【特別企画】1日限りの恋愛短編祭り!【投下スレ】
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#225 [◆1y6juUfXIk]
電車に乗り込んだ太郎は座席に腰を下ろし、静かに瞼を閉じていた。

瞼の裏に浮かぶのは大木の姿。
大きくてがっしりした木だ。枝も手頃な高さにあり、太さも申し分ない。

最近は、いついかなる時でもこの大木の光景が視界に割り込んでくる。

「あっ、そういや遺書を書いてなかったな」

作家らしく時世の句でも、と考えたが、すぐに面倒くさくなった。

別にどうでもいいことだ。

恋人も、友人すらもいないのに、誰に何を言い残すというのか。
遺書なんて書く意味もなかった。

だがそれはつまり、自分が今日で消えてなくなっても、この世には何の影響もないことの証明でもあった。

⏰:08/09/14 19:05 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#226 [◆1y6juUfXIk]
 

失敗だな、本当に。

何もかも、本当に失敗だ。



移り行く電車の窓から人生最後の風景を味わったあと、太郎は電車を降りた。

都心から遠く離れた、人気のない林の中にポツンとある無人駅だ。

しばらく林の中の道なき道を歩いていると、大木の前に出た。

「ここだな」

以前、取材していた時に偶然見つけた場所だ。
人気はまったくないし、恐らく自分が腐って土に返るまで見つかる事はない。

誰かに見つかるなんてうんざりだ。

ましてや自分の葬式で老いた両親が泣く姿など、想像するだけで嫌になる。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#227 [◆1y6juUfXIk]
自分のことで誰かが騒ぐところを見たくなかった。

自分など最初から生まれてこなかったことにしたかった。

「ここらへんでいいか。この枝なら…」

折り畳み椅子を広げて上に乗り、枝にロープをくくりつける。
ほどけないようにしっかりと結び付け、もう一端に頭が通るサイズの輪を作った。

ここまで終えると、さすがに緊張してくる。

「…もう何一つ惜しいものなんかないだろう。何を躊躇してるんだ、俺は?」

生きていたい理由なんて1つもない。

思いきって輪に頭を突っ込んだ瞬間、視界の端をかすめる人影に初めて気が付いた。

⏰:08/09/14 19:06 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#228 [◆1y6juUfXIk]
「………」

大木の反対側に、同じ格好でこちらを向く女がいた。

頑丈なロープ、それを結び付けた枝、折り畳み式の椅子。
驚嘆したような呆然としたような顔。

そこに立っているのが自分ではないこと以外は、鏡を合わせたようにまったく同じだった。

2人はしばらくの間、身を乗り出して互いを見つめていた。

⏰:08/09/14 19:07 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#229 [◆1y6juUfXIk]
「………」

「………」

しばらくして、同じように顔を引っ込める。

見なかったことにしよう。
見なかったことにして、自分がやろうとしていたことに意識を戻そう。
そんな感じに。

「………」

「………」

だがしかし、この状況ではお互い相手が気にならないはずがなかった。

⏰:08/09/14 19:08 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#230 [◆1y6juUfXIk]
堪えきれず、太郎がとうとう声を出した。

「あー…失礼だがちょっといいか?」

「なに?」

「いや、何をしてるのかなー、と」

「そっちがやろうとしてる事と同じだと思うけど」

そりゃそうだ。

目の前の女がピクニックに来ているようには見えない。
ピクニックに来る奴は、椅子に乗ってロープをかけて輪を作ってそこに頭を突っ込んだりはしない。

「死のうとしてるのか?」

「まあね」

「そうか…」

「そう」

⏰:08/09/14 19:09 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#231 [◆1y6juUfXIk]
こういう状況は想定していなかったもんだから、どう喋っていいのか分からない。

やはりここは見なかったことにして、先に死んでしまうべきだろうか。

しかし見知らぬ女と並んでブラブラとぶら下がってるのは、かなり間抜けな格好だ。
天秤じゃないんだから。

太郎は思いきって口を開いた。

「えっと……悪いけど他所でやってくれないかな」

「あなたが別の場所に行ったらいいんじゃないか?」

「ここは俺の予約席だ」

「いつから?」

「一年前に来て見つけた」

「そうか。ここは私の子供の頃の遊び場だ。15年ほど前のな」

(……手強いな…)

⏰:08/09/14 19:09 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#232 [◆1y6juUfXIk]
とりあえずこんな格好じゃ長話はできない。
2人は椅子から降りて顔を見合わせた。

「………」

「………」

変な感じだ。ものすごく変な感じだ。
この空気の微妙さをどう表現すればいいのだろうか。

太郎には考えても分からなかった。

⏰:08/09/14 19:10 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#233 [◆1y6juUfXIk]
「は、はじめまして…」

「こちらこそ」

「えっと…この場所を譲る気はないんだよな?」

「毛頭な」

「俺もだ」

「じゃあどうする? 並んで吊るか?」

「それもマヌケだな」

「ならこうしないか。より納得できる理由がある方に譲るんだ」

「話し合って、『ああ、そりゃ死ぬしかねーわ』って方がここで吊る、と?」

「そうだ」

⏰:08/09/14 19:11 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#234 [◆1y6juUfXIk]
一瞬名案な気がしたが、何か間違ってる。

「でも俺にとっては深刻な問題とか理由が、お前にとってもそうとは限らないだろ。逆も然りだ」

「うーん……」

沈黙が続く。
折り畳み椅子に座り、2人はしばらく考え込んだ。

少しして、太郎が口を開く。

「じゃあ、こういうのはどうだ? 相手の死ぬ気を挫くんだ」

⏰:08/09/14 19:11 📱:P903i 🆔:☆☆☆


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