記憶を売る本屋さん
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#11 [我輩は匿名である]
表紙は折り曲げても簡単には折れなさそうな程頑丈だが、ワインレッドのような色が全体に塗られているだけ。
タイトルも著者名も、何も書かれていない。
直人は左手で、それを受け取ってしまった。それほど分厚くはない。
「きっと君の役に立つと思うよぉ?」
声は笑っているかのようだった。
耐えられず、直人は素早く振り返る。しかし、そこにはもう誰もいなかった。
ただ、風に乗って、老人の笑い声が聞こえた気がした。
怖かった。声に出したつもりだが、息だけが出た。
背中に尋常じゃないぐらい汗をかいている。
直人は深呼吸をして、手に持った本をじっと見つめる。
これに、一体何が書かれているのか。俺は死ぬのか。
捨てたい。けど、何が書かれているのか見てみたい。
直人は息を殺して、本のページに指をかける。
:10/03/22 14:51
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#12 [我輩は匿名である]
「直人!」
薫の声が、直人を呼ぶ。
その声に、直人はハッとして、なぜか本を急いで鞄の中に放り込んだ。
「ごめん、お待たせ」
「あっ…あぁ…遅かったな…」
無理やり顔を引きつらせて笑顔を作る。
その様子が明らかにおかしいのに気付いたのか、薫は首をかしげた。
「…どうかした?顔真っ青だけど」
「そっ、そうか!?あっ、腹が痛かったからかな!?はは…」
よくとっさに、こんな出任せが出たな。直人は自分でちょっと感心する。
「腹痛?大丈夫か?」
言葉だけ聞けば心配しているようだが、顔は明らかに、呆れたように笑っている。
「…お前、心配してないだろ」
「してるしてる」
:10/03/22 14:58
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#13 [我輩は匿名である]
嘘付け。とは思ったが、問いただされるよりはマシだ。
直人はホッとして、肩からかけた鞄に手を当てた。
「弁当箱、あったか?」
「無いとおかしいだろ」
「ま、まぁな」
変な事を聞いた。内心「げっ」と思う。
「もう17時半なのに、あの変な金髪女、まだ教室でボーっとしててさぁ。ちょっと気味悪かった」
薫は話を変えた。
彼らのクラスに、1人だけ白に近い金髪で、眉毛を剃りあげた女子がいる。
名前は知らないが、さすがにみんな近寄り難いのか、入学以来誰かと話しているのを誰も見た事が無い。
窓際の1番後ろの席で、いつも外を眺めている。
「あいつ、何しに学校来てるんだろうな。まぁどうでもいいけどさ」
「まぁな」
2人はそんな大した事無い話をしながら、家に帰っていった。
:10/03/22 15:06
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#14 [我輩は匿名である]
その夜。風呂から上がって一息ついた直人は、イスに座って、机の上に置いたあの本を見つめていた。
結局薫にも家族にも、本の話はしていない。話す気にならなかった。
今でも怖いが、自分で都市伝説を解明してみるのも楽しいかも、という変な探究心があった。
万が一のために遺書でも書いとこうかと思ったが、流石にそれはめんどくさかった。
ごくっと唾を飲む。
「(よし…やるか!)」
自分に気合を入れ、直人は一気に本を開いた。
「うわっ…!」
ありえない事が起こった。本から目を開けられない程の眩しい光があふれ出したのだ。
わけがわからないまま、直人はぎゅっと目を閉じる。
:10/03/22 15:13
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#15 [我輩は匿名である]
「行ってきまーす」
聞いた事の無い少年の声に、直人は意識を取り戻す。
視界には、知らない玄関が映っていた。
「えっ、どこ!?」
そう言ったつもりだったが、声が出ず、口も動かない。
それどころか、勝手に身体が動き出し、その知らない家を出た。
「…どこだ…?ここ…」
直人は絶句した。見た事も無い場所だった。
立ち並ぶ瓦屋根の大きな木造の家、古そうな街灯。
前からは男性はリーゼント頭で誇らしげに歩いてくる。
服装も明らかに、直人がいる2010年代とは違い、ダサい。
:10/03/22 15:27
:PC
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#16 [我輩は匿名である]
「何、あいつ。古っ」
そんな事より、どうやったらこの身体は思うとおりに動いてくれるのか。
喋りたくても喋れない。止まりたくても止まらない。見たい物も見れない。
たださっさと、沈む夕日に向かって歩くだけだ。
「あらぁ、カナメ君。どこ行くの?」
道の少し先にいる、40歳前後のおばさんが、こっちに向かって話しかけてきた。
「なんか、トイレットペーパーがなくなったから、買って来てって」
少年の声がした。さっき「行って来ます」と言った、あの声だ。
驚いたことに、その声を発したのは、この身体だった。
直人は状況が飲み込めず、ただ唖然とする。
「トイレットペーパーねぇ。4年前は買うのも大変だったのに、あれなんだったんだろうねぇ。
オイルショックだか何だか知らないけど、迷惑なもんだよ」
女性は呆れたように苦笑いする。
:10/03/22 15:37
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#17 [我輩は匿名である]
「オイルショック…?」
直人にはその言葉が引っかかった。
歴史は別に得意ではないが、それが40〜50年ほど前に起きた、
という事は、中学の時にテストで出たので覚えている。
そして、オイルショックの際、原油価格がどうこうで、トイレットペーパーが無くなると噂が広まり、
買い求めるために行列ができた程、という話も聞いた。
しかし、女性の話が本当ならば、今ここは、1970年代後半ぐらいという事になる。
なぜ?
直人はただ、家であの赤い本を開いただけなのに、なぜこんなわけの分からない状況になっているのか?
これではまるで、タイムスリップではないか。
本を開けただけで、そんな事が起こるはずが無い!
:10/03/22 15:44
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#18 [我輩は匿名である]
大体この身体は誰だ?言う事を聞かないし、干渉する事もできない。
『彼』は、直人の存在に気付いていない。
それでも『彼』が目にした物は、自分が見ているかのように、直人にも鮮明に見えた。
そして、ある事に気付いた。
誰も携帯電話を持っていない。
今の時代、歩いていれば必ず、携帯電話を使っている人とすれ違う。
電話している人、メールを打っている人、様々だが、ここには誰も、そんな仕草をしている人はいない。
それだけではない。マンションもほとんど見当たらず、何よりコンビニが1件もない。
直人はぞっとした。
:10/03/22 15:51
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#19 [我輩は匿名である]
「何だよこれ…どうやったら元に戻れるんだよ!?」
不安のあまり、叫んだ。心の中で。
本を開いたからここに来た。しかし、今は本を持っていない。戻る方法がわからない。
まさか、一生このままなのか…?
「うわぁ!?」
直人の考え事は、その声にかき消された。
裏道のような細い路地。
人1人通るのがやっとの道に、髪の長い少女がうずくまるようにしてしゃがみこんでいたのだ。
白いワンピースに、赤い靴。
「こわっ。ホラー映画かよ」。直人は思った。
「こ、こんなところで何してるの?」
この身体の主が、少女に尋ねる。
:10/03/22 16:04
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#20 [我輩は匿名である]
声をかけられ、少女はこっちを向く。
人に怯えたような、死んだような瞳だった。
「…どこの子?この辺…じゃ、ないよな?」
この身体の主も、直人と同じように「怖い」と思ったのだろう。
声の調子が少し変わり、緊張しているのが分かる。
「…何も」
少女は小さな声で、それだけ言った。
身体の主は、困ったように「え…」と口ごもる。
それを見てか、少女はこう付け足した。
「帰りたくないから、ここにいるの。…それだけ」
どうやら家出をしてきたようだ。しかも、手ぶらで。
「でも、夜になると冷えるよ?」
「いいの。誰も心配してないし。…親もいないし」
:10/03/22 16:11
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