よすが
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#5 [蜜月◆oycAM.aIfI]
―T―
授業開始のチャイムが校舎に鳴り響く中、冬だというのにあたしは一人屋上で考え事をしていた。
昼休み、いつも通り自分の教室で友達と一緒に弁当を食べた後、一人になりたくて屋上に来た。
昔のことを考えている内に、昼休みが終わってしまっていた。
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:08/04/03 00:10
:SH903i
:RM1EQ/SI
#6 [蜜月◆oycAM.aIfI]
今まで授業をさぼったことなんて無かったけれど、今日は教室に戻りたくなかった。
授業よりも、自分の過去と向き合うことの方が今のあたしには重要に思えたから。
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:08/04/03 00:12
:SH903i
:RM1EQ/SI
#7 [蜜月◆oycAM.aIfI]
昨日の夜、夢を見た。
あたしは、小さな女の子と一緒にいた。
長い長い坂道を、あたしたちは手を繋いで登っていた。
登っても登っても、終わらない登り坂。
あたしの口が言葉を発した。
「あなたは……だあれ?」
「私は……」
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:08/04/03 00:14
:SH903i
:RM1EQ/SI
#8 [蜜月◆oycAM.aIfI]
目が覚めた時には、女の子の顔は忘れてしまっていた。
けれど、あたしはあの子を知っている。
そんな気がする。
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:08/04/03 00:15
:SH903i
:RM1EQ/SI
#9 [蜜月◆oycAM.aIfI]
八年間。
あたしには、八歳までの記憶が無い。
病院のベッドで目を覚まし、父と母が泣きながらあたしを抱きしめているのが、一番古い記憶。
八年間をどこかに落としたまま、あたしは十八歳になってしまった。
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:08/04/03 00:17
:SH903i
:RM1EQ/SI
#10 [蜜月◆oycAM.aIfI]
何があったのか思い出そうとしても、何一つ思い出せない。
父や母に何度も聞いてみたけれど、答えは毎回同じ。
「あなたは知らなくていいの。これからは普通に暮らしていこうね」
あたしたちに、何か普通でないことが起きたのだろう。
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:08/04/03 00:20
:SH903i
:RM1EQ/SI
#11 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父や母がその問いに答える時の顔には決まっていつも、悲しみが浮かんでいた。
しかし同時に、あたしへの愛情に満ちていた。
だからあたしは、過去を捨てて今を生きることにした。
父と、母とともに。
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:08/04/03 00:21
:SH903i
:RM1EQ/SI
#12 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど昨日の夢は、あたしに過去を取り戻させようとしている気がした。
今まで考えないようにしてきたけれど、やはりいつかは向き合わなければいけないことをあたしは知っていたのだと思う。
そのいつかが今だと、昨日の夢があたしに知らせていた。
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:08/04/03 00:23
:SH903i
:RM1EQ/SI
#13 [蜜月◆oycAM.aIfI]
そしてあたしは、落としてしまった自分の八年間を、あたしの頭の中に閉じ込められた記憶を、探し出す。そう決心した。
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:08/04/03 00:24
:SH903i
:RM1EQ/SI
#14 [蜜月◆oycAM.aIfI]
屋上で冷たい風に吹かれながら、十年前のことを考えてみる。
病院で目を覚ました時、あたしの頭や腕には包帯がぐるぐるに巻かれていた。
父と母はその体を抱きしめながら、あたしの名前を呼んでいた。
「ユキ、ユキ! ああ、良かった……ユキ」
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:08/04/03 00:25
:SH903i
:RM1EQ/SI
#15 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それが一番古い記憶。
何度頭を痛めても、やはりそれ以前のことは思い出せない。
しかし八歳のあたしは、意識が戻ってもすぐには退院出来なかった。
体の傷がかなりひどかったらしく、目を覚ますまでにかなり回復していたけれど、それでもその後三ヶ月は治療が続いた。
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:08/04/03 00:26
:SH903i
:RM1EQ/SI
#16 [蜜月◆oycAM.aIfI]
病院では、いつも父か母が一緒にいてくれた。
一度、偶然二人とも傍にいない時に、他の入院患者に聞いてみたことがある。
「あたし、いつからここにいるの?」
「半年くらい前からかしらね。あなたのお父さんとお母さんは、その間毎日来てらっしゃったのよ。感謝しなくちゃね」
同じ病室のおばさんは、穏やかな笑顔でそう教えてくれた。
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:08/04/03 00:31
:SH903i
:RM1EQ/SI
#17 [蜜月◆oycAM.aIfI]
傷が治って退院した後、あたしは新しい学校に転入した。
そもそも、前の学校のことも友達のことも何も覚えていないのだから、あたしにとっては同じことだった。
後になって父から聞いたのだが、あたしたちはもともと田舎の方に住んでいたらしい。
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:08/04/03 00:34
:SH903i
:RM1EQ/SI
#18 [蜜月◆oycAM.aIfI]
父も母も、あたしの記憶が無い頃の話を未だにしようとしないが、その話をした時の父はひどく酔っていた。
田舎から、同じ県内の中心部であるこの街に引っ越して来たのだと言ったきり、父は黙ってしまった。
その時あたしは、父が普段なら絶対に口にしない過去の話をしたことと、いつもとは違う父の雰囲気に驚き、何も言えなかった。
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:08/04/03 00:34
:SH903i
:RM1EQ/SI
#19 [蜜月◆oycAM.aIfI]
それからは元通り、父も母も過去の話には触れなかった。
転校してからは特に不自由なこともなく、中学に上がり、受験戦争を乗り越え高校に入学、と普通の毎日を過ごしてきた。
両親が望んだ通り、普通の生活。
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:08/04/03 00:36
:SH903i
:RM1EQ/SI
#20 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは今、その普通から飛び出そうとしているのかもしれない。
自分の記憶を取り戻すことによって、今の普通で幸せな生活が壊れてしまうかもしれない。
そうなった時、あたしはどうすればいいのだろうか。
――怖い。
傷だらけになり記憶をなくした幼い自分が蘇る。またあんな風になってしまうのか……。
恐怖、その感情があたしを支配しそうになる。
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:08/04/03 00:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#21 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、あたしは過去を受け入れる。そう決めたのだ。
ぎゅっと目をつむり、恐怖を向こう側へ押しやる。
しかし、父と母にはもう心配をかけたくなかった。悲しませたくなかった。
何があったのか、二人には聞けない。
でも、他に手掛かりは無い。
――あたしの過去に続く道は何処……?
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:08/04/03 00:39
:SH903i
:RM1EQ/SI
#22 [蜜月◆oycAM.aIfI]
騒がしい声が聞こえてきて、思考を中断させられた。
屋上を囲っている柵越しに校庭を見下ろすと、家に帰ろうとする者や部活の準備をしている生徒が大勢歩いている。
とりあえず家に帰ろうと教室に戻ると、一人の男子生徒があたしを待っていた。
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:08/04/03 00:42
:SH903i
:RM1EQ/SI
#23 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「ユキー、どこ行ってたんだよー? 保健室行ってもいないし。鞄置きっぱなしだし。午後の授業出なかったんだってー?」
この男子生徒、サトルは、あたしが転校した小学校で出会った、一つ年下の幼なじみのようなもの。
彼とは家が近く、学校の行き帰りを共にすることも多かった。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してたらこんな時間になってた。帰ろうか?」
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:08/04/03 00:43
:SH903i
:RM1EQ/SI
#24 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは笑って答えながら鞄を手に取った。
「うん!」
サトルを見ていると、人懐っこい子犬みたいだといつも思う。
眩しいくらいの笑顔で返事をするサトルを見て、なんだか安心してしまった。
――あたしは変わらない。
例え何があろうと、あたしには大切な人たちがいるから。
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:08/04/03 00:44
:SH903i
:RM1EQ/SI
#25 [蜜月◆oycAM.aIfI]
学校を出て、サトルと並んで歩いていた。
そうしていても、昨日の夢のことが頭を巡ってしまう。
「ユキ、ユキ!」
サトルがあたしの顔の前で片手を振っている。
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:08/04/03 00:46
:SH903i
:RM1EQ/SI
#26 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「どうしたの? なんか今日変だよ、ユキ。何かあった? 誰かに虐められた?」
サトルが本気で心配してくれているのが解る。
「サトル、今日時間ある?」
「あるけど、何?」
あたしはサトルを連れて学校の近くのコーヒーショップに入った。
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:08/04/03 01:09
:SH903i
:RM1EQ/SI
#27 [蜜月◆oycAM.aIfI]
サトルはちょっとバカだけど、いざという時は頼りになるし、心の底から信じられる友達だ。
出会ってすぐの頃、サトルとあたしとあたしの母と、三人で大型のショッピングセンターに出掛けたことがあった。
あたしとサトルは楽しくて、母の言うことを聞かずに走り回って遊んでいたら、いつの間にか母とはぐれてしまった。
複雑な構造のショッピングセンターの中で、あたしとサトルは母を探してあちこち歩き回ったけれど、母の姿はどこにもない。
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:08/04/03 01:10
:SH903i
:RM1EQ/SI
#28 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしは心細くなって、泣き出してしまった。
するとサトルは、そんなあたしの手を引っ張って、近くにいた店員さんに話しかけた。
「迷子になっちゃったんですけど、どこに行ったらいいですかっ」
サトルの顔は真っ赤だった。きっとサトルも心細かったに違いない。
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:08/04/03 02:11
:SH903i
:RM1EQ/SI
#29 [蜜月◆oycAM.aIfI]
迷子の放送をしてもらい、母が迎えに来てくれたとき、サトルも泣き出してしまった。
あたしが不安にならないように、我慢していたのだろう。
それがすごく嬉しかったし、あたしには一つ年下のサトルがとても強く見えた。
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:08/04/03 02:11
:SH903i
:RM1EQ/SI
#30 [蜜月◆oycAM.aIfI]
大通りに面したコーヒーショップの窓際の席に座り、あたしはサトルに夢のこと、過去のことを全て話した。
サトルは何も知らない。
今まで、あたしの中で過去の話はタブーだったから。
初めて聞くあたしの話に、サトルは一生懸命耳を傾けてくれた。
たまに理解出来ないところを聞き返してくることもあったけれど、それ以外は黙って聞いてくれた。
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:08/04/03 02:14
:SH903i
:RM1EQ/SI
#31 [蜜月◆oycAM.aIfI]
全てを話し終えて、あたしは最後にこう付け加えた。
「あたし、思い出したいの」
サトルは、あたしの顔を真っ直ぐ見つめて黙っていた。
何と答えようか、考えているのだろう。
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:08/04/03 02:15
:SH903i
:RM1EQ/SI
#32 [蜜月◆oycAM.aIfI]
たっぷり五分は沈黙が続いた後、サトルが口を開いた。
「もし、ユキが辛くなったら、僕がいるから。何があっても僕がユキを守るからね!」
嬉しかった。サトルはいつも、あたしを安心させてくれる。
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:08/04/03 02:18
:SH903i
:RM1EQ/SI
#33 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、ありがとう」
サトルは、自分に手伝えることは無いか、と言ってくれた。
あたしはその言葉に甘えることにした。
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:08/04/03 02:18
:SH903i
:RM1EQ/SI
#34 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしたちはコーヒーショップを出て、昔一緒に通っていた小学校に向かった。
「久しぶりだよね、小学校なんて。高校入学の報告に行ったきりだなあ、僕」
「あたしもだよ。中山先生、まだいたよね?」
中山先生とは、あたしが小学校に転入した年の担任教師だ。
記憶を失って精神的に不安定だったあたしを、いつも気遣ってくれる、良い先生だった。
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:08/04/03 12:55
:SH903i
:RM1EQ/SI
#35 [蜜月◆oycAM.aIfI]
学校に着き、事務室の窓口で中山先生を呼んでもらおうとした。
「中山先生は去年、T町の学校に転任されましたけど」
あたしとサトルは顔を見合わせた。
「しかたないね」
サトルがそういって悲しそうな顔を見せる。
サトルにそうだね、と返し、窓口の事務員に尋ねた。
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:08/04/03 12:56
:SH903i
:RM1EQ/SI
#36 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「あたし、十年前にここに転校してきたんですけど、その前にいた学校がどこか調べてもらえませんか?」
そう言うと、事務員の女性はあからさまに不審な目を向けてくる。あたしは慌てて説明した。
「あの、あたし、八歳の時に記憶喪失になって、ここに転校してきたんです。それより前のことは覚えてなくて……」
「……身分証明できるものあります?」
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:08/04/03 12:57
:SH903i
:RM1EQ/SI
#37 [蜜月◆oycAM.aIfI]
女性がまだ信用しきっていない様子なので、あたしは急いで学生証を出した。
それを受け取った女性は、窓口の向こう側にあるパソコンに何やらカチャカチャと打ち込んでいく。
「確かに十年前に転入されてますね。その前の小学校は、T町のT小学校です」
「ありがとうございます!」
学生証を返してもらい、サトルを連れて校舎を出た。
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:08/04/03 12:58
:SH903i
:RM1EQ/SI
#38 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「中山先生、ユキの前の学校にいるんだ!」
サトルはブランコをこぎながら嬉しそうに笑った。
あたしが中山先生に担任してもらった次の年、先生はサトルのクラスを受け持っていたから、サトルも中山先生が好きなのだ。
「ユキ、行くよね? 僕も一緒に行く! いいでしょ?」
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:08/04/03 16:35
:SH903i
:RM1EQ/SI
#39 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「うん、もちろん。でも今日はもう遅いから行けないよ。T町まで電車で一時間はかかるし」
もう辺りは夕暮れに染まり、あたしたちのいる校庭は夕日に照らされて眩しかった。
「明日、学校終わってから行こう」
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:08/04/03 16:37
:SH903i
:RM1EQ/SI
#40 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしはサトルにそう言いながら、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
家に帰って父と母の顔を見たら、過去を知るのがもっと怖くなってしまうような気がした。
だから、自分の決心が鈍らないように。
もし心が揺らいだとしても、きっとサトルが背中を押してくれると信じて。
――明日、行こう。
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:08/04/03 16:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#41 [蜜月◆oycAM.aIfI]
家に帰ると、母が夕飯を用意しているところだった。
「おかえり、ユキ。遅かったじゃない」
「ただいま。サトルとちょっと話してたんだ。着替えたら手伝うね」
あたしはなるべくいつも通りに振る舞おうとした。
でも、母の顔を真っ直ぐ見られない。
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:08/04/03 16:38
:SH903i
:RM1EQ/SI
#42 [蜜月◆oycAM.aIfI]
――ごめん、お母さん。あたし、過去を知りたいんだ。
けれどそれは、今が大切じゃないということではない。
今あるこの家族や友達は何があろうとなくしたくない。
――でもあたしは、あたし自身をもっと理解したい。全てを知りたいんだ。
あたしには、その権利があるはず。
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:08/04/03 16:40
:SH903i
:RM1EQ/SI
#43 [蜜月◆oycAM.aIfI]
「いいわよ、もう出来上がってるから。手洗ってきなさい」
その優しい母の声に、決意がほどけそうになる。
うん、とだけ答えて、自分の部屋へ向かう。
――決めたんだから。決めたんでしょ。
自分に言い聞かせる。
――迷わないって決めたんだから。
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:08/04/03 16:41
:SH903i
:RM1EQ/SI
#44 [蜜月◆oycAM.aIfI]
あたしのために、父と母は二人で創ってきた人生の一部を捨ててくれた。
大切な思い出や、毎年祝いたい記念日もあっただろう。
それを、あたしは潰してしまったのだ。
そんな二人に逆らうように、あたしは過去に縋(すが)りつく。
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:08/04/03 16:42
:SH903i
:RM1EQ/SI
#45 [蜜月◆oycAM.aIfI]
けれど、あたしが八年間の記憶を思い出せば、父と母の八年間も取り戻せるのだ。
二人には、人生に影をつくって欲しくない。最初から最後まで、輝くほど幸せな人生を送って欲しい。
そのためにも、あたしはどんなに無様(ぶざま)だろうと、どれだけ辛い思いをしようと、なりふり構わず過去に縋りつこう。
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:08/04/03 16:44
:SH903i
:RM1EQ/SI
#46 [蜜月◆oycAM.aIfI]
着替えながら、ほどけそうになった決意をきつく結び直していると、父の声がした。
「あれ、ユキは? まだ帰ってないのか?」
部屋を出て父に声をかける。
「いるよー! おかえり、お父さん」
父と母、二人の顔を見て、改めて思った。
絶対に二人には、心配も迷惑もかけない。
自分で自分の過去にけりをつけるんだ。
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:08/04/03 16:45
:SH903i
:RM1EQ/SI
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