浮き世の諸事情｡

　
黙って聞く壱助さんは
いつもみたいに睫を伏せて
だけど少しだけ唇が弧を描いて

笑ってる‥？

｢目の前で家族を‥｣

｢失った‥か｣

あたしの言葉に付け足すように
そうぽつり呟いた

　
貴方の目が見れない

震えだした唇を
無理やり噛み締めて堪えた

だって壱助さん､貴方といると
とても辛いんだもの‥

　
｢同じ境遇‥故に
心惹かれたと､言うんで？｣

そうだとしたら
この感情は同情なのか

寂しさを苦しさを
共有したがる弱さなのか

あたしは弱い
そんなのはわかってる

　
ぐるぐると渦を巻く
灰色の何かが
だんだんと暗くなる

強くなったつもりだよ
強くなったはずだった

どうしてこうも上手くいかない
結局誰かにすがりつかなきゃ
生きていけない

　
｢‥あたし､｣

左手首の落ち着いた傷たちが
疼き始めて痛い

壱助さんに出会ってから
傷は増えることがなかった

あたしを心配して
止めろと言ってくれた

　
｢香夜さん｣

頭がぼうっとする
昨日からずっと

体と心が全く別物
宙に浮かんで掴めない

畳の網目をなぞってた右手が
左手首に爪を立てた

　
｢‥香夜さん｣

少し引っ掻いただけで
血が滲みはじめて
久しぶりの感覚にぞっとした

真っ赤な液体が
爪の間をすり抜けて滲みた

　
｢あたし‥どうかしてる
どうかしてる‥よ､
もう‥消えちゃいた‥｣

『｢‥香夜っ!!｣』

はっとした
また父親と重なった声

　
壱助さんが声をあげた
思わず顔を見上げれば
どこかそれは悲しそうな顔で

しわの寄った眉間
鋭いのに優しい目

｢契りを交わしたはず､ですよ
そのお命‥無駄にはしない､と｣

　
今あたしを叱ってくれるのは
貴方だけで‥

真剣に向き合ってくれる
その瞳で包んで

｢本当に‥世話が焼ける｣

｢い‥ち助さん｣

流れるような細い指で
手首を包み込まれれば
どくどくと生命が鳴いてる