不甲斐なさに対するものだと思う。
サトルがいつでもあたしを見てくれていたことに今更気付いた自分が、情けなかった。
「図書館一緒に行くから、だから泣かないで?」
そんなことで泣かないよ。
サトルの心配そうな顔がおかしくて、あたしは自然と笑顔になっていた。
.
:08/04/09 01:04
:SH903i
:APNEtQ/Q
#118 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、ごめんね。ありがと! じゃあ、明日ね」
あたしの笑った顔を見て安心したのか、サトルも笑顔で手をブンブンと振りながら帰って行った。
.
:08/04/09 01:04
:SH903i
:APNEtQ/Q
#119 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―V―
次の日、あたしたちは約束通り街にある図書館に来た。
さすが大都市の市立図書館だけあって、建物は古いけれど大きくて立派だ。入り口を抜けてすぐの大階段などは、古い映画に出てきそうな雰囲気を持っている。
もちろん、書物の量もかなりのものである。
ここなら、昔の新聞なんかも閲覧出来るはずだ。
.
:08/04/09 01:05
:SH903i
:APNEtQ/Q
#120 [蜜月◆oycAM.aIfI]
十年前の新聞に、八歳の女の子が大怪我を負って意識不明になった、という記事があれば、きっとあたしのことだ。
「サトル、ここからここまで探して。あたしこっち探すから」
「はーい」
ちゃんと解ってるのかな、と不安になりつつ、新聞を一枚一枚めくって文字を眼で追う。
.
:08/04/09 01:06
:SH903i
:APNEtQ/Q
#121 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしと妹の事件が新聞に載っているという確信は無いけれど、確率は高いと思っていた。
――何か……些細なことでもいいから手がかりが見つかりますように……。
.
:08/04/09 01:10
:SH903i
:APNEtQ/Q
#122 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何十枚、何百枚と新聞をめくったけれど、あたしが探している記事はどこにも見当たらなかった。
ふと腕につけている時計を見ると、針は三時過ぎを指していた。
昼過ぎに食事を取りに出た以外は、休憩もせずに探し続けていた。
――見逃してしまったかな、それともそんな記事無いのかも……。
.
:08/04/09 01:12
:SH903i
:APNEtQ/Q
#123 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんな考えが頭をよぎり、一定のペースで新聞をめくっていたあたしの手が止まる。
サトルはと言えば、文句ひとつ言わず、あたしと同じくらい真剣な目で探してくれている。
あたしが感謝の眼差しで見ていると、そのサトルの目が新聞の一点に止まった。
「……あったよ」
.
:08/04/09 01:13
:SH903i
:APNEtQ/Q
#124 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルは新聞から目を離すこと無く、小声でそう呟いた。
あたしは慌ててサトルの見ていた新聞を覗き込んだ。
〈K市T町で姉妹である女児二人が行方不明になっていた事件で、姉の女児(8)が自宅近くのT山の山道で発見、保護された。発見時女児は意識不明の重体で県内の病院に搬送された。怪我の状態から、警察は誘拐事件として捜査、妹の捜索を進めている。……〉
.
:08/04/09 17:01
:SH903i
:APNEtQ/Q
#125 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「誘拐……」
体の力が抜けていくのを感じ、あたしは崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んでしまった。
――ゆう……かい?
あたしが? あたしと妹が?
――妹は……どうなったの?
.
:08/04/09 17:03
:SH903i
:APNEtQ/Q
#126 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――どうしてあたしだけ、ここにいるの?
.
:08/04/09 17:04
:SH903i
:APNEtQ/Q
#127 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルが、立ち上がれないあたしを抱えて近くの椅子に座らせてくれる。
頭の中が真っ白になっていた。
あたしと妹が一緒に誘拐されて、あたしだけが瀕死の状態で保護された。
つまり妹は……もう、生きていないだろう。
.
:08/04/09 17:05
:SH903i
:APNEtQ/Q
#128 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの記憶の中に妹の存在は一切無いけれど、それでもあたしに妹がいたのは間違いないのだ。
その妹が、家族の元に戻ることもなく、あたしには存在さえ忘れ去られて……。
あたしの頭の中に両親の顔が浮かんだ。
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:08/04/09 17:06
:SH903i
:APNEtQ/Q
#129 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父と母は、どんな思いだったろう。
あたしは重体で見つかり、妹は行方不明のまま……。
見つかったあたしの意識が戻ったと思えば、記憶喪失。
せめて戻ってきたあたしの精神的負荷を軽くしようと、大切なはずのもう一人の我が子を無理に忘れるなんて……。
きっと両親が一番苦しかっただろう。
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:08/04/09 17:07
:SH903i
:APNEtQ/Q
#130 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは心の底から父と母に感謝した。
もし幼かったあたしが事実を突き付けられれば、どうなっていたか解らない。
全ての記憶を取り戻したら、真っ先に父と母に伝えよう。
そして二人には、妹の不在をきちんと悲しんでもらおう。
.
:08/04/09 17:08
:SH903i
:APNEtQ/Q
#131 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの記憶の中の両親は、いつも笑顔だった。
きっと悲しむことさえも押し殺して、あたしを守ってくれていたのだ。
あたし自身のためだけではなく、両親と妹のためにも、何があったのか、どうして妹が戻らなかったのか、あたしが忘れてしまった全てをこの手の内に取り戻さなければならない。
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:08/04/09 17:08
:SH903i
:APNEtQ/Q
#132 [蜜月◆oycAM.aIfI]
椅子に座らされたままのあたしの肩に、ふわっ、と何かがかけられた。
後ろを振り向くと、サトルが膝掛け用の毛布をかけてくれていた。
そしてまたすぐにどこかに行ったかと思うと、温かい缶コーヒーを二つ手にして戻ってきた。
.
:08/04/09 18:20
:SH903i
:APNEtQ/Q
#133 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「大丈夫?」
サトルはやはり小さな声でそう言うと、あたしの顔を覗き込む。
あたしは声には出さずに首を縦に振ってそれに答え、差し出された缶コーヒーを両手で受け取った。
.
:08/04/09 18:21
:SH903i
:APNEtQ/Q
#134 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしもサトルも口を開くことなく、ただ黙ってコーヒーを口に運んでいる。
少し離れたところから、誰かがノートに何かを書き込んでいるのだろう、カリカリカリ……という音だけが聞こえていた。
崖っぷちに立たされていたようなあたしの気持ちも、だんだんと落ち着いてきた。
.
:08/04/09 20:24
:SH903i
:APNEtQ/Q
#135 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ふとサトルの手元に目をやると、印刷用紙が一枚握られている。
あたしがそれを見ているのに気付いたサトルが、用紙を広げて見せてくれた。
新聞に載っていた事件の記事を印刷したものだった。
あたしが自分の考えに没頭している間にコピーしておいてくれたようだ。
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:08/04/09 20:25
:SH903i
:APNEtQ/Q
#136 [蜜月◆oycAM.aIfI]
コーヒーを飲み終えて、あたしたちは図書館を出た。
外は北風が強く吹いていて、あたしは首に巻いたマフラーをぎゅっと締め直す。
「ねえ、サトルだったらどうする?」
帰り道、冬の澄んだ空気を夕日が染める中、あたしはサトルに疑問を投げかけた。
全てを明らかにしたいと思ったけれど、あたしの記憶が戻りそうな気配は全く無い。
ということは、今ある情報から、一つの真実を見つけださなければならない。
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:08/04/09 20:26
:SH903i
:APNEtQ/Q
#137 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは、もう一度あの町に行って、以前住んでいた家やあたしが発見された場所を見てみたいと思った。
しかしそれが正しいのか、間違っているのか……あたしは迷っていた。
正解なんてものが無いことは解っているけれど。
あたしはただ単に、サトルに背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。
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:08/04/09 20:26
:SH903i
:APNEtQ/Q
#138 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「僕なら……うーん、そうだなあ。僕だったら、もう一回T町に行ってみるかな!」
サトルはあたしの隣を歩きながら、いつもの笑顔で、やっぱりあたしの欲しかった答えをくれた。
「そうだよね。明日、あの町に行ってみる」
「僕も行く!」
手を挙げかねない勢いで、サトルは元気いっぱいに声をあげた。
あたしは内心一緒に来て欲しいと思っていたけれど、サトルをこれ以上振り回しては申し訳ないという気持ちも大きかった。
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:08/04/09 22:52
:SH903i
:APNEtQ/Q
#139 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「明日は中山先生には会わないよ?」
「いいの! 僕明日も暇だし、ユキの邪魔しないからさ」
邪魔なんかじゃないよ、サトル。
サトルに甘えるのは、これで最後にしよう。
そう決めた。
「ありがと、サトル」
そうしてあたしたちは、十二月の冷たい風が体を冷やす中、家路に着いた。
.
:08/04/09 22:53
:SH903i
:APNEtQ/Q
#140 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家に着いて自分の部屋に入ると、あることを思い出した。
――そういえばあの夢……。
あの夢の女の子は六、七歳ぐらいに見えた。
あの子があたしの妹なのかもしれない。
.
:08/04/09 22:54
:SH903i
:APNEtQ/Q
#141 [蜜月◆oycAM.aIfI]
昨日、今日といきなりいろんな事実が目の前に現れて、夢のことをすっかり忘れていた。
夢を見た時、根拠もなにも無いけれど、あたしはあの女の子のことを知っているような気がしていた。
恐らく、あたしの心の底に閉じ込められた妹の記憶が夢に滲み出てきたのだろう。
あれはきっと……あたしの妹だ。
.
:08/04/09 22:55
:SH903i
:APNEtQ/Q
#142 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―W―
終わりのない登り坂。
辺りは真っ暗。
ぽつりぽつりと間隔を開けて点されている街灯だけが道標。
「……忘れて……あたしは……」
あたしの横には小さな女の子。
風が強くて、聞き取りにくい。
「聞こえないよ、なあに?」
「……生きて……って……」
.
:08/04/09 23:00
:SH903i
:APNEtQ/Q
#143 [蜜月◆oycAM.aIfI]
すみません、続き出ちゃいました(;´д`)
[..続き]の先は改行しかないので、スルーして下さい
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:08/04/09 23:03
:SH903i
:APNEtQ/Q
#144 [蜜月◆oycAM.aIfI]
明くる朝、目が覚めると涙が流れていた。
何か夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。
涙がこめかみを濡らしているのが気持ち悪い。
体を起こして涙を拭き、出かける準備をし始めた。
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:08/04/09 23:05
:SH903i
:APNEtQ/Q
#145 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――……どうして泣いてたんだろう。
夢の内容はさっぱり思い出せないけれど、とても悲しい気分だった。
なんだか、胸騒ぎがする……。
.
:08/04/09 23:05
:SH903i
:APNEtQ/Q
#146 [蜜月◆oycAM.aIfI]
天気は、晴れ。
正午過ぎに家を出てサトルと合流してから、あたしたちは再び電車で一時間かけてここにやって来た。
あたしは新聞のコピーを片手に、駅員にT山への行き方を尋ねた。
前に住んでいた家の場所は解らないので、まずあたしが発見された山道に行くことにしたのだ。
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:08/04/09 23:07
:SH903i
:APNEtQ/Q
#147 [蜜月◆oycAM.aIfI]
駅員に教わった通りに二十分ほど歩くと、山道の入口が見えた。
「あー、ここだ!」
サトルが〈T山 山道入り口こちら〉と書かれた案内板を見つけて、歓喜の声をあげた。
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:08/04/09 23:16
:SH903i
:APNEtQ/Q
#148 [蜜月◆oycAM.aIfI]
案内板が立てられているものの、その先にある道は遊歩道のような歩きやすいものには見えなかった。
案内板に従って山道に足を踏み入れたけれど、やはり舗装もなく地面が剥き出しで、山道というよりはただのけもの道のように思えた。
――この道の先で、あたしは見つけられたんだ……。
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:08/04/09 23:17
:SH903i
:APNEtQ/Q
#149 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/10 01:11
:SH903i
:eoZecOgw
#150 [蜜月◆oycAM.aIfI]
昨日サトルがコピーしてくれた記事には、あたしが発見された詳しい場所が記されていた。
頂上に続く道から少し逸れた森の中に、あたしは倒れていたらしい。
「ハイキング日和だねー、今日は!」
サトルは無邪気にこの散策を楽しんでいるようだ。
跳びはねるように坂道を登ったかと思えば、木の幹や枝に触れてみたり。
都会育ちのサトルにとって、こんな自然の中で新鮮な空気を吸うことは珍しいのかもしれない。
.
:08/04/11 01:59
:SH903i
:WPZmRcek
#151 [蜜月◆oycAM.aIfI]
かくいうあたしも、この町に住んでいた頃のことは何も覚えていないのだけれど。
――でも……なんとなく、なんとなくだけどここは、
……懐かしい。
そう感じた。
.
:08/04/11 02:00
:SH903i
:WPZmRcek
#152 [蜜月◆oycAM.aIfI]
山道に舞い散った落ち葉を踏み締める靴の音、道の両脇を埋め尽くす木々の匂い、そこら中に生えている草花の手触り、風に吹かれた葉と葉のざわめき。
それら全てが、あたしの記憶を呼び起こそうと訴えかけて来ているような気がする。
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:08/04/11 02:01
:SH903i
:WPZmRcek
#153 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはサトルの後ろを歩いていた。
彼の足取りには迷いが無く、あたしはただその足跡だけを追いかける。
時折、あたしの方を振り返って他愛のない言葉をかけてくれるサトルの姿に、これがただのハイキングならどんなに楽しいだろうか、と思わされた。
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:08/04/11 22:28
:SH903i
:WPZmRcek
#154 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんな楽しい気分とは裏腹に、朝から感じていた胸騒ぎは大きくなる一方だった。
もしこれが記憶の戻る予兆であれば、今のあたしにとっては喜ぶべきことである。
しかし、そうではない、という確信のようなものが、あたしの心の中にあった。
この先に、あたしの生きる行方を狂わせてしまう何かが待ち構えている気がして仕方なかった。
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:08/04/11 22:29
:SH903i
:WPZmRcek
#155 [蜜月◆oycAM.aIfI]
どれぐらいかかっただろうか、一つ目の分かれ道に辿り着いた。
随分歩いた気がしたけれど、まだまだ先は長いようだ。
分かれ道の真ん中に、〈山頂まで6km こちら〉、〈休憩所 こちら〉という二つの案内板がそれぞれ逆の方向に向けて立てられている。
目的の場所を指し示す案内板に従って、あたしたちは足を進めた。
.
:08/04/11 22:32
:SH903i
:WPZmRcek
#156 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「結構辛いね、坂道が……」
サトルが息を切らしながら、あたしを振り返る。
「うん、足場も悪くなってきたね」
上へ上へと登るに連れて、だんだんと道が悪くなってきている。
岩や石が埋まっていたり、木の根が縦横無尽に延びていたりで、平らな場所など一つもない。
大低の人は、さっきの休憩所を目的地にしているのだろう。
だんだんと周囲が鬱蒼としてきて、道幅もかなり狭くなった。
まだ夕方でもないのに、生い茂った葉のせいで辺りは薄暗い。
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:08/04/11 22:47
:SH903i
:WPZmRcek
#157 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うわっ!」
急に地面が近づいたと思ったら、あたしは木の根につまづいて地面に手をついていた。
膝を強く打ってしまい、その痛みで顔が歪む。
「痛……」
「大丈夫!? 怪我は!?」
数歩先を歩いていたサトルが戻って来てくれた。
.
:08/04/11 22:48
:SH903i
:WPZmRcek
#158 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、大丈夫」
厚手のジーンズを履いていたので膝は無事だったけれど、手の平を擦りむいた。
でもこのぐらいの傷はなんてことない。
――それより……この土の感触……。
何かを思い出しそうな気がした。
.
:08/04/11 22:49
:SH903i
:WPZmRcek
#159 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは擦りむいた手の平で地面に触れてみる。
冷たくて、柔らかくて、湿っていて。
……そして、はっきりと土の匂いが嗅ぎ取れた。
土を撫でる度に、冬の冷たい空気に混じって懐かしい匂いがする。
.
:08/04/11 22:53
:SH903i
:WPZmRcek
#160 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは気が狂ったように地面を撫で回す。
傷口に土が入り込んでしまうのも気にせず、あちこちの地面を触ってみる。
――前にもあたし、こうして地面を撫でてた。
一心不乱に土を触っている内に、はっきりそう確信した。
あたしはここで、今と同じように地面に触れたことがある。
.
:08/04/11 22:56
:SH903i
:WPZmRcek
#161 [蜜月◆oycAM.aIfI]
目を閉じて、土を触り匂いを感じながら記憶を辿る。
――やっぱり何も思い出せないのかな……。
…………と、あたしの頭の中で変化が起きた。
これは記憶か? 想像か?
どちらかは解らないが、ある情景が思い浮かんだ。
.
:08/04/11 22:57
:SH903i
:WPZmRcek
#162 [蜜月◆oycAM.aIfI]
目の前に広がる茶色の土。その地面とあたしの顔は、今にも口づけするかという近さだ。
多分、あたしはその時も何かにつまずいたのだ。
つまずき、地面に手と膝をついていた。
そして、多分、あたしは立ち上がりたくなかった。
あたしは、後ろにいた誰かを気にしていた。
気にしながら、地面を延々と撫でていた…………。
.
:08/04/12 22:09
:SH903i
:xQx.Xh9k
#163 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うっ……」
急に頭が痛み、浮かんでいた情景が途切れた。
あたしに残ったのは、手の平にジンジンと響く痛みと、土の匂いだけだ。
「ユキ!」
少し離れたところであたしを見守ってくれていたサトルが、慌てて駆け寄ってきた。
あたしは顔を上げて彼の方に向ける。
.
:08/04/12 22:10
:SH903i
:xQx.Xh9k
#164 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「大丈夫、大丈夫」
笑顔で答えようとしたのに、どうしてか表情が引き攣ってしまう。
幸い頭の痛みは一瞬で消え去ったけれど、頭に浮かんでいた情景まで完全に消えてしまった。
今のはあたしの想像だろうか?
それにしては、はっきりし過ぎていたような気がする。
感情まで鮮明に流れ込んできた。
.
:08/04/12 22:11
:SH903i
:xQx.Xh9k
#165 [蜜月◆oycAM.aIfI]
恐らく、あれはあたしの記憶、だ。
そしてそれが正しければ、あの情景は誘拐されたまさにその時の記憶に違いない。
あたしの中にはっきりと流れ込んできた感情……恐怖と怯え。
そして、とてつもない不安。
間違いない、あれはあたしが誘拐された時の記憶だ。
誘拐され、怪我を負わされる前の。
.
:08/04/12 22:12
:SH903i
:xQx.Xh9k
#166 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「サトル……」
あたしは無意識の内にサトルの名前を呼んでいた。
しゃがみ込んでいるあたしのすぐ横に居たサトルは、「ん?」とあたしの顔を覗き込む。
「あたし……思い出した……ここにいたの」
「うん」
.
:08/04/12 22:13
:SH903i
:xQx.Xh9k
#167 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルが次の言葉を待っているかように、あたしを見つめているのがわかる。
地面と向かい合わせになったあたしの右側から、痛いほどの視線を感じる。
けれどあたしはそれ以上何も言えず、地面を見つめていた。
地面からは何の答えも得られなかったけれど、懐かしい土の匂いは、ふわりとあたしの視線を受け止めてくれた。
.
:08/04/12 22:13
:SH903i
:xQx.Xh9k
#168 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――もうここまで来たら引き返せない。
行くしかない。
あたしは黙って立ち上がり、サトルに向かって頷いた。
それを見たサトルも安心したように微笑み、立ち上がって再び歩き出した。
自分の決心の甘さを恨みながらも、あたしはまたサトルの背中を追う。
.
:08/04/12 22:15
:SH903i
:xQx.Xh9k
#169 [蜜月◆oycAM.aIfI]
夢中で足を動かしている間も、あたしの頭の中は、さっきの情景とそれに対する不安でいっぱいだった。
あれがあたしの記憶なら、近くに妹がいたはずだ。
そして、犯人も。
思い出したくてここにきたのに、思い出すのが怖くて仕方なかった。
妹のことは思い出したい。
でも、犯人のことなど一つも思い出したくない。
.
:08/04/12 22:19
:SH903i
:xQx.Xh9k
#170 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父と母から妹を奪った犯人。父と母を十年間も苦しめ続けた奴。
そんな奴のことを思い出すのが……妹の死を目の当たりにするのが、恐ろしかった。
――でも……もう戻れない。
そう、今更後悔しても遅いのだ。
あたしは、ほんの少しだけれど、過去に触れてしまった。
自ら求めて、手に入れたのだ。
今後戻りすれば、今以上に後悔するに決まっている。
.
:08/04/12 22:20
:SH903i
:xQx.Xh9k
#171 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは、両親と妹の為に記憶を取り戻すと決めたのだ。
もしかしたら、全てを知った後、知らなければよかったと後悔するかもしれないけれど。
それも含めてあたしは後悔しない。
――あたしは、知らなきゃならないんだから。
.
:08/04/12 22:21
:SH903i
:xQx.Xh9k
#172 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルは、さらに悪くなっていく山道を歩き続けた。
あたしの足は疲れて棒のようになり、あれだけはしゃいでいたサトルも、ただひたすら道の先だけを見て足を進めている。
狭い道の両側に広がる森は雰囲気を変え、妖しい空気を放つようになっていた。
不安定な足場と急な傾斜のせいで、息も白くなる寒さの中、あたしたちの顔には汗が流れている。
お互い肩で息をしていて、話す余裕も無かった。
.
:08/04/12 22:22
:SH903i
:xQx.Xh9k
#173 [蜜月◆oycAM.aIfI]
黙々と歩き続け、二つ目の分かれ道を通り過ぎた。
頭上を見上げると、木々の葉の間から辛うじて差していた光さえ弱り、その隙間からはどんよりとした空が見える。
昼間はあんなに晴れていたのに、今にも雨が降り出しそうで、空気も冷たくなってきた。
新聞の記事によれば、あたしが発見された場所はもうすぐそこだった。
.
:08/04/13 21:56
:SH903i
:HMtueqDg
#174 [蜜月◆oycAM.aIfI]
一心不乱に歩く。
だが、疲れのせいか、怖れのせいか。
無意識の内に、あたしの歩くスピードが落ちていた。
サトルが随分先にいる。
あたしは気を引き締め、走ってサトルに追い付いた。
サトルもかなり疲れていたようで、あたしが遅れていたことに気付いていなかった。
.
:08/04/13 21:57
:SH903i
:HMtueqDg
#175 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが走ってきたのに気が付いたサトルが、足を止める。
うーん、と伸びをして、彼は自分の足をさすった。
「ちょっと疲れたね」
あたしもサトルの横で足を止め、息を整えながらこくこくと頷いた。
足は悲鳴をあげる寸前だし、腰にも鈍い痛みを感じる。
体は汗をかくほど暑いのに、顔と指先は冷たくて感覚もないくらいだ。
サトルは、顔の前で手を丸めて、息を吐きかけている。
.
:08/04/13 22:03
:SH903i
:HMtueqDg
#176 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「この辺かな……」
サトルが辺りを見回しながらそう言うので、あたしは新聞のコピーを差し出した。
まだ苦しくて、言葉を発する余裕が無かった。
あたしはコピーを渡すと同時に、疲れに負けて腰を下ろす。
.
:08/04/13 23:43
:SH903i
:HMtueqDg
#177 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「すぐそこだ」
そう呟いて、サトルは山道から木々が立ち並ぶ山の中に入り込んでいった。
枝葉をかきわけ、一歩一歩確実に進んでいく。
あたしはそれを見ていた。
サトルの背中を、見つめていた。
.
:08/04/13 23:43
:SH903i
:HMtueqDg
#178 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――なんでだろう。
サトルは足を止めないのに、あたしはなんで立つことも出来ないんだろう。
一度休んでしまった体は、再び動き出すのを拒む。
あたしの目は、枝をかきわけて進むサトルの背中に釘づけだった。
.
:08/04/13 23:44
:SH903i
:HMtueqDg
#179 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――だめだ、……あたしも変わらなきゃ。後ろから見てるだけじゃだめ。
あたし自身のことなんだから。ほら、早く!
自分に喝を入れ、二本の足に、動け、と呼び掛ける。
それを何度も繰り返して、ようやく動き出すあたしの体。
ほっとしたような、緊張が増したような。
行きたいような、行きたくないような。
.
:08/04/13 23:45
:SH903i
:HMtueqDg
#180 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし、あたしはこんがらがった感情をその場に置き去りにして、行動を開始した。
サトルがかきわけて出来た枝の隙間をくぐり、彼の横に並んだ。
「ユキは後ろにいなよ。枝で顔に傷ついちゃうよ?」
「いいの、それぐらい」
.
:08/04/13 23:46
:SH903i
:HMtueqDg
#181 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはきっぱりと答えると、目の前を遮る細い枝を押し曲げて道をつくる。
その向こうに張り出している少し太めの枝を、同じように避けて一歩進む。
怖いとか不安だとか、もう何も感じないように、あたしは目の前の障害物に意識を集中した。
サトルも尖った枝から自分の身を守るので精一杯のようで、一心不乱に手と足を動かしている。
一歩一歩、枝や幹を避けながらゆっくりと地面を踏み締める。
.
:08/04/14 00:23
:SH903i
:a42MtXbw
#182 [蜜月◆oycAM.aIfI]
数メートル進むのに何分かかっただろうか。
あたしたちの両手がひっかき傷でいっぱいになった頃、目の前にぽっかりと空間が現れた。
空間といっても、直径はあたしとサトルが並んで両手を広げたぐらいだ。
密集している周りの木々と比べ、その内側だけは不自然なほど何も生えていない。
しかし、そこを囲む木の枝が空間のほとんどを覆っていて、明るさはそれほど変わらなかった。
あたしは意を決し、空間に足を踏み入れた。
.
:08/04/14 00:24
:SH903i
:a42MtXbw
#183 [蜜月◆oycAM.aIfI]
柔らかい土が、あたしの靴底を受け止める。
思っていたより自分の気持ちが落ち着いていることに、逆に驚く。
ゆっくりと足を進め、あたしは空間の中心に到達した。
茶色い土、太い木、枯れた草、落ち葉。ぐるりと見回しても、それ以外何もない。
.
:08/04/14 00:25
:SH903i
:a42MtXbw
#184 [蜜月◆oycAM.aIfI]
この空間の中にあたしは倒れていたのだろう。
二人してこれほど苦労してたどり着いた場所にいたあたしを、なぜ発見出来たのかわからない。
昔はここまで荒れていなかったのだろうか。
それとも散歩中の犬かなにかが嗅ぎ付けたのだろうか。
もし、見つけてもらえなければ多分……あたしも死んでいたかもしれない。
.
:08/04/14 00:26
:SH903i
:a42MtXbw
#185 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはその場に寝転んでみた。
空間のど真ん中に大の字になって、木や葉の隙間から空を仰ぐ。
また何か思い出せるかもしれないと思ったのだ。
横向きに寝転んだり、俯せになったりしてみた。
場所を変えて、木にもたれ掛かってみたり、座ってみたりもした。
けれど、何一つとして浮かび上がってこない。
.
:08/04/14 22:28
:SH903i
:a42MtXbw
#186 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しばらくの間、ごろごろ転がりながら待ってみたけれど、二度目の変化は訪れなかった。
あたしは諦めて立ち上がり、服についた土を払う。
すると、サトルがなにかを見つけたように木々の間を見つめているのに気付いた。
「どうしたの?」
「ねえ、これ……道じゃない?」
.
:08/04/14 22:28
:SH903i
:a42MtXbw
#187 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう言ってサトルが指差した方をじっくりと観察してみると、トンネルのように一本につながった隙間があった。
わずかにだが、枝が折れていたり靴跡らしきものがあったり、人が通ったかのような痕跡も見て取れた。
――こんなところ、一体誰が通るんだろう?
もしかして、十年前あたしを見つけてくれた人……?
.
:08/04/14 22:29
:SH903i
:a42MtXbw
#188 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの目の前に、ひとつの手掛かりが現れた。
それをみすみす逃す訳にはいかない。
「行こう」
ここで立ち尽くしていても何も思い出せそうにもない。
かと言って、このトンネルの先には何も無いのかもしれないけれど。
それでも、自分から動かなければ何も見つけられない。
そう考えたあたしは、この道の先に行くべきだと思ったのだ。
.
:08/04/14 22:30
:SH903i
:a42MtXbw
#189 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがいつもの笑顔で頷くのを見て、あたしは道とも言えない道に足を進めた。
狭いし、飛び出している枝は多いし、足場は悪い。
後ろを振り返るのは難しいけれど、葉や土を踏み締める靴音で、サトルが後ろからついてきてくれているのがわかる。
不安は、無い。
.
:08/04/14 22:31
:SH903i
:a42MtXbw
#190 [蜜月◆oycAM.aIfI]
トンネルのようなこの道を進むにつれて、あたしはひとつの確信を得た。
やはりこの道を使っている人がいる。
さっきの空間までの道のりを考えると、今歩いているところはかなり歩きやすかった。
ちょうど人ひとりが通れるギリギリの隙間が続いていて、足元に落ちている葉や草の量も他の場所より少ない。
飛び出している枝はどれも、少し体をひねればうまく避けられる。
.
:08/04/15 22:03
:SH903i
:OfU8ov5.
#191 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし歩きやすいとは言ってもそれはさっきの道と比べてのことで、やはり足場は悪いし時々は枝に引っかかれる。
あたしは顔を歪めながら、ゴールの見えない道を前へ前へと進む。
この道を通っているのは誰か。
その人物は、あたしの過去に関係があるのか。
何かを、知っているのか。
.
:08/04/15 22:05
:SH903i
:OfU8ov5.
#192 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今はまだ、何も解らない。
けれど、知りたければ進むしかないのだ。
あたしは後ろから響くサトルの靴音を聞きながら、何も考えず歩き続けた。
.
:08/04/15 22:06
:SH903i
:OfU8ov5.
#193 [蜜月◆oycAM.aIfI]
足の痛みは、もう既に限界値を越えたように思えた。
この木のトンネルは、どこまで続くのだろう。
歩き続けた末に、あたしもサトルも疲れ果ててしまったが、それでも足を引きずるようにしてさらにゆっくりと進んでいた。
ふとトンネルの先に目をやると、乱立している木々の間から、自然の中にはありえない、灰色のコンクリートのようなものが見えた。
.
:08/04/15 22:07
:SH903i
:OfU8ov5.
#194 [蜜月◆oycAM.aIfI]
驚きながらも少しずつ近づいていくと、それはコンクリートで出来た小さな建物だった。
建物の少し手前で、視界が開ける。
最後の木と木の間を通り抜けると、先ほどのものよりかなり大きな空間が現れた。
見上げると、さっきまで全く見えなかった空は、さらに雲を増やし、色を濃くしていた。
.
:08/04/16 18:53
:SH903i
:ncWRAm.w
#195 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その空間の真ん中に、コンクリートの建物が建っている。
近くで見ると、コンクリートを正方形に固めて壁の一部にドアを取り付けただけのものだった。
天井はどうか解らないが、見えるところに窓は一つも無い。
「なに、これ……」
不気味だった。
.
:08/04/16 18:54
:SH903i
:ncWRAm.w
#196 [蜜月◆oycAM.aIfI]
自然しかないと思っていた山の中に、コンクリート製の箱がぽつりと置かれている。
あまりに不釣り合いで現実離れしたその光景に、あたしは次の言葉が出なかった。
それはサトルも同じだったようで、ぽかんとした顔でコンクリートの箱を眺めている。
.
:08/04/16 18:55
:SH903i
:ncWRAm.w
#197 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは目の前にある異様な建物に、少なからず恐怖を覚えた。
戸惑いながら、その建物を観察する。
取り付けられたドアの近くに目をやると、焚火の跡のような燃えかすと灰が散らばっていた。
「ちょっと……ここ、誰か住んでるんじゃない?」
.
:08/04/16 18:55
:SH903i
:ncWRAm.w
#198 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは小声でサトルに囁き、燃えかすの方を指で指し示した。
それを見たサトルは、驚いた表情でキョロキョロと周りを見回す。
「戻る?」
サトルに言われてあたしは少し迷ったけれど、引き返すのはやめた。
今さっきあたしたちが通ってきた森の中に戻り、木の影からコンクリートの箱を観察することにした。
.
:08/04/17 23:00
:SH903i
:XxBpfdyc
#199 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし、見れば見るほど不気味だ。
箱の高さはあたしの身長より頭三つ分ほど高い。
ところどころにシミがあるのを見ると、それほど新しくはなさそうだ。
ドアは鉄製のようで、かなり頑丈そうに見えた。
――何のために作られたんだろう……?
.
:08/04/17 23:01
:SH903i
:XxBpfdyc
#200 [蜜月◆oycAM.aIfI]
人が暮らすには不自由すぎないだろうか?
窓が無ければ中は完全に真っ暗だろうし、コンクリートだけで造られているなら今の時期かなり寒いだろう。
何より、こんな山の中に建てる意味がわからない。
食料を買いに行くだけでもかなり不便ではないか。
.
:08/04/17 23:02
:SH903i
:XxBpfdyc
#201 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんなことを考えながらコンクリートの箱を観察していたが、何の動きもない。
腕に付けていた時計を見てみると、時刻はもうしばらくで夕方の四時になるところだった。
さっきまで汗だくになって歩いていたので、熱が引いた今、汗で濡れた体が冷えてきた。
雲に遮られたせいで太陽の光が全く届かなくなったのもあって、あたしの体はカタカタと震える。
同じように震えているサトルの呟きが聞こえた。
.
:08/04/18 22:29
:SH903i
:gqbjt9BM
#202 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ううー、寒いよぅ……」
次の瞬間、トン、という音がしたかと思うと、それは連続した雨音に変わっていた。
あたしとサトルの上を覆い尽くす木の葉は、傘の代わりにはならなかった。
視界は一気に明るさを無くし、大量の水滴があたしの体から更に熱を奪ってゆく。
.
:08/04/18 22:30
:SH903i
:gqbjt9BM
#203 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――寒い……暗い……冷たい……
あたしは寒さで朦朧としながら、なんとなく妹のことを考えていた。
――あたしの妹……。
どんな子だったんだろう。あたしと似てたのかな……性格はどんなだったの?
あたしと仲良しだったのかな。
何をして遊んでたのかな……。
.
:08/04/18 22:31
:SH903i
:gqbjt9BM
#204 [蜜月◆oycAM.aIfI]
考えれば考える程、悲しくなり、寂しくなった。
妹がいないという事実。十年前から変わらないはずのそれは、ここ何日かで大きな悲しみをまとうようになっていた。
――でも……妹はもっと暗くて寂しくて、もっと冷たい世界に逝ってしまったんだ。
.
:08/04/18 22:32
:SH903i
:gqbjt9BM
#205 [蜜月◆oycAM.aIfI]
胸が詰まり、目の中の水分が一気に増えた。
収まりきらなくなった涙は、雨と混じり合いながらあたしの頬を滑り落ちていく。
鳴咽を漏らすこともなく、声を上げるでもなく。
ただ、ひたすら流れ落ちてゆく涙。
.
:08/04/18 22:32
:SH903i
:gqbjt9BM
#206 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたちの視線の先にあるコンクリートの箱は、雨に濡れて濃い灰色になっていた。
あたしは潤んだ目でその壁の一点を見つめたまま、あの病室から始まった自分の人生に想いを馳せた。
.
:08/04/18 22:34
:SH903i
:gqbjt9BM
#207 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/18 23:26
:SH903i
:gqbjt9BM
#208 [蜜月◆oycAM.aIfI]
毎日毎日病院に通ってくれた両親。
母は朝から晩まであたしに付きっきりで世話をしてくれた。
面会時間の許す限り、母はあたしの隣にいてくれた。
睡眠も充分に取っていなかったのだろう、母の顔はいつも疲れていた。
けれどあたしの前では、いつも笑顔だった。いつも優しかった。
傷が痛いとうめけば、体をさすってくれた。
一人で寝るのが怖いと言えば、宿泊許可をとって隣で眠ってくれた。
.
:08/04/19 22:32
:SH903i
:AmiMOAoA
#209 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その優しさは今もずっと変わっていないけれど、一度だけ、母に叱られたことがある。
高校生になってすぐの頃、あたしは仲良くなった友達と遊びに出かけ、帰りが遅くなったのだ。
いつもなら連絡するのだが、その日はたまたま携帯電話の充電が切れていた。
.
:08/04/19 22:33
:SH903i
:AmiMOAoA
#210 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは母がどれだけ心配するかなんて少しも考えず、連絡しないままにしてしまった。
友達と別れた後、怒られるかな、なんてのんきに考えながら帰りの電車に乗った。
家に着いて、なぜかあたしは出来るだけ音を立てずにリビングに向かった。
これだけ遅くなったのだから、もう怒られるのは避けられない。
だから、出来るだけ刺激したくないという無意識がそうさせたのだろう。
ドアを開けると、父と母が目を赤くして待っていた。
.
:08/04/19 22:34
:SH903i
:AmiMOAoA
#211 [蜜月◆oycAM.aIfI]
……泣いていたのだろう。
それを見て、あたしはなんてことをしてしまったのだろう、と激しく自分を責めた。
その時初めて母に叱られたのだった。
そういえばその次の日、母は「はい、これプレゼント!」と言って持ち運べる充電器をくれたんだっけ。
母の優しさを形にしたそのプレゼントは、あたしが肩にかけているバッグの中に今も入っている。
.
:08/04/19 22:34
:SH903i
:AmiMOAoA
#212 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父は、いつも忙しそうだった。
飲食関係の仕事をしていたので、土日はいつも家にいなかった。
朝早く家を出て、夜中になってやっと帰ってくる。
あたしはそれが淋しかったけれど、平日にたまに早く帰って来て外食に連れていってくれる父が大好きだった。
もちろん、今も大好きだ。
そう考えると、あたしがまだ入院していた時はかなり無理をしていたのだろうか。
曜日に関わらず、いつも夕方には病院に来てくれていた。
.
:08/04/19 22:35
:SH903i
:AmiMOAoA
#213 [蜜月◆oycAM.aIfI]
仕事先からそのまま来ていたので、あたしにとってその頃の父といわれて思い出すのは、飲食店特有の、油の匂い。
母は、臭いからシャワー浴びてから来てよね、などと散々文句を言っていたけれど、あたしはその匂いも引っくるめて父が大好きだった。
油まみれの仕事着を来た父に抱き着いて、息を思いきり吸い込む。
それが、父が病室に来たらまず一番にする、あたしの日課だった。
.
:08/04/19 22:36
:SH903i
:AmiMOAoA
#214 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんな父と母に守られながら、あたしは生きてきた。
退院してからもそれは変わらなかったけれど、もう一人、あたしの側にいてくれる人が増えた。
それが、サトル。
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:08/04/20 01:35
:SH903i
:bC7weAIo
#215 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルとの出会いは、いきなり訪れた。
新しい学校に初めて登校する日、サトルがあたしの家に迎えにきた。
あたしは久しぶりの学校に緊張していて、朝からずっと泣きそうだったのを覚えている。
そんなあたしに母が、新しいお友達よ、と言ってサトルを紹介してくれた。
サトルは、今はもう見慣れたあの人懐っこい笑顔で、「サトルです! ユキちゃんよろしく!」と言って、学校まであたしの手を引いてくれたっけ。
.
:08/04/20 01:36
:SH903i
:bC7weAIo
#216 [蜜月◆oycAM.aIfI]
どうして母がサトルを知っていたのかあたしは知らないけれど、そのおかげで今となっては一番の友達だ。
サトルはひとつ年下なので、学校ではあまり顔を合わさなかったけれど、行き帰りや休日はほとんど一緒だった。
あたしが同じ学年の友達と遊ぶ時でも、サトルはみんなに混じって遊んでいた。
.
:08/04/20 01:36
:SH903i
:bC7weAIo
#217 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルとは中学校も同じで、あたしに合わせたんじゃない、と本人は言っていたけれど、部活まで一緒だった。同じ、バレーボール部。
サトルは運動神経が良いからか、どの試合でも活躍していた。
あたしはといえば、万年補欠。
なぜバレーボール部に入ったのか、と聞かれてもおかしくないほど下手だった。
.
:08/04/20 01:37
:SH903i
:bC7weAIo
#218 [蜜月◆oycAM.aIfI]
情けなくも、あたしはサトルにコーチを頼んで秘密の特訓をしてもらったことがある。
そのおかげか、中学生活最後の試合で、あたしは初めてスタメンに選ばれたのだった。
こうして思い返しても、サトルはいつも側にいてくれた。
サトルとの思い出は、楽しいものばかり。
ケンカなんて一度もしたことがない。
.
:08/04/20 01:38
:SH903i
:bC7weAIo
#219 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがあたしを理解してくれているからだろう、と思う。
あたしはサトルのことを理解出来ているだろうか?
いや、出来ていないだろう。
サトルは喜怒哀楽が激しいように見えて、実は感情を抑えているような気がする。
あたしの気のせいかもしれないけれど。
「ユキ? ……ユキ! ユキ!」
.
:08/04/20 01:39
:SH903i
:bC7weAIo
#220 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがあたしを呼んでいる。
――でも……なんで? 返事が出来ない……。
熱い……体が重い……。
コンクリートの一点を見つめながら、あたしの体はゆっくりと水溜まりの中に倒れ込んだ。
遠くであたしを呼ぶ声がする。
これは……サトルの声?
いや、違う。この声は――。
.
:08/04/20 01:39
:SH903i
:bC7weAIo
#221 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/20 01:42
:SH903i
:bC7weAIo
#222 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―X―
「ユキ? ……ユキ! ユキ!」
目の前でユキが倒れ、サトルは慌てて彼女の体を抱き上げた。
泥がつくのも気にせず、彼女の軽い体を自分の両手と胸で支える。
.
:08/04/20 23:05
:SH903i
:bC7weAIo
#223 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何度名前を呼んでも、反応がない。
ユキの頬は紅潮し、息遣いもかなり荒くなっていた。
はっとした表情で、サトルはユキの額に手を当てた。
「ユキ……」
彼女の額は、熱を帯びていた。
冷たい雨に打たれて、熱を出してしまったようだ。
サトルは慌てて自分が着ていた上着やマフラーを外し、ユキの体に巻きつけていく。
.
:08/04/20 23:06
:SH903i
:bC7weAIo
#224 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――こんな山の中で……どうしよう! 早く乾かさないと! ていうか着替えさせないと!
サトルは焦っていた。
まだ雨は降り続いている。
早くどうにかしないと、ユキが死んでしまうんじゃないかと思っていた。
その時。
.
:08/04/20 23:06
:SH903i
:bC7weAIo
#225 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「大丈夫!? どうしたの!?」
コンクリートの箱がある方から、雨の音に紛れて女性の声がサトルの耳に届いた。
「倒れてるじゃない! しっかりして!」
彼は自分の耳を疑った。
――さっきまで人の気配なんてしなかったのに、ていうかなんでこんな山奥に女性が?
.
:08/04/20 23:10
:SH903i
:bC7weAIo
#226 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、サトルが振り返ると、そこには確かに女性の姿があった。
大粒の雨が空から降り注いでいるというのに、女性は全く気にしていない様子で、水を浴びながらこちらに向かって足早に近づいてくる。
「あ……いや……」
サトルは言葉を失った。
.
:08/04/20 23:11
:SH903i
:bC7weAIo
#227 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その理由は、女性の容姿に目を奪われてしまったからだ。
女性がこちらに近づいてきたせいではっきりと全身を確認することが出来る。
その女性は、サトルと同じくらいの年齢に見えたが、しかし彼の身の回りにいる女性たちとは全く違っていた。
.
:08/04/20 23:11
:SH903i
:bC7weAIo
#228 [蜜月◆oycAM.aIfI]
伸びきってボサボサに絡まりあった汚らしい髪。
爪はボロボロ、両手は小さく赤い切り傷がいくつもあり、何かの模様のようだ。
こちらに近づく前に彼女を女性だと認識させたロングスカートは、ところどころに土や泥がついている。裾もすっかり破れてボロボロだ。
上半身にはニットのセーターを着ているが、毛糸はほつれ、いくつもの穴があいていて、腕や腹の皮膚を剥き出しにしている。
全てにおいてみすぼらしい。
しかしそんな服装や髪型に反して、彼女の顔はとても美しかった。
.
:08/04/21 21:45
:SH903i
:BUaVqwCg
#229 [蜜月◆oycAM.aIfI]
手と同様いくつかの切り傷は見られるものの、日光を知らないかのような肌の白さによって、赤く鋭い傷はまるで美しさを際立たせる飾りのようにも見えた。
目は切れ長で大きく、意思の強さを感じさせる。
スッと筋の通った鼻からは、隠された品の良さが見受けられた。
唇は薄く、しかし存在感があり、笑顔はさらに美しいだろうということを簡単に想像させる。
眉は整えられていないが、それに気付かないほど、彼女の顔は麗しい。
.
:08/04/21 21:46
:SH903i
:BUaVqwCg
#230 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし、サトルが言葉を失ったのはその美しさのせいではなかったし、もちろん、服装の汚らしさとのギャップのせいでもなかった。
彼女の顔は、サトルの幼なじみに瓜二つだったのだ。
「まさか……君は――」
.
:08/04/21 21:47
:SH903i
:BUaVqwCg
#231 [蜜月◆oycAM.aIfI]
***
綺麗なオレンジ色の夕焼け空の下。
あたしの目の前には、大きな木がある。
大きな、大きな大きな木。
見上げても、てっぺんが見えない。
枝や葉が、今にも襲い掛かってきそうな程繁っているのが見えるだけ。
こんな立派な木は見たことない。
.
:08/04/21 21:50
:SH903i
:BUaVqwCg
#232 [蜜月◆oycAM.aIfI]
足元に目をやると、地面がすぐ近くにあった。
落ちている葉のひとつひとつがとても大きい。
――この靴……懐かしい。
あたしが好きだった子供向けのキャラクター。
リボンをつけたうさぎが体ほどもある人参を抱えている絵がプリントされた、あたしのお気に入りの靴。
それを、どうして今、あたしは履いているんだろう。
.
:08/04/21 21:50
:SH903i
:BUaVqwCg
#233 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ふと自分の手や体を見て気付く。
――今、あたし……小さい頃の姿に戻ってる?
一瞬、タイムスリップしたのかと驚いたけど……。
多分、夢を見ているんだろう。
このぼんやりした感覚は、きっとそうだ。
.
:08/04/22 23:09
:SH903i
:.2zmGT5A
#234 [蜜月◆oycAM.aIfI]
身につけているものをひとつひとつよく見てみると、昔着ていたものばかりだった。
首に巻かれた毛糸の赤いマフラーも、ラインの入った白いセーターも、赤と緑のチェック模様のスカートも、白い水玉が編み込まれた黒いタイツも。
好きで毎日着たがったものもあれば、母に無理矢理着せられていたものもある。
懐かしさに浸っていると、誰かの長い影があたしの影に重なった。
.
:08/04/22 23:09
:SH903i
:.2zmGT5A
#235 [蜜月◆oycAM.aIfI]
『ユウコ、もう暗くなるよ』
振り返ると、見知らぬ大柄の男が立っていた。
今のは、あたしに向けられた言葉のようだ。
――ユウコ?
あたしはユウコじゃない、ユキだよ。
.
:08/04/22 23:10
:SH903i
:.2zmGT5A
#236 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう思いながらもなぜか逆らうことが出来ず、あたしは自分を“ユウコ”と呼んだ男が差し出した手を取った。
夕日を背に立っている男の顔は、逆光のせいでよく見えない。
表情もわからないけれど、なんとなく微笑んでいるような雰囲気が感じられた。
そのかわり、差し出した左手の薬指に光る指輪に、あたしの視線は捕らえられた。
.
:08/04/22 23:10
:SH903i
:.2zmGT5A
#237 [蜜月◆oycAM.aIfI]
夕日を反射してキラキラ輝くそれは、今まで見たことが無いほど美しい。
男のゴツゴツとした手にはとても似合わない。
けれど、何の石も背負わないそのシルバーの細い輪っかは、男の指にしっかりとはまっていた。
男は、あたしの手をギュッと握りしめて歩き出した。
何も言わず男の行動に従うあたし。
.
:08/04/22 23:11
:SH903i
:.2zmGT5A
#238 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――今は大丈夫だ。
え?
……今は?
あたしは確かに今、そう思った。
けれど、全く意味が解らない。今のはあたしの意識ではない。
でもあたしじゃないなら一体誰の?
.
:08/04/22 23:12
:SH903i
:.2zmGT5A
#239 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう思ったけど、あたしは考えるのをやめた。
これは夢だ。夢というのは有り得ないことが起きても良い世界なんだ。
そして夢というものは、しばしば現実とリンクする。現(げん)に今、あたしは過去のあたしを夢に見ている。
このまま夢に飲み込まれてしまえば、この世界で全ては明らかになるんじゃないか。
あたしはそれを期待し、夢の世界に潜っていく。
.
:08/04/23 13:04
:SH903i
:n.zKpr4g
#240 [蜜月◆oycAM.aIfI]
小さな体のあたしは、男の大きな手に引かれながら坂道を歩いている。
あたしの小さな影と男の大きな影が、足元から進む先に向かって長く延びていた。
あたしは自分の影の頭を踏もうと、出来る限り歩幅を広げてみたけれど爪先さえ届かない。
そうこうしている内に、ただの遊びにいつの間にか真剣になってしまっていた。
躍起になって、飛んだり走ったりして影を追う。
.
:08/04/23 13:05
:SH903i
:n.zKpr4g
#241 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが自分だけの影踏みに熱中していると、いつの間にか辺りが暗くなっていた。
いや、暗くなったと言うよりも、この世からあたし以外のものが全て無くなったようだ。
どこを見ても闇、闇、闇。
さっきまで手を繋いで隣を歩いていたはずの男も、空をオレンジに染めていた太陽も、あたしが踏み締めていたはずの地面さえも、今はどこにも見当たらない。
.
:08/04/23 13:05
:SH903i
:n.zKpr4g
#242 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう。これは夢なんだ。
夢だから、何が起きてもおかしくない。どんなことも起こり得る。
光が無いように見えるのに、あたしの手ははっきり見えた。
そこで、あたしは自分の体をもう一度見下ろしてみる。
やはり、小さいままだった。
.
:08/04/23 13:06
:SH903i
:n.zKpr4g
#243 [蜜月◆oycAM.aIfI]
周りを見回しても、やはり永遠に続く闇しかない。
しかし夢だと解っているからなのか、恐れは無かった。
自分がどこに立っているのかも解らないまま、あたしは歩き始めた。
一歩、また一歩、さらに一歩。
右足と左足を交互に前に出す。
.
:08/04/23 13:07
:SH903i
:n.zKpr4g
#244 [蜜月◆oycAM.aIfI]
地面を踏む感覚はあるのに、あたしの足の下は深い闇。何も、無い。
前に進んでいるつもりだけれど、実は後ろに進んでいたとしてもあたしは気付かないだろう。
.
:08/04/25 00:30
:SH903i
:ZORuxzbU
#245 [蜜月◆oycAM.aIfI]
どれだけ歩いても、あたしの瞳に映るのは黒過ぎるほどの黒だけだった。
景色が変わらないため、十キロ歩いたのか、十メートルしか進んでいないのか、全く解らない。
「はぁ……」
あたしは思わずため息をついてしまった。
.
:08/04/25 00:30
:SH903i
:ZORuxzbU
#246 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何だか疲れた。
頭も体も、疲労という重りを付けられたような鈍さを感じる。
あたしは音もなく、見えない地面に静かに寝転んだ。
このまま、泥のように何も考えず、何も感じずに眠ってしまいたい。
.
:08/04/25 00:31
:SH903i
:ZORuxzbU
#247 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは目を閉じ、夢の中で眠りにつこうとした。
……。
…………。
………………?
.
:08/04/25 00:32
:SH903i
:ZORuxzbU
#248 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――眩しい……。
目を閉じているのに、まぶたを透かして差し込んでくる痛いほどの光。
さっきまでの闇が嘘だったかのような明るさ。
あたしは思い切って、ゆっくりとまぶたを上げてみた。
.
:08/04/25 22:07
:SH903i
:ZORuxzbU
#249 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「!?」
目の前にあったのは、真っ白な世界と、
……“あたし”?
.
:08/04/25 22:07
:SH903i
:ZORuxzbU
#250 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは開いた目を直ぐさま閉じた。今のは“あたし”だよね、と自分に問いかける。
確かに“あたし”だった。
夢というのは、本当に不思議なものだ。
次に目を開けたら、“あたし”は消えていて憧れのスターが目の前にいるかも。
あたしはそんな馬鹿なことを考えながら、再びゆっくりと目を開ける。
.
:08/04/25 22:08
:SH903i
:ZORuxzbU
#251 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし眼に映る光景は、さっきと変わらなかった。
真っ白な世界の真ん中で、小さなあたしは“あたし”を見上げていた。
.
:08/04/25 22:09
:SH903i
:ZORuxzbU
#252 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは何も言わず、向かい合っている“あたし”の黒い瞳を見つめる。向こうもただ黙って、あたしの瞳を見つめ返す。
彼女の瞳は幸せに満ちていて、とても優しい笑顔であたしを包み込んだ。
.
:08/04/25 22:09
:SH903i
:ZORuxzbU
#253 [蜜月◆oycAM.aIfI]
光以外に何も無い沈黙の空間で、あたしと“あたし”はただ見つめ合う。
お互いの瞳を見つめるのに、どのくらいの時間を費やしただろうか。
“あたし”がまず口を開いた。
「あたし、幸せだよ」
.
:08/04/25 22:10
:SH903i
:ZORuxzbU
#254 [蜜月◆oycAM.aIfI]
“あたし”は本当に幸せそうに小さく呟く。優しい笑顔。
その顔を見ればわかる、とあたしは思った。でも口をついたのは別の言葉だった。
「どうしてこんな夢を見せるの?」
夢に出てくるってことは伝えたいことがあるからに違いない。
.
:08/04/25 22:11
:SH903i
:ZORuxzbU
#255 [蜜月◆oycAM.aIfI]
……いや、それは死者にだけ許された行為かもしれない。もしくは生き霊?
しかし、もはやあたしは死んでいるのだ。
幼いあたし。記憶として十八歳のあたしの中で生きているはずのあたしは、そこにいないのだから。
「そう、あたしはあなたを殺してしまった。そしてあなたの復活を望んだ」
.
:08/04/26 22:26
:SH903i
:PBcoUI3k
#256 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが口に出さなかった言葉に、“あたし”は答える。
「あたし、幸せなんだよ」
再びそう言う“あたし”は、さっきと違い悲痛な表情を見せる。
「あたしだけ、幸せなの。記憶から、幼いあたしを消して。妹も消して。
どうして消してしまったの? あたしは……あなたと妹を犠牲にしたの?」
.
:08/04/26 22:27
:SH903i
:PBcoUI3k
#257 [蜜月◆oycAM.aIfI]
逆に問い返す“あたし”は顔を歪め、今にも泣き出しそうだった。
“あたし”の疑問と悲しみを消すように、あたしは答える。
「それでいいんだよ。あたしたちはそれを望んだの。あなたに殺されることを望んだ。
あなたの幸せの為なら、あたしたちは消えてしまうことさえ喜んだよ」
.
:08/04/26 22:28
:SH903i
:PBcoUI3k
#258 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの満足気な言葉を聞いて、“あたし”はより一層顔を歪め、泣いた。息を吸い、吐き、しゃくり上げた。
人の犠牲の上に生かされた“あたし”。
その犠牲さえも忘れ去った“あたし”。
.
:08/04/26 22:29
:SH903i
:PBcoUI3k
#259 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その罪の意識と感謝の念が、幼いあたしに伝わる。
「泣かないで、ユキ? こうしてここで会えたんだから。あなたはあたしを甦らせてくれた。あたしはそれがすごく嬉しい。
……ありがとう」
朗らかな笑顔でそう言うと、幼いあたしは“あたし”の前まで来て、“あたし”の両手を握った。
“あたし”の涙はもう止まっていて、眩しい白さが目に痛い。
手と手を繋いで、幼いあたしを見下ろす。
.
:08/04/26 22:30
:SH903i
:PBcoUI3k
#260 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「もう、全部、思い出したでしょ?」
――うん。思い出した。
“あたし”は幼いあたしの言葉通り、八年間の全てを取り戻した。
まるでこの繋いだ両手を伝わって、幼いあたしが大切に守っていた記憶が“あたし”に流れ込んでくるようだ。激しい勢いをもって、一気に。
頭の中に、鮮明に蘇る過去の記憶。流れるように八年分の断片が通り過ぎてゆく。
.
:08/04/27 23:23
:SH903i
:0Tdrl5r6
#261 [蜜月◆oycAM.aIfI]
でも本当は“あたし”はその全てを知っていたんだ。
涙がやんで渇いた目を閉じると、さらにはっきりくっきりと思い出せる。
ひとつひとつ、全て大切な思い出。長い間忘れてしまっていた宝物。
再び涙が溢れる。閉じた瞼の隙間からとめどなく流れてゆく。
“あたし”はそれを拭うこともせず、ひたすら記憶を巡らせる。
.
:08/04/27 23:23
:SH903i
:0Tdrl5r6
#262 [蜜月◆oycAM.aIfI]
産まれたてのあたしを抱く母の手……父の背中……母の優しい笑顔……父の腕の温もり……
あの町の景色……いつもの散歩道……懐かしいあたしたちの家……家族が集まるリビング……母の手伝いをしたキッチン……あたしたちの子供部屋……
その頃の幸せな気持ちも一緒に蘇る。涙が止まらない。
記憶に浸っている“あたし”の手を握りしめたまま、幼いあたしが語りかける。
.
:08/04/27 23:24
:SH903i
:0Tdrl5r6
#263 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「サトルとハナが待ってる。もう目を覚まさなきゃ」
その言葉がきっかけだったかのように、さらに記憶と涙が溢れ出てくる。
幼いサトル……大好きな幼馴染み……幼いハナ……あたしのかわいい妹……
.
:08/04/27 23:24
:SH903i
:0Tdrl5r6
#264 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――そうだ。ハナ。ハナ。あたしのかわいい妹。ハナ。まだ歩けないのにいつもはいはいであたしの後をついてきたハナ。
.
:08/04/27 23:25
:SH903i
:0Tdrl5r6
#265 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――それに、サトル。知ってたんだ。引っ越した街で出会ったんじゃない。サトル。大好きな幼馴染み。産まれた時から知ってた。サトル。
.
:08/04/27 23:25
:SH903i
:0Tdrl5r6
#266 [蜜月◆oycAM.aIfI]
閉じ込めていた記憶の中の二人の姿を頭に映し、“あたし”は夢の世界を終わらせて二人の元へ還ろうとする。
目を閉じたまま、ハナとサトルのことを強く想う。
“あたし”の両手に感じていた幼いあたしの小さな手の平の感触が消えてゆく。
――ありがとう、あたし。
.
:08/04/27 23:26
:SH903i
:0Tdrl5r6
#267 [蜜月◆oycAM.aIfI]
やっと巡り逢えた過去のあたしとの時間は、今終わりを迎えた。
でも寂しくはない。あたしの体の中で記憶として彼女は生き続けるから。
目を閉じていても眩しかった白い光も、だんだんと薄れてゆく。
小さな点になった光がやがて消え去ると、再びあたしのまぶたの裏は闇に支配された。
――ハナ……サトル……
.
:08/04/27 23:27
:SH903i
:0Tdrl5r6
#268 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/27 23:33
:SH903i
:0Tdrl5r6
#269 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/27 23:34
:SH903i
:0Tdrl5r6
#270 [骸]
これとってもおもしろいです
ホントに
とっても気に入りましだ゙
応援してるんで頑張ってくださいx
:08/04/28 00:10
:auST34
:BWSWOahM
#271 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/04/28 02:10
:SH903i
:FeLxLigk
#272 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―Y―
目を覚ますとあたしは、真っ暗な闇の中で温かい毛布のようなものに包(くる)まれていた。
今度は何も見えない。自分の体も身を包む毛布も見当たらないこと、そして顔に感じる空気が冷たいことで、あたしは現実に戻ってきたんだと実感した。
まず、ハナの遺体を見つけてあげなきゃと思った。夢の中の幼いあたしが言っていたように、ハナはあたしが迎えに行くのを待っているに違いない。
警察がどこまで捜したのか解らないけれど、あたしが探さなければハナは見つからないような気がする。
.
:08/04/28 23:57
:SH903i
:FeLxLigk
#273 [蜜月◆oycAM.aIfI]
体を動かそうとすると、頭と両目に鈍い痛みを感じた。目から耳の上までの皮膚が突っ張る。
泣いていたからだろう。
どうにか起き上がろうと毛布をめくってみたけれど、頭の痛みが酷かったし体が芯まで冷えていてうまく動かせなかったので諦めた。
落ちた毛布をもう一度しっかりと体に巻き付けて体を休める。
.
:08/04/28 23:57
:SH903i
:FeLxLigk
#274 [蜜月◆oycAM.aIfI]
懐かしい夢を見た。長い長い夢を。
あたしは忘れていた全てを思い出した。
幼いあたしが教えてくれたこと。
全部思い出せる。
ハナとサトル。そして幼いあたし。
あたしは全てをあたしの元に取り戻した。
それを思うと体が震えた。喜び。そして、恐怖。
.
:08/04/28 23:58
:SH903i
:FeLxLigk
#275 [蜜月◆oycAM.aIfI]
幼いあたしは、一番古い記憶から新しい記憶へとあたしを導いてくれた。
父。母。ハナ。サトル。
そして最後に蘇った記憶……あの事件。
恐ろしく、悲しいものだった。
.
:08/04/29 23:06
:SH903i
:KV.55ENY
#276 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし、あたしはそれ以上に幸せな記憶を手に入れた。
家族と大事な友達と過ごした幸せな日々。
それがあるからか、当時は恐ろしいだけでしかなかったあの事件に記憶を巡らせてもあたしの心に現れるのは恐怖だけではなかった。
.
:08/04/29 23:07
:SH903i
:KV.55ENY
#277 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたち一家を苦しめた事件の始まりは、ある男の身に起きた悲しい事故だった。
夢の中であたしの手を引いて歩いていたあの大柄な男。
男は十年前の冬のある日、あたしとハナが近所の公園で遊んでいるところにやって来て、言葉巧みにあたしたちを誘拐した。
見たこともなかったその男はとても優しくて、まさかその人があたしたちを誘拐しようとしているとは思わなかった。
けれどその時ハナは、あたしの袖を引っ張ってしかめた顔をこちらに向けていたような気がする。
.
:08/04/29 23:08
:SH903i
:KV.55ENY
#278 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――あの時ハナの言うことを聞いていれば……。
ハナが死ぬことも無かったのに。
しかしあたしはハナの無言の制止を無視して、男の車に乗ってしまった。ハナを連れて。
男が運転する白い乗用車は、山の中腹にある人気(ひとけ)のない駐車場で停まった。
そこであたしは初めて恐怖を覚えた。
.
:08/04/29 23:09
:SH903i
:KV.55ENY
#279 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男がいきなりあたしを殴ったのだ。
男は運転席から体をひねり、後部座席にいたあたしの頬を平手で打った。次に拳で頭の右側を殴られた。あたしはその二発ですでに意識を失いかけていた。
しかし、ハナが心配だった。それだけがあたしの意識を繋ぎとめていたように思う。
.
:08/04/29 23:09
:SH903i
:KV.55ENY
#280 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし驚きと恐怖であたしの体は固まってしまった。それを見て男は満足したのか、その時の暴力は二発で終わった。
そして男はあたしの隣にいたハナの頭に手を伸ばした。
殴られる!
.
:08/04/30 20:17
:SH903i
:xkpfSZAU
#281 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう思ったのもつかの間、シートの間から伸びた男の手はハナの髪を優しく撫でた。
男の顔にはあたしを殴っていた時の凶暴さなど微塵もなく、ただ愛しそうにハナを撫でていた。
そして車を降り、ハナは男に抱かれあたしは無理矢理手を引っぱられ、山の中へ連れて行かれた。
.
:08/04/30 20:18
:SH903i
:xkpfSZAU
#282 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その時は訳がわからなかった。それがまだ誘拐だと思っていなかったあたしは、何か男の気に障るようなことをしてしまったんだと思った。
しかしそうではない。今ならわかる。
男はハナに自分の娘を重ねて見ていたのだ。
.
:08/04/30 20:18
:SH903i
:xkpfSZAU
#283 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男はあたしとハナを掠う少し前に、妻と娘を事故で亡くしていた。
十数年前に結婚し、あたしたちが住んでいた町から少し離れた別の街で暮らし、娘を授かった。
男は幸せだったという。愛する妻と可愛い娘と三人で、何の不満もない生活を送っていた。
.
:08/04/30 20:19
:SH903i
:xkpfSZAU
#284 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし絶望は突然訪れる。
酔っ払いが運転する車が買い物帰りの妻と娘を轢き、逃げた。
人通りの少ない道だったのが災いし、発見された時には二人とも息絶えていた。
男は自分よりも大切な家族を一度に失ったのだ。
.
:08/04/30 20:20
:SH903i
:xkpfSZAU
#285 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男とあたしとハナは山道を登っていたが、その途中であたしは転んでしまう。
あの山道で取り戻したわずかな記憶。あれはこの時のものだった。
しかしその日通ったのは、あたしとサトルが歩いた道とは別のルートだった。もっと緩やかで歩きやすい道だったはずだ。
しかし同じ山だからだろうか、道を挟む森が発する雰囲気はほとんど変わらない。
.
:08/04/30 20:20
:SH903i
:xkpfSZAU
#286 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナを抱きかかえた男に後ろからせっつかれながら、あたしは山道を登っているところだった。
あたしはつまずき、地面に身を屈めてうずくまった。地面を撫でながら。
.
:08/04/30 23:58
:SH903i
:xkpfSZAU
#287 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは男が怖かった。
山道ではハナを抱えていたので、あたしに手を出せないと思ったのだ。そのための時間稼ぎと言うべきか。
この道の先にたどり着いた時何をされるのか不安でたまらなかった。
だからあたしは後ろに近づく男の様子を伺いながら、男からの暴行を少しでも先延ばしにしようとした。
.
:08/04/30 23:58
:SH903i
:xkpfSZAU
#288 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかしあたしの目論みはあっけなく幕を閉じる。
男はハナを両手で抱きかかえたまま、うずくまったあたしの側頭部を蹴り付けたのだ。
あたしの体は痛みに耐え切れず土の上に崩れ落ちた。
頭の中で痛みと恐怖と後悔が渦巻き、あたしの目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
男はそれに構わず、抱えていたハナを下ろして動けなくなったあたしを乱暴に抱き上げた。
.
:08/04/30 23:59
:SH903i
:xkpfSZAU
#289 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その時、一瞬ハナと目が合った。
あたしのせいでこんな目に合わされたハナが、あたしをどんな気持ちで見ているのか気になった。
けれどあたしはすぐに目を逸らしてしまった。とてつもない罪悪感がそうさせたのだ。
.
:08/05/01 19:31
:SH903i
:gckU4PYk
#290 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今度はあたしが抱えられハナが男に手を引かれて、再び山道を登り出した。
その先で、あたしとサトルが発見したのと同じようにコンクリートの建物を発見する。
そしてあたしとハナはコンクリートの箱に監禁されることになる。
もしかすると男はそれがあることを知っていて連れてきたのかもしれないが、それは解らない。
.
:08/05/01 19:33
:SH903i
:gckU4PYk
#291 [蜜月◆oycAM.aIfI]
コンクリートの建物の中には、何も無かった。ただコンクリートの壁が床と天井と四方を囲っているのみ。
照明器具もなく、あたしとサトルが確認したように窓もない為真っ暗だった。
ただでさえ怯えていたあたしとハナは、そのせいで余計に心細さを感じた。
その上、あたしが予想した通り内部はかなり寒かった。暖房などあるわけもなく、真冬の空気はコンクリートをしっとりと、しかし確実に冷やしていた。
.
:08/05/01 19:33
:SH903i
:gckU4PYk
#292 [蜜月◆oycAM.aIfI]
次の日、男は厚手の毛布と電池式の懐中電灯を三つほど用意してきてそれをあたしとハナに与えた。
あたしたちは閉じ込められている間、真っ暗な闇の中で毛布を体に巻き付け懐中電灯を点し、恐怖と寒さをやり過ごした。
それでも抑え切れず、二人で抱き合って泣いたこともあった。
.
:08/05/01 19:34
:SH903i
:gckU4PYk
#293 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしが男から解放されたのは、確か二週間ほど過ぎた頃だった。
その時まで、ほとんどの時間をあたしとハナはコンクリートの箱の中で過ごした。
.
:08/05/03 21:44
:SH903i
:wLA6FCfI
#294 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男がそこに来た時だけ、あたしたちは外に出ることを許された。
男は大概昼前に来て、外側にくくりつけた南京錠を外しドアを開ける。
そして昼食を与え、外に出てあたしたちが食べ終えるのを待つ。
しばらくすると再びドアが開き、あたしかハナのどちらかを選んで連れてゆく。
.
:08/05/03 21:45
:SH903i
:wLA6FCfI
#295 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男は正気を失っていた。
あたしとハナのことを“ユウコ”と呼ぶのだ。死んだ娘の名前だった。
外に連れ出したあたしやハナをそう呼び、まるで本当の娘であるかのように接する。
そして自分の妻のことや家族三人の思い出を、いつもあたしたちに語りかけた。そうしている間はとても優しかった。
あたしもハナもそれに相槌を打ち話を合わせ、彼の娘のように振る舞った。そうしなければ、後に待ち受ける仕打ちが恐ろしかったのだ。
.
:08/05/03 21:47
:SH903i
:wLA6FCfI
#296 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし長くは続かない。
必死に頭を巡らせ男の望む返答をしようとするが、どうしてもわからないこともある。
男が問いかけてくることに、娘でないあたしたちは答えられないのだから。
.
:08/05/03 21:49
:SH903i
:wLA6FCfI
#297 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたちが返事に困って黙り込んだり男の記憶と食い違ったりすると、男は豹変する。優しかった微笑みは恐ろしい顔に変わり、目を剥いて怒鳴り始める。
「お前……オレを騙したのか! ユウコをどこにやった! オレのユウコを返せ!」
.
:08/05/03 21:50
:SH903i
:wLA6FCfI
#298 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんなことを叫びながら、あたしやハナを痛めつけるのだ。
頬をはたかれ、首を締められ、頭を殴られ、地面に倒される。
腹を蹴られ、足を掴んで引きずられ、背中を踏み付けられる。
あたしは怖くてどうしたらいいのかわからなくて、謝り続けていたように思う。
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
.
:08/05/05 00:11
:SH903i
:Nqg5T9kk
#299 [蜜月◆oycAM.aIfI]
すると男はある瞬間、パタリと動きを止める。
そしてまた豹変するのだ。
「あ、あ、ああ……すまない、大丈夫か? 本当にすまない、悪かった……」
.
:08/05/05 00:11
:SH903i
:Nqg5T9kk
#300 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男は正気を取り戻す。我に返ってあたしを抱きしめた。
その時にはもう、男にとってあたしやハナは娘ではなく、衝動的に掠ってしまった見知らぬ女の子なのだ。
自分がした恐ろしい行いを詫び、コンクリートの箱に連れ帰って傷を手当てされた。
包帯を巻いたり消毒液を塗ったりしながら、男は自分に起きた不幸や誘拐の理由を語る。
.
:08/05/05 00:12
:SH903i
:Nqg5T9kk
#301 [蜜月◆oycAM.aIfI]
親子を装った会話・暴行・謝罪と手当て。
この一連の波が、日によってあたしかハナのどちらかに必ず訪れる。
あたしもハナも同じように怯えていた。真っ暗な闇の中で時間もわからないけれど、毎日昼が来るのを恨めしく思っていた。
けれど必ずどちらか一人はひどい目に合うのだと理解してから、ハナはあたしを庇い、食事の後自らドアの前に立ち男を待つようになった。
あたしはそれを止められなかった。
.
:08/05/05 00:13
:SH903i
:Nqg5T9kk
#302 [蜜月◆oycAM.aIfI]
違う。
止めなかった。
あたしは自分が大事だったんだ。
ハナがどんな思いでそこに立っているかなんて考えもせず、あたしはただ彼女の背中を罪悪感のこもった瞳で見つめるだけだった。
.
:08/05/05 00:13
:SH903i
:Nqg5T9kk
#303 [蜜月◆oycAM.aIfI]
正気を取り戻した時の男が言うには、あたしとハナは彼の娘に似ているらしかった。年齢も同じくらいで、髪もちょうど同じ長さだった。
特にハナは、雰囲気や仕草がとてもよく似ていると男は悲しげに笑っていた。
ハナはそれを知った上で、毎回、自ら狂った男の手を握りドアを閉めた。あたしに笑いかけながら。
.
:08/05/05 23:27
:SH903i
:Nqg5T9kk
#304 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは心のどこかでそれを喜んでいたのだ。ハナがあたしの身代わりになって暴行を受けることを、ラッキーだと思っていたのだ。
――あの時ハナを止めていれば……こんな結果にならなかったのかな……?
そしてこの事件はあたしとハナにとって最悪の終わりを迎える。
.
:08/05/05 23:28
:SH903i
:Nqg5T9kk
#305 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男の狂った行動に何度も何度も付き合わされ、あたしたちは憔悴し切っていた。
コンクリートの中の闇と寒さ、男の加減を知らない暴力、そして終わりの見えない不安は、あたしを絶望させるのには充分過ぎるほどだった。
四、五日目までは、いつか解放されるだろうと思っていた。
男が正気を取り戻した時の優しさは、あたしたち二人を両親の元に返してくれるかもしれないと思わせた。
.
:08/05/05 23:28
:SH903i
:Nqg5T9kk
#306 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかし一週間を過ぎた頃から、男は「もう戻れない」、「死ぬしかない」、そんな言葉をぼそっと独り言のように呟くことが多くなっていた。
男は正気と狂気の間を行ったり来たりしているかに見えていたけれど、その頃にはもう完全に、狂気に飲み込まれていたのだろう。
.
:08/05/06 22:29
:SH903i
:1bdF9NU6
#307 [蜜月◆oycAM.aIfI]
だんだんおかしくなっていく男の様子に、あたしはさらに絶望を感じ始める。
男の独り言がじわりじわりと洗脳のようにあたしの意識に染み込んで、「もう戻れない」、「死ぬしかない」、いつの間にかあたしもそればかり呟くようになっていた。
.
:08/05/06 22:30
:SH903i
:1bdF9NU6
#308 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナはその頃、あたしや男のように絶望するでもなく常に何か考え事をしているようだった。
あたしは自分のことしか考えられない状態でそんなハナの様子など気にも留めていなかったが、ある雨の日、彼女が日々何を考えていたのかが明らかになる。
.
:08/05/06 22:30
:SH903i
:1bdF9NU6
#309 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その日はあたしたちが誘拐されてから初めて雨が降った。雨足は強く、コンクリートに打ち付けられる雨粒の音がうるさかった。
箱の中はジメジメとして、寒さと合わさりあたしたちを一層凍えさせた。
.
:08/05/08 00:18
:SH903i
:hl2laBBQ
#310 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナは懐中電灯を床に立てて天井を照らしたまま、体育座りした体に毛布を巻き付けて黙り込んでいる。
その頃にはあたしたちの体は傷と痣で埋め尽くされていた。ハナは痛みを口に出さないので解らないけれど、あたしは二日前から右脇腹に激しい痛みを感じていた。
あたしはハナの顔の痣をぼーっと見ながら、毛布に包まって寝転んでいた。
どうしようもないこの状況のせいで、あたしの頭は空っぽだった。何かを考える気力さえ失っていたのだ。
.
:08/05/08 00:19
:SH903i
:hl2laBBQ
#311 [蜜月◆oycAM.aIfI]
時間は多分朝九時か十時ぐらいだったと思う。
雨音が室内に響く中、ハナが意を決したように口を開いた。
「家に帰りたい?」
こちらを見ることもなく彼女は突然問い掛けた。
あたしは彼女の顔を見つめたまま答えた。
「帰りたいよ」
.
:08/05/08 00:19
:SH903i
:hl2laBBQ
#312 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう言ったものの、それは絶対に不可能なことだと思い込んでいた。
あたしにはもう希望のかけらも無かったのだから。
「ユキ、お母さんとお父さんを安心させてあげてね。あたしは帰れないけど、ユキ一人なら逃げられるから」
――逃げられる? まさか。無理に決まってる。
あたしはユキの言葉を胸中で否定してから耳を疑った。
.
:08/05/08 00:20
:SH903i
:hl2laBBQ
#313 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたし一人……? それどういう意味? ハナは帰れないってどういう意味!?」
ハナの腕を掴んで問い質(ただ)す。自分の体に巻きつけていた毛布が滑り落ちたのにも気付かなかった。
ハナが自分の腕を掴むあたしの手を優しく外し、毛布をかけてくれる。
.
:08/05/08 20:45
:SH903i
:hl2laBBQ
#314 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたしが逃げようとしたらあの人多分追いかけて来ると思う。でもユキだけなら大丈夫。あたしが何とかするから」
「何とかって……何とかってなによ!? ハナだけ置いていける訳ないじゃない! っつう……」
大声を出すと右脇腹に刺されたような痛みを感じて床に倒れ込んだ。
「ユキ、わかってるでしょ? あたしよりユキの方が怪我酷いの。あの人、あたしには本気で殴れないんだよ。
……このままだとユキが死んじゃう」
.
:08/05/08 20:46
:SH903i
:hl2laBBQ
#315 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナの表情に悲しみと戸惑いが見えた。
薄々は気付いていた。ハナの傷があまり多くないこと。
やっぱりハナの方が亡くなった娘に似ているから……。
あたしは手をついて体を起こした。
「でも……やっぱりハナを置いていけないよ。あたしが逃げたってわかったら、ハナ……何されるかわからないじゃない」
.
:08/05/08 20:47
:SH903i
:hl2laBBQ
#316 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「お母さんとお父さんが心配なんだよ。ユキが帰れば二人も少しは安心すると思う」
ハナは頑として譲らなかった。
でも、でも、とあたしは反論したけれどハナの意志は強かった。
結局、あたしだけが逃げると二人で決めた。
.
:08/05/08 20:47
:SH903i
:hl2laBBQ
#317 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――あの時どうにかしてハナを説得出来ていれば……あたしが逃げないと言い張れば……
.
:08/05/08 20:48
:SH903i
:hl2laBBQ
#318 [蜜月◆oycAM.aIfI]
どうやってあたしを逃がすつもりなのかハナに問うと、ハナはゆっくりと説明を始めた。
懐中電灯を二つ点し、あたしたちは慎重に作戦を練る。
成功するかどうかは賭けだ。男の反応に全てがかかっていた。
ハナは必ず成功すると信じていたから、あたしもハナを信じることにした。
――今日、男が来た時が勝負だ。
.
:08/05/10 01:36
:SH903i
:c20X8gQs
#319 [蜜月◆oycAM.aIfI]
鉄製のドアにガチャガチャと鎖のぶつかる音がして、それが聞こえなくなると暗闇の中に一筋光が射した。
――来た。
ドアに繋がれていた鎖とスーパーの袋を手に持って、男が部屋に入ってくる。いつもの光景だ。
無表情な男は惣菜やパンが詰められた袋を床にドサッと置いてその隣に鎖を投げた。
金属とコンクリートがぶつかり合う嫌な音が響いて、あたしは体を強張らせた。ひどく緊張している。
.
:08/05/10 01:37
:SH903i
:c20X8gQs
#320 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男が部屋を出てドアを閉めたのを確認してハナがこちらを向いた。大丈夫か、とその目が問い掛けていた。
あたしはハナの目を見つめたまま頷く。
――大丈夫。
袋の中から昼に食べる分だけを取り出し、残りは夜に取っておく。今日の夜にはあたしはいないけれど。
そう思うとまた少し不安になった。
.
:08/05/10 01:37
:SH903i
:c20X8gQs
#321 [蜜月◆oycAM.aIfI]
食事を終え、あたしはドアの前に立つ。ハナは部屋の隅で毛布に包まっていた。
緊張と不安が増してきて、心臓の音が聞こえる。自分の息遣いが荒いのがわかる。
目線は丸いドアノブに集中していた。
銀色のノブがゆっくりと回った。あたしは瞬時に振り向いてハナを見たけれど、彼女の顔は毛布に埋(うず)められていた。
それだけ確認するとすぐにドアに目線を戻す。向こう側のノブにかけられた男の腕が見えた。
.
:08/05/10 23:39
:SH903i
:c20X8gQs
#322 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――上手くいきますように……。
そう願いながら、光のある外へと足を踏み出す。雨は止んでいた。
男が優しく微笑んであたしを見下ろしていた。自然とその大きな手を握る。
繋いだ手から緊張が伝わらないだろうか、そう心配になったけれど男はいつも通りだった。
あたしたちはいつものコースに向けて歩き出した。
.
:08/05/10 23:40
:SH903i
:c20X8gQs
#323 [蜜月◆oycAM.aIfI]
はずだった。
けれど何時間か歩いた後、男はあたしの手を放した。いつもなら絶対に逃がさないあたしの手を、その日は何故か自由にさせた。
「パパちょっと疲れたから、向こうで遊んでおいで」
男は体を屈め目線をあたしに合わせてそう言った。その顔は本当に疲れているように見えた。
やつれているし、目の下のクマが濃い。
.
:08/05/10 23:41
:SH903i
:c20X8gQs
#324 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとハナの企みがバレているのだろうかと不安になったけれど、男の目に怒りや憎しみは見えなかった。
むしろ寂しそうな、悲しそうな感じがして、あたしは男が可哀相に思えて言葉をかけた。
「パパ? ……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。行っておいで……」
.
:08/05/10 23:41
:SH903i
:c20X8gQs
#325 [蜜月◆oycAM.aIfI]
男はとうとう木の根に腰をおろして、頭を抱えてしまった。
あたしはこのまま逃げてしまおうか、そう考えたけれど、ハナに何も言わずここから去るのは嫌だった。
――戻ってこよう。
うずくまる男から視線を外して、あたしは自由になった体で歩き出した。
.
:08/05/11 22:15
:SH903i
:1rttUfes
#326 [蜜月◆oycAM.aIfI]
一人で森を歩けるのが嬉しくて、あたしは随分遠くまで来てしまっていたらしい。
男が来てあたしに声をかけた。
『ユウコ、もう暗くなるよ』
――あぁ、あの夢はこの時だ。最後の日だったんだ。
指輪が光る手をとり、あたしたちはコンクリートの箱に帰ろうと山道を歩く。
木の向こうにコンクリートが見えてもう少しで着く、というところで男が豹変した。
.
:08/05/11 22:15
:SH903i
:1rttUfes
#327 [蜜月◆oycAM.aIfI]
頬を平手打ち――痛い――また頬を――耳がちぎれそう――引っ張らないで!――押し倒され――頭を地面に打った――割れそう――背中に激痛――目に液体が――血!――お腹――肩――腿――頭――痛――止まらない――脇腹――嫌な音――もうやめて!
――意識を失いそうだった。
あたしはやはり謝り続けていたけれど男の手はいつまでたっても止まることなく、あたしは、死を覚悟した。
その時。
.
:08/05/11 22:16
:SH903i
:1rttUfes
#328 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「パパ!」
ハナの……声だ。
「パパ、やめて!」
あたしの体に降り注いでいた痛みが止み、男が振り向いた気配を感じた。血が目に膜を張ってよく見えない。
:08/05/12 22:14
:SH903i
:58D7rq3M
#329 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユウコ……」
「パパ、やめて。あたしの大事な友達なの」
ハナの声が少し震えている。でもその言葉ははっきりとあたしの耳に届いた。
――やっと……きた。
これがあたしたちの考えた方法だった。
.
:08/05/12 22:16
:SH903i
:58D7rq3M
#330 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「友達?」
「そう、あたしの、……ユウコの友達。だからやめて」
地面に倒されたまま、あたしは目だけを動かしてハナの姿を探した。
世界が赤い。流れてくる血が眼球にまとわりついて視界が赤くぼやけている。
.
:08/05/12 22:17
:SH903i
:58D7rq3M
#331 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「友達……ユウコの……」
「そうだよ、もう帰らないといけないの」
涙が血を洗い、少しずつ周りの様子が見えてくる。
.
:08/05/13 21:48
:SH903i
:ih.RNmQk
#332 [蜜月◆oycAM.aIfI]
暮れ始めた薄赤い空の下に男が立っていて、その顔は向こう側に向けられている。
男の視線の先には、ハナが立っていた。拳を握りしめ、強張った表情でじっと男を見つめている。
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:08/05/13 21:48
:SH903i
:ih.RNmQk
#333 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは体を支えようと腕に力を入れた。
ズキン、と右肩が痛む。
それでも歯を食いしばり、なんとか上半身を起こした。
まだハナと男は見つめ合っている。
あたしの荒い呼吸だけが、静かな森の中に響いていた。
.
:08/05/13 21:49
:SH903i
:ih.RNmQk
#334 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……友達?」
男が同じ言葉を繰り返す。今度はあたしの方をチラリと見た。
「そう、友達」
ハナは男から目を離さない。ほとんど睨みつけるようにしながら震える声で呟いた。
.
:08/05/13 21:50
:SH903i
:ih.RNmQk
#335 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「帰らなきゃいけない……?」
焦点の合わない目で男はあたしを見る。
あたしは祈るような気持ちで男を見上げていた。
――お願い……お願い!
あたしの呼吸が冷たい空気に響く。
.
:08/05/14 01:38
:SH903i
:GAsvctc6
#336 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……そうか。じゃあ近くまで送ってあげなさい、ユウコ」
男の目があたしからハナに移る。
それを追ってあたしもハナの方を見遣ったけれど、何だか視界がぼやけている。でも赤くはない。
安堵からか、痛みからか。意識が遠のく。
体を支えていた腕の力が抜けていく。
.
:08/05/14 01:39
:SH903i
:GAsvctc6
#337 [蜜月◆oycAM.aIfI]
倒れる――その瞬間、細い腕があたしの体を抱いた。
ハナだ。
「帰ろう?」
――うん。
あたしは小さく頷いた。
.
:08/05/14 01:40
:SH903i
:GAsvctc6
#338 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナの細く白い腕があたしの体を持ち上げる。
力を入れているのに、入らない。自分の体じゃないように感じる。
ハナの腕の力だけであたしは立ち上がった。
「早く帰ってくるんだよ」
男の声がした。感情を失ってしまったように抑揚の無い声が。
.
:08/05/14 01:41
:SH903i
:GAsvctc6
#339 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「必ず戻るから……待ってて、パパ」
そう言ったハナの声に、男への憐れみを感じた。
ハナの肩に腕を回し体重を乗せ、足を引きずるようにしてあたしは進む。
あの忌ま忌ましいコンクリートの箱から離れられる。男の呪縛から逃れられる。
その想いがあたしの足を動かしていた。
.
:08/05/14 01:41
:SH903i
:GAsvctc6
#340 [蜜月◆oycAM.aIfI]
コンクリートの箱に背を向け、あたしたちはゆっくりと土の道を歩む。
はっきりしない意識の中で、木々の向こうから背中に虚しい視線を感じていた。
.
:08/05/14 01:42
:SH903i
:GAsvctc6
#341 [蜜月◆oycAM.aIfI]
途中何度か転びながらも、あたしたちは歩みを止めなかった。
コンクリートの箱から離れるに連れて、後ろから男が追ってくるんじゃないかという恐怖に襲われた。
覚束ない足取りで歩くあたしの意識はかなり前から朦朧とし始めていて、体を密着させているハナの温かみだけが頼りだ。
頭の中は空っぽで、あたしはただ足を動かすことだけに集中していた。
.
:08/05/15 00:13
:SH903i
:vyDNGB6.
#342 [蜜月◆oycAM.aIfI]
気がつけば頭の上に覆いかぶさる木の葉はなく、一面オレンジの空が拡がっていた。
歩みを止めてしまうと立っていることが辛くなってきて、あたしはハナの肩から滑り落ちた。
「ユキ!」
.
:08/05/15 00:14
:SH903i
:vyDNGB6.
#343 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ユキがあたしの腕を掴んで、そのままゆっくり降ろしてくれる。
ここは、二週間前に連れて来られた駐車場だ。
あたしは黒い地面に体重を預け、空を見上げていた。
休まず歩いてきたせいかあたしの呼吸はさらに早くなり、体中が脈打っている。
「ハナ……ありがと……」
.
:08/05/15 00:14
:SH903i
:vyDNGB6.
#344 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ハナ……ありがと……」
呼吸の隙間に呟いた。
「ユキ、大丈夫? しっかりして、もう少し下まで行かないと――」
「ちょっとだけ……休憩……させて……」
ハナの言葉を遮ってそう言うと、彼女は「うん」とだけ答えてあたしの左手を握りしめた。
.
:08/05/16 03:36
:SH903i
:kSaLjsmM
#345 [蜜月◆oycAM.aIfI]
冷たい北風があたしの頬を撫でる。頭から流れていた血は止まったけれど、涙と混じって顔中にこびりついていた。
脇腹と左腕が激しい痛みとともに熱を帯びて痺れている。
けれどそんな体の状態に反してあたしの気持ちは晴々としていた。
たった一つの悲しみを除いては。
「ねぇ……ハナ」
.
:08/05/16 03:36
:SH903i
:kSaLjsmM
#346 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「なあに?」
「一緒に……帰れない……かな? ……このまま……逃げられないかな……?」
声を出すのも辛いけれど、どうしてもハナを置き去りにしたくなかった。
あたしの言葉を聞いたハナは悲しげに目を伏せて黙り込んでしまった。
.
:08/05/16 03:37
:SH903i
:kSaLjsmM
#347 [蜜月◆oycAM.aIfI]
>>344
コピペミスです
レス頭の
「ハナ……ありがと……」
↑この部分スルーして下さい(;´д`)
:08/05/16 04:35
:SH903i
:kSaLjsmM
#348 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……ハナは……帰りたくない……?」
弾かれたように彼女はブンブンと首を横に振る。
「じゃ……帰ろう? ……一緒に……お父さんと……お母さんのとこに……」
俯いたハナの目に迷いが浮かぶ。けれどすぐには頷いてくれなかった。
.
:08/05/16 23:12
:SH903i
:kSaLjsmM
#349 [蜜月◆oycAM.aIfI]
下から見上げたハナの頭の向こうに広がる空は、オレンジと紺色が混じり合ってところどころ紫色を滲ませていた。
あたしはどんどん増してくる痛みに耐えながら、ハナの答えを待つ。
沈黙が寒さを募らせる。
あたしが口を開こうとした時、一瞬早くハナが言葉を発した。
「あたし帰らない」
.
:08/05/16 23:12
:SH903i
:kSaLjsmM
#350 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナの苦しげな表情があたしにのしかかる。
頭の中に疑問が渦巻いた。
あたしはそれを解くために重い口を開く。
「……どうして……ねぇ? ……今なら……帰れる……のに……ハナ……お父さんと……お母さん……安心……させたいんでしょ……?」
「あの人が……」
――あの人?
.
:08/05/16 23:13
:SH903i
:kSaLjsmM
#351 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたしを必要としてるから」
ハナのいうあの人、それはあの男のこととしか考えられない。
必要としてる? ただ殴ったり蹴ったりするだけじゃないの?
依然として苦しげな表情をしたハナの向こうの空はオレンジ色を失いつつある。
あたしが険しい顔をしていたからか、ハナは言葉を続けた。
「うちの家族は……幸せだよね? ユキも幸せだったよね?」
.
:08/05/16 23:14
:SH903i
:kSaLjsmM
#352 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナが何を言いたいのか解らず、あたしは戸惑いを隠せなかった。何も言えずにハナの顔を見つめる。
すると、ハナはふっと表情を柔らげてあたしに微笑みかけた。
「あたしは……幸せだって思い込んでただけみたい。ユキとかお父さんお母さんを嫌いなんじゃないよ、大好きなんだけど……大好きだから……」
.
:08/05/16 23:15
:SH903i
:kSaLjsmM
#353 [蜜月◆oycAM.aIfI]
微笑んだまま、ハナの目に涙が溢れ出す。一筋流れた涙が、ポツリ、あたしの頬を濡らした。
「……ハナ……?」
「辛かったの。お父さんとお母さんがユキを可愛がるのも。ユキがお父さんとお母さんに甘えるのも。あたしには無かったから」
.
:08/05/17 23:05
:SH903i
:r2FaV5hA
#354 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナの顔にはさっきまでと同じ微笑みが浮かんでいたけれど、そこには苦しみが混じって見えた。
優しい顔。だけど、恐ろしくもある。
ハナにそんな苦しみがあったなんて、考えもしなかった。
あたしは我が儘な子どもだったと思う。父と母はいつもそれを許してくれた。
.
:08/05/17 23:06
:SH903i
:r2FaV5hA
#355 [蜜月◆oycAM.aIfI]
でもハナはいつもいい子だった。両親の言うことをよく聞く真面目な子どもだった。
おもちゃが欲しくてあたしが駄々をこねても、ハナは何も言わずに下を向いていた。
結局父や母が折れておもちゃを買ってくれることになり、ハナに何がいいかと聞いてもハナは首を横に降って「あたし、いらない」と言うのだった。
.
:08/05/17 23:07
:SH903i
:r2FaV5hA
#356 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはそれがハナだと思っていた。普段から真面目で親に迷惑をかけることのない、しっかりした妹だと。そう思っていた。
それにあたしはハナが羨ましかった。あたしより成績もよかったし、親戚が集まった時なんかに褒められるのは決まってハナだったから。
父や母が親戚からハナを褒められて嬉しそうにしているのがすごく羨ましかった。
.
:08/05/17 23:08
:SH903i
:r2FaV5hA
#357 [蜜月◆oycAM.aIfI]
でもハナは、親戚から褒められることよりも父と母の愛情を欲していたのだ。
両親がハナよりもあたしに多くの愛を注いでいたとは思わない。
けれどハナにはそう思えてしまったのか。
.
:08/05/18 22:09
:SH903i
:eMAjbdcw
#358 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「家族四人でいても、真ん中にはいつもユキがいた。あたしが何か言っても、すぐユキの話になっちゃうでしょ?
お父さんもお母さんもユキの話に夢中だったしあたしの話なんていつも聞いてくれなかった。
あたしがテストで毎回百点とるより、ユキがとった一回の八十点の方がお母さんは喜んでた」
ハナの微笑みは消えない。でもあたしの顔は崩れる一方だった。
呼吸はさらに激しくなり、胸の上下運動は速度を増していく。
.
:08/05/18 22:10
:SH903i
:eMAjbdcw
#359 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あの人にここへ連れてこられるまで気付かなかったの……あたしはあの家にいても独りぼっちだった。誰も必要としてくれなかった」
――違う、そんなことない!
そう言おうとしたけどあたしの声は出なかった。寒さと痛みで唇が動かない。
.
:08/05/19 23:06
:SH903i
:t3uEDHYM
#360 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……でもあの人は、あたしのことだけ考えてくれる。あたしを必要としてくれてる。
あたしがいなくなっちゃうとあの人死んじゃいそうなの」
辺りは真っ暗で、駐車場を照らす街灯が遠くにいくつか見える。
その光はここまで届かず、ハナの表情はよくわからなかった。
でも一定の間隔を置いてあたしの頬に落ちる雫が、ハナが泣いているということを教えてくれる。
.
:08/05/19 23:06
:SH903i
:t3uEDHYM
#361 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……ハ……ナ……」
あたしの喉がやっと音を出した。
「……ハナ……お父……さんも……お母さん……も……あたしも……ハナ……の……こと……大好き……だよ……」
「わかってる」
暗闇の中に、今までの微笑みとは違う、ニッコリ笑った顔が見えた気がした。
.
:08/05/19 23:07
:SH903i
:t3uEDHYM
#362 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「でもね、あたし、あの人のこと心配で仕方ないの……ごめんね、ユキ。……あたしのこと、許してね」
何も、言えなかった。
顔の温度が高まるのを感じ、あたしの目にも涙が溢れ出す。
ハナの涙とあたしの涙が頬の上で同化する。
.
:08/05/20 23:34
:SH903i
:p18Ru3ZA
#363 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの体は泣くことでさらに体力を失い、息は乱れ、喉が鳴る。目を開くのも億劫になり、耳の中には自分の呼吸の音だけが響く。
体の表面に澱んだ液体で膜を張られたように全ての感覚が鈍る。
「……、……。……」
ハナの声が聞こえる、けれどくぐもって何を言ってるかわからない。あたしの耳は息の音しかとらえない。
.
:08/05/20 23:35
:SH903i
:p18Ru3ZA
#364 [蜜月◆oycAM.aIfI]
急に、あたしの体に力が加わる。
ハナがあたしを起こそうとしているようだ。
あたしは抗うでもなく力を入れるでもなく、されるがままだった。
ハナの肩に手を回され背中を抱えられ、再び歩く体勢に戻る。
ハナが歩き出すと、引きずられるようにしてあたしの足は動く。あたしの意思じゃない、ただ体重を支えようとする反射運動だけで進んでゆく。
.
:08/05/20 23:36
:SH903i
:p18Ru3ZA
#365 [蜜月◆oycAM.aIfI]
駐車場からはふもとに繋がる車道と頂上に続く歩道が下と上に向かって延びていた。
薄く開いた瞼の間からは、歩道らしき景色が入り込んでくる。
どうしてふもとじゃなく頂上に向かうのか疑問に思ったけれど、口に出して尋ねるのも辛いほどあたしの体は弱っていた。
.
:08/05/21 18:17
:SH903i
:5BNBitiM
#366 [蜜月◆oycAM.aIfI]
緩やかな登りの細い道。靴の裏に伝わる感触は、コンクリートのそれではなく土の柔らかさがあった。
道の左側は岩肌が剥き出しの崖で、右側は傾斜のついた茂み。
.
:08/05/21 18:17
:SH903i
:5BNBitiM
#367 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナに体を預けてあたしは歩く。が、歩いているという意識は薄かった。ひとりでに動く二本の足が体を運ぶ。
だらんと首を下げて進むあたしの足元は、明るくなり、暗くなり、明るくなる。
頭を少し上げてみると細い道の脇に街灯がひとつあり、三十歩程先にもひとつ、そのまた先にもひとつ。
それが無ければあたしたちは脇の茂みの中に落ちてしまっていただろう。
.
:08/05/21 18:18
:SH903i
:5BNBitiM
#368 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの喉はゼェゼェと音を立て、ハナの方からも微かだけれどハァハァと聞こえてくる。
黙々と歩き続けた。
目的地はどこ? いつまで歩けばいい?
そんなあたしの気持ちに気付かず、ハナは迷いなく進んでゆく。
.
:08/05/21 18:19
:SH903i
:5BNBitiM
#369 [蜜月◆oycAM.aIfI]
痛いくらいの寒さが体を震えさせる。すでに指先は感覚を失っていた。
未だ登り坂の終わりは見えず、あたしたちは街灯の明かりを頼りに夜の山道をひたすら進んでいた。
細かった道幅はさらに狭まり、今ではあたしとハナが並んで歩くのがやっとだ。
ハナは茂み側を慎重に、しかし多少焦りながら歩いているようだった。
.
:08/05/21 19:57
:SH903i
:5BNBitiM
#370 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれどある場所で、ハナの歩みが止まった。
ここは道の途中だろうか?
少し先で街灯が白い光を浮かべている。
再び崩れ落ちるあたしの体を、ハナは同じようにゆっくりと寝かせてくれた。
体は限界に近づいていて、今すぐにでも眠ってしまいそうだ。
ダランと転がるあたしの横にハナがしゃがみ込んで、手を握りしめられる。
「……ハナ……」
.
:08/05/21 19:58
:SH903i
:5BNBitiM
#371 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「お別れだね」
あたしの呼吸の間から、小さくくぐもったハナの声が聞き取れた。
「ヤダ……一緒じゃないと……」
「ごめんね、ユキ。あたしは帰れない」
「……嫌だ……!」
.
:08/05/21 19:59
:SH903i
:5BNBitiM
#372 [蜜月◆oycAM.aIfI]
胸が苦しくなって涙が溢れてくる。
ハナに伝えたいことはたくさんあるのに、声にならない。
「……ハナ……行かないで……」
「ユキ、よく聞いてね」
.
:08/05/21 19:59
:SH903i
:5BNBitiM
#373 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの手を握るユキの力が強まった気がした。
聞こえてくる音が水中にいるように感じさせる。
少し上にあるハナの顔を見つめて小さく頷いた。
「あたしとユキはここで一旦お別れなの」
その言葉に、また涙が溢れる。
けれどあたしは口をきつく結んでまた頷く。
もうこれで最後かもしれないハナの声を、聞き逃す訳には行かなかった。
.
:08/05/21 20:00
:SH903i
:5BNBitiM
#374 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキはきっと助かる。誰か大人の人が見つけてくれて、病院に運んでくれる」
一言も聞き漏らさないように、無心で耳を傾ける。
涙をしゃくり上げる声を押し殺し、ハナの声だけに意識を集中する。
「助かって、目が覚めたら、あたしのことは忘れて。絶対に忘れてね」
.
:08/05/21 20:01
:SH903i
:5BNBitiM
#375 [蜜月◆oycAM.aIfI]
催眠にかけられたように、あたしは空っぽの頭で何を考えることもなく、ただハナの言葉に頷く。
彼女の声があたしの脳を直接震わせる。
「お父さんとお母さんのことは忘れないで、二人を心配させちゃダメだよ? あたしのことだけ、全部忘れて」
忘れる。ハナを、忘れる。
.
:08/05/21 20:02
:SH903i
:5BNBitiM
#376 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたしは一緒に帰れないけど、ユキはあの町で、みんなと一緒に生きてね、あたしの分まで生きて……いっぱい生きてね」
生きる。ハナの分も、生きる。
「それでもし、この先あたしのことを思い出すことがあったら、」
……あったら?
.
:08/05/21 20:04
:SH903i
:5BNBitiM
#377 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……その時は、迎えに来て。あたしはいつまでも待ってるから。何年先でもあたしはあそこで、ユキを待ってるから」
その時、静寂に包まれていた森の中、冬の冷たい空気を震わせて大きな爆発音が響いた。
と同時に真っ黒だった空が一瞬にして真っ白に光る。いや、黄、赤、青、何色もの光が混じり合った明るい空……。
.
:08/05/21 20:04
:SH903i
:5BNBitiM
#378 [蜜月◆oycAM.aIfI]
花火。
それに続いて、いくつもの光の花が空に舞う。体の芯を揺さぶる低い爆発音とともに。
あたしの薄く開いた目に、無限に散らばる光の花びらが舞い込んできた。
花火が弾ける度に、辺りの景色は明るく照らされた。
いきなり現れた花火に驚き目を奪われているハナの横顔も、鮮やかに染められる。
あたしは赤や青の光をうけて輝くハナの顔を見ていた。
.
:08/05/22 00:09
:SH903i
:D09uoF5Q
#379 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「お祭りかな……」
音と光の洪水の中、見つめていた顔がぽつりと呟く。
あたしの頭は体に響く振動と眩しい閃光で朦朧とし始めていた。
ハナの顔がこちらに向けられたような気がする。
.
:08/05/22 00:10
:SH903i
:D09uoF5Q
#380 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「忘れてね、あたしを。でも、あたしはいつでも待ってるから」
再びあたしの体に力が加わる。
けれどあたしはその直後、全ての感覚を断ち切って闇の世界へと旅立った。
.
:08/05/22 00:11
:SH903i
:D09uoF5Q
#381 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナを忘れる。あたしは生きる。
その言葉だけが頭をぐるぐると巡り、あたしの意識は完全に途絶えた。
けれどハナとの最後の会話は、あたしの中にしっかりと刻み込まれていた。
.
:08/05/22 00:12
:SH903i
:D09uoF5Q
#382 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――ハナ……忘れても……忘れないよ……
.
:08/05/22 00:12
:SH903i
:D09uoF5Q
#383 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/22 00:18
:SH903i
:D09uoF5Q
#384 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/22 00:18
:SH903i
:D09uoF5Q
#385 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/22 00:21
:SH903i
:D09uoF5Q
#386 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/22 00:23
:SH903i
:D09uoF5Q
#387 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―Z―
気がつくと、あたしはまた眠ってしまっていた。
ゆっくりと目覚めていく頭に合わせてゆっくりと瞼を開けると、白い光の筋が天井を丸く照らしていた。
それ以外に光は無く、黒い天井に丸く開いた白い穴はさしずめ闇夜に浮かぶ満月のようだ。
.
:08/05/26 01:39
:SH903i
:190zu.A6
#388 [蜜月◆oycAM.aIfI]
首を動かして光の元へと視線を落とすと、寝かされているあたしの右側に懐中電灯らしきものが立てられていて、そのすぐ横にはサトルが座り込んでいた。
あたしが目覚めたのに気付いて、光に薄く照らされたサトルの横顔が笑顔に変わった。
子犬みたいな、無邪気な笑顔。
「あぁ、よかったぁ! ユキ、大丈夫? 体辛くない? すごい熱だったんだよー! あ、ちょっとみせてね」
.
:08/05/26 01:40
:SH903i
:190zu.A6
#389 [蜜月◆oycAM.aIfI]
まだ頭がぼーっとしていて、サトルのたたみかけるような問いかけに一つも答えられないままあたしは口をパクパクさせていた。
そんなことはお構いなしにサトルの手の平があたしの額にピタッとくっつく。
冷たくて気持ちいい。
と思ったらすぐに離れていった。
「まだちょっと熱いけど、さっきよりは下がったみたいだね。よかった! あ、お腹空いてる? なんか食べる?」
.
:08/05/26 01:40
:SH903i
:190zu.A6
#390 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ん……大丈夫、ありがと」
やっと返事できた、と思いながらあたしは体を起こした。
闇に慣れてきた目で部屋の中をぐるりと見回してみて気付いた。
何か物がたくさん置かれて雰囲気は変わっているけれど、間違いない、ここはあたしとハナが監禁されていたコンクリートの箱の中だ。
辺りに置かれているものはよく見えないけれど生活用品――ティッシュペーパーや小さな鍋、ごみ箱などのようだ。ここで人が生活している気配がする。
それに気付いてしまったあたしは心が大きく揺れた。
.
:08/05/26 01:41
:SH903i
:190zu.A6
#391 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――あの犯人の男が今もここで……?
あたしの横にいたサトルが自分のリュックの中をがさごそとかきまわして何かを取り出すと、あたしの手をとって小さな包みを握らせた。
「レモンキャンディ、ユキの好きなやつだよ!」
――サトル……。
.
:08/05/26 01:42
:SH903i
:190zu.A6
#392 [蜜月◆oycAM.aIfI]
昔から好きだったレモンキャンディ。どれでもいい訳じゃなくて、あたしは袋に特徴のある顔をした大きなレモンが描かれたものが一番好きなのだ。
ほっとした。
サトルがついていてくれるならどんな状況でも大丈夫だと思える。
あたしはサトルに謝らなければいけないことがあったのを思い出した。
.
:08/05/26 01:42
:SH903i
:190zu.A6
#393 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「サトル、あたし……忘れててごめんね」
手にレモンキャンディを握りしめたままあたしはサトルの瞳を見つめた。
あたしは物心つく前から同じ時間を過ごした友達を記憶から消していたのだ。
あたしがサトルの立場なら……ショックを受けるに違いない。
「思い出したんだ?」
.
:08/05/26 01:44
:SH903i
:190zu.A6
#394 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「思い出した。……ずっと近くにいてくれたのに、あたし……本当にごめん」
あたしは頭を下げた。
どうしてサトルは自分のことを忘れてしまったあたしの近くにいてくれたのかはわからない。
でも十年もそばにいてくれたのにちっとも思い出してあげられなかったことが申し訳無かった。
「いいんだ、僕のことは。ユキが笑っててくれたら、それでいいんだ」
.
:08/05/26 01:45
:SH903i
:190zu.A6
#395 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう言いながらあたしの顔を上げさせたサトルは、やっぱり笑顔だった。
いつもの笑顔。まぶしく輝く、とびっきりの笑顔。
「飴、食べなよ」
.
:08/05/26 01:46
:SH903i
:190zu.A6
#396 [蜜月◆oycAM.aIfI]
優しく促されて、あたしはコクリと頷くと包みを破ってレモンキャンディを口に含ませた。
舌の上で転がすと、レモンの酸味と飴の甘味が口いっぱいに広がる。
口の奥の方がキュッと縮こまる感じがした。これが大好きなのだ。
サトルが穏やかな表情で見守ってくれていたので、あたしは小さく笑い声を零してしまった。
「おいしいよ」
.
:08/05/26 01:47
:SH903i
:190zu.A6
#397 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ほんとに好きだねぇ。持ってきてよかった!」
へへ、と笑ったサトルにあたしは心の底から感謝した。口では言い表せないくらいだった。
「ありがと、サトル!」
と、気持ちが抑え切れずにあたしは自然とサトルの体に抱きついていた。
サトルは驚いたような短い声をあげたけれど、嫌がることもなくあたしの肩をポンポンと優しく叩いてくれる。
.
:08/05/26 01:47
:SH903i
:190zu.A6
#398 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しばらくそのままの状態であたしたちは抱き合っていた。
あたしはサトルに恋愛感情を持ったことはないし、この先もないと思う。それはサトルの方でも同じだろう。
だからといってサトルに男としての魅力がない訳ではなくて、むしろサトルはモテる方なんだと思うんだけど、今やあたしにとってサトルはほとんど家族みたいなものなのだ。
.
:08/05/26 01:48
:SH903i
:190zu.A6
#399 [蜜月◆oycAM.aIfI]
だからこうやって抱き合っていてもあたしは安心しか感じていなかった。
今の状況はあたしには謎だらけだけど、サトルがいるからパニックにならずにすんでいるのだ。
あたしは気持ちが落ち着くとサトルから体を離してこう切り出した。
「あたしたち、どうしてここにいるの? サトルが勝手に入ったんじゃないよねぇ?」
.
:08/05/26 01:49
:SH903i
:190zu.A6
#400 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは出来るだけ重くならないようにサラっと聞いたつもりだったけど、少し声が震えてしまったかもしれない。
「うーん……」
サトルは何か考えているように視線を漂わせると、急に立ち上がってこう宣言した。
「自分の目で見た方がいい!」
.
:08/05/26 01:49
:SH903i
:190zu.A6
#401 [蜜月◆oycAM.aIfI]
自信満々に言い切るサトルを、あたしは布団の上からぽかんと見上げていた。
「体は? まだ辛い?」
体を屈めたサトルの手の平が再びあたしの額を覆う。やっぱり冷たくて気持ちいい。
「もう大丈夫だけど……見るって何を?」
.
:08/05/26 01:50
:SH903i
:190zu.A6
#402 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「見ればわかるから、ほら、手貸して?」
あたしの額から剥がした手でそのままあたしの腕を掴み、立たせようと体を支えてくれるサトル。
あたしは言われるがままに毛布から這い出してサトルの手に体重をかけた。
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:08/05/26 01:51
:SH903i
:190zu.A6
#403 [蜜月◆oycAM.aIfI]
しかしまだ熱は下がり切っていなかったらしく、立ち上がった瞬間めまいに襲われた。
視界が真っ白になり立っていられなくなったあたしの体を、すんでのところでサトルの腕が支えてくれた。
「ユキ! 無理なら無理って言ってよ! フラフラじゃないか!」
「本当に大丈夫だから、急に立ち上がったからくらくらしただけだよ」
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:08/05/26 01:52
:SH903i
:190zu.A6
#404 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それでもサトルは心配なのか少し怒りながらあたしを寝かせようとしたけれど、なんとかなだめすかして外に出ることになった。
あたしは自分がどのくらい寝ていたのか全くわかっていなかったので今の時間がどのくらいなのか見当もついていなかった。
あたしが布団の横に置かれていた自分のバッグを肩にかけると、サトルもレモンキャンディの入ったリュックを背負ってドアに手を伸ばす。
そこであたしは自分の異変に気がついた。
.
:08/05/26 01:52
:SH903i
:190zu.A6
#405 [蜜月◆oycAM.aIfI]
服が違う。
家を出た時も、もちろん山を登っている時も、あたしは普段から着慣れたフリースパーカーとジーンズを身につけていた。
パーカーの下にはTシャツとトレーナーを着込んでいたはずだ。
しかし今着ているのは、どう見てもジャージである。いや、良くは見えていないけれど、この感触からすると間違いない。
上半身はジャージの下にTシャツらしきものを着せられているようだ。
――なんで……まさか?
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:08/05/26 01:53
:SH903i
:190zu.A6
#406 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがあたしにこれを着せたのだろうか?
恋愛感情を持たないからといってもそうなると別問題で、あたしは一瞬にして顔に血が昇ったように感じた。
「ちょ、ねぇ、サトル、この服……あたしの服、脱がせた?」
目の前にあったサトルの背を軽く叩いてこちらを向かせた。
しかしサトルの顔を見ることが出来なくてあたしは俯く。
.
:08/05/26 01:54
:SH903i
:190zu.A6
#407 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんな気持ちに気付いているのかいないのか、サトルは気の抜けた声で答えた。
「へ? ……あぁ、ジャージ? 貸してもらったんだよ。着替えまでしてもらっちゃって、ちゃんとお礼言わないとね」
「借りた……って誰に?」
「だから、会えばわかるから!」
.
:08/05/26 01:55
:SH903i
:190zu.A6
#408 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そう言って、さっきまでしてくれていたあたしの体の心配はどこへやら、腕を掴まれて外へと連れ出された。
鉄製の錆びたドアがサトルの手で開かれると、外は一面闇だった。
腕を引かれて外に足を踏み出すと、そこは確かにあの場所だった。
今日の夕方サトルと見ていたコンクリートの箱、そして十年前ユキと共に監禁されていたその場所に違いなかった。
.
:08/05/26 01:55
:SH903i
:190zu.A6
#409 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは掴まれていない方の手でサトルの服の裾をギュッと掴んだ。
それに気付いたサトルがその手を優しく握ってくれる。
「安心して、僕を信じて?」
サトルが俯き気味のあたしの顔を覗き込みながらそう囁いた。
あたしの瞳に差し込まれたサトルの視線には、不安など一切無く、むしろ喜びとか楽しさとかそういったものが込められていた。
.
:08/05/26 01:56
:SH903i
:190zu.A6
#410 [蜜月◆oycAM.aIfI]
もちろんあたしはサトルを信じている。信じない理由がない。
だからあたしはサトルに引かれるまま足を進めた。
サトルはコンクリートの箱を取り囲む木々の間に開いたわずかな隙間に体をねじこんでゆく。
.
:08/05/26 01:57
:SH903i
:190zu.A6
#411 [蜜月◆oycAM.aIfI]
夕方の薄暗さとは比べ物にならないくらい真っ黒な闇が辺りを満たしていた。弱々しい月の光がかろうじて数歩先までの景色を瞳に映す。
電灯のひとつもなく、あたしは赤い上着を着たサトルの背中を見失わないようにとそれだけに集中して木々の間を縫い歩んでゆく。
.
:08/05/26 01:57
:SH903i
:190zu.A6
#412 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルとを唯一繋いでいる手の平に温かさを感じる。
真冬の山の中、しかも夜。
寒くない訳がないのに、あたしはその手に感じる温度と興奮からくる熱で寒さを忘れていた。
口から漏れる白い息ごしに赤い背中を見つめながら一歩一歩地面を踏み締める。
その行為だけを繰り返していた。
.
:08/05/26 01:58
:SH903i
:190zu.A6
#413 [蜜月◆oycAM.aIfI]
視線を集中していた赤い背中の前進が急に止まった。
それに倣いあたしも立ち止まると、サトルが顔だけをこちらに向けて小さく囁いた。
「やっと会えるね」
その表情は――暗さのせいで喜んでいるのか悲しんでいるのか判別出来ない。
あたしが戸惑い答えられずにいると、サトルは大きく一歩左に動いた。
繋いでいた手が解かれ、その手は前に進めと促すように先を指差す。
.
:08/05/26 01:59
:SH903i
:190zu.A6
#414 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはサトルの側から離れるのが恐ろしくて、彼の顔を見つめたままその場に立ち尽くしてしまった。
「大丈夫だよ、さぁ」
背中を優しく押され、その力であたしはつんのめりながら二歩、三歩と進んで再び立ち尽くす。
.
:08/05/26 01:59
:SH903i
:190zu.A6
#415 [蜜月◆oycAM.aIfI]
真っ暗な闇の向こうを探るように目を這わせた。
何も見えない。そう思った瞬間、何かが落ち葉を踏み締めた音がした。
急に心臓の鼓動が激しくなる。息遣いも荒くなる。
サトルの方を振り返りたいという思いに駆られたけれど、あたしの目は闇の中の一点に引き付けられていた。
.
:08/05/26 02:00
:SH903i
:190zu.A6
#416 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何か白いもの。
闇の中に白い何かが浮かび上がり、こちらに近づいてくるのが見える。
あたしはすぐ後ろにサトルがいることも忘れて、前方にいる何かから目が放せなくなってしまった。
ガサッ、ガサッ、と音を立てながらだんだんとはっきり見えて来る。
.
:08/05/26 02:01
:SH903i
:190zu.A6
#417 [蜜月◆oycAM.aIfI]
自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
近づいてきたそれは、
……人間だった。
しかも、あたしにはとても見慣れた姿が……そこにあった。
.
:08/05/26 02:02
:SH903i
:190zu.A6
#418 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/26 02:06
:SH903i
:190zu.A6
#419 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/05/26 02:07
:SH903i
:190zu.A6
#420 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―[―
暖かい陽射しが差し込む放課後の教室。
自分達以外に誰もいなくなったその教室で、あたしとサトルは窓際に並べられた席に座って数カ月前のことを思い出していた。
「あの日さぁ、帰ったら父さんと母さんにすっっごく怒られたんだよぅ。まだ覚えてるよ、あの時の父さんの怒った顔」
.
:08/06/07 23:55
:SH903i
:febosBlc
#421 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルが膝の上に置いた通学バッグをドスドスと叩きながら不服そうにため息をついた。
もうすでに三度は聞いた話だ。
「いつまで言ってるの?」
あたしはクスクスと笑いながらサトルの頭をこずく。
「だってさぁ、ホント怖くて……まぁいーや、でもよかったね!」
.
:08/06/07 23:55
:SH903i
:febosBlc
#422 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしがまだ笑い続けているのを見てサトルは話題を変えた。
「うん。……ありがとね、サトル。本当にありがとう」
なんだか照れてしまうけれど、改めて感謝の気持ちを真っすぐに伝えた。
それを聞いたサトルは嬉しそうに笑っている。
あたしは照れ隠しに首から下げたチェーンに通されたシルバーの指輪を指先で弄んでみた。
.
:08/06/07 23:56
:SH903i
:febosBlc
#423 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「そろそろ行こっか!」
前の席の机に腰掛けていたサトルがストンと床に降りて教室のドアに向かって歩き出した。
「そうだね」
あたしも椅子から立ち上がって、サトルの後に続く。
ドアのすぐ横にある電灯のスイッチを切りドアを閉めると、あたしたちはある場所に向かった。
.
:08/06/07 23:56
:SH903i
:febosBlc
#424 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あの冬の日、あたしの目に映ったものは白いセーターを着た人間だった。
髪はほつれロングスカートは泥々。
だけどその顔はあたしのよく知る顔……いや、あたしそのものだった。
信じられなかった。目の前にあたしがいる。
現実に起こり得ないことだというのは解っている。
けれど、あたしはまさか生きているなんて微塵も思っていなかった。
.
:08/06/07 23:57
:SH903i
:febosBlc
#425 [蜜月◆oycAM.aIfI]
……そう、あたしと同じ顔をした、ハナが。目の前にいたのだ。
信じられなかったけれどそれしか有り得ない。
思考がその答えにたどり着いた時には、地面に膝を落としたあたしの体をハナの腕が包み込んでいた。
.
:08/06/07 23:57
:SH903i
:febosBlc
#426 [蜜月◆oycAM.aIfI]
僅かに月の光が辺りを照らす。
木々が立ち並ぶ中であたしとハナは再会を果たした。
あたしは申し訳無さと嬉しさと喜びと感謝と後悔とその他いろいろな感情が複雑に絡まりあって涙を抑え切れず声を上げて泣いた。
ハナはただ黙ってあたしの体を抱きしめている。
後ろからサトルが近づいてくる音が聞こえた。
.
:08/06/07 23:58
:SH903i
:febosBlc
#427 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキ?」
あたしの名前を呼んだサトルの声は優しく、包みこむような穏やかさを感じる。
その温かさに少しずつ気持ちが落ち着いてゆく。
鳴咽が止み、ハナの肩に埋めていた顔を上げるとすぐ側にハナの顔があった。
小さな切り傷がたくさんついた真っ白な肌が痛々しくて、あたしの目にさらに涙が溢れる。
「ハナ……」
.
:08/06/07 23:58
:SH903i
:febosBlc
#428 [蜜月◆oycAM.aIfI]
同じように膝をついたハナの腕があたしの背中から肩に移り、真正面から見つめ合った。
ハナの茶色の瞳は透き通っていて、その純粋な眼差しに全てを見透かされているような気分になる。
堪らなくなってあたしは下を向いて口を開いた。
.
:08/06/07 23:59
:SH903i
:febosBlc
#429 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ハナ……ごめんね、あたしハナを犠牲にして今まで……ごめんなさい、本当にっ……忘れてたのに……あたしだけ……」
ハナに謝りたくて、でもどう伝えれば良いのかわからなくて、あたしは支離滅裂に言葉を吐き出す。
「ユキ、」
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:08/06/07 23:59
:SH903i
:febosBlc
#430 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナの声。
昔より大人びた、でもほとんど変わらない落ち着いた声にあたしは顔を上げた。
「ユキ、いいんだよ」
もう一度あたしの名を呼び、ハナは話し始める。
「ユキは何も悪くない。ユキが負い目を感じる必要なんてないの。
あの時ここに残ることを選んだのは、あたしだから。ユキに忘れさせたのも、あたし。
それにユキは、あたしとの約束守ってくれたじゃない」
.
:08/06/08 00:00
:SH903i
:aqXUJcpA
#431 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「約束……」
「思い出したら迎えに来てね、って。思い出してくれた。こうして今ここに来てくれた。
こんなにフラフラになってまであたしを見つけ出してくれたんだもん」
ハナがあたしの額から頬を優しく撫でる。
目の前の顔は静かに微笑んでいて、暗闇の中でそこだけ輝いているみたいだった。
.
:08/06/08 00:00
:SH903i
:aqXUJcpA
#432 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「……幸せだった?」
ハナの問いかけに胸が詰まる。
ハナが全てを投げ出して忘れ去られていた時、あたしが何不自由ない温かい時間を過ごしていたのは事実なのだ。
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:08/06/08 00:01
:SH903i
:aqXUJcpA
#433 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたしは怖くなかったよ。来てくれると思ってたから。何もかも投げ出したけど、何ひとつ諦めなかった。
ユキがあたしの分まで生きてくれてるって信じてたから、あたしはあの日から今まで、死んでるのと変わりないようなこの長い時間を耐えられた。
楽しかった? 普通の幸せを手に入れた? あたしの分まで全力で生きた?」
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:08/06/08 00:01
:SH903i
:aqXUJcpA
#434 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの目を見ながら一つ一つゆっくりと尋ねるハナの言葉に恨みや妬みは感じられなかった。ただ純粋に、離れていた時間を取り戻したいという気持ちだけがあたしに突き刺さる。
「……幸せだったよ。ハナの分まで、みんなから愛してもらったよ」
あたしの答えを聞いてハナは顔いっぱいに笑みを浮かべた。
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:08/06/08 00:02
:SH903i
:aqXUJcpA
#435 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「もっと教えて、ユキの十年。何が楽しかったか、どんなことがあったか。全部知りたい」
そうだ。
別々に過ごした十年はあたしたちにとって分かち合うべき時間であって、あたしはハナの十年を、ハナはあたしの十年を知らなくちゃならない。
十年の全てを語り尽くすには長い時間がかかるけれど、それはこれから先にたっぷりある。
あたしたちが離れることはもう二度とないのだから。
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:08/06/08 00:03
:SH903i
:aqXUJcpA
#436 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、全部分け合おう。あたしの十年は、ハナの十年でもあるんだもん」
あたしは腕を広げてハナの体を思いっきり抱きしめた。
「ハナ、ユキー!」
叫びながらガバッと抱き着いてきたのはサトルだ。すっかり忘れていた。
ハナとあたしが抱き合っているところにさらに覆いかぶさってきたサトルは号泣している。
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:08/06/08 00:03
:SH903i
:aqXUJcpA
#437 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「よかったー! あぁ〜もうホントによかったー! うあぁぁぁん」
さっきまで静かだったのは我慢していたからのようで、それがはち切れて大変なことになっている。
サトルを自分達からはがして、あたしとハナは顔を見合わせて吹き出した。
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:08/06/08 00:05
:SH903i
:aqXUJcpA
#438 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「もう、サトルはホントに変わらないねぇ」
そんなことを言いながら楽しそうにしているハナを見てあたしは、これは夢じゃないんだと実感していた。
そして。
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:08/06/08 00:06
:SH903i
:aqXUJcpA
#439 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「わぁー!」
「きゃあ!」
急に辺りが光に包まれ、大きな爆発音が響いた。
一瞬にして闇に戻ったかと思うと、再び空から眩しいくらいの光が降り注ぎ地面を揺らすような低い音が届いた。
.
:08/06/08 00:06
:SH903i
:aqXUJcpA
#440 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「花火だ!」
立ち上がって叫んだかと思うと、サトルはもと来た方向へと走り出す。
あたしたちが呆気にとられてその姿を見ていると、くるっと振り返ってパタパタと手招いた。
「二人とも何してるの、早く!」
サトルの焦った声にあたしとハナも慌てて立ち上がり、サトルの後に続いて走り出した。
.
:08/06/08 00:07
:SH903i
:aqXUJcpA
#441 [蜜月◆oycAM.aIfI]
再びコンクリートの箱がある場所へと戻ったあたしたちは、空を見上げて息を飲んだ。
どこから打ち上げられているのかわからない花火は、あたしの視界いっぱいに光の粒をばらまいた。
ぽっかりと木々を失った空間は、まるでその為に用意された特等席であるかのように空を切り取っている。
.
:08/06/08 00:07
:SH903i
:aqXUJcpA
#442 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは言葉を忘れたように、ぽかんと口を開けて明るくなったり暗くなったりする空を眺めていた。
しばらくそうして立ち尽くしていたら、ハナが口を開いた。
「あの時も、花火があがってたね」
.
:08/06/08 00:08
:SH903i
:aqXUJcpA
#443 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そういえば……十年前あたしがここを去った時、意識が途絶える直前に花火が打ち上げられていたんだった。
空に広がった光がハナの顔を照らしていたのをよく覚えている。
「うん」
今、あたしの隣にいるハナは、空の一点をじっと見つめている。
.
:08/06/08 00:17
:SH903i
:aqXUJcpA
#444 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「毎年この時期に花火があがるの。近くで花火大会があるんだと思うけど……。
ユキがいなくなって、何にもなくなったあたしの唯一の楽しみだったんだ、冬の花火」
「ハナ……」
見上げていた顔を隣にいたハナに向ける。
ハナは相変わらず空を眺めている。その表情は生き生きとして、希望に満ちていた。
.
:08/06/08 00:18
:SH903i
:aqXUJcpA
#445 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ハナ、あたし……」
「ストップ! ……今謝ろうとした? さっきも言ったけど、ユキが負い目を感じる必要はないんだよ? あたしがこうなることを望んで選んだんだから」
.
:08/06/08 00:20
:SH903i
:aqXUJcpA
#446 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしの顔を見てそう囁くと、笑顔のハナはまた明るく彩られた空を見上げる。
ハナはあたしが罪悪感を感じることを望んでいない。
それならあたしは謝らないでいよう。
そのかわり、これから先あたしはハナに感謝し続けよう。
ハナがこの十年間をあたしに捧げてくれたように、この先の全てをハナに捧げよう。
それがあたしの返し方だ。
「ハナ、ありがとう」
.
:08/06/08 00:21
:SH903i
:aqXUJcpA
#447 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その第一歩、あたしは感謝を言葉にしてハナに捧げた。
空で弾ける花火に照らされたハナの横顔は、穏やかで喜びに満ちていて美しい。
自分の顔と同じはずのそれは、全く別のものだった。
離れていた十年がそうさせたのだろう。
あたしとハナは見た目こそ同じだけれど、内側には絶対に重ね合わせることの出来ない違いがある。
どうやったって今のハナの気持ちをあたしが理解することは出来ない。
しかし、これから時間をかければ、もしかしたら。
.
:08/06/08 00:21
:SH903i
:aqXUJcpA
#448 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがあたしとハナの周りを跳び回りながら花火に向かって叫んでいる。
あたしはハナの横顔から上空に視線を移し、この先の幸せな未来を明るく瞬く空に思い描いた。
火花が煌めく夜空の向こうに、温かくて希望に満ちた未来がはっきりと見えた気がした。
.
:08/06/08 00:22
:SH903i
:aqXUJcpA
#449 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/06/08 00:25
:SH903i
:aqXUJcpA
#450 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/06/08 00:27
:SH903i
:aqXUJcpA
#451 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―\―
歩道の端に植えられた桜は蕾を膨らませ、その下を歩く全ての人に春めいた空気を味わわせる。
あたしとサトルはバスに乗って街の端にあるマンションに向かっていた。
バス亭からマンションへと続く歩道には間隔を開けて桜の木が植えてあり、枝の間をくぐりぬけて落ちてくる太陽の光が時折あたしの目を眩ませる。
マンションまでは歩いて約二十分。ちょうど半分くらいまで来たところで、あたしは歩きながらセーラー服の上に着ていた黒いカーディガンを脱いだ。
もう、冬は終わったようだ。
.
:08/06/12 05:10
:SH903i
:80/PBkxE
#452 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そしてそれと同時に、ハナを苦しめていた悲劇も終わりを迎えた。
「やっぱりまだ家には戻らないって?」
ふいにサトルがそう尋ねる。
ヒラヒラと桜の花びらがあたしの目の前を横切った。それを目で追いながらあたしは答える。
「うん、まだ……。でも体は良くなってるし、食事の間ぐらいなら一緒に過ごせるようになったし、もうすぐだよ」
.
:08/06/12 05:11
:SH903i
:80/PBkxE
#453 [蜜月◆oycAM.aIfI]
風を受けながら地面に落ちてゆく花びらから視線を外し、サトルに笑顔を見せる。
「そっか。なら良かった!」
嬉しそうに表情を崩したサトルは軽い足取りで桜を見上げながら歩いてゆく。
.
:08/06/12 05:11
:SH903i
:80/PBkxE
#454 [蜜月◆oycAM.aIfI]
悲劇は終わった。
けれど、なにもかもが元通り、という訳にはいかない。
ハナの心に深く刻まれた精神的な苦しみは今も彼女を攻め続けている。
あたしはその傷を塞ごうと、ハナの元に通い詰めた。
ハナの中に残った傷はこの数ヶ月で随分癒えたけれど、時折傷口を広げては血を流し、ハナを苦しませる。
あの犯人の男が、今もなおハナを苦しませているのだ。
.
:08/06/12 05:12
:SH903i
:80/PBkxE
#455 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルが十年振りにハナと再会を果たしたあの時、犯人の男はいなかった。
あの場所にいなかったのでは無く、既にこの世にいなかった。
ハナの言うところによると、男は自分の過ちを悔い、自ら命を絶ったようだ。
しかも、ハナの目の前で。
.
:08/06/12 05:13
:SH903i
:80/PBkxE
#456 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そのことを話した時のハナの様子は、まるで愛した相手がこの世から去ってしまったかというほどに落胆し、絶望し、哀しんでいた。
あたしが両親の元に帰ってから四年ほど後のことらしい。
その四年間で、ハナとあの男の間には他人が踏み入ることの出来ない繋がりが生まれていたのだろう。
四年も一緒に暮らせば誰だってそうなるのかもしれない。
.
:08/06/12 05:14
:SH903i
:80/PBkxE
#457 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれどあたしはやっぱりあの男を許せなかった。
いくらハナがあの男を慕っていたとしても、ハナをここまで苦しませている原因なのだから。
それに、苦しいのはハナだけではない。
父も、ハナと同じか、それ以上に苦しみ悲しんでいるのだ。
ハナは父という人間にあの男の影を見る。
共通するのは、大人で、男で、父親だということ。ただそれだけ。
.
:08/06/12 05:14
:SH903i
:80/PBkxE
#458 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、ハナは父を前にすると苦痛を感じてしまうのだ。
彼女は、犯人の男を憎んでいるつもりも恨んでいるつもりも、ましてや恐怖を感じているつもりもない。
そして彼女自身は自分の父とともに過ごしたいと望んでいるのに、心に残された傷痕が悲鳴をあげて暴れ出す。
長い間共に生活し、そのせいで心の表面は犯人の男を受け入れた。
しかし奥深く、心の深層では男に恐怖を感じているのだ。
そしてその恐怖の対象に、父も入れられてしまった。
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:08/06/12 05:15
:SH903i
:80/PBkxE
#459 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父の悲しみは深く、あたしや母にもそれを埋めることは出来なかった。
そしてまたハナ自身も、会いたいのに会えない、自分の感情と苦しみの板挟みに哀しんでいた。
しかしここ数日の間に、ハナは父と会話し、お茶を飲み、食事をともにするところまで回復していた。
あたしは今希望を掴んでいる。また家族四人揃って一緒に暮らせる希望を。
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:08/06/12 05:16
:SH903i
:80/PBkxE
#460 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルがドアの横のチャイムを鳴らすと、パタパタとスリッパの音が聞こえ、ドアが開かれた。
「お帰り」
「ただいま!」
ハナの出迎えにまずサトルが答えてドアをくぐる。
あたしもそれに続き、今ハナが一人で暮らしている部屋に入る。
.
:08/06/12 05:16
:SH903i
:80/PBkxE
#461 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ただいま。これ、スーパーで買って来たよ。足りないものある?」
一人で暮らしていると言っても、今のハナは一人で外出もままならない。
生活費は両親に出してもらっていて、必要なものがあるとあたしが学校帰りに買って届ける。
初めは母が届けていたけれど、いつの間にか毎日来ているあたしが届けるようになっていた。
「ありがと。……シャンプーと、歯磨粉と……洗剤。うん、大丈夫、完璧だよ」
.
:08/06/12 05:17
:SH903i
:80/PBkxE
#462 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今日もハナの笑顔が見られた。
十年間見ることが出来なかった笑顔を、これから先少しでも多く見ていたい。
あたしはそう思っている。
マンションは五階建てで、ハナは最上階の部屋を使っていた。
ワンルームキッチン付きのあまり広くはない部屋だけれど、荷物が少ないせいか狭くも感じない。
ベッドと、小さなテーブルと小さな引き出し式の棚。その上に電話機があり、洋服なんかはクローゼットにしまってある。
.
:08/06/12 05:17
:SH903i
:80/PBkxE
#463 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「今日は僕が話したげる! ……ユキの失敗話、聞きたい?」
サトルはベッドにもたれながら、隣に座るハナに顔を向けた。
あたしたちはあの時の約束通り十年間を分かち合うべく、この部屋に来ては自分たちの今までに起きたいろいろな話を教え合った。
サトルが来た時はいつも、彼があたしの笑い話や失敗話を披露してくれるのだけれど、あたしは毎回必ず恥ずかしい思いをさせられる。
.
:08/06/12 05:18
:SH903i
:80/PBkxE
#464 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「もういいよ〜あたしの変な話は……あ、サトルの話にしない?」
あたしは仕返しにサトルの恥ずかしい話をしてやろうとハナにニヤリと笑いかけた。
選択を迫られたハナは、あたしとサトルの顔を見比べながら悩んでいる。
.
:08/06/12 05:19
:SH903i
:80/PBkxE
#465 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うーん……どっちも聞きたい!」
まるでサトルのようなハナの答えに、あたしたちは小さなテーブルを囲んで笑いあう。
「じゃあ僕からね! あのねーユキが高校に入学した時に……」
.
:08/06/12 05:19
:SH903i
:80/PBkxE
#466 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしとサトルがお互いの暴露話を次々と繰り出しあたしたちは小さな部屋の中笑い転げていた。
そんな状態に一区切りついた時、ハナがおずおずと切り出す。
「あのね、昨日思い出したことがあるんだ……あの人が死んだ時のこと考えてたら」
さっきまで笑いが溢れていた空気が急にピン、と張り詰めた。
ハナは特に辛そうにするでもなく、必死に記憶を手繰り寄せているようだ。
.
:08/06/12 05:20
:SH903i
:80/PBkxE
#467 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ハナ、無理しないで」
失った記憶を取り戻すのがどれほど難しいか。あたしはよく知っている。
けれどあたしの心配をよそに、ハナは俯き気味に語り始めた。
「いつだったかはっきり覚えてないけど……多分あの人が死んですぐだと思う。あたし、一度家に帰ったの」
.
:08/06/12 05:20
:SH903i
:80/PBkxE
#468 [蜜月◆oycAM.aIfI]
手に持つマグカップに落としていた視線を瞬時にハナへ向ける。
あたしの記憶にそんな出来事は無い。
あたしが驚きに固まっている中、ハナは言葉を続ける。
「でも……そこにいたのは知らない人だった。門にかかった表札も、あたしの知らない名前だった。それで初めて引っ越したんだって知ったの」
――そっか。……前に住んでた家に行ったんだ。
.
:08/06/12 05:21
:SH903i
:80/PBkxE
#469 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家族との再会を夢見て山を下り、懐かしい我が家へたどり着いたのに、それが叶わなかったハナを思うと胸が苦しくなった。
自分の顔が歪むのを止められなかった。
あたしが見つめるハナの顔は、歪んではいないけれど少し哀しさを含んでいた。
「それから電話帳でお父さんの名前を調べて、電話したの」
「え……」
.
:08/06/12 05:21
:SH903i
:80/PBkxE
#470 [蜜月◆oycAM.aIfI]
電話? 家に?
じゃあハナはその後、父と母と連絡を取っていたのだろうか?
しかしあたしは全く知らない。
ハナがここに戻ってからも、そんな話は聞いていなかった。
驚きの目をサトルに投げかけると、サトルも「聞いていない」という風に首を振る。
「夜だった……お父さんが出たの。
引っ越したって何か事情があったのかと思ったから、自分だって言わないで、T小学校の同級生だって……」
「ハナ……っ」
.
:08/06/12 05:22
:SH903i
:80/PBkxE
#471 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナがどんなに家族想いか、あたしは信じられない思いだった。
耐え切れず涙が浮かぶ。
どうしてこんなに優しいハナがあんな目に?
あたしは改めて神様を恨んだ。
膝の上で強くにぎりしめた拳に、ポタリと涙が落ちる。
唇を噛み締め、声を押し殺した。
――あたしが泣いてどうするの? ハナの方が辛いはずなのに……っ!
.
:08/06/12 05:23
:SH903i
:80/PBkxE
#472 [蜜月◆oycAM.aIfI]
涙を堪えようと下を向いて強く目をつむる。
と、ふわりという感触があたしのまぶたを撫でた。
力を抜いて目を開けると、ハナがティッシュペーパーを一枚手にして微笑んでいた。
あたしの涙を拭ってくれたようだ。
「泣かないで、ユキ。ユキが笑っててくれないとあたしもサトルも悲しいよ」
.
:08/06/12 05:23
:SH903i
:80/PBkxE
#473 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その言葉にサトルが頭をブンブンと振って頷く。
それがおかしくて、あたしは泣きながら笑ってしまった。
「んっ……大丈夫、ありがとう二人とも……。ハナ、続けて?」
あたしの目から未だ零れる涙をもう一度ティッシュで拭うと、ハナは続きを話し出した。
「えーと……そう、同級生だって電話して、お父さんが出て……それで、よくわからないままユキちゃんは元気ですかって言ったの。そしたら……記憶はまだ戻らないけど元気だよ、って……。それで、ユキがホントに約束守ってくれたんだってわかったの」
.
:08/06/12 05:24
:SH903i
:80/PBkxE
#474 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナはそこで一度言葉を切り、テーブルに置いていた紅茶に口をつける。
あたしやサトルに返事を求める様子もないので、あたしたちは無言でハナを見守った。
「お父さんの声が懐かしくて……会いたくなって……。でもユキがあたしのことを忘れているなら会いには行けないと思った。それでいろいろ考えてたら……『ユキをよろしくね、お父さん』って言っちゃったの。すぐに電話を切ったけど……それからは寂しくて、何回も電話したくなっては我慢して……」
ハナの口調は最初から最後まで淡々としている。けれどやはり表情は悲しげで、切ない微笑みが浮かんでいた。
.
:08/06/12 05:26
:SH903i
:80/PBkxE
#475 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そんなハナの表情に気を取られる一方で、あたしはハナの話を聞いて何か頭に引っ掛かるものがあった。
「ハナ……それって、あたしが帰ってからどのくらい? 覚えてないかな?」
俯くハナの背中に手を当て、出来るだけ優しく尋ねる。
あたしの考えが当たっていれば、ハナの答えは、四年と半年――。
.
:08/06/12 05:27
:SH903i
:80/PBkxE
#476 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「四年と……半年くらいかな。……あの人が死んだのがそれくらいで、すぐに電話をかけたから」
――やっぱり。
「ハナ」
そう呟いて、あたしはハナの首に両腕を回して抱き寄せた。
ハナの手があたしの髪を撫でる。
「その日、……きっとハナが電話した日だよ。お父さん酔っ払って……すごくイライラしてた……いつものお父さんじゃなくて、何かずっと考えてて……それであたしに昔のことを少しだけ話したの」
.
:08/06/12 05:28
:SH903i
:80/PBkxE
#477 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父は、きっと葛藤していたのだ。
ハナが生きている。
それを知ってしまった。
けれどあたしは事件とハナのことをすっぽりと忘れ去っている。
ハナを探し出しても共に暮らせるかどうか……けれどハナを放ってはおけない。
そうして、苦悩していたに違いない。
そしてあたしに引っ越したという話をしてしまったのだろう。
.
:08/06/12 05:28
:SH903i
:80/PBkxE
#478 [蜜月◆oycAM.aIfI]
その結果父がどう行動したのか、母には話したのか、それらは全くわからないけれどきっと父もそれから約五年半の間、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて来たのだと思う。
「あたしが電話で『お父さん』なんて言わなかったら……お父さんの苦しみを増やすこと無かったのに……」
ハナが苦しそうに小さく漏らした。
「そうじゃない、ハナは悪くない! 自分を責めないで、ハナのせいじゃないから。お父さんもきっとそう思ってるよ」
.
:08/06/12 05:29
:SH903i
:80/PBkxE
#479 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは抱きしめたハナの体をさらに強く抱きながら、ハナに語りかけた。
ハナが何をしたと言うのか。
ここまで自分を犠牲にしてきたのに、まだ自分を責めさせるの?
神様は残酷だ。
あたしはハナの体を抱いている手で撫で、目を閉じた。
神なんて……様付けで崇められているけれど、人間を弄んで喜ぶ変態だ。
あたしは神からもその他全ての悪からも、ハナを守る。
もう、二度と失いたくないから。
.
:08/06/12 05:30
:SH903i
:80/PBkxE
#480 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナがあたしの腕を抜けたのを感じた後に、チャリ、と言う音がした。
「これ……ちゃんと着けてくれてるんだね」
あたしは目を閉じたまま頷く。
ハナが手に取ったであろう物体は、あたしの首から提げられたリングだ。
チェーンを通して肌身離さず着けている。
「ずっと着けててね……あたしとユキはあの人を忘れないでいてあげないと……ダメだから……」
.
:08/06/12 05:31
:SH903i
:80/PBkxE
#481 [蜜月◆oycAM.aIfI]
トン、と胸に重さを感じて瞼を上げると、ハナの体がもたれかかっていた。
顔を覗き込むと、目を閉じて穏やかな顔をしている。
眠ってしまったようだ。
「寝ちゃったね」
サトルが小声で囁きクスリと笑う。
あたしの顔にも自然と笑みが零れた。
静かに寝息を立てるハナを起こさないようにベッドに寝かせながら、あたしは自分の胸が温かくなるのを感じていた。
.
:08/06/12 05:31
:SH903i
:80/PBkxE
#482 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナとこうして普通の、ありふれた楽しい時間を過ごせることがあたしには奇跡みたいに思えていた。
毎日この部屋に来ては尽きることのない思い出を語り合う。
それだけなのに、あたしはそれまで感じたことのない幸福感に包まれていた。
記憶に穴があったせいか、無意識にハナを求めていたせいかはわからない。
けれど今になって思えば、あたしには何かが足りない、何か欠けているという喪失感があったような気がする。
.
:08/06/12 05:32
:SH903i
:80/PBkxE
#483 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けして不幸せだったとは思わない、むしろ両親やサトルに温かく守られてあたしはぬくぬくと生きてきた。
それでも、あたしは心のどこかでこれを――今のこの満ち足りた状態を、欲していたのだと思う。
ハナがいなかった世界と、今ハナが近くにいる世界とは、同じに見えて同じじゃない。
ただハナがこの街に帰ってきたというだけなのにその違いは、あたしの内部に大きな変化をもたらした。
.
:08/06/12 05:33
:SH903i
:80/PBkxE
#484 [蜜月◆oycAM.aIfI]
これが、この状態こそがあたしにとって、そしてハナにとってあるべき状態だと。そう感じている。
心には余裕が溢れ、些細なことにも心を動かされるようになった。目に映る全てのものに感謝の気持ちを持てるようになった。
.
:08/06/12 05:33
:SH903i
:80/PBkxE
#485 [蜜月◆oycAM.aIfI]
ハナが側にいてくれることで、あたしは生きる意味を見出だせたような気がする。
あの時の誓い――この先の全てをハナに捧げるという誓いを、あたしは胸に刻んで過ぎ行く一瞬一瞬を消費してゆくのだ。
それが、あたしの生きるよすがだ。
―了―
:08/06/12 05:34
:SH903i
:80/PBkxE
#486 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/06/12 05:39
:SH903i
:80/PBkxE
#487 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/06/12 05:40
:SH903i
:80/PBkxE
#488 [蜜月◆oycAM.aIfI]
:08/06/12 05:59
:SH903i
:80/PBkxE
#489 [ぁぃチャン]
:08/06/12 23:48
:D902i
:6dAmU67k
#490 [蜜月◆oycAM.aIfI]
>>489 ぁぃチャンさん
コメントありがとうございます!(´;ω;`)
以前から読んでいて下さったようで…すごく嬉しいです!
そこまで褒めていただくと何だか照れ臭いですがw
でも本当に嬉しいですっ。
私にはもったいないほどのお言葉と、最後までお付き合いくださったことに感謝します。
次はまだいつになるかわかりませんが、また読んでいただければ光栄です(´∀`)
:08/06/13 03:49
:SH903i
:cTmdYFDc
#491 [りり]
:09/11/16 20:33
:SH904i
:6aLktzZI
#492 [
]
あげます


:10/02/07 21:33
:SH01B
:axv19xeU
#493 [我輩は匿名である]
最高だ
:11/03/06 01:25
:SH02C
:SNAb5Tjg
#494 [○○&◆.x/9qDRof2]
(´∀`∩)↑age↑
:22/10/07 11:58
:Android
:GR1soPvw
#495 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/07 12:13
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:GR1soPvw
#496 [○○&◆.x/9qDRof2]
yosuga
:22/10/07 12:32
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#497 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/07 12:36
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#498 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/07 12:36
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#499 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/07 12:53
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#500 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/07 12:55
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#501 [○○&◆.x/9qDRof2]
↑(*゚∀゚*)↑
:22/10/17 14:58
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#502 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/23 17:22
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:Oa43ZxSI
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:22/10/25 15:44
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:zH8LnywQ
#504 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#505 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#506 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 15:45
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:zH8LnywQ
#507 [○○&◆.x/9qDRof2]
1
しんでからきづく、大切なひと
僅かな音すらない静けさの中、ゆっくりと意識が戻ってくる。ふわふわと宙に浮いているような奇妙な感覚に包まれて、私は目を覚ました。たった今、生まれ落ちたばかりのように頭がうまく働かず、無心でぼーっと天井を見つめる。
:22/10/25 15:48
:Android
:zH8LnywQ
#508 [○○&◆.x/9qDRof2]
天井とはこんなに低かっただろうか。ちょっと手を伸ばせば触れてしまいそうなほどに近く感じる。いや、実際近いのではないか?と考えが頭を過ぎったりもしたが、正直どうでもよく感じ、あっさりと思考を停止させた。そんなことを考えながら天井を見つめていると、次第に世界に音が戻ってきた。
:22/10/25 15:48
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#509 [○○&◆.x/9qDRof2]
何の音だろう。聞き覚えのある一定のリズムが耳に届く。ぽくぽくぽく。嗚呼、これは確か。木魚(もくぎょ)の音か。そういえば、さっきからお経のような声も聞こえるし、これは夢だろうか。そうでないとするなら、私は葬式中に寝ていることになる。
:22/10/25 15:49
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#510 [○○&◆.x/9qDRof2]
頭が少しずつ機能してきた時、聞き覚えのある母の啜り泣く声が聞こえてきた。.......お母さん?
「うっ、うぅっ.......」
「良枝、」
母の泣き声に次いで、父のなだめるような声が母の名前を呼んだ。お母さん?どうして泣いてるの?お父さん?何があったの?
:22/10/25 15:49
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#511 [○○&◆.x/9qDRof2]
私の声は喉から出てくることはなく、心の中で虚しく響いて消えた。声が、出ない。身体も動かない。母と、その他のいくつかの泣き声とお経だけが耳に届く。
「千恵、」
母が私を呼んでいる。どうしたの?お母さん。答えは返ってこなかった。私の意識は一気に覚醒してきた。先程からずっと続いている奇妙な感覚。
:22/10/25 15:49
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#512 [○○&◆.x/9qDRof2]
身体を取り巻く違和感に、生きた心地がしなかった。言うならば、呼吸しないで生きているような感覚。息苦しい。体は質量を失い、ふわふわとしながらも心臓だけがずっしりと重い。経験したことのない感覚。お母さん。これは夢だよね?現実味がありすぎて、頭が困惑してしまった。
:22/10/25 15:49
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#513 [○○&◆.x/9qDRof2]
夢には思えない、でも夢だと信じたい。私は怖くなった。早く覚めろ早く覚めろ。声が出ない、何故?
早く、早く!
これは夢だ!
身体もっ!
動いて、動いてっ、
動いて!!
:22/10/25 15:50
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#514 [○○&◆.x/9qDRof2]
「千恵…どうして死んでしまったの?」
母の声と共に、私の体は下から弾かれたような強い衝撃を受けた。驚く間もなく、気付いたら動けるようになっていた。あの感覚は消えないものの、いつもと何ら変わりない目覚め。
:22/10/25 15:50
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#515 [○○&◆.x/9qDRof2]
ただ違うのは、目の前に広がる光景だった。目に映ったのは、綺麗に正座しながら泣く、全身真っ黒の知り合いたち。友達から親戚まで、どうやら外にもまだいるようだ。壁には白と黒の幕が垂れ下がり、目の前にはお坊さんがお経を読んでいる。
:22/10/25 15:50
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#516 [○○&◆.x/9qDRof2]
.......ほらね、やっぱり夢だった。現実的すぎるけど、これは夢だ。夢じゃないなら何なのか、教えて欲しいくらいだ。辺りを見渡せば、暗い雰囲気は葬式そのものだった。ちらりと振り向けば自分の遺影が目に入る。一ヶ月前に家族で遊園地に行った時のものだ。
:22/10/25 15:51
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#517 [○○&◆.x/9qDRof2]
写真の中の私は恥ずかしそうにしながらも笑顔を作っている。あぁ、もう。せめて使うならこの写真じゃなくて生徒手帳とかの写真を使って欲しかった。カメラに向けて笑うのが苦手な私は、小さい頃から写真が嫌いだった。自分の照れ臭そうに笑う写真を葬式に使うとは、恐らく父の考えだろう。
:22/10/25 15:51
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#518 [○○&◆.x/9qDRof2]
目が覚めたら「葬式には無表情の写真を使ってくれ」と頼もうと決めた。ふとそんな考えを巡らせていた時、何気なく目をやった私の友達の列の中で、一人の人物に目が止まった。友達の列の最後尾にいる男。見覚えのあるなんてものじゃない。
名前は、西山 孝。
:22/10/25 15:51
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#519 [○○&◆.x/9qDRof2]
同じクラスで私の大嫌いな男で、私のことが大嫌いな男だ。保育園から一緒の幼なじみではあるし、周りからは悪友と言われることもあった。だけど孝の悪ふざけは私からしたら嫌なものでしかない。昔から何かしら頻繁に茶々を入れ、しつこくからかってくる行為の数々には悪意を感じずにはいられなかった。
:22/10/25 15:52
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#520 [○○&◆.x/9qDRof2]
基本無視をする私を見て仲の悪さを悟ってか、最近では悪友呼ばわりも減ってきた。とにかく大嫌いなのだ。それは向こうも認めていた。それなのに、今の孝の表情は何なのか。流石に泣いてはいないものの、すっかり気の抜けた顔をしている。
:22/10/25 15:52
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#521 [○○&◆.x/9qDRof2]
大して興味はないが、孝のそんな表情を見るのはなかなか面白かった。たまにはこんな夢も悪くはないな、と私は心の中で微笑んだ。しばらくして、私は焦りを覚えた。これは現実だ。突然そんなことを思い始めていた。こんな夢は有り得ない。場面は一向に変わる気配はないし、何よりリアルすぎる。
:22/10/25 15:52
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#522 [○○&◆.x/9qDRof2]
では、私が座布団代わりにしているこの棺桶の中に眠る、私そっくりな人物は誰だ。そっくりというか、見る限りでは毎朝鏡で見る私自身だ。じゃあ、やはり夢だろう。私はここにいるし、誰も私に反応しない。これが現実であるはずがない。
:22/10/25 15:52
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:zH8LnywQ
#523 [○○&◆.x/9qDRof2]
だが、ただ一つだけ、私の脳裏に現実的な答えが巡った。もしかして.......
「私…死んだ?」
私の言葉に誰も反応しなかった。私の前で、お坊さんの唱えるありがたいお経は終わりを告げた。家族がお礼をしている姿が映ったが、私はそれどころではなかった。
:22/10/25 15:53
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#524 [○○&◆.x/9qDRof2]
受け入れがたい仮説に、どうしていいかわからなかった。その後、わかったことが二つあった。一つは、やはりこれは夢じゃないこと。もう一つは私は間違いなく死んでいること。最高に現実的な悪夢を見ている訳でないなら、私の姿や声に誰か反応するはずだし、体が浮くことも、人や物を体が突き抜けることもないはずだ。
:22/10/25 15:53
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#525 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は目の前で起きている事実を痛感せずにはいられなかった。ドアノブを握ろうとした私の手が、無抵抗に空を掴んだ。私は小さく溜め息を漏らした。確かにここに存在するのに、触れられない。すでに時計は午後十一時を指していた。
:22/10/25 15:53
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#526 [○○&◆.x/9qDRof2]
ドアという一枚の壁をものともせず、身体は向こう側へと通り抜ける。リビングは、電気も付けていない薄暗さの中、母が静かに泣いていた。譫言のように私の名前を呼ぶ母の姿は痛々しく、胸が締め付けられた。涙が出ない。
:22/10/25 15:53
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#527 [○○&◆.x/9qDRof2]
死人には涙は必要ない、ということか。涙が出ない自分への悔しさと母への申し訳なさが拳を強く握った。
「お母さん.......」
やはり返事はない。私は落胆するように肩を落とした。自分だけ隔離された世界にいるように感じた。
:22/10/25 15:54
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#528 [○○&◆.x/9qDRof2]
「私はここにいるよ、」
母の横に立ってみたが反応は得られなかった。
「お母さん。ごめんね、ごめんねっ…!」
通り抜けないように母を抱きしめる形になるよう身体を合わせた。
:22/10/25 15:54
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#529 [○○&◆.x/9qDRof2]
謝罪の言葉を漏らした途端、その僅かな心の亀裂から溢れ出してきた想いが、波のように押し寄せてきた。
「今まで育ててくれたのに、先に死んでごめん。たくさん愛情を注いでくれたのに、返せなくてごめんっ。親孝行しなきゃいけないのに、最後に悲しませてごめん.......もう一緒の世界に居れなくてごめんっ!」
:22/10/25 15:54
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#530 [○○&◆.x/9qDRof2]
唇を強く噛んで沸き上がる気持ちを抑える。痛みはないが、胸の奥はいつまでもキリキリと痛んだ。母は突然泣き止んで私の身体を突き抜けて立ち上がると、私の抜け殻がある部屋に入って行った。私には、後を追う勇気がなかった。
:22/10/25 15:54
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#531 [○○&◆.x/9qDRof2]
あれ以上、大好きだった母の哀しむ姿を見るのは堪えられなかったのだ。私は、朝までソファに座っていた。
私はようやく完全に現実を受け入れた。自分でも不思議なほど冷静だが、やはり動揺は隠せない。
:22/10/25 15:55
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#532 [○○&◆.x/9qDRof2]
私はまだ十八歳の高校生だし、やり残したことの方が多い。大学受験も残っている。とにかく未練は数え切れない。時間の経過と共に気分は滅入っていく。現実から逃げ出したくなり、どれだけ夢ならいいと願ったか。
:22/10/25 15:55
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#533 [○○&◆.x/9qDRof2]
それでも朝はやってきた。寒さも暑さも感じない朝は、叶わない願いを薄めていった。昨晩から母は私の肉体がある部屋から出て来なかった。家族の姿を見たくない私は、昨日の孝を思い出して興味本意で学校に行くことにした。
:22/10/25 15:55
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#534 [○○&◆.x/9qDRof2]
朝の清々しさなど感じずに私は家を出た。いつもと違わぬ朝。違うのは私が死者だということ。私は学校までゆっくりと歩きだして行った。その道すがらで、自分の死について考えてみた。そこで初めて、死の瞬間をよく覚えてないことに気付いた。
:22/10/25 15:55
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#535 [○○&◆.x/9qDRof2]
それどころか、今までの記憶が曖昧になっていることを自覚する。確かに覚えているはずなのに、小さい頃の記憶はおろか、嬉しかったことや悲しかったことなど、感情的な記憶しかない。最近のことすらわからない。
:22/10/25 15:55
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#536 [○○&◆.x/9qDRof2]
今更ながらやはり夢じゃないかと疑いそうになった。制服を着ていることから、死んだ時も制服を着ていたのではないかと考えた。だとしたら、登下校か学校に滞在している間に事故か事件に巻き込まれたのだろうか。いくら推理しても答えは出なかった。
:22/10/25 15:56
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#537 [○○&◆.x/9qDRof2]
結局思い出すこともなく、学校に到着してしまった。知っている人や知らない人、誰もが私に気付かなかった。中には私の身体を素通りする人もいた。人間の習性だろうか。擦れ違うときについ体を逸らして避けようとして、何度も避ける必要がないことを思い出して苦笑した。
:22/10/25 15:56
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#538 [○○&◆.x/9qDRof2]
教室に着けば、丁度朝のHRが始まった所だった。私はとりあえず教室の一番後ろに置いてある自分の席の辺りに移動することにした。私の席は孝の隣だ。隣の孝を見れば、昨日と変わらず何を考えているかわからない表情で俯いていた。
:22/10/25 15:56
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#539 [○○&◆.x/9qDRof2]
気まずそうな表情をした初老の担任が、教壇に立つと同時に口を開いた。私は孝が気になりながらも、正面に顔を戻した。
「皆さん。すでに知っていると思いますが、先日、桜井千恵さんが下校中に交通事故で亡くなりました」
:22/10/25 15:56
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#540 [○○&◆.x/9qDRof2]
私はそこで初めて自分の死因を知った。担任は教壇から動かずに続ける。
「信号無視の轢き逃げだと警察から聞かされました。犯人は捕まったようです」
それを聞いた私はつい自嘲気味に笑いを漏らしてしまった。信号無視の轢き逃げ、か。我ながら馬鹿らしい死に方をしたものだ。
:22/10/25 15:56
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#541 [○○&◆.x/9qDRof2]
何だか自嘲することで怒りを抑えてる気がした。相手を探して呪ってやろうかとも考えたが、幽霊やら何やらは信じない主義だから断念した。現在の自分の状態はとにかく、考えだけは変える気はない。矛盾しているかもしれないが、それが私の考えだ。担任は長々と私の死について語った。
:22/10/25 15:57
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#542 [○○&◆.x/9qDRof2]
「未来ある若い命が、」
「人生これからという若さで、」
始終、私は他人事のような気がしてならなかった。今一つ実感が沸かず、担任には申し訳ないがあまり感動はしなかった。しばらくして、ようやく話が終わりを迎えた。
:22/10/25 15:57
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#543 [○○&◆.x/9qDRof2]
「では、千恵さんのご冥福をお祈りして黙祷しましょう」
担任の一声で皆が黙祷に入る。ただ、一人だけは違った。.......孝だった。黙祷が始まってしばらくすると、孝は一人だけ首を動かし左を見た。目を細めてただじーっと、私の席を見つめる孝の目は、何故か寂しげに見えた。
:22/10/25 15:57
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#544 [○○&◆.x/9qDRof2]
孝に限ってそんなことはないだろうと思っていたが、実際こうして目の前にある孝の表情は、私の死を悲しんでくれてるのかと思ってしまうほど、言い知れぬ雰囲気があった。午前中の授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが校内に響き渡った。
:22/10/25 15:57
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#545 [○○&◆.x/9qDRof2]
HRの後、授業中の風景に見飽きた私は、欠伸を一つ落とすと教室を後にした。特にすることはなく、ふらふらと校内を散歩したり、よく通っていた図書館に足を運んだりした。そんな風に暇を持て余していて気付けば午前中は過ぎていた。
:22/10/25 15:58
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#546 [○○&◆.x/9qDRof2]
「遅いようで早いなぁ。もう昼休みかぁ」
廊下を歩きながらそんなことを考える。死んでからは時間の進みがやけに遅く感じた。とりあえず教室に戻ろうと踵を返せば早くも廊下に生徒が溢れ出していた。
:22/10/25 15:58
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#547 [○○&◆.x/9qDRof2]
「あれ?」
ちょうどその時、教室を出て来たらしい人物を見付けた。.......孝だ。昼休みなのに弁当も持たず、購買とは反対の方向に歩いていく。一瞬だけ見えた顔は、何だか上の空を通り越して沈んだ表情が伺える。
:22/10/25 15:59
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#548 [○○&◆.x/9qDRof2]
「何してるんだろ、アイツ。非常階段の方に.......屋上に行くのかな」
そこまで呟いてハッと我に返る。
「馬鹿みたい。私、何を気にしてたんだろ。確かに面白いけど、アイツが元気ないと調子狂うんだよね、うん」
:22/10/25 15:59
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#549 [○○&◆.x/9qDRof2]
誰にも聞こえないはずなのに言い訳じみた事を呟いてみた。とにかくこのままでは気に入らないので、私は孝の後についていくことに決めた。
:22/10/25 15:59
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#550 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 15:59
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#551 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 16:00
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:zH8LnywQ
#552 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 16:00
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:zH8LnywQ
#553 [○○&◆.x/9qDRof2]
(続)
「ねぇ、」
コンクリートの踊り場を過ぎた辺りで、孝の後ろ姿に問い掛ける。返事はないと思っていても、気になってしまいつい話し掛けてしまった。吹き抜けの非常階段を上がり、孝は無言のまま屋上に出た。降りてくる太陽の光に目を細める。
:22/10/25 17:15
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#554 [○○&◆.x/9qDRof2]
「ねぇ。何でそんなに元気ないの?」
孝はそのまま足を進め、屋上の中央に腰を下ろす。私もその後に続いて隣に座り込んだ。
「あんた、熱くないの?この炎天下で暖められたコンクリートは、熱いよ。今の私にはわかんないけど」
体育座りに体勢を変えて、孝を見る。
「あんたが元気ないとさ、私が調子狂うんだけど」
:22/10/25 17:16
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#555 [○○&◆.x/9qDRof2]
そこまで言ったところで、一つの疑問が浮上してきた。調子が狂う?私は孝が嫌いだ。嫌がらせをするから。なのに嫌がらせがないと今度は調子が狂う?
.......矛盾している。
違う。私は嫌がらせがないから調子が狂うんじゃない。いつもうるさいくらい元気な孝が、落ち込んでるから調子が狂ってるんだ。そうだ、そうなんだ。少しの無言と少しの葛藤に終止符を打った私は、溜め息を一つ落とした。
:22/10/25 17:16
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#556 [○○&◆.x/9qDRof2]
「ねぇ孝。私が死んで何か変わったことある?孝にとっては張り合う相手がいなくなったみたいなものなのかな。あ、クラスの雰囲気は変わったよね。クラスメートが死んだなら暗くなるのは普通かな?私からしたら、皆には早く明るくなってほしいんだけどね」
:22/10/25 17:17
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:zH8LnywQ
#557 [○○&◆.x/9qDRof2]
空を見上げる。鳥たちが頭上を通り過ぎていく。
「私は、さ」
仰向けに寝転んで言葉を続ける。
「まだ.......死にたくなかったよ。そりゃそうだよね。まだまだ若いもん、未練ありすぎて困っちゃうくらいだし」
:22/10/25 17:17
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:zH8LnywQ
#558 [○○&◆.x/9qDRof2]
孝も私と同じように仰向けに寝転んだ。私は少し驚いて、ぶつからないように体を移動させる。
…何年ぶりだろう。
こうして近くで存在を感じたのは。
昔は普通だった。
これが当たり前だった。
でも気付けば変わっていった。
少しずつ、少しずつ。
:22/10/25 17:17
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#559 [○○&◆.x/9qDRof2]
突然現れたよくわからない溝は埋めることも出来なくて、私は溝を埋めることを諦めた。
歯止めがなくなった溝は時間と共にどんどん大きくなっていって、仲が良かった私たちは小学生中学年の頃には、お互い嫌いな存在として出来上がっていた。
「あれから早いもんだね。もう高校生だよ。でも、私はここまでなんだよね。高校生から上へはいけない」
:22/10/25 17:17
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#560 [○○&◆.x/9qDRof2]
「……」
「なんか寂しいなぁ。私だけ置いてきぼりかぁ」
当然孝からの返事はない。
太陽に雲が掛かった青空は、少し薄暗さを増していた。
「…ねぇ、何か言ってよ」
「……」
上半身を起こして孝を覗き込む。
「ねぇってば!」
無反応が続くと、溜め息をついて自嘲気味に笑う。
:22/10/25 17:18
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:zH8LnywQ
#561 [○○&◆.x/9qDRof2]
馬鹿馬鹿しいことをしたな。
何を望んでいたんだろう。
私はもう死んでいるのに。
久しぶりに孝に話し掛けて、少し感情的になりすぎたのだろうか。
上半身を元の位置に戻していたら、隣から声が零れた。
「……今、俺が」
私は突然の孝の言葉に驚いて勢いよく顔をやった。
「俺が死んだら、千恵はまだその辺にいんのかな」
私は思わず吹き出してしまった。
というか、ここにいます。
孝は突然何を言うのかと思ったら、やはり私のことだった。
:22/10/25 17:18
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:zH8LnywQ
#562 [○○&◆.x/9qDRof2]
概ね、やはり張り合う相手が突然いなくなったのでつまらないのだろう。
それとも事故死した当日も私をからかっていたから罪悪感でも感じているのだろうか。私の隣の男は、小さく息を吐いた。
「なんだか…つまらないな、今日は。からかう相手がいないと、こんなに調子出ないんだな」
「だからって、他の女子いじめないでよ?孝の悪ふざけは度が過ぎてるんだからね」
:22/10/25 17:19
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:zH8LnywQ
#563 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は懐かしい雰囲気に、思わず頬が緩んでしまった。これで孝の元気がない理由がわかった。孝自身は大丈夫だろう。楽観的だから、きっとすぐに男友達と元通りにふざけて生活していくに違いないだろう。しばらくの間、久々の雰囲気を味わっていた私は、昼休み終了のチャイムが鳴るまで青空の下、ずっと孝の隣にいたのだった。
:22/10/25 17:19
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#564 [○○&◆.x/9qDRof2]
孝はチャイムが鳴ると焦ったように立ち上がり、片手で無造作にお尻を叩いた。紺色のズボンから細かい埃が舞い上がり、私の服を通り抜けて力無く地面に落ちていく。そのまま踵を返して足早に教室に戻っていく孝の後ろ姿を、私は虚ろに眺めていた。あれはいつのことだろうか。青空を見上げた私は記憶を辿る。小学校三学年の時、孝と私の関係は壊れた。その学年は、私が生まれて初めて男の子から告白を受けた歳だった。相手は、当時クラスで一番足が速くてムードメーカーだった中川君という男の子だ。
:22/10/25 17:20
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:zH8LnywQ
#565 [○○&◆.x/9qDRof2]
中川君はやんちゃで、日焼けした肌にツンツンと尖った髪の毛が印象的なサッカー少年だった。それは、放課後に日直で残っていた私に対する突然の告白だった。あの頃は免疫もなく困惑したりもしたが、私はそれよりも初めての告白に恥ずかしさでいっぱいだった。
:22/10/25 17:20
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:zH8LnywQ
#566 [○○&◆.x/9qDRof2]
頬を真っ赤に染めて呆然とする私の手から、赤いランドセルが滑り落ちた。
今思えば初々しい反応が子供だったなと微笑ましく感じる。彼は今こそ違う高校に通っているが、街中で偶然逢った時に、あの無邪気な子供っぽさは変わっていなかったと笑った記憶がある。
:22/10/25 17:21
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#567 [○○&◆.x/9qDRof2]
結局その告白は私の恥ずかしさのために断ったのだが、次の日にはクラス中の噂になっていた。男子グループからは冷やかされ、女子からは質問攻めにされた。小学生では足の速さが好感度に繋がるのはよくある話で、中川君はモテる部類だったために女子からの質問には偽りなく答えた。
:22/10/25 17:21
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:zH8LnywQ
#568 [○○&◆.x/9qDRof2]
しかし、小学生だった私には今のように男子グループからの冷やかしに堪える精神は持ち合わせておらず、泣きながら帰って母に学校に行きたくないと困らせたりもした。その時の男子グループの中に、一番仲が良かった孝がいたのだ。
:22/10/25 17:21
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:zH8LnywQ
#569 [○○&◆.x/9qDRof2]
それがきっかけだろうか。以来、孝は率先してグループのリーダーになり、事あるごとに私を冷やかした。初めは私もひどく裏切られた衝動に駆られて傷付いたが、孝を嫌いになっていくに連れて傷はみるみるうちに塞がっていった。
:22/10/25 17:22
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#570 [○○&◆.x/9qDRof2]
時間と比例して塞がる傷は、私の心も一緒に閉ざしてしまったのだろう。ひと月もしないうちに私と孝はお互い嫌いになっていた。そのまま時は流れ、気が付けば高校生になっていた。
時間が進んでも私と孝の関係は変わることはなく、時計はあの小学生時代で止まったまま卒業と入学を二回ずつ繰り返して今に至る。
:22/10/25 17:22
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#571 [○○&◆.x/9qDRof2]
どうして私たちの関係は拗れてしまったのだろう。仲が良かった日々の時計はあの日に止まってしまい、新しい時計が刻み始めたのだろうか。なら、今度の新しい時計もいつか止まるのだろうか。次に動き出す時計にはどんな日々が待っているのだろう。
止まった時計が、もう一度動くことはあるのだろうか。
:22/10/25 17:23
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#572 [○○&◆.x/9qDRof2]
空を見上げる私は不意に込み上げてきた哀しさに胸を押さえ付けられた。
同時に、新しい時計はもう止まっているのだと気付いた。
そして、次の時計はないのだということも。
:22/10/25 17:23
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#573 [○○&◆.x/9qDRof2]
あまりに色々なことが頭に蘇りすぎて、忘れていた。私は、死んだのだ。
あの日の時計は止まったまま、私自身の時計は停止してしまったのだ。家に帰ろう…。私は曇り空を見上げた。
閉められた玄関をくぐると孤独感の波に苛まれた。
:22/10/25 17:23
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#574 [○○&◆.x/9qDRof2]
家には人の気配がなかった。その無人の静けさだけが私の孤独感を増していく。家を歩き回っていると、私はあることに気付いた。私の抜け殻がない。
安置されていた場所に敷かれていた布団も綺麗に片付けられていた。
「火葬場かな」
:22/10/25 17:24
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#575 [○○&◆.x/9qDRof2]
ぼうっと遺体があった場所を見つめる私の口から自然と出た答えに、何故か全身が脱力した。これからどうするかなど、見当も付かない。道標が欲しい。私は壁に寄り掛かると、体育座りで小さく縮こまった。…そういえば。
:22/10/25 17:24
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#576 [○○&◆.x/9qDRof2]
死んだ者は四十九日を使って知り合いに挨拶巡りをすると聞いたことがある。使命ではなさそうだが、私もやるべきなのだろうか。四十九日が終わったら、次には何があるのだろう。疑問は次から次へと出てくる。私は暇潰しも兼ねて挨拶巡りをしようかとしばらく思案したが、自分が火葬されるところなど見たくないと思い断念した。
:22/10/25 17:25
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#577 [○○&◆.x/9qDRof2]
私はこの暇な時間を潰すために街に繰り出すことにした。相変わらず身体の浮遊感や無呼吸のような息苦しさには慣れない。靴が土を踏みしめても何の感触も伝わってこない。風が草木を揺らしても私の肌をくすぐることはない。これからもこの違和感に慣れることはないだろう。
:22/10/25 17:25
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#578 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は太陽の陽射しに目を細めた。街中を歩いていて不思議に思ったことがある。たまにちらりと目が合う人がいるのだ。彼等には私の姿が見えているのだろうか。試しに話し掛けてみるが、ほとんど反応は得られなかった。しかし中には反応する人もいた。
:22/10/25 17:26
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#579 [○○&◆.x/9qDRof2]
ただそれは話し掛ける前に逃げてしまう人たちだった。私は面白くなってつい後を付けたりなど意地悪をした。
ふと、これが取り憑くってことなのかなと尾行しながら自らに対して苦笑いを零した。それと、もう一つ気になったのは猫だ。動物たちは過敏に私に反応する。
:22/10/25 17:26
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#580 [○○&◆.x/9qDRof2]
通り掛かれば首を回してこちらを伺い、近寄れば目を丸くする。中には威嚇する猫もいた。私はここでも悪戯心に駆られて追い回したりした。小さな背中をしなやかに動かして逃げる猫。
久々に得られた感覚に胸を撫で下ろす。
:22/10/25 17:26
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#581 [○○&◆.x/9qDRof2]
私はここに居るのだと。三日前まで当たり前のようにいたその世界が突然愛しく思えた。私はここに居る。まだ、存在している。切なさと哀しさが入り混じる中、私は確かに実感した。日が傾いて街が夜に入り出した頃、私は再び帰宅した。暗闇が濃くなると、ふと私の体が闇に溶けてしまいそうな錯覚に陥る。
:22/10/25 17:27
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#582 [○○&◆.x/9qDRof2]
またもや家には誰もおらず、電気を付けることも叶わない私は暗い部屋の中で家族の帰りを待った。どういう訳か、その日は誰一人として帰ってくることはなかった。一度だけ鳴った電話の呼び出し音が、寂しく響いた。やはりソファで夜を明かすのには慣れない。私は軽い苦痛を感じながらも朝を待った。
:22/10/25 17:27
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#583 [○○&◆.x/9qDRof2]
照り付く太陽が真上に差し掛かった頃、母と父が帰ってきた。昨日の孝の様子を見るために朝は早くに家を出たから、家族とは一昨日の晩から会っていないことになる。三日ぶりの両親の姿は、何だか不思議に感じた。両親は何故か喪服ではなく、普段着であった。
:22/10/25 17:28
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#584 [○○&◆.x/9qDRof2]
父はまるで会社帰りのようにいつものスーツを身に纏っていた。更に不審に思ったのは、心なしか母も父も元気に見えることだった。前向きな両親のことだからいつかは吹っ切れるとは思っていたが、予想よりかは遥かに早い。
私としては少しでも早く明るくなって欲しかったから少し安心した。
「あなた、今日会社はどうするの?」
:22/10/25 17:28
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#585 [○○&◆.x/9qDRof2]
リビングのソファに座る私の横に鞄を落として、母が訊いた。
「今日も休むことにした。大丈夫、会社には連絡してあるからさ。明日から行くよ」
「そう?じゃ、お昼にしましょうか」
ネクタイを解く父の横を通り過ぎて母はキッチンに姿を消した。
ワイシャツ姿になった父は私の隣に腰掛ける。母の鞄を邪魔くさそうに退けると小さく溜め息をついた。
:22/10/25 17:28
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:zH8LnywQ
#586 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:29
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#587 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:29
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#588 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:29
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#589 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:29
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#590 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:29
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#591 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:30
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#592 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしはテレビの電源を付ける父を見ながら、ちょっと前までは自分もこの輪の中にいたんだなあと頬を緩めた。ふとテレビの上にある電子時計が目に入れば、今日は日曜日だと認識する。
:22/10/25 17:45
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#593 [○○&◆.x/9qDRof2]
休日にも仕事があったなんて、お父さんは大変だな。労いの言葉を考えていたら、突然携帯電話が鳴った。この曲は私の携帯だ。父は「何の音だ?」と立ち上がり音源を探し始めた。
「良枝、携帯が鳴っているみたいだけど、おまえのじゃないのか?」
「携帯?いいえ、私のじゃないみたい。この曲、千恵のじゃない?」
:22/10/25 17:45
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#594 [○○&◆.x/9qDRof2]
キッチンから帰ってきた返事に「千恵の?」と呟いた父は何かを思い出したように母の鞄を漁り始めた。
「あったあった」
上半身を上げた父の手には私の携帯電話が握られていた。私の携帯電話はどうやらあの事故から無傷だったようだ。
「千恵の携帯に電話がきてるぞ」
:22/10/25 17:46
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#595 [○○&◆.x/9qDRof2]
着信音が消えると当然のように携帯を開く父に「勝手に見たら千恵が怒りますよ」と母が訝しいげな顔を覗かせた。ごもっともだ。いくら死んだとはいえ、娘の携帯を見るのは失礼だろう。
「それもそうだな…と、おや?」
:22/10/25 17:46
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#596 [○○&◆.x/9qDRof2]
これは…、と父が眉をしかめた。私は不審に思い、父の凝視する携帯を覗き込んだ。
「良枝、確か孝君って男の子が千恵の友達にいたよな?」
そう言う父の横で驚く私。
着信履歴のディスプレイに映し出されていたのは、孝の名前だった。
「ええ、いますけど.......」
それが?と疑問を含ませた母の声。
「どうやら、その彼からだ」
:22/10/25 17:46
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#597 [○○&◆.x/9qDRof2]
ちょうど料理を終えた母は炒飯を両手に抱えてリビングに姿を現した。皿をテーブルに並べ終わると母も父の横から携帯を覗く。
「孝君から?あら本当。珍しいわね。千恵の口から孝の名前を聞いたのは小学校以来だから、何だか久しぶりね」
エプロンで手を拭いながら懐かしそうに目を細める母に、父は小さく笑いを落とす。
:22/10/25 17:46
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#598 [○○&◆.x/9qDRof2]
「そういえば、そんな悪ガキもいたな。何だ良枝、ダメとか言いながら結局おまえも千恵の携帯を見てるじゃないか」
依然として笑いながら言う父に、母はむっとしながら眉を潜めた。
「私はいいんですよ。千恵とはとても仲が良かったですもの。そんなことより、ご飯出来ましたよ。早くテーブルについてください」
:22/10/25 17:47
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#599 [○○&◆.x/9qDRof2]
はいはい、と苦笑しながら携帯電話をソファに置くと、父はテーブルに歩いて行った。わたしの脳裏に孝の姿が過ぎった。どうしたんだろう。私の葬式があった日から、孝のことばかりだ。柄にもなく昔のことを思い出すときも、孝とのことばかり。
:22/10/25 17:47
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#600 [○○&◆.x/9qDRof2]
走馬灯にしては長すぎるし、内容が孝中心すぎる。私は自分に苛々してきた。死んだ時にひどく頭でも打ったのだろうか。人のことでこんな風に悩むなんてこれまでになかった。ましてや相手はあの孝ときた。
:22/10/25 17:47
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#601 [○○&◆.x/9qDRof2]
生前は無視を決め込んでいたような孝に何故今頃?そもそも何に悩んでいるのかすら明確でない。何故か孝中心に物事を考え、ようやく忘れたと思ったらすぐに孝が頭に浮かぶ。この繰り返しだ。原因不明のもどかしさは私の苛々を募らせるばかりだった。どうにも気が治まらない私は、外に出た。
:22/10/25 17:48
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#602 [○○&◆.x/9qDRof2]
孝に直接会うためだ。会って原因を確かめる。聞くことは叶わなくても、糸口くらいはわかるかもしれないと考えたのだ。しかし、何故孝は電話をしてきたのだろうか。私の携帯電話に掛けても誰も出ないのはわかっているだろうに。
:22/10/25 17:48
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#603 [○○&◆.x/9qDRof2]
間違い電話?いや…間違いだったらあんなに長くコールしていないだろうし、さすがに間違いに気付くだろう。では何故?何の目的で?
「……駄目だ」
いくら考えても答えは出て来なかった。久しぶりの孝の家に緊張しているのだろうか。割と近所にあるため、家の位置は忘れていない。不思議な感覚だ。九年ぶりの孝の家。あの頃はよく遊びに行ったものだ。今では曖昧な古い記憶でしかない。
:22/10/25 17:48
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#604 [○○&◆.x/9qDRof2]
「わ、懐かしい…」
私は思わず立ち止まってしまう。白い壁に茶色の屋根。二階建ての西山家は孝と弟、そして両親の四人家族だ。緊張感が沸いて来るのがわかる。玄関をくぐれば記憶にある廊下や家具が迎えていた。お邪魔します、と土足のまま室内へ上がる。全然変わっていない。
:22/10/25 17:48
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#605 [○○&◆.x/9qDRof2]
九年ぶりの孝の家はあまり覚えておらず、玄関から二階の孝の部屋までだけが特に鮮明だった。二階に上がって見覚えのある部屋の前に立つ。懐かしさからか、家にお邪魔してから終始私の頬は緩んでいた。ノックも出来ない私は、するりと部屋に入った。
「…いないじゃん」
:22/10/25 17:49
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#606 [○○&◆.x/9qDRof2]
誰もいない小綺麗な部屋を見渡して溜め息を吐いた。テレビが置かれたせいか、記憶にある部屋より狭く見える。
「暇だし…捜そうかな」
背伸びをしながら呟くと、私は部屋を後にした。とは言ったものの、手掛かり無しでこの広い街から孝を見付けるのは至難の技だ。携帯電話も使えなければ、人に尋ねることも出来ない。孝を避けて九年間も過ごしていたため、習慣も知らないし、居そうな場所など見当も付かない。
:22/10/25 17:49
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#607 [○○&◆.x/9qDRof2]
更に今日は日曜日だから学校は休み。さながら探偵気分の私は現状を悟れば悟るほど、気分は落ち込んでいく。まさに手掛かりゼロだ。とりあえず当てもなく路上を歩きながら、しらみ潰しに捜すことにした。そして、日が暮れたら孝の家で待ち伏せという作戦だ。
:22/10/25 17:49
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#608 [○○&◆.x/9qDRof2]
こんな真面目に策を練ってまで孝を捜してる自分の姿に自嘲気味に笑う。しかし、この探偵ごっこは早くも終わってしまった。孝を捜し始めて十五分。孝の家の近くの公園で目標を発見。私はすたすたと孝に近付いた。
「やっと見付けた」
無反応の孝は悩ましげな固い表情でベンチに座っている。とりあえず私も隣に腰を降ろした。しばしの沈黙。
:22/10/25 17:49
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#609 [○○&◆.x/9qDRof2]
「…暇だなぁ。何か喋ってよ」
もう五分はこの調子だ。
会話すら出来ないんだから、せめて何か行動してくれないと来た意味がない。
「…はぁ」
「…どうしたの?溜め息なんか付いちゃって」
「……」
「ま〜ただんまり?」
「もう、何か喋りなよ。私なんか死んでから独り言ばかりだよ?猫しか遊び相手いないし、つまんない」
:22/10/25 17:50
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#610 [○○&◆.x/9qDRof2]
愚痴を言いながらも、私はわずかに微笑んでいた。孝の隣は居心地が良い。悪ふざけをしない孝は悪いもんじゃないなと、あの屋上でのひと時以来しばしば感じていた。沈黙すら楽しんでいる。
「…二時三十分か」
私が公園の時計を見て呟くと、孝の声とぴったり重なった。驚いて隣に視線を向ければ、孝も携帯電話の時計を見ていた。カチカチと、無造作にボタンを押す孝。
:22/10/25 17:50
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#611 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は先程の電話の件もあってつい画面を覗き込んだ。
「孝。…何考えてるの?」
画面には私の名前と電話番号が映っていた。しばらく停止した後、孝は通話ボタンを押した。ゆっくりと耳に近付けると、呼び出し音が響く。三回…、四回…。
:22/10/25 17:50
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#612 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は出るはずがない、と確信しながら、孝の行動の意味を考えていた。結論、理解不能。八回目を過ぎると、孝は電話を切った。溜め息を吐く孝を横目に、私は少し気まずさを覚えた。
孝が、教室で黙祷の時に見せた、私の机を見つめていた時のあの目をしていたのだ。何を考えているのか…私にはわからない。そう、思っていた。孝の漏らした言葉を聞くまでは。
:22/10/25 17:50
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#613 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:51
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#614 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:52
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:zH8LnywQ
#615 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:53
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:zH8LnywQ
#616 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:53
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:zH8LnywQ
#617 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:53
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:zH8LnywQ
#618 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 17:58
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:zH8LnywQ
#619 [○○&◆.x/9qDRof2]
「.......千恵。おまえはもう帰ってこないんだな、本当に、」
不意打ちだった。
有り得ないと思っていたことが現実に起きた瞬間、わたしは顔に熱が昇るのを感じた。かぁっ、と頬が熱くなる。孝は、わたひを想ってくれていたのだろうか。張り合い相手がいなくなったのを、寂しがってくれていたのだろうか。
:22/10/25 17:59
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#620 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしは初めて見た、孝のそんな姿を。九年前に反発しだした関係が、九年ぶりに修復に向かった気がした。よくわからないが、わたしは気恥ずかしさでいっぱいだった。この感覚は知っていた。昔、体験したことがある。
:22/10/25 17:59
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:zH8LnywQ
#621 [○○&◆.x/9qDRof2]
ランドセルを落としたあの放課後の時と同じだった。自らの熱と、場の空気と、何より恥ずかしさに耐え切れなくなったわたしは、逃げるようにその場を離れた。
わたしは走った。顔の熱は冷める兆しはなく、わたしのスピードを上げた。息切れはしないし、全力疾走なのに思うように速くない。
:22/10/25 17:59
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:zH8LnywQ
#622 [○○&◆.x/9qDRof2]
夢の中の全力疾走のような感じだ。それでも。わたしは走った。息切れはないが疲労感が込み上げてくる。身体が脱力しきって走るのを止めた時、空を見上げれば茜色の夕空が夜を待っているところだった。嗚呼、不思議だ。
:22/10/25 17:59
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:zH8LnywQ
#623 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしは死んだ。なのに。生きていたときより、こころが躍っているような気がする。わたしは怖かった。道標がない未来に怯えていた。突然、影のように闇に紛れて消えてしまうんじゃないかと。突然、煙のように空気に混ざって溶けてしまうんじゃないかと。
:22/10/25 18:00
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:zH8LnywQ
#624 [○○&◆.x/9qDRof2]
だけど、いまは違う。わたしは怖くない。身体が熱い。実際の所、死んでから体温や気温などを感じる機能は遮断されていた。だから熱い、というよりは熱い気がするの方が正しいと思う。どちらにせよ、わたしはいま、赤面しているだろう。わたしの身体を取り巻く熱が引くまでに、かなり時間が掛かった。とっぷりと暮れた夜空の下、わたしは公園のベンチにいた。
:22/10/25 18:00
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:zH8LnywQ
#625 [○○&◆.x/9qDRof2]
さっきの公園とは違う公園。いまにも切れそうな街灯に視線を送りながら、頭を抱える。変わっていない。九年前と。あの頃は子供だった、なんて、笑ってしまう.......わたしいまも子供だ。変わっていない。九年前と。わたしは九年前に、気持ちを置いてきてしまったのかもしれない。
:22/10/25 18:00
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:zH8LnywQ
#626 [○○&◆.x/9qDRof2]
だけど、気付いてしまった。九年もの間、全く気付かなかったことに、わたしは、気付いてしまった。じわりじわりと熱が蘇ってくる。
わたしは、
孝が、
満天の星空の下、わたしはこころの奥底に秘めた気持ちを隠した。暗い暗いこころの奥に。二度と上がってこないように。気付いてしまった以上は、仕方がない。
:22/10/25 18:00
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:zH8LnywQ
#627 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしは死んだのだ。わたしにはもう、道は残されていない。希望はないのだ。失望することがわかっている以上、封印してしまおう。それが良い.......そうしよう。その日、わたしはベンチで夜を明かした。
:22/10/25 18:01
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:zH8LnywQ
#628 [○○&◆.x/9qDRof2]
月曜日の朝になった。退屈とは拷問に近い。孝がいるから学校に行く気もしないし、家に帰る気もしない。わたしはいつか消えるのだろうか。その時は昨日の気持ちも消えていくのだろう。その先には天国か地獄があるのかな。その時は昨日の気持ちも一緒に持って行くのだろう。
:22/10/25 18:01
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:zH8LnywQ
#629 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は初めて自分が女々しいことに気付いた。こうした考えを巡らすのは、隠したはずの気持ちが漏れだしている証拠ではないか。振り出しに戻った気がした。心が空っぽになった気がした。
膝をぱんっ、と叩いて立ち上がる。
「私、これからどうしようかな」
気が重いがとりあえず家に帰ろうか。
ふらふらと家の方角に歩き出した。
:22/10/25 18:01
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:zH8LnywQ
#630 [○○&◆.x/9qDRof2]
家の前に着いた。
玄関先には父と母の姿があった。
「じゃあ、行ってくる」
スーツ姿の父が鞄を下げて手を上げる。
「行ってらっしゃい」
「今日は早めに帰るよ」
父がそう言うと母は笑った。
「早く帰りたい、でしょ?」
「まぁ、そうだな。じゃ、そろそろ行ってくる」
「はいはい。私もこのまま出ますよ」
「…良枝。これから、頑張ろうな」
:22/10/25 18:02
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:zH8LnywQ
#631 [○○&◆.x/9qDRof2]
微笑む父に母はまた笑った。私は何故か違和感を覚えたが、父に「いってらっしゃい。頑張ってね」と声を掛けると玄関に向かった。
リビングに上がると違和感が一気に増した。違う。何かが違う。仏壇に私の写真がない?母の笑顔が頭にちらつく。父の言葉が頭を過ぎる。
:22/10/25 18:02
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:zH8LnywQ
#632 [○○&◆.x/9qDRof2]
「頑張ろうな」
頑張ろうな?
昨日から何かが変だ。
前向きだが、何かが違う。
私は母が家に入って来ないことに気付いた。
:22/10/25 18:02
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:zH8LnywQ
#633 [○○&◆.x/9qDRof2]
母の声が再生される。
「私もこのまま出ます」
出る?何処へ?
何故一昨日帰ってこなかった?
何故一昨日普段着だった?
私は弾かれたように家を出た。
:22/10/25 18:02
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:zH8LnywQ
#634 [○○&◆.x/9qDRof2]
キョロキョロと辺りを見渡せば、彼方に母の後ろ姿が見えた。私は走って後を追った。おかしい。人間の頭で考えるのも変だが、どうもおかしい。私は死んだ。消滅するのはいつだ?三途の川はどこだ?お花畑や血の池地獄にはいつ行くのだ?
:22/10/25 18:03
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:zH8LnywQ
#635 [○○&◆.x/9qDRof2]
それに、まだ見ていない。私という死者が存在しているのに、私以外の死者の姿を。私は何だ?一つの希望が頭に浮かんだ。希望を断たれた時に傷付くのは嫌だが、往生際が悪いのは私の性格だ。だが、私はそれに賭けてみたかった。
:22/10/25 18:03
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:zH8LnywQ
#636 [○○&◆.x/9qDRof2]
私は死んでしまった。だけど、夢くらいは見ても罰は当たらないだろう。
希望くらいは持っても、神様は許してくれるだろう。母の隣を歩いて、やがてある建物に着いた。ここは、
「病院?」
白に統一された建物を見て、私の気持ちは高鳴った。落ち着け、私。まだ早い。答えは母について行けばわかるだろう。施設に入ると、内部を一瞥してから母は受付を済ました。
:22/10/25 18:04
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#637 [○○&◆.x/9qDRof2]
エレベーターで三階に上がると、廊下を通り抜けてある病室の前で立ち止まる。母がドアを開ければ、中は個室になっていた。室内を見た私は、目を丸くした。
「なんで?」
そこには、病室のベッドに身を埋めて眠る私の姿があった。口元には呼吸を助けるためなのか、規則正しい音を出す機械が伸びている。呆然とする私の前で、母はせっせと世話をし始めた。花瓶の水を変えている母を眺めていたら、ふと我に返る。即座に病室の前の名札を見に行けば、桜井千恵と書かれていた。
:22/10/25 18:04
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#638 [○○&◆.x/9qDRof2]
間違いない、私だ。もう一度目を向けると、ベッドの上の私は眠るように胸を上下させていた。予想は当たっていた?私は死んでなかった?夢を見ているのではないか。喜びと同時に疑問も溢れた。母や父が元気になった理由は頷ける。
:22/10/25 18:04
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:zH8LnywQ
#639 [○○&◆.x/9qDRof2]
しかし、私の葬式は確かにあった。ならば、いつ私は生き返ったのだろうか。いやそれより、何故私は肉体に戻れないのだろうか。これは意識不明の昏睡状態というものか。それとも植物状態というものか。それより問題は身体に戻れないこと。私が何度試しても、映画のように魂が肉体に戻ることはなかった。
:22/10/25 18:04
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#640 [○○&◆.x/9qDRof2]
これじゃ…生き返ったなんて言えない。肉体は生き返っても、私の心はこうして死んだままだ。でも、悲しくはない。ようやく希望が見えた。生きているとわかったその時から、私の心の中心はある感情に支配されていた。あの時、奥深くに封印したはずの想いが、いつの間にか溢れ出していた。
.......孝。
:22/10/25 18:05
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#641 [○○&◆.x/9qDRof2]
この数日、孝は悲しんでいただけかも知れないけど、私は変わったと思う。孝には悪いけど、私はもう止まれない。例え希望が断たれても、私は突き進むと決めた。私には、まだやり残したことがある。孝の気持ちを聞いていない。盗み聞きはよくないと思うが、今じゃなきゃ出来ないのも事実だ。私はまた走っていた。
:22/10/25 18:05
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#642 [○○&◆.x/9qDRof2]
学校に行ってみたが今日は孝はいなかった。ならばと家まで押しかけたが生憎の不在。次に所に向かっていた。脱力感は最高潮に達する。もしあそこにいなかったら、私はしばらく動けなくなるに違いない。一歩進む度に孝に近付いているのだろうか。私は鎖が巻き付いたような重い足を踏み出しながら、歩を進める。
:22/10/25 18:05
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:zH8LnywQ
#643 [○○&◆.x/9qDRof2]
やがて足は動かなくなり、そして完全に停止した。
「も…動けない」
膝に手をつきながら顔を上げる。
「けど…間に合った…!」
正面にはあの公園。そしてベンチには大嫌いだった男。私は微笑みながら足を引きずって隣に座った。
「あんたさぁ…いい加減にしてよね。死んでからも私をいじめる気?」
:22/10/25 18:05
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:zH8LnywQ
#644 [○○&◆.x/9qDRof2]
笑ってみせるが、やけに清々しい。孝は静かに正面を見据えつつ、足を組んでいる。馬鹿馬鹿しい。私がこんなに一生懸命なるなんて、生きてた時は思ってもいなかった。だが、悪い気分ではない。
「今日はいつもみたいに退かないからね。答えを聞くまで、粘るよ」
ベンチに身を委ねて空を仰げば、隣から声が響く。
「…不思議な気分だ」
「…え?」
「千恵がいなくなってから、たまに千恵を近くに感じる時がある…」
:22/10/25 18:05
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:zH8LnywQ
#645 [○○&◆.x/9qDRof2]
屋上や公園でのことだろうか。
「…今も」
「…うん」
しばらく沈黙が続く。
小さく息を吐いて次の言葉を待った。
「なぁ…」
私は孝を横目でみる。孝は相変わらず同じ姿勢を保っている。今日はやけに独り言が多いなぁ。いつもより饒舌ではないか。少し黙った孝に私は視線を送り続けた。
:22/10/25 18:06
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#646 [○○&◆.x/9qDRof2]
「俺はおまえが嫌いだったよ」
うん…。
それはわかっていた。世界は灰色に変わる。悲しみも衝撃もない。でも大丈夫。私は、気付いてしまったから。
「……で?」
気付いたから、違うんだと今は信じれる。
「嫌いだって、思ってた。いや、思い込んでた」
:22/10/25 18:06
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#647 [○○&◆.x/9qDRof2]
ほらね、信じることが出来る。
「あの日の延長線.......」
孝は一つ一つ言葉を落としていく。きっと私の高鳴りは最高潮に違いない。
「格好悪いって躊躇っていたら、後戻りが出来なくなっていた」
.......まただ。またあれが来た。気恥ずかしさが心を埋めていく。一刻も早くここから去りたい衝動に駆られる。少しずつ体が熱を帯びる。
:22/10/25 18:06
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#648 [○○&◆.x/9qDRof2]
「でも、今になって俺は…」
でもね、もう大丈夫。逃げ出したりはしない。何より大切なものを見付けたから。
「好きなんだって、気付けたんだ」
そう言い終えた孝は切なそうな視線を空に映した。
「孝…」
私もね、気付いたんだ。孝が、好きみたいだって。だけど、ここまでだよ。私は初めから知っていたのかも知れない、こうなることを。
:22/10/25 18:07
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#649 [○○&◆.x/9qDRof2]
間に合って良かった。最後に、答えを聞けて良かった。
それは。
突然やってきた。身体に暖かさを感じる。死んでから一度も感じなかった温もりだ。身体が小さく細かい光の粒に変わっていく。目に映る景色も白くなり始め、視界の端から崩壊していった。それらの感覚はじわりじわりと私の身体を侵食していく。
:22/10/25 18:07
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#650 [○○&◆.x/9qDRof2]
少しずつ、少しずつ。もう、時間か。どうやら、ようやくお迎えがきたようだ。九年前に止まった時計は、九年の時を経て再び刻み始めた。
十八年間。短いようで長い人生だった。今から行くのは天国だろうか、地獄だろうか。
:22/10/25 18:07
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#651 [○○&◆.x/9qDRof2]
色々あったが、ようやく私の臨死体験は終わりを告げるようだ。
死んでから気付いた大切な人。
もし生き返ることが出来たなら、きっと私は告白することが出来るだろう。でも後悔するのは嫌だから、今言えるだけ言っておこう。
:22/10/25 18:07
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#652 [○○&◆.x/9qDRof2]
今までありがとう。貴方が大好きでした。そして最後に、
さようなら。
薄れゆく意識の中で、私はゆっくりと微笑んだ。
死んでから気付く大切な人
[完]
:22/10/25 18:07
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#653 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:08
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#654 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#655 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#656 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#657 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#658 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#659 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#660 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:10
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#661 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#662 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:11
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#663 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#664 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:11
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#665 [○○&◆.x/9qDRof2]
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#666 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:12
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#667 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:12
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#668 [○○&◆.x/9qDRof2]
『ねぇ、わたしを殺してみて』
その日。
ぼくは、彼女を殺した。
------------------------
『すき』
彼女のくちびるから零れ落ちる言葉は、いつだってぼくだけの鼓膜を揺らす。
『あなたが、すき。例えあなたの気持ちがわたしになくても』
:22/10/25 18:14
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#669 [○○&◆.x/9qDRof2]
『目も、耳も、鼻も指も、ひとつ残らず愛おしい、』
『だけど、一番愛おしいのは、その、くちびる。わたしのそれと触れたとき、わたしはきっと死んでしまうでしょうね』
何故だい?薄く微笑み、彼女に問うた。
『幸福死。信じられないけれど、本当にあるみたいよ。夢のような、現実では有り得ないような、けれど、こころのどこかでそれを待ち望んでいる.......』
:22/10/25 18:14
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#670 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼女の瞳が、熱を持ち始める。
『そして。それが現実に起こったとき、わたしは死ぬの。そう例えば、あなたのくちびるの熱を、わたしのここで感じることができる、とかね』
そう言って彼女は微笑み、人差し指で自分のくちびるに触れた。
『ねぇ、わたしを殺してみて?』
:22/10/25 18:14
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#671 [○○&◆.x/9qDRof2]
五秒後、ぼくはきみを殺した。
まだ息をしているきみのくちびるが、柔らかく、柔らかく微笑んだ。
fin
:22/10/25 18:15
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:zH8LnywQ
#672 [○○&◆.x/9qDRof2]
愛しているんだ、
例え誰が死んだって。
-------------------------
何日もかけて選んだ婚約指輪。君は気にいってくれるかな?君が琥珀色を好きだというのは知っていたけど、なかなかいい物が見つからなかった。だけどこの水色も綺麗だろう?君がよくしてる、ネックレスに似ている。
どんな顔をするだろう。
:22/10/25 18:15
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#673 [○○&◆.x/9qDRof2]
笑って、笑って、笑うだろう。キスをして、抱きしめて。それからやっぱり、琥珀色が良かったわ、なんて言うのかな。想像の中の君は少しふてくされて、だけどとても満ち足りた笑顔で。そして僕は言うんだ。
『結婚指輪は、琥珀色にしよう。』
女性はロマンチックが好きだろう?夜景なんかどうだろう?今日のために洗車もしてきた。そんなことは、言わないけどね。
:22/10/25 18:16
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#674 [○○&◆.x/9qDRof2]
さぁ乗って、未来の話をしよう。
予想通り君は少しふてくされて、だけど幸せそうだった。
幸せにするからね。
そういう僕の言葉に重なるように、白い光と車のブレーキ音が僕たちを包んだ。明るすぎるその光に、助手席に座る彼女の顔が白くなる。明るすぎるよ、彼女の顔が見えないじゃないか。
--- 気がつくと目の前には、見慣れた人の顔。白くはなかった、赤かった。彼女の目は閉じられていた。嘘だろう。この、赤は、なんだ。嘘だろう。ねぇ起きて。
:22/10/25 18:16
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#675 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼女の体を揺さぶろうにも、僕の体も動かない。いくら大声で名前を叫んでも、彼女はぴくりとも動かない。それはまるで、僕の声なんかこの世界に響いていないような、そんな気がして。
動かない、意識だけ。
動けよ僕の躯、動け。
救急車を呼ぶんだ、彼女を助けて。
:22/10/25 18:16
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#676 [○○&◆.x/9qDRof2]
まだ生きてるかもしれない。呼吸の音が聞こえない?僕の耳がおかしいんだ。名前を呼んでも届かない?僕の声が、枯れてるんだ。どうして僕が生きてるんだ。生きるべきは、彼女だろう。お願い神様、僕はどうなってもかまわないから。
ほら左手の薬指。僕が買った指輪はそんな色じゃない
:22/10/25 18:16
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#677 [○○&◆.x/9qDRof2]
抱きしめて、キスしたい。
指輪に関する話を聞いてほしい。結婚指輪は、きっと琥珀色にするから。
彼女の目が、開いた。
生きて、いる。
ありがとう神様、ありがとう。本当にありがとう。これから何があっても僕が彼女を幸せにする。さぁ、元気になって、未来の話をしよう。
:22/10/25 18:17
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#678 [○○&◆.x/9qDRof2]
僕たちこれから、幸せになるんだ。彼女の目が完全に開く。ただ僕だけを映してくれる瞳は、あの日からずっと、変わらないね。良かった、もう大丈夫。体は動くかい?悪いけど、救急車を呼んでもらえる?
:22/10/25 18:17
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#679 [○○&◆.x/9qDRof2]
僕はさっきから、何故だか体が動かない。彼女の目に涙がたまる。嗚呼、心配しないで。意識ははっきりしてるから。君のことずっと、考えられるくらいには。彼女は何か叫びながら、僕の体を揺さぶった。揺れる視界に、君の泣き顔だけが映る。
:22/10/25 18:17
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#680 [○○&◆.x/9qDRof2]
綺麗な瞳だ、泣かないで。覗きこんだその瞳に映るは、僕。真っ赤な色をした、僕。
ああ、死んだのは僕か。
どうりでさっきから、呼吸をしていないと思った。良かった。死んだのが僕で良かった。さぁ降りて、僕という船から。未来の話をしよう。君が幸せになるための話だ。指輪は捨ててくれ。君はやっぱり、琥珀色が似合うと思う。
:22/10/25 18:17
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#681 [○○&◆.x/9qDRof2]
いつか誰かに貰ってくれ。僕以外の、誰かに。神様、神様、ありがとう。
嗚呼、死んだのは僕か。
- end -
:22/10/25 18:17
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#682 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:18
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#683 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:18
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#684 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:19
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#685 [○○&◆.x/9qDRof2]
Bluebird
わたしは。なぜ本を買いに行ったのか?
わたしの通う樫ノ宮(かしのみや)中学校では毎朝、読書時間というものが十五分間設けられている。その時に読む本を買いに行ったのだ。なぜ、この本を選んだのか?これといって欲しい本があったわけではない。
:22/10/25 18:27
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#686 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしは漫画は読んでも、小説のように文字だけで紡がれた物語を読むのは苦手だった。文字の列だけが数百頁にもわたり延々と続いてるだけだなんて考えただけでも瞼が重くなってくる。.......正直、本ならなんでも良かった。
:22/10/25 18:27
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#687 [○○&◆.x/9qDRof2]
そしてこの本に出会ったのは単なる偶然である。店に入るとすぐ、レジの横に新作の本が何種類か並べられていて、なかでも、一際目を引く一冊があった。綺麗なコバルトブルーのカバーには金色の文字で【bluebird】と書かれており、真ん中には翼を広げて今にも飛び立ちそうな鳥の絵が描かれていた。
:22/10/25 18:27
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#688 [○○&◆.x/9qDRof2]
いわば、一目惚れだった。本当は適当に安い文庫本なんかを買って、お釣りで漫画本を買おうなどと考えていたのだがそんなことはもう頭になかった。母は小学校の教師をしている。わたしが買ってきた本をみせると「梨菜が漫画以外の本を買うなんて!」と、びっくりしていた。
:22/10/25 18:27
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#689 [○○&◆.x/9qDRof2]
「に、さん、ページよんで飽きたなんてことにならないといいけどね」と、母は笑ったけれど、そんなことにはならなかった。読みはじめると、止まらなかった。続きが気になって仕方がなかったのだ。朝の読書時間だけにとどまらず、休み時間にも読み、授業中にも読み、放課後も残って読んだ。
:22/10/25 18:28
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#690 [○○&◆.x/9qDRof2]
わたしはどの部活動にも属しておらず、いつもなら真っ直ぐ家に帰っている時間だったが、その日は誰もいない教室で一人静かに読書に耽(ふけ)った。グラウンドで活動するサッカー部と野球部、陸上部の声が教室にまで届いている。同じ階にある音楽室からは吹奏楽部による演奏がきこえてきた。
:22/10/25 18:28
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#691 [○○&◆.x/9qDRof2]
しかしひとたび本に集中すると、まわりの雑音は全て消えさり、無音の空間になるだ。そのせいだろう。話し掛けられていることに全く気付かなかった。
「.......大高!」
ハッとして顔をあげると目の前に同じクラスの奥村くんが立っていた。奥村くんはクラスでもかなり目立つほうで、明るく茶目っ気があり、みんなに好かれていた。
:22/10/25 18:28
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#692 [○○&◆.x/9qDRof2]
当然友人も多く、誰とでもすぐにうちとける。わたしみたいに異性と話すときに緊張して口ごもってしまうということがない。彼みたいな人を世渡り上手、というのだろうなと思った。
「あ、やっと気付いた。さっきから何回も呼んでたんだけどさ、シカトされてるのかと思ったよ」
:22/10/25 18:28
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#693 [○○&◆.x/9qDRof2]
突然話し掛けられ口ごもっているわたしを無視して、奥村くんは近くにあった椅子に腰掛けた。
「その本、今日ずっと読んでるね」
「あ、これ、面白いんです」
「だよね、俺も読んだことあるんだ」
「え?」
意外だ、と思った。
「俺、その著者好きなんだよね。知ってる?その人、この樫ノ宮町出身なんだぜ」
:22/10/25 18:29
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#694 [○○&◆.x/9qDRof2]
読み途中のページに指をはさみ、本を閉じて表紙をみた。金色の文字で【永原 愛(ながはらあい)】と印刷されている。奥村くんは【永原愛】について色々な話を聞かせてくれた。
「すごく詳しいんだね。ストーカーみたい」
決してほめたわけではないのだけれど、奥村くんは得意げにふふん、と鼻を鳴らした。
:22/10/25 18:29
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#695 [○○&◆.x/9qDRof2]
家に帰ると、母が調度夕飯の支度を終えたところだった。テーブルの上には父と母とわたしの三人分のサバの味噌煮が並べられていた。サバの味噌煮は父の大好物である。
「あ、梨菜お帰り。ご飯できたからお父さん呼んできて」
「.......わたし、あんまりサバってすきじゃないんだよね」
「いいから早く呼んできなさい!」
:22/10/25 18:29
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#696 [○○&◆.x/9qDRof2]
渋々階段を上がり、父の部屋のドアをドンドン、と叩いた。
「お父さん、ご飯だよ!」
返事はない。今度はドアを開けて呼んだ。なにやら机に向かって読書でもしていたらしい。父は読書家で、部屋には専用に大きな本棚があるのだが、中に入りらない沢山の本が床に積みあげられていた。
:22/10/25 18:29
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#697 [○○&◆.x/9qDRof2]
父が読んでいた本は見覚えのあるコバルトブルーの表紙だった。父もわたしと同じように、読書に夢中になるとまわりが聞こえなくなるのだろう。その時、改めてわたしはこの人の子供なのだと思った。
「お父さん、ご飯出来たってば!」
父はびっくりしたように振り返り、立ち上がった。
:22/10/25 18:29
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#698 [○○&◆.x/9qDRof2]
「.......いま、いくよ」
読みかけのページにボロボロのしおりを挟み本を閉じた。そのしおりはアサガオの押し花で作られていて、わたしがちいさい頃から父はいつもそのしおりを大事そうに使っていた。
「手紙を出してみようと思うんだけど」
:22/10/25 18:30
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#699 [○○&◆.x/9qDRof2]
あの日の放課後以来、わたしと奥村くんは急激に仲良くなっていた。奥村くんと向かい合って座り、 彼はなにやらわたしの机に落書きをしている。
「永原愛に?」
うん、と頷いた。
「俺も何回か出したことあるよ」
「返事は?」
「くるわけないだろ」
:22/10/25 18:30
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#700 [○○&◆.x/9qDRof2]
チャイムがなり、先生が教室に入ってくると奥村くんは気だるそうに自分の席に戻っていった。机には先程の落書きが残されていた。
“ころされる”
特に気にもとめず、消しゴムで文字を消した。
永原愛から返事がきたのはその一ヶ月後のことだった。
:22/10/25 18:30
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#701 [○○&◆.x/9qDRof2]
梨菜さんへ
心のこもったお手紙ありがとうございます。永原愛です。私は昔樫ノ宮町に住んでいたことがあります。父の日になにか手作りのものをプレゼントをしたいだなんて、仲が良いのですね。私は小学生の頃、庭で育てていた朝顔を押し花にしてしおりを作り父にプレゼントしました。
:22/10/25 18:30
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#702 [○○&◆.x/9qDRof2]
とても喜んでくれたのを覚えています。梨菜さんの気持ちがこもっていれば、お父さんは何を貰っても喜んでくれると思いますよ。
永原愛
その後、何通かやりとりは続き、奥村くんにはそのことを話さないまま樫ノ宮中学校では夏休みに突入した。
:22/10/25 18:31
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#703 [○○&◆.x/9qDRof2]
その日は夜遅くまで漫画を読んでいたせいか、目が覚めたころには十三時を回っていた。階段を下ると父がリビングのソファーに腰掛け読書をしている。わたしに気がつくと、父は読書を中断し、立ち上がった。
「今日は随分遅いな。お腹空いたろ。ご飯どうする?」
「適当に食べるよ、それよりお父さん今日は仕事休みなの?」
:22/10/25 18:31
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#704 [○○&◆.x/9qDRof2]
「あぁ、急に休みになったんだ」
きれいに掃除されたテーブルの上には、コバルトブルーの本とボロボロのしおりだけが置かれている。
「ねぇお父さん、私がまだ小学校にあがるまえ勝手にお父さんの部屋にはいった事があったよね。本を積み上げて遊んでいたらその朝顔のしおりを折っちゃって酷く叱られた。普段怒らないお父さんが、あの時はすごく怖かったんだ」
:22/10/25 18:31
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#705 [○○&◆.x/9qDRof2]
「そんなこともあったかな。覚えていないよ」
窓から生ぬるい風が入ってきて、風鈴が、チリンと涼しげな音をたてた。
「ねえお父さん.......その朝顔のしおり、どうしたの?」
蝉のなきこえがやけに煩く感じた。.......永原愛から手紙が届いた。
:22/10/25 18:31
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#706 [○○&◆.x/9qDRof2]
しかし永原愛というのは単なるペンネームであり、本名は別にある。はじめてその名前を聞いたのは、本を買った翌日の放課後だった。奥村くんが永原愛は男性なのだと教えてくれた。女性の名前で本を出す男性作家は少なくないらしい。
:22/10/25 18:31
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#707 [○○&◆.x/9qDRof2]
手紙には、自分は男なのだということと、八月二十日に仕事の取材でこの樫ノ宮町に三日ほど滞在するので、もしよければ会いませんか、とのことだった。
.......断る理由などなかった。当日、駅の改札で彼が出てくるのを待った。彼がのっている新幹線が到着し、たくさんの人が改札口を出てわたしの横を通り過ぎていく。
:22/10/25 18:32
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#708 [○○&◆.x/9qDRof2]
そんな中、ひとりの男性と目が合う。身長は、百八十近くありそうだ。細身で若干眠そうではあるが整った顔立ちをしている。左手には黒いアタッシュケース、右手にはココアの缶を握っていた。わたしはまっすぐ彼のもとへ歩み寄り、彼もまたわたしに歩み寄ってきた。
「夏生さんですよね」
:22/10/25 18:32
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#709 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼は一瞬眠そうな目を大きく見開きびっくりしたような表情をした。
「.......はは、まいったな」
俯き加減に頭をポリポリとかくと、ココアの缶を捨てアタッシュケースを指差した。
「一旦、荷物をホテルに起きにいきたいんだが、どこか喫茶店で待っててくれないか」
「付いていきます。ビジネスホテルだろうが、ラブホテルだろうがどこへでも」
:22/10/25 18:32
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#710 [○○&◆.x/9qDRof2]
「.......やめてくれよ、シャレにならない」
彼は和やかな風を装っているが、どこか謎めいた雰囲気を持っていて、わたしには彼がそれを懸命に隠そうとしているように思えた。そうしてわたしたちは駅を出て、タクシー乗り場に出た。
「本当にくるの?」
「勿論行きますよ」
:22/10/25 18:32
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#711 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼は困った様子だった。それでもわたしは、どうしても彼と二人きりになりたかった。
「.......まぁいいか」
タクシーで彼の宿泊するホテルへ向かう。カウンターで受け付けを済ませ、自販機でココアを買ってくれた。あったかい。部屋につき、直ぐにわたしたちは並んでソファーに座った。
:22/10/25 18:33
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#712 [○○&◆.x/9qDRof2]
「いい部屋ですね。小説家というのは儲かるんでしょうか」
「君も小説家になるか?」
「無理ですよ。わたしにはそんな才能ないです」
「そうかな?同じ父親の血をひいてるんだ。君にも少なからず小説家の才能があるかもしれないぜ」
:22/10/25 18:33
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#713 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼はココアをずずっと音を立ててすすった。蝉の鳴き声さえ届かないこの部屋に静寂がたちこめる。
「あなたは、最初から知っていたんですね。私が、あなたの父親である大高秋人と再婚相手との間に出来た子供だって」
「.......知っていたよ。だから君からファンレターが届いたときは心底びっくりした」
:22/10/25 18:33
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#714 [○○&◆.x/9qDRof2]
「父を、大高秋人を恨んでいますか?」
「勿論恨んでいるよ。あの人のせいで母は自殺未遂までした。結局離婚したけど、母はまだあの人を愛していたんだ。そして僕が君と同じ中学二年生のとき、ついに母は自殺した」
:22/10/25 18:33
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#715 [○○&◆.x/9qDRof2]
「.......父から聞きました。母は、わたしの母は今でも教師として働いています。わたしに会おうと言ってきたのは、わたしの両親への復讐のためなのですか」
「そうだ、と言ったら?」
「煮るなり焼くなり好きにしてください。わたし、殺されてもいい覚悟で今日ここへ来たんです」
:22/10/25 18:34
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#716 [○○&◆.x/9qDRof2]
「.......ひとつ聞かせてくれよ。君はいつから俺の正体に気付いてた?」
「つい最近です。父は、いまでもあなたから貰った押し花のしおりを大事に使っているんです」
「.......本当は。今日君に僕の正体を明かし、殺してやるつもりだった。俺が、血の繋がるたった一人の母親をなくしたように、あいつらに大事な一人娘を失う悲しみと苦痛を与えてやりたかった」
:22/10/25 18:34
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#717 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼は泣いていた。わたしは両親を恨んだ。もしもわたしが、大高秋人と早川あゆみの子供じゃなかったら、少しでも彼のこころを癒してあげられたかもしれない。もしもわたしが血を分けた妹じゃなかったら、彼に対して抱いてしまったこの感情も報われることがあったかもしれない。
:22/10/25 18:34
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#718 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼の細い肩にそっと触れる。その瞬間、揺さぶられるような衝撃を受け、後ろに倒れた。手首を強く握られ、押し倒されていた。
「あの人がまだしおりを持っていたのは予想外だった。復讐なんかしたところでどうにもならないことなんてわかってる。それでも、俺は幸せそうに、のうのうと生きてるあいつらに復讐しないと気がすまないんだ」
:22/10/25 18:34
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#719 [○○&◆.x/9qDRof2]
これは彼なりの復讐なのだろう。
その日、二人は罪に堕ちた。
彼の熱が、わたしの中で溶けていくのを感じた。
わたしは三日間彼と行動を共にした。次の作品ではこの樫ノ宮町をモデルとした舞台で小説を書くのだそうだ。
:22/10/25 18:34
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#720 [○○&◆.x/9qDRof2]
「父に会っていかなくていいんですか」
わたしたちは、彼が昔、猫を埋めたという場所にいた。途中で買った花を添え、二人で手を合わせる。
「君の貞操を奪ったって言ったらあの人はどんな顔をするんだろうね」
「.......父は、あなたが小説家になったことを知っていると思います。父の部屋には永原愛の小説が全て揃えてありました」
:22/10/25 18:35
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:zH8LnywQ
#721 [○○&◆.x/9qDRof2]
「はは、まぁ偶然だろ。俺は、あの人たちに会うつもりはないよ」
三日という時間はあまりにも短く感じた。駅のホームで、帰りの新幹線がくるのを待ちながら、二人でココアを飲む。駅のなかは蒸し暑く、汗で肌はじっとりとぬれている。.......彼はもう二度とわたしには会ってくれないだろう。
:22/10/25 18:35
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:zH8LnywQ
#722 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼にとって、わたしなど憎むべき存在でしかないのだ。やがて新幹線が到着したことを知らせるアナウンスが流れた。
「梨菜、さよなら」
そう言い残し彼の背中は人混みの中へ消えていった。目頭が熱くなり、涙が溢れてとまらなかった。
:22/10/25 18:36
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:zH8LnywQ
#723 [○○&◆.x/9qDRof2]
「お兄ちゃん!」
悲痛なわたしの叫び声は駅中に響いても彼のこころにとどくことはなかった。
お兄ちゃん。
どうか、幸せになって。
:22/10/25 18:36
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:zH8LnywQ
#724 [○○&◆.x/9qDRof2]
いつか素敵な女性と結婚し、あなたが子供の頃夢見た理想の家庭を築いてください。家族というのは悪いもんじゃないんだってことをどうかあなたにだけは知ってほしいのです。
BLUE BIRD[完]
:22/10/25 18:36
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:zH8LnywQ
#725 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:36
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#726 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:37
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:zH8LnywQ
#727 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:37
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#728 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:37
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#729 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:37
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#730 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:37
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#731 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:38
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:zH8LnywQ
#732 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:38
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:zH8LnywQ
#733 [○○&◆.x/9qDRof2]
Dear my dear.
and
I love you.
-------------------------
:22/10/25 18:46
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:zH8LnywQ
#734 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 18:47
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:zH8LnywQ
#735 [○○&◆.x/9qDRof2]
腐女子「あれ?ここドコ?」
「.......なぜ、私はお花畑にいるのでしょうか」
今日は新しいBL本が届くから、ワクワクテカテカしながら、学校から帰っていたはず。.......それがなぜ?
まさか、誘拐?いや、それはないか。高校生なんてデカイ対象をわざわざ狙わないだろう。だとしたら、帰り道に事故で?これって、死亡フラグどこらか.......死亡?わたしご臨終?
「嫌ああああぁぁぁ!どうしよう!まだBL本とか卑猥なCDとか腐的要素たっぷりのモノを処分してないよおおおぉぉお!」
:22/10/25 19:23
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:zH8LnywQ
#736 [○○&◆.x/9qDRof2]
あれらを見つけた両親の顔を想像しただけで。サーッと顔から血の気が消え失せた。ちなみに新しく購入した本は、眼鏡をかけた軍服青年の手に、これまた軍服を着た爽やか青年が口づけているという表紙のファンタジー系である。タイトルは『聖なる君主に祝杯を』だったはず。
:22/10/25 19:23
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:zH8LnywQ
#737 [○○&◆.x/9qDRof2]
ファンタジーというだけあり、背景はヨーロッパのような豪華な部屋で、これから何かをやらかすといった雰囲気が見てとれた。それに期待したのが購入理由である。
「そんな説明してる場合じゃなかった!」
とりあえず冷静になろう。花畑の他に何か見えないかと目を凝らした。だが、どうしてだか遠くの方がぼやけてしまって見えにくい。眼鏡が壊れてしまったのだろうか。
:22/10/25 19:24
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:zH8LnywQ
#738 [○○&◆.x/9qDRof2]
慌てて眼鏡に手を掛けようとしたが、何の感触も掴めぬまま空をきった。眼鏡がない!何かの拍子で落ちたのかもしれない。眼鏡眼鏡と連呼しながら色とりどりの花を掻き分ける。だが、一向に眼鏡を見つけることは出来なかった。焦りと不安だけが積み重なってきて、潰れてしまいそうだ。
「眼鏡ってこれですか?」
:22/10/25 19:24
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#739 [○○&◆.x/9qDRof2]
「あっ!それです!それなんです!ありがとうございます!もうなくしてたらどうしようかと思いました!」
手渡された眼鏡を受け取り所定の位置にかけ直す。どうやら壊れてはいないみたいだ。あー良かった。これで一安心.......
一安心?
まさか人がいたなんて思いもしなかった!
「ごめんなさい、ごめんなさい!怪しい者じゃないんです!私は良い腐女子だよ!バイエルンに親戚はいないけど撃たないでー!」
:22/10/25 19:24
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#740 [○○&◆.x/9qDRof2]
とっさにイタリア人の常套句を使ったが、それが面白かったのか相手は柔らかに笑った。
「いえ、俺の方こそ驚かせてしまったみたいで…すみません。撃ちもしませんし、捕まえもしませんから安心してくださいお嬢さん」
お 嬢 さ ん だ と !
なんて甘美な響きなんだ!
:22/10/25 19:24
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#741 [○○&◆.x/9qDRof2]
彼氏いない歴=年齢の私を一瞬でメロメロにした男性は、背が高くレモンが似合いそうなフレッシュな人だった。そういえば異国の服を着ている。コスプレ?
「あのっ!つかぬことをお聞きしますが、一体それは、何のコスプレなんですか?できればキャラクターの名前も!」
白いシャツにワイン色のネクタイ。上は深い緑色で金のボタン。ウエストあたりを黒革のベルトで締めている。ズボンも同じ色で、脛をゲートルで巻いている。見たことのない衣装だ。何かのゲームキャラだろうか。
:22/10/25 19:25
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#742 [○○&◆.x/9qDRof2]
「コス…?この服はアルディナ国のミスリル城に仕えてる者に支給される服ですよ。階級が高い人はまた違ってきますが。あ、申し遅れましたね。俺の名前はキース・ウィルダム。キースと呼んでください、お嬢さん」
それなんてRPG?
アルディナ国…。
:22/10/25 19:25
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:zH8LnywQ
#743 [○○&◆.x/9qDRof2]
そんな地名があるゲームがあっただろうか。ニンテドーにもナコにも、ましてやSEGにだってないかもしれない。だとするとスクアニックスか…?いやもしかして漫画か…?私もまだまだ修行が足りないようだ…。日本の萌え産業は日々進化している。私が知らないことなど、きっとたくさんあるのだ。私はふっと自嘲するように笑った。
「あの、お嬢さん?お嬢さんのお名前は何て言うんですか?」
「名前?」
:22/10/25 19:25
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:zH8LnywQ
#744 [○○&◆.x/9qDRof2]
萌えの前にただただ無力な私は自暴自棄になっていた。
「フッ、わたしは男性同士の恋愛を食い物にする、ただの腐女子さ」
「腐女子さんっていうんですか?変わったお名前ですね!まぁ、立ち話もなんですし、城の中へご案内いたします。どうぞこちらへ」
:22/10/25 19:25
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:zH8LnywQ
#745 [○○&◆.x/9qDRof2]
腐女子というのは名前ではなく、職業みたいなものなのだか.......うん?城、だと?.......眼鏡をかけ正常な視力を取り戻した私は息を飲んだ。途切れた花畑の先には城がそびえ立っていた。あの有名なネズミの国にある城よりも大きい。中世ヨーロッパにでも迷いこんでしまったかのようだ。
「いやー、近々視察の方がいらっしゃるとは聞いていましたが、まさか女性だったなんて思いませんでした」
:22/10/25 19:25
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:zH8LnywQ
#746 [○○&◆.x/9qDRof2]
あまりの事に私は言葉を失った。何がどうなっている!頭は混乱しているが、本能的に分かることが一つだけあった。
ココ日本ジャナイヨー。私があまりの事に白目をむいているのに、キースさんは「紅茶がいいですか?それともハーブティー?」などと暢気に聞いてくる。はっと我に返り、私は思い出したように口を開いた。日本じゃないってことは、外国なのか?
:22/10/25 19:26
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:zH8LnywQ
#747 [○○&◆.x/9qDRof2]
でもアルディナ国なんて聞いたことがない。そもそも学校と家の往復距離の間にアルディナ国なんてなかったし、登校するときも「ちょっと通りますよ」といってこの城の前を通ることもなかった。だとしたら!私の中で確信が二つうまれた。
1つ目は、下校中に空間が歪み異世界に飛ばされた。
:22/10/25 19:26
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#748 [○○&◆.x/9qDRof2]
そしてもう1つは…、夢オチ。どちらにしてもこの状況、非日常だ。誰しもが憧れる二次元的イベントではないか。ここは流されるまま流されていこう!そうしよう!
「それじゃあ、紅茶をいただこうかしら」
こうなったら楽しんだもん勝ちである。
「分かりました!紅茶ですね!」
弾んだ声でキースさんは城の中を先導して行く。私もそれに続いた。
「それにしても、壊れてなくて良かったですね!眼鏡!」
:22/10/25 19:26
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#749 [○○&◆.x/9qDRof2]
本当に良かった。
「だって眼鏡というのはとても高価で、貴族の、それも魔法高等試験に合格しないと得られない物ですもんね」
…あれ?私の知ってる眼鏡と違う。
「俺の友人にもかけてるやつがいるんですが、そいつとなら魔法の話で盛り上がるかもしれません!今度紹介しますよ!」
魔法の話で盛り上がる。あいにく私は試験に合格してないし、魔法だって使えない。ただの腐女子である。盛り上がるならBLの話で盛り上がりたい。
男が二人.......そう。そこからが試合開始な訳である。
「あっ!、キースじゃねーか!」
ちょうど螺旋階段を登り終え、部屋が点在する廊下に出た時声が聞こえた。後ろを振り返ると男の人が立っていた。私の中で試合開始のホイッスルが鳴った。キースさんと同じ深緑色の軍隊の制服なのだが、ネクタイを緩く結び胸元がはだけ、いくらか着崩した格好だった。
:22/10/25 19:27
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#750 [○○&◆.x/9qDRof2]
そういえば、衝撃的なことが多すぎて観察する余裕がなかったが、この二人.......どちらもイケメンである。キースさんは明るい茶色の、無造作だが邪魔にならない長さの髪型だ。柔らかに笑むその姿はまさに優しいお兄さん!
さっき声をかけてきた人は褐色の肌で、白銀の少し長めの髪を後ろに流している。右の目に眼帯をしていた。
:22/10/25 19:28
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:zH8LnywQ
#751 [○○&◆.x/9qDRof2]
710-750
:22/10/25 19:28
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:zH8LnywQ
#752 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 19:28
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:zH8LnywQ
#753 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 19:29
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:zH8LnywQ
#754 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 19:29
:Android
:zH8LnywQ
#755 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 19:29
:Android
:zH8LnywQ
#756 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/25 19:29
:Android
:zH8LnywQ
#757 [○&◆oe/DCsIuaw]
↑(*゚∀゚*)↑
:22/10/25 19:31
:Android
:zH8LnywQ
#758 [○&◆oe/DCsIuaw]
【CARTAIN CALL】
僕は劇場に居た。
ステージを前に、誰もいない客席に腰をおろしている。突然、パイプオルガンのような音が響き渡り、ステージの幕があがっていく。演奏の始まりだ。僕はステージを見た途端、恐怖に襲われた。鳥肌がたつのを感じる。てっきり、ステージにはオーケストラがあらわれるのかと思っていたのだ。
:22/10/25 19:32
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:zH8LnywQ
#759 [○&◆oe/DCsIuaw]
horror
◤◢◤◢⚠︎◤◢◤◢
:22/10/25 19:32
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:zH8LnywQ
#760 [○&◆oe/DCsIuaw]
しかし、僕の予想は間違いだった。ステージにあらわれたのは、一人の髪の長い女の人だった。しかも首を吊っているのだ。ステージの天井から蜘蛛の糸のようにロープが垂れ下がり、女の人の首に絡み付いている。僕は女の人から目を話すことができなかった。そして、死んだと思っていた女の人は生きていた。僕と目が合った。
:22/10/25 19:32
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:zH8LnywQ
#761 [○&◆oe/DCsIuaw]
目からは涙が、鼻からは鼻水が、口から嘔吐物が滴れ流れている。僕は恐ろしくて、身動きができずにいると、女の人はにやりと笑い、歌を歌い出した。首を吊っているせいか、ひどいしゃがれ声だ。堂々と響くパイプオルガン。女の人の調子のはずれた陽気な歌声。
:22/10/25 19:33
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:zH8LnywQ
#762 [○&◆oe/DCsIuaw]
なにもかもが不気味に感じる。いや、感じるのではなく、実際に不気味だった。
美しい村
喜びと希望に満ち溢れる
輝かしい村
しかし、男があらわれた
ひどく醜い男
見た目も中身も腐ってる
男は殺した
村で一番の優しい女を
村人は怒り狂い殺したのさ
:22/10/25 19:33
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:zH8LnywQ
#763 [○&◆oe/DCsIuaw]
醜い醜い男をね
醜い男が行き着くところは
ただ一つ
地獄の果てさ
女はそう歌った。
女が歌い終わると、客席から拍手喝采が起こった。
:22/10/25 19:33
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:zH8LnywQ
#764 [○&◆oe/DCsIuaw]
僕しかいなかったはずの客席には、いつのまにか人々で溢れかえっていた。僕はどうしていいかわからず、茫然と椅子に座り続ける。女の人は、再び動かなくなり、ステージの幕がゆっくり下りていった。拍手はしばらくの間やむことはなかった。
ーー僕は物凄い衝撃を受けた。慌てて目を開け、ようやくどのような状況にいたのか理解できた。ベッドから落ちたのだ。
「……いてて」
:22/10/25 19:34
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:zH8LnywQ
#765 [○&◆oe/DCsIuaw]
僕はのんびりと立ち上がる。ってことは、さっきの首吊り女は夢だったのか。なんとなく納得がいかない。今まで、こんなはっきりと夢を覚えていたことはなかった。歌の内容だって、すべて覚えているっていうのに。
「ハンス!ハンス、起きているの?」
母さんが叫んでいるのが聞こえた。
「……起きてるよ!」
僕はそう叫ぶと、居間に向かった。
……やっぱり納得いかないよ。
僕は夢について考えながらも、朝食を食べ、学校へ行く準備をした。
「いってきまーす」
:22/10/25 19:34
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:zH8LnywQ
#766 [○&◆oe/DCsIuaw]
呟くようにそう言うと、学校への道を歩きだした。路地裏のような狭いところを歩いているときだった。
「ジェラルド……」
僕は思わず声に出して彼の名を呼んでしまった。最悪だ。ジェラルドは一瞬こちらを見たが、すぐにそっぽを向いてしまった。彼は僕と同い年の14歳で、同じ学校に通っている。しかし、こんなに早い時間に彼を見たのは初めてだ。たいていはお昼を過ぎてから姿をあらわすのに。
:22/10/25 19:35
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:zH8LnywQ
#767 [○&◆oe/DCsIuaw]
ジェラルドは天使のような少年だ。落ち着いた感じの金色の髪に、深い青の瞳。非常に整った顔をしていて、気品が漂っている。ただ、ジェラルドには一つ問題がある。大きな問題だ。彼はひどい乱暴者なのだ。僕はジェラルドと面識はなかったが、彼の噂はなんどとなく聞いた。
その中にいい噂は一つもなかった。
誰を病院送りにしたとか、二度と人に見せられない顔にされた子がいるとか、万引きをしたとか……。
:22/10/25 19:35
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:zH8LnywQ
#768 [○&◆oe/DCsIuaw]
噂のほとんどは真実だ。そんなやつが目の前にいる。しかもジェラルドは、狭い路地に座り込んでいるため、道の半分が塞がれてしまっている。僕はその横を通り抜けなければならない。困った……。もしジェラルドに絡まれたら?うっかり転んでしまって、彼を踏ん付けてしまったら?僕は悩みながらもジェラルドに近づいていった。相変わらず、ジェラルドはボーッとしているようで、僕になんの反応もしめさない。.......これなら大丈夫かも。
:22/10/25 19:36
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:zH8LnywQ
#769 [○&◆oe/DCsIuaw]
足音をたてずに、慎重にジェラルドの横を進もうとした。しかし、こんなに注意していたにもかかわらず、僕の努力は水の泡となった。空想に耽っている様子だったジェラルドが、いきなり足を引っ掛けてきたのだ。
「うわっ!」
僕は倒れこみ、地面に顎を打ち付けた。ジェラルドが倒れた僕の背中を思いっきり踏んだ。思わずむせてしまう。横目でジェラルドを見た。彼は意地悪くほくそ笑んでいる。天使なんてとんでもない。あの笑顔は悪魔にしか見えない。
:22/10/25 19:36
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:zH8LnywQ
#770 [○&◆oe/DCsIuaw]
「よぉ、うすのろま」
「ぼ、僕はハンスだ……」
僕はうめきながらそう言った。ジェラルドはおもしろくなさそうに、フンと鼻をならした。僕はすかさず立ち上がる。ジェラルドは僕と背丈はあまりかわらない。なのに、力の差は歴然だ。
「俺は機嫌が悪い……」
ジェラルドが続きを言う前に、僕は全速力で走り出した。逃げなきゃ……。それしか頭になかった。僕は逃げ足には自信があったため、ジェラルドからも簡単に逃げられると思っていた。しかし、それは間違いだった。
:22/10/25 19:37
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:zH8LnywQ
#771 [○&◆oe/DCsIuaw]
ジェラルドは僕を追って走ってくる追い付かれることはないものの、引き離すこともできない。ジェラルドが何か叫んでいたが、聞いている余裕はない。僕はパニックになっていて、どこに行くかも考えず、やみくもに走り続けた。気付いた時には、僕は森のなかを走っていた。僕が住んでいる町は、まわりを森に囲まれた小さなもので、少しあるけば、森へと出てしまうのだった。僕のあとから規則正しい足音が聞こえる。ジェラルドは今だに追い掛けてきているのだ。僕の足はそろそろ限界を迎えようとしていた。
:22/10/25 19:38
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:zH8LnywQ
#772 [○&◆oe/DCsIuaw]
だが、走り続けなければジェラルドに捕まり、とんでもないことになる。絶望的だ……。僕は、いつ走るのをやめるべきかを考え始めたときだった。目の前に小さな家が見えたのは。
「あれは……」
息も絶え絶えに僕はつぶやいた。あれは……魔女の家だ。実際に魔女が住んでいるかは知らなかった。町の間でそういう噂になっているだけだった。ジェラルドと同様に悪い噂ばかりだったが、もしかしたら全部嘘かもしれない。
:22/10/25 19:38
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:zH8LnywQ
#773 [○&◆oe/DCsIuaw]
実は誰も住んでなかったり、気の優しいおばあさんが住んでいるかも。僕は決めた。あの家に逃げ込もう。一か八かの賭けだ。僕は最後の力を振り絞り、家まで走りついた。ドンドンと必死で家のドアを叩く。ドアは僕の背丈ほどしかない。早くしないと……。ジェラルドに追い付かれてしまう!僕は無駄だと思いながらもドアの取っ手を掴み、まわした。
:22/10/25 19:39
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:zH8LnywQ
#774 [○&◆oe/DCsIuaw]
ギィー……
なんとドアは鈍い音をたてながらゆっくりと開いた。僕は戸惑いながらも家に飛び込み、ドアを閉めて鍵をかけた。ドアを閉めるとき、ジェラルドが悔しそうな顔をしているのが一瞬だけ見えた。助かった……。そう思ったのも束の間だった。
「おやおや。人の家に勝手に入ってくるなんて、なんて子なんでしょうねぇ……」
僕は慌てて声のする方を向く。そこには小さなおばあさんがいた。すでに200年以上は生きてるんじゃないかというほど、腰はまがり、体のあらゆるところにしわが刻み込まれている。
:22/10/25 19:40
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:zH8LnywQ
#775 [○&◆oe/DCsIuaw]
真っ黒なワンピースを着ていて、とんがり帽子をかぶれば魔女にしか見えないだろう。おばあさんは、不吉な笑みを浮かべていた。小さな黄色い歯がこれでもかというくらい、びっちりとはえている。僕は思わず、ぞっとしてしまった。
「あ、えっと、勝手に入ってしまってごめんなさい。人に追われてて.......それに、ドアを叩いても誰も出てこなかったから、てっきり空き家なんだと思ったんです」
僕はもごもごとそう言った。魔女のようなおばあさんは、怪しげに大きな目で僕をじろじろと眺める。僕は目から変な光線がでないかとビクビクした。
「……まぁ、いいだろう」
おばあさんは、独り言のようにそう呟いた。何がいいのか僕にはさっぱりわからない。怒っていないのだろうか?
おばあさんの表情から感情は読み取れなかった。
:22/10/25 19:41
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:zH8LnywQ
#776 [○&◆oe/DCsIuaw]
おばあさんは窓の外を見つめた。この家には小さな窓が一つだけしかないらしく、昼間だというのに部屋のなかは薄暗い。僕はさらに不安になってしまった。
「ところで.......お前を追ってきたというやつは?」
おばあさんの口調は今までとは違い、楽しんでいるようだった。
「えーと、ジェラルドっていう乱暴な子です。でも、音もしないし、もうあきらめて帰ったんじゃないかと……」
僕が言いおわらないうちに、おばあさんはつかつかとドアの方に歩いていき、凄い速さでドアの鍵を抜き、ドアを開けた。すると、帰っていたと思ったジェラルドが、部屋のなかに転がり込んだ。
:22/10/25 19:41
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:zH8LnywQ
#777 [○&◆oe/DCsIuaw]
「ジェラルド!」
僕は恐怖の叫び声をあげた。ジェラルドは予想以上に早く僕を痛め付けることができそうなので、喜んでいるようだった。
「ハッ!間抜けなばあさんがドアを開けてくれたから助かったぜ!俺はお前が出てくるまで待ってるつもりだった」
なんていうやつだろう。僕はやられる前から失神しそうだった。せっかく助かったと思ったのに。ジェラルドはおばあさんを思いっきり突き飛ばし、僕に飛び掛かろうとした。もうだめだ……!
「おやめっ!」
:22/10/25 19:42
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:zH8LnywQ
#778 [○&◆oe/DCsIuaw]
狭い部屋中におばあさんの声が響き渡った。僕もジェラルドも呆気にとられ、おばあさんを見つめた。おばあさんは腰に手をあて、僕らを睨み付けている。
気のせいか、さっきりより腰が真っすぐになっている。
:22/10/25 19:42
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:zH8LnywQ
#779 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 19:42
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:zH8LnywQ
#780 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 19:43
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:zH8LnywQ
#781 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 19:43
:Android
:zH8LnywQ
#782 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 19:43
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:zH8LnywQ
#783 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 19:43
:Android
:zH8LnywQ
#784 [○&◆oe/DCsIuaw]
雨が降っていた。
もうすぐ秋の気配を感じながら帰宅したわたしは、まるで捨て犬みたいに縮こまって、悲しそうにうつ向いてる彼と出会ったのです。
しばにっき
:22/10/25 20:06
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:zH8LnywQ
#785 [○&◆oe/DCsIuaw]
「お母さああん!人拾ったあ!」
「え.......ちょ、あんた、そんな犬拾ったみたいなテンションで!」
優雅に紅茶をすすっていたお母さんは、わたしの叫びにびっくりした。そんなわたしはずぶ濡れの彼を家にいれて、タオルを貸してやった。
「ハイ。拭いて。風邪ひいちゃうから」
:22/10/25 20:07
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:zH8LnywQ
#786 [○&◆oe/DCsIuaw]
わたしの言葉なんか聞いてないのか、綺麗な茶色い髪から滴る雫もそのままに、彼はぼんやりしていた。お母さんが風呂を沸かしてあげると言って、風呂場へ向かった後、あたしは彼を拭いてあげる。そこで、ハッとする。伸びている髪の毛の隙間から覗いた瞳は、グレーだった。外人さん?もしかして、日本語通じないとかかな。
:22/10/25 20:07
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:zH8LnywQ
#787 [○&◆oe/DCsIuaw]
「わ、ワットユアネーム?」
カタコトな英語で話かければ少し反応したのか、こちらを見た。
「分かるから、日本語」
ぽつりとだけど、確かにそう言った。
「良かった!あ、あたしは神野絵子(かんの えこ)。この家の長女。あなたは?」
さっきまで私に向けていた魅力的な瞳を僅かにそらして、またポツリと呟いた。
:22/10/25 20:07
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:zH8LnywQ
#788 [○&◆oe/DCsIuaw]
「勝手に.......呼べばいい」
何でだろう。でも何故か分かる事は、彼はとても傷ついてるように見えると言う事。何故、そんな悲しい目をしているんだろう。
「どうして……うちの前にいたの?」
「.......疲れた。どこにも行く場所なくて、さまよって、休んでただけ」
:22/10/25 20:07
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#789 [○&◆oe/DCsIuaw]
行く場所がない?つまり家出って事なのかな。そう思いながら、今日初めてあった人をあれこれ詮索するのはよくないと思い、私は何も聞かなかった。
「じゃあ……とりあえず貴方は柴(しば)ね。犬みたいにうちの前にいたから!」
特に反応する訳でなく、柴は黙ったまま私に拭かれた。
「行くとこないっていうなら、まぁいてもいいよ」
:22/10/25 20:08
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#790 [○&◆oe/DCsIuaw]
お母さんは寛大すぎる程寛大で、お母さんだけど男気溢れる人だ。柴がお風呂に入ってる間、さっき彼から聞いた事をお母さんに言ったところ、さっきのような返事が帰ってきた。
「今更家族が1人増えようが5人増えようがどうでもいいよ」
:22/10/25 20:08
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#791 [○&◆oe/DCsIuaw]
「5人て……。そうなったら大家族だよお母さん」
「あぁ!おねーちゃん!」
後ろから声がするので振り向いてみれば、三女で4歳のいちごと、長男で10歳のそらがそこにいた。苺はトテトテと走ってきて私の足に抱きついた。
「おかえりなさぁい!あのね、いちご今日おうたおぼえたんだよー!」
「そうなんだぁ。またお姉ちゃんに聞かせてね。」
:22/10/25 20:09
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#792 [○&◆oe/DCsIuaw]
苺は「うん!」と元気よく言って、お母さんの膝によじ上った。
「えこ姉!俺今日野球でホームラン打ったよ!」
「空はさすがだねー!この調子で頑張りなよ!」
空はニカッと笑う。それにつられて私も笑うと、玄関の方から叫び声が聞こえた。
「うわぁぁ!!」
「あ、さくらおねえちゃんだ!」
:22/10/25 20:09
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#793 [○&◆oe/DCsIuaw]
さくらとは、次女で14歳。おそらく部活から帰って来たのだろう。それはいい。多分.......柴がいたな。玄関へつけば、風呂上がりで、さっきと変わらず頭びちょびちょの柴と、見知らぬ柴に驚いた桜がいた。
「え!?ちょ、お姉ちゃんこの人誰?」
「柴。ちょっと柴。ちゃんと頭拭かなきゃダメでしょうが」
:22/10/25 20:09
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#794 [○&◆oe/DCsIuaw]
すると、柴は頭にタオルを乗っけて、私に頭を差し出してきた。拭けと言ってるらしい。桜の叫びにかけつけた苺と空も、驚いていた。
「わ!誰?」
「いちごのおにいちゃん?」
.......いっぺんに説明しなくちゃならないようだった。
小さな苺もいると言う事で、分かりやすく丁寧に話した所、最初こそ驚いたものの、皆次第に納得していった。
:22/10/25 20:09
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#795 [○&◆oe/DCsIuaw]
「分かったよお姉ちゃん」
「俺も」
「いちごもー!」
皆が了解したと言う事で、私は柴が使う部屋へと案内した。丁度1つ余っているので、そこにする事にする。階段を上がって、空いてる部屋へと案内。柴は黙々とついてくる。ドアを開けると、何もない空間が広がっている。
:22/10/25 20:10
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#796 [○&◆oe/DCsIuaw]
「じゃあここね。布団はまた持ってくるから」
「.......てない」
「え?」
柴は入口に止まったまま、窓を見つめて何か呟いた。柴よりも先に部屋に入ってた私は、柴に寄っていってもう1回何を言ったか尋ねた。
「何?」
「似てない.......誰ひとりとして、兄弟も、親子も」
:22/10/25 20:10
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#797 [○&◆oe/DCsIuaw]
「.......そっか」
私はにこっとして、質問に答える。
「皆、施設からこの家に来たから。似てなくて当然なんだよ」
私は皆、桜も空も苺も……皆施設から今のお母さんの所へ引き取られた。お母さんは、子供が欲しいけど出来なくて、ずっと悲しんでいた。そんな時、私達を見つけてくれた。
:22/10/25 20:10
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#798 [○&◆oe/DCsIuaw]
血の繋がりなんてないけど、愛情一杯に育ててくれた。私は5歳の時、両親から捨てられた。それでも今のお母さんが大事に育ててくれたおかげで、今は何も寂しくもないし、怖くもない。
「本当の兄弟じゃなくても、皆大切よ」
柴は静かに私を見つめ返す。灰色の瞳でじっと見つめられるば、少しドキドキした。
:22/10/25 20:10
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#799 [○&◆oe/DCsIuaw]
「いいな」
「え?」
.......と、突然、柴が被さってきた。急なので、バランスを崩した私の体は、柴と共に倒れる。ドスンと派手な音を立てると、私はムクリと起き上がった。
「あいったたたた。ちょっと柴!何すん」
「スー……スー……」
え、寝ちゃった?
:22/10/25 20:10
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#800 [○&◆oe/DCsIuaw]
確認するまでもなく、ピクリとも動かず柴は寝息を立てる。何か……謎めいた人だなぁ。歳は20ちょっとくらい。長身、どちらかといえば美形。そして灰色の瞳。一体どこの人なんだろうか。結果として膝枕をしなくちゃならない羽目になった私は、柴の寝顔を見ながらぼんやりと色々考えた。
:22/10/25 20:11
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#801 [○&◆oe/DCsIuaw]
眠りがもとから浅いのか、1時間経つと柴は目を覚ました。覚えてないのか、半目で辺りを見渡す。そんな仕草に、あたしは笑ってしまった。
「本当犬みたい!柴って名前あってたみたいね」
柴は少し首を傾げてから、座って頭をポリポリかいた。私のビジョンからは、子犬が後ろ足で頭をかいてるように見える。
:22/10/25 20:11
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#802 [○&◆oe/DCsIuaw]
「お腹空いてない?喉は渇いてない?」
柴は頭をかくのを止めて、またあたしをじっと見つめる。見つめながら、眉間のしわを深くした。何か、私悪い事言ったっけ?
「馬鹿らしい」
は?
「赤の他人家にあげるなんてどういう神経してんだか。第一そんなに親切にして何なの?媚売ってんの?」
:22/10/25 20:11
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#803 [○&◆oe/DCsIuaw]
最後の言葉を言い終わると同時に、私は柴の両方の頬をつねってやった。そして間近で怒った顔をする。
「二度と、あたしの家族の悪口言わないで」
媚なんて売った事はない。困っているなら助けてあげたい。そんな、ただ優しい心をそんな風に言うなんて許さない。
:22/10/25 20:11
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:zH8LnywQ
#804 [○&◆oe/DCsIuaw]
「少なくとも、私はこの家族を誇りに思ってる。本当の家族であろうがなかろうが関係ない。本当の皆の心を見ずに、悪く言うのは止めて」
そうして、私は頬から手を離す。依然、まだ顔も気持ちも怒ったままだ。柴はつねられた頬をさすりながら、ぼんやりと足元を見ていた。少し、言いすぎた?
:22/10/25 20:12
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#805 [○&◆oe/DCsIuaw]
でも柴が悪いのよ。私の家族を、あんな風に.......。
「うらやましい.......」
柴がまたポツリと言う。私は眉を寄せて柴を見る。柴はまたさっきのように悲しい目をしていた。灰色の瞳に憂いの色が混ざる。
「悪く言ってごめん」
:22/10/25 20:12
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#806 [○&◆oe/DCsIuaw]
あれ、意外と素直。
「でもお人好し」
でもやっぱり毒舌。
「いいの。誰かにとってはお人好しでも、誰かにとっては救いになってるかもしれないでしょ?」
柴は珍しい物のように私をじっと見つめる。そんなにおかしい事言ったかな。すると、カタと音がしたので振り向くと、そこに苺が覗いていた。苺は恐る恐る部屋に入って来て、柴の近くで止まった。
:22/10/25 20:12
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#807 [○&◆oe/DCsIuaw]
最初は上から下まで何度も観察して、その内ににこぉっ笑った。
「しばおにいちゃん。いちごおにいちゃんとあそびたいな」
柴は軽く目を見張ると、少し表情を柔らかくしたのが分かった。目元も笑みを含んでいる。苺も柴を気に入ったのか、生意気に膝の上に乗ってる。
「兄弟いたの?」
「弟がね、」
:22/10/25 20:12
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#808 [○&◆oe/DCsIuaw]
柴は苺の頭を撫でながら言う。苺のおかげで柴の警戒していた空気が緩和されてる。だから私もなんなく喋る事が出来た。
「何歳くらい?」
「この子と同じくらい。」
「“このこ”じゃないよ。いちごだよ!」
苺の主張に、思わず笑ってしまう。
「苺ー!ちょっとおいでー!」
:22/10/25 20:12
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#809 [○&◆oe/DCsIuaw]
桜の呼ぶ声に、元気よく「はーい!」と答えて苺は言ってしまった。まるで空気を和らげに来ただけみたいな苺に、私は胸が温かくなった。
「あの子はいつからこの家の子?」
柴から喋り出したので、私は少し驚いた。
「苺は赤ちゃんの時から。でも本当の家族じゃない事はもう知ってるよ」
:22/10/25 20:13
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#810 [○&◆oe/DCsIuaw]
柴は苺が行ってしまったドアを見つめる。あんな小さな子に、そんな酷な事をとでも思ってるんだろうか。
「俺もこの家に拾われたかった、」
「柴?」
さっきもそうだった。「いいな」とか「羨ましい」とか、どうして他の家庭を羨んでばかりいるんだろう。そしてそういう時、いつも寂しくて悲しい顔をするのだろう。
:22/10/25 20:13
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#811 [○&◆oe/DCsIuaw]
「いいんだよ?ここにいても」
柴の手に触れると、柴は少しピクリと震える。柴の手は、さっきお風呂に入った筈なのにもう冷たくなっていた。
「いたい.......ずっと.......」
柴は、膝を抱えてうつ向く。一体この人には何があったんだろう。心に、どれだけの傷をおっているんだろう。言葉の端々に、彼の心の叫びが聞こえる気がした。
「オイえこ姉!イチャついてる場合じゃねぇぞ!」
:22/10/25 20:13
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#812 [○&◆oe/DCsIuaw]
今度は空がやって来た。何でみんないっぺんに来ないかな。
「馬鹿。そんな訳ないでしょ」
「早くしないと母さんが焼きそばの上に目玉焼き乗っけてやんないって言ってたぞー」
私は空を軽くあしらって先へ行かせた。先に立ち上がって柴の腕を引っ張って立たせてやると、柴が何かボソリと言った。別に何言っても構わないからもう少しハキハキ喋って欲しいと思う。
:22/10/25 20:13
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#813 [○&◆oe/DCsIuaw]
「何?」
「焼きそば?」
「ウン、そうだけど」
「何それ.......」
ハイ……?ま、まさか焼きそば知らない?うっそだぁぁ!と思いながらリビングへ連れて行き、即席で作った柴の席に座らせた。いい香りを漂わせながら目の前に置かれた焼きそばを、柴はしげしげと眺める。
:22/10/25 20:14
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#814 [○&◆oe/DCsIuaw]
「いっただっきまーす!」
皆で行儀良く挨拶してから、ご飯を食べ始める.......と思われたが、皆初焼きそば(らしい)柴がそれを食べるかをじっと見つめていた。一方、マイペースを貫いてる柴は、焼きそばをよく観察した後、お箸を取って一口口に入れた。一瞬止まってから、柴はまた一口、もう一口と、次々に食べだした。どうやら美味しかったらしい。それにホッとした私達も同じように食べ始めた。
:22/10/25 20:14
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#815 [○&◆oe/DCsIuaw]
「そーそー。アンタ細っちぃんだから、しっかり食べなよ」
お母さんはにひっと笑って、柴の頭をぐりぐり撫でまわした。別に気にした風もなく、柴は黙々と食べてくれたので、私も落ち着いて食べる事が出来た。柴は笑いに包まれる中、ぼんやりと昨日までの自分を振り返っていた。
:22/10/25 20:14
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#816 [○&◆oe/DCsIuaw]
安々と手に入った家族の温もり。ただその温もりはいつか幻や夢のようにあっという間に消えてはしないだろうか。
華世(かよ)の時みたいに。
[出ていけ!お前などもういらない!]
激怒した父親の叫び。
離れたくなんて、なかったのに。
ずっと、一緒にいたかった。
:22/10/25 20:14
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#817 [○&◆oe/DCsIuaw]
お箸が床に落ちる音がした。その方を向けば、柴が箸を落とした状態のまま固まっていた。そして彼からは滴が流れ落ちていた。
「柴……!?」
「しばちゃん?」
苺が不思議そうに柴に問いかける。このままだと皆に気をつかわせてしまう。私は静かに柴を引っ張って行き、廊下に出る。柴は灰色の瞳を潤ませながら細め、その目から涙を流し続ける。それからは望みを失っているかのようにも感じとれた。
:22/10/25 20:15
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#818 [○&◆oe/DCsIuaw]
「柴……?」
静かに私がつけた彼の名を呼ぶ。彼は濡れた目で軽く応じた。
「俺は.......家を追い出されたんだ」
私は目を見開く。握ったままの彼の手を、少し強く握った。
「俺は物心ついた頃から、愛情とか、そんなもの受けた事は無かった……」
冷たい空洞の中にいるように、空っぽだった。そう柴は呟いた。彼は、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。自分の素性をあまり話しはしなかったけれど、とにかく彼は“1人ぼっち”だったのだ。そんな中、両親は離婚。
:22/10/25 20:15
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#819 [○&◆oe/DCsIuaw]
しかし、彼は悲しいなんて感情は何も感じなかったと言う。だって自分は、そんな感情を感じるほど何も与えてはもらわなかったから。
:22/10/25 20:15
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#820 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 20:15
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#821 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 20:16
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#822 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#823 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#824 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 20:17
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#825 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#826 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#827 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#828 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#829 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#830 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#831 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#832 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#833 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#834 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#836 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#837 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#838 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#839 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#840 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#841 [○&◆oe/DCsIuaw]
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#842 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:14
:Android
:zH8LnywQ
#843 [○&◆oe/DCsIuaw]
Dear my dear.
and
I love you.
-------------------------
夜景の綺麗なホテル。最上階とまでは行かないが、そこそこ高い位置の部屋のベランダに、男と女が一人ずつ。
「夜景、綺麗」
「そう言ってもらえたら、嬉しいな」
:22/10/25 21:24
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#844 [○&◆oe/DCsIuaw]
「色々誤解しててごめんなさい、最高の誕生日プレゼント有難う」
「ふふ、誤解してたのはお互い様だよ。それより今日は、三日月だね」
「あ、本当だ。クス、真ん中で割れたように、綺麗な三日月」
「.......見て。ほら、これ」
そう言って男は、ポケットから指輪を一つ取り出した。指輪には三日月形の宝石。
:22/10/25 21:25
:Android
:zH8LnywQ
#845 [○&◆oe/DCsIuaw]
「取ってきちゃった、月のカケラ」
「あら、ロマンチック」
男が自分の指につける。
「どう、似合う?」
「.......似合わない、」
「え、なんで?」
「似合う、似合わないの前に、ありえない。だってみんなの月なのに、貴方がそれを付けてしまったら、ずっとずっと月は三日月のままじゃない。満月を楽しみにしてる人はたくさんいるのに」
:22/10/25 21:25
:Android
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#846 [○&◆oe/DCsIuaw]
「なに拗ねてんの?」
「拗ねてなんかないわ」
「あれ、もしかしてこの指輪、自分が貰えると思った?」
「思ってない!!」
「ふふっ、でも、俺自己中だから。本当はあの月全部、俺のもの」
風が吹く。男がポケットから小さな箱を取り出した。吹きやまない風は雲を流し、月が完全に闇に消える。
「.......残りの半分も、取ってきちゃった」
箱の中には、男のそれより少し小さめな指輪。もちろん、三日月形の宝石付きの。風がまた雲を流し、月明かりに照らされた女の顔が火照る。
:22/10/25 21:25
:Android
:zH8LnywQ
#847 [○&◆oe/DCsIuaw]
『誕生日おめでとう、いつか本物の指輪あげるから。それまでずっと傍にいろよ、ハニー?』
- end -
:22/10/25 21:26
:Android
:zH8LnywQ
#848 [○&◆oe/DCsIuaw]
『ねぇ、わたしを殺してみて』
その日。
ぼくは、彼女を殺した。
------------------------
『すき』
彼女のくちびるから零れ落ちる言葉は、いつだってぼくだけの鼓膜を揺らす。
『あなたが、すき。例えあなたの気持ちがわたしになくても』
『目も、耳も、鼻も指も、ひとつ残らず愛おしい、』
:22/10/25 21:26
:Android
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#849 [○&◆oe/DCsIuaw]
『だけど、一番愛おしいのは、その、くちびる。わたしのそれと触れたとき、わたしはきっと死んでしまうでしょうね』
何故だい?薄く微笑み、彼女に問うた。
『幸福死。信じられないけれど、本当にあるみたいよ。夢のような、現実では有り得ないような、けれど、こころのどこかでそれを待ち望んでいる.......』
彼女の瞳が、熱を持ち始める。
:22/10/25 21:26
:Android
:zH8LnywQ
#850 [○&◆oe/DCsIuaw]
『そして。それが現実に起こったとき、わたしは死ぬの。そう例えば、あなたのくちびるの熱を、わたしのここで感じることができる、とかね』
そう言って彼女は微笑み、人差し指で自分のくちびるに触れた。
『ねぇ、わたしを殺してみて?』
五秒後、ぼくはきみを殺した。
:22/10/25 21:26
:Android
:zH8LnywQ
#851 [○&◆oe/DCsIuaw]
まだ息をしているきみのくちびるが、柔らかく、柔らかく微笑んだ。
fin
:22/10/25 21:27
:Android
:zH8LnywQ
#852 [○&◆oe/DCsIuaw]
愛しているんだ、
例え誰が死んだって。
-------------------------
何日もかけて選んだ婚約指輪。君は気にいってくれるかな?君が琥珀色を好きだというのは知っていたけど、なかなかいい物が見つからなかった。
だけどこの水色も綺麗だろう?
君がよくしてる、ネックレスに似ている。どんな顔をするだろう。
笑って、笑って、笑うだろう。キスをして、抱きしめて。それからやっぱり、琥珀色が良かったわ、なんて言うのかな。
:22/10/25 21:27
:Android
:zH8LnywQ
#853 [○&◆oe/DCsIuaw]
想像の中の君は少しふてくされて、だけどとても満ち足りた笑顔で。そして僕は言うんだ。
『結婚指輪は、琥珀色にしよう。』
女性はロマンチックが好きだろう?夜景なんかどうだろう?今日のために洗車もしてきた。そんなことは、言わないけどね。さぁ乗って、未来の話をしよう。予想通り君は少しふてくされて、だけど幸せそうだった。
幸せにするからね。
:22/10/25 21:27
:Android
:zH8LnywQ
#854 [○&◆oe/DCsIuaw]
そういう僕の言葉に重なるように、白い光と車のブレーキ音が僕たちを包んだ。明るすぎるその光に、助手席に座る彼女の顔が白くなる。明るすぎるよ、彼女の顔が見えないじゃないか。
気がつくと目の前には、見慣れた人の顔。白くはなかった、赤かった。彼女の目は閉じられていた。嘘だろう。
:22/10/25 21:28
:Android
:zH8LnywQ
#855 [○&◆oe/DCsIuaw]
この、赤は、なんだ。嘘だろう。ねぇ起きて。彼女の体を揺さぶろうにも、僕の体も動かない。いくら大声で名前を叫んでも、彼女はぴくりとも動かない。それはまるで、僕の声なんかこの世界に響いていないような、そんな気がして。
動かない、意識だけ。
動けよ僕の躯、動け。
:22/10/25 21:28
:Android
:zH8LnywQ
#856 [○&◆oe/DCsIuaw]
救急車を呼ぶんだ、彼女を助けて。まだ生きてるかもしれない。呼吸の音が聞こえない?僕の耳がおかしいんだ。名前を呼んでも届かない?僕の声が、枯れてるんだ。どうして僕が生きてるんだ。生きるべきは、彼女だろう。お願い神様、僕はどうなってもかまわないから。
ほら左手の薬指。僕が買った指輪はそんな色じゃない
抱きしめて、キスしたい。
指輪に関する話を聞いてほしい。結婚指輪は、きっと琥珀色にするから。
:22/10/25 21:28
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#857 [○&◆oe/DCsIuaw]
彼女の目が、開いた。
生きて、いる。
ありがとう神様、ありがとう。本当にありがとう。これから何があっても僕が彼女を幸せにする。さぁ、元気になって、未来の話をしよう。僕たちこれから、幸せになるんだ。彼女の目が完全に開く。ただ僕だけを映してくれる瞳は、あの日からずっと、変わらないね。良かった、もう大丈夫。体は動くかい?
:22/10/25 21:29
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#858 [○&◆oe/DCsIuaw]
悪いけど、救急車を呼んでもらえる?僕はさっきから、何故だか体が動かない。彼女の目に涙がたまる。嗚呼、心配しないで。意識ははっきりしてるから。君のことずっと、考えられるくらいには。彼女は何か叫びながら、僕の体を揺さぶった。揺れる視界に、君の泣き顔だけが映る。綺麗な瞳だ、泣かないで。覗きこんだその瞳に映るは、僕。真っ赤な色をした、僕。
:22/10/25 21:29
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#859 [○&◆oe/DCsIuaw]
ああ、死んだのは僕か。
どうりでさっきから、呼吸をしていないと思った。良かった。死んだのが僕で良かった。さぁ降りて、僕という船から。未来の話をしよう。君が幸せになるための話だ。指輪は捨ててくれ。君はやっぱり、琥珀色が似合うと思う。いつか誰かに貰ってくれ。僕以外の、誰かに。神様、神様、ありがとう。
嗚呼、死んだのは僕か。
- end -
:22/10/25 21:29
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#860 [○&◆oe/DCsIuaw]
わたしはテレビの電源を付ける父を見ながら、ちょっと前までは自分もこの輪の中にいたんだなあと頬を緩めた。ふとテレビの上にある電子時計が目に入れば、今日は日曜日だと認識する。休日にも仕事があったなんて、お父さんは大変だな。労いの言葉を考えていたら、突然携帯電話が鳴った。この曲は私の携帯だ。父は「何の音だ?」と立ち上がり音源を探し始めた。
:22/10/25 21:29
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#861 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:29
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#862 [○&◆oe/DCsIuaw]
「良枝、携帯が鳴っているみたいだけど、おまえのじゃないのか?」
「携帯?いいえ、私のじゃないみたい。この曲、千恵のじゃない?」
キッチンから帰ってきた返事に「千恵の?」と呟いた父は何かを思い出したように母の鞄を漁り始めた。
「あったあった」
上半身を上げた父の手には私の携帯電話が握られていた。私の携帯電話はどうやらあの事故から無傷だったようだ。
:22/10/25 21:30
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#863 [○&◆oe/DCsIuaw]
「千恵の携帯に電話がきてるぞ」
着信音が消えると当然のように携帯を開く父に「勝手に見たら千恵が怒りますよ」と母が訝しいげな顔を覗かせた。ごもっともだ。いくら死んだとはいえ、娘の携帯を見るのは失礼だろう。
「それもそうだな…と、おや?」
:22/10/25 21:30
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#864 [○&◆oe/DCsIuaw]
これは…、と父が眉をしかめた。私は不審に思い、父の凝視する携帯を覗き込んだ。
「良枝、確か孝君って男の子が千恵の友達にいたよな?」
そう言う父の横で驚く私。着信履歴のディスプレイに映し出されていたのは、孝の名前だった。
「ええ、いますけど.......」
それが?と疑問を含ませた母の声。
「どうやら、その彼からだ」
:22/10/25 21:30
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#865 [○&◆oe/DCsIuaw]
ちょうど料理を終えた母は炒飯を両手に抱えてリビングに姿を現した。皿をテーブルに並べ終わると母も父の横から携帯を覗く。
「孝君から?あら本当。珍しいわね。千恵の口から孝の名前を聞いたのは小学校以来だから、何だか久しぶりね」
エプロンで手を拭いながら懐かしそうに目を細める母に、父は小さく笑いを落とす。
:22/10/25 21:30
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#866 [○&◆oe/DCsIuaw]
「そういえば、そんな悪ガキもいたな。何だ良枝、ダメとか言いながら結局おまえも千恵の携帯を見てるじゃないか」
依然として笑いながら言う父に、母はむっとしながら眉を潜めた。
「私はいいんですよ。千恵とはとても仲が良かったですもの。そんなことより、ご飯出来ましたよ。早くテーブルについてください」
:22/10/25 21:31
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:zH8LnywQ
#867 [○&◆oe/DCsIuaw]
はいはい、と苦笑しながら携帯電話をソファに置くと、父はテーブルに歩いて行った。わたしの脳裏に孝の姿が過ぎった。どうしたんだろう。私の葬式があった日から、孝のことばかりだ。柄にもなく昔のことを思い出すときも、孝とのことばかり。走馬灯にしては長すぎるし、内容が孝中心すぎる。私は自分に苛々してきた。
:22/10/25 21:31
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#868 [○&◆oe/DCsIuaw]
死んだ時にひどく頭でも打ったのだろうか。人のことでこんな風に悩むなんてこれまでになかった。ましてや相手はあの孝ときた。生前は無視を決め込んでいたような孝に何故今頃?そもそも何に悩んでいるのかすら明確でない。何故か孝中心に物事を考え、ようやく忘れたと思ったらすぐに孝が頭に浮かぶ。この繰り返しだ。
:22/10/25 21:31
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#869 [○&◆oe/DCsIuaw]
原因不明のもどかしさは私の苛々を募らせるばかりだった。どうにも気が治まらない私は、外に出た。孝に直接会うためだ。会って原因を確かめる。聞くことは叶わなくても、糸口くらいはわかるかもしれないと考えたのだ。しかし、何故孝は電話をしてきたのだろうか。私の携帯電話に掛けても誰も出ないのはわかっているだろうに。
:22/10/25 21:31
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#870 [○&◆oe/DCsIuaw]
間違い電話?いや…間違いだったらあんなに長くコールしていないだろうし、さすがに間違いに気付くだろう。では何故?何の目的で?
「.......駄目だ」
いくら考えても答えは出て来なかった。久しぶりの孝の家に緊張しているのだろうか。
:22/10/25 21:31
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:zH8LnywQ
#871 [○&◆oe/DCsIuaw]
割と近所にあるため、家の位置は忘れていない。不思議な感覚だ。九年ぶりの孝の家。あの頃はよく遊びに行ったものだ。今では曖昧な古い記憶でしかない。
「わ、懐かしい」
私は思わず立ち止まってしまう。白い壁に茶色の屋根。二階建ての西山家は孝と弟、そして両親の四人家族だ。緊張感が沸いて来るのがわかる。玄関をくぐれば記憶にある廊下や家具が迎えていた。
:22/10/25 21:32
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#872 [○&◆oe/DCsIuaw]
お邪魔します、と土足のまま室内へ上がる。全然変わっていない。九年ぶりの孝の家はあまり覚えておらず、玄関から二階の孝の部屋までだけが特に鮮明だった。二階に上がって見覚えのある部屋の前に立つ。懐かしさからか、家にお邪魔してから終始私の頬は緩んでいた。ノックも出来ない私は、するりと部屋に入った。
:22/10/25 21:32
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#873 [○&◆oe/DCsIuaw]
「いないじゃん」
誰もいない小綺麗な部屋を見渡して溜め息を吐いた。テレビが置かれたせいか、記憶にある部屋より狭く見える。
「暇だし、捜そうかな」
背伸びをしながら呟くと、私は部屋を後にした。.......とは言ったものの、手掛かり無しでこの広い街から孝を見付けるのは至難の技だ。携帯電話も使えなければ、人に尋ねることも出来ない。
:22/10/25 21:32
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#874 [○&◆oe/DCsIuaw]
孝を避けて九年間も過ごしていたため、習慣も知らないし、居そうな場所など見当も付かない。更に今日は日曜日だから学校は休み。さながら探偵気分の私は現状を悟れば悟るほど、気分は落ち込んでいく。まさに手掛かりゼロだ。とりあえず当てもなく路上を歩きながら、しらみ潰しに捜すことにした。そして、日が暮れたら孝の家で待ち伏せという作戦だ。
:22/10/25 21:32
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#875 [○&◆oe/DCsIuaw]
こんな真面目に策を練ってまで孝を捜してる自分の姿に自嘲気味に笑う。しかし、この探偵ごっこは早くも終わってしまった。孝を捜し始めて十五分。孝の家の近くの公園で目標を発見。私はすたすたと孝に近付いた。
「やっと見付けた」
無反応の孝は悩ましげな固い表情でベンチに座っている。とりあえず私も隣に腰を降ろした。しばしの沈黙。
:22/10/25 21:33
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#876 [○&◆oe/DCsIuaw]
「暇だなぁ。何か喋ってよ」
もう五分はこの調子だ。
会話すら出来ないんだから、せめて何か行動してくれないと来た意味がない。
「.......はぁ」
「どうしたの?溜め息なんか付いちゃって」
「.......」
「ま〜た、だんまり?」
:22/10/25 21:33
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#877 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:33
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#878 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:33
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:zH8LnywQ
#879 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:34
:Android
:zH8LnywQ
#880 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:34
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:zH8LnywQ
#881 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:34
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:zH8LnywQ
#882 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:34
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:zH8LnywQ
#883 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:35
:Android
:zH8LnywQ
#884 [○&◆oe/DCsIuaw]
:22/10/25 21:35
:Android
:zH8LnywQ
#885 [○&◆t4uM8upmGg]
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
:22/10/25 21:36
:Android
:zH8LnywQ
#886 [ん◇]
ん◆◆◆◆◆
:22/10/25 21:37
:Android
:zH8LnywQ
#887 [ん◇◇]
◆◆◆◆◆◆◆
:22/10/25 21:38
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:zH8LnywQ
#888 [ん◇◇]
:22/10/25 21:38
:Android
:zH8LnywQ
#889 [ん◇◇]
:22/10/25 21:38
:Android
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#890 [ん◇◇]
Bluebird
わたしは。なぜ本を買いに行ったのか?
わたしの通う樫ノ宮(かしのみや)中学校では毎朝、読書時間というものが十五分間設けられている。その時に読む本を買いに行ったのだ。なぜ、この本を選んだのか?
:22/10/25 21:43
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#891 [ん◇◇]
これといって欲しい本があったわけではない。わたしは漫画は読んでも、小説のように文字だけで紡がれた物語を読むのは苦手だった。文字の列だけが数百頁にもわたり延々と続いてるだけだなんて考えただけでも瞼が重くなってくる。.......正直、本ならなんでも良かった。そしてこの本に出会ったのは単なる偶然である。
:22/10/25 21:43
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#892 [ん◇◇]
店に入るとすぐ、レジの横に新作の本が何種類か並べられていて、なかでも、一際目を引く一冊があった。綺麗なコバルトブルーのカバーには金色の文字で【bluebird】と書かれており、真ん中には翼を広げて今にも飛び立ちそうな鳥の絵が描かれていた。いわば、一目惚れだった。
:22/10/25 21:43
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#893 [ん◇◇]
本当は適当に安い文庫本なんかを買って、お釣りで漫画本を買おうなどと考えていたのだがそんなことはもう頭になかった。母は小学校の教師をしている。わたしが買ってきた本をみせると「梨菜が漫画以外の本を買うなんて!」と、びっくりしていた。
「に、さん、ページよんで飽きたなんてことにならないといいけどね」と、母は笑ったけれど、そんなことにはならなかった。
:22/10/25 21:44
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#894 [ん◇◇]
読みはじめると、止まらなかった。続きが気になって仕方がなかったのだ。朝の読書時間だけにとどまらず、休み時間にも読み、授業中にも読み、放課後も残って読んだ。わたしはどの部活動にも属しておらず、いつもなら真っ直ぐ家に帰っている時間だったが、その日は誰もいない教室で一人静かに読書に耽(ふけ)った。
:22/10/25 21:44
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#895 [ん◇◇]
グラウンドで活動するサッカー部と野球部、陸上部の声が教室にまで届いている。同じ階にある音楽室からは吹奏楽部による演奏がきこえてきた。しかしひとたび本に集中すると、まわりの雑音は全て消えさり、無音の空間になるだ。そのせいだろう。話し掛けられていることに全く気付かなかった。
:22/10/25 21:44
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#896 [ん◇◇]
「.......大高!」
ハッとして顔をあげると目の前に同じクラスの奥村くんが立っていた。奥村くんはクラスでもかなり目立つほうで、明るく茶目っ気があり、みんなに好かれていた。当然友人も多く、誰とでもすぐにうちとける。わたしみたいに異性と話すときに緊張して口ごもってしまうということがない。
:22/10/25 21:44
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#897 [ん◇◇]
彼みたいな人を世渡り上手、というのだろうなと思った。
「あ、やっと気付いた。さっきから何回も呼んでたんだけどさ、シカトされてるのかと思ったよ」
突然話し掛けられ口ごもっているわたしを無視して、奥村くんは近くにあった椅子に腰掛けた。
「その本、今日ずっと読んでるね」
「あ、これ、面白いんです」
「だよね、俺も読んだことあるんだ」
:22/10/25 21:45
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#898 [ん◇◇]
「え?」
意外だ、と思った。
「俺、その著者好きなんだよね。知ってる?その人、この樫ノ宮町出身なんだぜ」
読み途中のページに指をはさみ、本を閉じて表紙をみた。金色の文字で【永原 愛(ながはらあい)】と印刷されている。奥村くんは【永原愛】について色々な話を聞かせてくれた。
:22/10/25 21:45
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#899 [ん◇◇]
「すごく詳しいんだね。ストーカーみたい」
決してほめたわけではないのだけれど、奥村くんは得意げにふふん、と鼻を鳴らした。家に帰ると、母が調度夕飯の支度を終えたところだった。テーブルの上には父と母とわたしの三人分のサバの味噌煮が並べられていた。サバの味噌煮は父の大好物である。
:22/10/25 21:45
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#900 [ん◇◇]
「あ、梨菜お帰り。ご飯できたからお父さん呼んできて」
「.......わたし、あんまりサバってすきじゃないんだよね」
「いいから早く呼んできなさい!」
渋々階段を上がり、父の部屋のドアをドンドン、と叩いた。
「お父さん、ご飯だよ!」
:22/10/25 21:45
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:zH8LnywQ
#901 [ん◇◇]
:22/10/25 21:45
:Android
:zH8LnywQ
#902 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#903 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#904 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#905 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#906 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#907 [ん◇◇]
:22/10/25 21:46
:Android
:zH8LnywQ
#908 [ん◇◇]
:22/10/25 21:47
:Android
:zH8LnywQ
#909 [ん◇◇]
「父に会っていかなくていいんですか」
わたしたちは、彼が昔、猫を埋めたという場所にいた。途中で買った花を添え、二人で手を合わせる。
「君の貞操を奪ったって言ったらあの人はどんな顔をするんだろうね」
「.......父は、あなたが小説家になったことを知っていると思います。父の部屋には永原愛の小説が全て揃えてありました」
:22/10/26 05:29
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:AtV/.tU6
#910 [ん◇◇]
「はは、まぁ偶然だろ。俺は、あの人たちに会うつもりはないよ」
三日という時間はあまりにも短く感じた。駅のホームで、帰りの新幹線がくるのを待ちながら、二人でココアを飲む。駅のなかは蒸し暑く、汗で肌はじっとりとぬれている。.......彼はもう二度とわたしには会ってくれないだろう。
:22/10/26 05:30
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:AtV/.tU6
#911 [ん◇◇]
彼にとって、わたしなど憎むべき存在でしかないのだ。やがて新幹線が到着したことを知らせるアナウンスが流れた。
「梨菜、さよなら」
そう言い残し彼の背中は人混みの中へ消えていった。目頭が熱くなり、涙が溢れてとまらなかった。
:22/10/26 05:30
:Android
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#912 [ん◇◇]
「お兄ちゃん!」
悲痛なわたしの叫び声は駅中に響いても彼のこころにとどくことはなかった。
お兄ちゃん。
どうか、幸せになって。
:22/10/26 05:30
:Android
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#913 [ん◇◇]
いつか素敵な女性と結婚し、あなたが子供の頃夢見た理想の家庭を築いてください。家族というのは悪いもんじゃないんだってことをどうかあなたにだけは知ってほしいのです。
BLUE BIRD
Fin
:22/10/26 05:30
:Android
:AtV/.tU6
#914 [ん◇◇]
:22/10/26 05:31
:Android
:AtV/.tU6
#915 [ん◇◇]
:22/10/26 05:31
:Android
:AtV/.tU6
#916 [ん◇◇]
:22/10/26 05:31
:Android
:AtV/.tU6
#917 [ん◇◇]
>>>960-999
:22/10/26 05:32
:Android
:AtV/.tU6
#918 [ん◇◇]
:22/10/26 05:32
:Android
:AtV/.tU6
#919 [ん◇◇]
ギンリョウソウ
「お嬢様、次の連休はどこにお出かけしますか?」
「やはり花の都、パリなどはいかがですか?」
「もうすぐ涼しくなりますし、ここはひとつ暑い所はどうでしょう」
「じゃあ、ハワイなんて素敵じゃありません?」
勝手に騒ぎだすメイド達。そんな彼女達に静かに微笑みかけ、着替えを手伝おうとする手を制するは、この館の主の娘だ。
:22/10/26 10:11
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#920 [ん◇◇]
「いいえ。わたしはどこにも行きませんわ.......」
彼女の名は、野々宮 椿(ののみや つばき)。十七歳になる高校生だ。ファッションデザイナーとして世界的に有名な椿の父は、男手ひとつで椿を育てた。父は常に椿の意見を尊重し、椿もそんな父が喜んでくれるなら、と、父の為に最善の道を選ぶ。そんな野々宮家にも、決まりがあった。
:22/10/26 10:11
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#921 [ん◇◇]
“十七歳になれば、婚約者を見つけること”
「.......椿、そんな相手いるの?」
幼なじみで親友の美希が、学校へ行く車の中で聞いてきた。椿は微笑みながらも少し困ったのかうつ向いた。
「いると.......言いますか、立候補して下さった方がいて.......」
:22/10/26 10:12
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#922 [ん◇◇]
と、言いながらその人物を思い出す。初めてあったのは椿の誕生日パーティーだった。元々、からだが弱い彼女は、パーティーに疲れ、隅の方の椅子に座っていたのだった。父は心配しながらも、来てくれた客に挨拶をしなければと、椿をおいて人混みに紛れていった。それを見送り、うつ向いてからため息をそっと吐く。
:22/10/26 10:12
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#923 [ん◇◇]
『きみが、椿お嬢さん?』
爽やかな、甘い声だった。ゆっくりと顔をあげれば、同い年か、ひとつ上くらいの男性がにこりと笑って椿を見下ろしている。青っぽい黒髪が印象的で、椿はぼんやりとしながらも立ち上がり、ひとつ礼をした。
:22/10/26 10:12
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#924 [ん◇◇]
『初めまして。ぼくは蒼野 要(あおの かなめ)って言います』
『野々宮椿です。本日は足を運んで頂きありがとうございます.......』
青野要と名乗る男性は、にこにこしながら椿に握手を求める。差し出された手を遠慮しがちに出せば、しっかりと手を掴まれる。父以外の男性に手を握られるのに慣れていない椿は、困りながら顔を赤らめた。
:22/10/26 10:12
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#925 [ん◇◇]
『良ければお話でもどうでしょう。きみとは一度ゆっくりと話してみたいと思ったんだ』
そこで。彼はどこで聞いたのか、自分が婚約者になりたいと名乗りでたのだ。父も彼を気に入っている様子で、椿も、ならばと彼を婚約者としようと考えていたのだ。「でも.......」と椿は思う。
:22/10/26 10:12
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#926 [ん◇◇]
「美希ちゃん、ギンリョウソウって.......ご存知ですか?」
椿の話の続きを待っていた美希は眉を寄せた。
「ギンリョウソウ?初めて聞いたよ」
それは。パーティーの後の事だった。たまたま青野要が携帯で話している所に居あわせた椿は、話を聞いてはいけないと、踵(きびす)をかえそうとした。
:22/10/26 10:13
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#927 [ん◇◇]
『まるでギンリョウソウのような女の子だったよ』
青野要は確かにそう言った。耳慣れないその単語に、椿は思わず足を止めた。
ギンリョウソウ?
その単語を調べたくて、辞書を開いた。意味は<山奥の陰にしか咲かない半透明の白い花>.......などの意味が書かれていた。あまり良くない意味だというのは分かった。
:22/10/26 10:13
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#928 [ん◇◇]
しかし、分からない。そんな少女を、何故彼は婚約者として名乗りをあげたのだろうか。それとも、何か別の意味が.......?
ギンリョウソウ
第一話
椿が通う学校はお嬢様が行くような学校ではない。
:22/10/26 10:13
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#929 [ん◇◇]
美嘉と一緒の一般の学校だ。これは椿の希望で、父も快く許してくれた。むしろ美嘉がいてくれた方がありがたいと喜んでくれたのだった。
「あ、美嘉、椿。おはよう」
教室に入って、にっこり笑いながら挨拶したのは友人の神野 絵子(かんだえつ)だ。優しくいつも前向きな女の子だ。
「おはようございます.......」
:22/10/26 10:14
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#930 [ん◇◇]
椿も微笑みかえす。
しかし椿の頭の中は、青野要の事でいっぱいだった。
青野 要。
彼はデザイナー界の期待の新人なのだ。椿と同い年にも関わらず既に社長業を勤め、彼のデザインした服はパリコレなんかにも出される有名ブランドとなっている。その名もAKAと言うらしい。自分の名前がアオノ、だから逆のアカでブランド名をつけたらしい。
:22/10/26 10:14
:Android
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#931 [ん◇◇]
容姿も爽やかで、人なつっこい笑顔が人を寄せ付ける。そんな女性にも困らなさそうな彼が、「ギンリョウソウ」と称している自分を好んだのか、椿はやっぱり分からないでいた。しかし、椿には薄々気づいている事もあったのだ。
:22/10/26 10:15
:Android
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#932 [ん◇◇]
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
迎えてくれるメイドや執事達に会釈して、椿は自室へと向かった。ベッドに腰掛け、深呼吸をする。なんだか熱っぽい気がする……。体のだるさを感じていると、ドアを誰かがノックした。返事をすると、ノックした人物が入ってきた。
:22/10/26 10:15
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#933 [ん◇◇]
「あ、父様.......イタリアから帰ってらしたんですか。お帰りなさいませ」
「ただいま、椿。すまないがまた出かけなければならないのだ。その前に顔を見ておきたくてな」
柔らかく笑いながら、父は椿の髪を撫でる。椿はいつも自分を大事にしてくれる父が大好きだった。
:22/10/26 10:15
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#934 [ん◇◇]
「それと、もうじき要君がくるらしいから、仲良くするんだよ」
そう言われて、椿は静かに微笑んで頷いた。そんな椿に、父は少し困った顔をした。
「椿、本当に要君が婚約者でいいのか?椿は私が彼を気に入ってるからそれでも良いと思ってるんじゃないのか?いいか、椿。一生一緒にいる人は、自分の心で決めなきゃならないよ?」
:22/10/26 10:15
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#935 [ん◇◇]
真剣な顔で心配して言ってくれる父に、やはり椿は微笑んだ。
「大丈夫ですよ、父様.......」
「失礼します」
凛とした声が椿の部屋に響いた。入口を見れば、スーツ姿の要がいた。要はにこっと笑うと部屋の扉を閉め、こちらに歩いてくる。父はそんな要に向き直り笑いかける。
:22/10/26 10:16
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#936 [ん◇◇]
「やあ要君。久しぶりだね。フランスはどうだった?」
「行く度に勉強させられますよ。僕はまだまだ未熟ですね」
「そうかい。向上心があって実にいい。では、邪魔者は退散しようかな」
そう言って、要を信じきっているのか、父は2人を残して出て行ってしまった。父が出て行く際に一礼して見送った要は椿に向き直る。笑いかけられた椿はベッドから立ち上がり要に頭を下げた。
:22/10/26 10:16
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#937 [ん◇◇]
「お仕事ご苦労さまです、青野さま」
「青野さまだなんてよそよそしい。要と呼んでくれて構わないんだよ」
挨拶とでも言うように、要は椿の頬に軽くキスをした。戸惑いながらも微笑む椿。
「まだ、旦那さまではないので.......」
「でもなるのは決まってるんだ。別にいいじゃないか」
:22/10/26 10:17
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#938 [ん◇◇]
そう言われても、なかなか呼べない椿だ。やはり微笑むしか出来ない椿の額に、要は手を当てる。
「君、熱がある?」
「.......さあ。分かりません。平熱は高い方なので」
「でも休んだ方がいいね。メイドさんを呼んでこよう」
スタスタと歩き、彼は部屋を出ていった。その姿を見ながら椿はふと思った。恋人が体調を崩したなら、まず自分自身がそばにいるものじゃないのだろうかと。
:22/10/26 10:17
:Android
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#939 [ん◇◇]
しかし、すぐに、いいや、と首をふる。心配なら尚更誰かに言って医者を呼ぶのが先か.......と思い直す。残念ながら、椿は付き合った事がない。なので当然ながら、彼女は恋人同士はどのように接するものかなんて言うのは分からないのだ。仕方なく、寝巻きに着替える。するとまた扉をノックされた。入ってきたのはメイドと要だ。
:22/10/26 10:18
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#940 [ん◇◇]
「椿さま、担当医を呼びましょうか?」
「いえ、寝れば治ります。なので佐々木さんも青野さまも、うつらない内にお帰りなさいませ」
ちなみに佐々木とはメイドの名前である。
「君がそう言うなら言う事を聞こう。明日また来させてもらうよ。ではね」
:22/10/26 10:18
:Android
:AtV/.tU6
#941 [ん◇◇]
爽やかな笑みを浮かべ、あっさりと要は帰ってしまった。そんな要にメイドである佐々木は戸惑い、椿を見るが、何も気にしてないように優しく佐々木に言った。
「佐々木さんも、ね」
「では、またお時間になりましたら、夕食とお薬を運ばせて頂きます」
メイドは頭を下げてから、出ていく際に部屋の明かりを消した。ベッドに身を沈め、天井を見つめながら椿は1人考える。こんな、お荷物の自分を婚約者扱いしてくれるのは嬉しい。優しくだってしてくれるし、こうやって顔も見に来てくれる。
:22/10/26 10:18
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#942 [ん◇◇]
でも彼は心配してるような言葉を椿に向けながらも、その言葉に込もっている気持ちは空っぽのような気がしてならない。
彼の目的は?
椿は思い当たっている事がある。だがそれが本当なのかどうか、彼女にはまだ分からないのだった。
「椿、今日椿ん家寄っていい?」
学校で掃除をしている時、美嘉が言った。椿は箒で床を掃く手を止めて、頷く。
:22/10/26 10:19
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#943 [ん◇◇]
「ハイ。ちょうど今、綺麗な薔薇が咲いているので、是非美嘉ちゃんに見てもらいたいです.......」
「本当?椿ん家はいつも綺麗にしてるからなー。椿ん家の庭すっごい好き!」
無邪気に笑う美嘉を見て、どこかホッとする椿。こんな風に、美嘉はいつも椿に優しさと元気をくれる。椿は、自分にはもったいないとさえ感じる。だから美嘉が何かで悲しんだりしたら、自分が元気を与える事が出来ればいいなと考える。
「あ、絵子」
美嘉が絵子を呼び止める。
:22/10/26 10:19
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#944 [ん◇◇]
「今日椿ん家行くんだけど行かない?」
絵子は一瞬パッと表情を明るくさせるが、しばらく考えてから「あ!」と声をあげた。
「ごめん!今日はお米の特売あるから帰る!」
と言うなりカバンを掴んで、猛スピードで教室から出て行ってしまった。その姿を見てから、椿と美嘉は顔を合わせる。
「絵子ちゃんも大変ですね.......」
「ある意味あの子が母親代わりみたいなとこあるからね」
:22/10/26 10:20
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#945 [ん◇◇]
最近彼女の家に変化があったのか、忙しく動き回るもか楽しそうに毎日を過ごしている。そんな越に、椿は拍手したい気分だった。自分は恵まれていると思えば尚更に。
「じゃそろそろ行こっか」
いつも通り、まっすぐ自宅へ帰る。
扉を開ければやはり大勢のメイド達が椿だけでなく美嘉にも挨拶をする。それも昔から知ってるので、美嘉はカラカラ笑って「たっだいまー」と気軽に返事をする。
:22/10/26 10:20
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#946 [ん◇◇]
「お嬢様」
1人のメイドが椿を呼ぶ。
「要さまが来てらっしゃいます。お仕事を持ち込んでらっしゃいますので、お嬢様の挨拶はそれを済んでからの方がいいかと思われたんですが、ご本人はいつでも.......とおっしゃってました」
:22/10/26 10:20
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#947 [ん◇◇]
今日も来たのかと椿はぼんやり思った。しかし、仕事をしているなら別に早く挨拶に行かなくてもいいだろう。こちらだって、美嘉がいるのだし。
「わかりました.......ありがとうございます」
しばらくの間は庭にいようと思い、自室に美嘉とカバンを置きに行ってからまた外へと出た。きちんと切り揃えられている植え込みや、青々とした芝生はいつみても美嘉に「すごい」と言わせるのであった。
:22/10/26 10:21
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#948 [ん◇◇]
「こちらです」
薔薇が咲いている場所に美嘉を案内する。たどり着いた場所には、様々な形、色をした薔薇が無数に咲いていた。その周りを、2人は歩く。
「婚約者、本当にいたんだ。なんか信じられないや。いい人?」
「ええ、もちろんです。だって私なんかの婚約者になって下さるんですもの」
:22/10/26 10:21
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#949 [ん◇◇]
心底そう思ってるらしく、椿は笑顔で美嘉にそう告げる。しかし美嘉は、椿をじっと見つめると、蔦が絡まったアーチの下で足を止めた。
「椿、美嘉は椿みたいな令嬢のしきたりとかは分からないけど、椿が嫌なら嫌って言っていいと思うよ」
椿は首を傾げてから、小さく頷きほのかに微笑む。嫌だなんて思ってない。美嘉や父のように心配してくれる人がいるのは、どれだけ有難い事かと彼女は思う。要も悪い人ではない。もしかしたら今日来たのだって昨日熱を出したから心配してくれたのかもしれないのだ。
:22/10/26 10:22
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#950 [ん◇◇]
そう感じれば、嫌だなんて失礼な事を言う筈がないのだ。美嘉はまだ気にしたように椿を見るが、彼女は微笑み続けているのでそれ以上は何も言わなかった。ただ、そんな彼女だからこそ、ひそかにしらない所で、その小さな胸を痛めているのではないかと思えば、美嘉は悲しくなったのだった。
:22/10/26 10:22
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#951 [ん◇◇]
庭を歩き回り、疲れただろうと美嘉に言い、椿は休憩を取るため部屋へと戻ってきた。メイドがお茶を運ぶと言ったが、自分ですると言い、今から取りにいく。出来る事はなるべくしておきたいのだ。椿1人では重たいティーセットを持てないと思い、美嘉もついてくる。
:22/10/26 10:22
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#952 [ん◇◇]
「あ、セイロンだ。美嘉これ好きなんだー」
「そうだと思って用意してもらったんです」
ほのぼのと会話しながら部屋へ戻る途中、ある部屋の扉が少しだけ開いていたのに気づく。
:22/10/26 10:22
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#953 [ん◇◇]
:22/10/26 10:23
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#954 [ん◇◇]
:22/10/26 10:23
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#955 [ん◇◇]
:22/10/26 10:23
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#956 [ん◇◇]
:22/10/26 10:24
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#957 [ん◇◇]
:22/10/26 10:24
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#958 [ん◇◇]
:22/10/26 10:24
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#959 [ん◇◇]
「もう、何か喋りなよ。わたしなんか死んでから独り言ばかりだよ?猫しか遊び相手いないし、つまんない」
愚痴を言いながらも、わたしはわずかに微笑んでいた。孝の隣は居心地が良い。悪ふざけをしない孝は悪いもんじゃないなと、あの屋上でのひと時以来しばしば感じていた。沈黙すら楽しんでいる。
:22/10/26 10:27
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#960 [ん◇◇]
「二時三十分か」
公園の時計を見て呟くと、孝の声とぴったり重なった。驚いて隣に視線を向ければ、孝も携帯電話の時計を見ていた。カチカチと、無造作にボタンを押す孝。先程の電話の件もあってつい画面を覗き込んだ。
「孝、何考えてるの?」
:22/10/26 10:28
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#961 [ん◇◇]
画面にはわたしの名前と電話番号が映っていた。しばらく停止した後、孝は通話ボタンを押した。ゆっくりと耳に近付けると、呼び出し音が響く。三回.......四回.......。
出るはずがない、と確信しながら、孝の行動の意味を考えていた。結論、理解不能。八回目を過ぎると、孝は電話を切った。溜め息を吐く孝を横目に、少し気まずさを覚えた。
:22/10/26 10:28
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#962 [ん◇◇]
孝が、教室で黙祷の時に見せた、わたしの机を見つめていた時のあの目をしていたのだ。何を考えているのか.......わたしにはわからない。そう、思っていた。孝の漏らした言葉を聞くまでは。
「.......千恵。おまえはもう帰ってこないんだな、本当に、」
:22/10/26 10:28
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#963 [ん◇◇]
不意打ちだった。
有り得ないと思っていたことが現実に起きた瞬間、わたしは顔に熱が昇るのを感じた。かぁっ、と頬が熱くなる。孝は、わたひを想ってくれていたのだろうか。張り合い相手がいなくなったのを、寂しがってくれていたのだろうか。わたしは初めて見た、孝のそんな姿を。
:22/10/26 10:28
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#964 [ん◇◇]
九年前に反発しだした関係が、九年ぶりに修復に向かった気がした。よくわからないが、わたしは気恥ずかしさでいっぱいだった。この感覚は知っていた。昔、体験したことがある。ランドセルを落としたあの放課後の時と同じだった。
:22/10/26 10:29
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#965 [ん◇◇]
自らの熱と、場の空気と、何より恥ずかしさに耐え切れなくなったわたしは、逃げるようにその場を離れた。
わたしは走った。顔の熱は冷める兆しはなく、わたしのスピードを上げた。息切れはしないし、全力疾走なのに思うように速くない。夢の中の全力疾走のような感じだ。それでも。わたしは走った。息切れはないが疲労感が込み上げてくる。
:22/10/26 10:29
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#966 [ん◇◇]
身体が脱力しきって走るのを止めた時、空を見上げれば茜色の夕空が夜を待っているところだった。嗚呼、不思議だ。わたしは死んだ。なのに。生きていたときより、こころが躍っているような気がする。わたしは怖かった。道標がない未来に怯えていた。突然、影のように闇に紛れて消えてしまうんじゃないかと。突然、煙のように空気に混ざって溶けてしまうんじゃないかと。
:22/10/26 10:29
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#967 [ん◇◇]
だけど、いまは違う。わたしは怖くない。身体が熱い。実際の所、死んでから体温や気温などを感じる機能は遮断されていた。だから熱い、というよりは熱い気がするの方が正しいと思う。どちらにせよ、わたしはいま、赤面しているだろう。わたしの身体を取り巻く熱が引くまでに、かなり時間が掛かった。とっぷりと暮れた夜空の下、わたしは公園のベンチにいた。
:22/10/26 10:29
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#968 [ん◇◇]
さっきの公園とは違う公園。いまにも切れそうな街灯に視線を送りながら、頭を抱える。変わっていない。九年前と。あの頃は子供だった、なんて、笑ってしまう.......わたしいまも子供だ。変わっていない。九年前と。わたしは九年前に、気持ちを置いてきてしまったのかもしれない。だけど、気付いてしまった。九年もの間、全く気付かなかったことに、わたしは、気付いてしまった。じわりじわりと熱が蘇ってくる。
:22/10/26 10:29
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#969 [ん◇◇]
わたしは、
孝が、
満天の星空の下、わたしはこころの奥底に秘めた気持ちを隠した。暗い暗いこころの奥に。二度と上がってこないように。気付いてしまった以上は、仕方がない。わたしは死んだのだ。
:22/10/26 10:30
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#970 [ん◇◇]
わたしにはもう、道は残されていない。希望はないのだ。失望することがわかっている以上、封印してしまおう。それが良い.......そうしよう。その日、わたしはベンチで夜を明かした。
月曜日の朝になった。退屈とは拷問に近い。孝がいるから学校に行く気もしないし、家に帰る気もしない。
:22/10/26 10:30
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#971 [ん◇◇]
わたしはいつか消えるのだろうか。その時は昨日の気持ちも消えていくのだろう。その先には天国か地獄があるのかな。その時は昨日の気持ちも一緒に持って行くのだろう。私は初めて自分が女々しいことに気付いた。こうした考えを巡らすのは、隠したはずの気持ちが漏れだしている証拠ではないか。
振り出しに戻った気がした。
:22/10/26 10:30
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#972 [ん◇◇]
心が空っぽになった気がした。膝をぱんっ、と叩いて立ち上がる。
「わたし、これからどうしようかな」
気が重いがとりあえず家に帰ろうか。
ふらふらと家の方角に歩き出した。家の前に着いた。玄関先には父と母の姿があった。
「じゃあ、行ってくる」
:22/10/26 10:31
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#973 [ん◇◇]
スーツ姿の父が鞄を下げて手を上げる。
「行ってらっしゃい」
「今日は早めに帰るよ」
父がそう言うと母は笑った。
「早く帰りたい、でしょ?」
「まぁ、そうだな。じゃ、そろそろ行ってくる」
「はいはい。私もこのまま出ますよ」
:22/10/26 10:31
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#974 [ん◇◇]
「.......良枝。これから、頑張ろうな」
微笑む父に母はまた笑った。私は何故か違和感を覚えたが、父に「いってらっしゃい。頑張ってね」と声を掛けると玄関に向かった。リビングに上がると違和感が一気に増した。違う。何かが違う。仏壇に私の写真がない?母の笑顔が頭にちらつく。父の言葉が頭を過ぎる。
:22/10/26 10:31
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#975 [ん◇◇]
「頑張ろうな」
頑張ろうな?昨日から何かが変だ。
前向きだが、何かが違う。私は母が家に入って来ないことに気付いた。母の声が再生される。
:22/10/26 10:32
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#976 [ん◇◇]
「私もこのまま出ます」
出る?何処へ?何故一昨日帰ってこなかった?何故一昨日普段着だった?私は弾かれたように家を出た。キョロキョロと辺りを見渡せば、彼方に母の後ろ姿が見えた。私は走って後を追った。
:22/10/26 10:32
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#977 [ん◇◇]
おかしい。人間の頭で考えるのも変だが、どうもおかしい。私は死んだ。消滅するのはいつだ?三途の川はどこだ?お花畑や血の池地獄にはいつ行くのだ?それに、まだ見ていない。私という死者が存在しているのに、私以外の死者の姿を。
:22/10/26 10:33
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#978 [ん◇◇]
私は何だ?一つの希望が頭に浮かんだ。希望を断たれた時に傷付くのは嫌だが、往生際が悪いのは私の性格だ。
だが、私はそれに賭けてみたかった。
私は死んでしまった。だけど、夢くらいは見ても罰は当たらないだろう。
希望くらいは持っても、神様は許してくれるだろう。母の隣を歩いて、やがてある建物に着いた。ここは.......
:22/10/26 10:33
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#979 [ん◇◇]
「病院?」
白に統一された建物を見て、私の気持ちは高鳴った。落ち着け、私。まだ早い。答えは母について行けばわかるだろう。施設に入ると、内部を一瞥してから母は受付を済ました。エレベーターで三階に上がると、廊下を通り抜けてある病室の前で立ち止まる。
:22/10/26 10:33
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#980 [ん◇◇]
母がドアを開ければ、中は個室になっていた。室内を見た私は、目を丸くした。
「なんで?」
そこには、病室のベッドに身を埋めて眠る私の姿があった。口元には呼吸を助けるためなのか、規則正しい音を出す機械が伸びている。呆然とする私の前で、母はせっせと世話をし始めた。花瓶の水を変えている母を眺めていたら、ふと我に返る。
:22/10/26 10:33
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#981 [ん◇◇]
即座に病室の前の名札を見に行けば、桜井千恵と書かれていた。間違いない、私だ。もう一度目を向けると、ベッドの上の私は眠るように胸を上下させていた。予想は当たっていた?私は死んでなかった?夢を見ているのではないか。喜びと同時に疑問も溢れた。母や父が元気になった理由は頷ける。
:22/10/26 10:34
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#982 [ん◇◇]
しかし、私の葬式は確かにあった。ならば、いつ私は生き返ったのだろうか。いやそれより、何故私は肉体に戻れないのだろうか。これは意識不明の昏睡状態というものか。それとも植物状態というものか。それより問題は身体に戻れないこと。私が何度試しても、映画のように魂が肉体に戻ることはなかった。これじゃ.......生き返ったなんて言えない。
:22/10/26 10:34
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#983 [ん◇◇]
肉体は生き返っても、私の心はこうして死んだままだ。でも、悲しくはない。ようやく希望が見えた。生きているとわかったその時から、私の心の中心はある感情に支配されていた。あの時、奥深くに封印したはずの想いが、いつの間にか溢れ出していた。
.......孝。
この数日、孝は悲しんでいただけかも知れないけど、私は変わったと思う。
:22/10/26 10:34
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#984 [ん◇◇]
孝には悪いけど、私はもう止まれない。例え希望が断たれても、私は突き進むと決めた。私には、まだやり残したことがある。孝の気持ちを聞いていない。盗み聞きはよくないと思うが、今じゃなきゃ出来ないのも事実だ。私はまた走っていた。学校に行ってみたが今日は孝はいなかった。ならばと家まで押しかけたが生憎の不在。次に所に向かっていた。
:22/10/26 10:34
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#985 [ん◇◇]
脱力感は最高潮に達する。もしあそこにいなかったら、私はしばらく動けなくなるに違いない。一歩進む度に孝に近付いているのだろうか。私は鎖が巻き付いたような重い足を踏み出しながら、歩を進める。やがて足は動かなくなり、そして完全に停止した。
「も、動けない」
膝に手をつきながら顔を上げる。
「けど.......間に合ったっ!」
:22/10/26 10:35
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#986 [ん◇◇]
正面にはあの公園。そしてベンチには大嫌いだった男。私は微笑みながら足を引きずって隣に座った。
「あんたさぁ.......いい加減にしてよね。死んでからもわたしをいじめる気?」
笑ってみせるが、やけに清々しい。孝は静かに正面を見据えつつ、足を組んでいる。馬鹿馬鹿しい。私がこんなに一生懸命なるなんて、生きてた時は思ってもいなかった。だが、悪い気分ではない。
:22/10/26 10:35
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#987 [ん◇◇]
「今日はいつもみたいに退かないからね。答えを聞くまで、粘るよ」
ベンチに身を委ねて空を仰げば、隣から声が響く。
「不思議な気分だ」
「え?」
「千恵がいなくなってから、たまに千恵を近くに感じる時がある」
屋上や公園でのことだろうか。
:22/10/26 10:35
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#988 [ん◇◇]
「今も」
「うん」
しばらく沈黙が続く。小さく息を吐いて次の言葉を待った。
「なぁ、」
私は孝を横目でみる。孝は相変わらず同じ姿勢を保っている。今日はやけに独り言が多いなぁ。いつもより饒舌ではないか。少し黙った孝に私は視線を送り続けた。
:22/10/26 10:36
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#989 [ん◇◇]
「俺はおまえが嫌いだったよ」
.......うん。それはわかっていた。世界は灰色に変わる。悲しみも衝撃もない。でも大丈夫。私は、気付いてしまったから。
「.......で?」
気付いたから、違うんだと今は信じれる。
「嫌いだって、思ってた。いや、思い込んでた」
:22/10/26 10:36
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#990 [ん◇◇]
ほらね、信じることが出来る。
「あの日の延長線.......」
孝は一つ一つ言葉を落としていく。きっと私の高鳴りは最高潮に違いない。
「格好悪いって躊躇っていたら、後戻りが出来なくなっていた」
.......まただ。またあれが来た。気恥ずかしさが心を埋めていく。一刻も早くここから去りたい衝動に駆られる。少しずつ体が熱を帯びる。
:22/10/26 10:36
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#991 [ん◇◇]
「でも、今になって俺は、」
でもね、もう大丈夫。逃げ出したりはしない。何より大切なものを見付けたから。
「好きなんだって、気付けたんだ」
そう言い終えた孝は切なそうな視線を空に映した。
「孝.......」
私もね、気付いたんだ。孝が、好きみたいだって。だけど、ここまでだよ。私は初めから知っていたのかも知れない、こうなることを。
:22/10/26 10:37
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#992 [ん◇◇]
間に合って良かった。最後に、答えを聞けて良かった。
それは。突然やってきた。身体に暖かさを感じる。死んでから一度も感じなかった温もりだ。身体が小さく細かい光の粒に変わっていく。目に映る景色も白くなり始め、視界の端から崩壊していった。それらの感覚はじわりじわりと私の身体を侵食していく。少しずつ、少しずつ。
:22/10/26 10:37
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#993 [ん◇◇]
もう、時間か。どうやら、ようやくお迎えがきたようだ。九年前に止まった時計は、九年の時を経て再び刻み始めた。
十八年間。短いようで長い人生だった。今から行くのは天国だろうか、地獄だろうか。色々あったが、ようやく私の臨死体験は終わりを告げるようだ。
:22/10/26 10:37
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#994 [ん◇◇]
死んでから気付いた大切な人。
もし生き返ることが出来たなら、きっと私は告白することが出来るだろう。でも後悔するのは嫌だから、今言えるだけ言っておこう。今までありがとう。貴方が大好きでした。そして最後に、
さようなら。
:22/10/26 10:37
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#995 [ん◇◇]
薄れゆく意識の中で、わたしはゆっくりと微笑んだ。
死んでから気付く大切な人
[完]
:22/10/26 10:38
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#996 [ん◇◇]
:22/10/26 10:38
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#997 [ん◇◇]
:22/10/26 10:39
:Android
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#998 [ん◇◇]
:22/10/26 10:40
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#999 [ん◇◇]
:22/10/26 10:40
:Android
:AtV/.tU6
#1000 [ん◇◇]
:22/10/26 10:41
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#1001 [我輩は匿名である]
このスレッドは 1000 を超えました。
もう書けないので新しいスレッドを建ててください。
:22/10/26 10:41
:
:Thread}
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