記憶を売る本屋さん
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#291 [我輩は匿名である]
響子は視線を落とす。
「(…ごめんね、守ってあげられなくて…)」
腕の中で、赤ちゃんは響子の服を握ったまま寝息を立てている。
もし“私”が、あの時立ち止まらなかったら。あのまま歩き続けていたら。
そう思うと涙が出そうになる。
響子は顔を上げる。
いつの間にか、背景が見慣れた小さな家の中に変わっていた。
優也は1人、こちらに背を向けて座り込み、写真立ての中の今日子を見つめている。
:10/04/04 21:45
:N08A3
:TU64Ti3w
#292 [我輩は匿名である]
「…お前たちの葬式ぐらいから、ずっと体調が悪くてな。
…2ヶ月経って、やっと一息ついたから、この間病院に行ったんだ」
響子は彼の背中をじっと見つめる。
「そしたら、検査するって言われて…今日結果が出た。
………肺癌だと言われたよ。骨にも転移して…もって半年の、1番予後の悪い癌らしい」
響子は自分の耳を疑った。
そんなはずがない。この間まであんなに元気だったじゃないか。
「…急にあんな事を言ったから、ばちが当たったのかもしれないな」
優也はため息をついた。
:10/04/04 21:46
:N08A3
:TU64Ti3w
#293 [我輩は匿名である]
「…化学療法とか、いろいろやれって言われたけど、断ってきた。
そんな事にかける金もないし、…そこまでして生きても、俺にはもう何もないから…。
飲み薬だけで抑えてもらえるように、頼んできた」
響子は見ていられなくなって目を逸らす。
几帳面な優也でも、なかなか片付ける暇がないのだろう。
部屋の中は、今日子が生きていた時よりも散らかっているように見える。
響子が部屋を見渡していると、優也は急に激しい咳をし始めた。
「(優也…)」
:10/04/04 21:46
:N08A3
:TU64Ti3w
#294 [我輩は匿名である]
“私”が生きていれば、「一緒に闘おう」と言えるのに。
今の“私”は、ただ背中をさすってあげる事すら出来ない…。
「(私は…何のために優也と一緒になったの…?
これじゃ優也に悲しい思いをさせて、辛い目に合わせただけじゃない…。
…私は…優也に何もしてあげられなかった…)」
優也は、“私”の事をどう思っているのだろう。
響子の視界が、涙で滲んで見えにくくなる。
涙を拭こうにも、両手が塞がっていて出来ない。
響子は何も考えず、ただ泣かないようにと我慢する。
:10/04/04 21:47
:N08A3
:TU64Ti3w
#295 [我輩は匿名である]
まだ続きがあるから、ここで泣くわけにはいかない。そう思った。
その間にもどんどん時間は流れる。
優也は、最初は普通に会社に行っては帰ってきて寝る、という生活を繰り返していたが、
少しずつ痩せてきて、仕事も休みがちになった。
元看護師だった今日子。
その記憶を持つ響子は、優也の余命が、半年も無い事を悟る。
優也はやがて腰を押さえながら歩くようになり、家から出る事も少なくなってきた。
2ヶ月ほど経った頃にはもう、寝室からほとんど出られないようになってしまった。
響子はただ、それをじっと見つめる。しかし、ここまで来てもまだ、彼の顔がよく見えない。
:10/04/04 21:47
:N08A3
:TU64Ti3w
#296 [我輩は匿名である]
『俺が本気で愛するのは一生でただ1人、長谷部今日子だけだ!』
薫の言葉が頭をよぎる。
「(…月城くん…もしかしたら…)」
響子が考えていると、優也がよろよろと立ち上がった。
息苦しそうに胸を押さえながら、壁づたいにどこかに向かう。
響子は「どうしたんだろう?」と、後を付いていく。
赤ちゃんはまだ眠っている。
「(この子、起きるのかな…?)」
そんな事を思っていると、リビングに入ったところで優也がふらっと座り込んだ。
:10/04/04 22:33
:N08A3
:TU64Ti3w
#297 [我輩は匿名である]
だいぶ呼吸が荒くなっている。
それでも優也は、這うようにして前へ進む。
咳をしてふらつきながらも、優也はリビングの窓のところまでたどり着いた。
窓の傍には、最近に見つめていた今日子の写真立てが置いてある。
神経にまで癌が転移し、目が開きにくくなったのか、優也は手探りで写真を探す。
そして、写真を見つけると、それを手に窓にもたれ掛かるように座り込んだ。
「(…!)」
響子は愕然とする。
息を切らして、こちらを向いて座り込んでいる優也。
痩せ細って目にはくまが出来ているが、その顔は間違いなく、薫だった。
:10/04/04 23:11
:N08A3
:TU64Ti3w
#298 [ま]
うほ(´・ω・`)
:10/04/04 23:32
:P04A
:HTCg2SGA
#299 [我輩は匿名である]
「(やっぱり…)」
今まで、いつも彼は私の傍にいて笑ってくれた。
どうなったかわからないけど、さっき階段から落ちる時も、私をかばってくれた…。
私が“長谷部今日子”だと知っていても、彼は自分から全てを話す事は拒んだ。
言いたくても、自分の事を知ってほしくても、彼はずっと我慢してきた。
一緒にいて、辛くて仕方なかっただろう。
響子の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
それが赤ちゃんの顔に落ちて、赤ちゃんが目を覚ました。
「(あ…ごめんね、起こしちゃったね)」
響子は、顔の辺りで手を動かしている赤ちゃんの背中をトントンとたたいてあやす。
:10/04/05 08:50
:N08A3
:W6VDeUwI
#300 [我輩は匿名である]
「…今日子…」
目を閉じたまま、優也が今日子の名前を呼ぶ。
もうほとんど声が枯れて出ていないため、響子は息を殺して耳を傾ける。
「……やっと…そっちに…行けるみ…いだ…」
優也は少し笑う。
「ごめ…な…、俺が…あんな事…言わなければ…お前たち2…とも…死ぬ事…なかったのに…」
優也はあの朝、急に「晩ご飯を作る」と言った事をずっと後悔していた。
「……俺…結局…何にも…し…やれなかったな…。
お前を…ただ疲れさせた…だけだった…。
……怒ってる…かな…」
優也は言いながら、大きく咳をする。
:10/04/05 08:50
:N08A3
:W6VDeUwI
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