消えないレムリア
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#311 [ぎぶそん]
【※310 “俺もかなめのことが”です】

「お願い!行かないで!」
私は走って彼を追いかけ、後ろから思いきり抱きついた。
リビングの明かりが後ろから差すダイニングの中央で、2人が立ち止まる。
「ごめん嘘ついた!あんたのこと嫌いじゃないよ、嫌いじゃない、嫌いじゃないから……」
本当はもっと言いたいことがたくさんあった。
でもこう言うのが今の自分にとって精一杯だった。

「――――――本当、かわいいんだから」
彼が蚊の鳴くような声で言った。
“かわいい”。何故だろう。桜庭くんに言われた時より数段嬉しさがあった。
彼が自分の腰まわりに絡んでいる私の両手をそっと握る。
「ちょっとプライドが高くて、ちょっと偏屈で、ちょっと不器用なところが、たまらなくかわいい」
私は彼の言葉をしっかりと聞いた。
ねえ私。私のことここまで思ってくれる人、この人以外に現れると思う?――

彼は私の手を離し振り返ると、私の頭を撫でた。
「嘘だよ。出て行かないから」
彼のいつもの屈託のない顔に、涙が出た。
「あっ、でも1つ謝らなくちゃいけないことがある」
「何?」
「マカロン、毛利さんからのお土産、1人で全部食べた」
彼の指差す方を見ると、テーブルの上に空の箱が置いてあった。
私は涙を拭いながら笑った。

私はこいつがたまらなく憎い。そして、たまらなくああああ愛し――。
今はまだ自分の心の中でさえも言えないのであった。

⏰:12/08/25 23:32 📱:Android 🆔:IveFXFwc


#312 [ぎぶそん]
次の日の朝。ベッドの上で、私は彼に執拗に迫られていた。
「今度合コンに行ったら、もっと目立つところにつけるよ?こことか」
彼が私の首筋をしゃぶる。
「あんた、本当は経験豊富でしょ?」
「ないよ。どうして?」
「なんか、慣れてる気がする……」
本当、悔しいよ。

その時、隣の部屋からドンッと大きな物音がした。
私と彼は思わず壁を一瞥して、お互いの顔を見合わせた。
――ドンッドンッドンッ。
音は鳴り止まない。

隣には渡瀬明穂さんという社会人の若い女性が住んでいる。
様子が気になったので彼と一緒に部屋を出て、彼女の部屋の呼び鈴を押した。
「あの、隣の足立ですけど、何かありました?」
インターホン越しに彼女と会話をする。
「うるさくてすみません。棚を作ってて」
棚!?
「よかったら手伝いましょうか?ちょうど男手もいるんで」
私は真織の顔を見た。
「いいんですかぁ?困ってたところなんです 」
すぐに彼女がドアを開けた。

⏰:12/08/27 22:24 📱:Android 🆔:RHxcUp2M


#313 [ぎぶそん]
渡瀬さんは身長が170センチ近くあり、手足が長くすらっとしている。
ドアを開けた彼女はすっぴんに眼鏡で、白いキャミソールを着て黒いウォームアップズボンを穿いていた。
貧相な格好だけど、持ち前のスタイルのよさで様になっていた。

「こちら、伊藤真織くんです。今、訳あって一緒に住んでるんです」
私は早速彼女に彼を紹介した。
「そうなんだぁ。初めまして」
彼女が彼に礼をすると、彼女のウェーブのかかった長い髪が小さく揺れた。

その後すぐ、私たちは彼女の部屋に上がった。
彼女の部屋はカーテンや小物が全てピンク色で愛らしく統一されていて、同じ間取りなのに味気ない私の部屋とは全然雰囲気が違っていた。
彼女が作ろうとしている本棚は組み立て式のようで、リビングの床に白く塗装されてある板が何枚も重なっていた。

「日曜だし、日曜大工をしようと思って」
彼女はその板の近くで腰を下ろすと、かなづちを持った。
パイプベッドの上にはマンガがどっさりと置いてある。
本棚の用途がすぐに浮かぶ。

⏰:12/08/28 21:54 📱:Android 🆔:EnHF6Pok


#314 [ぎぶそん]
「恋人さんに頼まなかったんですか?」
彼女に恋人がいることを知っている私は彼女にたずねた。
「彼とは遠距離なの。彼は島根県の出雲市に住んでるんだ。出雲大社があるところだよ。後半年したらこっちに来る予定なんだけどねぇ」
遠距離か。もし真織とそうなったら、とてもじゃないけど耐えられないな。
私はすっかり彼に依存してしまっていた。

その彼は初対面の女性の本棚づくりに神経を注いでいる。
彼が板の穴に専用の釘をねじ込み、その部分をまた違う板の穴と重ねる。
「あっ、そうやるんだぁ」
渡瀬さんはそれを感心そうに見ていた。
その後も彼女の握りしめるかなづちは全く出番がなく、彼の手で静かに作業は続いた。

そうして1時間もしないうちにスライド式の本棚は完成し、3人で協力して中にマンガの巻数を揃えて収納した。
「本当にありがとう。よかったら、お昼食べていきませんか?少し早いけど」
彼女の部屋のハートの形をした壁掛け時計の針は、まもなく11時を差そうとしていた。私と彼は彼女の言葉に甘えることにした。

「マンガ読んでいいですか?」
彼が台所に立つ彼女にたずねる。
「いいけど、少女マンガしかないよ?あっ、そうだ」
彼女がペンギンみたいなよちよち歩きでリビングにやって来て、本棚をきょろきょろと見た。
「これ面白いよ」
そして彼女は彼に「ラブ・シェアリング」というタイトルのマンガを渡した。
カバーの表紙には、学校の制服を着た男女がフローリングにあぐらをかく姿が描かれていた。

⏰:12/08/28 22:18 📱:Android 🆔:EnHF6Pok


#315 [ぎぶそん]
すぐに彼はそのマンガをぱらりとめくり、私も隣で覗き込んだ。
ごく普通の女子高生石崎麻奈が、憧れの聖矢先輩とひょんなことから共同生活をし恋を育むという、甘酸っぱいラブストーリーが綴られている。
男女がルームシェアをするという設定は、すぐに私の心を掴んだ。
ページをめくる彼もマンガの内容に集中していた。

「出来たよぉ」
1巻を3分の2ほど読んだところで彼女に呼ばれ、2人でダイニングテーブルのイスに腰かけた。
テーブルの上には湯気の立つカルボナーラと氷水が3つずつ並んである。
私たちはそれを熱いうちに食べながら、お互い同じ大学であること、それぞれのサークルとバイト先の場所などを彼女に話した。
反対に彼女のことも色々と知った。年齢は26歳。丸の内にある会社で事務職をしている。彼氏の名前はケイちゃん。その彼氏とは2年前旅先で知り合った、など。
「かなめちゃん、真織くん、あたしのことは明穂でいいよぉ」
彼女は凛々しい顔立ちとは対照的に、ゆっくりとした喋り方で朗らかに笑う。

彼女との昼食を終えた後、彼がさっき読んでいたマンガを手に取った。
「このマンガ、借りていいですか?読み終わったらすぐ返すんで」
「うん!全部持っていっていいよ」
彼女が棚から「ラブ・シェアリング」と書かれたマンガを全部取り出す。
私と彼はマンガ10冊を1人5冊ずつ持って、彼女の部屋を出た。

⏰:12/08/28 23:10 📱:Android 🆔:EnHF6Pok


#316 [ぎぶそん]
部屋に戻って、持っていたマンガをテーブルの上に置いた。
「おいしいパスタご馳走になったし、明穂さんにも旅行のお土産買ってこようか」
いよいよ春から計画していた彼との旅行も後1週間と迫っていた。
「このアパートって、他にどんな人が住んでるの?」
彼がベッドに座ってマンガをぱらぱらとめくりながら言った。

私たちの住むアパートは3階建てで各階に7部屋ずつあり、群青色の外壁が特徴的だ。
入居時築5年と聞いたから、今だと6年は経っている。まだ割と新しいので人気の物件らしく、常に入居者でいっぱいである。
1年以上住んでいるけど、ご近所トラブルなどのいざこざは見たことも体験したこともない。
さっきみたいな物音があるのが反対に珍しい、至極平和な場所だ。

「反対隣の204号室には私が来た時は気弱そうな男の人が住んでたけど、すぐに引っ越した。ちょっとしてすごく体格のいい男の人が来たような。香田さんだっけ。1階には10歳くらいの女の子がいる3人家族が住んでると思う。後、にこにこしたおばあちゃんもよく見る」
「そっか。俺もそのおばあちゃんと中学生の男の子くらいしか顔を合わせたことがないな。万が一の時のためにも、さっきみたいにご近所さんと交流はあった方がいいよね」

明穂さんの部屋から物音がした時、もし自分1人だったら黙って見過ごしていたかも知れない。
真織、あんたがいたから、また誰かと親しくなれた。それも1年以上ずっと部屋の壁の向こう側にいる人と。

⏰:12/08/30 00:08 📱:Android 🆔:EbtstAVU


#317 [ぎぶそん]
私も彼の隣に座り、彼のお腹辺りで開いているマンガを覗いた。
「少女マンガって意外と面白いな。マンガとか中学ぶりに読んだ」
物語はちょうど恋のライバルとなる高嶋先輩の登場で、主人公の麻奈が複雑な心境で彼女と聖矢先輩の仲睦まじいやり取りを見ていた。
聖矢先輩は誰に対しても優しく、麻奈の恋心に全く気づいていない。
2人はワンルームの1室をカーテンで半分ずつに仕切って生活している。
近くて遠い、そんな2人の微妙な距離感が胸をきゅっと締め付ける。

2巻、3巻とところどころにあるギャグシーンに2人で時々笑いながら読んだ。
3巻の途中で、聖矢先輩のモトカノなる田川理佐という大学生が登場した。
モトカノか。真織にはそう呼べる女性はこの世に1人もいない。
彼がもし高校時代共学に通っていたら、最低でも1人か2人くらいは彼女が出来ていたと思う。
もし彼の過去がそういう風だったらどうなっていたかな。
考えるだけでも息が苦しくなり、胸倉を両手でぎゅっと掴んだ。

「どうしたの?」
彼が上半身を縮こまらせている私を見る。
「ううん。何でもない」
もし彼の過去がそういう風だったら、他の誰かとキスをしたり体の関係になったことよりも、他の誰かに少しでも夢中になっていた事実があることに悲しさを覚えていたかも知れない。

それからそのマンガを立て続けに5巻まで読んだ。
最初は麻奈の一方的な片思いだったけど、徐々に聖矢先輩も彼女に心を開くようになった。
この2人はこれから一体どうなるのだろう。
そして、私たちのこれからもどうなっていくのかな。

⏰:12/08/30 00:41 📱:Android 🆔:EbtstAVU


#318 [ぎぶそん]
9月中旬。真織との関西旅行が幕を開けた。
4日間の間、京都と大阪をそれぞれ2日間に分けて観光する予定だ。
朝早くに私たちが乗った新幹線は、およそ2時間半で京都駅に到着した。
京都駅を出ると視界に広がる空は雲1つない晴天で、まるで私たちを快く出迎えてくれたようだった。

まず八坂神社の本殿でお参りをし、秀吉とねねの寺として知られる高台寺を拝観した。
二年坂、三年坂を登り、清水寺に向かう。朱塗りの仁王門が勇ましく立っていた。
夏休みのシーズンを外して来たのに、さすが京都一の観光スポットということもあって境内は観光客でごった返している。
三重塔をカメラに収め、本堂に上がった。

「大学受験は『清水の舞台から飛び降りる』気持ちだったなあ」
彼が清水の舞台をゆっくりと歩きながら言う。
「私も私も。あの時は死ぬほどがんばったよ。トイレに入ってる時も勉強してたし」
「じゃあどっちかが落ちてたら出会ってなかったんだね」
彼が笑う。
「……落ちればよかった」
私は彼にそっぽを向き、先に進んだ。
「ええー」
後ろから彼の気落ちした声が聞こえる。
嘘嘘。今の大学受かって本当によかったよ。

⏰:12/08/30 22:50 📱:Android 🆔:EbtstAVU


#319 [ぎぶそん]
本堂を降りて、滝水を飲むと御利益があるという音羽の滝に向かった。3つの筋からは、それぞれ細い水が流れ落ちている。
群がる列に並び、左から順番に流れ落ちる水を専用の長い柄杓で汲み、3つとも1口ずつ飲んだ。冷たい水はちょうど喉の渇きを潤してくれた。

水を飲んだ後、清水寺を後にすることにした。
「どの水飲んだ?」
歩きながら彼がたずねてきた。
「え?全部飲んだけど」
「全部飲んだの?全部飲んだら欲張りと見なされて利き目ないって言うじゃん」
「そうなんだ。水おいしかったし、それだけでいいよ」
「そうだな、御利益を求めて水を飲む俺こそ欲深いのかも知れないな」
彼が私の頭を撫でる。

清水坂周辺で休憩にと、小さな甘味処の店に入った。
4席しかないカウンター席でみたらし団子を食べ、食後にあたたかい宇治茶を飲んだ。
お茶は湯飲みの底が透き通るほどに鮮明な黄緑色で、すっきりとした味わいは私を感慨無量の思いにさせた。
「このおぶう、ほんにおいしおすな」
彼が音を立ててお茶をすする。
「いるよね、よその方言使いたがる人」
「郷に入っては郷に従えだよ。あー、おいしおすおいしおす」
私は裏返った声で京都弁をいう彼がおかしくて、口に手を当てて笑った。
彼は私の太ももに手を置くと、こう言った。
「ほんにかいらしいどすな」

⏰:12/08/30 23:44 📱:Android 🆔:EbtstAVU


#320 [ぎぶそん]
甘味処を出て、市バスを利用して銀閣寺に向かった。銀閣寺を象徴する観音殿を、錦鏡池を隔てて望む。
東側には青々とした庭園が広がっている。
屋根の上には漆黒の鳳凰が雄々しく羽ばたいている。
この鳳凰には銀閣に祀られている菩薩観音を守る意味があると、旅行雑誌の説明文で知った。

「“侘び寂び”ですなあ」
彼がしみじみと言う。
「意味知ってるの?」
「……説明すんの難しい」
彼は困ったように首を掻いた。

銀閣寺に続いて、金閣寺にもやって来た。金閣寺を代表する舎利殿を、鏡湖池を隔てて望む。
その鏡湖池にはいくつかの大小の島が浮かんでいた。
漆塗りに純金の箔を張った建物は神々しく、鏡湖池に映るその姿も麗しくゆらめく。
こちらの屋根の上には黄金に輝く鳳凰が優雅に羽ばたいていた。
金閣寺が1950年に放火した時、あの鳳凰はたまたま取り外されていて無事だったらしい。

目に見えないものは信じない私だけど、舎利殿の上で舞うあの鳳凰は気高く遠いものに感じる。

⏰:12/08/31 22:20 📱:Android 🆔:oJzCNo8E


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