【特別企画】1日限りの恋愛短編祭り!【投下スレ】
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#347 [◆8HAMY6FOAU]
 
思い立ったらすぐに立ち上がった。
まだ顔は溢れ続ける涙でグシャグシャだが、この雨なら気にすることもない。
溜まっている洗濯物の中に混ざり込んでいた黒い上着を引っ掴んで腕を通すが、生地が絡まってなかなか通らないことにイライラする。
腕をグイグイねじ込みつつ、俺の眼は鞄を探していた。
やっと袖に腕が通るとすぐ、ちゃぶ台の下に発見した鞄を肩にかけ、ちゃぶ台の上のタバコとライターと原付の鍵を床にボトボト落としながらジーンズのポケットに突っ込む。
部屋のドアを勢いよく開けるのと同時にサンダルをつっかけてそのまま走り出す。

⏰:08/09/14 22:27 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#348 [◆8HAMY6FOAU]
 
屋根の外に出た瞬間、大粒の雨が体を打つ。空は灰色の絵の具を塗りたくったようにべったりしていて、その透明感のない雲は凄まじいほどに水滴を落とし続けていた。
雨の日は危ないからバイクに乗らないで、と彼女に言われていたが今はそれどころじゃない。
一旦ポケットに入れた鍵を再び引っ張り出しながらバイク置き場に向かって駆け抜ける。
駐輪場の粗末な屋根が見えて、俺はそのままUターンした。
やっぱり彼女との約束は守りたい。
今更だけど、俺はやっぱり彼女が好きだったんだ。裏切りたくなんか、なかったんだ。

⏰:08/09/14 22:28 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#349 [◆8HAMY6FOAU]
 

普段なら原付を飛ばして一瞬で走りぬける道を、惨めに濡れながら息を切らしてメロスの如く走る。
俺は、ひとつのことだけを考えていた。
横を走るでかいトラックが撥ねた水を被ろうと、濡れたコンクリートに滑って転ぼうと、信号無視した車に轢かれそうになろうと、俺は彼女のことだけを脳内に浮かばせていた。

――どう言えば、うまく伝わるだろう。
俺の歪んだ本音を、どんな言葉にすれば理解してもらえるだろう。

赤い光が俺を立ち止まらせる。
降り続ける雨は、だんだんと強さを増していた。
もう俺の耳には、コンクリートと水滴のぶつかる音しか聞こえない。

⏰:08/09/14 22:31 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#350 [◆8HAMY6FOAU]
 
――いや、理解してもらおうなんて俺は……。
彼女はずっと理解してくれていたのに。それを無下にしたのは俺自身なのに。

着てきた上着も、破れたジーンズもその中の下着も伸びた髪も濡れてグチョグチョだ。体に纏わりついて余計に不快感を与える。
それでも、信号が青になるとまた走り出した。

――彼女のところに行っても、会ってくれるかどうかわからない。
今までどんなひどい行為をしても、彼女は俺を突き放さなかった。待っていてくれた。
俺はそんな彼女に甘えて、欺いて、期待して、……振られたんだ。

⏰:08/09/14 22:31 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#351 [◆8HAMY6FOAU]
 
何台もの自動車が水溜りを蹴散らしながら車道を走り抜けていく。
その横を俺はバチャバチャ音を立ててピエロみたいに走った。
完全に濡れ切った髪からいくつも水の筋が垂れて、目を開けていられない。
でも顔面に流れるのは薄汚れた空から降ってきた水分だけじゃなくて――俺はまだ、泣いていた。
前から歩いてきた相合い傘のカップルがそんな俺を見て嗤う。

――頭のおかしい奴とでも思われてるんだろうな。
構わないさ、実際俺は狂ってた。
あんなひどい仕打ちを受ける罪なんて彼女には一つもなかったのに。
罰を与えられるべきなのは俺だ。
だから嗤えよ。気が済むまで嗤ってくれよ。

⏰:08/09/14 22:33 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#352 [◆8HAMY6FOAU]
 
もう少し走れば辿り着く。
目指していた建物の大きな影を認めて、俺はそれを畏敬の念を含んだ眼差しで見上げた。

――もう繕ったりしない。
今まで平気で嘘を吐いて虚勢を張って誤魔化してきた愚かな背徳者は、ありのままを曝け出すと誓うよ。
それが俺の償いだ。


彼女のマンションのエントランスは花畑と見紛うほど植木や花壇で溢れていて、ここを通る度にお前は場違いだと言われているような被害妄想に苛まれた。
この世で最も美しく我が身にとってただ唯一守るべき花を放り出して、簡単に股を開く安っぽく汚らわしい女たちと交わるような汚れた人間はここに来てはいけないんだ、と。

⏰:08/09/14 22:34 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#353 [◆8HAMY6FOAU]
だから俺はよっぽどのことがない限り彼女の部屋に入らなかった。
そして今、俺と彼女の間によっぽどすぎるくらいよっぽどの事態が起きている。
俺は迷わず足を進めた。


彼女の部屋は四階の端、エレベータで上がるとすぐだ。
四階のボタンを押して気付いた。俺の眼からは相変わらず涙が流れている。
もう顔面の感覚が麻痺して、自分の顔がどんな表情を映しているのかさえわからない。
というか、髪も服もビショビショ、顔は恐らく最低にひどい状態でしかも泣いている。
こんな無様な恰好を彼女に見せるのはいくらなんでも、と躊躇ってから、すぐに思い直した。

⏰:08/09/14 22:35 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#354 [◆8HAMY6FOAU]
 
これでいいんだ。
彼女の前で、俺は繕いすぎた。
だから虚構にがんじがらめにされて、真実を隠すのに必死になって、彼女の透き通る視線に怯えるような馬鹿になってしまった。

全身にかかっていた重力が解け、目の前の壁が両側に開いた。その先にある薄暗い世界は、しかし、さっきまでよりいくらか明度を上げたように感じた。
エレベータは俺を四階に降ろすとまたすぐに上昇を開始する。
それを見届けてから、俺はびしょ濡れの髪を弄んで無造作に整えた。
上着を脱いでギュウっと絞ると、大量に水が溢れて床に飛び散る。シミになっていく。
下に来ていたTシャツも腹の部分だけ絞る。またシミが増えた。

⏰:08/09/14 22:36 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#355 [◆8HAMY6FOAU]
ジーンズは水分をたっぷり含んだまま。
俺はこれから電気椅子に拘束されに行く死刑囚のような、それでいて、たった今刑期を終えて刑務所から解放される服役囚のような、多面的感情に溺れていた。どちらにせよ俺は犯罪者だ。罪は重い。


四〇八号室、表札に名前はない。ここが彼女の部屋だ。
表札の下のインターホンに人差し指を乗せてまだ流れる涙を空いた手の甲でぐいと拭うと、目をつぶって人差し指に力を込める。
チャイムの音が雨音と混じり合って空間を支配したが、それからすぐにドアの向こうから緩いテンポの足音が届いた。

⏰:08/09/14 22:37 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#356 [◆8HAMY6FOAU]
 
目の前の扉が開くと、そこには彼女がいた。白いワンピースを着て鳶色の長いストレートヘアを胸まで下ろしたその人は、やっぱり天使そのものだった。

「……ゴメン、悪かった。俺やっぱり好きだ。他のやつなんかに負けないぐらい、好きだ」

頭のてっぺんから爪先までびしょ濡れの上にひどい顔をして泣いている男が吐いた情けないセリフに、彼女は恋愛映画のヒロインよりロマンティックで残酷なくらい優しい笑顔を返す。
さっきまでの懺悔は天使を目にした瞬間全部吹き飛んでしまって、俺のこの脳みそは紛い物なんじゃないかと思った。

⏰:08/09/14 22:39 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


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