【特別企画】1日限りの恋愛短編祭り!【投下スレ】
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#201 [◆KHkHx8enOg]
おかしい。
人間の頭で考えるのも変だが、どうもおかしい。
私は死んだ。
消滅するのはいつだ?
三途の川はどこだ?
お花畑や血の池地獄にはいつ行くのだ?
それに、まだ見ていない。
私という死者が存在しているのに、私以外の死者の姿を。
私は何だ?
一つの希望が頭に浮かんだ。
希望を断たれた時に傷付くのは嫌だが、往生際が悪いのは私の性格だ。
だが、私はそれに賭けてみたかった。
私は死んでしまった。
だけど、夢くらいは見ても罰は当たらないだろう。
希望くらいは持っても、神様は許してくれるだろう。

⏰:08/09/14 18:41 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#202 [◆KHkHx8enOg]
母の隣を歩いて、やがてある建物に着いた。
ここは…、

「…病院?」

白に統一された建物を見て、私の気持ちは高鳴った。
落ち着け、私。
まだ早い。
答えは母について行けばわかるだろう。
施設に入ると、内部を一瞥してから母は受付を済ました。
エレベーターで三階に上がると、廊下を通り抜けてある病室の前で立ち止まる。
母がドアを開ければ、中は個室になっていた。
室内を見た私は、目を丸くした。

「なんで…?」

⏰:08/09/14 18:42 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#203 [◆KHkHx8enOg]
そこには、病室のベッドに身を埋めて眠る私の姿があった。
口元には呼吸を助けるためなのか、規則正しい音を出す機械が伸びている。
呆然とする私の前で、母はせっせと世話をし始めた。
花瓶の水を変えている母を眺めていたら、ふと我に返る。
即座に病室の前の名札を見に行けば、桜井千恵と書かれていた。
間違いない、私だ。
もう一度目を向けると、ベッドの上の私は眠るように胸を上下させていた。
予想は当たっていた?
私は死んでなかった…?
夢を見ているのではないか。

⏰:08/09/14 18:43 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#204 [◆KHkHx8enOg]
喜びと同時に疑問も溢れた。
母や父が元気になった理由は頷ける。
しかし、私の葬式は確かにあった。
ならば、いつ私は生き返ったのだろうか。
いやそれより、何故私は肉体に戻れないのだろうか。
これは意識不明の昏睡状態というものか。
それとも植物状態というものか。
それより問題は身体に戻れないこと。
私が何度試しても、映画のように魂が肉体に戻ることはなかった。

⏰:08/09/14 18:43 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#205 [◆KHkHx8enOg]
これじゃ…生き返ったなんて言えない。

肉体は生き返っても、私の心はこうして死んだままだ。

でも、悲しくはない。
ようやく希望が見えた。

生きているとわかったその時から、私の心の中心はある感情に支配されていた。
あの時、奥深くに封印したはずの想いが、いつの間にか溢れ出していた。

…孝。
この数日、孝は悲しんでいただけかも知れないけど、私は変わったと思う。
孝には悪いけど、私はもう止まれない。
例え希望が断たれても、私は突き進むと決めた。

⏰:08/09/14 18:44 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#206 [◆KHkHx8enOg]
私には、まだやり残したことがある。
孝の気持ちを聞いていない。
盗み聞きはよくないと思うが、今じゃなきゃ出来ないのも事実だ。
私はまた走っていた。
学校に行ってみたが今日は孝はいなかった。
ならばと家まで押しかけたが生憎の不在。
次に所に向かっていた。
脱力感は最高潮に達する。
もしあそこにいなかったら、私はしばらく動けなくなるに違いない。
一歩進む度に孝に近付いているのだろうか。
私は鎖が巻き付いたような重い足を踏み出しながら、歩を進める。
やがて足は動かなくなり、そして完全に停止した。

⏰:08/09/14 18:45 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#207 [◆KHkHx8enOg]
「も…動けない」

膝に手をつきながら顔を上げる。

「けど…間に合った…!」

正面にはあの公園。
そしてベンチには大嫌いだった男。
私は微笑みながら足を引きずって隣に座った。

「あんたさぁ…いい加減にしてよね。死んでからも私をいじめる気?」

笑ってみせるが、やけに清々しい。
孝は静かに正面を見据えつつ、足を組んでいる。
馬鹿馬鹿しい。
私がこんなに一生懸命なるなんて、生きてた時は思ってもいなかった。
…だが、悪い気分ではない。

⏰:08/09/14 18:46 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#208 [◆KHkHx8enOg]
「今日はいつもみたいに退かないからね。答えを聞くまで、粘るよ」

ベンチに身を委ねて空を仰げば、隣から声が響く。

「…不思議な気分だ」

「…え?」

「千恵がいなくなってから、たまに千恵を近くに感じる時がある…」

屋上や公園でのことだろうか。

「…今も」

「…うん」

しばらく沈黙が続く。
小さく息を吐いて次の言葉を待った。

「なぁ…」

私は孝を横目でみる。

⏰:08/09/14 18:47 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#209 [◆KHkHx8enOg]
孝は相変わらず同じ姿勢を保っている。
今日はやけに独り言が多いなぁ。
いつもより饒舌ではないか。
少し黙った孝に私は視線を送り続けた。

「俺はおまえが嫌いだったよ」

「……」

うん…。
それはわかっていた。
世界は灰色に変わる。
悲しみも衝撃もない。
でも大丈夫。
私は、気付いてしまったから。

「……で?」

気付いたから、
違うんだと今は信じれる。

⏰:08/09/14 18:48 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#210 [◆KHkHx8enOg]
「嫌いだって、思ってた。いや、思い込んでた」

ほらね…
信じることが出来る。

「あの日の延長線…」

孝は一つ一つ言葉を落としていく。
きっと私の高鳴りは最高潮に違いない。

「格好悪いって躊躇っていたら、後戻りが出来なくなっていた」

…まただ。
またあれが来た。
気恥ずかしさが心を埋めていく。
一刻も早くここから去りたい衝動に駆られる。
少しずつ体が熱を帯びる。

「でも、今になって俺は…」

でもね、もう大丈夫。
逃げ出したりはしない。
何より大切なものを見付けたから。

「好きなんだって、気付けたんだ」

そう言い終えた孝は切なそうな視線を空に映した。

⏰:08/09/14 18:49 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#211 [◆KHkHx8enOg]
「孝…」

私もね、気付いたんだ。
孝が、好きみたいだって。

…だけど、ここまでだよ。
私は初めから知っていたのかも知れない、こうなることを。

間に合って良かった。

最後に、答えを聞けて良かった。

⏰:08/09/14 18:51 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#212 [◆KHkHx8enOg]
それた突然やってきた。

身体に暖かさを感じる。
死んでから一度も感じなかった温もりだ。
身体が小さく細かい光の粒に変わっていく。
目に映る景色も白くなり始め、視界の端から崩壊していった。
それらの感覚はじわりじわりと私の身体を侵食していく。
少しずつ、少しずつ…。

⏰:08/09/14 18:52 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#213 [◆KHkHx8enOg]
もう、時間か…。

どうやら、ようやくお迎えがきたようだ。

九年前に止まった時計は、九年の時を経て再び刻み始めた。



十八年間。
短いようで長い人生だった。

今から行くのは天国だろうか、地獄だろうか。

色々あったが、ようやく私の臨死体験は終わりを告げるようだ。

⏰:08/09/14 18:53 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#214 [◆KHkHx8enOg]
死んでから気付いた大切な人。

もし生き返ることが出来たなら、きっと私は告白することが出来るだろう。



でも後悔するのは嫌だから、今言えるだけ言っておこう。


今までありがとう。

貴方が大好きでした。


そして最後に…、



さようなら。




薄れゆく意識の中で、私はゆっくりと微笑んだ。

⏰:08/09/14 18:54 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#215 [◆KHkHx8enOg]
>>112-214

死んでから気付く大切な人

終了です

⏰:08/09/14 18:56 📱:SH905i 🆔:☆☆☆


#216 [◆1y6juUfXIk]
>>215
乙です&今から投下します

⏰:08/09/14 18:57 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#217 [◆1y6juUfXIk]
彼は洗面台に手をつき頭を垂れ、盛大にため息を吐き出す。
ゆっくりと顔を上げ、目の前のやさぐれた顔の男に告げた。



 

⏰:08/09/14 18:58 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#218 [◆1y6juUfXIk]
「まずは誕生日おめでとう。そして、早速だが本題に入る。
お前が目指してきたのは小説家だったな? もう何年もありとあらゆる賞に送りまくっている。

結果は……言わなくても分かるな。散々だ。

お前が他の全てにおいて無能でも今まで生きてこれたのは、ひとえに小説があったおかげだ。
しかしその小説が通じないとわかった今、お前の存在価値なんてどこにもありはしない。そうだろう?

……とまぁ、以上の理由から」

言葉を切り、再びため息をひとつ。

「…お前の人生を失敗と認定する。おめでとう」



自 殺 志 願 者 -太郎と花子の最後の2週間-

 

⏰:08/09/14 18:59 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#219 [◆1y6juUfXIk]
目の前の男はうなだれていた。
今まで何となくではあるが気付いていた事を、こうして真正面からはっきりと言われたのだから、当然と言えば当然だった。

彼…太郎もまた、その事を告げるのには相当に悩み苦しんだことだろう。

だが、もう誤魔化すことなどできなかった。

「失敗だ。何もかも失敗だったんだよ」

目の前の男は、太郎だった。

要するに太郎は洗面台で、鏡に写った自分自身に話しかけていたのだ。

「それじゃ、行くか」

一次選考落選の通知をゴミ箱に捨てて、辺りを見回す。

こういう時は、身の回りの整理をすればいいのだろうか。

⏰:08/09/14 19:00 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#220 [◆1y6juUfXIk]
ぼんやりと色々考えた結果、太郎は1本の万年筆だけ持っていくことにした。
とある賞の一次選考通過者全員にプレゼントされた品だ。

それが唯一、太郎が一次選考を通過できた賞だった。

安っぽい作りだが、太郎にとっては宝物だった。
それをポケットに入れて、財布を持って家を出る。

家の鍵はもう要らないし、かける必要もない。

家を出ると、季節外れの涼しい風が顔を撫で上げた。

半袖では少し肌寒いが、気にする程でもないし気にする必要もなかった。

⏰:08/09/14 19:01 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#221 [◆1y6juUfXIk]
どこを見ても灰色しかない、コンクリートに塗り固められた住宅街に1歩踏み出す。
足がやけに重く感じた。
周囲の家を見渡すと、どこか物悲しくなった。

カラッとよく晴れた過ごしやすい天気だったが、太郎の胸はコンクリートを詰め込んだように重かった。

「この風景も見納めか…」


向かった先は、ショッピングモールにあるスポーツ用品店。
入ってすぐに、愛想のよい女性店員が笑顔を見せた。

「いらっしゃいませ」

「ロッククライミングをするんだ。命綱になるロープはあるかい?」

「それでしたらこちらに。何メーターほどご入用なさいますか?」

「2メートルでいい」

⏰:08/09/14 19:02 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#222 [◆1y6juUfXIk]
当たり前だが、店員は変な顔をした。

「2メートル…ですか?」

「ああ。2メートルで」

当然だろう。

2メートルは命を救うには短すぎるが、命を捨てたい奴にとっては悪くない長さだ。

それに命綱で首を吊るなんてまさにブラックジョーク、気が利いているというもの。

ロープに加えて折り畳み椅子を持ち、そのままレジへ向かう。
さっきの店員が今度は不安そうな顔をしていたが、太郎は気にせず店を出た。

向かった先は駅。
路線図の一番端に書いてある駅へ向かう切符を買って、改札を通る。

⏰:08/09/14 19:03 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#223 [◆1y6juUfXIk]
太郎はホームの黄色い線の内側に立ち、周りの人間を眺めながら考えた。

(例えば俺が今ここで「俺は今から死にに行くんだ!」って叫んだら、どうなるんだろうな…)

まぁ目を合わせないようにするだけで、止めてくれるような親切な奴はいないだろう。

現代社会なんてそんなもんだ。
皆、自分が生きていくのに必死で、赤の他人に興味なんて持っていない。

まぁ、別に止めてほしくもない。むしろ迷惑だ

太郎自身、実に淡々とした気分だった。
まるで工場の中で次から次へと流れてくるパーツを組み立てる機械のように。

⏰:08/09/14 19:03 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#224 [◆1y6juUfXIk]
(安いもんだな、人の命なんて)

恐らくこのホームにいる誰もが2メートルの命綱を買えるだけの金を持ってるだろうし、それを引っかける場所もいくつか思い付くだろう。

そんな金すら持ってない子供なんかも、マンションの階段を屋上まで上がる体力さえあれば死ねるのだ。

普段の生活では『死』は何か遠いところにあるもののように感じるが、実際は常に手が届く距離にある。

人は、買い物に行くように、遊びに行くように、死ににいけるのだ。

⏰:08/09/14 19:04 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#225 [◆1y6juUfXIk]
電車に乗り込んだ太郎は座席に腰を下ろし、静かに瞼を閉じていた。

瞼の裏に浮かぶのは大木の姿。
大きくてがっしりした木だ。枝も手頃な高さにあり、太さも申し分ない。

最近は、いついかなる時でもこの大木の光景が視界に割り込んでくる。

「あっ、そういや遺書を書いてなかったな」

作家らしく時世の句でも、と考えたが、すぐに面倒くさくなった。

別にどうでもいいことだ。

恋人も、友人すらもいないのに、誰に何を言い残すというのか。
遺書なんて書く意味もなかった。

だがそれはつまり、自分が今日で消えてなくなっても、この世には何の影響もないことの証明でもあった。

⏰:08/09/14 19:05 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#226 [◆1y6juUfXIk]
 

失敗だな、本当に。

何もかも、本当に失敗だ。



移り行く電車の窓から人生最後の風景を味わったあと、太郎は電車を降りた。

都心から遠く離れた、人気のない林の中にポツンとある無人駅だ。

しばらく林の中の道なき道を歩いていると、大木の前に出た。

「ここだな」

以前、取材していた時に偶然見つけた場所だ。
人気はまったくないし、恐らく自分が腐って土に返るまで見つかる事はない。

誰かに見つかるなんてうんざりだ。

ましてや自分の葬式で老いた両親が泣く姿など、想像するだけで嫌になる。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#227 [◆1y6juUfXIk]
自分のことで誰かが騒ぐところを見たくなかった。

自分など最初から生まれてこなかったことにしたかった。

「ここらへんでいいか。この枝なら…」

折り畳み椅子を広げて上に乗り、枝にロープをくくりつける。
ほどけないようにしっかりと結び付け、もう一端に頭が通るサイズの輪を作った。

ここまで終えると、さすがに緊張してくる。

「…もう何一つ惜しいものなんかないだろう。何を躊躇してるんだ、俺は?」

生きていたい理由なんて1つもない。

思いきって輪に頭を突っ込んだ瞬間、視界の端をかすめる人影に初めて気が付いた。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#228 [◆1y6juUfXIk]
「………」

大木の反対側に、同じ格好でこちらを向く女がいた。

頑丈なロープ、それを結び付けた枝、折り畳み式の椅子。
驚嘆したような呆然としたような顔。

そこに立っているのが自分ではないこと以外は、鏡を合わせたようにまったく同じだった。

2人はしばらくの間、身を乗り出して互いを見つめていた。

⏰:08/09/14 19:07 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#229 [◆1y6juUfXIk]
「………」

「………」

しばらくして、同じように顔を引っ込める。

見なかったことにしよう。
見なかったことにして、自分がやろうとしていたことに意識を戻そう。
そんな感じに。

「………」

「………」

だがしかし、この状況ではお互い相手が気にならないはずがなかった。

⏰:08/09/14 19:08 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#230 [◆1y6juUfXIk]
堪えきれず、太郎がとうとう声を出した。

「あー…失礼だがちょっといいか?」

「なに?」

「いや、何をしてるのかなー、と」

「そっちがやろうとしてる事と同じだと思うけど」

そりゃそうだ。

目の前の女がピクニックに来ているようには見えない。
ピクニックに来る奴は、椅子に乗ってロープをかけて輪を作ってそこに頭を突っ込んだりはしない。

「死のうとしてるのか?」

「まあね」

「そうか…」

「そう」

⏰:08/09/14 19:09 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#231 [◆1y6juUfXIk]
こういう状況は想定していなかったもんだから、どう喋っていいのか分からない。

やはりここは見なかったことにして、先に死んでしまうべきだろうか。

しかし見知らぬ女と並んでブラブラとぶら下がってるのは、かなり間抜けな格好だ。
天秤じゃないんだから。

太郎は思いきって口を開いた。

「えっと……悪いけど他所でやってくれないかな」

「あなたが別の場所に行ったらいいんじゃないか?」

「ここは俺の予約席だ」

「いつから?」

「一年前に来て見つけた」

「そうか。ここは私の子供の頃の遊び場だ。15年ほど前のな」

(……手強いな…)

⏰:08/09/14 19:09 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#232 [◆1y6juUfXIk]
とりあえずこんな格好じゃ長話はできない。
2人は椅子から降りて顔を見合わせた。

「………」

「………」

変な感じだ。ものすごく変な感じだ。
この空気の微妙さをどう表現すればいいのだろうか。

太郎には考えても分からなかった。

⏰:08/09/14 19:10 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#233 [◆1y6juUfXIk]
「は、はじめまして…」

「こちらこそ」

「えっと…この場所を譲る気はないんだよな?」

「毛頭な」

「俺もだ」

「じゃあどうする? 並んで吊るか?」

「それもマヌケだな」

「ならこうしないか。より納得できる理由がある方に譲るんだ」

「話し合って、『ああ、そりゃ死ぬしかねーわ』って方がここで吊る、と?」

「そうだ」

⏰:08/09/14 19:11 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#234 [◆1y6juUfXIk]
一瞬名案な気がしたが、何か間違ってる。

「でも俺にとっては深刻な問題とか理由が、お前にとってもそうとは限らないだろ。逆も然りだ」

「うーん……」

沈黙が続く。
折り畳み椅子に座り、2人はしばらく考え込んだ。

少しして、太郎が口を開く。

「じゃあ、こういうのはどうだ? 相手の死ぬ気を挫くんだ」

⏰:08/09/14 19:11 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#235 [◆1y6juUfXIk]
「…?」

「励ますんだよ。死ぬ気がなくなればここで吊る必要もないだろ?」

「がんばれー」

「………」

「ご、ごめん…」

⏰:08/09/14 19:12 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#236 [◆1y6juUfXIk]
「……あなたには今すぐに死ななければならない理由があるのか?」

「まぁ別にそういうわけじゃねーけど、なるべくすぐに死にたいな」

「じゃあ、1週間だ」

「は?」

「お互いに1週間使って、相手の死ぬ気を無くすんだ。先攻後攻に別れてな」

「その発想はなかったわ」

「どうする?」

「うーん、まぁそれでもいいけど」

「順番はコインで決めよう」

「じゃ、俺は表で」

⏰:08/09/14 19:12 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#237 [◆1y6juUfXIk]
女は財布から硬貨を取り出し、親指で弾く。
それを左手の甲と右手の掌でキャッチした。

右手を開く。
硬貨は表を向いていた。

「表だな。じゃあ…俺は後攻にする」

「最初の1週間は、私があなたを助けるわけだ。じゃ、とりあえずここを出よっか」

2人とも自分のロープをほどき、椅子を持って林を出た。

電車に乗り、並んで座席に腰を下ろす。

⏰:08/09/14 19:13 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#238 [◆1y6juUfXIk]
「ところで、俺を励ますってどうするつもりだ?」

「まず、あなたがなぜ死にたいのか、それを教えてもらわないと」

「それもそうだな。…どう話せばいいもんかな…」

「ゆっくり話して。時間ならたっぷりある」

まったくもってその通りだが、それにしてもおかしなことになってしまった。

まさに事実は小説よりも、ってやつだ。

街に出たところで電車を降り、2人は駅前の喫茶店に入った。

⏰:08/09/14 19:13 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#239 [◆1y6juUfXIk]
「俺は小説家志望で、でも全然賞をとれなくて…」

太郎はそこで自分の事情をすべて吐き出した。

若い女と会話するのは久しぶりだったが、内容が内容なだけにどんどん気分が重くなる。

人生で一番楽しくないデートだ。

女の名前は花子と言うらしい。
おかしな状況だったせいか林の中では気付かなかったが、よく見ると整ったとても綺麗な顔立ちだった。

でも、表情が少し無機質な気がする。
言葉遣いも淡々としていて、女らしい感じはしなかった。

まぁ自殺志願者なんだし当然と言えば当然だが。

⏰:08/09/14 19:14 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#240 [◆1y6juUfXIk]
「…んでまぁ、無能な俺の唯一の長所、頼みの綱である小説ですらまったく通用しないっていう……まぁそんなわけだ」

「なるほど、よく分かった」

花子はため息をついて頷く。

「それじゃ早速、その小説を読ませてもらおうか」

「え!?」

「私の指針は決まった。1週間であなたにこれ以上ないくらい面白い小説を書かせてあげる」

「えー…?」

「さ、そうと決まれば行動開始。あなたの家に行こう」

⏰:08/09/14 19:14 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#241 [◆1y6juUfXIk]
なんとも行動的な自殺志願者だ。

太郎はそう考えながら、花子を連れて2度と戻らないはずだった自宅へ向かった。

家に着いた太郎はパソコンを起動し、自分の作品を印刷して花子に読ませる。

テーブルについて一通り読んだあと、花子はきっぱり言い放った。

⏰:08/09/14 19:15 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#242 [◆1y6juUfXIk]
「なるほど、これはつまらない」

「更に死にたくさせてどうすんだよ……」

「あぁ、そうだったな。えーと、ちょっとリアリティに欠けるんじゃないか?」

「どういうことだ?」

「全体的に見て主人公に都合がよすぎる。共感できない」

「小説ってそんなもんじゃねえか?」

「まぁそれはそうだろうが、程度というものがあるよ」

「具体的にどうすりゃいい?」

「そうだな……」

太郎は花子に言われた通りに、内容を少しずつ書き換えていく。

次の日も、その次の日も花子は家にやって来て、太郎の小説にあれこれと文句をつけた。

⏰:08/09/14 19:15 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#243 [◆1y6juUfXIk]
花子は物言いにまったく遠慮を持ち込まないタイプの人間だった。
だから言葉遣いも淡々としているのかもしれない。

太郎にとって、それは善くも悪くもあった。

「この展開はクソだな」

「頼むからもうちょい優しく言ってくれ。そんなに俺をあの木に吊るしたいのか」

「吊りたいのは私だから遠慮なく言ってるんだよ」

それにしてもおかしな会話だ。
まともな人間同士の会話ではあり得ないだろう。

⏰:08/09/14 19:16 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#244 [◆1y6juUfXIk]
「この娼婦の設定は変だな」

「ん? どこが?」

夕食として買ってきたハンバーガーをかじりつつ、2人は再度プロットを見直していた。

「ピンでやる娼婦なんかいないよ。大抵はポン引き…ピンプって言うんだけど、そういう男が1人頂点に立っている」

⏰:08/09/14 19:17 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#245 [◆1y6juUfXIk]
「ピンプ1人が所有する娼婦は1人から10人以上と様々だけど、常に流動的。

仕事は娼婦の上がりをハネたり殴ったり怒鳴ったり愛してやったり麻薬漬けにしてやること。

マフィアと繋がってる奴も多い。上納金を納める代わりに縄張りを確保してもらったりな。

ピンプなんてまともな人間じゃない。
少なくとも、まともに女性を愛せる男にできる仕事じゃない。

でもこの業界はまともじゃない奴ほど頭がキレるんだ、だから………」

「………」

「女を支配することに天才的な才能を持っていて……ん?」

⏰:08/09/14 19:17 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#246 [◆1y6juUfXIk]
花子の話を聞いていた太郎は、ポテトをくわえたまま黙り込んでいた。
花子はそれを見て変な顔をする。

「どうした?」

「あ、いや。何でもない」

太郎は慌てて首を横に振った。

……今は他人の過去に拘るのはよしとしよう。
今は、どうでもいいじゃないか。

どうせこのゲームに勝った方はこの世にいられなくなるんだ。

⏰:08/09/14 19:18 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#247 [◆1y6juUfXIk]
「勉強になったわ」

「他にも聞きたそうな顔してるけど?」

「別に何もねーよ」

ここでこれ以上聞く理由はない。
花子もまた、それ以上は何も言わなかった。



残り1日を残し、小説の手直しはすべて終わった。
2人は郵便局に行って原稿を賞に送ったあと、駅前の喫茶店に入った。

「まだ明日いっぱい残ってるけど」

「俺はもう一作書こうと思ってる。俺の遺言と遺作を兼ねた私小説だ」

⏰:08/09/14 19:18 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#248 [◆1y6juUfXIk]
それを聞いて花子は笑った。
太郎が始めてみた花子の笑顔。微笑みに近かったが、表情は暗く感じた。

「勝つ気満々だな」

「内容はこうだ。俺が死を決意したところから始まり、お前と出会って…」

「てことはオチはまだ決まってない?」

「そうだな」

「それって、どう転んでもバッドエンドじゃない?」

「さぁな。万一のハッピーエンドが、あるかもしれないだろ?」

 

⏰:08/09/14 19:19 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#249 [◆1y6juUfXIk]
 
そして、翌日。

2人は太郎の家で新作のプロットを検討した。

粗方終わったあと、花子がふと言った。

「ちょっと思ったんだけど、賞の発表っていつ?」

「半年後だけど」

「じゃあ、あなたはそれを見るまで死ねないじゃない」

「ん? あー……ま、そうかもな」

「私の勝ちでいい?」

「それはダメだ。フェアじゃない。俺の番がすんでから結論を出す、それでいいだろ」

「……やれやれ」

⏰:08/09/14 19:20 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#250 [◆1y6juUfXIk]
花子は疲れたような顔でうなじを撫で付けた。

「めんどくさいものだな、人生とは」

「うんざりするほど同感だ」




花子がそろそろ帰ると言い出したので、太郎は駅まで送るために家を出た。

夕暮れに染まったオレンジの街を、2人並んでとぼとぼ歩く。

⏰:08/09/14 19:20 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#251 [◆1y6juUfXIk]
「で、明日からはあなたの番だけど」

「あー、そだな。まずは俺同様に話を聞かせてもらう事にするわ」

「……そうか」

花子は複雑そうな顔をした。

まあ自殺したい奴なんて、そいつの人生丸ごとが触れてほしくない大きなかさぶたのようなものだ。

だが目立つかさぶたは、やはり自分でひっぺがしてみたくなる。

それに多少の苦痛が伴うとしても。

「うむ。人生とはかくもかさぶたのようなものだな」

「ん? 何か言ったか?」

「いや何も」

⏰:08/09/14 19:21 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#252 [◆1y6juUfXIk]
狭い路地を抜けようとすると、目の前に人影が立ちはだかった。

ガタイのいい男だ。明らかに太郎と花子を待ち受けていた感じだった。

危険を感じた太郎が振り返ると、そこにも男が2人いた。

囲まれた。それも明らかにチンピラだ、かなりマズイ。

太郎は恐怖で心臓が縮み上がるのを感じながら、地面を見回して武器になるようなものが転がっていないか探した。

⏰:08/09/14 19:22 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#253 [◆1y6juUfXIk]
「こんな時間にうちの縄張り歩いてるから誰かと思えば……」

「ひょろい男と…女はいけそうだなァ」

「男は金置いて消えな、それで勘弁してやる」

男たちの話を聞くふりをして地面を探すが、何もない。

ビール瓶も角材も鉄パイプもパイロンも、小さな石ころすらもない。

現実はやっぱり小説のように都合よくはいかないものだ。

3人は懐からナイフを取り出して、真っ直ぐに間合いを詰めてくる。

⏰:08/09/14 19:22 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#254 [◆1y6juUfXIk]
前後からじわじわと迫る男を牽制しながら、右手で花子の前を制する。
花子に聞こえるように小声で囁く。

「花子、俺が正面の1人にタックルをかけるから、その隙に……」

言いながら視線を後ろにやると、花子はポケットに手を突っ込んだまま動いていない。

太郎の言葉を制し、彼女は言った。

「太郎、何もするな。何もするなよ」
 

⏰:08/09/14 19:23 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#255 [◆1y6juUfXIk]
後ろの2人が花子を羽交い締めにした瞬間、花子はポケットから手を抜いた。
同時に、ヒュッという空気を短く切り裂く音。

「つーかまえたァ……ってあれ?」
「!?」

何が起きたのか、花子以外は誰も理解していなかった。

だが刹那も待たずに、男2人の手の甲と顔に赤い直線が走る。
間髪入れずに血が吹き出した。

血が吹き出したのだけは、太郎にも見えていた。

⏰:08/09/14 19:23 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#256 [◆1y6juUfXIk]
「あべしっ!?」

意外だ。男の叫び声が、じゃない。

太郎は、人間の体に刃物が突き刺さる音は『グサリ』とか『ブスリ』とかそんな音だと思っていたが、実際は『カンッ』というわりと甲高い小さな音だった。

花子が2本目のナイフを懐から抜き出す。

男たちは顔を見合わせると、捨て台詞もなしに一目散に逃げ去った。
正面の男は腕にナイフが刺さったまま走り去る。
大丈夫なのだろうか。

「あのー……今のは?」

「当たって良かった」

花子は深く安堵のため息をついた。

⏰:08/09/14 19:24 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#257 [◆1y6juUfXIk]
「投擲には自信がある」

「いやそういうことを聞いてるんじゃなくて」

「わかってる」

駅はもうすぐそこ。
花子は振り返って太郎に向き直った。

「明日、全部話すよ。全部話す。今日はここまででいい」





花子を見送って、太郎は家に帰ってきた。

洗面所に向かい、鏡を覗きこむ。
もう1人の自分がこっちを見ていた。

⏰:08/09/14 19:24 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#258 [◆1y6juUfXIk]
「変な女だな。娼婦について妙に詳しかったり、ナイフの扱いが妙に上手かったり……

まぁそれはいいとして、お前はどうするつもりだ?

彼女が抱えている問題は、恐らくお前とは比にならない。それぐらいは俺でも予想がつく。

………どうするんだ? お前に彼女を救えるのか? 自分の人生ですら救済できなかったお前ができるのか?」

目の前の男は、絶望的な顔をする。

「お前が今考えてることを当ててやるよ。
今すぐ家を飛び出して電車に飛び乗って、あの木に行く。勝負を放り出して反則勝ちする気だ」

⏰:08/09/14 19:25 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#259 [◆1y6juUfXIk]
太郎は目の前の男をたしなめた。あらんかぎりの同情の念を込めて。

「やめとけよ。それはフェアじゃねぇ」

そうさ、そんな勝ち方に意味はない。
人生最後の、プライドを賭けた戦いだ。

このままあそこで死んだって、イマイチすっきり死ねそうにない。
死にきれないままに怨霊になって、あの林を永遠にさ迷うのはゴメンだ。

「こんな俺でもできること。小説以外に、何か………」

その夜、太郎は一晩中考え込んでいた。
 

⏰:08/09/14 19:26 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#260 [◆1y6juUfXIk]
翌日、太郎は身支度を整え鏡の前に立った。
クローゼットを掻き回して揃えた、いつもより少しだけお洒落な服だ。

「…よし」

家を出て、花子の待ついつもの喫茶店へ急いだ。



「よう」

「ん」

すでに来ていた花子の隣に腰を下ろす。
彼女は口をつけていたコーヒーカップに視線を落とし、一息置いてから言った。

⏰:08/09/14 19:26 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#261 [◆1y6juUfXIk]
「…私の事情を話そう」

「あー、それなんだけど別にいい」

「? どういう事だ?」

「俺には俺なりの計画があるんだ。だからまぁ、いつかは聞くかもしれんが、今はいい」

「そうか。では、その計画というのは?」

「秘密だ」

「秘密……?」

「まぁ任せとけって。とにかく外に出ようぜ」

⏰:08/09/14 19:27 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#262 [◆1y6juUfXIk]
向かった先は、なぜか近所の動物園。

「見ろよ、ハダカネズミだ。モンハンに出てくるフルフルのモデルってこれじゃないか?」

「さぁ………」

花子は目の前の珍獣を眺める事と自分の人生の救済とが結び付かず、少し悩んだ。

この男は一体何を考えているのだろうか。
それとも何も考えていないのか?

⏰:08/09/14 19:28 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#263 [◆1y6juUfXIk]
 
途中で太郎は突然、進行方向を変えた。

「えーっと……んじゃ次は向こう行こうぜ」

「ん? 待って、見てあれ、爬虫類館だって。私はあっちに行きたい」

「いや……楽しくないだろ、蛇とかカエルとかトカゲとか見たって」

「何で? 行こうよ」

花子は頻りに嫌がる太郎の腕を無理やり引っ張って、爬虫類館へ入った。

建物の一角では「蛇に見て触れて楽しもう」というキャンペーンをやっていた。
毒を持たない大人しい種類の蛇がケージの中に入っている。

⏰:08/09/14 19:28 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#264 [◆1y6juUfXIk]
「小さい蛇ってカワイイね。ほら、あなたも」

「遠慮するわ」

花子が指に絡ませている黄色い蛇を差し出したが、太郎は青ざめて後ずさった。

「もしかして蛇とか苦手?」

「にににに苦手ちゃうわ!」

「噛まないし大丈夫だって。ほら」

逃げ出そうとする太郎を掴まえて、ズボンを掴む。

「ズボンの中に入れてやろう。マムシパワー直腸注入〜!」

「やーめーてーーー!!」

⏰:08/09/14 19:29 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#265 [◆1y6juUfXIk]
飼育員に怒られて追い出され、その日はお開きになった。

夕暮れの中を駅に向かって歩きながら、花子は太郎に聞いた。

「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか? 一体どんな計画なんだ?」

「秘密だ。とにかく、明日も同じ時間に喫茶店でな」

「まぁ別にいいけど…1週間は付き合うよ、約束だし」
 

⏰:08/09/14 19:29 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#266 [◆1y6juUfXIk]
 
次の日も、その次の日も太郎は花子をいろんな場所に連れていった。

映画館、博物館、遊園地に水族館に、何かのお祭りにも行った。

太郎は時にはおどけてみたりして花子の笑顔を誘った。
だが花子は困ったような、苦笑いのような顔を浮かべるだけだった。

本当の意味で笑った顔を、花子はまだ一度も見せていない。



そして、6日目の夕方。

⏰:08/09/14 19:30 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#267 [◆1y6juUfXIk]
2人は河口に面した公園のベンチに座り、夕焼けに染まった海と川の境界を眺めていた。

海も川も流れは穏やかなのに、2つが混ざりあう場所は流れが早い。
その早い流れで水面が小刻みに揺れ、夕方の太陽のオレンジ色の光を細かく反射している。

ダイヤモンドが水面のあちこちに落ちているみたいで、とてもきれいだ。

それを眺めながら、花子が呟いた。

「あなたの計画がわかった」

「ん?」

「つまり、この世にはあんな楽しいことがあるんだとか、こんな綺麗なものがあるんだとか、そういうことを教えたかったんじゃないか?」

⏰:08/09/14 19:30 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#268 [◆1y6juUfXIk]
「えーっと、まぁそうでもあるんだけど」

「違う?」

「少し、な」

「そう」

花子は少し空を仰いで、不意にベンチから立ち上がった。

「ナイフの使い方を教えてあげる」

⏰:08/09/14 19:31 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#269 [◆1y6juUfXIk]
「何だよいきなり」

「いいからほら、立って。こうして構えてみて」

太郎は立ち上がり、手にナイフを持っているつもりで、言われた通りの格好をした。

花子が太郎の腕を持ち上げ、姿勢を修正する。

「ナイフは一撃必殺の武器だ。自分が持ってることを相手に悟られてはいけない。
だから抜いてから攻撃するんじゃなく、抜くのと攻撃を同時にやるんだ」

そう言って花子は太郎の横で手を取り、ナイフを投げるマネをさせる。

そう言えば、チンピラを追い払った時も、花子はギリギリまでナイフを抜かなかった。

⏰:08/09/14 19:31 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#270 [◆1y6juUfXIk]
「こうだ、こう」

花子が太郎の後ろに回り、腕を取る。
2人の体が密着した。

「えーと……ああ、こうか」

「ニヤニヤするな」

「断じてしてない」

「こう、手首のスナップを活かして、ヒュッと。……あ」

花子がつまずき、太郎の方に倒れてくる。

太郎はそれを受け止める。

抱き合った格好のままで、少し時間が止まった。
 

⏰:08/09/14 19:32 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#271 [◆1y6juUfXIk]
 
「……今のは、わざとか?」

「かもね」

囁きあい、ゆっくり互いから離れる。

太郎はすぐさま今の出来事について考えを巡らせた。

ナイフの使い方を教えると言いだしたのも、自分にくっつきたかったからなのかも。

(いや、邪推か……あー、いやでも……うーん…)

「どうした?」

「何でもない」

「そうか…ところで、明日でちょうど1週間だが」

「そうか…もうあれから2週間経ったのか」

⏰:08/09/14 19:33 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#272 [◆1y6juUfXIk]
明日でゲームの最終日。
長くも短くも感じた。

いや、自殺したかった人間が2週間も生きたんだから、長かったのかもしれない。

「お前は結論は出たのか?」

「どうかな、わからない。あなたは?」

「俺もわからん」

「そうか」

それまでと同じように会う約束をして、2人は駅で別れた。

⏰:08/09/14 19:33 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#273 [◆1y6juUfXIk]
 
花子は電車を降りて駅前のアパートに向かう。

自宅のドア前で鍵を取り出そうとポケットに手を入れた時だった。

背後の空気が変わった。
ぞっとするような悪寒が背筋を走る。

反射的に、ポケットの中で鍵とナイフとを持ち変える。

しかし、ナイフを抜く前に背中に押し付けられた金属極が電流を吐き出した。

「ッ…!」

花子の意識は弾け飛んだ。 

⏰:08/09/14 19:34 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#274 [◆1y6juUfXIk]
 
翌日。
太郎はいつもの喫茶店で花子を待っていた。

「…遅いな」

いつもなら彼女の方が先に来て座っているはずだ。
電話も何度かけても繋がらない。

太郎の胸に少しずつ不安が募っていく。
昼過ぎまで待ったが、花子が来る気配はない。

「まさか、抜け駆けてあの木へ…?」

急いで電車に飛び乗り、あの林へ向かう。
例の木のところまで行って確認したが、やはり誰もいなかった。

⏰:08/09/14 19:34 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#275 [◆1y6juUfXIk]
太郎は内心ほっとしていた。

安心した自分はおかしいのだろうか。

しかし少なくとも、彼女は反則はしていなかった。

1度喫茶店に戻ったが、花子はいなかった。
電話も相変わらず繋がらない。

太郎はとうとう彼女の家に行くことにした。
一度聞いただけの曖昧な会話を頼りに、駅前のアパートを1つずつ確かめていく。

「……ここだな」

そろそろ暗くなってくる頃に、ようやくそのアパートを見つけた。
2階建ての建物に6世帯ほどが入る、小さなアパートだった。

「確か102号室って言ってたな……ここか」

⏰:08/09/14 19:35 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#276 [◆1y6juUfXIk]
ノックしようと息を整えた時、太郎は彼女の声を聞いた。
否、ただの声じゃない。

呻き声だ。

「なんだ…?」

裏のベランダに回り、カーテンの隙間から中をうかがう。

スーツ姿の男が1人いて、何か喋っているようだ。
こちらからは足ぐらいしか見えないが、奥に花子の姿も確認できた。

男は血の滲んだナイフを片手に下げていた。

太郎は思わず1歩後退する。
胃の底から恐怖がわき上がってきていた。

眼前のガラス窓に、自分の姿が写る。
その姿に、絞り出すような小声で言った。

⏰:08/09/14 19:35 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#277 [◆1y6juUfXIk]
「逃げろよ。逃げてあの木で吊っちまえ。……そう言いたいんだろ?
確かにいい案だ。
だってあれだろ、俺はチンピラにすらびびっちまう男だし、どうせ死ぬわけだし、なんつーかさ」

言い訳をするだけして、最後に固く目を閉じた。

「今日1日はまだ、花子を助ける日だ。そうだろ?」

ベランダを見回すと、手頃なサイズの石を見つけた。
それを手に取り、ガラス窓に投げつけた。

「!?」

男が弾かれたように振り返る。
鼻息は荒く、目は充血して血走っていた。

その奥には花子が、下着姿でベッドに縛り付けられて、猿グツワを咬まされていた。

⏰:08/09/14 19:36 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#278 [◆1y6juUfXIk]
花子は全身を浅く刻まれており、白い肌に赤い傷口が縦横に走っている。

「いきなり入ってきて何処のどちら様だコラ。取り込み中だ出ていけ」

「こりゃ、テメェがやったのか?」

「――!!」

ベッドで花子が言葉にならない叫びを上げている。
「逃げて」だろうか。それとも「私に構うな」だろうか。

「この女の新しい男か。ふん…趣味が悪いな」

「お前が言うな、変態野郎が」

「出ていけと言ったはずだが?」

⏰:08/09/14 19:37 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#279 [◆1y6juUfXIk]
男はナイフを小さく払い、指で回して逆手に持ち変えた。
相当に使い慣れているらしい。

(だが落ち着け、奴は俺が『武器』を持ってるのを知らない。一瞬でもいい、気を逸らせれば…)

「どうした、ビビったか? ふん、その様子じゃこの女がどんな奴か知らないらしいな」

「は?」

「こいつは元コールガールで、さらに――」

「――!!」

縛り付けられている花子が、全身の力を込めてベッドの上でのたうち回った。

その拍子にベッドサイドに置かれていた目覚まし時計がひっくり返って、派手な音を立てる。

男の視線が、一瞬だけそちらに向いた。

⏰:08/09/14 19:37 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#280 [◆1y6juUfXIk]
 
今この瞬間だけ、俺は俺じゃない。俺が書く小説に出てくるような、タフでクールなナイスガイだ。

太郎は自分にそう言い聞かせた。

ポケットに手を突っ込む。
一次選考通過者に贈られた万年筆。
太郎にとっては大事なそれを、躊躇なくポケットから抜いた。

抜くと同時に親指でキャップを弾く。

弾くと同時に踏み込んで、男の胸めがけてねじり込む。

「くっ!?」

「だああああ!!」

⏰:08/09/14 19:38 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#281 [◆1y6juUfXIk]
腕の力だけでは、人間の体にナイフはそうそう簡単に刺さるものじゃない。
タックルをかける要領で体をぶつけ、自分の体重を使って突き立てる。

花子に教わった通りのやり方を、狂いなく実行した。
男ともつれ合って床を転がる。

「ぐぎゃあああ!!! ひいいいい!!!」

「うるせぇな、黙ってろよ」

先に立ち上がった太郎が、床でのたうち回る男の顔面を、渾身の力を込めて踏みつけた。

男が気絶したのを確認し、花子の猿グツワと縄をほどく。

⏰:08/09/14 19:38 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#282 [◆1y6juUfXIk]
「警察を呼ぼう」

「それは……」

「やっぱり何か事情があるんだな? …とりあえずうち来いよ」

花子に服を着せ、気絶した男を路地裏に放り出して救急車を呼んだ。


太郎の家で、とりあえず花子の傷に薬を塗る。
男から引っこ抜いてきた万年筆についた血をタオルで拭いながら、太郎は花子に聞いた。

「あの野郎がお前のピンプか?」

⏰:08/09/14 19:39 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#283 [◆1y6juUfXIk]
花子は無言で首を横に振る。

「私のピンプはあいつが殺した」

「え?」

「あいつ自身のことはよく知らない。警察だか何だかの関係者らしいけど……

最初は客として来て、2度目に仕事をしないかって持ちかけられた。仕事内容は殺し。
ハニートラップ、って聞いたことない?」

「……いや」

⏰:08/09/14 19:39 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#284 [◆1y6juUfXIk]
「当時の私は欲に目が眩んで、いろんな奴を殺した。ナイフの使い方も、男の喜ばせ方もあいつに教わった。

クソ仕事だった。でも逆らえば何をされるか分からないし、それに……」

「金か」

「…しょうがなかったんだ!! 高校も出てない、家族もいない私なんて他にどうすることも……」

「誰も咎めてないよ。だから落ち着け」

「……ごめん…」

⏰:08/09/14 19:40 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#285 [◆1y6juUfXIk]
いつの間にか花子の目は、涙で少し滲んでいた。
太郎は、静かに花子の肩を抱いた。

「……それで金が貯まって…あいつから逃げ出したってわけか。だがあいつは追ってきた、と」

「そう」

花子は、手のひらで顔を覆った。

「私の人生は、真っ暗だった。夢を持っていたあなたが羨ましかった。

……私は生き延びても、やる事が何もないの。ただ追われ続けるだけ……それで、あの木に行ったらあなたがいて……」

そこで花子は言葉を切り、しばらく顔を覆ったまま沈黙した。

太郎も何も言わず、花子を見守っていた。

⏰:08/09/14 19:41 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#286 [◆1y6juUfXIk]
 
やがて、花子は言った。

「……私達、今日限りで他人になりましょう」

「何だって?」

「もしこのあとどっちかがあの木で死んだら、残された方は『あいつを救えなかった』って悩む事になる」

「…そうだな」

「もう行くよ。お元気で」

花子が立ち上がったが、太郎にはそれを止める事はできなかった。

⏰:08/09/14 19:42 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#287 [◆1y6juUfXIk]
花子はドアの前で一度立ち止まり、振り返った。

「あなたの作戦って、結局なんだったの?」

「いや…もう言っても意味ねぇ気がするけど」

「いいから」


「1週間で、お前を俺にホレさせる」




それを聞いた花子は、太郎の家を出ていった。



「それ、失敗じゃなかったと思う」

そう言い残して。

⏰:08/09/14 19:42 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#288 [◆1y6juUfXIk]
花子が出ていったあと、太郎はパソコンを立ち上げた。
書きかけの私小説にも、これでオチがつく。

だが、どうにも筆が進まない。
心にモヤモヤとしたものが残っていた。

コーヒーを飲んだり部屋の中をうろつき回った挙げ句に、太郎は洗面所へ向かった。

鏡の中の人は落胆したような、すっきりしない顔をしている。

⏰:08/09/14 19:43 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#289 [◆1y6juUfXIk]
「彼女はああ言ったが、計画は失敗さ。なぜなら……お前が彼女にホレちまったからな。

これからどうすればいいかなんて、考えなくても分かるだろう?

お前は彼女にホレたんだから、小説のオチはまだ決まらない。

……行けよ。行くんだ」

すでに夜明けが近い。
花子が出ていってから4、5時間が経っている。

迷っている時間はなかった。

太郎は服を着替えて家を出た。

⏰:08/09/14 19:43 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#290 [◆1y6juUfXIk]
家に帰る気がせず、花子はいつもの喫茶店に1人でいた。

落ち着こうとコーヒーを1杯頼んだが、頭の中はこんがらがって何を考えればいいのか分からなかった。

「これから、どうしよう……」

あの男は恐らく警察に捕まるだろう。
もう逃げる意味もなくなった。
かといってやる事も何もなかった。

これから、どうすればいいのか。

それを考えたとき、太郎の顔が頭に浮かんだ。

それ以外には、何も思い浮かばなかった。

窓の外はすでに明るくなってきている。

花子はコーヒーを飲み干し、支払いを済ませて喫茶店を後にした。
 

⏰:08/09/14 19:44 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#291 [◆1y6juUfXIk]
 
もし、あの人が死ぬつもりなら、その時は自分が止めないといけない。

先にその場所に着くために、足は自然と早くなる。

太郎は始発に乗って、林の中を続くハイキングロードから。

花子はタクシーに乗って、子供の頃に見つけた秘密の抜け道から。

2人は、共にあの木へ向かっていた。


自分はやっぱり、あの人と一緒にいたいから。




─それって、どう転んでもバッドエンドじゃない?─

─さぁな。万一のハッピーエンドが、あるかもしれないだろ?─


   ....お し ま い

⏰:08/09/14 19:45 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#292 [◆1y6juUfXIk]
>>217-291
自 殺 志 願 者 -太郎と花子の最後の2週間-

投下終了でーす
次の方どうぞ!

⏰:08/09/14 19:46 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#293 [◆SjNZMOXdWE]
それでは投下させていただきます!

⏰:08/09/14 20:43 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#294 [◆SjNZMOXdWE]
 

 ■■■■■■■■■□
 青虫は
   空に恋をし
       蝶になる
 □■■■■■■■■■

.

⏰:08/09/14 20:45 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#295 [◆SjNZMOXdWE]
木枯らし吹きすさぶこの季節‥

万年遅刻魔のこの俺、今日も軽快に裏門の奥にあるフェンスを越える。


 間宮 翔 17歳

よく“ショウ”って間違えられるけど正しくは“カケル”

その名の通り、いつかこの大空を翔けるようなデッカイことをやらかしたいと思ってる。


鼻唄まじりに昇降口までスキップする。

冬の匂いって何か好き。

⏰:08/09/14 20:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#296 [◆SjNZMOXdWE]
深呼吸するとキンッて冷たい空気が肺いっぱいに広がって、五感が鋭くなる感じも大好き。

上履きをパタパタ鳴らして誰もいない廊下を歩く。

俺のクラスは2−C、3階のグラウンド側。

このタイミングだとHRとかぶるなぁ‥

なんて考えながら窓の外を眺める。

枯れた木の枝に三羽の雀。

昔、ひな太圭太郎と誰が一番高いとこまで登れるか競ったっけなぁ‥

⏰:08/09/14 20:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#297 [◆SjNZMOXdWE]
ガキの頃からふざけたことしか言わない圭太郎。

それに比べて寡黙で男気溢れるひな太。

二人とも俺の幼なじみなんだけど‥

ひな太は小学校に上がると同時に転校しちゃってそれっきり。

圭太郎はまぁいいとして、ひな太‥元気でやってっかなぁ‥




なんてセンチに物思いに耽っていると

⏰:08/09/14 20:47 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#298 [◆SjNZMOXdWE]
「間宮あぁ!お前はまぁた遅刻かあぁ!?」

学年主任の武田先生、通称ハゲ先が首にぶら下げたホイッスルをカチャカチャ振り回しながら怒鳴ってきた。

その音量ったら半端ない。

思わず飛び跳ねちゃった俺。

するとハゲ先の陰から長い巻き毛を細かく揺らしてクスクス笑う女の子が見えた。


 !?


 幽霊!!?


ビビりな俺はまたもやビックリ。

⏰:08/09/14 20:48 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#299 [◆SjNZMOXdWE]
だけどよく見るとちゃんと足だって付いてるし、ちらっと見えた笑顔が‥

笑顔が‥‥


か‥

「わいい‥」



  は?

 俺今何つった!?

「何だ間宮?わけわからんこと言ってないで、はよ教室入れ!」

⏰:08/09/14 20:49 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#300 [◆SjNZMOXdWE]
ハゲ先に首根っこをつかまれ、半ば強引に教室に放り込まれた俺。

何だ何だと駆け寄ってくる圭太郎を無視して、さっきの彼女を目だけで追う。

真っ白な肌に栗色の巻き毛。

化粧っ気はなくてナチュラルな感じ。

だけど唇はぷるんぷるん‥

「もぅガッとしてギュッとしてチュウゥゥゥってしたい‥」

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