こいごころ
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#636 [向日葵]
「いや、なんだか甘い香りがしたもので」

「ああ……。お菓子をよく作りますから、それでかしら……?」

女の子たちの視線を感じながらも、裕之は何故だかその人から目が離せなかった。

今までも、誰かに特別な感情を抱いたことはない。
好き勝手に遊んでいたし、たくさんの女の子たちと知り合うのは楽しかった。

でも、この人だけ、なにが違う?

「あなたはたしか……、加賀さんでしたね。1つ学年が上の、有名人さん」

「いや、そんな……」

「初めて見ました。いつも女の子に囲まれて、本人は見たことがありませんでしたから」

⏰:11/02/19 22:35 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#637 [向日葵]
ふと腕時計を見た女性は、全ての食器を片付け終えると、体ごと裕之の方を向いて、軽く一礼する。

「では、私は用事がありますのでこれで」

「あ、待って!せめて名前を……」

「あれだけたくさんの女の子と一緒にいるんですし、私の名前を名乗ったところで、あなたは忘れてしまうと思いますよ。それでは」

涼やかな声と笑顔で、拒絶された。

ナンパなら他でやれと。

⏰:11/03/06 03:10 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#638 [向日葵]
彼女が言うことを否定は出来ない。
それに何人もいる女の子たちの中で、彼女を特別扱いする気もない。

けれど、今もまだ、甘い香りが自分を包む。

―――――――…………

「やあ」

何日かしたある日。
裕之はまた甘い香りのする女性をみつけた。
女性は丁度木陰になっているベンチで本を読んでいた。

⏰:11/03/06 03:10 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#639 [向日葵]
「あら、あなたは……」

「加賀裕之。文学部の2年。そっちは?」

「同じく、文学部の1年です」

「じゃなくて……」

名前を訊きたかったのに、おもいきり省かれた。
これ以上問い詰めても、きっと前みたいにかわされるだろうから、裕之は諦めて女性の隣に座った。

「何読んでるの?」

「志賀直哉の作品集です」

渋い……。

⏰:11/03/06 03:10 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#640 [向日葵]
「今渋いって思いました?」

「いや、難しい本読んでるんだなーって」

頷きそうなところを、なんとかこらえて別の言葉を出した。

しかし、女性は裕之の考えなどわかっているように、少し困ったように微笑んだ。

再び女性が本に目を落とすと、ふわりと暖かな風がふいた。
それにより、また甘い香りがただよってくる。

気づいたら、裕之は本にそえてあった女性の手を握っていた。
驚いた女性は、たれ目がちの目をかるく見開いて、裕之をみつめる。

⏰:11/03/06 03:11 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#641 [向日葵]
一体なんなんだこれは……。

裕之も困っていた。
これじゃまるで、自分が彼女のことを好きみたいではないか。

好きなのか?
好きじゃないと言えば嘘になる。今日会うまで、気づかないうちに彼女を探していた自分を知っている。

でも自分は、1人だけを選ぶなんてことはしない。

そう思っているのに、だんだんとその小さな唇に吸い込まれていく。

⏰:11/03/06 03:11 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#642 [向日葵]
もう触れるだろうという瞬間。
ぱしりと音がして、頬にかるい痛みがはしる。

「やめて……。私をみんなと同じようにしないで……っ!」

怒った目が涙の膜で輝いて、奇麗に見えた。
そしてその目は怒っているのに、どこか悲しそうだった。

「あなたは女の子なら誰でもいいかもしれないけれど、私は違う。誰もかれもが、あなたを好きになるだなんて思わないでください」
そんなこと思っていないと言いたかった。

⏰:11/03/06 03:12 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#643 [向日葵]
でも、今の自分はそんなこと言えるような奴じゃない。
毎日女の子たちにかこまれていれば、説得力がない。

「あ、いたいた!馨!」

はっとしたように、女性は顔をあげる。
遠くのほうで、誰かが「馨」と呼ばれるその女性を手招きする。

「馨ちゃんっていうんだ」

「……気安く呼ばないで。呼ぶなら名字にしてください。」

「じゃあ名字は?」

「魚住です。では……」

⏰:11/03/06 03:12 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#644 [向日葵]
急ぐように本をパタンとしめて、馨は立ち去る。
しかし数メートルでピタリと止まると、肩にかけた鞄からごそごそと包まれた小さな何かを出す。

彼女の手にのっていたのは、一口サイズのカップケーキだった。

「自分で食べようと思いましたが、あげます。叩いてしまったお詫びです。でももう2度、あんなことしないでください」

また一礼して、今度はもう振り向かず行ってしまった。

もらったカップケーキを裕之は見つめる。
小さく可愛く主張しているようにも見えるそれは、彼女の分身のような気がして、知らず知らずのうちに口を笑みの形にした。

⏰:11/03/06 03:12 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


#645 [向日葵]
なんて自分らしくない感情だ。
こんなにも彼女がいとおしい……。

魚住馨。
その名前は、裕之にとって特別なものとなった。

ーーーーーーーーー…………

大学にある図書館は、馨にとって一番安らぐ場所。
本のにおいと、建物自体のにおい。遠くに聞こえる生徒の声は、なんだかくすぐったくも感じる。

なにより、次なにを読もうか悩みながら本を選んでいる時が一番幸せな時間。

⏰:11/03/19 21:57 📱:SH05A3 🆔:☆☆☆


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