記憶を売る本屋さん
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#299 [我輩は匿名である]
「(やっぱり…)」

今まで、いつも彼は私の傍にいて笑ってくれた。

どうなったかわからないけど、さっき階段から落ちる時も、私をかばってくれた…。

私が“長谷部今日子”だと知っていても、彼は自分から全てを話す事は拒んだ。

言いたくても、自分の事を知ってほしくても、彼はずっと我慢してきた。

一緒にいて、辛くて仕方なかっただろう。

響子の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

それが赤ちゃんの顔に落ちて、赤ちゃんが目を覚ました。

「(あ…ごめんね、起こしちゃったね)」

響子は、顔の辺りで手を動かしている赤ちゃんの背中をトントンとたたいてあやす。

⏰:10/04/05 08:50 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#300 [我輩は匿名である]
「…今日子…」

目を閉じたまま、優也が今日子の名前を呼ぶ。

もうほとんど声が枯れて出ていないため、響子は息を殺して耳を傾ける。

「……やっと…そっちに…行けるみ…いだ…」

優也は少し笑う。

「ごめ…な…、俺が…あんな事…言わなければ…お前たち2…とも…死ぬ事…なかったのに…」

優也はあの朝、急に「晩ご飯を作る」と言った事をずっと後悔していた。

「……俺…結局…何にも…し…やれなかったな…。

お前を…ただ疲れさせた…だけだった…。

……怒ってる…かな…」

優也は言いながら、大きく咳をする。

⏰:10/04/05 08:50 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#301 [我輩は匿名である]
口に押しつけていた服の袖が血で汚れる。

「……お前はもう…俺の事…嫌いに…なったかも…しれないな…。

でも…俺は…もし人が…生まれ変わるのなら……もう1度……お前を探すよ……」

響子にはもう、優也の顔がはっきり見えなくなっていた。

「嫌いになるわけないよ、大好きだよ」と言って、今すぐでも抱き締めたい。

そう思うと、もう涙が止まらない。

⏰:10/04/05 09:26 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#302 [我輩は匿名である]
「お前を見つけて……もう1度…プロポーズして……結婚して…次はちゃんと…あの子を…生んでやらないと…な…。

子どもは……2人が…いいな…。男の子と…女の子…。

男の子には…俺が…野球を…教えて…

女の子は…そうだな……今日子が…料理とか…教えるのも…いいかも…しれないな…。

子どもが大きくな…て……独り立ちしたら……俺達2人……いろんな所に…旅行に行こう……。

新婚旅行しか……どこにも…連れて行って…あげれなかった…から…」

優也の声が、息遣いが、だんだん小さくなってきている。

もうもたない。響子は思った。

息をする度に、ヒューヒューと苦しそうな音が、響子まで聞こえてくる。

何とか出来るなら何とかしてあげたい。響子はやるせなさでいっぱいだった。

⏰:10/04/05 09:27 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#303 [我輩は匿名である]
痰が絡んでももう咳をする力も無くなってきたのか、優也は下を向く。

「(…優也…もう息が…)」

さっきまで肩で必死に息をしていたが、今はそうではなくなってきている。

「…今日…子……、…ごめん…ごめん、な……」

優也はそれきり、もう何も話さなかった。

⏰:10/04/05 09:27 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#304 [我輩は匿名である]
「…うー」

不意に、赤ちゃんが声を出した。

目が潤んだまま視線を下ろすと、赤ちゃんはじっと、優也の方を見ている。

普通この小さならまだあまり目が見えないはずだが、赤ちゃんはまっすぐに彼を見ていた。

「…君のお父さんだよ」

響子は小さく笑う。

「次に生まれて来た時は…いっぱい抱っこしてもらおうね」

響子の腕の中の赤ちゃんは、まるでその言葉がわかったかのように、にっこり笑った。

⏰:10/04/05 09:28 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#305 [我輩は匿名である]
響子は静かに目を覚ます。

目の前には、真っ白い天井。家の天井ではない。

「あっ、目、覚めました?ここ病院ですよ」

足元で女性の声がする。

「病院…?」

「大丈夫?どこか痛む?」

声の主は、看護師だった。

「え…?」

「だって、涙出てるよ?」

そう言われて、響子は目の辺りを触る。確かに、両目に一筋の涙のあとがある。

⏰:10/04/05 21:49 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#306 [我輩は匿名である]
それも、まだ出来たばかりの。

「い…痛いんじゃないんです…」

響子は慌てて涙を拭く。

「そ、それより!」

ハッと思い出して、響子は飛び起きる。その拍子にベッドがギイッと音を立てる。

「私、私と一緒に、男の子が運ばれてきませんでしたか!?月城薫っていう子!」

急に声を上げたため、看護師は驚いている。

「…その子なら」

目をぱちくりさせつつ、看護師は響子に背を向け、響子の前のベッドを指差す。

⏰:10/04/05 21:50 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#307 [我輩は匿名である]
「そこのベッドにいるわよ。あなたより重症だけど、結構早く目を覚ましてたよ」

カーテンで仕切られていて、このベッドの外が見えない。

しかし、カーテンの外が明るいのはわかる。

「…今、何時ですか?」

「今?今ねぇ、朝の9時過ぎ」

「…朝?えっ、朝ですか?」

「えぇ、香月さん、昨日階段から落ちてからずっと寝てたのよ。大丈夫?」

「へ?はぁ、何ともないです」

「そう。ちょっと頭打ってたみたいだから、それでかな。一応今日検査の予定が入ってるから」

「検査…はい、わかりました」

⏰:10/04/05 21:50 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


#308 [我輩は匿名である]
いまいちよくわからないまま、響子は了承する。

看護師はホッとしたように、響子の検温を始めた。

⏰:10/04/05 21:51 📱:N08A3 🆔:W6VDeUwI


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