【特別企画】1日限りの恋愛短編祭り!【投下スレ】
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#220 [◆1y6juUfXIk]
ぼんやりと色々考えた結果、太郎は1本の万年筆だけ持っていくことにした。
とある賞の一次選考通過者全員にプレゼントされた品だ。

それが唯一、太郎が一次選考を通過できた賞だった。

安っぽい作りだが、太郎にとっては宝物だった。
それをポケットに入れて、財布を持って家を出る。

家の鍵はもう要らないし、かける必要もない。

家を出ると、季節外れの涼しい風が顔を撫で上げた。

半袖では少し肌寒いが、気にする程でもないし気にする必要もなかった。

⏰:08/09/14 19:01 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#221 [◆1y6juUfXIk]
どこを見ても灰色しかない、コンクリートに塗り固められた住宅街に1歩踏み出す。
足がやけに重く感じた。
周囲の家を見渡すと、どこか物悲しくなった。

カラッとよく晴れた過ごしやすい天気だったが、太郎の胸はコンクリートを詰め込んだように重かった。

「この風景も見納めか…」


向かった先は、ショッピングモールにあるスポーツ用品店。
入ってすぐに、愛想のよい女性店員が笑顔を見せた。

「いらっしゃいませ」

「ロッククライミングをするんだ。命綱になるロープはあるかい?」

「それでしたらこちらに。何メーターほどご入用なさいますか?」

「2メートルでいい」

⏰:08/09/14 19:02 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#222 [◆1y6juUfXIk]
当たり前だが、店員は変な顔をした。

「2メートル…ですか?」

「ああ。2メートルで」

当然だろう。

2メートルは命を救うには短すぎるが、命を捨てたい奴にとっては悪くない長さだ。

それに命綱で首を吊るなんてまさにブラックジョーク、気が利いているというもの。

ロープに加えて折り畳み椅子を持ち、そのままレジへ向かう。
さっきの店員が今度は不安そうな顔をしていたが、太郎は気にせず店を出た。

向かった先は駅。
路線図の一番端に書いてある駅へ向かう切符を買って、改札を通る。

⏰:08/09/14 19:03 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#223 [◆1y6juUfXIk]
太郎はホームの黄色い線の内側に立ち、周りの人間を眺めながら考えた。

(例えば俺が今ここで「俺は今から死にに行くんだ!」って叫んだら、どうなるんだろうな…)

まぁ目を合わせないようにするだけで、止めてくれるような親切な奴はいないだろう。

現代社会なんてそんなもんだ。
皆、自分が生きていくのに必死で、赤の他人に興味なんて持っていない。

まぁ、別に止めてほしくもない。むしろ迷惑だ

太郎自身、実に淡々とした気分だった。
まるで工場の中で次から次へと流れてくるパーツを組み立てる機械のように。

⏰:08/09/14 19:03 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#224 [◆1y6juUfXIk]
(安いもんだな、人の命なんて)

恐らくこのホームにいる誰もが2メートルの命綱を買えるだけの金を持ってるだろうし、それを引っかける場所もいくつか思い付くだろう。

そんな金すら持ってない子供なんかも、マンションの階段を屋上まで上がる体力さえあれば死ねるのだ。

普段の生活では『死』は何か遠いところにあるもののように感じるが、実際は常に手が届く距離にある。

人は、買い物に行くように、遊びに行くように、死ににいけるのだ。

⏰:08/09/14 19:04 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#225 [◆1y6juUfXIk]
電車に乗り込んだ太郎は座席に腰を下ろし、静かに瞼を閉じていた。

瞼の裏に浮かぶのは大木の姿。
大きくてがっしりした木だ。枝も手頃な高さにあり、太さも申し分ない。

最近は、いついかなる時でもこの大木の光景が視界に割り込んでくる。

「あっ、そういや遺書を書いてなかったな」

作家らしく時世の句でも、と考えたが、すぐに面倒くさくなった。

別にどうでもいいことだ。

恋人も、友人すらもいないのに、誰に何を言い残すというのか。
遺書なんて書く意味もなかった。

だがそれはつまり、自分が今日で消えてなくなっても、この世には何の影響もないことの証明でもあった。

⏰:08/09/14 19:05 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#226 [◆1y6juUfXIk]
 

失敗だな、本当に。

何もかも、本当に失敗だ。



移り行く電車の窓から人生最後の風景を味わったあと、太郎は電車を降りた。

都心から遠く離れた、人気のない林の中にポツンとある無人駅だ。

しばらく林の中の道なき道を歩いていると、大木の前に出た。

「ここだな」

以前、取材していた時に偶然見つけた場所だ。
人気はまったくないし、恐らく自分が腐って土に返るまで見つかる事はない。

誰かに見つかるなんてうんざりだ。

ましてや自分の葬式で老いた両親が泣く姿など、想像するだけで嫌になる。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#227 [◆1y6juUfXIk]
自分のことで誰かが騒ぐところを見たくなかった。

自分など最初から生まれてこなかったことにしたかった。

「ここらへんでいいか。この枝なら…」

折り畳み椅子を広げて上に乗り、枝にロープをくくりつける。
ほどけないようにしっかりと結び付け、もう一端に頭が通るサイズの輪を作った。

ここまで終えると、さすがに緊張してくる。

「…もう何一つ惜しいものなんかないだろう。何を躊躇してるんだ、俺は?」

生きていたい理由なんて1つもない。

思いきって輪に頭を突っ込んだ瞬間、視界の端をかすめる人影に初めて気が付いた。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#228 [◆1y6juUfXIk]
「………」

大木の反対側に、同じ格好でこちらを向く女がいた。

頑丈なロープ、それを結び付けた枝、折り畳み式の椅子。
驚嘆したような呆然としたような顔。

そこに立っているのが自分ではないこと以外は、鏡を合わせたようにまったく同じだった。

2人はしばらくの間、身を乗り出して互いを見つめていた。

⏰:08/09/14 19:07 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#229 [◆1y6juUfXIk]
「………」

「………」

しばらくして、同じように顔を引っ込める。

見なかったことにしよう。
見なかったことにして、自分がやろうとしていたことに意識を戻そう。
そんな感じに。

「………」

「………」

だがしかし、この状況ではお互い相手が気にならないはずがなかった。

⏰:08/09/14 19:08 📱:P903i 🆔:☆☆☆


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