消えないレムリア
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#1 [ぎぶそん]
諸事情により、約3年前に書いていたものを内容を少し変えてもう一度最初から書き直したいと思います。
文章を書くのは得意ではありませんが頑張って書きますので、これからお付きあいよろしくお願いします。
:12/06/02 16:51
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#2 [ぎぶそん]
部屋中に散らばった教科書やプリント。
テーブルの上に山積みに置かれたカップ麺の容器。
衣類もあちこちに散乱していて、どれが洗濯したものでどれが着たものかすら分からない。
見るからに汚いこの部屋に、私、足立かなめは生息している。
片付けよう。大学の春休みの期間、何度もそう思ったがいまいち身体が動かない。
三つ子の魂百までとは言ったもので、この性格は一向に直る気配はない。
でもこの部屋を訪ねてくる知人はほとんどいないし、これでも別に構わないとさえ思ってしまっていた。
誰にも邪魔されない。この部屋は私にとって最高のテリトリーだ。
:12/06/02 16:58
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:qps2jHGA
#3 [ぎぶそん]
3月中旬。お昼、ベッドの上でスナック菓子を食べながら雑誌を読んでいると、テーブルの上の携帯電話が鳴った。
「もしもし。かなめちゃん?」
叔母のみどりさんからだった。
みどりさんは私の父の妹にあたる存在で、現在は埼玉県で旦那さんと子供と一緒に暮らしている。
みどりさんと最後に会ったのは高校3年のお盆の時で、こうして会話するのもそれ以来である。
珍しい人から電話が掛かったと思っていると、みどりさんは私に元気してるのだとか大学生活はどうだとか色々と質問してきた。
「それで、相談があるんだけどね」
みどりさんが本題に入った。
:12/06/02 17:06
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#4 [ぎぶそん]
「叔母さんの知り合いのお子さんで今度、かなめちゃんと同じ大学に通う子がいるの。
でも……、なかなかそっちで住む場所が決まらないらしくて。
それでね、少しの間でいいから、かなめちゃんの部屋に一緒に住ませてもらえないかと思って電話してみたんだけど……」
みどりさんが遠慮がちにそう言った。
赤の他人と共同生活か。考えただけでも、窮屈である。
「そうですねえ……」
私は返事を渋った。
:12/06/02 17:13
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#5 [ぎぶそん]
「叔母さんは悪い話じゃないと思うわ。だって、払う家賃も今までの半分になるのよ!」
みどりさんのその言葉に、私はごくりと唾を飲んだ。
みどりさんが言うそれは、いわゆるルームシェアの最大の利点だ。
私は少し共同生活というものを想像してみた。
考えてみれば同居人がいた方が緊張感が増して、生活にめりはりが出来るかも知れない。
そうしたらだらしのないこの性格とも、いよいよおさらば出来るかも知れない。
頭の中の考えが、どんどんいい方向へと進む。
「分かった」
私はみどりさんの要求を呑むことにした。
:12/06/02 17:20
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#6 [ぎぶそん]
「ありがとう。その子は、イトウマオリちゃんっていう名前の子よ。
イトウの漢字は伊藤博文と同じで、真面目の『真』に、西陣織の『織』ね」
「真織ちゃんかあ。可愛らしい名前の子だね」
「え、ええ……」
一瞬、みどりさんの声が生返事に聞こえたのは気のせいだろうか。
それから今度の詳しい段取りを聞いて、みどりさんとの電話を切った。
こうしちゃいられない。三日後に来るという同居人をきちんと迎えるため、私は大急ぎで部屋を片付けることにした。
:12/06/02 17:27
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#7 [ぎぶそん]
夕方。あんなに散らかっていた部屋は、あっという間に綺麗になった。
昼間とは段違いに片付いた部屋を見回して、私はまだ見ぬ真織ちゃんとやらいう子に心の中で感謝をした。
その日の夜。私は近々同居人となる真織ちゃんのことを想像してみた。
名前からして、細身でしおらしい性格の子だろうか。
いや、あるいは名前とは対照的な、活発で体育会系な子かも知れない。
別になんだっていい。ただ、一緒にいて何ら苦労も感じない、空気みたいな存在であることを祈る。
そう思いながら、眠りについた。
:12/06/02 17:38
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#8 [ぎぶそん]
そして三日後。朝から風呂掃除をしていると、インターホンが鳴った。
真織ちゃんかな?私は掃除をやめ、急いで玄関に向かった。
「足立かなめさんのお宅ですか?」
ドアを開けると、作業着を着た引っ越し業者の男性が立っていた。
それから業者さんの手によって、部屋にわらわらと荷物が運ばれてきた。
その荷物の多さを見て、私はこの部屋に本当に新しい住人が来るのだということを実感した。
業者さんが出ていくと、荷物の中に黒いギターケースがあることに気がついた。
ふうん。真織ちゃんって、音楽やるんだ。
私はそのギターケースを慎重に壁に立て掛けた。
:12/06/02 17:46
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#9 [ぎぶそん]
夕方、再びインターホンが鳴った。
今度こそ、真織ちゃんだろう。
遂に同居人との対面だ。
私は緊張の面持ちでドアを開けた。
しかし私の予想とは違い、そこには身長175センチくらいの、灰色のパーカーを羽織った男性が立っていた。
誰だろうと思ったが、私はこの状況をすぐに理解できた。
きっと、隣に住む女性の彼氏だ。
こっちに引っ越してから、その男性に部屋を間違えて訪ねられたことが何度かあった。
その男性の姿形は覚えていないが、確か目の前にいる彼みたいな感じだった気がする。
「えっと、渡瀬さんなら隣の206号室ですよ?」
しかし、私の言葉の意味が分からないのか、その男性はきょとんとした顔をする。
「いえ、俺、今日からこちらに一緒に住むことになった伊藤真織ですけど……」
私は言葉を失った。
:12/06/02 17:56
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#10 [ぎぶそん]
迂闊だった。思いもしなかった。まさか、男の子だったなんて。
みどりさんに少し腹が立ったが、話をきちんと聞かなかった自分が悪いに決まっている。
しかし、目の前の真織くんは自分より年下であるとは到底思えない、随分大人びた子だ。
ついこの間まで高校生だったことが、まるで信じられない。
「ああ、あなたが真織くんね。初めまして。どうぞ」
本当は女の子が来ると思ってたなんて知れたら格好悪い。
心中を悟られないように、私は平然を装って彼を部屋に入れた。
:12/06/02 18:03
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#11 [ぎぶそん]
私はリビングまで彼を招き入れると、彼に飲み物を出そうと冷蔵庫を開けた。
その彼はリビングに腰を下ろすや否や小さな箱から煙草を1本取り出し、慣れた手つきで煙草の先にライターの火を着けた。
そして、一息ついた様子でふうと煙を吐く。
ちょっと、まだ18歳でしょ。何、堂々と煙草なんか吸ってるのよ。
少し頭に来たが、出会って早々関係がこじれるのは避けたいのでぐっと堪えた。
「はい」
私は作り笑いで彼に麦茶を差し出した。
:12/06/02 21:20
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:qps2jHGA
#12 [ぎぶそん]
彼は煙草を吸い終わると、ダンボールから荷物を出して整頓をし始めた。
「これ、この部屋の鍵」
その途中、私は彼に合鍵を渡した。
彼はジーンズのポケットから革製のキーケースを取り出し、早速鍵をその中に入れた。
それから一言も会話をすることなく、彼は黙々と作業に取りかかっていた。
私はベッドの上で雑誌を読みながら、時々視線を彼の方にやった。
彼は衣類をひたすらたたみ、収納ボックスにどんどん押し込んでいた。
複数の収納ボックスが、どんどん壁際に配置されていく。
広かったこの部屋が、彼のお陰でどんどん狭くなる。
:12/06/02 21:32
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#13 [ぎぶそん]
18時を過ぎた頃、彼が立ち上がった。
「この近くにコンビニある?」
「アパートを出て正面にある信号を渡ったら、すぐ目の前にあるよ」
キーケースと財布を手にして、彼は部屋を出た。
彼が外出している間、私はダンボールの中を覗いてみた。
その中にはミドリムシという変な名前のバンドのCDと楽譜の本が大量に入ってあった。
私は音楽にはあまり興味がない。
興味を持たない理由は特にないが、私には趣味という趣味がほとんどない。
カメラを持つ自分の姿がかっこいいんじゃないかという不真面目な理由で大学の写真部に入部したが、それもすぐに飽きて、ここ半年はほとんど部室に顔を出していない。
だから、こうして好きなことに打ち込める真織くんを羨ましく思う。
:12/06/02 21:45
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:qps2jHGA
#14 [ぎぶそん]
ダンボールの中をよく見ると、片隅にソフトビニールで出来た怪獣の人形が入っていた。
何だこれ。少し疑問に思ったが、気にも止めないことにした。
その後、20分ほどして彼が戻ってきた。
リビングに着くとすぐにコンビニの袋から煙草と弁当を出し、テーブルの上に置いた。
「あんたもどうぞ」
彼が私に弁当を差し出してきた。
あんたって。少しは年上のことを敬いなさいよ。
でも、私の分まで買ってくれたことは素直に嬉しかった。
「ありがとう。お金払うよ」
私は鞄から財布を取り出そうとした。
:12/06/02 21:56
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#15 [ぎぶそん]
「いいよ。俺のおごり」
私のことには目もくれず、彼がどさっと大きな音を立てて座った。
彼は無愛想でとっつきにくい。
何だか、普段笑っているところが想像できない。
その後、時計の針の進む音が聞こえる中で、お互い黙々と弁当に手をつける。
気まずい。 そう感じ、テーブルの上にあるテレビのリモコンに手を伸ばした。
電源ボタンを押すと、ちょうどニュース番組の最中だった。
特集で、新生活を快適に送るグッズだとかを紹介していた。まるで興味がない。
でもその新生活とやらを送る彼は、一度もテレビに目を向けることなく弁当を食べていた。
:12/06/02 22:04
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:qps2jHGA
#16 [ぎぶそん]
19時になると、彼が口を開いた。
「チャンネル変えてもいい?」
「どうぞ」
私は彼にリモコンを渡した。
彼はチャンネルを回すと、「音速戦士ステレオマン」という特撮テレビ番組でちょうど止めた。
その番組の陽気なオープニングの曲が、リビングに流れ始める。
――何これ。こんなの観るの?
可笑しさのあまり、私は思わず吹き出しそうになった。
そこで、彼の荷物に怪獣の人形があったことを理解した。
大人びた外見からは想像も出来ない、意外な趣味を垣間見た。
:12/06/02 22:18
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:qps2jHGA
#17 [ぎぶそん]
彼は箸を動かすのをやめ、テレビに釘付けになっていた。
彼をそんなに夢中にさせるものがどんなものか気になり、私もその番組を観てみることにした。
まず、宇宙からやって来た巨大な怪獣が街を破壊し、人々を恐怖に震え上がらせる。
そして主人公の青年がステレオマンとやらに変身をし、怪獣並に巨大化する。
最後にステレオマンがバイオリンみたいな武器で怪獣をやっつけ、再び街に平和が戻る。
単純明快な内容だけど、まあつまらなくはないと思った。
こんな夢や希望に溢れた物語が好きなんて、彼もそんなに悪い奴じゃなさそうだと思い始めた。
:12/06/02 22:28
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#18 [ぎぶそん]
番組が終わり弁当を食べ終えると、彼はまた荷物を整頓する作業に取り掛かった。
荷物もだいぶ片付いたようで、部屋の隅で空になったダンボールが山積みになっていた。
それから彼は収納ボックスの上に怪獣の人形をいくつも並べ始めた。
しかしそれだけではスペースが足りなかったのか、私の本棚の上にまでも人形を並べる始末になった。
――ちょっと待て!そんなもん置くな!
心の中でそう叫んだが、彼に文句を言う筋合いはない。
だってこの部屋はもう私だけのものじゃなく、彼と私のものになったんだから。
殺風景だったこの部屋が、一気にフリーダムな空間へと姿を変えた。
:12/06/03 08:58
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#19 [ぎぶそん]
その後、気がついたら私はベッドの上で雑誌を片手に眠っていた。
時計の針は10時を指していて、私は慌てて湯沸し器のボタンを押しにいった。
10分後、お風呂が沸いたことを告げるアラームが鳴った。
「お風呂入ったら?」
「まだいい」
彼のために普段入れないお風呂を入れたのに、そっけなく返された。
自分の行動に空回りさを感じながら、私は彼より先にお風呂に入ることにした。
脱衣室で服を脱ごうとした時、ふとある想像が働いた。
――もしかして、私がお風呂に入ってるところを覗くんじゃ?
彼も一応男の子。油断は出来ない。
音を立てず脱衣室の扉を開け、リビングにいるであろう彼の様子を見た。
:12/06/03 09:08
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:Ddsu8QkE
#20 [ぎぶそん]
彼はベランダに出て、外の景色を見ながら煙草をふかしていた。
考えすぎか。鍵もかけず、私は安心してお風呂に入ることにした。
身体を洗って湯船に浸かり、今日一日の出来事を振り返ってみた。
今日は人生でも特に最悪な一日だった。
同居人は女の子かと思ったら、まさかの男の子。
未成年でありながら煙草は平気で吸うし、つっけんどんな態度だし、敬語は遣わないし生意気だ。
そのくせ特撮が好きだったりして、予測不能な部分もある。
もう、訳が分からない。
でも、決して嫌いという訳ではない。
:12/06/03 09:20
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:Ddsu8QkE
#21 [ぎぶそん]
同じ大学の友人に、毛利佐奈という子がいる。
入学当初に行われたオリエンテーションの時、偶然席が隣どおしになったことがきっかけで仲良くなった。
以来この1年間、彼女とはいつも一緒にいた。
佐奈は飽きっぽく気まぐれな性格で発言がころころと変わるので、しょっちゅう私を悩ませる。
でも私は佐奈のことが大好きだ。
たぶん、私は自分の周囲をかき乱す人物が好きなんだと思う。
だから真織くんのことも嫌とは思っても、本当に嫌いになることはないだろう。
:12/06/03 09:30
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:Ddsu8QkE
#22 [ぎぶそん]
お風呂から出ると、彼はベランダの窓に背もたれ、アコースティックギターを弾きながら小さな声で歌っていた。
音楽に興味のない私だったけど、なぜかその姿に興味をひかれた。
私はタオルで濡れた髪を拭きながら、彼の近くに寄った。
「どうこう言ったって 僕もいつか星になる 星になる
その一粒を 君に見てほしい 見つけてほしいんだ」
今日一日私に見せた態度と言葉遣いとはほど遠い、優しく柔らかな声で歌う。
「それ、『ミドリムシ』ってバンドの曲?」
「知ってるの?」
「ううん。荷物の中に楽譜があったのを見たから」
荷物を勝手に見たことを怒られると思ったが、彼は気にもとめない様子でまたギターを弾きだした。
:12/06/03 09:39
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:Ddsu8QkE
#23 [ぎぶそん]
彼の歌った曲の歌詞が気になったので、私は近くで開いていた楽譜を覗いてみた。
「星座の居場所」というタイトルのようだ。
『所詮、この世界では、僕は大勢の中の一人なのだろう。
彼女も、星の中から偶然、僕を見つけただけなのさ。
こぐま座も、おうし座も、本当はただの点さ。
どうして、僕たちは、無関係な星を結びたがる。
輝いて、輝いて、朝になるまで、輝いて。
その一粒を、僕は見ている。見ているから。
僕だって、星の数から偶然、彼女を見つけただけなのに、
どうして、僕たちは、一つになりたがる。
輝いて、輝いて、灰になっても、輝いて。
その一粒を、君に見てほしい。見てほしいんだ。
どうこう言ったって、僕もいつか星になる。星になる。
その一粒を、君に見てほしい。見つけてほしいんだ。』
:12/06/03 09:49
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:Ddsu8QkE
#24 [ぎぶそん]
句読点が多く、短編小説を読んでいる気分になった。
でも、嫌いじゃない。むしろ好きかも。
何となくそう思った。
「好きなの?このバンド」
「別に」
彼が顔を背けた。きっと、本当はすごく好きなのだろう。
「さてと。風呂入ろうかな」
ギターをケースにしまい、彼は向こうに行ってしまった。
彼がお風呂に行っても、私はその場で「星座の居場所」の歌詞を繰り返し読んでいた。
この現代社会において個性的な人は異端とされ、罵られる。常に他人と同じであるように求められる。
この曲はそういった世の中を疑問視するメッセージが込められてると感じた。
:12/06/03 09:58
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:Ddsu8QkE
#25 [ぎぶそん]
それから私はノートパソコンを立ち上げ、「ミドリムシ バンド」で検索をかけてみた。
ミドリムシ。静岡県出身の4人組からなるロックバンド。
ボーカルの斎藤正裕とギターの小松貴也を中心に、高校時代に結成。
その5年後、メジャーデビュー。
昨年の夏、念願だった初の武道館公演を果たす。
ほとんどの楽曲をボーカルの斎藤正裕が手掛ける。
今年2月、「星座の居場所」が深夜ドラマのエンディングに抜擢。初のタイアップ。
こんなバンド、聞いたことないけど結構有名なのかな。
物知りの佐奈なら知っているかも。
大学が始まったら聞いてみよう。
:12/06/03 10:09
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:Ddsu8QkE
#26 [ぎぶそん]
ふと、バンドの公式サイトに載ってあったボーカルの斎藤正裕の顔が目についた。
年齢は大体30手前だろうか。まだまだ若い感じ。
黒髪で毛先にゆるやかなパーマがかかった髪型は、今ここにいる真織くんとまるで同じだった。
きっと、真織くんはこの人に憧れているのだろう。
誰かを目指してその真似をするなんて、生意気な性格にしてはかわいいところがあるじゃない。
ボーカルの色白で綺麗な肌も、真織くんに似ていた。
でも、ボーカルの人の方が断然に優しそうな感じだ。
真織くんは冷たそうで近寄りがたい雰囲気だもん。
:12/06/03 10:21
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:Ddsu8QkE
#27 [ぎぶそん]
パソコンを閉じ、ベッドの上で雑誌を読んでいると彼がお風呂から出てきた。
そして、はっとした様子でつぶやいた。
「やべえ。今日、こっち来て布団買うの忘れてた」
そして、彼はベッドの上で寝そべっている私の元に寄ってきた。
「布団、半分借りていい?明日ちゃんと買うんで」
彼が私の目を見て言った。
流石にそれはまずいんじゃないかと思った。
仮にも、男と女だし。
「えっと、その……」
私が戸惑いながら答えを出せずにいると、呆れた様子で彼が口を開いた。
「何、照れてんの。こっちはあんたのこと、全く女として見てないんだけど」
:12/06/03 10:33
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:Ddsu8QkE
#28 [ぎぶそん]
カチン。頭の中でそんな音が聞こえた。
「好きにすれば」
私だけ変に意識して馬鹿らしい。こっちだって、あんたのことなんかこれっぽっちも男して思ってないんだからね。
私は彼に背を向け、身体を壁際に寄せた。
彼は部屋の明かりを消すと、身体の向きを私とは正反対にして布団に入ってきた。
「……大学ってどんなところ?」
暗がりの中、向こう側からこんな質問が聞こえた。
私に物事を尋ねてくるなんて、どういったものの心境だ?私は少しからかってみることにした。
「そんなことも知らないの。勉強するところに決まってるでしょ」
「それは分かってるわ」
彼が私の背中を足で蹴ってきた。
「痛い。何するの」
私も対抗すべく彼の身体を激しく蹴り返した。
:12/06/03 10:44
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:Ddsu8QkE
#29 [ぎぶそん]
「この野郎」
彼が起き上がり、全体重をかけて私の身体にのしかかってきた。
その重さは胸を一気に圧迫した。
「苦しい?」
上にいる彼がへらへらと笑う。
ちょっとやめてよ。暗闇でこんなに密着されたら、流石に緊張する。意識する。
心臓が破裂しそうなくらい、ばくばくと鳴る。
もー。やっぱりこいつ大嫌い。
「降参。降りて」
恥ずかしいのと息が苦しいのとで、私はすぐに助けを求めた。
彼は身体をすぐに離し、そのまま私と同じ向きで隣に寝込んだ。
:12/06/03 10:51
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:Ddsu8QkE
#30 [ぎぶそん]
ちょっと、なんで一緒の向きになってるのよ。
私は咄嗟に彼に背中を向けた。
落ち着け、私。そうよ、こいつはいわば弟みたいなもんよ。
弟と同じ布団に寝て、わざわざ緊張する姉がどこにいる?
何でもない。何でもない。これは、取るに足らない日常。
乱れた呼吸を整えるべく、私は心の中で自分に暗示をかけ続けた。
「あんた、今日から来る同居人が女だって思ってたでしょ?」
息も少し落ち着いた時、後ろから彼の声が聞こえた。
:12/06/03 11:00
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:Ddsu8QkE
#31 [ぎぶそん]
やばい。バレてたのか。
「ま、まあね」
私は素直に答えた。
「安心してよ、あんたには絶対手を出さないから。それに、他に部屋が見つかったらすぐに出て行くし」
絶対に手を出さない。非常に喜ばしいことだけど、こいつにそうはっきりと断言されるのも癪に障る。
「あのさ、その“あんた”って呼ぶのやめてくれない?私にも一応、名前があるんですけど」
私はずっと気になっていたことを少し感情的になって指摘した。
「名前?足立……かもめだっけ?」
「違う!」
一気に振り返り、私は彼の足元をばたばたと蹴った。
私の取り乱す様子がおかしいのか、彼が初めて私の目の前で笑った。
暗闇でもよく分かる、はっきりとした笑顔だった。
不覚にも、私はその笑顔をかわいいと思ってしまった。
:12/06/03 11:11
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:Ddsu8QkE
#32 [ぎぶそん]
「あー、かなめからかうの面白い」
彼がさりげなく私の名前を呼んだ。あんた呼ばわりよりはいいけど、呼び捨てかよ。
私は彼に取り合うのをやめて、再び背中を向けた。
それから眠ろうとしたが、なかなか寝付けずにいた。
しばらくそのままの体勢でいると、隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。
――寝たのかな?
私は振り返ってみた。
彼もまた私に背を向け、静かに眠っているようだった。
「おやすみ、真織」
そう囁き、私はまた彼に背を向けた。
得体の知れない男の子がこんなに近くにいるのに、全く苦痛に感じない。
今日初めて彼と出会ったとは思えない、不思議な感覚にとらわれた。
:12/06/04 21:33
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:FfDMhJ8o
#33 [ぎぶそん]
次の日の朝。目を開けると彼は隣にいなかった。
ベランダの方から物音がしたので見てみると、彼がそこで洗濯物を干していた。
こんなに朝早くから偉いじゃん。感心したので、褒めてやろうと身体を起こしベランダまで行った。
「偉い……」
そう言いかけた時、私の下着も一緒に干していることに気がついた。
「ちょっと!人のまで一緒に洗濯しないでよ!」
私は怒りをあらわにした。
「は?一緒に洗ったほうが効率がいいでしょ」
「だって……」
私は物干し具に彼の下着と一緒に仲良く干されてある、哀れな自分の下着を見つめた。
:12/06/04 21:46
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:FfDMhJ8o
#34 [ぎぶそん]
彼も私の視線の先に目をやる。
「ああこれ?こんな色気もクソもない下着見ても、何とも思わないって」
彼が下着を干している物干し具を揺さぶった。
その揺れで、ベージュ色のパンツとブラジャーが小刻みに振動した。
「こんな下着着るとかおばさんかよ」
「50になったうちのお袋でもまだこんな下着着ないわ」
彼は立て続けに文句を言い続ける。
私は服の下から下着が透けて見えるのが嫌なので、下着を買う時は全部肌の色に近いベージュを選んでいる。
それをこいつは全力で否定してきた。本当に悔しい。
私は彼を無視し、顔を洗いに洗面所に向かった。
:12/06/04 21:59
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:FfDMhJ8o
#35 [ぎぶそん]
彼との共同生活、このままではだめだ。
顔を洗い、少し冷静さを取り戻してから再びリビングに戻った。
洗濯を干し終った彼をそのままリビングに座らせ、2人で掃除や食事などそれぞれの役割を決めることにした。
まず、ゴミ出しは月・水・金・日が私。火・木・土が真織。
洗濯は月・水・金・日が真織。火・木・土が私。
食事当番は月・水・金が私。火・木・土が真織。日曜は一緒にやる。
風呂掃除やトイレ掃除は各自が気がついたときにやることになった。
いまいち波長が合わない彼との話し合いは、意外にもスムーズに終わった。
私は項目を書いた紙を壁に貼った。
:12/06/04 22:12
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#36 [ぎぶそん]
今日は金曜日だったので、私は早速ゴミを出しに行くことにした。
金曜日は可燃ゴミの日なので、ゴミ箱のゴミを片手に玄関でスリッパを履いた。
外に出て、階段を下りる。
階段を下りたところにある駐輪場に、見たことのない大型バイクが止まっていた。
そのバイクはまだ新品に近い状態で、黒いボディが光の反射でぴかぴかと輝く。
かっこいいな、誰のだろう。少し気になりながら、ゴミ置き場にゴミを捨てた。
再び部屋に戻ると、彼がわざわざ玄関まで姿を出して話しかけてきた。
「今日布団買いたいんだけど、この辺にデパートある?」
「えーっと、デパートは確か駅の近くにあったような……」
彼に場所をうまく説明しようと、頭に街の地図を思い浮かべた。
:12/06/04 22:26
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:FfDMhJ8o
#37 [ぎぶそん]
「一緒についてきてよ。どうせ暇なんでしょ」
ムカッ。こんな効果音が頭をよぎった。
どうしてこいつはこうも私をイライラさせるのが得意なのだろうか。
でも、彼のいうように確かに暇だった。
春休みになってから、外にはあまり出ていない。たまには外の空気も吸わなきゃな。
「分かったわよ」
私は彼と一緒に出掛けることにした。
歯を磨き、脱衣室で服を着替えた。
それからリビングに行き、彼の見てる前で平然とメイクをした。
「かなめってさ、化粧しても素っぴんとほとんど変わらないよね。昨日風呂から出た時から思ってた。まじウケる」
メイクを終えると、彼が私の顔を見てげらげらと笑ってきた。
それって褒めてるの?けなしてるの?ムカつく。
:12/06/04 22:37
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#38 [ぎぶそん]
荷物を持って、2人で一緒に部屋を出た。
階段を下りると、彼がさっき私が見ていたあのバイクに近づいた。
「後ろ、乗って」
彼は収納スペースからヘルメットを取り出し、私に投げてきた。
そして黒いゴーグルを着け、自分もヘルメットを被りながらバイクにまたがった。
このバイク、こいつのだったのか。
10代のうちからこんな大きなバイクを乗り回しているなんて、彼の実家は裕福なのだろうなと感じた。
というか、昨日実家の埼玉からわざわざこのバイクで来たの?なんかイカすなあ。
私はヘルメットを被り、彼の後ろに乗った。
そして彼の腰元に手を回し、思いきりしがみついた。
彼の背中に顔をつけるとパーカーに染み付いた煙草の臭いが鼻を刺激して、その不快な臭いに思わずむせた。こいつやっぱり最悪。
:12/06/04 22:56
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:FfDMhJ8o
#39 [ぎぶそん]
彼がエンジンを掛けると、耳をつんざく大きな音がした。
そして私たちを乗せたバイクは瞬く間にアパートを離れていった。
駅へと一直線に進む道に出て、そのまま歩道を歩く通行人を一気に抜き去った。
空気が向かい風となって、彼のパーカーを膨らませる。
私は生まれて初めてバイクというものに乗ったので、車道にいて自動車やトラックを至近距離で見ることがとても新鮮に感じた。
昨日彼と出会って、色々なことを知った。
ミドリムシ。ステレオマン。そしてバイク。
彼と出会わなければどれも知ることも興味を持つこともなかっただろう。
年下の彼は私にとって凄い影響力を持っていた。
:12/06/04 23:20
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#40 [ぎぶそん]
道でほとんど信号に引っ掛からなかったので、彼の運転するバイクは5分ほどで駅前に着いた。
駅前の駐輪場にバイクを止めると、そこから近くにあるデパートに歩いて向かった。
デパートに入ると、エレベーターで寝具のコーナーがある5階まで上がった。
5階に到着すると、部屋の一室みたいに様々なベッドや棚が設置してあった。
「どれにしようかなあ」
彼が棚に入っている敷き布団を押して感触を確かめたりする。
「いらっしゃいませ」
彼の元に、若い女の店員さんがやって来た。
店員さんはすかさず彼に、彼が触っている商品の説明をはじめた。
私は2人のやり取りを後ろから見ていた。
:12/06/04 23:35
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:FfDMhJ8o
#41 [ぎぶそん]
「妹さんですか?」
無意識のまま突っ立っていると、店員さんが私に笑顔で声を掛けてきた。
大人びた彼と一緒にいると、当然のように私が年下に見えるらしい。
「あ、はい」
関係をわざわざ説明するのも面倒なので、私は話を合わせた。
「これください」
彼の一声で、店員さんが慌てて駆けつける。
彼は青いギンガムチェックの柄の布団セットを選んでいた。
2人がレジに向かうと、そこから2人は時間が止まったようになかなか動かなかった。
待つことに退屈さを感じながら、私はその場で立っていた。
15分ほどして、ようやく会計を済ませた彼がやって来た。
「布団届くの3日後だって。それまでまたかなめの布団で寝させて」
彼の言葉に、私は青ざめた。
:12/06/04 23:52
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:FfDMhJ8o
#42 [ぎぶそん]
せっかく来たので、私たちは少し店内を回ってみることにした。
寝具コーナーから時計回りに半周すると、女性用下着コーナーに差し掛かった。
「かなめもさあ、もっとこういうの選んだら?」
彼が立ち止まり、派手な柄のブラジャーを手にした。
その発言は近くを歩いていた二人組の女性にも聞こえていたようで、通りすがりにくすくすと
笑われた。
4階に下り、下りて目の前にある調理器具コーナーを見てみた。
色とりどりの鍋やフライパンを見て、こんなお洒落な調理器具だと毎日楽しく料理が出来るだろうなあと、普段料理をしないながらに思った。
しかし何も買うことなく、他のコーナーを回ることにした。
:12/06/05 22:21
:Android
:m1Xw0dwc
#43 [ぎぶそん]
彼が煙草を吸いたいと言い出したので、他の階を見ることなくデパートを出た。
駅前の喫煙スペースに行き、スーツを着た中年男性の隣で彼が一緒に煙草を吸う。
「あっちにゲーセンあるじゃん。行ってみようぜ」
煙草を吸い終えると、彼が手前の方向を指差した。
そこには中央にUFOの絵が描かれた、大きな看板がある建物があった。
彼は私の手をむりやり取り、その建物がある方向へと進んだ。
ゲームセンターの中に入ると、店内は機械や人の声でがやがやと賑わっていた。
UFOキャッチャーのコーナーには、アニメキャラクターの人形やキーホルダーがたくさん陳列してあった。
:12/06/05 22:36
:Android
:m1Xw0dwc
#44 [ぎぶそん]
その中に、昨日彼がテレビで観ていた「音速戦士ステレオマン」のフィギュアもあった。
そのフィギュアは箱に入っていて、ステレオマンが武器であるバイオリンを弾く形でポーズを取っていた。
「これ、あんたが好きなやつじゃないの?」
私は彼の手を叩き、その景品を指差した。
「いや、俺、ステレオマンには興味ない。怪獣の方が好きだから。でも見た感じ簡単そうだし、試しにやってみようかな」
その景品は、どうやら手前の空間に落とせば手に入る仕組みになっている。
彼は財布から500円玉を取り出し、機械の投入口に入れた。
:12/06/05 22:45
:Android
:m1Xw0dwc
#45 [ぎぶそん]
にぎやかな音楽が鳴り、彼が専用のボタンでクレーンの操作をはじめた。
1回目。クレーンが箱を持ち上げわずかに箱が浮いたが、箱はまた元の位置に戻った。
2回目。アームが箱をかすり抜けた。
3回目。箱が浮き上がり、少し手前に移動した。
「うわ、結構難しい」
遊ぶ回数がなくなり、彼がまた財布を取り出す。
小銭がなかったようで、両替をしに行った。
彼がいない間、私は試しにやってみようと200円を投入した。
慎重に操作をしてみたが、アームは箱をかすり抜けただけだった。
難しい。自分の力量では一向に取れる気がしなかった。
:12/06/05 22:54
:Android
:m1Xw0dwc
#46 [ぎぶそん]
彼が戻り、100円玉を5枚入れた。
何度も試すが、なかなか景品が落ちる気配はない。
「惜しい!後もうちょっと」
「あー!後もう少しだったのになあ」
別に景品が欲しいわけではないが、私は無我夢中で彼を応援していた。
途中、親子連れが不思議そうに私たちの様子を眺めていたが、気にも止めずに私は彼のプレイにのめり込んだ。
彼が2度目の両替をした後、遂に景品が手前の空間に落ちた。
「やったー!」
私はその場で両手を上げて喜んだ。
「はい。あげる」
彼が私に景品を差し出してきた。
「いいよ。取ったのはあんたなんだから、それはあんたのもの」
私は貰うのを拒もうとしたが、ふとある考えが浮かんだ。
:12/06/05 23:05
:Android
:m1Xw0dwc
#47 [ぎぶそん]
もしかしたらこういう非売品は10年・20年したらプレミアがついて、高く売れるんじゃないだろうか。
「あ、やっぱ貰うわ」
私は彼の手から景品を奪い取り、有り難く頂戴することにした。
将来、お金に困った時に売ろうっと。
そんな浅ましい考えとはつゆ知らず、彼は店にあった袋を持ってきて景品を中に入れてくれた。
ゲームセンターを出て、私たちは駅の中にあるうどん屋で少し早いお昼を取ることにした。
店内に入ると、サラリーマン風の男性や作業着を着た男性がプロ野球のテレビ中継を観ながらうどんを食べていた。
2人でテーブル席に座り、彼は天ぷらうどんを、私は釜玉うどんをそれぞれ注文した。
:12/06/05 23:20
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:m1Xw0dwc
#48 [ぎぶそん]
「なんでステレオマンには興味がないの?」
注文を待っている間、私は気になっていたことを彼に尋ねた。
「俺はストーリー自体はどうでもいいんだよ。怪獣がのしのし歩く姿や、街を壊す姿が見たくて観てるだけ」
「そうなんだ……」
一応相槌を入れてみたが、理解不能だった。
言われてみれば、部屋にある彼の人形はどれも怪獣ばかりである。
怪獣の何がそんなにいいんだろうか?
私にとっては恐くて、不細工で、不気味な存在でしかない。
その後2人で野球の試合を観ていると、先に彼の注文した天ぷらうどんが運ばれてきた。
彼が豪快に麺を啜る。
「天ぷら一口ちょうだい」
彼は私の言葉に返事をせず、無言で天ぷらを食べた。意地悪。ケチ。
:12/06/05 23:36
:Android
:m1Xw0dwc
#49 [我輩は匿名である]
面白い
:12/06/06 15:14
:SH02A
:exhypHqY
#50 [ぎぶそん]
野球の試合が8回のウラに突入したところで、私が頼んだ釜玉うどんが来た。
割り箸を取り、急いであつあつの麺と玉子を絡ませる。
よく混ぜたところで麺を一気に啜った。味が染みてて美味い。
既に食べ終わった彼が、私の食べる様子をまじまじと見ていた。
「うまそうだな。一口くれよ」
「やだ」
私は丼を持って壁の方を向いた。
そっちだってくれなかったのに、誰があげるかよ。
私はそのままの体勢で食べ続けた。
私が食べ終えると、一息落ち着ける様子もなく彼がすぐに立ち上がった。
昨日弁当を買ってもらったからお返しに今日この場では奢るといったが、彼に頑なに拒まれた。
結局お互い自分の食べた分だけの値段を払い、うどん屋を後にした。
:12/06/06 21:52
:Android
:pGqVXPe6
#51 [ぎぶそん]
それから私の提案で、エスカレーターを使って駅の3階にある本屋に向かった。
今日から料理を作らないといけないので、料理の本が1冊あった方がいいと思ったからだ。
本屋に入り、私は「きほんの料理」という名前の本を即決で買った。
本屋を出て、隣にあるCDショップに立ち入ってみた。
邦楽CDのコーナーで「み」の場所を探すと、その中に彼の好きなミドリムシのCDがいくつか入っていた。
一番右にある「ザ・ベスト・オブ・ミドリムシ」という名のCDを手に取る。どうやらベストアルバムのようで、後ろにたくさんの収録曲が書かれている。
アルバムの表面はクレヨンのようなタッチで、葉っぱを食べる毛虫の絵がかわいく描かれていた。
絵本のような、どこか温かみのある絵だった。
:12/06/06 22:13
:Android
:pGqVXPe6
#52 [ぎぶそん]
「何でミドリムシが好きなの?」
「中学の時たまたま聴いたらよかったから」
「どの曲?」
私は彼にベストアルバムを見せた。
「その中には入ってない」
彼は棚から違うCDを取り出した。
「このアルバムに入ってる、『フクロウ』って曲」
「今度歌ってよ」
私は昨日で彼の歌う姿が好きになっていた。
「因みに、」
彼が私の言葉を遮る。
そして私が持っていたベストアルバムの表紙を指差した。
「この絵は、ボーカルの斎藤さんが描いてる。このアルバムだけじゃない、ほら、これとか、これも」
彼が棚からどんどんCDを取り出し、表面を私に見せる。
どれも絵柄が似ていて、同じ人がデザインをしているのが目に見えて分かる。
斎藤さんが描いてるのか。生粋の芸術家タイプだなあ。
:12/06/06 22:28
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:pGqVXPe6
#53 [ぎぶそん]
そこから聞いてもないのに、彼がミドリムシについてどんどん語りはじめた。
斎藤さんは他にバンドのグッズのデザインや、PVの構成も専門の人と一緒になって考えているという。
約3年前から音楽雑誌でコラムを掲載してて、その文章力はプロの作家も認めるほどだとか。
大手出版社から本を書いてみないか?というオファーがあったが、自分は作家ではなくミュージシャンなので、と丁重に断ったらしい。
メンバーはベースの中田さん以外は幼稚園からの付き合いがある。
中田さんはメンバー内で唯一の既婚。
メディア露出は少ない。
口数の少ない彼が、好きなものについては熱くなるのか饒舌になる。
私も黙ってそれを聞いていた。
:12/06/06 22:46
:Android
:pGqVXPe6
#54 [ぎぶそん]
CDショップを出て、エスカレーターでひたすら下りて地下のスーパーに足を踏み入れた。
「今日の晩はハンバーグ作って。ハンバーグが食べたい」
彼の言葉に私はさっき買った本を開き、ハンバーグの作り方が載っているページを探す。
えーっと、材料はひき肉に玉ねぎに卵に……。
まあ初心者の私でも出来なくはなさそうだ。後は適当にサラダでも作ればいいか。
彼がカートを押し、私が今日の料理に必要そうな食材を入れる。
会計は彼がまとめて済ませた。
私はレシートを見て、すぐに合計の半分となるお金を彼に渡した。
「別に払わなくていいよ」と彼はいうが、こういう金銭的なことはきっちりしておかないと気が済まない。
:12/06/06 23:03
:Android
:pGqVXPe6
#55 [ぎぶそん]
地上に出て、日も暮れぬうちに2人でまたバイクに乗ってアパートに戻った。
夕方、私ははりきって夕飯の支度に取り掛かろうとした。
流し台の下の棚を開けると、埃まみれの鍋やフライパンが顔を出した。
この部屋に住んでから、料理らしい料理はほとんどしたことがない。
衛生的なことを考え、私はまずフライパンやまな板をよく洗った。
玉ねぎをみじん切りにして、飴色になるまで炒めた。
合わせた材料をこねて、食べやすい大きさの形に整える。
全部整えた後買ってきたキャベツを洗い、千切りにした。
幅が太くて千切りとは言えないほど、ひどい切り方になった。
:12/06/06 23:20
:Android
:pGqVXPe6
#56 [ぎぶそん]
温めたフライパンに油を引き、ハンバーグの素を入れた。
焼けるまでまだ時間がかかるだろう。私はリビングに行った。
リビングに行くと、彼が今日UFOキャッチャーで取ったフィギュアを箱から取り出していた。
「ちょっと!何で箱から出したの!?」
未開封じゃないと価値が下がるでしょうが!
「何でって、箱なんか取っといても邪魔なだけだろ」
箱はびりびりに破られ、ゴミ箱の中でただの紙くずと化していた。
私の転売計画は、もろくもたったの1日で崩れ去った。
私は愕然とし、その場で肩を落とした。
:12/06/06 23:33
:Android
:pGqVXPe6
#57 [ぎぶそん]
「あっち戻んなくていいの?何か焦げ臭いんだけど」
「しまった!」
私は慌てて台所に駆け寄った。
急いで肉をひっくり返すと、さきほどまで赤かった表面が見るも無残に真っ黒く焦げていた。
その後無事に炊けたご飯を茶碗に盛り、千切りにしたキャベツとハンバーグを平たい皿に乗せ食卓に運ぶ。
「ごめん、少し焦げた……」
少しじゃなく、だいぶ焦げたハンバーグを彼に差し出した。
彼は箸でそれを割き、一口食べた。
「まあ、いいんじゃないの」
いつもの調子で文句を言われるかと思ったが、彼は黙々と私の作った料理を食べていた。
私も恐る恐るハンバーグを食べてみる。
見た目は悪いが、きちんとハンバーグの味にはなっていた。
:12/06/06 23:43
:Android
:pGqVXPe6
#58 [ぎぶそん]
「ご馳走さん」
彼はご飯を綺麗に平らげ、自分の分の食器を流し台に持っていった。
私もテレビを観ながら食べた後片付け、流し台に立ち皿や調理器具を洗った。
料理って結構楽しい。
何で今まできちんとやらなかったんだろう。
明後日は何を作ろうかな。
食べてくれる相手がいるとやりがいを感じるなあ。
私ははずむ気持ちで皿を洗った。
夜の9時、彼と一緒にテレビを観ていると私のケータイに電話が掛かってきた。
「もしもし。かなめ?」
佐奈からだった。
:12/06/07 22:18
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:0IS7rqNc
#59 [ぎぶそん]
佐奈とは春休みになってから一度も会ってなく、連絡も取っていなかった。
佐奈は実家からみかんが大量に送られてきたので、今度そっちに持っていくと話した。
話題を変え、佐奈は私に「元気してる?」と尋ねてきた。
「それが……」
私は真織の目を気にしてトイレに籠り、最近自分に起きた出来事をすべて話した。
叔母さんの知り合いの息子と一緒に住むことになって、それが1つ年下の男の子であるということを。
「えー!それってかなりまずくない?」
佐奈は私の話に興奮しだしたが、すぐにいつもの調子でこう尋ねてきた。
「ねえ、その子かっこいい?」
佐奈が異性で気にすることはただ1点。“かっこいい”のか、“かっこよくない”のかだ。
:12/06/07 22:31
:Android
:0IS7rqNc
#60 [ぎぶそん]
私はトイレの中で真織の顔を思い浮かべた。
佐奈のいうかっこいいが何なのかは分からないが、少なくとも真織はかっこ悪くはないと思った。
今日一緒に街を歩いてる時も、すれ違い様彼の顔を見ている女性が何人かいた。
羨ましいほどの小顔で、吹き出物1つない白く綺麗な肌。
切れ長の大きな目は、遠くから見ても力強さを感じる。
鼻筋が高く、唇は少しぷっくりとしている。
身長もそこそこあって、脚が長くてスタイルがいい。
真織は目立つ方だと思う。
佐奈に彼の見た目をどう説明しようか考えた時、私はうまい表現の仕方を思いついた。
:12/06/07 22:44
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:0IS7rqNc
#61 [ぎぶそん]
「ミドリムシってバンド知ってる?」
「うん!分かるよ」
「そのバンドのボーカルに似てるよ」
「えっ、じゃあかっこいいじゃん!」
電話越しに狂喜乱舞の声が聞こえる。
”かっこいい“異性が大好きな佐奈が彼に会いたがった。
「明日みかん持っていくから、真織くんを紹介して」
私は佐奈との電話を終えた後、すぐに彼に伝えた。
「明日友達の佐奈って子が来るから。あんたを見たいんだって」
「俺なんか見てどうするの」
「ミドリムシのボーカルに似てるって言ったら、見てみたくなったらしい」
「似てないし」
彼が顔を背けた。
これは憧れの人に似てると言われ、思わず照れたのかな。かわいい奴。
:12/06/07 22:55
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:0IS7rqNc
#62 [ぎぶそん]
夜の11時。電気を消し、一緒に布団に入った。
今日も色々な出来事があった。
少し疲れを感じながら、昨日と同じように身体を壁際に寄せ、彼に背を向けた。
「なあ」
いきなり彼が私の肩を揺さぶってきた。
何か話があるのかと思い、振り返る。
「今思い出したんたけど、あの時のこと覚えてない?」
「何のこと?」
「俺とかなめ、一度だけ餓鬼の頃に会ったことがあるじゃん」
彼の突然の告白に、私は目を見開いた。
そして、彼はこう話す。
今から10年以上前。その日、真織の父親は、幼稚園生だった真織を連れてみどりさんの家を訪ねた。
でも大人たちが話し込んでいる間退屈だったので、真織はこっそり家を出て近くに公園があるのを発見したらしい。
そして、その公園に偶然私もいた。
歳の近い私たちは自然と一緒に遊ぶことになった。
でも私が彼の持っていた怪獣の人形のしっぽの部分を壊し、彼をひどく泣かせてしまった。
彼は私のことが嫌になり、逃げるようにみどりさんの家に戻ったという。
:12/06/07 23:45
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:0IS7rqNc
#63 [ぎぶそん]
彼が鮮明な記憶で説明するが、全く覚えていない。
残念なことに、私は物覚えがよくなく、昔のことはほとんど忘れている。
みどりさんの家の近くにいたということは、私もその日みどりさんの家に行ってたのだろう。
でも、そのみどりさんの家に行ったことすら覚えていない。
私と真織が出会ってたなんて、たぶんみどりさんも知らない事実だろう。
でも、もう1つ考えられることがある。
「その子本当に私?他の人と勘違いしてるんじゃないの?」
「いや、間違いなくかなめだよ。その子、“あだちかなめ”って名乗ってた。だからここに来る前親父から”あだちかなめ“って聞いた時、前にどこかで聞いた覚えがある気がしてた」
:12/06/07 23:59
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:0IS7rqNc
#64 [ぎぶそん]
「そうなんだ。全く記憶にないけど、人形を壊したりしてごめんね」
私ははるか遠い昔の出来事の件を謝った。
「別にもう怒ってないよ。餓鬼の頃のことだし。でも、あの人形気に入ってたんだよな」
彼がため息をつく。
そんな風に言われては、見に覚えのない罪でますます罪悪感を感じる。
もう一度謝ろうとした時、彼が私の頬に手のひらを当て親指でなぞった。
――気安く触るな!
そう怒鳴ろうとしたが、思いがけず緊張して全身が硬直してしまった。
彼がいつになく優しい目をしているからだ。
「かなめ、あの時と顔が全然変わってねえな」
「悪かったわね。あんた、記憶力よすぎ。気持ち悪い」
冷たい言葉を言い放つとは裏腹に、私の心はどきどきしていた。
:12/06/08 00:15
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:dE9qGZEE
#65 [ぎぶそん]
「こうしてまた会うってことは、俺ら何か縁があるのかもな」
彼は少し微笑むと手を離し、私に背を向けた。
無愛想で冷たい彼が、縁とか目に見えないものを信じてるなんて鳥肌が建つ。
お互い共通の知人がいるんだし、今までどこかで出会っていてもおかしくはない。
それだけのことなのに、何少しにやにやしてんのよ。
私は真織と縁があっても、全然嬉しくないから!
不幸だ!悲劇だ!災難だ!あー私可哀想。
でも初対面の男の子の持ち物を壊すなんて、子供の頃の私もなかなかひどいな。
それにしてもその頃の彼の泣きっ面、忘れたとは悔しい。
この憎たらしい同居人が、どんな顔して泣いてたのか気になる。
今はこんなにたくましく成長してるけど、小さい頃は弱々しかったのかな。
私は時の流れの早さを感じながら、大きな彼の背中をしばらく見ていた。
:12/06/08 00:37
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:dE9qGZEE
#66 [ぎぶそん]
【※65 正しくは“鳥肌が立つ“です】
:12/06/08 00:51
:Android
:dE9qGZEE
#67 [ぎぶそん]
翌日。約束どおり、昼過ぎに佐奈が部屋を訪れた。
インターホンが鳴りドアを開けると、小柄な佐奈がみかんがいっぱいに入った紙袋を重そうに持っていた。
春休み中に髪を染めたのか、最後に見た時よりもますます色が明るくなっていた。
パンツ姿が多い佐奈が、今日はロングスカートを穿いていた。
そして、いつもよりもチークが濃い。真織と会うため、気合いを入れてきたのだろう。
玄関で、佐奈と真織が体面をした。
「初めまして。毛利佐奈です」
「どうも。伊藤真織っていいます」
真織を見る佐奈の目がきらきらと輝く。
好みだったのだろう。
:12/06/08 20:09
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#68 [ぎぶそん]
佐奈は部屋に入ると、辺りを見回しながらこう叫んだ。
「珍しいね!かなめの部屋が片付いてるなんて」
いつも汚いままの状態で平気で佐奈を上げていたので、しっかりと整理整頓された部屋を見て驚いていた。
でも真織の前ではしっかりとした自分を演じていたので、彼女の素直な発言には冷や汗が出た。
佐奈は棚に置いてある人形を手に取った。
「何これ?真織くんこういう趣味があるの?かわいい」
佐奈の目一杯の笑顔に、真織が恥ずかしそうにたじろぐ。
そんなはにかんだ笑顔、私には絶対見せてくれないのに。
別に見たくもないけどさ。
:12/06/08 20:22
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#69 [ぎぶそん]
真織がトイレに行った間、佐奈がすかさず私に話しかけてきた。
「ちょっと、彼すごくかっこいいじゃん!あんな子と一緒に住んでるなんて羨ましいなあ」
「勘弁してよ。あんな奴、ちっともかっこいいと思わない。こっちはすごく迷惑してるの」
とは言え、真織と一緒に住んでよかったと思うことが1つだけある。
それは生活の調子がぐんと良くなったことだ。
掃除をし、洗濯をし、自分で食事を作る。
朝は早く起き、夜は11時前には寝ている。
まだ2日しか経っていないけど、前の自堕落で腑抜けた生活よりははるかに充実していた。
:12/06/08 20:35
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:dE9qGZEE
#70 [ぎぶそん]
真織がトイレから戻ってくると、3人でテーブルを囲んでおしゃべりを始めた。
佐奈が興味津々そうに真織に話し掛ける。
「うちらと同じ大学に通うんだよね?何学部に進学するの?」
「理工学部です」
そういえば、こいつのことまだ何にも聞いてなかったな。
まあ、詮索するほど興味もないけど。
「サークルは何か入るの?」
「一応、軽音楽部に入る予定です」
佐奈がベランダ付近に置いてあるギターケースの存在に気がついた。
「もしかしてギター弾くの?佐奈、ギターが出来る男の人ってかっこいいなあって思う」
おい、ちょっと待て。
この前はサッカーが出来る男の人はかっこいいって言ってなかったか?
本当気まぐれだなあ。
:12/06/08 20:47
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:dE9qGZEE
#71 [ぎぶそん]
「……足立さんは何かサークル入ってるんすか?」
真織が私に尋ねてきた。
よそよそしく“足立さん”なんて呼んじゃって。
「かなめはね、写真部に入ってるよ。
でも、同じ部の先輩に失恋してから部室に行ってない」
私の代わりに佐奈が答えた。
「ちょっと待ってよ。別に失恋なんかしてないし」
「前、渋沢先輩のことが好きって言ってたじゃん。先輩に彼女が出来た時、がっかりしてたじゃん」
「してないしてない!」
私は首を大きく横に振った。
私が写真部に行かなくなった理由。
単純にカメラに飽きたからでもあるが、もう1つ気がかりなことがあるからだ。
それは、同じ写真部にいる1つ年上の渋沢優哉先輩のことだ。
:12/06/08 20:59
:Android
:dE9qGZEE
#72 [ぎぶそん]
先輩はとても面倒見がよく、いつも率先して後輩の世話をしていた。
私がすんなりと写真部に入部したのも、そんな先輩がいたからだ。
去年の新入生歓迎会の帰り、私のことが心配だからとわざわざアパートの前まで送ってくれた。
長い夜道を先輩と2人きりで歩いた時、心臓がずっとどきどきしていたのを覚えてる。
その時以来、私は先輩を異性として見るようになった。
でも去年の夏、渋沢先輩は私と同い年の小原朱実と交際しはじめた。
私は先輩に彼女が出来たこともショックだったけど、誠実な先輩があの小原朱実を選んだことが何よりも悲しかった。
小原はいつも派手な身なりをしていて、禁煙の部室で煙草を平気で吸うわ、香水の匂いもきついわで私は彼女を苦手としていた。
:12/06/08 21:15
:Android
:dE9qGZEE
#73 [ぎぶそん]
そして、2人が幸せそうな顔をするほど、私の足も思いもだんだん写真部から遠ざかっていったのだった。
と、忘れかけていた不愉快な出来事を思い出してしまった。
あの時使っていたカメラは押し入れの中に閉まってある。
もう使うこともないだろう。
この春休み、部活を辞めようかと考えていた。
名前を残したままでは部費を払わせられるだけだし、行く気がないのなら迷わず除籍したほうがいい。
そう私がしんみりとしてる中、佐奈は色んなことを真織に尋ねてた。
その会話の中で、彼のことを色々と知った。
高校は男子校で、3年間部活動は一切せず帰宅部だった。
好きな怪獣は「ブラックコング」とかいうの。強いらしい。
そして今、彼女はいない。
:12/06/08 21:31
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:dE9qGZEE
#74 [ぎぶそん]
夕方、佐奈は帰った。
台風のように現れ、そして去っていった彼女だった。
夜。電気を消して布団に入ると、今日も真織が隣を占領してきた。
彼の布団も明日で届くだろうし、一緒に寝るのも今日で最後か。
なんか解放された気分だ。
「ねえ」
彼が私に注意を向けさせる。
そしてベッドの下をごそごそとしだした。
「もう写真撮らないの?」
いつそれを見つけたのか、押し入れにしまっていた私のカメラを手にしていた。
「撮らない。もう興味ない」
「もったいないな。いいカメラそうなのに」
暗がりの中、彼がカメラの表面をまじまじと見る。
「良かったらそれ、タダであげるよ」
彼は私の言葉に耳を傾けず、黙ってカメラを見ていた。
:12/06/08 21:49
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#75 [ぎぶそん]
翌朝。歯を磨こうと洗面台に行く途中、棚の上にカメラが置いてあるのに気がついた。
真織の仕業のようだ。
また押し入れに戻そうとしたが、カメラを見て、去年わくわくしながら風景写真を撮ってた時の記憶がよみがえってきた。
――また、あの頃みたいな気持ちになれたらな……。
私ははっとしてちょうど洗濯物を干している彼を見た。
もしかしたらあいつ、写真部の件のことを気にかけてくれてるのかな?
いや、あいつに限ってそれはないだろう。
その後歯を磨きながら、洗濯物を干してる彼に近づいた。
「私が昔壊したっていう怪獣の名前、何ていうの?」
「は?『ゴモゴラ』だけど」
ゴモゴラ。私はその名前を瞬時に記憶した。
:12/06/08 22:04
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#76 [ぎぶそん]
のんびりと身支度を済ませ、私は彼を残してアパートを出た。
真織と一緒に住むようになって4日目。
今日は初めての別行動となった。
私が1人で出掛けたのには理由があった。
彼の人形を壊したという話が気になっていたので、私はせめてもの償いで彼に同じ人形を渡したいと思ったのだ。
まずは駅前のデパートを目指して、駐輪場にある白い折りたたみ自転車に乗る。
私が自転車が好きだ。
車やバイクと違って税金がかからないし、排気ガスも出ないので環境にも優しい。
徒歩だと遠くに感じる場所も、自転車ならちょっと漕いだだけであっという間に着く。
あたたかい春の風に吹かれながら、駅へと続く大通りをまっすぐ進む。
:12/06/08 22:18
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#77 [ぎぶそん]
駅前のデパートに入り、6階のおもちゃコーナーを回る。
ステレオマンのコーナーの中に、怪獣の人形もたくさん陳列してあった。
それを1つ1つ見ていくが、「ゴモゴラ」という名前の人形は見当たらなかった。
すかさず近くにいた店員さんに尋ねてみる。店員さんは確認のためカウンターに行った。
「申し訳ありません。その名前の商品は、こちらには置いてないようです」
戻ってきた店員さんが、きまりが悪そうに伝える。
もしかしたら駅の裏にある中古ショップならあるかも知れないと、と親切にも教えてくれた。
私は店員さんに礼をして、デパートを出た。
:12/06/08 22:31
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:dE9qGZEE
#78 [ぎぶそん]
しかし、それから色んな中古ショップを回ってみたが、どの店からも「ゴモゴラ」という名前の人形はないと言われた。
夕方になり、私は気がつけば自転車で隣の隣の街まで来ていた。
7軒目。こじんまりとした中古ショップに入り、恰幅のいい店員さんに尋ねる。
「これでよければありますけど」
店員さんが案内をし、商品を指差す。
だがそれは小さな指人形だった。
明らかに違うだろうと少し迷ったが、今日のところは諦めて買うことにした。
彼にもしいらないと言われたら、ネットショッピングで探してみよう。
レジを済ませ、やっとの思いで手にいれた「ゴモゴラ」を見てみた。
頭の角と、鳥のような羽が特徴的だった。
しっぽは細く、これならいつ取れてもおかしくないと思った。
色も汚く不細工だけど、少しかわいく思えた。
:12/06/08 22:48
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:dE9qGZEE
#79 [ぎぶそん]
家に帰った時は夜の8時で、真織は1人ベランダで煙草をふかしていた。
はやる気持ちで近づき、声をかける。
「あのさ、これ……」
私は買った指人形を彼に渡した。
「私が壊したっていう人形さ、今日探してみたけどなかった。これでよかったらもらって」
彼は指人形を手のひらで転がし、思いがけない表情で見つめる。
そして、それを持っていた方の腕で私の身体を自分のもとに引き寄せた。
「別にいいっていったのに。でも、ありがとな」
彼が腕の力を強めた。
「お、おう……」
彼からの突然の抱擁に、私の頭は真っ白になる。
彼の服からは、ほのかにミルクのような甘い匂いがしていた。
こいつといるとどうも調子が狂う。
でも、優しくされて悪い気はしなかった。
:12/06/08 23:04
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:dE9qGZEE
#80 [ぎぶそん]
お風呂から出ると、彼は床に敷き布団を敷いて寝ていた。
私も電気を消し、自分のベッドへと向かう。
シングルサイズなのに、ここ数日彼と寝てたからか広く感じる。
「ねえ」
向こうにいる彼が呼ぶ。
「何?」
「こっち来てよ」
彼がお招きといった形で布団を叩いた。
「は?何でよ」
「ずっと布団半分貸してもらったから、俺も貸してあげる。でも3日だけね。いや、4日借りたから、4日か」
カッチーン。怒りで脳みその血管が切れそうだった。
何その上から目線。
なんで私があんたと寝るのを喜んでる前提なのよ。
でも新品の布団の感触を味わいたいので、彼のいうことに従うことにした。
「分かったわよ。まったく、一緒にまたこうして寝たらさ、布団買った意味ないじゃん」
「新しい布団に寝てみたいだけだから」
彼の頼みごとを素直に聞いたと思われたくないので、ぶつくさと文句を垂れながら布団に入る。
:12/06/09 23:54
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:3mRStk4Q
#81 [ぎぶそん]
真新しい布団の匂いと冷たさは、なかなか心地がよかった。
「おやすみ!」
私はとげとげしい態度で彼に背を向けた。
「ねえ」
彼が私の肩を揺する。
「もう何!」
呆れながらも振り返る。
こいつ、ねえねえうるさい。私のいらいらした気持ちは頂点に達していた。
「顔触らせてよ」
「何でよ!」
「触りたい」
「嫌だ!」
「冷蔵庫にあるティラミスあげるから」
「……分かったわよ」
本当は嫌だが、需要があるなら我慢できないこともない。
彼は両手で私の顔を掴み、両方の親指で頬をなぞりはじめた。
こんなのして何が楽しいんだろう。私は彼にかまわず寝ようと目を閉じた。
:12/06/10 00:05
:Android
:Aj4GpTQg
#82 [ぎぶそん]
「今日1日中探してたん?」
「……別に」
私は本当のことをいうのがかっこ悪いと思ったので嘘をついた。
「かなめって面白いね」
彼がこめかみや目の下も触ってくる。
頼むから、寝かせてよ。
しかし私はティラミスのためにぐっとこらえた。
やがて彼の手の動きが止まる。
私は気になってゆっくりと目を開いてみた。
彼は私の顔を持ったまま目を閉じ、寝ていた。
もう彼はいつものように私に背中を向けて寝なくなっていた。
何こいつ。指人形もらったのがそんなに嬉しかったの?
もうすぐ大学生になるっていうのに、子供じみてて嫌になる。
性格に似合わず子供みたいに無垢な寝顔は、とても憎たらしく感じた。
同居生活が始まって4日目。
彼との距離は、急速に縮まっていた。
結局、私はその後4日連続で彼と一緒に寝ていた。
:12/06/10 00:15
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:Aj4GpTQg
#83 [ぎぶそん]
【※実際に布団を借りたのは3日だけですが、彼の記憶違いということでご了承下さい】
3月31日。真織の入学式の日が明日に近づいてきた。
明日から今までみたいにいつも一緒にいられなくなるということで、昼間から2人で出掛けることにした。
目的地を決めることなく、彼のバイクで適当に走り続ける。
途中、街の外れに出て田舎道に入った。
民家も人気もほとんどない、閑散とした道を突き進む。
昔観たハリウッド映画のワンシーンのような、淡い青春を感じさせる旅だった。
夕方。廃墟となった駅の外にある、古びたベンチに腰掛ける。
彼が近くの自動販売機で缶コーヒーを買ってくれた。
それを、2人でゆったりとした景色を眺めながら飲む。
田んぼが一面にあり、あぜ道がどこまでも広がっていた。
:12/06/10 00:42
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:Aj4GpTQg
#84 [ぎぶそん]
「俺、老後はこんな田舎に住みたいな」
「私も」
「かなめは、将来何になりたいの?」
「特にない。就職難だし、働ければどこでもいい。あんたは?」
「俺も平凡なサラリーマンでいい。でも……」
彼の言葉が途切れる。
「何?」
私は続きを言うのを急かした。
「その傍ら……作家の仕事が……出来たらいいなと……思ってる」
俯き加減でぼそぼそと喋る。それは予想外の告白だった。
「……あの人みたいな文章が書きたい」
彼がベンチに座ったまま缶コーヒーをくずかごに投げ入れた。
あの人が誰なのか疑問に思ったが、すぐに分かった。
ミドリムシの斎藤さんだな。
それから、日が暮れないうちにアパートに戻ることにした。
再びバイクの後ろに乗り、目の前にある彼の背中を見つめる。
――夢が叶うといいね。
私は彼の腰に回してた腕をきつく絞め、彼の背中に顔を寄せた。
:12/06/10 00:55
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:Aj4GpTQg
#85 [ぎぶそん]
次の日の朝。
「起きて」
彼がベッドで寝ている私の身体を揺さぶってきた。
「もう何」
私は重い瞼をこする。
目を開けると、スーツを着た彼が立っていた。
「ネクタイ結んでよ」
「何で?自分で出来ないの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
彼が顔をそらす。
嘘だ。結べないんだ。
全くしょうがない。私は身体を起こし立ち上がった。
私は幼い頃よく父のネクタイを結んであげたことを思いだしながら、彼の首にネクタイを掛け手順よく結んであげた。
「どうも」
彼が嬉しそうにする。
スタイルのよさのおかげで、スーツ姿がとても映えていた。
あまりの大人っぽさで就活生、いや新入社員には見える。
高級ブランドのカジュアルな服より、安物でもスーツの方が男性はかっこよく見えると思う。
:12/06/10 01:12
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:Aj4GpTQg
#86 [ぎぶそん]
玄関で、彼が靴べらを使って新品の革靴を履いた。
「夕方には戻ると思うから。今日は俺の入学祝いを兼ねて外食でもしようぜ」
彼がスーツカバンを持ち、ドアを開けようとする。
「待った」
私は外に出ようとする彼の腕を引っ張った。
「万一の時に備えて、お互い連絡先を交換しておこうよ」
一応、私は彼を預かっている立場である。
何かあってからでは遅い。
私たちはその場でケータイの電話番号とメールアドレスを交換した。
午後3時、予定より早く彼が帰宅した。
「なあ、これどうやって緩めるの?」
声が聞こえる脱衣室に行ってみると、彼がネクタイを引っ張っていた。
「貸して」
私は代わりに緩めてあげた。
「きつかった」
彼がシャツのボタンを外すと、首元が露出した。
彼が首を回すと首筋がはっきりと現れ、それに色っぽさを感じた私は少しときめいた。
「何じろじろ見てんの?着替えたいからあっち行ってよ」
彼が手荒く突っぱねる。
私は一瞬でも彼の身体にどきどきしたことを後悔した。
:12/06/10 01:34
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:Aj4GpTQg
#87 [ぎぶそん]
夕方、彼の要望で焼肉を食べに行くことになった。
アパートから歩いて10分したところにある、国産牛使用が売りの有名チェーン店に入った。
席に座ると、迷わず食べ放題のコースを選んだ。
「入学おめでとう」
頼んだ飲み物が来ると、私は乾杯と同時に祝いの言葉を述べた。
本当は彼が入学しようがどうでもよかった。
ただ、一緒にいない彼の家族の代わりに付き合ってあげてるだけだ。
そう思いつつメニューを絶え間なく注文をし、2人で協力して肉や野菜を焼いた。
「あ、親父からメールきた」
席の途中、彼がケータイに目をやる。
「『入学おめでとう。足立さんとはうまくやってるか?迷惑をかけるなよ。早く部屋を探せ。そっちの様子を見に行きたいが、なかなか時間がない。これから4年間がんばれよ』だって」
彼が私にケータイの画面を見せる。
そっけない文体だけど、父親としての愛情を感じられた。
:12/06/10 01:57
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:Aj4GpTQg
#88 [ぎぶそん]
その2日後。私も大学の講義が始まった。
久しぶりに同じ学部の子たちと顔を合わせ、皆で和気藹々とする。
1限目の授業が始まる前、佐奈が周りにスクープだといわんばかりにこう打ち明ける。
「かなめね、今年下のかっこいい男の子と住んでるんだよ!しかも、この大学の1年生」
皆の関心が、普段存在の薄い私に集まる。
「え、何々?彼氏?」
「違うよ。叔母さんの知り合いの子ども」
佐奈の口は止まらない。
「伊藤真織くんっていうの。理工学部だって。後で皆で見に行こうよ」
「あれ?佐奈は同じサークルの男の子が好きじゃなかった?」
本田さんという子が佐奈を怪訝そうな顔で見る。
「うん、鈴木くんが好きだよ。本命は鈴木くん、真織くんは観賞用」
何じゃそりゃ。佐奈の裏表のない発言に皆が笑う。
でもよかった。佐奈が真織を好きとかになったら、ますます話がややこしくなりそうだし。
こうして私が年下の男の子と住んでる事実は、あっという間に広がっていった。
:12/06/10 20:19
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:Aj4GpTQg
#89 [ぎぶそん]
学校に通い、夕方過ぎには帰宅するという生活を毎日繰り返す。
真織といる時間も、春休みに比べて半分以上減っていた。
彼は新生活の疲れからか家に帰った途端よく寝ていて、家での会話も減っていた。
寂しくはなかった。きっと、赤の他人との共同生活はこれが普通だと思うからだ。
床に寝そべっている彼が着ているシャツはいつも派手にめくれていて、背中やお腹が見えていた。
――風邪引くじゃないの。
私はその度に彼の服を直し、さらに身体に布団まで掛けてあげた。
全く、世話の焼ける奴。
皆は彼との共同生活を羨ましがるが、こっちは余分な労力を使うのでどっと疲れる。
子供の世話とほとんど変わらない。
:12/06/10 20:30
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:Aj4GpTQg
#90 [ぎぶそん]
1週間後。真織が作った夕飯を食べながら、リビングで一緒にステレオマンを観ていた。
怪獣の出番がなくなると、嬉しそうにこう話し掛けてきた。
「そういえば俺、友達できた。同じ学部の、椎橋孝太郎って奴。椎橋も軽音楽部に入るって。今日一緒に部室見学してきた」
久しぶりに顔をまともに合わせると、彼はすっかり大学生の顔つきになっていた。
「で、明後日椎橋と楽器屋行くことになったんだけど、かなめも一緒に来ることになってるから」
「勝手に決めないでよ」
私は手のひらを握ってテーブルを叩いた。
「どうせ暇なんでしょ」
彼の言葉に、私は口をつぐんだ。
そう言われると、返す言葉もない。
私は部活も行ってないし、アルバイトもしていない。
私は黙って彼についていくことにした。
:12/06/10 20:44
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:Aj4GpTQg
#91 [ぎぶそん]
2日後の土曜日。昼過ぎ、真織と2人でバイクに乗って駅前に向かった。
椎橋くんという子とは、駅前で待ち合わせになっている。
駅のビルの中に広い楽器屋さんがあるらしく、今日はそこに行くらしい。
「伊藤!」
約束の時間に、チェックのシャツを着た男の子が私たちの元にやってきた。彼が椎橋くんのようだ。
染めたての茶髪が印象的な、猿顔で色の黒い子だった。
「初めまして。伊藤から話は聞いてます」
椎橋くんが私にへらついた顔で挨拶してくる。
近寄りがたい雰囲気の真織と違って、親しみやすそうな子だと感じた。
楽器屋に行く前に、未成年の2人が近くの喫煙スペースで煙草を吸う。
2人はなかなか気が合うようで、煙草を片手に楽しそうに話していた。
――2人ともいつまで吸ってんのよ。早くして。
法律違反を堂々としているということで、私の椎橋くんへの好感度は一気に下がった。
:12/06/10 20:56
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#92 [ぎぶそん]
3人で駅に入り、エスカレーターで楽器屋がある5階を目指した。
5階に上がると、一面に様々な種類の楽器が置いてあった。
椎橋くんが突然、無言のまま1人で奥の方へ進んでいった。
私はひとまず真織についていった。
彼はギターのコーナーに立ち入ると、壁に掛けてあるたくさんのエレキギターを眺める。
彼は目についたギターを手にしては、軽く弾いてみたりしていた。
私が隣にいることすら忘れ、夢中でギターを選ぶ。
私は疎外感を感じたので、彼の元を離れ椎橋くんを探した。
うろうろと歩き回ると、椎橋くんは楽器屋の隅で椅子に座ってドラムを叩いていた。
気になって彼に声をかける。
「椎橋くんもミドリムシが好きなの?」
「いえ、伊藤にアルバム借りてこないだ聴いたばっかです。本当は別のバンドのコピーがやりたかったんですけど、サークルではあいつと一緒にミドリムシをやろうかと」
ここにも私と同じように、真織の影響でミドリムシに惹かれた人物がいた。
:12/06/10 21:13
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:Aj4GpTQg
#93 [ぎぶそん]
椎橋くんは話を続ける。
「ミドリムシって演奏技術が高いバンドなんですけど、中でもドラムがめちゃめちゃうまいんですよ。だからサークルではドラムがしたいなって。
これは俺の主観なんですけど、ボーカルとドラムがいいバンドは生き残りますね」
そう言うと、椎橋くんは軽快にドラムを叩きはじめた。
私は椎橋くんの元を去り、その辺にあるキーボードを弾いたりマラカスを振ったりして楽しんだ。
でもすぐに飽きて、真織の様子を見に行った。
「これにしようかな」
彼は黒いエレキギターを手にしていた。
彼が音を確かめるように、ギターをかき鳴らす。
そのギターはとても彼に似合うなと思った。
彼は黒や灰色や、落ち着いた色が似合うと思ってる。
「これにするわ。ちょっと買ってくる」
彼は私の肩を叩いて、レジにそのギターを持って行った。
その後、椎橋くんもドラムスティックを買っていた。
:12/06/10 21:28
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#94 [ぎぶそん]
その日の夜。私は真織がお風呂に入ってる間彼のギターケースを開け、中からアコースティックギターを取り出した。
あぐらをかき、手にした薄茶色のギターを見つめる。
造りがこだわってる感じがして、素人目から見ても高そうな代物だと分かる。
彼の真似をしようと、右手の指を使って弦を鳴らす。
静かな音色が出た。
「何やってんの」
彼がお風呂から出てきた。
「ギター教えて」
彼が私の目の前に座る。
「これ持って」
彼がプラスチックで出来た小さな板を、私の右手の中に収めた。
今度は私の左手の指を持ち、それぞれ決まった場所に指の腹を押さえさせる。
:12/06/10 21:48
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:Aj4GpTQg
#95 [ぎぶそん]
「これが『C』。鳴らしてみて」
右手に持つプラスチックを滑らせると、音が出た。
そして彼がまた指の位置を移動させる。
「これが『G』。鳴らして」
またプラスチックを振ると、違う音が出た。
そして彼がまた私の指の位置を変える。
「これが『A』な。鳴らして」
私はだんだんこの作業に慣れてきた。
もしかして、ギターって簡単?
そう思っていると、彼が人差し指の側面を板に力強く押さえてきた。とても痛い。
「鳴らしてみて」
左手を下に動かす。歪な音がした。
「もっと押さえて」
彼が人差し指をもっと押しつける。あまりの痛さで顔も歪む。
すかさず左手を振る。若干綺麗な音が出た。
「これが『F』な」
私は彼にギターを渡し、じんじんと痛む右手を撫でた。
やめた。こんな痛い思いをするくらいならしないほうがいい。
彼が慣れた手つきでギターを弾く。左手の指の位置がころころと変わる。
指の側面を何度押さえても痛がりもしない。
こんなことがいとも簡単に出来る真織はすごいな。
:12/06/10 22:05
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:Aj4GpTQg
#96 [ぎぶそん]
【※95 右手と左手が逆になってる箇所がいくつかあります。申し訳ありません】
数日後。放課後、図書館に行こうとキャンパス内を歩いた。
図書館の近くにある大理石のテーブルを囲って、軽音楽部の人たちがたむろしているのをいつも見る。
今日はその中に見慣れた男の子の姿があった。
真織だ。
呼ぶなよ。絶対呼ぶなよ。
私は顔を俯き、気配を消して歩いた。
「あっ、足立さんだ。足立さーん!」
……呼ばれてしまった。
無視して通りすぎるわけにもいかないので、彼のいる元へ向かう。
「この人、前言ってた一緒に住んでる足立さん」
彼がその場にいる全員に伝えた。
皆の視線が私に集まり、驚いた表情をする。
私は照れ、下を向いた。
佐奈といいこいつといい、口が軽すぎ。
:12/06/10 22:27
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:Aj4GpTQg
#97 [ぎぶそん]
鷲鼻が特徴的な男の人の提案で、私は真織の隣に座らされた。
初々しい雰囲気が漂う、童顔の男の子が私に話しかけてくる。
「家でのまおりんって、どんな感じですか?」
私は隣にいる真織を見た。
こいつ、仲間内から“まおりん”なんて呼ばれてるの?
全く可愛らしい愛称じゃないの。
「すごく嫌な奴です」
私の返答に、皆が少し笑う。
その後家賃は半分ずつ払っているのかとか、食事はどうしているのだとか色んな質問を受けた。
「足立さん、まおりんに襲われたりしないんですか?」
少しぽっちゃりした男性が大胆な質問をしてきた。
私が言葉を失っていると、代わりに真織が答えた。
「誰がそんなことするか。仮に遠い昔アダムとイヴが俺と足立さんであったとしても、俺は足立さんには死んでも手を出さない」
「それじゃあ人類が誕生しないな!」
長髪の男性の発言で、一同が大笑いをする。
真織のせいで恥をかいてしまった。
私は怒りでわなわなと肩が震えていた。
:12/06/10 22:42
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:Aj4GpTQg
#98 [ぎぶそん]
何さ、よく一緒の布団で寝たがるくせに。
そう反論したかったが、間違いなく周りに変な誤解を生みそうなので口をつぐんだ。
「あ、里香ちゃんが来た」
童顔の子が2時の方向を指差す。
髪が長く背の小さい女の子がこっちにやって来た。
至近距離で彼女の顔を見た時、私はその美しさにびっくりした。
目・鼻・口はそれぞれこじんまりとしているが配置のバランスがとてもよく、人形みたいに芸術的な顔立ちをしていた。
「里香ちゃん。この方は、まおりんと一緒に住んでる足立さんだよ」
鷲鼻の男性が彼女に私を紹介する。
私は彼女に軽く会釈をした。
しかし彼女は挨拶を返すことなく、無表情のまま私から目を逸らした。
小さな体からは想像できない、とても威圧的な態度だった。
「じゃあ私、図書館に用事があるんで」
私は立ち上がった。
:12/06/10 22:58
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:Aj4GpTQg
#99 [ぎぶそん]
過ぎ去ろうとする私の腕を真織が掴む。
「あ、足立さん。俺今日遅くなるから、帰りにトイレットペーパー買っといて。もうなくなりそうだった」
彼の生活感丸出しな発言に、また皆がげらげらと笑う。
真織のせいで、最後まで恥をかかされた。
図書館で資料を探しながら、さきほどの皆とのやり取りを思い返す。
同じサークルの人たちといる真織は、とても楽しそうでよく笑っていた。
軽音楽部の人たちは見た目が怖くて近寄りがたいイメージだったけど、どの人もなかなか親切にしてくれた。
部長の荒井さんという男性は、「いつでもおいで」と最後に言ってくれた。
私は、新しい居場所ができた。
でも、里香ちゃんの冷たい態度が何なのかは理解できなかった。
:12/06/10 23:11
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:Aj4GpTQg
#100 [ぎぶそん]
その出来事から1週間後。
激しく咳き込む音で朝起きると、敷き布団で寝てる真織が高熱を出していた。
顔は火照っていて、辛そうにぐったりと寝ていた。
「俺、今日大学休むわ」
私は病人の彼を残して1人で学校に行った。
私は大学で講義を受けてる間も、彼の苦しむ姿が脳裏から離れずにいた。
空き時間になると、一目散に自転車に乗ってアパートに向かった。
途中、商店街の薬局で風邪薬を買った。
アパートに着くと、足音を立てずに部屋に入る。
彼がぜえぜえと息を立てて寝ていた。
顔は汗で湿っていて、少し赤い。
私は彼の額に自分の手のひらを当ててみた。
ヒトの体温とは思えないくらい表面は熱かった。
そして流し台に立ち、ハンドタオルを氷水で冷やした。
再び彼の元へ寄り、そっと彼の顔を拭く。
:12/06/10 23:27
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:Aj4GpTQg
#101 [ぎぶそん]
身体も少し拭こうと、彼が着ているポロシャツのボタンを外した。
あらわになった首筋にややどきどきしながらも、目に見える範囲で身体を拭く。
そしてもう1度タオルを洗って、彼の額に置いた。
左手の腕時計に目をやる。
次の講義まで後1時間はあった。
今や大学に戻っても中途半端になるので、私は彼の寝顔をじっと見ていた。
もし、死なれたらどうしよう。
無理に起こしてでも病院に連れて行ったほうがいいのかな。
色んな考えが生まれながらも、私はただ黙って彼の様子を見ることしかできなかった。
最後に、風邪薬と水が入ったコップをテーブルの上に置いて部屋を出た。
:12/06/10 23:37
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:Aj4GpTQg
#102 [ぎぶそん]
大学に着くと全力で走り、息を切らして次の授業がある講義室に入った。
大人数の中から佐奈の姿を見つけ、その隣に座る。
息を落ち着け、ふきだす汗をハンカチで拭う。
「かなめ、どこに行ってたの?」
「真織が今日熱出したから、家に帰って看てきた」
「何だかんだいって、彼のことが心配なんだね」
「そんなんじゃない。うつされたくないからだよ」
自堕落な生活を送ってた私だけど、小学生の頃から学校を休むのだけは嫌いだった。
大学1年の時は、全ての授業を1回も休むことなく受けた。
2年になっても続けてそうしていくつもりだ。
その大切な記録を、彼のおかげで止められてしまっては困る。
それだけだった。
:12/06/10 23:53
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:Aj4GpTQg
#103 [ぎぶそん]
夕方帰宅すると、真織は布団に寝たままテレビを観ていた。
私は病気の彼のためにお粥を作ろうと、すぐに台所に立った。
「今日昼家に戻ってたの?」
彼が咳をしながら、私の後ろに立った。
「うん、まあ……」
本当は彼のことを気にかけてると思われたくない。でも嘘はつけそうもないので私は正直に答えた。
「……タオルと薬、ありがとな」
彼が後ろから私の身体を抱きしめてきた。
彼の身体が重くのしかかり、うだるようなその熱さが私の身体に伝わってくる。
「近寄らないでよ。熱がうつるでしょ」
私は彼の腕を払いのけた。
「ごめん」
彼はいつになく弱々しい声を出し、リビングに戻った。
彼が時々優しくしてくるのは嫌じゃない。
でも、それをどう返していいか困る。
だから、こうして何とも思ってない態度を取るのが精一杯だった。
:12/06/11 00:09
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:0B4p8YcM
#104 [ぎぶそん]
後日。彼はすっかり元気になっていた。
彼はステレオマンがある木曜以外は、家に帰ってくるのが遅い。
どうやらサークルで一緒にバンドをするメンバーが決まったらしく、部室でバンドの練習をしているらしい。
この日も彼の帰宅は夜の8時を過ぎていた。
「肩揉んでくれる?」
彼がリビングに腰を下ろすと、私に背中を向けてきた。
何で私が。そう思ったが、彼が痛そうに肩を押さえてるのでやってあげることにした。
彼の肩を親指で押すように揉んだ。血行が悪いのか、結構な硬さを感じた。
コリがほぐれるように、彼の肩をまんべんなく揉み続ける。
「もういいよ、ありがとう」
彼がこちらに振り返る。
「そっちも揉んでやるよ」
マッサージをされて損はしないので、私は彼に背中を向けた。
:12/06/11 22:07
:Android
:0B4p8YcM
#105 [ぎぶそん]
「あー、ちょっと凝ってるね」
彼が私の肩を揉む。親指の適度な刺激が心地いい。
これはいい。私は初めてこいつに対して存在意義を感じた。
「あ、そういえば今度の日曜バンドのメンバーがここに遊びに来ることになってるから」
「勝手に決めないでよ!」
かっとなった私は振り返り、彼の身体を思いきり突いた。
その拍子で彼は床に倒れる。
私は彼のお腹の上に乗り、自分の両足を広げた。
そのまま彼に殴りかかろうとしたが、自分の股間が彼の身体と触れているのに気づき、恥ずかしさで我に返る。
彼は何も抵抗することなく、下から呆然とこちらを見ていた。
2人の間に気まずい空気が流れる。
――そんな顔しないでよ。
「馬鹿!」
私は彼の胸元辺りを勢いよく拳で叩き、彼の身体から降りた。
:12/06/11 22:21
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:0B4p8YcM
#106 [ぎぶそん]
日曜日。昼前彼は出掛けると、その40分後に椎橋くんを含むバンドのメンバーを連れて戻ってきた。
彼がリビングに3人を招き入れる。
4人はそれぞれお菓子やジュースがいっぱいに入った袋を持っていた。
私は椎橋くん以外の、初対面となる他の2人の顔を見た。
黒いシャツを着た子は4人の中で1番背が高く、面長で目が細い。
顔の表情が希薄で、堅物そうな顔をしている。
白いシャツを着た子は丸顔で福福しい顔をしていて、小柄で私より背が低い。
彼の顔を一目見て、どこか“さつま揚げ”に似てるなと思った。
「こっちのでかいのは長田博一。足立さんと同じ文学部。
こっちの小さいのは小柴雄太。皆から“さつま”って呼ばれてる」
真織の説明を受けて、私は“さつま”の部分で声に出して笑ってしまった。
:12/06/11 23:17
:Android
:0B4p8YcM
#107 [ぎぶそん]
彼が訝しげな顔をして私を見る。
「何笑ってんの?」
「いや、私も“さつま揚げ”に似てるって思ったから。皆思うことは同じなんだなって」
「“さつま揚げ”じゃねえよ、“さつま”。鹿児島出身だから。失礼だろ。小柴、足立さんのこと殴っていいよ」
しまった。私は早とちりをしてしまった。
でも小柴くんは気にも止めない様子でにこにこと笑っていた。
温厚そうな子だ。小柴くんが同居人だったら良かったのに。
私たちはテーブルを囲んでリビングに座ると、お菓子を食べながら軽音楽部の話で盛り上がった。
5月に定期ライブがあるらしく、4人もミドリムシのコピーバンドとして舞台に立つらしい。
長田くんも小柴くんも、真織の影響でミドリムシを好きになったという。
真織の影響力は凄い。
私を含め、皆の中にどんどんミドリムシが入っていく。
:12/06/11 23:29
:Android
:0B4p8YcM
#108 [ぎぶそん]
次第に話はミドリムシの曲についてに変わった。
私もミドリムシの曲は大体聴いていたので、皆の話にすんなりとついていけた。
「ライブではどの曲をやるの?」
私は真織に質問をした。
「『ハナムケ』の中からやるよ」
ハナムケとは、ミドリムシの3枚目のアルバムのことである。
「『星座の居場所』歌ってよ」
「それ違うアルバムのだからやらない」
彼が冷めた表情でそっけなく返す。
その後も彼の私に対する態度はそっけなく、私はしょんぼりと座っていた。
談話の最中真織と椎橋くんが煙草をすぱすぱと吸うので、煙草の煙が部屋中に充満する。
私は“不快”という意思表示を見せようと、口の中に空気を溜め込み、自分の方向に来る煙草の煙を向こうにそらそうと吹きかけた。
:12/06/11 23:44
:Android
:0B4p8YcM
#109 [ぎぶそん]
「うわ、足立さんってそういうことするの?嫌味な奴」
真織が嫌そうな顔をするが、私は彼に構うことなく煙を吹き飛ばし続ける。
彼が吸っていた煙草の煙を私に向かって思いきり吐いた。
そのケミカルな臭いで、私はひるんだ。
「楽しそうだな。俺も女の人と一緒に住みたい」
椎橋くんが笑う。
「いやいや、そんないいもんじゃないって。それに足立さん全然色気ないし、女として見てないから」
「うるさいな。だったら早く他の部屋を探しなさいよ」
私は立ち上がり、ベッドにあった枕を彼に投げた。
私と彼のやり取りがおかしいのか、他の3人が笑う。
これまでずっと表情の硬かった長田くんも、気がつけばよく笑っていた。
皆、私のことを乱暴で口うるさい女って思うんだろうな。
本当はしおらしく振る舞って印象をよくしておきたいのに。
:12/06/11 23:56
:Android
:0B4p8YcM
#110 [ぎぶそん]
夕方、3人は帰った。
今日ここに来るまでは彼らが来るのを煩わしく思っていたが、予想以上ににぎやかな時間を過ごせた。
真織のことは快く思ってないが、彼を通して知人が出来るのは悪くないし、楽しい。
玄関で3人を見送った途端、真織が抱きついてきた。
「今日一緒に寝よ」
いつもこうだ。
他の人の前では私に冷たくするのに、2人きりになると態度を変えて甘えてくる。
皆にはこいつのことがどう見えているんだろう?
サークルではムードメーカーな存在のようで、客観的に見ても同期生から頼りにされてる感じだ。
私も彼の第一印象は自己がしっかり確立されていて、年齢の割に落ち着いた子なんだと思ってた。
でも実際は少し甘ったれた部分があって、他人の身体にべたべたと触りたがる。
まさかこんな金魚のフンみたいについてくるとは思わなかった。
本当うっとうしい。
:12/06/12 00:36
:Android
:5A63ZlSk
#111 [ぎぶそん]
夜。彼に強要される形で、一緒に彼の布団に寝た。
私はいつも以上にいらついていた。
今日昼間彼が皆の前で“共同生活はいいものじゃない”と言っていたのに、まるで他の部屋を探す素振りが見られないからだ。
今日もへらついた顔で私の顔を触ってくる。
「お願いだから早く他の部屋を探して。私との生活が嫌なんでしょ」
「そんなこと言ってないじゃん」
ころころと言い分が変わる彼に、私は堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしてよ!こっちはすごく迷惑してるの!」
私は私の顔を触る彼の手を払いのけた。
「分かったよ。明日ちゃんと不動産屋に行く」
私は布団を顔に被った。
布団から、彼の匂いがふわりと香った。
彼のことは疎ましく思っているが、この匂いは好きだった。
甘くて、どこか優しい感じがする。
彼もやっと他の部屋を探す気になったので、この匂いを嗅ぐのも後わずかになりそうだ。
嬉しいような、寂しいような。
:12/06/12 00:48
:Android
:5A63ZlSk
#112 [ぎぶそん]
翌日。学校から帰って台所で夕飯の支度をしていると、彼が後ろから話しかけてきた。
「今日、学校の帰り不動産屋に行ってきた。条件に合う部屋が見つかったら、電話くれるって」
「あっそ。いい部屋が見つかるといいね」
私は彼に見向きもせず食材を切り続けた。
その2日後。夜、リビングで彼と一緒に勉強をしていると、普段ほとんど鳴らない彼のケータイが鳴った。
彼は脱衣室に行き、そして3分もしないうちにまた戻ってきた。
「不動産屋からだった。部屋が見つかったって」
「そうなんだ。良かったね」
私は教科書を読みながら彼に生返事をした。
「とりあえず今日のところは考えて、明日電話するって言った」
「でもその部屋、ここより狭いみたいなのに家賃が高いんだよな。場所も駅からも大学からも遠くなるようだし」
「しかも風呂とトイレ共用だって。俺、別がいいって言ったのに」
私は彼の話に耳を傾けることなく教科書を読み続けた。
いよいよこいつともお別れか。
:12/06/12 21:56
:Android
:5A63ZlSk
#113 [ぎぶそん]
次の日。2人で夕飯を済ませた後、彼はテーブルに肘を突いてぼんやりとしていた。
「電話しなきゃ」
彼はそう口にするも、ケータイをテーブルに置いたままじっとしている。
「また引っ越すの面倒くさいな」
彼がそうぼやき、ため息をつく。そしてまた黙りこくった。
そうして、そのままの状態が1時間も続いた。
その優柔不断な態度、見ているだけで疲れる。
「あのさ」
私は長い沈黙を破るように口を開いた。
「あんたがいいのなら、別に無理してここを出て行かなくてもいいよ。ほら、私もあんたがいると家賃が少なくて済むし、食事も1人分より2人分つくるほうが楽でいいのよ」
「本当?ずっとここにいてもいい?」
彼が晴れた顔をして立ち上がった。
本当は私がこう言うのを待っていたのだろう。
「……うん」
私は照れ臭くなりベランダに出た。
:12/06/12 22:09
:Android
:5A63ZlSk
#114 [ぎぶそん]
手すりに頬杖をついて、物思いに耽る。
もしみどりさんに近況を聞かれたら、なんて言おう。
おっとりとした性格のみどりさんだから、「彼と仲良しになったのね。いいことじゃない」なんて言いそう。
そういえば、私の両親は私が彼と一緒に住んでることを知ってるのかな?
私の実家は山梨にあり、父は単身赴任でほとんど家にいない。
去年私がこの部屋に引っ越した時に母もついてきたけど、それ以降は皆無で、父なんかこの部屋を訪ねたことが全くない。
去年は一応お盆と正月に帰省したけど、両親とは形式的なやり取りをしただけ。
1人暮らしをしてから全くといっていいほど連絡も取らないし、家族との繋がりを感じることはほとんどない。
「今日一緒に寝よ」
真織が後ろから抱きついてきた。
今日はいつもよりもっとくっつかれてる気がする。
私にとっては近くにいない家族より、近くにいるこいつの方が存在が大きかった。
:12/06/12 22:28
:Android
:5A63ZlSk
#115 [ぎぶそん]
4月下旬。次の講義がある教室に行く途中、誰かに肩を叩かれた。
「かなめ、佐奈から聞いたよ。1年生の男の子と一緒に住んでるんだって?」
それは私と同じ学部で同じサークルに所属している川上まりやだった。
まりやは黒髪で化粧が薄く、真面目な性格の子だ。
彼女が私に声をかける時の話の内容は、大抵いつも同じである。
「それで、今日集会があるんだけどどうする?」
私は写真部に行かなくなってから、いつも彼女に部費を渡して代わりに払ってもらっていた。
でもそんなやる気のない私に対しても、彼女はいつもはじめに行くのか行かないのかをきちんと聞いてくれる。
私は少し考えた後、彼女に返事をした。
「行くよ」
真織が押し入れにしまっていたカメラを引っ張りだしてから、私はサークルのことが懐かしくなっていた。
私は久しぶりに部室に顔を出してみることにした。
:12/06/12 22:45
:Android
:5A63ZlSk
#116 [ぎぶそん]
昼休みになり、まりやと一緒に部室がある向かう。
写真部はこじんまりとしたサークルで、部員は全学年合わせても20名ほどしかいない。
階段で2階に上がり部室に入ると、懐かしい顔ぶれが揃っていた。
新入部員らしき子も何人かいて、周りにうまく溶け込めないのかおどおどとした様子で突っ立っていた。
「足立、久しいな」
渋沢先輩が声をかけてきた。
先輩はずっと部室に来ていなかった私を責めることなく、柔和な顔で微笑んでくれた。
久しぶりに見た先輩は、右手の薬指に指輪をはめていた。
「渋沢先輩。かなめ、今年下の男の子と一緒に住んでるらしいですよ」
まりやが先輩に話す。
「彼氏か?」
「違います。ただの同居人です」
「そのまま付き合ったらいいのに」
先輩が目尻に皺を寄せて笑う。
私は先輩のその笑顔が憎いと思った。
:12/06/12 23:02
:Android
:5A63ZlSk
#117 [ぎぶそん]
去年、先輩はいつも私に優しく接してくれていたので、もしかしたら頑張ったら先輩がいつか私に振り向いてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いたこともあった。
でも、そんなことは全然なかったのだ。
そして、それはこれからもきっと変わらない。
「そうですね。彼、かっこいいし付き合っちゃおうかな」
私は全く心に思ってないことを口にした。
理由は自分でも分からない。
でも、私の気持ちに最後まで気づかなかった先輩への、そしてそんな先輩に恋をしてしまった自分に対してのせめてもの反抗に思えた。
先輩を見ても、もう何もどきどきしない。
そんなことより今は真織への気苦労が多くて、私は過去のことがどうでもよくなっていた。
認めたくないけど、私はあいつによって救われた。
私の恋は、完全に終わった。
:12/06/12 23:30
:Android
:5A63ZlSk
#118 [ぎぶそん]
4月も後わずかになった時。
学校から帰ると、先に帰宅していた彼がリビングに座って旅行のパンフレットをテーブルいっぱいに広げていた。
「夏休みさ、お金貯めて2人でどっか旅行に行かん?関西辺り行ってみたいな。でも、北海道もいいな」
「何であんたと旅行の時まで一緒にいなきゃいけないのよ。もしそんなお金があるんだったら、1人旅するわよ」
私は彼に向かって下まぶたを人差し指で引き下げ、舌を思いきり突き出した。
「女が知らない土地を1人でうろついたら危ないって」
彼が眉をひそめて言う。
確かにこいつの言うとおり、女の1人旅は用心したほうがいい。
こんな奴でもボディーガードとして、いないよりはいたほうがいいかも。
去年の夏休みを思い返すと、毎日部屋でだらだらと過ごしただけで終わった。
それを反省して、今年は充実した日々を送りたいと思っている。
そうして私たちは旅費を貯めるため、お互いアルバイトをすることにした。
彼は口元をにっこりとさせて言う。
「夏休みもいっぱい遊ぼうな」
:12/06/13 19:43
:Android
:GrDucbSQ
#119 [ぎぶそん]
その後すぐに、彼は駅前にあるレンタルビデオショップでアルバイトをしはじめた。
その場所を選んだ動機は、従業員だと割引きした値段でDVDをレンタルできるという特典があるかららしい。
彼はバイトがある度、昭和時代の特撮をたくさん借りてきた。
毎日うんざりするほどそれをリビングで鑑賞するので、私も嫌でも怪獣の名前を覚えるようになった。
5月の始め。夕方帰宅すると、リビングの床に彼の学校カバンが投げ出されたように置いてあった。
その横には、DVDが入った袋が放置してある。
手にすると、返却日は今日までになっている。
――忘れてるじゃない。
私はそれを持って、彼のバイト先まで行くことにした。
嫌でも覚えたステレオマンの主題歌を口ずさみながら、駅に向かって自転車を漕ぐ。
:12/06/13 19:57
:Android
:GrDucbSQ
#120 [ぎぶそん]
駅の駐輪場に自転車を止め、駅に入り店がある南口に向かって突き進む。
店に着き自動ドアが開くと、レジに水色の制服を着た彼が立っていた。
彼はかなり洗練された雰囲気が漂っているので、遠くにいてもすぐに分かる。
彼は隣にいる女性従業員の人と楽しそうに話していた。
「あ、かなめ」
彼が私の存在に気づいた。
人前ではいつも他人行儀で“足立さん”と呼ぶのに、今日は呼び捨てだった。
学校以外では2人の関係をどう思われてもよさそうな感じだ。
「店長、この人が前言ってたかなめです」
彼が、カウンターの後ろにいる黒い制服を着た男性を呼んだ。
その人はこの店の店長らしく、30過ぎくらいで落ち着いた雰囲気があった。
「店長、どうですか?彼女、前言ったように“ミグピー”に似てますよね?」
「女性に向かってそれは失礼だろ。でも、ちょっと似てるかも」
店長さんが口元を手で隠して笑う。
私の顔を見て笑っていた。
:12/06/13 20:12
:Android
:GrDucbSQ
#121 [ぎぶそん]
真織がいう“ミグピー”とは、ステレオマンに登場する全身茶色い毛に覆われた小さな怪獣のことだ。
半開きの目で口はへの字に曲がっていて、無愛想で不機嫌そうな表情をしている。
知能が低く、地球人と仲良くなるのが好きで、どちらかというとステレオマンの味方として描かれている。
人気のキャラクターらしいが、私から見たら凄く不細工でいいところが1つもない。
私は真織を睨みつける。
こいつ、私の顔をずっとそんな風に思ってたの?
こいつのせいでまた恥をかかされた。
ひどい、ひどすぎる。
彼がレンタルDVDを陳列しに行くので、私はいらいらしながらもそれについていった。
「何か借りたいのあったら持ってきて。俺のカードで一緒に借りておくから」
彼がDVDを元の場所に直しながら言う。
いつもさんざん嫌な思いをさせられてる分、ここは彼の権限を最大限に利用することにした。
私はランキングコーナーに行き、適当に洋画を選んだ。
でも、彼が好きそうな内容のものにしようと思いながら選んでいた。
:12/06/13 20:29
:Android
:GrDucbSQ
#122 [ぎぶそん]
彼にそのDVDと家にあった店の袋を渡すと、私は店を出てアパートに帰宅した。
彼もその後、夜の10時過ぎに帰ってきた。
一緒にご飯を食べた後、2人でベッドに寝転がって私がさっき選んだDVDを観てみることにした。
主人公の青年がトカゲに変身すると、白熱した戦闘シーンが続く。
「今のシーンで映ってた建物、たぶん全部CGだよ」
私の後ろで観ている彼が言う。
「本当?実物にしか見えなかった」
「ハリウッドのCG技術は凄いからな。『ステレオマン』もCGに力を入れようと、向こうの技術者を呼んでるし」
そこで彼との会話は途切れ、私は一言も口にすることなく映画を観続けた。
:12/06/13 20:42
:Android
:GrDucbSQ
#123 [ぎぶそん]
終盤で、主人公とヒロインの激しいベッドシーンとなった。
私は慌ててリモコンを手に取り、その場面を早送りした。
テレビでも雑誌でも何でも、こういう卑猥な表現があるのは子供の頃から苦手だった。
その度に、目をそらしたりして避けた。
だから私は、そういう行為がどんなものなのか具体的に知らない。
後ろにいる彼が「何恥ずかしがってんの」と馬鹿にしてくると思ったが、何も反応がない。
振り返ってみると、彼は仰向いてすやすやと眠っていた。
とりあえずほっと胸を撫で下ろす。
そういえばこいつ、今まで彼女とかいたことあるんだろうか。
そういうこと、誰かとしたことあるんだろうか。
普通にあるよな。嫌でも目立つし、かっこ悪くはないもん。
私は彼の顔と身体を凝視して、そして最後に唇を見た。
私より年下のくせに私より先に進んでるなんて、むかつく。
:12/06/13 20:56
:Android
:GrDucbSQ
#124 [ぎぶそん]
後日、私もアルバイトをしはじめた。
アパートの前にあるコンビニが募集の貼り紙を貼っていたので面接を受けると、すぐに採用が決まった。
週2日とのんびりとしたペースでシフトに入る。
私はそこで自分と同い年で近くの専門学校に通う山中泉という子と仲良くなった。
目尻がつり上がった大きな目と、口角が上がり、少し突出した唇が魅力的だ。
彼女は人生を達観してるかのような雰囲気があり、とても自分と同じ年齢とは思えなかった。
バイト中、お客さんがいない時にレジで彼女とよく私語をする。
私は彼女に真織と一緒に住んでることを話した。
そして夏休み彼と旅行に行く約束をしたので、そのお金のためにバイトしているということも。
:12/06/14 19:41
:Android
:aR6SCB3I
#125 [ぎぶそん]
「すごく仲が良いんだね。ルームシェアのトラブルってたまに聞くし。それを考えたら幸せなんじゃない?」
泉が綺麗な長い黒髪を耳にかけて言う。
「うん。まあ……」
「いっそのこと付き合っちゃえば?彼氏いないんでしょ」
「馬鹿言わないでよ。誰があいつなんかと……」
そもそも、私は包容力のある年上の男性が好きだし。
中学も高校も、いつも同じ学校の先輩に恋をしてた。
写真部の渋沢先輩も年上だった。
まあ、どれも叶わなかったけど。
年下なんて論外にもほどがある。
「恋愛は年齢じゃない」という人もいるが、私はそこだけは譲れない。
私は好きな人に思いきり甘えたいのだ。
年下に甘えるなんて、私のプライドが許さない。
それに、あいつもそのうち彼女が出来るだろう。
:12/06/14 19:50
:Android
:aR6SCB3I
#126 [ぎぶそん]
その数日後。寝る前、私はお風呂上がりの彼の肩を揉んであげた。
ストラップをつけてギターを肩にぶら下げてると、肩が凝るらしい。
痛そうに肩を押さえる姿が見ていられないので、内心は面倒くさいが仕方なく揉んであげる。
「里香ちゃんから、今度の土曜一緒に楽器屋に行ってほしいって言われた」
「良かったじゃない」
ようやくこいつにも春の訪れが来たか。
「良くない。かなめも来てよ」
彼が振り返る。
「あのね、そんなことしたら嫌われるよ」
「別にいいし」
彼はテーブルの上の煙草の箱を手に取った。
里香ちゃんって、こいつと同じサークルにいる背の小さい子でしょ。
赤みのがかった長い髪が印象的で、小顔で、つぶらな瞳をしている。
月並みな表現だけど、人形のようにかわいい。
性格は知らないけど、彼女にするには申し分ない外見だ。
そうか。たぶんあの子、真織のことが好きなんだ。
だからこの間会った時私に冷たかったのか。
私が彼と一緒に住んでるから。
:12/06/14 20:07
:Android
:aR6SCB3I
#127 [ぎぶそん]
「どうしようかな」
彼が、煙草を吸いながら頭を掻く。
「行って来なさい。あんた、楽器に詳しいんでしょ」
「里香ちゃんがやるのはベースだから、俺が行ってもよく分からないよ」
「つべこべ言わないで行って来なさい!」
私は床に座った状態のまま、足の甲で彼のわき腹を蹴った。
こいつの好みはいまいち分からない。
里香ちゃんの何が良くないの?
その週の土曜日。昼前、彼は里香ちゃんと会うために出掛けた。
でも、昼の3時には戻ってきた。
「……疲れた」
彼がリビングでうつ伏せに寝る。
「腰の辺り揉んでよ」
私は黙って彼の指図を聞く。
彼の腰に跨がり、両手で彼の腰を適当に押してみる。
自分の身体と彼の身体が触れても、ほとんど意識することがなくなった。
:12/06/14 20:18
:Android
:aR6SCB3I
#128 [ぎぶそん]
「今度はどこかで遊ぼうって言われたけど、絶対断る。サークルの子と顔を合わせるのはサークルの時だけでいい」
私は黙って指を押し続ける。
「……俺、かなめと付き合ってることにしようかな」
「やめてよ!」
私は拳を握り、彼の腰を叩いた。
その弾みで彼の身体がわずかに反れる。
「冗談だって」
彼が手を後ろにして腰を押さえる。
「彼女がいることにしたいなら、本当に彼女を作ればいいじゃない」
「別に好きな子いないし。俺、モテないし」
そんなことない。自分で気づいてないだけ。
あんたのことをうっとりとした顔で見てる女の子、よくいるよ?
例えばあんたと同じバイト先にいる女の人、あんたと話してる時嬉しそうだった。
でも、私はあんたの何もかもが全くタイプじゃないけどね。
:12/06/14 20:27
:Android
:aR6SCB3I
#129 [ぎぶそん]
5月の第2土曜日。彼の所属する軽音楽部のライブの日になった。
朝の遅い時間に目覚めると彼はおらず、部屋にギターケースもなかった。
私は寝ぼけ眼の中、身支度を済ませる。
部屋を出ようとした時、ずっと棚に置いてあったカメラが目に入った。
今日ステージに立つ彼を撮ってみようかと考える。
あいつはスタイルがいいし、被写体にするには申し分ない素材だ。
私はカメラの表面についてある塵を払い、鞄の中に入れた。
自転車を漕ぎ、ライブが開かれる「エンパシー」という名前のライブハウスを目指す。
そのライブハウスはアパートから大学に行く途中にある商店街から、少し外れた場所にあるらしい。
商店街のそばにある大きな公園に自転車を止め、とぼとぼと歩く。
1週間前彼に渡されたチケットに描かれてる地図を頼りに、辺りを見回しながらライブハウスを見つける。
:12/06/14 21:34
:Android
:aR6SCB3I
#130 [ぎぶそん]
公園の周りを探索していると、2階に「エンパシー」という看板が立ってある小さな建物を見つけた。
その建物に入ってすぐにある階段を上がると、開けられたドアの前で部長の荒井さんが立っていた。
手にしていたチケットを彼に渡す。
「まおりんたちの番はもうすぐだよ」
荒井さんが私に微笑みながらチケットの半券を返す。
薄暗いライブハウスの中に入ると、客席は既にたくさんの人でがやがやとにぎわっていた。
ライブを観るのにいい場所を探そうとしていると、何人かに声を掛けられた。
皆口を揃えて“まおりんは1番目だよ”と言う。
部屋の後ろではこのライブハウスの関係者らしき30代くらいの男性たちが、色んな機材を触っていた。
私はライブが始まるまで、客席の後ろの方で何もせず立っていた。
:12/06/14 21:49
:Android
:aR6SCB3I
#131 [ぎぶそん]
その15分後、ステージの脇から真織たちが現れた。
客席から拍手と歓喜の声が沸き上がる。
椎橋くんがステージの後ろにあるドラムの前に座り、小柴くんと長田くんがそれぞれステージの両脇に立つ。
真織は中央に立ち、手に持っていたアコースティックギターを肩にかける。
4人がそれぞれ自分の楽器の調子を確かめる。
色んな楽器の音が乱雑に鳴る。
客席はそれを静かに見守った。
それが終わると、真織がスタンドマイクに向かって話し出した。
「えっと、俺ら1年生はミドリムシのコピーをします。頑張って演奏するので、聴いて下さい」
普段は生意気な態度の彼が、こわばった表情でたどたどしく話す。
彼が着ていたパーカーの袖をまくると、細くて白い腕が現れた。
「まおりん頑張って!」
客席の前にいる女性たちが一斉に声援を送ると、彼がその人たちに向かって小さくはにかんだ。
彼は私以外の人の前ではよく笑う。
毎日顔を合わせてる彼が、同じ布団でよく寝ている彼が、今日は少し遠い存在に思えた。
:12/06/14 22:08
:Android
:aR6SCB3I
#132 [ぎぶそん]
彼らは最初に「足袋と桜」という曲を演奏した。
桜の花びらの形と、足袋の形が似ているという発想から作られた歌らしい。
着物姿の女性が、桜が舞う道を歩く情景を歌っている。
1人称が「私」で、斎籐さんが女性の気持ちになって作ったとてもかわいらしい曲だ。
春のあたたかさを彷彿させる、穏やかな曲調になっている。
私はギターを弾きながら歌を歌う真織を見た。
彼は歌ってる時、顔の表情と体勢がほとんど変わらない。
瞬きも最小限しかしなく、まるで生命力を感じられない。
でも逆にその無機的さがクールに感じ、私はその姿が好きだったりする。
ミドリムシの曲は音程が高く、男性には歌いこなすのが難しいらしい。
それを彼は何なりと歌う。よくこんな高音が出るなと思う。
:12/06/15 21:39
:Android
:PoptUgFw
#133 [ぎぶそん]
その曲が終わると、彼は今度は楽器屋で買っていたエレキギターを手にした。
シャツの上から羽織っている灰色のパーカーに、その黒いギターはとても色が合っていた。
彼らは一言も喋ることなく、「マアボウドウフ」という曲の演奏を始めた。
斎籐さんが麻婆豆腐が大好物らしく、その思いから出来た曲らしい。
子供の時は家族のいない中1人でたくさん食べたいと思っていたけど、いざ1人暮らしで食べると何だか寂しいといった気持ちが綴られている。
私も1人で食べてた時よりあいつとご飯を食べてる今の方が、なんとなくおいしく感じる。
彼らは次に「ヴィヴァルディア」という曲を演奏した。
アントニオ・ヴィヴァルディの「四季」の「春」をモチーフにした曲で、歌詞に「ヴィヴァルディ」や「協奏曲」などが出てくる。
喧嘩別れをした友人が遠くに行くことになり、さよならも言えないまま離れ離れになった虚しさを歌っている。
「春」を意識した陽気な曲調とは相違して、とても物悲しい歌詞だ。
アルバムのみに収録された曲だけどファンからの人気が高くて、ライブでも定番の曲になっているらしい。
「世界平和、戦争反対だなんて、簡単には言えないよ。
僕だって、毎日小さな戦争を起こしてる。」
という部分の歌詞が私は好きだ。
:12/06/15 22:00
:Android
:PoptUgFw
#134 [ぎぶそん]
「次で最後の曲になります」
真織の言葉で、客席から「えー」と不満感を表す声がする。
「えっと、今日やるつもりはなかったんですけど、ある人からしつこくやってくれって言われたので、その曲をやります。
聴いて下さい、『星座の居場所』」
彼の口元が緩む。
ある人って、私のこと?
やらないって言ってたのに。
そもそも、そんなにしつこく頼んでない。
でも私は嬉しくて顔が少しほころんでしまった。
彼らが演奏を始める。
私は初めて彼が部屋に来た時のことを思い出した。
穏やかな顔でこの歌を歌っていた時のことを。
私は鞄からカメラを取り出した。
レンズ越しに彼を見る。
1度だけシャッターを押した。
椎橋くんも、長田くんも、小柴くんも皆カメラに収めた。
:12/06/15 22:13
:Android
:PoptUgFw
#135 [ぎぶそん]
彼らの最後の演奏が終わると、客席の皆が拍手をした。
私もそれにならって小さく手を叩く。
「おっ、足立さん来てくれたの?」
次のバンドの演奏が始まる前、彼が私の元に椎橋くんと一緒にやって来た。
「たまたま起きたらライブの時間にちょうどよかったから」
本当は、今日寝過ごさないようにと前日に目覚まし時計をセットしていた。
「楽しんでいってね」
そう言い残し、彼は椎橋くんと向こうに行った。
その後、いくつものグループがライブパフォーマンスをした。
どれも知らない曲ばかりを演奏していたけど、真面目に聴いた。
彼ら彼女らの演奏が終わる度、笑顔で拍手する。
でも、やっぱり真織たちの演奏が1番いいと思った。
:12/06/15 22:34
:Android
:PoptUgFw
#136 [ぎぶそん]
5番目のバンドの演奏が終わった後、客席の隅で里香ちゃんが真織の腕に抱きついていた。
彼もまんざらでもない様子で、彼女に取り合う。
彼女と遊ぶのあんなに嫌がってたくせに、へらへらしちゃって。
私は右腕を背中に回して中指を立てた。
夕方。全てのグループの演奏が終わった。
1人で静かに帰ろうとすると、真織が話しかけてきた。
「この後打ち上げがあるんだけど、かなめも来いよ」
「部員じゃないし、悪いよ」
「他にもそういう人結構いるから気にするなよ。あっ、先輩。足立さんも数に入れといて下さい」
彼が近くを通りがかった会計係らしき人を足止めした。
そうやっていつも勝手に決めないでよ!
私は打ち上げとやらに参加させられるはめになった。
:12/06/15 22:43
:Android
:PoptUgFw
#137 [ぎぶそん]
1人で一旦帰宅し、何も食べずに彼の帰りを待つ。
6時半頃、彼が帰ってきた。
7時半過ぎ、彼と一緒に部屋を出る。
彼はバイクがある駐輪場を素通りして、そのまま歩き続けた。
「バイクで行かないの?」
「うん。ちょっとね」
何だろう。彼の後ろをついていくかたちで夜道を歩いた。
商店街を抜けひたすら大学までの道を歩くと、彼が大学前の信号の近くにある居酒屋に入った。
店内は和風そのものの佇まいで出来ていて、広い玄関で靴を下駄箱にしまうと木造の階段で2階まで上がった。
階段近くにある部屋の襖を彼が開けると広い宴会室が現れ、既に大勢の部員が座布団に座っていた。
彼が適当に空いてる席に座る。私も彼の隣に座った。
:12/06/16 00:14
:Android
:gmdZmKOc
#138 [ぎぶそん]
「1人3千円をこっちに持ってきて下さい」
会計係の人が宴会室の隅で呼び掛ける。
私は財布を取り出そうとしたが、隣にいる彼が肩を押さえてきた。
「かなめの分は俺が出すよ」
彼は5千円札1枚と千円札1枚を手にしていた。
「まおりん、優しいな」
近くで私たちのやり取りを聞いていた男性が、彼に話しかけてきた。
「俺、無理言って足立さんの部屋に住まわせてもらってる身分なんで。こういう色んなところで点数を稼いでおかないと」
彼の言葉にその男性が笑うが、私は不機嫌になった。
別にそういう気遣いしなくていいから。
何をしても、あんたに対する私の評価は低いんだから。
:12/06/16 00:22
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#139 [ぎぶそん]
午後8時。メンバーが大体揃い、荒井さんが皆から見える場所に立って挨拶をはじめた。
「皆さん、今日はお疲れさまでした。今日の打ち上げは新入生を歓迎する意も込めて盛り上がりましょう。1年生、今からこっちに来て。1人1人自己紹介をして」
荒井さんの指示で、真織も立ち上がった。
1年生が荒井さんの隣で横1列になった。
1年生は全員で11人いた。
女の子は里香ちゃんともう1人の大人しそうな子しかいなかった。
里香ちゃんが甘い声で自己紹介をすると、周りの男性たちが歓喜の声を上げていた。
彼女はこのサークルのアイドル的存在みたいだ。
私もできるなら彼女に嫌われたくなかった。
椎橋くんの自己紹介が終わり、その隣にいる真織の番になった。
「理工学部の伊藤真織です。好きなバンドはミドリムシです。今女性と一緒に住んでますが、彼女じゃありません。皆さん誤解しないでください」
彼の発言に、皆が笑う。
いちいちそんなこと言わなくていいじゃない。
:12/06/16 00:35
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#140 [ぎぶそん]
全員の挨拶が終わると、また彼が戻ってきて座った。
私は誰も見ていない時を見計らって、彼の太ももを強く殴った。
その後すぐに、色々な料理や飲み物が運ばれてきた。
彼が飲み物を配っていた男性に向かって手を上げる。
「あ、先輩俺にもビールください」
「あんたまだ未成年でしょ。いいの?」
「そう堅いこと言うなよ。大学入ったら皆飲んでるって」
そうか、だからバイクに乗って来なかったのか。
勝手にしろ。私は何も言わないことにした。
全員に飲み物が行き届くと、荒井さんの掛け声で乾杯となった。
私も近くにいる人たちにグラスを掲げる。
「足立さん、乾杯しよう」
彼がビールの入ったグラスを私の目の前にやる。
私はそれを無視し、彼の目の前で烏龍茶をごくごくと飲んだ。
彼はグラス片手にしょんぼりとしていた。ざまあみろ。
:12/06/16 00:47
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#141 [ぎぶそん]
「2人とも本当に仲が良いね」
彼の目の前に座ってる男性が話しかけてきた。
「違うんです、足立さんが金魚のフンみたいについてくるだけです」
それはこっちのセリフだ!この打ち上げもあんたが誘ったんでしょうが。
私は心の中でむっとした。
「足立さんって凶暴で、人のことすぐ殴るんですよ。だから俺、毎日家に帰るのが怖くて」
泣きそうな表情をする彼に、男性がげらげらと笑う。
そんなこと言って、毎日へらへらした顔でまっすぐ家に帰ってきてるじゃない。
何でこいつはわざわざ人前で私のことをコケにするの?
私は怒りで持っていた割り箸を折りそうになった。
その直後、天ぷらが入った皿が1人1人に配られた。
「俺、ナス嫌い。足立さん食べて」
彼がナスの天ぷらを私の皿に入れてきた。
私だってそんなナス好きじゃないわよ。
でも食べ物を粗末にするのは嫌いなので、私は黙ってその天ぷらを食べた。
:12/06/16 00:57
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#142 [ぎぶそん]
唐揚げが入った皿が配られた。
久しぶりに見た好物に、私は目を輝かせた。
1人暮らしをしてから、贅沢な値段に感じる唐揚げはほとんど食べていない。
私は早速その唐揚げを1つ食べた。
柔らかい食感の後に、口いっぱいに肉汁が広がる。
この脂っこさが、何とも言えない至福を感じる。
私は白ご飯と交互に唐揚げをいくつも食べた。
でも、食後の最後にじっくり味わおうと1つだけ残した。
「食べないの?ちょうだい」
彼がその唐揚げを割り箸で掴み、口に入れた。
彼が気楽な顔をして口をもぐもぐとさせる。
私は怒りを通り越して、殺意が芽生えそうになった。
でもその場の楽しい雰囲気を壊してはいけないと、ぐっとこらえた。
心の中で彼のはらわたに何度も包丁を突き刺し、気持ちを静める。
死ね。死ね。無言で何度も叫んだ。
:12/06/16 01:11
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#143 [ぎぶそん]
席の途中から、彼は明らかに酔っていた。
「俺らよく一緒に寝てるんです」
彼が私の肩に片腕を回してきた。
「本当?ラブラブだなあ」
目の前の男性がにやける。
「嘘です!そんなことありません!」
私は私たちを見ている周りに否定する。
「今日も帰ったら一緒に寝よう?な?」
彼がもう一方の腕を私の肩に回し、しがみついてきた。
「こいつ酔って嘘言ってます!皆さん信じないでください!」
「ラブラブだなあ、ラブラブだなあ」
目の前の男性は呂律が回っていなかった。
周りも皆錯乱状態で、顔が赤かったりふらふらとしていた。
明日になったら何も覚えていないだろう。とりあえずその場で安心する。
でも、1つ隣のテーブルで座っている里香ちゃんの突き刺さるような視線は、私をとても寒気立たせた。
:12/06/16 01:22
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#144 [ぎぶそん]
午後10時。にぎやかな雰囲気のまま打ち上げが終了した。
「お疲れさまでした」
私は周りがいう2次会とやらには行かず、居酒屋の前で皆に別れを告げた。
正常な意識のない彼に自分の肩を貸して、アパートまで歩く。
彼の足元が何度もふらつくので、うまく歩行できなかった。
酔った彼はかなり饒舌だった。
「哲雄がこないだパチンコで6万負けたって。馬鹿だよな。俺、パチンコする奴の気が知れない」
「それさっきも聞いた」
「今度椎橋たちがミドリムシのライブに行くって」
「それも聞いた」
もう。何で私がこんなことをしないといけないのよ。
通りすがりの人たちに白い目で見られる中、彼を抱えてアパートを目指す。
:12/06/16 01:31
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#145 [ぎぶそん]
その後、やっとの思いで自分の部屋に到着した。
「ちょっとそこで待っててよ、布団出すから」
リビングの電気を点けず、彼を一旦床に座らせようとした。
「一緒に寝よ」
その直後彼が抱きつき、そのまま私を押し倒した。
そして私に覆い被さり、私の顔を両手で持った。
「かなめ、かわいい」
その瞬間、自分の唇を私の唇に押しつけてきた。
それは、私の生まれて初めてのキスだった。
味はなく、柔らかくて生ぬるい感触がするだけ。
「やめてよ!」
私は彼を足で蹴り飛ばした。
彼は意識を取り戻すことなく、そのまま寝始めた。
私は恐怖で身体がぶるぶると震えていた。
油断していた自分も悪いけど、本当に悔しい。
ファーストキスを夢見ていたわけじゃないけど、まさかこんな不意打ちで迎えるとは思わなかった。
あいつは、今この世で1番やりたくない相手なのに。
私は自分のベッドの布団に潜り、声を殺して泣いた。
でも彼にまた風邪でも引かれたら面倒だと思い、彼の身体にそっと布団をかけた。
こんな時でも彼に気を遣わなきゃいけないのは、本当に虚しかった。
:12/06/16 01:47
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#146 [ぎぶそん]
次の日。私は一睡も出来ずに朝を迎えた。
「あれ?何で俺こんなところで寝てんの?いつ帰った?」
床で寝ていた彼が起き上がった。
私も上半身を起こす。
「覚えてないの?昨日のこと……」
「全然。打ち上げのこともほとんど覚えていない」
なんということだ。
私はあんなに嫌な思いをしたのに。
私は彼を睨んだ。
視界に彼の唇が入る。
昨日私にキスをした、忌々しい唇が。
私の怒りが再び込み上げてくる。
「あんたね、昨日この部屋で私にキスしたのよ。私、初めてだったのよ。どうしてくれるのよ」
私はなりふり構わずその場で泣いた。
私の目から大粒の涙がこぼれる。
彼に初めて見せた涙だった。
「ごめん、もう酒は飲まない。本当にごめんな」
彼は両手を合わせて謝ってきた。
私は何も言うことなく、彼に背中を向けて布団を被った。
彼が何度も謝るが、私は聞く耳を持たない。
:12/06/16 01:58
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#147 [ぎぶそん]
その後、リビングに彼の気配はなくなった。
やがて遠くから彼がシャワーを浴びる音が聞こえる。
彼と住むようになって、初めてわだかまりが出来た。
彼はお風呂から出て、ちょっとしてから静かに部屋を出た。
私は布団に潜り、いつまでも泣いていた。
何で何も覚えてないのよ。
酔ったら、その気がなくてもキスが出来るものなの?
そう思ってなくても、「かわいい」って言えるものなの?
何でキスをした?私じゃなくてもキスしてた?
全く記憶がないのなら、真意を知りたくても知れないじゃない。
:12/06/16 02:05
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#148 [ぎぶそん]
夜、何もせずベッドに座ったままでいると彼が帰ってきた。
「これ、あげる」
彼が私に小さな白い包み紙を渡してきた。
赤いリボンを解き、中に入っていた赤い箱を開けてみた。
そこにはハート型のネックレスが入っていた。
私はそれに少し感激した。
一応、異性から初めて貰ったプレゼントだった。
これを買うために部屋を出たのだろうか。
結構高かったんじゃない?
どんな気持ちで選んだ?
私はそのネックレスを見てにっこりとした。
私の怒りと悲しみはだいぶ和らいだ。
床で立ちっぱなしでいる彼が口を開く。
「やっぱり俺、他の部屋を探すわ。もうかなめのこと傷つけたくないし」
彼は煙草の箱とライターを持って、ベランダに出ようとした。
:12/06/16 02:17
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#149 [ぎぶそん]
「ちょっとこっちに来なさいよ」
私は彼にベッドに座るよう呼んだ。
彼が黙って私の隣に座る。
私はすさまじい形相をしたまま、何も言わずに彼の肩に両方の腕を回した。
そして目をつむり、自分の唇を思いきり彼の唇に押しつけた。
5秒くらいだろうか。とても長く感じた。
そして唇をそっと離し、手の甲で自分の唇を拭く。
「どう?ちょっとは私の気持ちが分かった?こんなことされたら、すごく嫌でしょ」
「……うん。すげえ嫌な気持ちになった」
彼は私の目を見てはにかんでいた。
何さ、笑ってるんじゃないわよ。
私は顔を反らした。
私は顔を背けたまま彼に話しかけた。
「あんた、キスした時私のことを“かわいい”って言ってたわよ。どうせ本音じゃないだろうけど」
「かわいいと思ってるよ」
彼が私の手を握る。
:12/06/16 02:25
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#150 [ぎぶそん]
私は振り返って彼の顔を見た。
「だって、ミグピーに似てるし」
「何よそれ!不細工って言いたいの?」
「何言ってんの、ミグピー超かわいいじゃん。“ミグピーに似てる”って、俺にとっては最高の褒め言葉だよ」
私は彼の手を払って、ベランダに出ようと立ち上がった。
「あのさ」
彼の言葉で立ち止まる。
「俺がキスしたっていうの全然覚えてないけどさ、俺も……そのキスが初めてだったから」
「あっそ」
私はベランダに出て、窓を閉めた。
そんな報告、わざわざしなくていいから。
むしろ彼のファーストキスの相手が自分だと知って、気分が悪くなった。
あんたって垢抜けた外見の割に堅物なんだね。
お互いあれが初めてだったなんて、笑える。
私は星の見えない夜空を眺めながら、長い時間顔を緩ませていた。
:12/06/16 02:35
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#151 [ぎぶそん]
その日以来、彼はますます私にべたべた触るようになった。
彼は毎日のように一緒に寝たがり、私はそれを必死で拒んだ。
大人びた外見にそぐわない甘えようは、本当に気持ちが悪かった。
私は徹底して彼を避けた。
近くに寄ったらすぐに蹴り飛ばし、話しかけられてもそっけなく返した。
それと同時期、私は彼に貰ったネックレスを毎日着けて学校に行っていた。
でも彼にそれを愛用してるとは思われたくないので、アパートに帰った時はいつも玄関に入る前に外して鞄に直していた。
その日の昼休み学食でまりやと一緒に席を探していると、複数の友達といる彼とばったり会った。
「それ、着けてくれてるんだ」
彼が口元を緩ませて、私の首元を指す。
しまった、と思った。
:12/06/16 22:42
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#152 [ぎぶそん]
「デザインが気に入ってるだけだよ」
それだけ言って、彼の前を通り過ぎる。
私の隣で一連の流れを見ていたまりやが嘆いた。
「相変わらず素直じゃないなあ。前、『かっこいいし、付き合っちゃおうかな』って言ってたじゃん」
「あれは冗談で言ってただけだよ」
「そんな冷たくばかりしていると、そのうち向こうも嫌になって出て行っちゃうよ」
「別にいいし」
私は俯いた。
あいつがいなくなること。
想像もしたことがない。
でも、いつかは確実にいなくなるだろう。
私が大学生でいる残り3年が限度かな。
3年。それは長いのかな、短いのかな。
あいつは私にとってどうでもいい存在だ。
でも、どうにでもなってほしい存在ではなかった。
そうして1週間、2週間と時間は過ぎた。
だんだん彼も一緒に寝ようとはしなくなった。
夜布団で寝ている彼をふと見てみると、私のいる方に背を向けて寝ていた。
彼のその後ろ姿はどこか寂しく見えた。
:12/06/16 22:52
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#153 [ぎぶそん]
6月初旬。私も周りの皆も半袖姿が目立つようになった。
学校が終わり、夏物の洋服を見て回ろうと駅前のデパートに入った。
特に買わずに洋服屋を見回ると、何の用もないのにおもちゃコーナーがある6階に向かった。
ステレオマン関連のコーナーに、ミグピーの人形もあった。
今日も相変わらず無愛想な顔をしている。
私はいつもあいつといる時、こんな顔をしてるんだろうな。
似てると指摘されても、無理もない。
ミグピーの隣に、“モグピー”の人形があった。
モグピーはミグピーと姿形がよく似ているが、表情は真逆だ。
にこにこしていて、とても愛嬌がある。
もし私もこのモグピーのようにいつも笑顔だったら、彼との共同生活もうまくいってただろう。
でも、あいつが悪いんだ。
すぐ勘違いして甘えてくるから。
でも、最近は少し厳しくしすぎたかな。
私はモグピーを見つめながら、その場で笑顔の練習をした。
:12/06/16 23:03
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#154 [ぎぶそん]
その数日後。放課後、彼が大理石のテーブルで同じサークルの人たちと楽しそうにしているのが見えた。
あいつ、私がいなくても平気そうじゃん。少し心配して損した。
彼の隣には、女の人がいた。
確か、3年の三鷹さんって人。
美人で優しく、とても感じのいい人だ。
彼も本当は、同居人になるならあんな女の人が良かったんだろうな。
私は少しため息をついた。
その晩、私は帰って麻婆茄子を作った。
食卓の席で彼が箸を持ったまま、げんなりとした表情でそれを見つめていた。
私は内心その顔が見たかったので、にやりとする。
「俺、ナス嫌い」
彼が皿を端にやる。
私は手のひらでテーブルを叩いた。
「全部食べないと怒るから」
「じゃあ、全部食べたらキスしてくれる?」
「何寝ぼけたこと言ってんの?もういいわよ!」
私はその皿を分捕った。
2人分を食べるのはきついが、無理して全部頬張った。
:12/06/16 23:16
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#155 [ぎぶそん]
夜の9時過ぎ、彼はテーブルにうつ伏せになっていた。
「……腹減った」
さすがに夕飯にお茶漬け1杯はきつそうだった。
「一緒にコンビニ行かん?奢るから」
私は彼の誘いに乗った。
2人でアパートの前のコンビニに入ると、レジに見慣れた従業員の顔があった。
「あ、かなめちゃん」
店長が声をかけてきた。
店長はサーフィンが趣味の40代前半の男性で、いつも日焼けしている。
「この子が例の一緒に住んでる男の子?大人っぽいね」
店長が気さくに真織に話しかける。
彼も店長にしっかりとした受け答えで話していた。
まさか誰も彼が実際は甘えたがりな性格だなんて、想像も出来ないだろう。
私は彼に紙パックのコーヒー牛乳を渡した。
:12/06/16 23:26
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#156 [ぎぶそん]
コンビニを出ると、彼がアパートがある方とは逆の方向を指差した。
「公園に行かん?」
奢ってもらった義理があるので、私は黙って頷いた。
商店街を進み、その近くにある公園に入った。
誰もいない閑散とした公園で2人、ベンチに座る。
私は夜の公園を見回しながら、コーヒー牛乳を飲む。
彼は隣で生姜焼き弁当を食べていた。
「野菜もちゃんと食べないとバランスが悪いよ」
「母親みたいなこというね」
「あんたが病気すると、こっちまで面倒になるから言ってるだけ」
それだけ話すと、彼は黙々と弁当をかきこむ。
その姿を見て、私もそれが食べたくなった。
どうして人が食べてるものは、こうもおいしく見えるのだろう。
「一口食べる?」
彼が箸で豚肉とご飯をつまんで私に差し出した。
私はその誘惑に負け、口を開けた。
彼がこぼさないように私の口に入れる。
それを口の中で味わいながら噛む。
冷えたご飯に脂身たっぷりの豚肉は、とても相性がよかった。
:12/06/16 23:41
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#157 [ぎぶそん]
彼は弁当を食べ終えると、一服し始めた。
「あ、珍しく弟からメールきてる」
彼がケータイを握り締める。
「弟?あんたって弟いるの?」
「いるよ、俺より2つ下。弟も女みたいな名前してる。“ミオリ”っていうの。えーっと、『お兄(にい)の部屋にある新品のノート全部貰っていい?』だって。さすがあいつ、真面目」
彼がそのメールに返信しようとケータイを操作する。
彼に兄弟がいたことは、今ここで初めて知る事実だった。
私は彼のことを色々と知った気になっていたが、実際は知らないことの方が多いのだろう。
そう考えると、はがゆい気持ちになった。
こんなに近くにいるのに何も知らないのは、何だか違和感がある。
私は彼について、今まで何とも思っていなかったことまで気になりだした。
:12/06/16 23:52
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:gmdZmKOc
#158 [ぎぶそん]
彼が煙草の灰を地面に落とす。
「……いつから煙草吸ってるの?」
「高校卒業してからだよ」
「割と最近じゃん。何で吸うの?」
「何となく」
彼が勢いよく煙を吐く。白い煙が夜の空気に溶け込んだ。
「何でバイク乗るの?」
「歩くのが面倒くさくなったから。いつかはハーレーに乗りたいな」
彼が両手を上げて背伸びをする。
「ハーレーって、すごく高い奴?」
「うん。憧れる」
「その時は私も乗せてよ。“乗った”って皆に自慢できるから」
「いいよ。約束な」
彼がまばゆい笑顔をして、私の手を握った。
「離してよ」
私は嫌な顔をして手を払ったが、胸がきゅっと締め付けられた思いをした。
こいつは人心掌握に長けてるというか、人の心をくすぐるのがうまいんだと思う。
それを無意識でやってのけるんだから、実に恐ろしい。
だから私も放っておけなくて、こんな一緒にいてしまうんだろう。
:12/06/17 00:02
:Android
:FCqHJV9I
#159 [ぎぶそん]
彼が煙草を吸い終えた後、公園を後にした。
アパートに戻ると、彼はお風呂に入った。
既にお風呂に入っていた私は、歯を磨いた後ベッドの上で雑誌を読むことにした。
風呂上がりの彼が、電気を消してくれるのを待つ。
うとうとしかけている時、彼がお風呂から出てきた。
「やっぱ他のを着よう。これ暑い」
突然、彼がリビングで着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
私は初めて彼の上半身裸の姿を目の当たりにした。
顔以上に肌が白くて、細身だけど意外に筋肉がついていた。
私は、彼が私の前で服を脱いだことを怒らなかった。
目が冴え、少し放心状態になった。
彼は私に背中を向けて服を選んでいた。
足を屈んで座ってる彼の腰元に注目すると、ジャージの下から若干灰色の下着が見えていた。
私は雑誌を見るふりをして、彼の身体やその下着をじっと見ていた。
:12/06/17 00:19
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:FCqHJV9I
#160 [ぎぶそん]
彼は着替え終わると、自分の布団を取り出そうと押入れを開けた。
「ねえ」
私は彼に声をかけた。
「毎日布団敷くのも面倒くさいでしょ。金曜とか土曜とか、次の日が学校のない日なら私のベッドで一緒に寝てもいいよ。でも、キスとかそういうことはもうしないから」
「本当に?」
彼が子犬みたいな目をして笑う。
そしてすぐに電気を消して私の隣にやって来た。今日は金曜日だった。
彼が仰向けで寝ている私の髪を触る。
「こっち向いてよ」
彼が私の顔を持って、自分の方に向けた。
彼の大きな目と、自分の目が合った。
ふいに見た彼の顔に、思わず心臓がとくんと鳴った。
こいつ、こんな顔してたっけ。
そこそこいい顔してるじゃん。
何で今まで女の子とキスしたことないの?
どう考えてもおかしいでしょ。
こいつ、本当に人間なの?
もしかして、人間の姿をした怪獣?
私ってば、何子供じみたこと考えてるんだろう。
私は思わず声に出さずに笑った。
彼が私の笑顔に目を丸くした。
でも、すぐに目を細くした。
「今日はモグピーに似てる」
彼が片腕を私の肩に回し、私の身体を自分の方に引き寄せた。
私は怒らなかった。
:12/06/17 01:09
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:FCqHJV9I
#161 [ぎぶそん]
そのままの状態で彼と会話をする。
「あんた、本当は三鷹さんみたいな美人で優しい人と一緒に住みたかったんじゃないの」
「うーん、そういう人だと逆に気を遣っちゃいそうで嫌だな」
「私だと気を遣わなくて済むんだ」
「そうだよ。かなめといると落ち着くんだよね。気が置けないっていうか。もし他の人の部屋に住んでたら、血眼になって他の部屋を探してたよ。やっぱり住む家っていうのは、落ち着けるのが1番」
彼の言葉に、私ははっとした。
こいつのこの言葉は、私の心の中の琴線に触れた。
私は胸が一杯になった。
私は彼から離れ、上半身を起こした。
「ちょっと今日身体が冷えてるから、両腕で抱きついてくれない?」
本当は真っ赤な嘘だけど、寒そうに腕をさすった。
彼が少し嬉しそうな顔をして、私に向かって両腕を広げた。
「おいで」
私も両腕で彼の身体に抱きついた。
顔中に彼の匂いが広がる。
本当は熱くてたまらないけど、彼から離れたくないので我慢した。
私はそのまま彼の胸の中で眠った。
私は少し、ほんの少しだけ彼に心を開いた。
:12/06/17 01:21
:Android
:FCqHJV9I
#162 [ぎぶそん]
翌週。彼も月曜日から半袖を着るようになった。
でもいつも着ているパーカーシャツが長袖から半袖になっただけなので、特に新鮮味はなかった。
朝、彼が先に玄関で座って靴を履く。
私はその後ろで立ったまま彼の広い背中を見ていた。
「あんたって、何でパーカーが好きなの?」
「着やすいから」
「ふうん。でもあんたって、おしゃれだよね」
「そう?適当だよ」
私はその場で屈み、彼の着ている黒いパーカーのフードを掴んだ。
鼻に近づけると、彼の匂いがした。
少し幸せな気持ちになった。
「何してるの?」
「あ、煙草臭いなって」
本当は煙草の臭いはしなかった。背中はたまに本当に臭うことがあるけど。
「悪かったな」
「煙草、辞めちゃいなよ。臭いし、身体に悪いし」
「無理です」
あーあ、せっかくのいい匂いも台無しじゃん。
私はもう1度彼の匂いを嗅いだ。
:12/06/17 20:48
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:FCqHJV9I
#163 [ぎぶそん]
水曜日。昼休み図書館で本を探していると、近くで聞き覚えのある女の子の甘い声がしていた。
その声がする方を見ると、里香ちゃんが友達と一緒に辺りをうろうろとしていた。
私はとっさに顔を俯け、本棚の陰に身を潜めた。
私は彼女が怖い。
私が彼女の好きな真織と一緒に寝てると知ったら、どんなことになるだろうか。
それどころか、キスをしたこともある。
私は彼女が彼のことを諦めてくれればいいのにと思った。
いや、彼女が彼と付き合えばいいのかな?
でもそうしたら、あの匂いを嗅げなくなる。
ジレンマだった。
その日の夜。彼と晩ご飯を食べた後、一緒に音楽番組を観ていた。
男性アイドルグループの出番で、観客の女性たちが黄色い声援を上げていた。
その金切り声が耳に響く。声援というより、悲鳴や発狂に近かった。
:12/06/17 20:58
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:FCqHJV9I
#164 [ぎぶそん]
「周り、きゃあきゃあうるさい。歌を聴きにきたのなら、黙って歌を聴きなさいよ」
私には芸能人を見て舞い上がる心理が分からなかった。
「いやいや、男はそうされて嬉しいもんだよ。俺も女の子にきゃあきゃあ言われてみたいなあ。1度でいいから、モテてみたい」
テーブルに頬杖をつく彼がため息をつく。
そういえばこいつ、キスしたこともないって言ってたな。
――それじゃあもしかしたら……。
私は思いついた言葉が、とっさに口に出た。
「……あんたって、女の子と付き合ったことないの?」
「ないよ。告白したことも、されたこともない」
「それってモテてるのに気づいてないだけなんじゃない?ほら、こないだだって里香ちゃんに遊びに誘われてたじゃん。後、あの子ライブの時もあんたの腕に抱きついてたし」
「あの子はただのサークル仲間」
ほら。気づいてない。
:12/06/17 21:07
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:FCqHJV9I
#165 [ぎぶそん]
「あんたって存在が浮いてるのよ。何か近寄りがたいっていうか」
「ひでえ。何その言い方。別に俺って普通じゃん」
「周りを雑草とすると、あんたはその中にいるスミレかな。とにかく異質」
「スミレって、紫色の花だっけ。女みたいであまり嬉しくないな」
そこで会話が止まると、彼が真顔でこっちを見る。
「そっちこそ、誰かと付き合ったことあるの?」
「ないよ。私も告白したことも、されたこともない」
「一緒だ」
彼が小さくにっこりとする。
その笑みが私には嘲笑に感じ、少しいらっとした。
そして瞬時に、彼が何か気づいたように目を見開く。
「じゃあ、俺たちってお互い……」
彼の照れる様子に、私は背筋が凍る思いがした。
“お互い性的経験がないんだね”って言おうとしたのだろう。
私は年下に馬鹿にされてるようで、すごくいらいらした。
:12/06/17 21:15
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:FCqHJV9I
#166 [ぎぶそん]
私は立ち上がり、彼を突き飛ばした。
床に倒れた彼のお腹に跨がり、右手で彼の顎を掴んだ。
そして、蔑んだ目をして彼の歪んだ顔を見た。
「いい?いつかあんたの“初体験”、私が奪ってあげる。一生のトラウマにしてあげるから」
右手の力を強めた。
「楽しみにしておく」
「それまで絶対に誰ともしちゃ駄目だからね」
「分かった」
彼が首を小さく縦に振る。
そして両手で私の手首を持ち、強い力で自分の顔から離した。
抵抗してもその両手は離れず、私の顔の眉間に皺が寄った。
「そっちも俺とするまで、誰ともしちゃ駄目だよ」
彼がしたり顔でいう。
私はかっとなった。
自分の方がいつも優位な状況に立っていると思ってたのに、実際は彼の方が一枚上手なんだと悟ったからだ。
こいつはその気になれば、本当は私に何でも出来る。
今まで気づかなかった自分に、一気に恥ずかしさを感じた。
「うるさい!」
私は左手で彼の頬に平手打ちをした。
やっぱり里香ちゃんとは付き合ってほしくない。
いや、他の誰とも付き合ってほしくない。
こいつの真っ白な心と身体を、私が汚してやりたい。
こいつは私が独占する。こいつを支配したくなった。
:12/06/17 21:52
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:FCqHJV9I
#167 [ぎぶそん]
金曜日。夜、彼は私のベッドに寝にきた。
隣で寝ている私パジャマをめくり、お腹の肉をつまむ。
「すげえぷにぷにしてるし。ちょっと痩せたほうがいいんじゃないの?」
「うるさい。そういうあんたはどうなのよ」
私は彼の着ているシャツをめくった。
色白の締まったお腹が現れる。
そしてそのお腹をつまもうとするが、何度やっても指がかするだけだった。
「男はそんなないよ。うわ、こっちもすげえぷにぷにしてるし」
彼が今度は二の腕をつまんできた。
「二の腕の感触は、胸と似てるらしい」
「へぇ……」
私の言葉で、彼が強く揉みだす。
会話が途切れ、微妙な空気が流れる。
しまった。余計なことを言ったと思った。
彼が何度も揉みながら呟く。
「柔らかい」
まるで、胸がそう言われてる気分になった。
「もうやめてよ!」
私は彼の手を払いのけ、彼に背中を向けた。
「そう怒るなよ」
彼が片腕を私の肩に回してきた。
「俺のこと嫌い?」
「うん」
私はこいつのことが嫌いだ。
だって、こいつといるといつも心臓がうるさくなるから。
自分の心臓まで嫌いになりそう。
:12/06/18 22:52
:Android
:70OKByZ.
#168 [ぎぶそん]
「俺もかなめのことが好きじゃない。いつもつんつんしてるし、おっかない」
「だったら何でくっついてくるのよ」
「好きじゃないけど、なぜかくっつきたくなる」
あほか。私は彼のことを無視した。
「身体ちょっと上げて。両腕で抱きしめたい」
私は無視し続けた。
「聞いてるの?身体上げて」
私は取り合わない。
「お願いだってば」
彼が私の肩を揺する。
「もううるさいわね!分かったわよ……」
私は彼に言われるがまま身体を起こした。
彼が私の身体を包み込むように両腕で抱きしめ、そして私の脚に自分の脚を絡める。
「……いつ俺とするの?」
「何が?」
「こないだ自分で言ってたじゃん。いつか俺と“そういうこと”するって」
「その話はやめて」
「避妊はちゃんとしないとね。だって、子供が出来たりでもしたら大変だし」
「そういう言い方しないで」
「ここでするの?ホテルでも行くの?」
「お願い。もうやめて」
私は首を横に振った。
「冗談だって。ちょっとからかってみただけ。おやすみ」
私は少し涙ぐんでいた。
どうしてこいつは、こんなにも私を恥ずかしがらせるのが得意なのだろう。
どうして私は、こんな辱しめを受けてもどきどきするの?
私は色んなものに苛立ちを感じながら、彼の腕を力強く握りしめた。
:12/06/18 23:32
:Android
:70OKByZ.
#169 [ぎぶそん]
「かなめ!何をやってるんだ!」
翌朝、誰かの怒鳴り声で目が覚めた。
声のした方を見ると、私の両親がリビングで立っていた。
――どうしてここにいるの?
状況がうまく飲み込めないまま、私は身体を起こす。
隣で私を抱きしめていた彼も、慌てて飛び起きる。
それは、最悪のシチュエーションだった。
私は、全身の血の気が引いた。
自分の両親に、今1番見られたくない姿を見られてしまった。
父が彼を凝視する。
「君は誰なんだ。みどりが言う“まおりちゃん”というのは、女の子じゃないのか」
みどりさん、ちゃんと言ってくれなかったのか。
少しおっとりしてると思っていたが、あまりにも抜けすぎている。
彼が床にひざまずき、顔を床につけた。
「すみません!昨日酔っ払ってかなめさんの布団に入ったみたいで……。でも、誓ってかなめさんには手を出していません」
何も悪いことはしていないのに、彼が必死で父に謝る。
でも未成年が酒を飲んだという言い訳は、火に油を注ぐだけだと思った。
父は私以上にそういう不正を嫌うから。
:12/06/18 23:48
:Android
:70OKByZ.
#170 [ぎぶそん]
「かなめ!本当なのか?」
「本当だよ。私、何もされてない」
父がテーブルに置いてある彼の煙草とライターを見た。
「君はうちの娘より1つ下だろう?未成年の分際で、煙草を吸うのかね?」
「はい、吸ってます」
彼が頭を下げたまま言う。
「飲酒の上に喫煙まで。全く、どうしようもない子だな」
父の呆れた様子の顔を見て、私は何故だか怒りを覚えた。
「ちょっとお父さん!彼のことを悪く言わないでよ!」
私は父に負けないくらいの怒鳴り声を上げた。
私は人生で初めて父に反抗的な態度を取った。気の弱い母は、父の後ろでおろおろとしだす。
「本当は彼は酒なんて飲んでない。私が……、私が昨日彼と一緒に寝ようって言ったの」
私はとっさに嘘をついて彼を庇った。
話に信憑性を持たせるために、彼の身体に抱きつく。
自分でも、なぜこんなことをしているか分からない。
でも彼がすごく可哀想に思えて、黙って見ていられなかった。
:12/06/19 22:57
:Android
:VnBGkXIc
#171 [ぎぶそん]
「何だと!そんなふしだらな生活をさせるために、大学に通わせてるんじゃないぞ!」
私は父に痛いところをつかれ、身体がびくっとなった。
私は両親に学費を払ってもらい、仕送りまでもらってる。何も言葉が出なかった。
「伊藤くんと言ったね。君は一刻も早く他の部屋を見つけて、この部屋を出ていきなさい。もし今月中に出なかった場合は、君のご家族と話をする!」
「……はい。分かりました」
彼が頷く。
それたけ言うと、両親は出て行った。
彼と2人きりになり、気まずい空気が流れる。
私は肩をすくめている彼をなだめようと、彼の肩に手をかけようとした。
その瞬間、彼が起き上がる。
「ごめんな、最後まで迷惑かけて。明日不動産屋に行って来る」
彼があっけらかんとした表情で私に言った。
私はその平然を装った態度を見て、めらめらと怒りが湧き上がった。
:12/06/19 23:12
:Android
:VnBGkXIc
#172 [ぎぶそん]
「いつかいなくなるんだったら、最初から私の目の前に現れないでよ!」
彼の身体を手のひらで何度も叩く。
「ごめん。好きなだけ殴っていいよ」
彼は一切抵抗することなく、悲しげな目をして私を見ていた。
私は肘で思いきり彼の胸元を突いた。
その拍子で後ろに倒れた彼のお腹に跨がり、両手を彼の首にかけた。
悔しい。何のために、私が自分の父親からあんたを庇ったと思ってるのよ。
あんたは、私のもの。
どこにも行かせやしない。
こいつが私のものにならないなら、いっそのこと……。
「私は、あんたの全部が欲しいのよ」
私は、少し彼の首を絞めた。
「あげるよ」
彼は何も抵抗することなく、澄んだ瞳でこっちを見ていた。
私はすぐに手を離した。
そして、その場で声に出して泣いた。
いつもさんざん辛く当たってるじゃない。
どうして嫌いにならないの?
どうして、こんな私を受け入れてくれるの?
:12/06/19 23:25
:Android
:VnBGkXIc
#173 [ぎぶそん]
「何で泣くの?泣かれると困るよ」
彼が私の頬に手をかける。
少しだけ、そのまま彼に抱きつこうと思った。でもそうすれば彼に自分が弱い人間だと思われてしまう。
私は瞬時にその手を払い、 玄関に向かって走った。
気がつけば、私は泣きながら部屋を飛び出していた。
アパート前の信号で体裁を気にし、泣くのをやめる。
目的があるわけでもなく、大学までの道をまっすぐ歩いた。
商店街の中に入り、広場にあるベンチに腰掛けた。
自分の目の前を、たくさんの人が通る。
ただそれを呆然と見ていた。
そういえば私、あいつが来てから他の異性のことを気にも止めなくなった。
以前は少なからず意識して、“かっこいい”“好みじゃない”と判断していた。
バイト先にも一応男性がいるけど、何とも感じない。
皆、私にとってただの物質になってる。
もし他の人が同居人だったら、今頃どうなってたのだろう?
何であいつだった?
あいつは私にとって、うっとうしくて迷惑な存在だ。
でも私は、あいつと出会って後悔はしていない。
私をこんなにいらいらもどきどきもさせる奴は、他にいない。
あいつは面白い。全てが自分にないものを持ってるから。
:12/06/19 23:44
:Android
:VnBGkXIc
#174 [ぎぶそん]
1時間ほどしてベンチに座ってるのが退屈になり、商店街の中を散策した。
買う気もないのに、適当に薬局や雑貨屋に入ったりした。
日が暮れて、大学まで歩いてみた。
夕暮れに染まる大学のキャンパスを、1人ふらふらとさ迷う。
途中で、軽音楽部がいつも使うあの大理石のテーブルとイスが目に入った。
そのイスに座り、顔をうつ伏せた。
あいつ、いつもここで皆とどんな話をしているのだろう?
私のことも話題に出てくるのかな?
そう思うのは、少し自意識過剰すぎるか。
あいつは、私がいなくてもやっていける。
いなくなって駄々をこねるのは、本当は私だけ。
自分で出した結論に虚しくなり、そこで考えるのをやめた。
「見っけ」
しばらくそのままでいると、近くで聞き慣れた声がした。
顔を起こすと、真織が目の前に立っていた。
「どうしてここが分かったの?」
「商店街のベンチにいた時から、ずっと後ろをつけてたよ」
全く気がつかなかった。
どうしてすぐに声をかけなかったのだろうか。
そう思っていると、彼が私に手を差し伸べてきた。
「帰ろう」
私は迷わずその手を取った。
:12/06/21 00:08
:Android
:/k1Vm..Y
#175 [ぎぶそん]
2人で手を繋いで、誰もいない校内を歩く。
夕日で伸びた2つの影は、とても仲睦まじく見えた。
今この瞬間はこんなにも彼と近くにいるのに、近い未来これが懐かしい思い出と変わってしまうのだろうか。
私は胸が一気に苦しくなった。
「……出て行かないでよ」
私はぼそぼそとした声で喋り、話を続けた。
「明日、2人で私の実家に行こう。お父さんを説得して許してもらおうよ」
「なんでそんなに俺との生活にこだわるの?」
「あんたの作る料理がおいしいから」
本当は、彼は野菜炒めばかり作るので飽き飽きしている。
「そんな理由だけ?」
彼が立ち止まった。
びっくりして見上げると、いつになく真剣な顔をしていた。
その顔を見て、私は正直な気持ちを伝えようと決心した。
「あんたの歌ってるところがもっと見たい。あんたのバイクにもっと乗りたい。……あんたともっと一緒にいたい」
私はいつになく気持ちが高ぶっていた。
彼が大きな目を丸くした後、声に出して笑いはじめた。
そしてずっと握っていた私の手を引っ張って、私の身体を自分の元に引き寄せた。
「俺もだよ。かなめとずっと一緒にいたい」
そう言う彼の声はいつになく優しく聞こえた。
:12/06/21 00:31
:Android
:/k1Vm..Y
#176 [ぎぶそん]
彼が繋いでいた手を離し、私をきつく抱きしめてきた。
私も自分の両腕を、彼の身体に回した。
彼のシャツから少し煙草の臭いがしたけど、今はその匂いさえもいとおしく感じた。
「あんたは私がいないと嫌?」
「かなり嫌。いや、死ぬほど嫌だね」
私はあまりの嬉しさでつい、涙が込み上がりそうになった。
自分と誰かが全く同じ気持ちでいることが、こんなにも幸せなんだとは思いもしなかった。
「かなめの実家ってどこ?」
「山梨だよ」
「近いな。じゃあ明日、一緒に行こうか」
彼の言葉に、私は彼の胸の中で何度も頷いた。
お互い身体を離し、再び手を繋いで公園を歩いた。
大学の校門を出る前、彼が口ずさむ。
「『年上であっても わがままだとしても
心で燃え立つ熱情を あなたとくべていきたい
愛想がなくても 冷たくされても
ほんの一瞬 見せてくれた笑顔が愛しい』」
「それミドリムシの歌?そんな歌あったっけ?」
「いや違うよ。昔そんな歌あったなって。何か、今の俺の……何でもない」
彼が顔に表情を失わせて俯いた。
その態度を不審に思ったが、私は気にしないことにした。
それからずっと、私たちは手を繋いだままアパートまで戻った。
:12/06/21 01:02
:Android
:/k1Vm..Y
#177 [ぎぶそん]
夜。お風呂から出ると、彼が薄暗い部屋の中布団の上で煙草を吸っていた。
「おいで」
灰皿で煙草の火を消し、私を胸元に呼び寄せる。
私は迷わずその場所に向かうと、ふわりと抱きしめられた。
いつもよりもっと優しい感じがした。
彼は私の身体をゆっくり倒し、私の身体に覆い被さった。
私の顔を触りだし、やがて唇を触り始める。
「キスしてもいい?」
彼に真面目な顔で言われた。
私は薄暗い中彼の唇を見た。色気を感じて、どきどきする。
私はその唇をふいに指先でなぞった。
「……いいよ。でも、1回だけだからね」
彼は私の髪を耳にかけ、両手で私の顔を見た。
彼の顔が近づく。
私は目を閉じた。
彼が私の唇に、自分の唇を押し付ける。
言葉ではうまく言い表せない、不思議な感触がする。
向こうも私と同じ感触がしているのかな?
私は彼の首にしっかりと自分の両腕を絡めた。
私にとって彼はキスを1番やりたくない相手から、1番やってもいい存在に変わっていた。
:12/06/21 20:03
:Android
:/k1Vm..Y
#178 [ぎぶそん]
そのキスは息が出来なくなるまで続いた。
彼が唇をゆっくりと離す。
「これで3回目だね。俺にとっては2回目だけど」
彼の顔が少しにやつく。
上で私を覆う彼を見て、私の心臓の鼓動が早くなる。
私はこれ以上先があることを期待してしまった。
そして、本能で彼を求めてしまいそうになった。
明日は真面目な話で両親に会わなきゃいけないのに、何を考えているのだろう。
私は自己嫌悪した。
「もう寝なきゃ」
私は彼に顔を背けた。
「そうだな」
彼が私の隣に横になり、私の手を取る。
私たちはお互いの手を絡め、見つめあった。
「もし明日駄目だったら、新しい俺の部屋に泊まりに来いよ」
「うん」
「毎日でもいいよ」
「うん」
そこでお互いに会話が途切れた。
空気が重い。お互い明日が不安で仕方がない。
「おやすみ」
彼が手を繋いだまま仰向けになる。
しばらくして、彼は寝息を立てて眠っていた。
彼はいつも先に寝る。
私が彼が隣にいると、なぜか寝つきが悪くなる。
私は目を閉じ、彼のことを考えた。
私は自分でも彼のことをどう思っているのか分からなくなった。
でも彼にいなくなってもらうと、確実に困る。
:12/06/21 20:23
:Android
:/k1Vm..Y
#179 [ぎぶそん]
次の日の朝。2人で身仕度を済ませ、バイクで駅まで走った。
駅に入ると彼は販売店で、私の両親に渡す菓子を買っていた。
意外と細かいところに気がつく子なんだと思った。
自動券売機で切符を買い、改札口を抜けて山梨行きの電車に乗る。
電車の中で、会話はほとんどなかった。
父を説得できなかったらどうしよう。そのことばかりが頭をよぎった。
自分の家に帰るのが、こんなに憂鬱に感じるなんて。
うたた寝をしていると彼に起こされ、電車が目的地に到着した。
駅前にあるバスに乗って、家の近くまで向かった。
バスの中で、彼は隣で目新しそうに窓の景色を見ていた。
20分ほどでバスを降り、何もない一本道を少し歩いた。
住宅地に入り、木造で出来た一軒家の前に立った。
呼び鈴を押すと、母が出た。
「お母さん?かなめだけど」
「かなめ!?どうしたの?」
「お父さんに話があるの。真織もいるから」
少し経って、母がドアを開ける。
「2人とも、昨日は突然訪ねたりしてごめんね。真織くん、主人が嫌な思いをさせてごめんなさいね」
母が悪そうに何度も頭を下げる。その姿を見て、母は私たちの味方に思えた。
:12/06/21 22:20
:Android
:/k1Vm..Y
#180 [ぎぶそん]
中に入ると木の優しい匂いが広がり、半年前正月で帰ったのになつかしい感じがした。
「お父さん、客間にいるから」
母が1人で居間に入る。私は彼と居間へと続く長い廊下を歩く。木で出来た床が歩く度きしむ。
客間の障子を開けると、父が腕を組んで厳格な様子で座っていた。
私と真織は父に対面して座った。
真織が菓子を差し出した後、頭を下げる。
「昨日はお見苦しいところを見せてすみませんでした。お父さんには出て行けと言われましたが、それはやっぱり出来ません。どうか許して下さい」
私も彼に続いて頭を下げる。
父はしばらくの沈黙の後、口を開いた。
「君はどうしてあの部屋にこだわるのかね?」
「今の生活が充実してるんです。だからどうしても失いたくないんです」
「お父さん、私も彼が来てから変わったんだよ。あの部屋見たよね?すごく片付いてたでしょ。ご飯も自分で作って食べてるんだよ」
私はもう真織にだらしない性格がばれようがどうでもよかった。
無我夢中で父を説得しようとした。
「正直に言いなさい。2人は、お互い恋愛感情があるのか?」
父の質問に、言葉を失った。
真織が最初に答える。
「……すみません、それは分かりません。でも、かなめさんは僕にとって大切な存在です。お父さんの代わりに、僕がかなめさんを守りたいと思ってます」
たかが同居人の身分でそこまでする義理はないだろうと思いつつ、私はくすぐったい気持ちになった。
「お父さん、私も彼と同じ。彼のことが大切なの」
私は彼に話を合わせた。
:12/06/21 22:43
:Android
:/k1Vm..Y
#181 [ぎぶそん]
「2人とも、顔を上げなさい」
顔を上げ、父の顔を見る。
いつもの仏頂面だけど、やや穏やかに見えた。
「……うん。まさかわざわざ説得しに来るとは思わなかった。もう何も言わない。好きにしなさい」
父の言葉に、私と真織は手を取り合って喜んだ。
「ただし、性交渉だけは絶対にするなよ!」
父が怒鳴る。
私は“性交渉”という卑猥な響きにどきまぎとした。
「約束します。絶対そういうことにならないようにします」
真織が断言するが、私たちは実際はそれをする約束までし、昨日はわずかながら私は彼と“したい”という気持ちまでも芽生えてしまった。
結構すれすれの状況下にいるのだなと思った。
「それからお父さん、煙草のことなんですが……」
「君はよそ様の子だ。よそ様の教育方針に、私がとやかく言う権利はない。吸いたきゃ勝手に吸いなさい」
「ありがとうございます!」
真織が笑いながら言う。
父も少し顔が緩んでいた。
:12/06/21 22:58
:Android
:/k1Vm..Y
#182 [我輩は匿名である]
毎日楽しみにみてます。頑張ってください。
:12/06/22 23:36
:SH02A
:Mw4MfKWc
#183 [ぎぶそん]
【※180 正しくは“客間へと続く”です】
【182 匿名さん ありがとうございます。出来るだけ毎日更新します】
話も大体終わると、タイミングよく隣の襖が開いた。
「かなめと真織くん、こっちにいらっしゃい」
母が笑顔で私たちを居間へと呼ぶ。
2人で居間に座ると、母は私たちにお茶と茶菓子を出してきた。
「お母さんはね、かなめの好きにさせたら?って言ったのよ」
母が目尻に皺を寄せて笑う。
「かなめ、昔から全くモテなくて心配だったし、お母さんはすごく嬉しいの。真織くんみたいな素敵な男の子といるなんて」
母の話は止まらない。
「どう、真織くん?将来、うちの娘をもらってくれてもいいのよ?」
「ちょっとお母さん!そんなんじゃないから!」
私は慌てて間に入った。
「うーん。まあ、考えておきます」
彼は苦いようなまんざらでもないような顔をしていた。
母との談笑を終え、玄関で父と母が私たちを見送る。
「伊藤くん。娘のことを頼んだぞ」
父が彼に微笑む。
私たちは笑顔で家を後にした。
実家まで来て言うのもなんだが、まさかあのぶっきらぼうな父を説得できるとは思わなかった。
それどころか、父は真織に笑顔を見せた。
真織、あんたは不思議な存在だね。
:12/06/23 00:08
:Android
:n/f22vq6
#184 [ぎぶそん]
住宅地を抜け、ゆっくりとバス停まで歩く。
「せっかくだから、この辺色々見ていきたいな」
そう彼に言われ、道を引き返してこの近辺にある私が通っていた小学校や中学校を回ってみた。
何の変哲もない公舎なのに、彼はとても楽しそうに見ていた。
私はそこで彼に自分の昔話をした。
中学も高校も友達はほとんどいなく、部活も何もしてなかったこと。勉強だけが生き甲斐の、退屈な日々だった。
最後に、中学校の近くにある駄菓子屋に入った。
子供の頃、学校の帰りによくここでお菓子を買っていた。
懐かしくなったので、彼と一緒にお菓子を買うことにした。
しばらくぶりに見た、愛想のない店のお婆ちゃんとレジで顔を合わす。
「あれ?彼氏かえ?」
お婆ちゃんは私のことを覚えてるらしい。
適当に「そうだよ」と返しておいた。
バス停まで戻って、ベンチに座り駅に向かうバスを待つ。
この辺はなかなかの田舎でバスは1時間に1本しか来ず、休日はもっと少ない。
彼とお菓子を食べながら話す。
「俺、またいつかここに来るかも」
「何で?」
「結婚の挨拶に」
「馬鹿じゃないの!」
私は彼の肩を叩いた。
「冗談だって」
私はその場で結婚というものについて考えた。
一生独身でいるくらいなら、こいつを人生の伴侶としてやってもいい。
でももし他に相手がいるなら、絶対にその人と結婚する。
こいつと結婚するということは、そのくらい最低限のレベルに達した時だ。
:12/06/23 00:29
:Android
:n/f22vq6
#185 [ぎぶそん]
夜。無事にアパートに帰宅すると、玄関でさっそく彼が話しかけてきた。
抱きつくというより、巻きつかれてる。
彼の両腕が私の胴体に絡む。
「またお父さんたちが来たらどうするの?」
私は戸惑った。
「たぶん、もう来ないよ」
彼が腕をきつく締める。
彼の手は少し私の胸に当たっていた。
「良かった、お父さんに認められて」
「そうだね」
「今日一緒に寝よ」
「明日学校があるじゃん」
「別にいいじゃん。俺がどっか行ってもいいの?」
「分かったわよ……」
私たちの関係って何だろう?
家族でもないし、恋人でもない。
友達も違う。
こんなに一緒にいるのに、赤の他人というのはあまりにも寂しすぎる。
自然と引き合う、磁石のようなものかな。
私は彼から、当分離れられそうになかった。
:12/06/23 00:56
:Android
:n/f22vq6
#186 [ぎぶそん]
その後、私たちはまた何事もなかったかのように生活した。
6月下旬。夜、テレビで男子サッカー日本代表の試合が行われていた。
他に観る番組もないので、選手のプレーを眺める。
「俺、中学の時サッカー部だったよ。3日だけだけど」
「それ、入ったうちにならない」
「家に帰って『ステレオマン』が観たくて辞めた。真面目にやってれば今頃代表入りしてたかも」
「無理無理。ところで、“オフサイド”って何よ」
「ああ、オフサイドって言うのはね……」
彼に詳しい説明を受けたが、分かるような分からないようなだった。
元サッカー部だったという新事実を知り、私は彼の素性が気になりだした。
血液型を聞くと、お互いA型だということが判明した。
「輸血できるね」と彼は言った。
テーブルに彼の財布が置いてあったので、運転免許証を見せてもらった。
証明写真の彼の髪型は今と違ってまっすぐで、襟髪の毛先が少し外側にはねていた。
清潔感があって、とても爽やかな印象を受けた。
免許証には誕生日が“8月27日”と記されていた。
「後2ヵ月後じゃん」
「祝ってよ」
「気が向いたらね」
「そっちの誕生日はいつ?」
「教えない」
:12/06/24 00:37
:Android
:3lW2THM2
#187 [あすか]
すっごい面白いです!
もう読むたびキュンキュンしてます(#^.^#)
続きも楽しみにしてます!\(^o^)/
:12/06/24 09:17
:iPhone
:cC.lDC8k
#188 [ぎぶそん]
【187 あすかさん ありがとうございます。とても嬉しいです】
そして彼の中学・高校時代の話を聞いた。
ギターを始めたのは中学2年の時。
1ヵ月ほどで弾けるようになったらしい。
高校は公立の進学校で、結構真面目に頑張ってたとか。
中学まではクラスの男子で1番身長が低かったけど、高校になって一気に伸びた。
男友達は多いけど、女友達は1人もいない。
「あのアコギは30万したよ」
彼がギターケースを指差す。
「高い!バイトでもして買ったの?」
「いや、高2の時親父に買ってもらった。ちなみにバイクも去年買ってもらった」
「バイクはいくらしたの?」
「軽く100万はしたんじゃないかな。『ハーレー買ってやろうか?』って言われたけど、そこは将来自分の稼いだ金で買いたいよな」
何でもない様子でいう彼に、私は思わず腰が抜けた。
中高生にしてその金銭は、異常に思えた。
そんな裕福なら、こんなちんけなアパートにいないでマンションでも借りて暮らせよ。
そうか。だからこいつ、こんな甘えたがりな性格なんだ。
まあ、私も仕送りで生活してるから人のこと言えないけど。
彼の両親は彼にとても甘いらしい。
お父さんは外交官で、海外に行くことがよくある。
お母さんは元客室乗務員。今は専業主婦。
ぞんざいに扱っていた彼が、一気にすごい人間に思えた。
:12/06/24 18:13
:Android
:3lW2THM2
#189 [ぎぶそん]
彼への関心は止まらない。
「あんた、何で“真織”っていうの?」
「知らん。お袋の名前が“チオリ”っていうから、似た名前にしたんじゃないの」
「チオリ?どう書くの?」
「『チ』が『千(せん)』で、『オリ』は俺と一緒」
「千織さんかあ。美人そうな名前」
「いやいや。クソババアだよ」
「弟の“ミオリ”くんはどう書くの?」
「果実の『実』に、『オリ』は俺と一緒」
「実織くん。真織と実織。2人あわせて……“真実”」
「そうそれ。超寒いでしょ」
彼が嫌そうに腕をさする。
「そんなことないよ、すごくいい名前じ
ゃん。珍しいから、すぐに人から覚えてもらえる」
「そう?名前だけだと女に間違われたり、『女の子みたい』っていちいち言われるのがうっとうしい」
「もしあんたが一般的な男の子の名前だったら、私絶対にここ来るの拒否してた」
「そうなの?じゃあこの名前でよかった」
彼が急に黙りこくり、じっと私を見つめる。
「今だからいうけど実は俺、もともとアパート探す気なかったんだよね。最初から誰かを当てにするつもりだった」
「どうして?」
私は驚く。
「1度だけ誰かと一緒に住んでみたかった。ルームシェアって奴?でも寮は嫌。門限があるから。親父顔広いし、探せばこっちで住んでる人いるだろうなって。それがかなめだったわけ」
私は彼の話が全く理解できなかった。
1人で困惑していると、彼が私の肩を抱いた。
「出会えてよかったね。俺にとっては再会になるけど」
彼の目つきがいやらしく感じる。
「あっそ」
私はそっぽを向いた。
:12/06/24 18:38
:Android
:3lW2THM2
#190 [ぎぶそん]
【※188 正しくは“その金銭感覚は”です】
彼が両腕でしがみつき、耳元でささやく。
「最初の夜『すぐに出て行く』って言ったでしょ?あれも嘘。本当はすぐに気に入ったから、ずっと居座る気でいた」
「あっそ」
「でも本当に誰の家でもよかったわけじゃないから」
「あんたがどう思おうが興味ない」
「あ、後あの日布団を買い忘れたのはわざとじゃないよ。女と寝るっていうのに、全然緊張しなかったな。かなめ色気ないからね」
彼の落胆の声にいらっとしたので無視した。
「でも『女として見てない』っていうのは最初はそうだったけど、今はちょっとなら……」
「うるさい!私はサッカー観るのに集中したいの!あっち行ってよ!」
私は勢いよく彼の腕を振り払い、ほとんど観てなかったテレビに目をやった。
試合は既に日本が1点選手してた。
「あんたのせいでゴールの瞬間見逃したじゃん!」
私は色んなことにむしゃくしゃして彼を蹴り倒す。
こいつを黙らせるのにはこれが1番だ。
何度も何度も彼を蹴った。
今日でこいつの色んなことを知った。
でもこいつの気持ちをすべて理解するのはほぼ不可能だと思う。
こいつの心は空に浮かぶ雲のように掴めないから。
届きそうで届かない、そんな人間。
だけど私はそんなこいつの心を掴んでみたい。
そして見事手玉に取り、思いのままに操りたい。
今は自分のほうが弄ばれてる気がして、腹立たしくて仕方がない。
今にぎゃふんと言わせてやる。
:12/06/24 21:02
:Android
:3lW2THM2
#191 [ぎぶそん]
梅雨の時期が続き、この日も1日中雨だった。
夜部屋で洗濯物を干していると、彼に話しかけられた。
「明日の夜椎橋ん家にサークルの皆で遊ぶんだけど、かなめも来いよ」
「私はいいよ」
「もしかしたら皆で泊まるかも知れないから。1人にしておくの心配」
「1日くらいどうってことないって」
「いや心配。ついてきて」
私は彼のしつこさにため息をつき、首を縦に振って了承した。
しかしすぐにある不安がよぎる。
「1年生って、里香ちゃんは来るの?」
「あの子は来ないよ。女子は大友さんだけ。大友さんっていうのは、里香ちゃんと一緒の1年の子ね」
私はひとまずほっとした。
それなら別に行ってもいい。
彼が物干し具に干してある私のベージュ色のブラジャーを掴んだ。
「何でいつもこんなださい下着着けてんの?」
「触らないでよ!」
私は彼の身体を突いた。
「俺とする時は、もっと色気のある下着を着けてよ。興奮しないから。さてと、風呂入ろうかな」
彼が立ち去る。
私は彼の言葉に虫酸が走った。
あいつの正体、皆にばらしてやる。
私は明日が楽しみになってきた。
:12/06/25 22:40
:Android
:RwCUvrVY
#192 [ぎぶそん]
次の日。学校から帰って、彼と一緒に椎橋くんの住む家に向かうためアパートを出た。
椎橋くんは隣町の駅の周辺に住んでるらしい。
今日も昨日と同じ雨だったので、電車を利用して隣町まで行った。
電車を降りた後彼についていくかたちで駅の裏を歩き、その近くにあるアパートの3階まで上がった。
そして彼は迷わずドアが開けっ放しの部屋に入った。
その部屋の前は大量の傘と靴が乱雑してあった。
「足立さんも連れてきた」
彼が私を皆に紹介した。
長田くんや小柴くんといった顔馴染みの子もいた。
椎橋くんの部屋は男の子らしい、青を基調としたワンルームだった。
リビングは大勢の人数でひしめきあっていた。
私と彼も人の間を縫ってベランダの窓にもたれる。
長田くんが料理上手ということで、皆に料理を振る舞ってくれた。
シーザーサラダ、かぼちゃのポタージュ、自家製酵母のパン、鮭のマリネ、スペアリブ、オレンジのシャーベット。
どこかのレストランのフルコースみたいだった。
あまりの美味しさに感嘆した。
隣にあぐらをかいて座ってる彼も、黙々と食べる。
真織もこれくらい料理が上手かったら、少しは惚れてたかも知れない。
こいつが作るのは野菜炒めかたまに焼きそばくらいだから。
まあ、私も人のこと言えた口じゃないけど。
私もこれくらい料理が出来たら、少しはこいつも口うるさくなくなるかな。
:12/06/25 23:13
:Android
:RwCUvrVY
#193 [ぎぶそん]
料理を食べた後、皆でお喋りをして盛り上がった。
軽音楽部の話が主なので、私も話に大体ついていけた。
皆の話によると同じサークル同士のカップルは何組かいて、美人の三鷹さんは同い年の熊井さんという男性と付き合っているらしい。
「市倉さんって絶対伊藤のことが好きだよな」
椎橋くんがにやける。
「市倉さんって誰?」
私は疑問を投げかけた。
「里香ちゃんのことだよ。市倉里香」
私の隣にいる真織が、煙草を吸いながら答える。
あの子、そんな名前だったんだ。
椎橋くんと真織が会話を続ける。
「かわいいよな。彼女にすればいいのに」
「俺はあの子はタイプじゃないな」
「じゃあどんな人がいいんだよ?」
「俺は冷たいような優しいような、わけの分からない人がいいかな」
何だそれ。周りも反応に困っていた。
待てよ。それってもしかして私?
でも彼には冷たくはしているが、優しくしたことは1度もない。
気のせいか。
椎橋くんがまた喋り出す。
「伊藤って何で彼女いないのか不思議だよな」
「皆知ってる?真織は、今まで女の子と付き合ったことないんだよ」
私は間に入った。
今日このセリフをいつ言おうかとずっと企んでいた。
これでこいつも少しは恥をかくだろう。
「知ってますよ。意外ですよね」
椎橋くんが答える。周りも皆頷いていた。
何だ、周知の事実か。私は拍子抜けした。
「伊藤、いっそのこと足立さんと付き合っちゃえよ」
小山内くんという眼鏡をかけた男の子が間に入った。
「俺らはないない、な?」
真織が私に向かって言う。
でもその言葉とは相違して、彼は私の腰に手を回してきた。
皆の前で怒るわけにもいかず、私も皆に向かって笑顔で頷いた。
こいつは何がしたいのか分からない。
:12/06/25 23:40
:Android
:RwCUvrVY
#194 [ぎぶそん]
談笑を終えると、真織や椎橋くんはテレビゲームをやり始めた。
何やらひたすら対戦をしていて、眺めても何が面白いのかさっぱり分からない。
視線を他にやると、長田くんと大友さんという女子は部屋の隅で楽しそうに話していた。
私はベッドの上で漫画を読んでる小柴くんに話しかけてみた。
小柴くんは話しかけやすい。
私は彼と一緒に漫画を読んだ。
内容は家族もののギャグ漫画で、これも面白さがよく分からなかった。
「足立さんもやってみない?」
真織にコントローラーを差し出された。
他にしたいこともないので、彼の隣に座った。
彼にゲームの大まかな説明を受ける。
何度攻撃を受けても構わず、とにかく最後まで天空の舞台の上にいた者が勝ちとなるようだ。
キャラクター選択の時、私は適当にたけのこみたいなキャラクターを選んだ。
バトルが開始すると、オランウータンみたいなキャラクターを選んだ彼が容赦なく私を攻撃してくる。
反撃の余地もなく、私はあっという間に舞台から落下した。
「足立さん弱すぎ」
彼がげらげらと笑う。
負けず嫌いではないけど、こいつに小癪なまねをされるのは腹立たしい。
私の闘志が燃えた。
しかしその後何度やっても彼には勝てなかった。
「部屋にゲーム機ないのに、何でそんなに強いの?」
「このゲーム実家にあるよ。高校の時よくやってたし。夏休み実家に帰ったら、こっちに持ってくるわ」
ゲームは意外と面白かったので、私は彼の言葉にわくわくした。
私は彼のおかげでまた1つ、楽しみなことが増えた。
:12/06/26 00:12
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:4jnYdbck
#195 [ぎぶそん]
深夜。電気を消して、皆で床やベッドに雑魚寝した。
私も床で寝ていると、隣にいる真織に身体を揺さぶられて起こされた。
目を開けると、彼が私たちの全身を包むようにブランケットを被せた。
その直後、彼がいきなり私にキスをしてきた。
私は怒ろうとした。
でも声を出せば、皆に気づかれてしまう。
私たちの関係を、一気に怪しまれてしまう。
私は黙って見過ごすしかなかった。
こいつ、それを分かってやってるな。
彼がまた角度を変えてキスをする。
さっきより強い力で唇を押し付けてきた。
唇を一旦離すと、私の下唇を上下の唇で挟んだ。
その滑らかな感触に、全身がぞくっと痺れた。
(今のもう1回やって)
私は周りに聞こえないよう小声で彼に話した。
彼がまた私の下唇を挟む。
(それ、すごくいい)
私はうっとりとした。
(あんたもやってあげる)
私は彼の下唇をつまむように挟んだ。
(いいね。クセになりそう)
彼が小さく笑う。
私たちはブランケットの中で何度もキスをした。
(おやすみ)
しばらくすると彼がブランケットをめくり、私に背を向ける。
部屋中から色んな寝息がいびきが聞こえ、まるで夢から現実に戻ったみたいだった。
私も何事もなかったかのようにまた目を閉じた。
:12/06/26 23:38
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:4jnYdbck
#196 [ぎぶそん]
翌朝。目を覚ますと、小山内くんが1人でテレビのニュース番組を観ていた。
その後1人、また1人と起きた。
誰も昨日の私たちの行動には気づいてはなかった。
真織もいつもと変わらない様子で周りと接する。
もしかして、昨日のは夢だったのかな?
私は忘れることにした。
「足立さん帰ろう」
すぐに彼が立ち上がる。
私と彼はそこで皆に別れを告げ、椎橋くんの部屋を出た。
外の雨は上がっていて、彼が私の分の傘も持ってくれた。
また駅に戻り、電車に乗る。
電車の中でぼーっとしていると、彼が手を握ってきた。
「昨日のはなかなかスリルがあってよかったね」
彼の得意顔に、私は寒気がした。
悪夢でもいいから、夢であってほしかった。
私は自分からこいつにキスしてしまったことを悔やんだ。
今の自分は品行方正に欠ける、ふしだらな女なのだろうか。
電車がトンネルに入り、反対側の窓にくっきりと映る自分の姿を見た。
髪は染めておらず、耳に穴も開けていない。
服装はジャケットスタイルを好んで、何も知らない人は私のことを比較的真面目な人間だと思うだろう。
こいつは何故こんなつまらなさそうな女に、キスをするのだろうか。
遊び半分?腹が立つが、本気で好かれるよりはまだいい。
彼と出会って、理屈じゃ考えられないこともたくさんあるんだなと知った。
:12/06/27 00:22
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:bkZPdSUA
#197 [ぎぶそん]
数日後、7月に入った。
7月2日。昼休み、学食で佐奈と喋りながら定食を食べる。
「もうすぐ大学の近くの神社で夏祭りあるね。佐奈、なんと鈴木くんと行くことになったんだ。かなめも真織くんを誘ってみたら?」
「何であいつと」
彼が私の部屋に来てから、もはやセットで扱われるのが当たり前になった。
以前はその度に怒ってたけど、今となっては慣れた。
「2人、結構お似合いだよ。だって、雰囲気がすごく似てるし」
佐奈の言葉がどういうことなのかは分からないけど、私と彼は気が合う方なのかも知れない。
共同生活も今のところ、大きな波風を立つことなく順調にいっている。
あいつと一緒に夏祭りか。悪くはないな。
その日の夜。私はベッドの上でバイク雑誌を読んでる彼に、夏祭りの話を持ちかけてみた。
「今度夏祭りがあるんだって。でも佐奈は鈴木くんと行くらしいし、他に友達いないしどうしようかな」
「夏祭り?一昨日、里香ちゃんに誘われたな」
彼が雑誌を読むのを辞める。
「じゃあ里香ちゃんと行くの?」
「断ったよ。人ごみ嫌いだし。で、用は何?」
「佐奈があんたと夏祭りに行けって……でも、人ごみが嫌ならいいよ」
私は友人を出しにした。
「別にいいよ。行こう」
彼があっけらかんとした表情で即答する。
里香ちゃんの誘いは断って、私の誘いは断らないの?
里香ちゃんには申し訳ないけど、少し嬉しかった。
:12/06/27 00:49
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:bkZPdSUA
#198 [ぎぶそん]
お風呂に入る前、洗面台の鏡で自分の顔をまじまじと見てみた。
春休みが始まった頃は顔くらいの長さだったのに、髪の毛が肩につくまでに伸びていた。
明日美容院に行こう。瞬時に思った。
次の日の放課後。昼休みに電話で予約を入れておいた、商店街の中にある美容院に行った。
その美容院は小規模な店内で、スタッフは男性しかいない。
こっちに来てからたまたま最初に入った美容院がここで、値段の安さと過剰でないサービスが気に入って、それ以来ずっとこの美容院に通っている。
「今日はどんな髪型にする?」
待合室のソファーで座っていると、担当の深町さんがやってきた。
私はテーブルの上にあったヘアカタログをめくった。
魅力的に思える髪型を探し、気に入ったものを1つ指差した。
「“前下がりボブ”だね。結構短くなるけどいい?」
深町さんの言葉に私は頷いた。
深町さんは現在24歳の既婚者で、とても柔らかい物腰なのでとても話しやすかった。
高校の時に好きだった先輩に少し似てるからか、彼と対面する時はいつも緊張する。
私は彼に髪を切られながら、ありのままの近況を伝えた。
「実は今、1つ年下の男の子とルームシェアをしてるんですよ」
「へえ、どんな子なの?」
「友達はよく『かっこいい』って言ってます。でも私はそうは思わないかも……。いや、少しなら思うかな……」
「何だそれ。足立さん、相変わらず面白いね」
深町さんが笑う。
「今度そいつと夏祭りに行くことになりました。もう嫌になっちゃう……」
「じゃあ彼とのデートのためにもばっちり可愛くしてあげるね」
「デート!?いや、そんなつもりじゃないですよ……」
私は“デート”という単語に恥ずかしさを感じ、黙り込んだ。
:12/06/27 23:16
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:bkZPdSUA
#199 [ぎぶそん]
30分も経たないうちに、希望どおりの髪型になった。
鏡で全体を見通すと、後ろになる度髪の毛が短くなってた。
美容院を出て、色んな店のウインドウで何度も新しい髪型を確認しながら帰った。
どうして美容院からの帰りは、こんなにもうきうきとした気分になるんだろう。
アパートに戻ると、彼がベッドの上で本を読んでいた。
「ねえねえ、どうかな?」
私は笑顔で髪を触った。
「何が?」
彼はきょとんとした顔で私を見る。
「髪切ったんだけど……」
「そうなの?全然分からないよ」
そんな……最低でも10センチは切ったのに。
こいつがモテない理由、なんとなく分かった。
こいつは異性に頓着がないんだ。
私はむっとしながら、彼の隣に寝転んだ。
彼はおかまいなしに本を読み続ける。
本を閉じた彼に髪を触られた。
「あれ?何か髪の量が少なくなってる」
「だから髪切ったって言ったじゃん」
「何かいい匂いがする」
彼が私の髪を数束取り、嗅いだ。
「ワックスつけてもらったの。美容院のシャンプーとかワックスって、なんであんなにいい匂いがするんだろうね」
私も自分の髪を匂った。
「俺もそろそろ髪切ろうかな」
彼がうねりのある自分の髪を触る。
「いっそのことストレートに戻したら?免許証の写真、結構かっこよかったよ」
私は思いついたことを適当に言った。
「本当に?じゃあ戻そうかな」
:12/06/27 23:32
:Android
:bkZPdSUA
#200 [ぎぶそん]
2日後。学校から帰ると、彼の髪型が変わっていた。
髪の毛はまっすぐになり、後ろ髪の毛先が少し外側にはねていた。
大人びた中に、あどけなさを少し感じた。
これなら18歳と言われても、前よりは違和感はないかも。
しかも最悪なことに、彼の新しい髪型は私の結構な好みになっていた。
私の胸の鼓動が一気に高鳴る。
「かなり切られた。後ろがすーすーする」
彼が後ろ首を触る。
「……かっこいいよ」
私は小声でつぶやいた。
「何か言った?」
「何も言ってない」
私は気持ちが全く落ち着かず、勉強をしはじめることにした。
彼を見るとどきどきするので、とても直視できなかった。
髪型1つで気持ちがこうも変わるなんて、自分でも想定外の出来事だった。
夜。彼は私のベッドを半分占領していた。
私は彼に背中を向けていた。
眠れずに寝返りを打つと、彼の顔がちょうど目の前にきた。
悔しいけど、かっこいい。心臓がばくばくと鳴り、ますます眠れなくなった。
彼は少し口を開けて眠っていた。
――キスしてみようかな。
彼の唇を人差し指で軽く触ってみた。
反応がない。起きる気配はない。
私はそのまま自分の顔を彼の顔に近づけた。
彼の唇と私の唇が軽く触れる。
彼に気づかれるのを恐れ、すぐに顔を離した。
私は何でこいつにキスをした?小さな後悔に苛まれる。
私はこいつが好きだからキスしたんじゃない。この髪型の男性が好きでキスしたから。そう自分に言い聞かせた。
この髪型は好きだけど、早く伸びてほしい。
私はまた彼に背を向けた。
:12/06/27 23:53
:Android
:bkZPdSUA
#201 [ぎぶそん]
次の日。夜のコンビニでのバイト中、泉とお喋りをした。
佐奈や同じ大学の子には言えないことも、泉には何でも話せてた。
それは彼女が今10歳年上のサラリーマンと付き合ってるからだろうか。
性格が大人びていて、いつも的確な意見をくれると思った。
彼女に話すのは大抵真織とのことだった。
初対面で同じ布団に寝たこと。2人で私の実家まで父を説得しに行ったこと。これまでの出来事は大体話してた。
「あいつ、今まで女の子と付き合ったことないんだって」
「それいいね。過去に嫉妬しなくて済むじゃん。あたしの彼氏、昔遊んでたらしいから昔話される度焼きもち妬いてるよ」
泉の言う嫉妬とは何だろう。
渋沢先輩が小原朱実と付き合うことになったと知った時の、あの嫌な感じのことかな。
「実は、あいつとはキスしたことが何度かあるんだよね。付き合ってもないのに、私たちって変かな?」
「うーん、男と女が一緒に暮らして何もない方が少ないんじゃない?」
泉に軽蔑されるかと思ったから、その返しには心を救われた。
でも、自分がそういう自然の摂理みたいなものに敵わないでいると思うと悔しかった。
バイトが終わり、彼女と一緒に更衣室で着替える。
「良かったら今からうちの部屋に来ない?あいつも多分もう帰ってると思うから。泉にも1度あいつを見てほしい」
泉は私の誘いを、快く引き受けてくれた。
:12/06/28 23:53
:Android
:8z0lpyIw
#202 [ぎぶそん]
コンビニを出て、泉と目の前にあるアパートまでまっすぐ向かった。
部屋に入ると、真織はリビングのテーブルで勉強をしていた。
「バイト先の子連れてきた。山中泉だよ」
リビングで泉と真織が対面すると、彼が立ち上がって泉に小さく礼をした。
女2人といるのが気まずいのか、彼がすぐベランダに出る。
彼が煙草に火を着けたタイミングで、私は泉に話しかけた。
「どうかな?」
泉が煙草を吸う彼を見る。
「かっこいいし、かわいい。母性本能をくすぐるタイプだね」
彼女のその言葉で、私はこれまでの全てのことに納得した。
“母性本能”、私があいつに引きつけられるのはこれだ。
あいつにキスをするのも、この部屋を出て行って欲しくないのも、そういう本能があるからなんだ。
全部本能のせいにしよう。私はにやりとした。
泉と麦茶を飲みながら少しお喋りをした後、彼女は帰宅した。
彼女がいなくなると、彼はベランダから出てきた。
「どう?泉、なかなかかわいいでしょ?」
「うん、まあ……。ちょっとアンリ隊員に似てるな」
アンリ隊員とは、昭和時代のステレオマンに登場する特殊部隊のメンバーのことである。
黒髪で色白で落ち着いた清楚な美人であり、出番は少ないけど男性からの人気があるらしい。
こいつはいつも人の顔をステレオマンのキャラクターで例える。
それしか脳がないんか。
:12/06/30 02:17
:Android
:.8yKbUOU
#203 [ぎぶそん]
数日後。夏祭りの日になった。
こういうイベントには浴衣が定番だけど、あいにく実家から持って来てないので洋服で済ませる。
でも少し張り切って、去年の夏バーゲンで買った水色のワンピースを着た。
去年の夏休みはこれを着てたくさん外出しようと予定して買ったものだけど、1度も袖を通したことがない。
脱衣室でワンピースを着た後、いつもと変わらずパーカーシャツを着ている真織を見る。
まさかこいつとの外出で着ることになろうとは。
メイクをした後髪のサイドにリボンの髪留めを、首には彼からもらったネックレスを身につけた。
彼はいつもとちょっと違う私の姿を見ても何も言わなかった。
2人でアパートを出て商店街を歩くと、いつもの倍以上の人で賑わっていた。
「はぐれると悪いから、手繋ごう」
彼が私に手を差し出す。
私は仕方なくその手を握った。
商店街の中ではいくつものカップルが手を繋いで歩いていた。
私たちもはたから見たらこの人たちと何ら変わりはないんだろうな。
やっぱり前布団を買った時みたいに、通りすがりに彼の顔を見つめる女性が何人かいた。
こいつと一緒に歩いていても、別に恥ずかしくはないと思った。
:12/07/01 03:05
:Android
:mCGghsKQ
#204 [ぎぶそん]
人の流れに沿って歩いていくと、夏祭りがある神社にたどり着いた。
神社の周りや中はたくさんの屋台が並んでいて、それらを見ているとお腹が空いてきた。
「何か食べたいのがあったら買ってやるよ」
彼にそう言われ、私は気分で焼きとうもろこしを選んだ。
「俺は焼きそばにしようかな」
彼が焼きそば屋の前で立ち止まる。
「ちょっと待って。あんた焼きそばよく自分で作ってるじゃん。どうせなら普段食べないものにしなよ。あんたって、馬鹿だね」
私はその場で大笑いをした。
彼が目を点にして私を見る。
「そうやって時々笑うとかわいいよね」
彼が少しにこっとして言った。
そう言われてみると、私は普段彼の前であまり笑わない。
彼といるといらいらすることが多いし、彼といて楽しんでると思われるのが嫌で極力笑顔は見せたくないから。
でも彼は、もっと笑ってよ、などと言わずに今の私をただ褒めてくれた。
そのことだけは嬉しかった。
:12/07/01 03:23
:Android
:mCGghsKQ
#205 [ぎぶそん]
彼は焼きそば屋の隣の店で、お好み焼きを買った。
そして2人で、近くにあった大きな木を背もたれに座って食べることにした。
私は黙々ととうもろこしを食べる。甘くて美味しかった。
「ちょっと食べさせてよ」
私は食べていたとうもろこしを彼に渡した。彼がそれに豪快に噛みつく。
「うまいけど、歯に詰まるな」
「私もお好み焼きちょうだい」
彼がお好み焼きを1口サイズに割いて割り箸で掴み、私に差し出してきた。
口に入れてもらうと、ちょうど豚肉も具に入っていて幸せを感じた。目を閉じて噛み締める。
「口にソースついてるよ」
彼に言われ、鞄からポケットティッシュを取り出した。
「拭いてあげる」
彼が私からそのティッシュを奪い、1枚取り出すと私の口元をそれで拭った。
こいつに子供扱いをされてる。情けない。
でも真剣な目をして私を見ていた顔には、わずかながらにときめいた。
こいつがもし自分より年上だったら、今の顔で完全に惚れていたかも知れない。
そんなことを思いながら、とうもろこしを余すことなく貪った。
「やばい、里香ちゃんだ」
彼が私の手を取り、慌てて木の陰に隠れる。
遠くで、里香ちゃんが女友達と一緒に楽しそうに歩いていた。
里香ちゃん、ごめんね。
彼との共同生活で、彼女の存在は唯一の気がかりである。
あの子はこれからどこまで真織のために頑張るのだろうか。
そして私はあの子がどう頑張っても、真織が彼女の気持ちに応えられないことを知っている。
複雑な心境だった。
:12/07/01 04:08
:Android
:mCGghsKQ
#206 [ぎぶそん]
お互い食べ終わってから、その辺をうろうろと歩いた。
辺りはすっかり暗くなっていて、橙色の提灯が夜の神社を照らす。
私たちの目の前に、男女2人組がやって来た。
「足立!」
渋沢先輩が声をかけてきた。
隣には、赤い浴衣を着た小原朱実がいた。
2人はしっかりと手を繋いでいた。
「彼氏?」
渋沢先輩が真織を見る。
「あ、はい。前言ってた同居人です」
私は真織の身体にしがみついた。
「結局付き合うことになったんだ。おめでとう」
先輩が極上の笑顔を見せる。
隣の小原も、「おめでとう」と言って笑っていた。
私は2人に何も言わず、無表情で真織に抱きついたままでいた。
「じゃあまた」
2人はすぐに去っていった。
2人の後ろ姿を見ながら、私はすばやく真織から離れた。
「今の男の人、誰?」
「写真部の先輩だよ」
「もしかして前毛利さんが言ってた、かなめが昔好きだった人?確か、シブサワ……」
こいつ、佐奈が言ってたこと覚えてたのか。
気持ち悪いほど記憶力よすぎ。
「好きじゃないよ!あんな人全然タイプじゃない!」
「何であの人に付き合ってるって嘘ついたの?」
「いちいち否定するのが面倒くさいから。もういいじゃん、行こうよ」
私は彼の手を強引に引っ張った。
その後すぐ彼からかき氷を奢ってもらった。
:12/07/02 02:04
:Android
:CS/KugoY
#207 [ぎぶそん]
神社の石段に座り、それぞれ選んだかき氷を食べる。
「ねえあんた、“デート”ってしたことある?」
私は美容師の深町さんが言ってたことが気になっていた。
「ないよ。そっちは?」
「私もない。でも、こういうのを“デート”って言うらしいよ」
「じゃあこれが初デートか」
「あ、でもあんた、この間里香ちゃんと遊んでたじゃん」
「あれは楽器屋一緒に見に行っただけ。仮に“デート”だったとしても、カウントしたくない」
「あ、前あんたの布団一緒に買いに行ったよね?あれは“デート”になるのかな?」
「じゃああれが初デート?よく分からん」
泉が言う嫉妬をしなくて済むというのはよく分からないけど、こいつが私と同様恋愛にうぶでよかったと思う。
何かと上から目線で言われることはないし、彼と同じペースで進むのは楽しい。
かき氷を食べ終えまた歩き回ると、彼が射的屋の前で立ち止まった。
「あれかわいいな」
彼が全長20センチくらいの人形を指差す。
その人形は地球みたいな色をした丸いからだに、手足が生えただけのシンプルなデザインをしていた。
「絶対ゲットしよ」
彼がお店の人にお金を渡す。
結果2千円くらいつぎ込んでその人形を取った。
その人形を彼に渡されると、やや重量感があった。
顔の表情は笑顔で、頬をピンク色に染めていた。
人形の後ろについてあるタグを見た。“ちきゅ丸くん”という名前のようだ。
彼のいうかわいさはよく分からない。
でも、怪獣をかわいいというよりは断然理解できる。
「今日こいつと3人で寝よう」
「『3人』って。ちきゅ丸くんは人間じゃないじゃん」
「じゃあ2人と1匹か。いや1人と2匹か。俺だけじゃん、人間」
「それどういう意味!」
:12/07/02 22:53
:Android
:CS/KugoY
#208 [ぎぶそん]
午後11時過ぎ。彼と人ごみの中歩くのを苦労しながら、無事に帰宅した。
就寝前ベッドの上で、ちきゅ丸くんをお腹に抱えたまま彼とお喋りをしていた。
「渋沢先輩のどこがよかったの?」
「またその話?あの人のことは本当に好きじゃないって。憧れてはいたけど」
「真面目そうな人が好きなの?眼鏡をかけた人が好き?」
彼があまりにもしつこく聞くのでうんざりした。
「それ以上なんかいうとベッドから突き落とすよ!」
私は片足を彼の太ももにあてがった。
「俺、もっと早くこの部屋に来たかったな。かなめと同い年に生まれてれば良かった」
彼がもの悲しい表情を見せる。
もしかして、嫉妬?こいつは私の過去に嫉妬しているの?
何故だろう。何だか胸が締め付けられるような、心苦しい気持ちになった。
どうかこんな顔をしないでほしい。その一心で口を開いた。
「もしあんたが去年からこの部屋にいたら、渋沢先輩のことは絶対何とも思ってなかったよ」
「本当に?」
「あんたが印象が強すぎるからね。……ちょっとこっちに来て」
彼が私の元に近寄る。
私は彼にキスをした。
「こんなことできるのも、あんただけ」
彼はあっけにとられた様子でこっちを見ていた。
すかさず私は彼の手首を持った。
そして、彼の手のひらを自分の胸に押し当てた。
「こんなとこ触っていいのも、あんただけだよ」
自分の胸に、平たい感触が伝わる。
:12/07/02 23:14
:Android
:CS/KugoY
#209 [ぎぶそん]
「ちょっと待って」
彼がすぐに手を離し、そのまま口元を押さえた。
さすがに恥ずかしかったのだろうか。
いつもは生意気な口を聞くくせに、びびってやんの。
私は初めて彼に勝利したと思った。
そう思っていると、へっくしゅん、と彼が大きなくしゃみをした。
え?ひょっとして単にくしゃみがしたかっただけ?
「風邪引いたかも」
彼は間抜けな顔をして何度もくしゃみをしていた。
こいつの弱点って一体なんだろう。
余裕綽々な態度の彼を見て、私は一気に悔しくなった。
「女の胸触って、嬉しくないの?」
「いやだっていつも2人でバイクに乗ってる時背中に当たってるし……」
「ずっと黙ってたの?変態!」
「別に嬉しくないし。それに自分から触らせる方が変態でしょ」
彼の言葉は、私の自尊心を完全にずたずたにした。
彼に背中を向けて寝ようとした時、彼が手のひらをそっと私の胸に当ててきた。
「まあ、痩せてる割に結構あるよね」
私は拒むことも、怒ることもしなかった。
「この下に隠されてるのがあんなださい下着じゃ、夢がないな」
「女ってナイフで心臓刺されても、胸の厚みで助かったりするんかな?」
彼に憎まれ口を叩かれても、今日だけは許そうと思った。
彼がその手を離し、今度は私の手を握る。
「今日楽しかったな」
「うん、まあ……」
「またしような、“デート”」
彼は私の手を握ったまま目を閉じた。
何だかんだいってこいつも男じゃん。私はにやけた。
私はいつか見てみたい。こいつが本能をむき出しにして私に襲いかかってくるのを。
私も目を閉じ、今日の出来事を振り返りながら眠りについた。
:12/07/03 00:11
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:MVt0kM4k
#210 [ぎぶそん]
2日後の夜。彼と一緒にリビングのテーブルで勉強をしながら、時々とりとめのない話をしていた。
「夏休み隣町の遊園地で、『ステレオマン』のヒーローショーがあるらしいから行こうぜ」
「何で私がそんな子供向けのイベント見に行かないといけないの!大体そういうのは一旦敵にやられそうになって、観客皆で『ステレオマーン!』って呼んで、結局最後はこてんぱんにやっつけるんでしょ!」
「よく知ってんじゃん。その単純さがいいじゃんか。あー、怪獣の着ぐるみを生で見たいな。何の怪獣が来るんだろ」
彼が目を輝かせて頬杖をつく。
「そういえばずっと疑問に思ってたんだけど、怪獣って宇宙からやって来るんでしょ?何でいつも日本ばっかピンポイントで襲撃してくんの?日本に恨みでもあるわけ?」
私の質問の何がおかしかったのか彼が突然大笑いをしはじめ、腹を抱えて床を笑い転げた。
抱腹絶倒とはまさにこのことかと思った。
「何かいいね、癒される。俺、かなめといる時“素(す)”なんだよね。椎橋とか、大学の奴らといる時とはまた違う」
彼が優しく笑いながら言う。
「あっそ」
私は照れ臭くなって下を向いた。
彼のその発言は、今までの人生で言われた中で1番嬉しいかも知れない。
でも私は彼とは反対に、彼といる時は全然“素”じゃない。
今まで誰かにこんな荒々しい言葉遣いはしたことないし、もちろん暴力なんて振るったこともない。
彼といると、常に新しい自分が見えてくる。
:12/07/04 01:09
:Android
:nkBBHTL6
#211 [ぎぶそん]
数日後の金曜日。学校から帰ると、リビングで彼と一緒に茶髪で巻き髪の女の子が座っていた。
デニム生地のジャケットを羽織っていて、花柄のスカートの下から細くて白い脚が見えていた。
大きくて丸い目に、少しふっくらとした丸い輪郭。とても可愛らしい子だった。
軽音楽部の子?でもこんな子いたっけ?
じゃあ同じバイト先の子?もしかして、彼女が出来た?
私は彼が女の子を連れていることに違和感を覚えた。
「こいつ、俺の幼なじみ」
真織がその女の子の肩に手をやる。
「こんばんは。宮崎涼二って言います」
その子が見た目とはそぐわない低い声で話す。
名前といいこの声といい、これは完全に女の子じゃない。
「えー!男?」
「はい。女装してます」
その子が白い歯を見せて笑う。
「やっぱり、かなめは間抜けだから気がつかなかった」
真織はくくくと笑っていた。
私はこの状況がわけもわからず、彼を怒る気力も出なかった。
そして彼の知り合いが男の子だと知り、なぜか少しほっとした。
:12/07/05 00:07
:Android
:1naubqGY
#212 [ぎぶそん]
私はその子ならびに、涼二くんが普段の格好をしている写真を見せてもらった。
黒髪で中性的な顔立ちをしている、れっきとした男の子だった。
涼二くんは真織と小学校と中学校まで一緒で、2人でよく遊んでいた。
昔から頭が良く、今はここから少し遠い有名国立大学に通ってる。
大学ではまだ周りに女装が好きなことを打ち明けてないらしい。
その女装に目覚めたのは高校2年の時。
お姉さんの化粧道具を借りて化粧をしてみたら楽しかったのがきっかけ。
女装をして街を出た時、男性からナンパをされたこともある。
地声を出したら皆びっくりして逃げると、楽しそうに話す。
私は涼二くんに真織の昔の様子を聞いてみた。
身体が小さくて、かなりの泣き虫だったらしい。
だから別々の高校に進学して、久しぶりに彼と再会して背が一気に伸びていたときは本当にびっくりしたという。
でもその真織は逆に女装しはじめた涼二くんにたまげたらしい。
話のおかしさに、私たちは大笑いした。
「えっと……、涼二くんは男の子が好きなの?」
「いえ、普通に女の子が好きですよ。女装はただの趣味です」
私は彼が誰を好きになろうが特別関心はなかった。
とりあえず真織が彼の恋愛対象ではないことに安堵した。
「かなめさん、もし良かったら今度一緒に服でも買いに行きませんか?僕、かなめさんと友達になりたいです」
私は快く涼二くんと連絡先を交換した。
男の子だけど女の子でもある、こんな特殊な子と友達になれるなんて早々ないだろう。
私は非常にうきうきとしていた。
:12/07/05 23:00
:Android
:1naubqGY
#213 [ぎぶそん]
「今度は真織抜きで会おうね。女同士で楽しもう」
私はにやけた顔で涼二くんの両手を取った。
「ミグピー調子のんなよ。男の涼二より不細工だぞ」
真織が煙草の箱を投げると、私の頭部に直撃した。
その痛みで、私はたちまち笑顔を失った。
「何よ、クソガキのくせにこんなもん吸ってんじゃないわよ」
私は床に落ちたその箱を、足で何度も踏みつけた。
箱は見事にぺしゃんこに潰れた。中身もぐちゃぐちゃになっているだろう。
「何すんだよ」
私と真織は即座に取っ組み合いの喧嘩になった。
それを見ていた涼二くんは、女の子みたいに口に手を当てて笑っていた。
夜の8時過ぎ。涼二くんが帰ることになり、玄関で真織と一緒に彼を見送る。
「今度は2人で僕の部屋にでも遊びに来てください」
「もちろん。夏休みにでもまた遊ぼうね」
礼儀正しく気品があり、おまけに優しい。
私は涼二くんのことがすぐさま好きになった。
私は彼と女友達みたいに付き合っていきたいと思った。
:12/07/05 23:26
:Android
:1naubqGY
#214 [ぎぶそん]
涼二くんが部屋を出ると、また部屋にいつもと変わらない2人の空気が流れた。
「そうそう、晩ご飯は涼二が作ったよ。あいつ料理が好きだから」
台所に向かうと、鮭のムニエルとサラダが入った皿がそれぞれラップしてあった。
台所は綺麗に片付けてあって、涼二くんの几帳面さがうかがえた。
2人でさっそくそれらを食べる。
味はどこかの定食屋みたいでおいしかった。
「あんたもレパートリーを増やしてよ。もう野菜炒めは飽きた」
「いいじゃん。簡単だし、野菜もたくさん摂れるし」
「そうだけど、あまりにも頻繁だとストレスが溜まる」
「分かったよ。今度カレーとかオムライス作る」
それから食後に、涼二くんが家で作ってきたという色んな動物のかたちをしたクッキーを食べる。
そのクッキーはバターの風味がしてとてもさくさくとしていた。
涼二くんは女の私より女らしい。
私は今までにいない友達が出来たこと、真織の友達と知り合いになったことにほくほくとした。
「明日は定期ライブの日なんだけど、来る?」
「あんたは出るの?」
「俺は出ないよ」
「じゃあ行かない」
前のライブの日の夜は、酔ったこいつにキスをされたっけ。
あれから2ヶ月か。早いものだな。
「あのさ、明日打ち上げで別にお酒飲んでもいいから。勝手にして」
未成年に向かって全くいうことでなないけど、所詮赤の他人だし好きにしてほしいと思った。
「いやもう飲まない。すぐ帰ってくるよ」
思えば一緒に住むようになって、お互い外泊をしたことが1度もない。
お互いこの部屋がすごく好きなのだろう。
それに、こいつの顔を見て1日を終えないとなんか寂しい。
:12/07/07 03:54
:Android
:RuRWjcQo
#215 [ぎぶそん]
次の日。2人で昼食を済ませると、彼は出掛けた。
私は彼を見送った後、掃除をしたりテレビをぼーっと観たりして過ごした。
夜は彼に借りてきてもらったDVDを観ることにした。
「真夏のルームシェア」というタイトルのアメリカ映画だ。
彼に何か適当に映画を借りてきたと言ったら、2人の関係を示唆するようなこんな題名の映画を選んでいた。
その映画の内容は、主人公の男性の家に突然、金髪でショートヘアの女性が転がり込むことになった。
彼女は美人だけど無愛想で目つきが悪く、男勝りな性格をしている。
一方男性は彼女に対してへっぴり腰で、いつもおずおずとした態度だ。
次第に2人は意気投合し、彼女は男性が失恋するとギターを弾いて励ましていたり、男性の仕事がうまくいくように必死でアドバイスをしていた。
物語の中盤で、男性が彼女の優しさを指摘した。
その言葉が嬉しかったのか、彼女が不器用にもにこりと笑った。
私は同性ながらに、その笑顔に心を奪われた。
夏祭りの時、真織に“時々笑うとかわいい”と言われた。
きっとこういうことなんだなと確信した。
最終的に、映画の中の2人は恋人同士になった。
私は久しぶりに映画を観て胸が一杯になった。
:12/07/08 06:48
:Android
:iLQESbRE
#216 [ぎぶそん]
DVDを観終えお風呂から出た後、帰ってきた彼が楽なようにと床に布団を敷いた。
「ただいま」
10時半過ぎ、彼が戻ってきた。
彼はリビングに入った途端、何やら浮かれた様子で布団の上に座った。
「打ち上げの時OBの人で『ステレオマン』に詳しい人がいて、ずっと2人で盛り上がってた。その人すごいの、知らない怪獣がなかった」
「あんたって何で『ステレオマン』っていうか、怪獣が好きなの?」
「幼稚園の時初めて『ステレオマン』を観て、その時はステレオマンに憧れてたんだよな。でも途中で怪獣って何かかわいそうだなあって思って。それから怪獣目当てでずっと観てる。たぶん『ステレオマン』が続く限り一生観る。何で好きかは自分でも分からない」
子供の頃大切だったものなんて、大人になればほとんど無意味なものになってる。
それをこいつは今でも大事にしてる。
そのまっすぐな心が素晴らしく思えた。
私は少しだけ彼に愛情を感じ、後ろから彼に抱きついた。
「今日あんたの布団で一緒に寝てもいい?」
「急にどうしたの?」
「ただの気分だよ。早くお風呂入ってきなよ」
「もうちょっとこのままで」
さっき観た映画の男女のやり取りが、頭から離れない。
彼となら、あの映画みたいな日々を送れそうだ。
:12/07/08 07:07
:Android
:iLQESbRE
#217 [ぎぶそん]
翌日。私たちは一緒に外出することになった。
彼のバイクで遠出をし、都心部をうろつく。
彼の希望で、街の大型スポーツ用品店に入った。そこで彼はサッカーボールを衝動買いしていた。
夕方、街の外れの河川敷で遊ぶことになった。
彼がさっき買ったボールでリフティングをはじめた。連続で10回は続く。
「久しぶりにやると全然できないわ」
彼が子供みたいにはしゃぐ。ボールが地面に落ちてはリフティングをはじめる。
私はその光景を草むらに座ってぼーっと見ていた。
「そっちもやってみて」
しばらくして、彼が私の元にボールを軽く蹴ってきた。
腰を上げて近くでリフティングをはじめると、2回までしか出来なかった。
運動音痴の私にとってはとても難しく感じた。
私はすぐに彼にボールを返した。
「それじゃあパスしよう。向こう行って」
彼が向こうを指差す。
そして5メートルくらい離れて向かい合って、ボールを蹴りあう。
彼の提案で、お互い2人で一緒に行きたい場所を言いながらパスを回す。
「海」
向こう側から一直線でボールが来た。
私も行きたい場所とやらを適当に考える。
「ミドリムシのライブ」
彼に向かって勢いよくボールを蹴る。その一連の動作がひたすら続く。
いずれ内容は大きく飛躍して、ただ世界にある国名を言い合うだけになった。
喋りながらやる運動は、息が切れそうになった。
「もう疲れた」
途中で私はその場にしゃがみ、息を落ち着ける。
「じゃあもう終わりにしようか」
彼が余裕そうな表情で言った。
彼はさらに会話を続ける。
「さっき言った場所、全部行こうな」
彼の口元が緩む。
:12/07/09 21:23
:Android
:5AHHz48E
#218 [ぎぶそん]
それから夕日を正面にして、2人で一緒に草むらに座った。
目の前にある風景を見つめる。夕日が眩しくて目を閉じてしまいたくなるほどだ。
手前で流れている川もオレンジ色に染まっていた。
「あれ?あんたこんな腕時計持ってたっけ?」
私は右隣にいる彼の左手を持った。
その腕時計は独特な字体の文字盤が特徴的だった。
「これ親父のお下がり。フランクミュラーってメーカーのらしい。時計はよく知らん」
彼は何ともない様子でそう言うが、一目見ただけですぐに高級品だと分かった。
彼とは生活水準が明らかに違うから時々萎える。
「夕日が綺麗だね」
体育座りをしている彼がぼやく。その横顔は哀愁が漂っていた。
人類が誕生してから、どの時代の人間も皆この橙色に心を魅了されていたのだろう。
これから時代がどんなに変わっても、その気持ちは変わらずあり続けると確信する。
そして私と彼がどんなに育ってきた環境が違っても、その気持ちは同じなんだ。
「俺、もし命に色があるとしたら、こんな色じゃないのかと思う」
真顔でそう言う彼に、私はふっと笑った。
「あんたにそのロマンチックなセリフは似合わないよ」
そう言いながら、私は彼の肩に頭を乗っけた。彼が私の肩に手を回す。
今日ここで一緒にボールで遊んだことも、一緒に見たこの景色もいずれ忘れる。
だけどこんなに近くで彼と過ごしたことと、こんなに間近で彼を感じたことは忘れない。
:12/07/09 22:05
:Android
:5AHHz48E
#219 [ぎぶそん]
7月中旬。前期のテストが近づいてきた。
私も彼と毎晩リビングのテーブルで勉強をする。
目の前の彼が開いてる教科書を見ると、得体の知れない数式がたくさん書かれていた。
私は数学が大の苦手だった。だから、こんなのが解読できる彼がかっこよく思えた。
「ちょっと休憩」
彼が床に寝転ぶ。やがて寝息が聞こえた。
私は勉強をやめ、寝ている彼の元に寄った。
彼の所有物を観察しようと思い、まずテーブルに置かれてる煙草の箱を手に取った。
箱は白く星形の模様がまんべんなくあり、黒い字で中央に“セブンスターズ”と英語で書かれていた。
未成年のくせにこんなの吸って何が楽しいんだろう。私はため息をついた。
次に金属製のライターを手にした。
フタを開閉させるたびカチッ、カチッという金属音がする。
続いてノートを覗くと、女の子みたいな丸っこい字体で色々と書き込んでいた。
あいつ、こんな字を書くんだ。なんか新鮮。
筆箱をの中を見てみると、私が前あげた指人形が入っていた。
見ないと思ったら、こんなところにあったのか。
彼が大切にしてくれてる気がして、私は嬉しくなった。
:12/07/11 22:50
:Android
:OQA3Vljc
#220 [ぎぶそん]
その横で、彼のノートパソコンの電源がつけっぱなしになっているのに気がついた。
消した方がいいのだろうか。
でもいくら一緒に暮らしてるからといって、勝手に操作するのはいい気がしない。
ちょっとの間、暗い画面を見つめたままでいた。
「……何してんの?」
突如起き上がった彼が、険しい目つきをして私の腕を掴んだ。
「パソコンの中、見た?」
「ううん、見てないよ」
「それならいい」
彼は私からパソコンを死角にして再起動し、電源を切った。
そうだよね。一緒にいても、私に知られたくないこともあるよね。
私は彼は私に何でも打ち明けてくれていたと思ってた。
私も彼のことを知った気でいた。
歯磨きの仕方、持ってる下着の種類と数、右鎖骨の真下の部分に小さなほくろがあること。
他の人が知らないようなことをいくつも知ってる。
体温、匂い、そして唇の感触。
私も同じように彼に教えていたつもりだ。
私は彼との隔たりを少し感じて寂しくなった。
そうして大学がテスト期間に突入した。
いつもぼんやりと真織のことが頭から離れずにいたが、さすがに勉強のことだけに集中した。
気持ちよく夏休みを過ごしたいから、単位を落とすのだけは避けたかった。
そうしたら、また彼と遊べる。
:12/07/11 23:10
:Android
:OQA3Vljc
#221 [我輩は匿名である]
あげます。頑張ってください!
:12/07/15 18:25
:F08A3
:i2gzdEis
#222 [ぎぶそん]
【221 匿名さん ありがとうございます】
【皆さんへ 最近思うように書けず、更新できないでいました。この話が皆さんの目にどう映っているのか気になるので、ご意見ご感想があれば小説総合にある「*ぎぶそん*」というところまで書き込みしてくれると嬉しいです】
テスト科目も残り半分とした時。
放課後図書館に行くと、見慣れた後ろ姿があった。
真織が机で勉強をしていた。
私は声を掛けようとした。
でも、彼の隣には長い髪の女の子がいた。里香ちゃんだ。
2人は一緒に勉強をしていた。私は肩を落とし、踵を返した。
その日の夜、彼は風呂上がりに黒いノースリーブシャツを着ていた。
少し筋肉のついた彼の二の腕に、私は恍惚として見とれた。
「最近里香ちゃんがやたらまとわりついてくる。このくそ暑い時期に、抱きついてこないでほしい」
床に座ってる彼が気だるそうにうちわを扇ぐ。
私は“里香ちゃん”“抱きつく”という単語になぜかむっとした。
今日の放課後、図書館で見た光景がよみがえる。
私は部屋の脇にあるクーラーに視線をやった。真下のベッドに直接風が当たるようになってある。
「ねえ。あんたがいいのなら、毎日私のベッドで寝てもいいよ。床で寝るとクーラーが当たらなくて暑いでしょ。でも、夏の間だけね」
「本当に?」
彼が喜んだ顔をする。その姿にどこか安心感を覚えた。
:12/07/16 01:56
:Android
:vGLf04X2
#223 [ぎぶそん]
すぐに部屋の明かりを消して、2人で一緒にベッドに入った。
「ちょっと頭上げて」
彼に言われたとおり頭を浮かせると、彼がこちら側に腕を伸ばしてきた。
私は彼の二の腕に頭を乗せた。吐く息も相手にかかるくらいの距離で互いに見つめ合うと、彼が言葉を発した。
「神様っていると思う?」
「いないんじゃない。そういった宗教的なことは全然信じない。あんたはどう思うの?」
「俺もいないと思う。でも、『いる』って思うことによって救われてる人はたくさんいるんじゃないかな」
その言葉の意味を頭で考えていると、彼が私の手を取った。
「……俺らってなんで出会ったのかな?それもこんな形で」
「知らないわよ。あ、運命とか言わないでね。気色悪いから」
「言わないよ。でも俺って、世界一運がいい」
彼が私を抱きしめてきた。
「このくそ暑い時期に、抱きついてこないでよ」
そうは言うものの、私は特に抵抗はしなかった。
今心臓がばくばく言ってるのも、向こうに丸聞こえなんだろうな。
私は神様を信じない。2年前の厳しい大学受験も誰のおかげでもなく、この手で勝ち取った。
運命とやらも信じない。こいつと出会ったのもただの偶然に過ぎない。
そんな風に目に見えないものは信じないけど、どうもこいつには透視能力があるのかってほど自分の心を見透かされてる気がする。
こいつは私が何を言われたりされたりすると嬉しいのかとか、全部分かってるみたいだ。
:12/07/16 02:17
:Android
:vGLf04X2
#224 [ぎぶそん]
7月下旬。大学のテストがすべて終了した。
第4金曜の夜。彼が豪勢にも寿司屋で寿司セットを買ってきてくれた。
「テストも無事終わったし、今日はパーッと飲もうぜ」
彼がレジ袋から缶チューハイを取り出す。
「何お酒なんか買ってきてるの?私たちまだ未成年でしょ」
「いいじゃん別に。2人だけの秘密」
彼がテーブルに置いたいくつもの缶を見て、ごくりと唾をのんだ。
さまざまなフルーツの絵が載ってあるパッケージは、中身がおいしそうに見えた。
私はその中から自分が飲むものを1つ選び、彼と乾杯をした。
生まれて初めて飲んだ酒の味は、ジュースのちょっとした延長線だと思った。
寿司はとりあえず大トロから頂いた。わさびがツンと鼻を刺激する。冷たく新鮮なネタを口の中で味わう。
寿司と酒の組み合わせは最高だと思った。
それからどんどんと缶のフタを開けた。しだいに全身に酔いが回る。頭が何度もふらつく。
今いる場所が現実なのか夢なのかも分からなくなっていった。
翌朝。目を覚ますと、私はベッドで寝ていた。
身体を起こすと、頭がずきずきと痛む。
真夏なのにやけに身体が寒いと思うと、どういうわけか下着姿だった。思わず胸元を布団で隠す。
隣で彼が寝ていた。彼もまたなぜか上の服を着ていない。
部屋には私たちが脱いだと思われる衣類が散乱していた。
「ねえ、昨日何があったの!?」
彼の肩を揺さぶると、彼が頭を掻きながら起き上がった。
「覚えてないの?昨日のこと」
彼の深刻な表情に、漠然とした不安が生まれる。
私は恐怖で声が出せず、無言で首を縦に振った。
「あーあ、せっかくあんなに愛し合ったのにな」
彼のその一言で、すべての事情を察した。
:12/07/16 04:20
:Android
:vGLf04X2
#225 [ぎぶそん]
「いやあああ!」
私は両手で顔を覆って叫んだ。
確かにこいつと肉体関係を結ぶと約束はしたが、まさか貴重な初体験をこんな記憶もないまま終わらせてしまうとは思いもしなかった。
私が1人パニック状態になっていると、彼が突然笑い出した。
「冗談だよ、何もないって。そっちが昨日酔って脱いだだけ。もう大変だったんだからな」
彼の言葉に平常心を取り戻し、ほっと胸を撫で下ろした。
「何であんたも脱いでるのよ?」
「暑かったから脱いだだけ。とりあえず服着てよ。そんなださい下着見せられても、目に毒だから」
彼にそう言われ、服を取りに行こうとした。でも彼の手前、下着姿で部屋をうろつきたくない。
「しょうがないなあ。取って来てやるよ」
私のためらいに気づいたのか、彼がベッドから降りる。
初めて見た同居人のパンツ一丁姿に、条件反射で目を伏せた。
彼は脱ぎっぱなしになっていた私のブラウスとスカートを、私の元に投げてきた。
私はそのままベッドの上で服を着た。彼もズボンを履くと、テレビをつけた。
私もベッドから降り、彼の隣に座った。
「酔った私ってどんな感じだった?」
「よく喋ってたかな。でも話の内容が支離滅裂で、何て言ってるか分からなかった。後、やたらキスしたがってた」
「したの?」
「うん、5回くらい」
私は自分の行動にげんなりとした。
「後ね」
彼が話の途中で私の肩を持ち、そのままぐいと床に押し倒した。
:12/07/16 05:30
:Android
:vGLf04X2
#226 [チャーリー]
こんにゎ

すごくいい作品ですね

忙しいと思いますが続きが気になります
頑張ってください

:12/07/16 09:55
:N02C
:ZjNRE6mo
#227 [ぎぶそん]
【226 チャーリーさん ありがとうございます。未成年喫煙に飲酒、いい作品ではありませんが(笑)、できるだけ頻繁に更新します】
「こんな風に押し倒された。勘弁してくれって思ったよ」
どうせこれもまたお得意の嘘に決まっている。
でも彼が上半身が裸なこともあって、とてつもなく緊張した。
これも演技の1つなのか、彼が真顔で私を見る。本当に今にも襲われてしまいそうだった。
「そうやってからかうのやめてよ!」
私は彼の股間を思いきり蹴り上げた。
「金的蹴りはまずいって。それに、押し倒されたのは本当だから」
彼が苦しそうに蹴られた箇所を押さえる。嘘を言ってるようには思えない。
「だったら何でそのままやらなかったのよ?男として、この上ない“チャンス”でしょ?」
恋愛経験がない私でも、オトコというものがどういう生態なのかは分かってるつもりだ。
オトコは、その気がなくてもそういうことが簡単に出来る。
オトコの本能はすさまじい。
と、前雑誌に書いてた。
でも改めて考えると、どうしてこいつは私を襲ってこないのだろう?
ここに来た初めての夜「絶対に手を出さない」って言ってたし、皆の前でも「死んでも手を出さない」って言ってた。
その根拠はなぜ?そんなに私って女として魅力ない?
「こないだお父さんにするなって言われただろ。それに、」
彼が急に黙り込む。長い沈黙が続く。
「……出来ないよ」
そう言うと、彼は照れ臭そうに顔を両手で隠した。
それはどういう意味だろう。経験がないから、一歩踏み出す勇気がないということ?
いつか全部分かるかな?嘘つきなあなたの本音が。
:12/07/16 23:53
:Android
:vGLf04X2
#228 [ぎぶそん]
早めの昼食を取った後、気を取り直して2人で夏休みの大まかな計画を立てた。
1番は前々から予定していた国内旅行のことである。
テーブルの上にパンフレットを広げて、お互いどこに行きたいのか意見を言う。
十分な話し合いの結果、9月の上旬に関西に行くことになった。
「俺、温泉に行きたい。日本人なら、やっぱり温泉だよね」
「いいねそれ。じゃあ、どこか旅館に泊まろうか」
「混浴がいいな」
彼がぼそっとつぶやく。
ふいに、こいつと私が全裸で温泉に入ってるところを想像した。
「冗談じゃない!馬鹿も休み休み言ってよ!」
「今夏休みだよ?」
「揚げ足を取るな!」
彼を叩こうと手を上げると、彼が手首を掴んだ。
すごい形相でこちらを睨んでくる。
「言うこと聞かないと、普段俺らがこの部屋で何やってるのか皆にばらすよ?」
「脅す気?卑怯だよ!」
「別にいいじゃん混浴でも。いずれそういう仲になるんだし」
彼がちらりと私の身体を見る。その言動に心底吐き気がした。
さっきはそういうことが出来ないと言っていたのに、この余裕は一体何なのだろう。
それと同時に、1人だけ取り乱す自分が悔しくなった。
「分かったわよ。でも、タオルを着用してもいいところにして」
私は立ち上がり、自分の思い通りにならない苛立ちから親指の爪を噛んだ。
今朝の騒動といい、今年の夏休みはとんだものになりそうだ。
:12/07/17 00:25
:Android
:1Qv0VpXY
#229 [ぎぶそん]
その2日後。昼過ぎ彼とニュース番組を観ていると、まりやから電話があった。
「8月の終わりにあるサークルの合宿行く?」
写真部の話だろうと思ったら、案の定そうだった。
私の大学の写真部は恒例行事として、毎年夏休みに群馬県の山奥にある、とあるペンションに泊まることになっている。
去年参加した時はそれなりに楽しかったのを覚えてる。
彼女に参加希望の意思を伝えようとしたが、8月の終わりと聞き焦った。
確か真織の誕生日は8月27日だったはず。
「8月のいつにあるの?」
「えーっとね、23、24、25だよ」
とりあえず2つのイベントが重なっていないことにほっとした。
「それじゃあ行く」と返すと、まりやが突然話題を変えた。
「知ってる?小原朱実と渋沢先輩、最近別れたらしいよ」
予想だにしなかった出来事に、私は唖然とした。
夏休み2人を見た時はあんなに楽しそうだったのに。
電話越しに聞く彼女の情報が、到底信じられなかった。
「小原がずっと5股くらいかけてたんだって。でも彼女サークルは辞めないみたい。すごい神経してるよね」
その後の彼女の話にも、私はただ上の空で聞いていた。
昔好きだった人が、失恋をした。
たったそれだけのことなのに、不思議ともやもやする。
人生とは複雑で、狂った歯車の連続のようなものなのだろう。
:12/07/17 01:02
:Android
:1Qv0VpXY
#230 [ぎぶそん]
彼女との電話を切り、私は真織をじっと見た。
なぜか彼にも合宿についてきてほしいという思いが湧く。
「8月の終わりにサークルの合宿があるんだけど、あんたも来る?」
「行ってもいいの?」
「合宿で泊まるペンション、有名なサウンドノベルゲームにでてくる舞台のモデルになった場所なんだよね。確か『殺意の月下美人』って推理ゲーム。知らない?」
「知ってる。中学の時にやったことある。推理作家の桐生月影脚本でしょ?へえ、あのペンション実在してたんだ。行ってみたいな」
ゲームと小説の類いが好きな彼が目を輝かせた。
「じゃあ今週の水曜に集会があるから、その時部長に頼んでみるね」
そして水曜日。私は部室を訪れた。
集合時間よりだいぶ早めに来たためか、部室にいたのは部長である渋沢先輩1人だった。
先輩は缶コーヒーを飲みながら、何かの書類に目を通していた。
前見た時は薬指に指輪をしていたのに、今日はしていなかった。
おそらく小原とお揃いのものだったのだろう。
先輩は私に笑顔で挨拶をしてくれたけど、失恋をしたばかりからかどこか空元気に見えた。
:12/07/17 20:54
:Android
:1Qv0VpXY
#231 [ぎぶそん]
「彼氏とは最近どうだ?夏祭りで会ったな」
「実は……先輩に嘘つきました。彼とは付き合ってません。後、彼のことも好きじゃないです」
最近不幸があった先輩の前で、偽りの幸せな顔をしたくなかった。
先輩は私が嘘をついたことに怒る素振りも見せず、ただ笑って返してくれた。
「8月にある合宿のことなんですけど、彼も連れてきていいですか?彼も写真部に興味があるみたいで、どうしても行きたいと言われて」
私は両手を合わせ、話に嘘を交えながら頼み込んだ。
「うーん。本当はあまりよくはないけど、かわいい後輩のためなら仕方ないな」
先輩が私の頭をぽんと叩いた。
その何気ない動作で、去年先輩に抱いていた気持ちを少し思い出した。
もし先輩が小原と付き合っていなかったら、私は今でも先輩のことが好きだったのだろうか?
それはない。幸か不幸か、私の心の中心にはいつも真織がいる。
もうあの頃には戻れない。真織を知らなかったあの頃には。
集会が終わりアパートに戻って、私は彼にさっそく先輩から了承を得たと報告した。
「かなめは『殺意の月下美人』の内容知ってるの?」
「知らない。どんなの?」
「大学生の修一と里奈って子が、夏休みにペンションに宿泊するんだよ。で、そのペンションで次々と殺人事件が起きるってわけ」
「へえ、面白そうだね」
「修一は人をからかうのが好きで、里奈は気が強い。2人の関係は曖昧。何か、俺らみたいだなって思った」
「私気が強くないし、私たちの関係も曖昧じゃないから。あんたは私にとって、ただのど・う・きょ・に・ん!」
私は彼にそっぽを向いた。
:12/07/17 21:13
:Android
:1Qv0VpXY
#232 [ぎぶそん]
その後も約束していたヒーローショーを見に行ったり、腫れた日はツーリングをしたり、毎日2人で一緒に過ごした。
ありふれた夏休みの過ごし方の中で、楽しみなことが1つ出来た。
彼がバイト先の店長のすすめで借りてきたアメリカの「キラーアイランド」というドラマを観たら、思いの外面白かった。
テレビの企画で無人島生活を送ることになった26人の男女が、島に住む謎の殺人鬼に狙われる。
私はその物語の中で、「トーマス」という登場人物にときめいた。
トーマスは年齢は30代前半くらい、金髪で綺麗な顔立ちをしていて、大人の色気が漂う。
性格は嫌味で女好き、どこか危険な香りがする。
現実にいたら絶対に付き合いたくはないタイプなのに、なぜか惹かれる。
それは時折見せる優しさが人間味溢れてるからかな。
トーマスはすぐにリズという女性と恋仲になった。
第3話で、その2人が激しいキスをしはじめた。
「このキスってどうやってるんだろう?」
私はつい思ったことを口にしてしまった。
「やってみる?」
彼が私の元に近づく。
しまった、と思った時には遅かった。
:12/07/19 22:44
:Android
:d/HOIpUg
#233 [ぎぶそん]
彼が私の頬に手を添える。
私は目を閉じた。2人の唇が重なる。
彼は自分の口を開け、舌を私の口に進入させてきた。
私はびっくりして思わず目を大きく見開いた。
口の中でお互いの舌が絡まる。柔らかい感触が広がる。
息苦しさにんっ、と息が漏れる。すべてがいやらしく感じた。
しばらくして、彼が顔を離す。
「こんな感じかな?」
彼がふうと息を抜く。
――初めてやるんでしょう?どうして微動だにしないの?
私は驚愕した。
「……もう2度としないで」
少し怒ったように彼に言った。
その後ドラマの続きを観ても、さきほどのキスが強烈すぎてまったく集中できなかった。
夜。隣で寝ている彼の大人しい寝顔を見て、悲しい気分になった。
どうしていつも平常心でいられるのだろう。
こいつがこの部屋に来てもうすぐ5ヶ月になるけど、全然慣れない。最終的に、どうしても異性として見てしまう。
実態に異性だから当たり前のことだけど、もっと心に余裕がほしい。
彼の困惑する姿が見たいのに、結局私1人が泡を食ってる。
どうすればこいつを攻略できる?この調子だと、私が彼の前で裸になってもびくともしなさそう。本当に悔しい。
:12/07/19 23:04
:Android
:d/HOIpUg
#234 [ぎぶそん]
8月初旬。駅の近くの公園で花火大会が開かれるということで、彼と行くことになった。
1週間前に、実家の母から送ってもらっていた浴衣セットを取り出す。
「あれ、どうするんだろう」
雑誌に載ってる着付けの仕方を参考にしながら、自分でやってみる。
簡単に出来ると書いているのに、不器用な私はさっそく苦戦した。
「やってあげようか?」
既に支度の整っていた彼が近づく。
「着付けしたことあるの?」
「ないけど」
彼はテーブルの雑誌を手に取り、何やら1人考えている。
そして私がつけた腰紐を外し、最初からやり直す。
時々雑誌に目をやりながら、黙々と着付ける。私も黙ってそれを見ていた。
「……出来た。こんなんでいいのかな?」
彼に言われ、脱衣室にある洗面台の鏡で確認してみた。
身体を一回りさせると、おおよそ完璧にできていた。
こういう着付けは文系より理系向きだよね。理系向きだから。
……と、自分を慰めておく。
「ありがとう。とうかな?」
リビングに戻り、彼の前で袖を広げた。
中学の時に母から買ってもらったこの赤い浴衣は、紫陽花の柄がとてもきらびやかだ。
「え?ごめん、よく分からない」
「もう!そういう時はお世辞でも『かわいい』って言っておきなさいよ!そんなんだから彼女が出来ないのよ!せっかくあんたのために着てあげたのに!」
「え?そうなの?」
「違うよ……。気分で着ただけ……」
「似合ってるよ。江戸時代の子供にいそう」
「何よそれ!」
:12/07/19 23:48
:Android
:d/HOIpUg
#235 [ぎぶそん]
【※234 正しくは“どうかな?”です】
下駄を履き、アパートを後にした。
準備をした時はまだ明るかったのに、日はすっかりと落ちていた。
慣れない下駄のせいで親指の付け根が痛い。けど、浴衣を着こなす1人の女性として我慢した。
彼は私の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩いてくれた。
長い時間をかけて公園に着き、空いてるスペースを確保した。
浴衣が汚れないように、私は彼の太ももに座った。彼が私の腰に両手を回す。
彼が公園の自販機で買ってくれたジュースを飲みながら、夜空に浮かぶ花火を観賞した。
「俺、白い花火が好き」
「私も。最後にぱらぱらって音が鳴るのが好き」
「そうそれ」
2時間ほどで、花火大会は終了した。
「足が痛い」
人ごみの中やっとの思いで公園を出た時、私の足は既に限界だった。
「乗って」
彼が腰を下ろし、自分の背中に乗るよう指示する。
私は彼に背負ってもらった。彼が夜道をゆっくりと歩き出す。
「重くない?」
「ちょっと重いかも」
「……ごめん」
「嘘だって。そんな重くないよ」
私は彼の首元にしっかりと腕を回した。
自分より10センチ以上高い、彼の視点で街を眺める。
こいつはいつもこの高さで世界を見てるんだ。
通りすがりの人に、物珍しい視線を浴びる。
人前で彼におんぶされてるのは恥ずかしいけれど、この人たちとはもう2度と会うことはないだろうし、平気だった。
私には彼がいるから。彼はいつも私の味方だ。
:12/07/20 00:17
:Android
:JlxQZX62
#236 [ぎぶそん]
アパートに戻り、ずきずきと痛む親指の付け根を撫でた。
痛覚もなくなった頃、私は彼に背を向けた。
「帯外してくれる?」
彼が黙って従う。帯が少し緩むとお腹まわりに余裕が出来た。
彼は帯も腰紐も全部外すと、後ろから抱きついてきた。
そして、そのまま床に倒れる。
「ちょっと、お風呂入りたいんだけど」
「明日でいいじゃん」
「駄目。化粧落とさなきゃ」
「じゃあ後5分だけ」
彼はなかなか離そうとしない。
「浴衣姿、なかなかかわいかったよ」
「どうせ江戸時代の子供でしょ」
「ううん。現代人として」
何よ、言い分がころころ変わっちゃって。
こういういい加減なところがむかつくのよ。
しかし珍しく彼に褒められ、いい気持ちになった。
私は彼の手にそっと触れた。
「あんたも来年浴衣着てよ」
「何で?」
「似合いそう」
「分かった。来年もまた行こうな」
彼が私の手を握る。
結局私がお風呂に入ったのは、次の日の朝だった。
:12/07/22 00:44
:Android
:TdfnQEy.
#237 [ぎぶそん]
花火大会から2日後。夕方、彼は誰かと電話をしていた。
「今度弟がこっちに遊びに来るから」
こいつの弟。確か実織くんといっていたな。
初めて会う彼の身内に、私は好奇心から心が弾んだ。
数日後。彼と2人、駅で実織くんがやって来るのを待つ。
20分後。ポロシャツを着て、ナイロン製のショルダーバッグを肩に提げた少年が現れた。
「初めまして、いつも兄がお世話になってます。弟の実織です」
彼はそう言うと、私に丁寧にお辞儀をした。
真織と血の繋がった兄弟と対面するのは、小さな感動があった。
実織くんは背丈は真織と同じくらいで、顔は整ってる方だけど真織と比べると地味な感じがする。
2人は雰囲気もあまり似てない。実織くんは真織のことを「お兄(にい)」と呼んでいた。
実織くんは高校生ながらしっかりとした受け答えができる子で、私はすぐに彼に好感を覚えた。
実織くんが来てからお昼にちょうどいい時間だったので、3人で話しながら駅の食堂街を歩く。
会話の中で、実織くんはすごく真面目な性格をしていることが判明した。
学校の成績も非常に優秀で、埼玉でも有名な公立の進学校に通っているらしい。
志望校は日本一のあの大学。
学校ではバスケ部に所属してるらしく、文武両道ときた。
将来有望そうだし、性格もよさそうだし、大人になったら実織くんと結婚しようかなと思った。
まあ、向こうが承諾してくれたらの話だけど。
:12/07/22 01:06
:Android
:TdfnQEy.
#238 [ぎぶそん]
そんなことを考えていると、真織の気分でお好み焼きの店に入ることになった。
テーブルの鉄板でお好み焼きを作りながら、話し込む。
「お兄、新しい部屋まだ見つからないの?」
「俺、足立さんの部屋にずっと住むことになったから」
「すみません。わがままな兄で」
目の前に座る実織くんが私に向かって小さく頭を下げる。生意気な真織とは違い、何ていい子なのだろう。
年下は苦手だけど、実織くんは別。
いつか魅力的な女性になって、生真面目で無垢な実織くんのハートを射止めよう。
私は心の中でガッツポーズをした。
昼食を済ませた後電車に乗って、有名な観光スポットを回ってみたりした。
でも実織くんはそういった場所にあまり関心を示さず、どこにでもある本屋を1番好んでいた。
日も暮れた頃。実織くんを連れてアパートに戻ると、彼はリビングのテーブルで黙々と勉強をはじめた。
夏休みの宿題かと思ったら、どうやらそれはもう済ませたらしい。
私も高校時代は真面目に勉強をしていたけど、その比じゃない。
こういう子が日本の将来を担っていくのだと思った。
がんばれ、私の未来の旦那!
:12/07/22 01:33
:Android
:TdfnQEy.
#239 [ぎぶそん]
お風呂を沸かし、実織くんに1番風呂に入るよう促した。
「お兄、寝巻き貸して」
実織くんの言葉で、真織が気だるそうに収納ボックスの中を探る。
「じゃあ、これと……これ着て」
真織は実の弟に、自分のポロシャツと半ズボンを渡した。
1人っ子の自分としては、男兄弟のやり取りというものが新鮮に思えた。
実織くんがお風呂から出ると、私と真織も立て続けにお風呂に入った。
「お前は布団で寝て。俺は足立さんと寝るから」
真織は床に布団を敷くと、私のベッドに入った。
でもさすがに身内の前では遠慮したのか、彼は私に背中を向け一切触れてこなかった。
次の日。実織くんは最後まで上品な物腰のまま帰っていった。
今度会う時は、彼も大学生になっているかも知れないとのこと。
私は2年後が楽しみになった。
「はー。やっとあいつ帰った」
実織くんを見送りアパートに戻ると、真織が後ろから抱きついてきた。
彼は私の耳を唇で挟んできた。緊張と快感が同時に走る。
「やめてよ。私、将来実織くんと結婚するんだから」
「あいつはやめた方がいいよ。かなめとは合わないって」
彼は舌で耳を舐めはじめた。私の全身がぞくぞくとなる。心は戦慄に思えているのに、私の身体は官能として認識していた。
彼のその動きは、私が実織くんに抱いた気持ちを一瞬で忘れさせた。
条件が揃ってるのは実織くんの方だけど、そばにいたくなるのはこいつの方だった。
:12/07/22 02:30
:Android
:TdfnQEy.
#240 [ぎぶそん]
8月中旬。お盆の時期ということで、お互い実家に帰ることになった。
就寝前リュックに着替えなどを詰め、明日の帰省に備えて準備を整える。
夜、彼と一緒にベッドに入る。
しばらく会えなくなるからか、お互いなかなか寝ようとはしない。
とりとめのない会話が終わると、彼が歌を口ずさみはじめた。
「『会いたい会いたいと 街中に食傷気味な言葉が流れてる
煙草に火を着け くだらねえとつぶやく
吐いた煙に浮かぶのは 憂いのあるあなたの横顔
会いたい会いたい 会えない会えない
そんな容易い言葉に 結局僕も支配されるのでしょう』」
「それ、誰の何て曲」
「スカベンジャーってバンドの『僕の嫌いな言葉』って曲だよ。バンド自体はもう解散してる。中学の時たまに聴いていたのを、さっき思い出した」
「何でいきなり?」
「俺、たぶん明日からこんなことを思うのかなって……。地元の奴らと久しぶりに会えるのは嬉しいけどさ……」
彼は急にもじもじとした態度を取り出した。
それは私と会えなくなるのが寂しいということ?
思いがけず知った彼の気持ちに、私は動揺した。
「……かなめって、すごいよな」
「何で?」
「俺、今まで誰かを好きになったことがないんだよ。でも、かなめと出会ってから……恋愛ってこういうことなのかな、って」
「何言ってるの。……あ、たぶんそれ吊り橋理論って奴よ。あんた、私のことおっかないと思ってるんでしょ?そういう恐怖からくる心のどきどきを、恋愛のどきどきと錯覚してるだけよ」
私の説明に、彼は何も言わなかった。
私はすっかり参っていた。軽薄な心の私にとって、彼の心はまっすぐすぎた。
私はもしかしたらもっと一心に彼と向き合わなければいけないのかも知れない。
:12/07/22 07:02
:Android
:TdfnQEy.
#241 [ぎぶそん]
翌朝。身支度を済ませ、彼からもらったネックレスを身につけた。
2人でアパートを出ると、彼がバイクで駅まで連れていってくれた。
「じゃあ元気でな」
駅で私を降ろすと、彼はバイクで颯爽と走り出した。
改札口を抜けぎりぎり飛び乗った電車の中で、首元にあるネックレスを見つめた。
彼がいつもそばにいてくれてる気がした。
その後実家に到着すると、一目散に2階にある自分の部屋まで駆け上がった。
去年の春部屋を散らかしたまま1人暮らしを始めたけど、その後母が綺麗に片付けてくれていた。
鞄を放り投げ、ベッドに飛び込む。そのまま仮眠を取った。
夕方になり母は夕飯に唐揚げやポテトサラダ、レタス巻き、けんちん汁など、私の好物をふんだんに振る舞ってくれた。
「伊藤くんは元気しているのかね」
父がけんちん汁を吸いながら、ぶっきらぼうに話しかける。
「真織くん、びっくりするくらいの美少年よね。ほら、俳優の何とかに似てるわね。ほら、あの人。何とかこんとか」
母が話に割って入る。
母は困った時はいつも“何とかこんとか”で表現をする。大学生になってからほとんど会ってないのに、その癖は相変わらず変わってないな、と思う。
「確かに男前だが、あの髪型はなよなよしてる感じがして好かないな」
「ちょっと前に髪切ったよ。好青年になってる」
なんで私、あいつのことを褒めてるんだろう。でも今の髪型はいい。髪型だけは。
「あら、そのネックレス買ったの?」
母が私の首元を見た。
「ううん。真織に買ってもらった」
「まあ素敵」
:12/07/22 23:23
:Android
:TdfnQEy.
#242 [ぎぶそん]
夜。お風呂で汗を流し、ベッドに入った。
あいつは今頃何をしているのだろうか。彼のいない一時は、長く退屈に感じた。
1つ屋根の下で暮らしておいて、いまさらメールや電話をする気にはなれない。
彼がいない1人の夜は、寝る前歯みがきをし忘れた翌朝みたいな気持ち悪さがあった。
ここは私の生まれ育った場所なのに、自分の居場所ではないみたい。
薄暗い部屋の中、テレビを点けた。ちょうど歌番組をやっていた。
君に会いたいでも会えないとか、中学生でも書けるポンコツな歌詞を若手バンドのボーカルがしたり顔で歌う。
そんなに会いたいなら、さっさと会いに行けばいいのにといらいらする。
ふと真織の顔が浮かぶ。
あいつが昨日歌った「僕の嫌いな言葉」が頭の中で浮かぶ。
あいつに会いたい。私自身も彼に対する感情を、結局そんな陳腐な言葉でしか表現できないでいた。
その後も家族で墓参りを済ませたり、母と一緒に来年の成人式の着物を買いに行ったり、親戚の家に挨拶しに行ったりと、ばたばたとした日々が続いた。
:12/07/23 22:30
:Android
:jyY.9Ydw
#243 [ぎぶそん]
実家には4日間過ごしただけで、再びアパートに戻った。
誰もいない部屋は、自分の部屋なのに夜の校舎みたいな薄気味悪さがあった。
歯ブラシも2人分あるし、怪獣の人形も置いたままだ。バイク雑誌もあるし、ギターケースもある。
でもあまりの虚無感に、もしかしたらあいつがこのまま戻ってこないんじゃないかと不安になった。
首元のネックレスを見つめる。逆に満たされない思いが募る。
「くそ真織!早く戻って来なさいよ!」
私は苛立ちから床にあったちきゅ丸くんの人形を蹴った。
私は彼に電話を掛けた。
『……もしもし?』
こいつ、こんな声してたっけ。
「あんた、いつ戻って来るの?」
『予定としては20日だけど、早く戻ろうかな。そっちが早く戻ってきてほしいみたいだし』
「一生戻ってくるな!」
私はかっとなって電話を切った。
こんな態度では向こうもさすがに怒ったかも知れない。
『ごめんね』とメールしておいた。
返信はすぐに届いた。
『何が?』
うわ、やっぱり送らなきゃよかった。
でも下に余白があるのに気がついて、スクロールさせた。
『心配しなくても、ちゃんと戻ってくるから』
「何よ」
私はベッドにケータイを放った。少しにやにやとした。
:12/07/24 22:49
:Android
:XCFEV5ZU
#244 [ぎぶそん]
2日後。お昼のニュース番組を観ながら、ベッドの上でポテトチップスを食べていた。
冷蔵庫の中には何もないし作るのも面倒なので、食事はお菓子とコンビニ弁当で済ませていた。
彼がいない私は、すっかり元の面倒臭がりの駄目人間に戻っていた。
「ただいま」
夕方、彼が戻ってきた。
「うわ、何この汚い部屋」
彼が散らかり放題の部屋に絶句する。
髪が少し伸びただけで、後は全然変わらない彼の様子を見てほっとした。
彼は床に腰を下ろすと、鞄の中をあさった。
「昔の写真持ってきた」
彼が私に1枚の写真を渡す。私はさっそくその写真を見た。
そこには幼い頃の彼と実織くんが写っていた。
写真の彼はカメラ目線でピースサインをしていて、舌をぺろっと出していた。
天真爛漫で、とてもかわいかった。
このまま成長していればよかったのに。
この頃の彼に出会ったことがあるらしいけれど、やっぱり身に覚えがなかった。
続いて彼の中学時代の集合写真を見た。話に聞いていたとおり、だいぶ小柄だった。
高校時代の集合写真も見た。背が伸び、今現在とほとんど変わらなくなっていた。
彼が当時のことを楽しそうに話す。男子しかいなかったので、だいたい皆と仲が良かったらしい。
「かなめのこと地元の奴らに話したら、今度連れて来いって」
「行きたくない。どうせ、いまいちな女だなあ、って思われるだけだし」
「誰も期待してないから大丈夫だよ」
うわあ、出た。こいつのこの気の利かない感じ。私は苦笑いをした。
:12/07/24 23:17
:Android
:XCFEV5ZU
#245 [ぎぶそん]
「そうそう、ゲーム持ってきたよ」
彼が紙袋からゲーム機を取り出した。
私の気が晴れる。今から一緒に以前椎橋くんの部屋でやったゲームと同じのをすることになった。
「負けた方は勝った方の言うこと聞くこと」
「そんな。私の方が圧倒的に弱いから不利に決まってるじゃん」
「ちゃんとこっちにハンデつけるから。俺からの攻撃は2回までにするわ」
そしてバトルが始まり、彼のキャラクターに攻撃し続ける。彼はすべて軽やかにかわす。
攻撃するのに疲れて一瞬気を抜くと、彼に初めて攻撃された。
私のキャラクターは舞台から落下した。たった一撃受けただけで敗北した。
「はい、俺の勝ち。じゃあ……」
彼が腕を組んで考える。どうせ言うことはキスとかそういうことだろう。
「今月の30日にサークルの皆でキャンプすることになったから、それに来ること」
何だそんなことか。ひとまず安心したが、すぐに恐怖で冷や汗が出た。
「里香ちゃんはいるの?」
「多分いるよ」
私の顔が青ざめる。彼女と顔を合わせるのは非常に気まずい。
でも命令は命令だ。私は観念した。
「川で泳ぐかも知れないから、水着があった方がいいかも」
水着か。持ってないし、学校の授業以外で着たこともないな。ふと、私にいいアイデアが浮かぶ。
涼二くんを誘おう。すぐに彼にメールを送ってみた。
涼二くんは迷わず引き受けてくれた。私は彼と遊ぶことになった。
:12/07/25 22:46
:Android
:44/09JFM
#246 [ぎぶそん]
2日後。電車に乗り、涼二くんの住んでる町の駅で降りた。改札口を抜けると、女装をした彼がいた。
カールした髪を2つに結び、白いノースリーブシャツに7分丈の黒いズボンを履いていた。
駅を出て、彼の車である赤いスポーツカーに乗った。車内は芳香剤のいい匂いがした。
ここからそう遠くない場所にアウトレットの店があるということで、そこに向かって車が走り出す。
車の中で、共通の知人である真織のことで話が盛り上がった。
「小学校の時まおちゃんとは学校が終わると図書室で本を読んだり、川に魚釣りしに行ってましたね。高学年になると、ゲームばかりしていました。
中学に上がってからは僕がソフトテニス部に入ったので、遊ぶことは少なくなりなした。同じ塾に通ってたんですけど、まおちゃんは数学と理科のテストだけは常に満点でした」
「あいつ、今まで恋をしたことがないらしいね」
「そうですね、そういった話は全くしませんでした。僕もまおちゃんも大人しくて目立たない方だったので」
「それがどうしてあんな生意気な性格になったの?身長が伸びて調子に乗ったのかな?」
「そうかも知れませんね」
2人でけらけらと笑う。
真織は今までの人生を行儀よく真面目に生きてきたみたいで、どこか安心感がある。
何より異性を知らない。
私にとって真織は過去があってないようなものだった。
:12/07/25 23:24
:Android
:44/09JFM
#247 [我輩は匿名である]
あげます
:12/07/29 13:07
:F08A3
:bkhEdwvE
#248 [ぎぶそん]
【※247 匿名さん 前も上げてくれた方ですか?ありがとうございます。体調を崩してしまい、ここ数日書けませんでした】
アウトレットモールに到着すると、まずは洋服の店を回ってみた。
近々合宿に行くということで、張り切って洋服を物色する。
涼二くんの意見を参考にして、ワンピースを3着買った。
それから今日1番の目的である水着の店に入った。めぼしい品を1着1着見て探す。
白い生地に黒い水玉模様があるビキニが目についたので、試着してみた。
「どうかな?」
涼二くんに試着した姿を見せる。
「すごくいいと思います。すみません、今完全に男目線で見てました」
彼が両手で顔を覆う。着心地も良かったので、迷わず購入した。
正午を過ぎ、建物の2階にあるオムライスの店に入った。
「もうすぐあいつの誕生日じゃない?それで、誕生日プレゼント何にしようかと迷ってるんだけど……」
私は真織の誕生日のことが気がかりでいた。
「何でもいいと思いますよ。かなめさんから貰ったものなら喜びますよ」
「あいつハーレーが好きだから、そのミニチュアセットでも買おうかと」
「それはいいですね」
彼がにっこりと笑う。
「じゃあそうしようかな」
私も微笑み返した。
オムライスの店を出てちょっと歩くと、下着売り場が目についた。
「見ていいかな?」
一応性別の違う彼に配慮した。
「じゃあ、僕はここで待っておきますね」
「ごめんね、すぐ終わるから」
1人で中に入り、いつものようにベージュ色を探そうとした。
でも真織にいつも下着がださいとけなされていることをふと思い出した。
怒りで拳を握る。結局、ベージュ以外の色んな色の下着を購入した。
:12/07/31 22:25
:Android
:f95fGXxk
#249 [ぎぶそん]
その後モールを出て涼二くんのケータイから真織を呼び出し、2人で涼二くんの部屋に上がった。
涼二くんの部屋は私の部屋と同じ1DKだった。
リビングは必要最小限のものしか置いていない、殺風景な空間だった。
涼二くんが洗面台に向かう。ウィッグを外し化粧を落とした彼は、見事に普通の男の子に戻っていった。
そして涼二くんは私たちに冷やし中華を作ってくれた。甘辛い汁に浸った冷たい麺を啜る。夏を感じた。
アパートに戻ると、ノートパソコンを開いた。
ネットショッピングでハーレーのミニチュアモデルを探す。
くまなく探していると、6台セットで売られているものがあった。
数は多い方がいいかも知れない。それを注文した。
22日。ネット通販で頼んだ商品が届いた。
「かなめがネットで何か頼むとか珍しいな」
「うん、ちょっと本が欲しくて」
私はカモフラージュに部屋にあった教科書を彼に見せた。
彼に気づかれないよう注意して、ミニチュアセットを鞄の中にこっそり隠した。
その日の夜。明日からサークルの合宿ということで、必要な荷物をキャリーバッグに詰める。
「ちょっと待って」
彼がバッグの中に入ってあるピンク色のブラジャーを手にした。
それはこの間アウトレットモールで買った一品だ。
「こんな色の下着持ってたっけ?えっ……もしかして、勝負下着って奴?」
彼は呆然としていた。
「違うよ!安かったし、気分転換に買っただけ」
私は彼の手からブラジャーを取り上げた。彼が私の肩を叩く。
「まあ、夜を楽しみにしておくな」
その言動に激しく身震いした。
:12/07/31 23:03
:Android
:f95fGXxk
#250 [ぎぶそん]
23日。写真部の合宿の日になった。
早朝、メンバーが駅に集合した。私は皆に真織を紹介した。
「初めまして。入部希望……かも知れないです」
彼にカメラに興味があるフリを演じてもらった。
地味で大人しいメンバーが揃う中、目鼻立ちのはっきりとした真織は明らかに存在が浮いていた。
部長の渋沢先輩から今後の詳しい段取りを聞いた後、電車に乗ってペンションがある群馬県を目指す。
私と真織は当然のように隣同士で座らされた。
最初にちょっとだけ会話を交わすと、彼は私の肩に頭をもたれたまま眠ってしまった。
その重さに疲れがくるけど、彼の無垢な寝顔がかわいいので黙って見過ごすことにした。
駅に到着して、ペンションに向かうバスに乗った。
また彼と隣同士に座る。彼は窓に映る林だらけの景色をずっと見ていた。
私は車内を観察してみる。渋沢先輩は前の席で1人本を読んでいた。
彼の元恋人である小原は、1番後ろの座席で男の先輩と楽しそうに話していた。
彼女の笑い声が静かな車内に響く。気まずい雰囲気を感じ取る。
合宿に参加したことをわずかながら後悔に思っていると、隣に座る真織が私の手を取った。
「かなめも見てみろよ。面白いよ」
窓を指差し、無邪気に笑う彼。こいつがいれば、どんなことがあっても大丈夫だと思った。
:12/08/01 22:59
:Android
:.sB0Yp5Q
#251 [ぎぶそん]
1時間半ほどして、バスがペンションに到着した。
ペンションはログハウスの一軒宿で、山と清流に囲まれたのどかな場所にある。
中に入ると、木の香りが広がった。
「すげえ。本当にゲームのまんまだ」
真織が満面の笑みできょろきょろと辺りを見渡す。
「皆さん、今年もよろしくお願いします」
オーナーの神崎竜之介さんと、奥さんの弥生子さんが出迎えてくれた。
竜之介さんは40代後半くらい。白髪交じりの長い髪を、後ろに1つで縛っている。
弥生子さんはおよそ40代前後の、控えめで奥ゆかしい女性だ。
「林田雪です。皆さんお久しぶりです」
アルバイトの雪さんがやって来て、私たちに礼をした。
雪さんは30代前半くらいで、ふくよかな体系をしていてとても愛嬌がある。
その名のとおり、雪のように肌が白い。
彼女はとても親しみやすい人で、去年は彼女を交えて皆でトランプ遊びをしたのを覚えている。
合宿では2人部屋の洋室を借りることになっていて、その場で部屋割りを決める。
「かなめは真織くんと一緒でいいよね?」
まりやが白い歯を見せて笑う。
自分のわがままで彼をここに呼んだこともあるので、彼女の言葉に素直に従った。
それに、今更彼と一緒になろうが全く驚かない。
今日ずっと口数の少なかった真織が、竜之介さんたちに向かって口を開いた。
「ペンションって元々『年金』って意味で、年金生活をしていた夫婦が宿泊施設をはじめたことからペンションって呼ばれるようになったんですよね?」
「君、詳しいね!」
「へえ、あたし知らなかったわ!」
竜之介さんたちが感心した様子で彼を見る。
彼はさっそく竜之介さんたちの心を掴んでいた。
:12/08/01 23:26
:Android
:.sB0Yp5Q
#252 [ぎぶそん]
メンバーは一旦談話室で解散となり、私は彼と2階にある洋室まで荷物を置きに行った。
8畳ほどの広さの部屋はベットが2つあり、風呂トイレが共同で設置してある。
荷物を床に置くと、2人でベランダに出た。
「空気がうまいな」
隣にいる彼が深呼吸をする。
耳を澄ますと、近くで流れている川のせせらぎが心地よく聞こえてきた。
下に目をやると、渋沢先輩が玄関から出てきた。
「あの人かっこいいよな。背も高いし」
真織も彼を見る。
先輩は茶髪で色黒で、赤いフレームの眼鏡を掛けている。
身長は180センチ近くあって、筋肉質で逞しい体をしている。
色白で細身の真織とはタイプが全く違う。
先輩は高校時代非常にモテたらしく、恋愛経験も豊富らしい。
そういう点でも真織とは対照的だ。
2人に甲乙をつけるとするならば、私は断然に真織を選ぶ。
清廉潔白な真織の方が一緒にいて落ち着くから。彼の心は川の流れのような清さを感じる。
そんなことを思っていると、部屋のドアから軽快なノックの音がした。
ドアを開けると、まりやと1年生の角川くんという男の子が立っていた。
まりやは私たちにバドミントンをやらないかと誘ってきた。彼も興味津々だったので、私たちはその誘いに乗った。
1階の受付で用具を借り、外にあるテニスコートを利用して、私と真織、まりやと角川くんのペアになってダブルス戦を行うことになった。
対戦がはじまると、ほとんど私のミスで点数を奪われてしまった。でも、後方にいる彼が徹底的に応戦してくれた。
その結果、21対19で私たちが勝利した。ほぼ彼の貢献によるものだったけど。
:12/08/02 23:47
:Android
:3lWn.h9A
#253 [ぎぶそん]
「伊藤くんだっけ?俺と勝負してみないか?」
渋沢先輩がやって来た。
「いいですよ」
2人の対戦がはじまると、男どうしの激戦が続いた。先輩は部の間ではスポーツ万能で有名だった。
先輩は2コ下相手に何度もスマッシュを決める。2人の対戦は21対15で先輩が勝利を収めた。
「あいつやっぱりかっこよくない。いけ好かない奴」
先輩に負けた悔しさからか、彼はもう手のひらを返していた。
「たかがゲームに負けたくらいでそんな怒らなくていいじゃん。それに、あんたがこの合宿に参加できたのも先輩のご厚意があったからなんだよ」
彼はむすっとした表情で黙っていた。私はそんな彼の手を優しく取った。
「こんないい場所に来るなんて滅多にないよ。もっと楽しもうよ」
私がそういうと、彼は小さく笑った。
その後皆で川に足を着けて遊んだ。猛暑の中足に掛かる水はとても気持ちがよかった。
川の中で小原がよろけると、彼女の近くにいた真織が支えた。彼女もしっかり彼の腕を持つ。
そして彼女と彼が談話をはじめた。彼もきちんとした対応で彼女に接する。
私はその一部始終を不快に思った。彼女が真織に近づきたくて、わざとよろめいたように見えた。
と、そんな勝手な憶測で腹を立てる自分に嫌気が差した。私は落ち着きを取り戻そうと川の水で顔を洗った。
「ねえ」
私の元に彼がやって来た。
「渋沢先輩とあの女の人、何で一緒にいないの?夏祭りの時一緒だったよね」
「……2人はもう別れたよ」
「ふうん」
そこからお互い無言になった。夏祭りの夜あんなに否定したのに、まだ先輩のことが何か気にかかるのだろうか。
:12/08/03 00:36
:Android
:D1SbFdlc
#254 [ぎぶそん]
私は一握りの勇気を出した。
「私、渋沢先輩よりあんたの方が好き」
こわばった顔をし、彼の目を見て言った。
彼は私の言葉がうまく理解出来ないのか、放心状態で立ち尽くしていた。
「あ、うん。変な意味じゃないよ。一緒に住んでると、嫌でも愛着湧くみたい。飼ってるペットみたいに……」
私は一気に取り乱して、とっさに話を付け加えた。
すぐに彼が口を開く。
「早く夜にならないかな」
「何で?」
「2人きりになれるから。そうしたら色んなことが出来る。2人でしか出来ないこと」
彼もまた私の目を見て、真面目な顔で言う。
私は気恥ずかしさで居ても立ってもいられなくなり、まりやたちがいる方へ走って行った。
まりやたちといながら時々真織の方に目をやると、小原がまた彼に話しかけていた。
私はそれを見ても何とも思わなくなった。
彼は絶対に私の元に戻ってくるから。彼の居場所は、私だから。
「足立の知り合いのあの男の子、足立と一緒に住んどるんやっけ?」
彼を見ていると、和美という子が話しかけてきた。関西出身で、男勝りでさっぱりとした性格をしている。
「そうだよ。何か誰かとルームシェアをするのが夢だったんだって」
「何でや?」
「えっと……」
そういえば何でだ?後で聞いてみようかな。
「あちゃー。小原の奴、後であの子のことたらしこむ気やで」
和美がそうはっきりと言うほど、彼女は彼の身体にべたべたと触っていた。
小原は特別美人ではないけれど、男に苦労しないような外見をしている。
部の中ではスタイルが抜群にいいし、胸も私より大きい。
彼女のことはやっぱり少し不安になった。この3日間、用心しなければ。
:12/08/03 01:23
:Android
:D1SbFdlc
#255 [ぎぶそん]
夕方。皆で1階の食堂に集まり、一斉に竜之介さん手作りの夕食を取った。
私の隣で真織も食べる。
彼の目の前にいるまりやが、彼に話しかけてきた。
周りも得体の知れない彼に興味があるのか、耳を傾ける。
「真織くん、どう?うちの部」
「いいと思います。皆さん優しいですし」
「あれ?確か軽音楽部に入ってなかったっけ?」
まずい。今日ここに来たこと、不審に思われたかな?
「はい、入ってます。ですから、もしこの部に入部したら掛け持ちってことになりますね」
おお、こいつもなかなか返しが上手いな。
まりやの質問は続く。
「今彼女はいるの?」
「いいえ。僕、今までいたことないです」
「えー!それホンマなん!?」
びっくりした様子で和美が間に入った。
「ほんなら何や、伊藤くんは“チェリーボーイ”なん?」
和美がそのままの様子で問いかける。彼女の質問に、彼は黙って頷いた。
「じゃあ、お姉さんがオンナを教えてあげようか?」
小原が髪を耳にかけ、おどけた様子で言う。彼女の大胆な発言に、彼は一瞬うろたえた。
「いえ、僕、初めては好きな人とって決めてるんで……」
彼が小さな声でぼそぼそと喋る。
彼のその一言で、チキンソテーをフォークで切るのに動かしていた私の手が止まった。
小原が「冗談だよ」と笑いながら返すと、皆が笑った。
私も皆に合わせて顔に笑みを浮かばせつつも、心はひどく動揺していた。
彼の純潔は私のものと、既に先約してある。じゃあ、こいつは私のことを……。
ううん、彼は普段ほとんど本音を言わない。だから、これもただ断りたかったための口実だよね。
いちいち真面目に考えてたら、きりがない。
:12/08/04 00:23
:Android
:xEON1uX.
#256 [ぎぶそん]
夕食を食べ終えそのまま食堂で団欒した後、メンバーは1階の広間でビリヤードをすることになった。
真織は1人談話室でマンガを読みたいというので、彼とは一旦離ればなれになった。
およそ1時間後。ビリヤードが終わって談話室を覗くと、彼がソファの上で横になって寝ていた。
彼の前に座り込んでその姿を観察していると、雪さんがやって来た。
「かわいい寝顔。同年代だったら、あたし恋してたかも」
雪さんのその言葉で、当たり前に見ていたこの寝顔が、とても貴重なものに思えてきた。
雪さんがいなくなると、私は当たりを見回した。
誰もいないことを確認すると、私は彼の耳を唇で挟んだ。
彼の顔がかすかに歪む。その無意識な反応がかわいく思えた。
すぐにまた彼の耳を唇で挟んだり、舌の先で舐めたりを繰り返した。
「何してんの?」
彼が目を覚ました。眠りを妨害されたからか、少し顔が怒っている。
「あ、いや、こないだされたから、その仕返し」
「あ、そう。発情してんのかと思った」
「しないわよ、馬鹿!」
思わず大声で怒鳴った。
「どうしたの?」
雪さんが慌てて駆け寄ってきた。
「いえ、何でもないです。行こう」
彼の腕を引っ張り、2階へと上がった。
:12/08/04 00:41
:Android
:xEON1uX.
#257 [ぎぶそん]
部屋に戻ってから、私は彼に話しかけた。
「あんた、経験がないってこと、皆に知られて良かったの?」
「別に。事実だし、何も恥ずかしいことはないじゃん」
「そうだね。あんたって、意外と真面目だよね。しっかり自分を持ってていいと思うよ」
「それはどうもありがとう」
彼は私の頭をぽんと叩くと、着替えを持って風呂場に向かった。
彼が烏の行水で出ると、私もすぐにお風呂に入った。
お風呂から出ると、部屋が異常なくらいに冷えていた。
あまりの寒さにクーラーのリモコンを手に取ると、部屋の温度は16℃と表示されていた。
彼は布団にくるまっている。お前の仕業か。
こんな妙なことをするのなら、設定温度を上げて布団をはがせばいいのにと思う。
こういうエゴな奴がいるから、ますます環境破壊に拍車がかかるんだ。
「おいで」
彼が布団を開けてきた。
私は黙ってそれに従う。
きっとこうなるだろうと予想は出来ていた。
布団の中で、彼にきつく抱きしめられた。
真夏の熱帯夜なのに、なぜあたたかいことに幸せを感じているのだろう。
「冬が楽しみ」
「何で?」
「寒いから、毎日こんな風に抱き合って寝れる」
「寝ないわよ、馬鹿」
:12/08/04 01:15
:Android
:xEON1uX.
#258 [ぎぶそん]
彼が私の顔を見た。
「下着見せて」
私は黙って頷く。
彼が私の着ているTシャツをゆっくりとめくる。
しだいに水色の下着をつけた胸元が露出した。
彼がそれを真剣な顔で直視するので、緊張で身体が硬直した。
「かわいいじゃん。ずっとこういうの着けときなよ」
彼はそれだけ言うと服を直し、目を閉じ眠りについた。
彼はずるい。人の情欲を煽り立てるだけ立てといて、結局何もしないのだから。
ねえ、私たちいつするの?私はいつだってしてもいいんだよ。
あんたは何で“出来ない”の?
翌朝。部屋にある置き時計のアラームの音で目が覚めた。
私は涼二くんとの買い物で買った、赤いギンガムチェックのワンピースを着た。
後ろのファスナーを自分ではうまく上げきれないので、彼に手助けしてもらう。
私の後ろに回った彼は、ブラジャーのベルト部分を掴んだ。
「ねえ、これどうやって着けてんの?」
「秘密」
今度はワンピースを下からめくりあげた。
「パンツも水色だ」
「もう!早くファスナー閉めてよ」
彼は私が下着の色を変えてから、急激にそれらに関心を持つようになっていた。
:12/08/09 06:13
:Android
:0hVQSaQw
#259 [ぎぶそん]
朝食を食べた後、皆で近くの山に登ることになった。
私は体力に自信がないので、列の最後尾についた。
彼も私の隣につく。
私はその間、昨日の昼疑問に思ったことを彼に聞いてみた。
「あんたさ、ルームシェアをしてみたかったって言ってたじゃん?あれ、何で?」
「俺が餓鬼の頃、親父はしょっちゅう家にいないし、お袋もその頃まだ働いてたから結構寂しい思いをしてたんだよ。で、その時たまたま観たドラマが面白くて。見知らぬ男女数人が、共同生活を送る話だった」
彼は話を続ける。
「そいつら、最初はいがみ合ってたけど、だんだん距離が縮んでお互いの悩みを皆で協力して解決したり、夢や目標を心から応援する間柄になっていた。俺はそこで家族でもない赤の他人と深い絆が生まれることに感動して。友達とはまた違う、そういう関係っていいなと思った。で、自分も大きくなったら……って」
彼はそこで喋り終えた。
彼の言いたいことはよく分かった。
でも、彼の理想の生活における相手が、自分で良かったのかと不安に思う。
彼は人との繋がりを心の奥底から求めている。
私はそれにじゅうぶん応えられるだろうか。
:12/08/09 06:36
:Android
:0hVQSaQw
#260 [ぎぶそん]
山を登りながら、目についた草木を適当にカメラで撮る。
「あんたも撮ってみる?」
私は彼にカメラを渡した。
「鳥いないかな。鳥撮りたい」
気がつけば他のメンバーはどんどん先を進んでいて、辺りは2人だけになった。
山を登る途中で、川が流れていた。
彼はしゃがみこみ、その川の水で顔を洗う。私は真後ろから彼の広い背中を見た。
「……ありがとうね」
「何が?」
「あんたが前押し入れからカメラを出したでしょ?だからまた写真部に顔を出す気になれたんだよね」
「結局は自分の意思でしょ。自分で戻る気があったから、そうなっただけなんじゃない」
私は彼の背中を見たまま静かに笑った。
その後もひたすら山中を登り続ける。
「あ、鳥!」
彼が目の前を指差す。なんて名前かは分からないけど、緑色の小鳥が木に留まっていた。
私たちが近づくと、その小鳥は飛んでいった。彼はただ悔しがる。
「そんなに鳥が好きなら、バードウォッチングでも行けば?」
「うん、いつか一緒に行こう」
彼が笑う。
「1人で行けば?」
そのあどけない笑顔に、私は照れた。
山中を3分の2ほど登ったところで、はげしい悪路が続く。
「捕まって」
先を進む彼が自分の手を伸ばす。私もそれに従う。
彼は私の手を取ると、強い力で引っ張った。
彼は前を先導して歩き、足元が不安定な箇所があると私に手を差し出す。
前、彼は私の父に私のことを守ると言っていた。
特別意識してなかったけど、こういうことなんだと思った。
自然で、見失いそうなほどさりげないもの。
:12/08/11 23:32
:Android
:APPEQ5B2
#261 [ぎぶそん]
そうして私たちは他のメンバーからだいぶ遅れを取って、山頂にたどり着いた。
疲労も限界に達していた時であったからか、非常に大きな達成感があった。
私は山のてっぺんから風景写真を何枚も撮った。
隣にいた彼がいなくなったことに気づくと、小原が彼に話しかけていた。
少し気になったけど、無視した。誰にでも分け隔てなく接する彼は憎めない。
おそらく彼は彼女が渋沢先輩と付き合っていた時に5股をかけていたことを知っても、何の偏見もなく接するだろう。
私は彼の存在を忘れて、戻りはまりやたちと戻ることにした。
夕方頃部屋に着いて、ベッドに思いきりダイブした。
そのまままどろんでいると、彼も戻ってきた。
彼は私の隣に寝転ぶと、私の着ているワンピースを触った。
「朝から思ってたけど、この服かわいいな。こないだ涼二と遊んだ時に買ったんだろ?」
「どうしたの急に?」
「いや、小原さんが女を喜ばせたかったら、もっと褒めろって言ってたから」
「は?どういうこと?」
「あの人に色々教わってた。女への接し方とか」
彼の健気さに、私の中に熱いものがこみ上げてきた。
どうやら2人のことを誤解していたようだ。彼女にも疑いの目で見たことに申し訳なさを感じた。
私は彼にしがみつくように抱きついた。
「お世辞なら言わなくていいから。気持ち悪い」
「本当に思ってるよ」
彼が私の頬に手を添え、そしてつぶやく。
「最近キスしてないね」
私は静かに目を閉じた。彼は私にそっと口づけをした。
:12/08/12 04:33
:Android
:wfeWLSss
#262 [ぎぶそん]
皆で夕飯を食べた後、私は和美の部屋で彼女とまりやの3人で談笑をした。
1時間ほどして部屋に戻ると、彼はシャワーを浴びていた。
あいつの裸ってどんなのだろう。ふとそんな疑問が頭をよぎる。
上半身は知ってる。下着しか履いてない姿も、微妙に見たことがある。
それ以上は――想像しようとした自分に嫌悪した。
こんなことを考える自分が変態に思える。
そうすると彼がシャワーを浴びる音までもが、どんどん卑猥なものに聞こえてきた。
たまらず部屋を出て、1階まで下りた。
談話室のソファで座っていると、雪さんがアイスコーヒーを出してくれた。
少しずつそれを飲んでいると、階段から足音が聞こえる。
そちらに目をやると、タオルを首にかけた真織が下りてきていた。
「あ、いた」
彼も私の隣に座ると、雪さんは彼の分のアイスコーヒーを出した。
私は横目で彼を見る。彼はアイスコーヒーの中にミルクと砂糖を入れ、マドラーでかき混ぜていた。
乾かし方が不十分だったのか、髪がまだ濡れていた。長くも短くもない睫毛を見つめる。
視線を下げ、唇を見た。
リップクリームを塗ってるみたいに、つやつやとしていた。
――私はこの唇と何度もキスを……。
胸が熱くなる。
:12/08/12 04:50
:Android
:wfeWLSss
#263 [ぎぶそん]
ひとりでに心臓が高鳴っていると、雪さんが話しかけてきた。
「あれ、昨日も一緒だったよね?お2人はいわゆる“カップル”なのかな?」
「いえ、違います!」
私は両手を激しく振った。
「この人がただ僕につきまとってるだけです」
「それはこっちの台詞!」
私は彼にそっぽを向いた。
「ふふふ。まるで『修一』と『里奈』みたいね。あ、『殺意の月下美人』ってゲーム知ってるかな?」
「知ってます。このペンションがモデルになってますよね」
彼が答える。
「まあ詳しい。あたしは開発当時ここにいなかったんだけどね。でも、未だにゲームのファンの人がここに足を運んで来るのよ。ううん、ほとんどのお客さんがそう」
「俺もあのゲーム好きです。あれを越えるサウンドノベルゲームはないと思ってますから」
2人はその後もゲームについて話し込む。私はゲームの内容を知らないので、話についていけなくなった。
「あーあ、あたしも2人みたいな青春を送りたかったなあ。高校を卒業してからずっとここで働いているから。だからお2人は学生生活、悔いのないようにね」
最後にそう言うと、雪さんは去っていった。
アイスコーヒーを飲み終えた後、彼が夜道を散歩しないかと言ってきた。
2人で外に出ると、夏の夜風がひんやりと身体に当たった。
少し歩いて、テニスコートの近くにあるベンチに座った。
「蚊に刺された」
彼が腕を掻く。
「知ってる?蚊に刺された時に出来るこの膨らみは、蚊の唾液なんだぜ。これが痒みを引き起こすってわけ。うわ、これは結構な唾液の量だわ」
彼の腕の一部分はぷっくりと膨らんでいた。彼がその部分を激しく掻く。
私は彼の言動がおかしく思えてくすくすと笑った。
:12/08/12 05:17
:Android
:wfeWLSss
#264 [ぎぶそん]
「掻いて」
彼が自分の腕を私の元に伸ばしてきた。
言われたとおり、刺された箇所を爪を立てて小刻みに掻いてあげる。
「あんたって、本当華奢だよね」
彼の細い腕をじっくりと観察した。
「食べても太らないみたい」
「いいなあ。体重何キロなの?」
「確か56キロだったかな」
「身長はいくつ?」
「175」
「175センチで56キロは痩せてるの?」
「多分痩せてる方だと思う」
ふーん、と適当に相槌を打った。
また1つ2つ彼のことが知れたことに、ささやかな喜びを感じた。
「そっちは身長いくつ?」
「162だよ」
「体重は?」
「教えない」
「じゃあ胸のサイズ」
「そんなの教えるわけないでしょ!」
彼の唐突な質問に焦った私は立ち上がった。
「知ってるよ。Dでしょ?」
「何で知ってるの!?」
私は声を張り上げた。
「前洗濯物干してる時にブラジャーのタグ見た」
「勝手に見たの?変態!」
怒りと恥ずかしさで彼の身体を何度も叩く。
「誤解しないで。たまたま目についたんだよ」
「うるさい!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
執拗に叩き続けていると、彼が私の手首をぐいと掴んだ。
:12/08/12 22:12
:Android
:wfeWLSss
#265 [ぎぶそん]
そのまま彼は私の身体を抱え込み、私を膝の上に座らせた。彼の右手が私の左胸を包む。
「なあ、俺だったら触ってもいいんでしょ?前言ってたよね」
駄目、とは言えなかった。
「Dってでかいの?」
「知らない……」
「触ってみるとでかく感じる。見た感じもでかいけど」
彼の手がわずかに動く。
「小原さんよりは小さいよ」
「いや、このくらいでちょうどいいよ」
突然の触られように困惑したけれど、拒もうとは思わなかった。
彼に異性として見られている嬉しさでいっぱいだったから。
数分ほどそのままの状態でいると、近くで人の気配があることに気がついた。
数メートル先で、雪さんがこっちを見ていた。
「あ、ごめんなさい。2人が外に出たきりで心配だったから見に来たの……」
私は大慌てで彼から離れるように立ち上がった。
私と彼はすぐさまペンションに戻ることにした。
足早に部屋に戻り、ずっと閉じていた口を開いた。
「雪さんにやばいところ見られちゃったね」
「別にいいじゃん。もう後1日で帰るんだし」
「その後1日が気まずい。でも雪さんとも後1日でお別れか。あの人、すごくいい人だよね」
:12/08/12 22:32
:Android
:wfeWLSss
#266 [ぎぶそん]
私は気を取り直してお風呂に入った。
お風呂から出ると、彼がベッドの上で寝転んでいた。
「こっち来て」
私は彼と同じベッドに寝た。
「今日の下着は何色?」
「あんた、それ毎日聞くの?」
昨日と同様、彼が私の着ているシャツをめくる。
この動作をされるのも2回目だからなのか、抵抗感はほとんどなかった。
「ピンクか」
彼は私の胸元を真剣な顔で見ると、私の胸を人差し指で軽く押した。
「何これ、すげえ。弾力で跳ね返るんだけど」
非常に感激した様子で、位置を変えながら何度も押した。
私は自分の胸に彼の指の感触がある度どきどきした。
そうしてふつふつと情欲が湧いてくる。
「……したくならないの?」
彼の指の動きが止まる。
「だって、かなめのお父さんと約束してるから」
「そのことだったら、黙っていればばれない、と思う……」
「ばれなきゃ何してもいいって考えはよくないでしょ。約束は約束」
彼の反論があまりにも正論すぎたので、自分がとてつもなく惨めに思えた。
「俺だって一応男だし、やりたくないわけじゃないよ。でも、まずはかなめのお父さんの信用を得たいから」
彼は私のシャツを下ろした。
「大切な人を大事にしたいって気持ち、男になれば分かるよ」
彼がもの悲しげに背を向ける。
前、“出来ない”と言っていたのは、もしかして私のことを大切に思ってくれているから?
私はこの上ない嬉しさから目頭が熱くなった。
:12/08/12 23:01
:Android
:wfeWLSss
#267 [ぎぶそん]
その思いから、私は彼の背後にぴたりと身を寄せた。
「軽はずみなこと言ってごめんね」
彼がゆっくりと振り返る。
「俺の方こそ、近頃軽率な行動ばかりしてて悪かった」
彼は私を強く抱きしめた。
「大事にするから、ずっと俺のそばにいて」
「うん」
私の顔が熱くなる。心で嬉し涙を流した。
私は愚かだった。
とりあえず関係を持てば、彼が自分のものになると思っていた。
性が乱れた現代の若者社会の中で、貞操をきちんと守る自分たちが神聖に思えた。
彼とは焦らずゆっくり進もうと決めた。
それがどんなに周りから見て遅いペースだとしても、私はそれでじゅうぶん満足できるし、幸せだ。
次の日の朝。6時前にひとりでに目が覚めた。
1階に下りると、雪さんがフロアを掃除していた。
「あ、おはよう。昨日はごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ。昨夜はお見苦しいところを見せてごめんなさい」
私は彼女に頭を下げた。
「あの、実は、彼は私のルームメイトなんです。だから時々あんな風に悪ふざけをしていて……」
聞かれてもいないのに言い訳をはじめる自分がいた。
雪さんはモップで床を拭きながら、おだやかな顔をする。
「彼のこと、好き?」
「え!?まあ、嫌いじゃないですけど……」
:12/08/13 22:39
:Android
:74fGVW1s
#268 [ぎぶそん]
「あたしもね、高校の時同じクラスにすっごく仲がいい男の子がいたの。ある日の放課後、その彼に突然キスされちゃってね。あたしは彼に恋愛感情があったから嬉しい気持ちもあったけど、その時の関係を壊すのが怖くて、それからもずっと彼とはどっちつかずのまま過ごしてた。
そしたら彼、地方に転校することになったの。あの時の出来事は今でも後悔してる。結果的に彼と離れ離れになっても、気持ちだけは伝えるべきだったって」
雪さんがごしごしと床を拭く。その横顔が、とても寂しげに見えた。
昨日の夜彼女が、学生生活を悔いのないよう過ごして、といったのはそんな過去があったからなのだろうか。
「あ、そうだ。『殺意の月下美人』はやったことある?」
「いえ、ないです」
「よかったらやってみない?きっと『里奈』に感情移入できると思う」
そんな風に言われると、「里奈」というキャラクターに興味が湧いてきた。
雪さんはモップを壁に立て掛けると、ロビーの奥からゲーム機を取り出した。
私はそれを大事に抱えると、彼女に礼をしてまた2階へと上がった。
部屋に戻ると、彼がベッドの上で布団にくるまったままテレビを観ていた。
彼の視線が私の手元に移る。その目が輝く。
すぐさま一緒に「殺意の月下美人」をプレイしてみた。プレイをするといっても、私は彼が操作するのを隣でただ見るだけ。
犯人は覚えてるけど話の内容はほとんど忘れた、と彼が眉間にしわを寄せてぼやく。
:12/08/13 23:07
:Android
:vUJkAdPk
#269 [ぎぶそん]
横書きの文章が画面いっぱいに映る。
彼がそれを一字一句声に出して読み上げる。
話に聞いていたとおり、物語は修一という大学生の視点で描かれていた。
里奈もすぐに登場する。修一は山道でヘビを掴まえると、それを持ったまま里奈をおどかした。
里奈は最初はびっくりしたものの、馬鹿じゃないの、と逆にそのヘビを彼から奪った。
確かに、私ももし真織にこんなことをされたら、里奈と同じように返すかも知れない気がした。
架空の人物に一気に親近感を抱いた。
序盤で2人が山奥のペンションに入る。
文章の後ろに映る建物が、本当にこのペンションそのままなので身震いに似た感動をした。
やがて私の集中力が切れ、隣にいる彼を横目で見る。
雪さんは好きな彼に思いを伝えなかったことに後悔をしたと言っていた。
つまり、私にはそうならないようにね、と助言してくれたのだろう。
男と女の関係は、なぜ付き合うか付き合わないかの2択に絞られなければいけないのだろう。
付き合うとか付き合わないとか、そんなに重要なことなのかな?
私は今のままでいい。彼との関係につける名前もなくていい。“宙ぶらりん”でも構わない。
ただ、彼を失いたくはない。
支配したいし、征服したいから。
彼のことは歪んだ目で見てるのかも知れない。
そして、性的な目でも見てる。
時々表れる首すじ、やや出っ張った鎖骨、細くて長い指、しなやかな腰つき。
至近距離で毎日見て、女としての本能が黙っていられない。
1人の男としてじゅうぶん魅力的な体をしているのに、彼はまだ女を知らない。そんな微笑ましい食い違いがあると、ますますそそられる。
:12/08/14 00:36
:Android
:J.Y.UXss
#270 [ぎぶそん]
夜は一部のメンバーと雪さんを交えて、談話室でババ抜きやお喋りをして過ごした。
「そうだ。真織くんってギター弾くんだよね?雪さん、ここにギターってありませんでしたっけ?」
まりやがそう言うと、雪さんどこからかアコギを持ってきた。
真織がそのギターを持つと、2年の女子たちが、あれ弾いて、とか、あれ歌って、と騒ぐ。
彼はちょっと考え事をしてから、ギターを弾きながら小さな声で何かを歌う。
これは以前彼から聞いた話なのだけど、ある程度ギターの技量がある人は、だいたいの曲を楽譜を見なくても弾けるようになるらしい。なぜなのかは本人もうまく説明できないそうだ。
有名な曲なのか、ほとんどの女子が一緒に口ずさんでいた。私はその歌を知らなかったけど、リズムにインパクトがあっていいと思った。
彼が歌い終わると、皆が大きな拍手をする。女子たちは彼にとても感心していた。
周りに褒められると、彼は照れた顔で謙遜する。
皆、一見爽やかな好青年に見えるかも知れないけど、こいつは昨日私の胸を触ったんだよ。と、心の中で叫ぶ。
初めはその態度の変わりようにむかついたけど、今は逆に楽しさを感じている。
私には気兼ねなく素顔を見せてくれるんだと思うから。
10時すぎに一斉に解散すると、真織と2人で外に出た。彼はベンチに座り、辺りを一瞥してから煙草に火をつける。
「気楽に煙草を吸えないのが辛い。早くハタチになりたいわ」
「合宿、楽しかった?」
私は立ったまま彼に話しかけた。
「うん、来て良かった。でも写真部には絶対入らない」
「皆には後でうまくごまかしておくよ」
私は口に手を当てて笑った。
:12/08/14 01:28
:Android
:J.Y.UXss
#271 [ぎぶそん]
彼が上目遣いで私の顔を見る。
「サークルは続けるの?」
「うん、とりあえず」
「それがいいと思う。せっかく入ったんだから」
私も彼の隣に座った。
「でも私、写真やカメラがそんなに好きなわけじゃないんだよね。あんたは音楽に特撮にバイクに、夢中になれるものがたくさんあるでしょ?私にはそれがない」
「別に無理に好きにならなくてもいいんじゃない?サークル活動のメインが、仲間づくりでもいいと思う。動機なんてそんな重要じゃないでしょ。俺だって、端からかっこよく見えるかなって理由でギターはじめたし」
「ありがとう」
私は大きく笑った。
彼が煙草を吸い終わると部屋に戻って、私はすぐにシャワーを浴びた。
「今日の下着は白でーす」
お風呂から出て、私は彼の前で着ているシャツを思いきりめくった。
なぜか両親の顔が浮かぶ。1人娘が異性の前でこんな下品なことをしていると知ったら、彼らはショックで寝込むに違いない。
「超かわいい。もうベージュは絶対着けないで」
また彼と寄り添って寝た。
翌日。朝食を取ってから、皆で竜之介さんたちにお別れの挨拶をした。私は特に雪さんにお礼の言葉を述べた。
その後すぐ戻りのバスに乗った。バスが発車してからすぐに、隣の席の真織はぐっすりと眠っていた。
私はそっと彼の手を取った。
彼とはいつも一緒にいられるとは限らない。
だったら私はその日が来るまで、この手をただ握るだけ。
:12/08/14 01:56
:Android
:J.Y.UXss
#272 [ぎぶそん]
8月26日。久しぶりにバイト先に顔を出すと、うっとうしい奴が入ってきていた。
名前は大川龍平。歳は17歳で、近くの高校に通ってるらしい。
自分で手入れをしているのか眉毛が細く、傷んだ髪は襟足が長い。ピアスの穴もたくさん開けていて、見るからに素行が悪そうだ。
言葉遣いも敬語とため口が入り混じっていて、最初の挨拶をした途端馴れ馴れしく話しかけられた。
龍平はとにかく自分語りが好きなようで、こちらが訊いてもないのにお喋りをはじめる。
中学の時はワルかったとか、酒と煙草がやめたいけどやめられないとか、初体験は中2の時だったとか、今まで14人の女と寝たとか、女を落とす時の口説き文句とか。
バイトが終わってからも、彼のマシンガントークは続く。
根本的に人間性が合わないなと思いながら、彼の話に適当に相槌を打つ。
「俺、年上の女の人がすげえ好きなんすよね。だから、どうにかして泉さんと1発やれないかなって思う」
ちょっと。目の前にいる私も、一応あなたより年上なんですけど。
まあ、ハナからそういう対象に見られなくてほっとするっちゃするけどさ。
そんな龍平を隣にして痛感する。私は真織といる時どんなに心が安らげているかって。
アパートに戻ると、真織が台所で夜ご飯を作っていた。
今日のメニューはうどんのようで、沸騰したお湯の中に入れた麺をひたすらかき回している。
私は帰って早々、後ろから彼に抱きついた。
「どうしたの急に?」
彼が今日も自分の近くにいると思うと安心する。
いよいよ明日は彼の誕生日だ。自分なりに祝って喜ばせてあげたい。
:12/08/14 23:05
:Android
:J.Y.UXss
#273 [ぎぶそん]
今日もいつもと変わらず、11時すぎに彼とともにベッドに入った。
暗がりの中、ケータイの待ち受け画面で何度も今の時刻を確認する。
夜の12時。待ち受け画面の表示が8月26日から8月27日へと変わった。真織の19歳の誕生日がやって来た。
当人は私の隣で熟睡していた。
日付が変わったと同時に「おめでとう」と言いたかったけど、無理に起こすのは気が引けるのでしない。
静かに立ち上がり、鞄に入れっぱなしだった彼への誕生日プレゼントを取り出した。
そして台所の下の棚を開け、それをフライパンの上に置いた。
朝、朝食のロールパンをかじりながらニュース番組を観た。
彼は雲1つない天気の中、ベランダで洗濯物を干している。
20分前に目を覚ましてから、歯を磨いても顔を洗っても、ずっと気持ちが落ち着かなかった。
洗濯物を干し終えた彼が戻って来て、昨日の夜からずっと言いたかった言葉を彼に告げた。
「台所の下の棚、開けてみて」
彼が怪訝そうに言われた場所に向かう。向こうの部屋から、扉を開くと同時に彼の「えっ!」とびっくりしたような声が聞こえた。
「ハーレーのミニチュアじゃん。これどうしたの?」
彼が箱を持って戻ってきた。
「19歳の誕生日おめでとう」
「覚えてくれてたの?俺の誕生日」
彼はあぐらをかいて床に座ると、箱から6種類のミニチュアを取り出した。
「ファットボーイだ。こっちはCVOかな」
ミニチュアの1つ1つを、鑑定士のように色んな角度からじっくりと見る。
顔は喜色満面の笑みで溢れていた。
:12/08/15 23:57
:Android
:IffePLSg
#274 [ぎぶそん]
彼がここに初めて来た日は、無愛想であまり笑わない子なのかと思ってた。
でも、意外にも彼は結構な頻度で笑う。自分の感情を素直に表現するのだ。
私は彼の笑顔については快く思っている。
笑うということは、楽しいということだから。
彼は私といて楽しいんだ。友人の少ない私にとっては、そう思ってくれる人がいるのはかなりの財産だ。
昼になり、私たちは大学の近くにある個人経営のカフェに入った。
店長がパリで修行の経験があるらしく、店の名物である手作りケーキは雑誌にも紹介されるほどの評判らしい。
と、甘いものに目がない佐奈が、以前大学の帰りにこの店の前で言っていた。
真織の誕生日をどう祝おうか考えた時、ふいに彼女のその言葉を思い出した。
そしてこの店のケーキを食べようと思い立ったのだ。
こじんまりとした店内は女性客ばかりで、男性客は真織だけだった。
彼はそんなことはお構いなしに中央の席に座る。彼はいつも人の目を全くといっていいほど気にしない。
だから人前で恋愛経験がないことも何のためらいもなく正直に話すし、1人暮らしの女の部屋にも平気で住み着けるのだと思う。
彼はなんというか、珍獣だ。とことん変わっている。見た目はちょっとおしゃれな男子大学生って感じなのに。
そして私は今日もそんな珍獣と一緒に過ごしている。
:12/08/16 00:39
:Android
:ljn1uonY
#275 [我輩は匿名である]
楽しみに読んでいます。話が深く面白い! 頑張ってくださいね(。'―'。)
:12/08/16 01:28
:SH906i
:DN8won3k
#276 [ぎぶそん]
【※275 匿名さん ありがとうございます。すごく励みになります】
彼はテーブルに立てかけてあったメニューを広げる。
「今日は私のおごり。遠慮せず何でも食べて」
私は黄色いテーブルクロスの上に財布を置いた。
「それじゃあフルーツパフェにしようかな」
「誕生日なんだから、ケーキを食べなさいよ。そのために連れてきたのに」
「何でも食べてって言ったじゃん。今はパフェの気分なんだよ」
「じゃあそれでいいよ。私も同じのにする」
今日の主役は彼だ。今日1日は彼の気持ちを優先させよう。
私はベルで店員さんを呼んだ。
注文を終えると、彼は就職の面接に来たかのようなきちっとした姿勢で、でも落ち着きなくそわそわとしていた。
「どうしたの?」
「ほら、俺の誕生日ってちょうど夏休みの期間にあるだろ?ちっちゃい頃は涼二や他の友達を家に呼んで誕生日会を開いてたけど、だんだんと家族からも祝ってもらうことなんてなかったから懐かしくて」
彼の上半身が前後に小刻みに動く。
「誕生日プレゼントあれで良かったかな?他に思いつかなくて」
「うん、すげえ嬉しかった。親父にバイク買ってもらった時より何万倍も」
いやいやそれはない。ミニチュアはせいぜい1万、あんたのバイクはその100倍の値段じゃない。
でも、まあ、それくらい嬉しかったってことよね。私はふっと笑った。
:12/08/16 23:08
:Android
:ljn1uonY
#277 [ぎぶそん]
御盆に乗った2つのフルーツパフェが、若い女性店員の手によって運ばれてきた。
彼はいただきますと手を合わせると、目の前のパフェを精密な機械で動いてるかのように、同じペースで同じ量をひたすらぱくぱくと食べる。
私は自分の分のさくらんぼを彼にあげた。彼はすぐに嬉しそうな顔でぱくっと食べた。
その動作がおかしかったから、パイナップルもりんごもあげた。彼は、サンキュー、と言ってむしゃむしゃと頬張る。
変な子。単純で素直で心がすれてなくて、でも煙草を吸うんだよね。
私は彼より先に食べ終え、トイレに入った。
トイレから出ると、全部食べ終えた彼がカードのようなものを手にしていた。
近くで確認すると、私の財布から学生証を取り出していた。
「勝手に見ないでよ」
取り返そうとしたけど、彼に拒まれた。
「今より髪長いね」
彼にそう言われて思い出した。大学1年の春は胸くらいまで髪が伸びていた。
「受験生の時は美容院に全く行かなかったから伸びっぱなしだった。去年の夏にばっさり切ったかな、あまりにも暑かったから」
彼は学生証を財布に戻し、そして財布を私に返した。
「どうかな?長いのと短いの、どっちが似合ってる?」
私は笑顔を作り、両手で左右の髪を引っ張った。
「どっちでもいいんじゃない」
彼は無表情で下を向いた。どうでもよさそうだ。
「そう言われるのが1番困る」
「じゃあ短いの」
「本当にそう思ってる?」
「うん」
彼は無表情のまま頷いた。
私たちの話し声が聞こえたのか、右隣の席にいる2人組の女性にくすくすと笑われた。
やめやめ。こんな会話、付き合いたてのカップルみたいじゃん。
:12/08/16 23:35
:Android
:ljn1uonY
#278 [ぎぶそん]
たちどころに会計を済ませ、店を出た。外は冷房の効いた店とは違いいやな熱気がむんむんとしていて、あまりの蒸し暑さに全身がうだる。コンクリートも床暖房みたいに熱くなっていた。
「どこか行きたいところある?」
首筋の汗をハンカチで拭いながら、彼にたずねた。
「家がいい。家が1番落ち着く」
ちょうど私もそう思っていたところだ。
キンキンに冷えた部屋でキンキンに冷えた麦茶を豪快に飲みたい。
夏はそれが1番快適な過ごし方な気がする。
私たちはたちまち彼のバイクでアパートに戻った。
生温かい空気が部屋中にたちこもっている中、冷蔵庫で冷やしていた麦茶をごくごくと喉の音を立てて飲んだ。
2人でベッドに寝転ぶ。3分前に入れた冷房が、ひんやりと上半身に当たる。
私の提案で「キラーアイランド」の続きを観た。
夏休み開始からこつこつと観始めて、今はもうシーズン2の中盤まで鑑賞していた。
リズを殺人鬼に殺されたトーマスは、今度は無人島に元から暮らしていたレイラ(無人島に人が住んでいたのはシーズン1の最終話に判明)と親密な関係になった。
トーマスとレイラが森の中に走り込むと、2人がお互いに服を脱ぎ出した。
これはまずい。長年の勘からすぐに2人がいやらしいことをすると感じ取った。
私は急いでリモコンを取り2倍速で早送りをした。はげしい動揺で口の中がからからに渇く。
再生ボタンを押すと、主人公のニックがロイドというお爺さんと森の中を散策するシーンになっていた。
後ろを振り返る。彼は口を開けて眠っていた。
あれ、このシチュエーション、前もあったな。私は顔がほころんだ。
私は彼を起こさず、そのままドラマの続きを1人で観た。
:12/08/17 21:54
:Android
:t/xoF1WI
#279 [ぎぶそん]
全部観終わってDVDのディスクを取りだそうとした時、後ろから声がした。
「卵焼きが食べたい」
振り返ると、彼は寝そべったまま目を開けていた。
「分かった。じゃあスーパーの惣菜コーナーで買ってくる」
そろそろ夕飯の準備をしなければいけない時間だった。
「いや作って。甘いのがいいな」
卵焼きといえば溶いた卵を焼いて巻く、一見言葉にすれば簡単だけど、これが意外にも一筋縄じゃいかない部分がある。
そう思わされたのが小3の時。興味本意で試しに作ったら、表面を焼きすぎてパサパサしたものが出来て、とても萎えた。
私はさっそく料理の本を持って台所に立った。
ボールに卵を割り、醤油、塩、砂糖とともにかき混ぜる。
余熱した鍋に油を引き、卵を流し込む。
もういいかな、と思えるタイミングで奥から手前に3つに折りたたむ――
本に書いてあるとおりに、彫刻とか陶芸とか芸術作品を作るような気持ちで、息を吐きながら慎重に作業する。
そうして表面に茶色い焦げ目が斑についた、一応卵焼きといえる卵焼きが完成した。
:12/08/17 22:08
:Android
:t/xoF1WI
#280 [ぎぶそん]
食卓にハンバーグやナポリタン、お子様ランチみたいなメニューが並ぶ。
ハンバーグの味には自信があった。彼がここに来てから、かれこれ5回は作ったからだ。
ハンバーグは彼の好物。誕生日の日に必ず作ろうと、必要な材料は前日に買い込んでいた。
ちなみに、ナポリタンは私の好物である。
彼はいただきますを言うと、まっさきに卵焼きを一口食べた。
「うまいじゃん」
眠そうだった彼の目にみるみる活力が湧く。お世辞ではなさそうだ。
「主婦とか向いてんじゃない?」
「それはいくら何でも褒めすぎだよ」
「っていうか、俺らって夫婦みたいなもんだよな。一緒に暮らしてるし」
私は拳を握ってテーブルを思いきり叩いた。そのわずかな衝撃で彼の身体がびくつく。
「いい加減にして」
彼に睨みをきかせて言った。
「ごめん」
その後ドラマの続きを観て、お風呂に入って、一緒にベッドに入ってと、いつもと変わらないまま1日を終えることになった。
ベッドに入ってすぐ、彼が私の身体に覆いかぶさってきた。
「キスしてもいい?」
「え?いいけど」
「舌入れてもいい?」
「えっ……うん」
彼にキスをされると、口の中で彼の舌が私の舌にまとわりついてきた。柔らかくてぬるぬるとしてて、不思議な感触がする。
私はただちに彼の身体を離した。
「やっぱりやめて」
合宿の時は自分から誘おうとしたのに、なんて無様なのだろう。
でもこのキスをするのは相当恥ずかしい。ん、とか変な声が漏れるし。
「ごめんな」
暗がりだけど、彼が悪そうにしているのが分かる。
もしかして、昼間ドラマで早送りした箇所、私たちがいつかやろうとしてること、さっきのキスより強烈だったりする?
:12/08/17 22:37
:Android
:t/xoF1WI
#281 [我輩は匿名である]
なんで女の子はいきなりキレるんですか?キレ方がヒステリックに感じてしまうのですが(;ω;)
すごく面白いのにそこだけ気になってしまって・・・ゴメンなさいm(__)m
:12/08/17 22:51
:SH906i
:qKQghMv6
#282 [ぎぶそん]
【※281 匿名さん いえいえ、質問すごく嬉しいです(^^)
#280の「いい加減にして」の箇所ですか?
彼にいきなり『夫婦』みたいだといわれ、その表現が恥ずかしくてかっとなった、という気持ちからテーブルを叩き睨んだ…という説明は変でしょうか?
匿名さんを疑問に思わせたのは、自分の表現が下手で不足していたからですね。すみません。もう少し考えます。
ありがとうございました。自分でも勉強になりました(^^)】
:12/08/17 23:40
:Android
:t/xoF1WI
#283 [ぎぶそん]
次の日。バイトの休憩中、休憩室にあるイスに座って昨日の真織との出来事をぼんやりと思い返していると、香水のきついにおいが鼻腔を刺激した。
「かなさん、聞いて聞いて。俺、昨日1年の女子に告(コク)られちった。どうしたらいいと思う?」
龍平がにやけ顔で、襟足を弄りながら隣に座ってきた。せっかく楽しいひとときに浸っていたのに、こいつのせいで一気に台無しになった。
「その子のことが好きなら付き合ったらいいんじゃない?」
「それがね、その子なんか重いんよ、気持ちが。それに、純粋だしさあ。俺みたいな下衆が手出していいんかと思う」
結論が出てるなら言うなよ。ううん分かってる、こいつはただ誰かに知らせたかっただけ。“女の子に告白された”って吉報を。
「かなさんって目の前のアパートに住んでるんでしょ?今日バイトが終わったら遊びに行ってもいい?」
「それは出来ない。今一緒に住んでる人がいるから。その人の許可を取らないと」
なんて、真織は寛大だから誰を連れてこようがいちいち咎めない。
もっとも、今まで彼と住んで佐奈と泉しか上げたことがないけど。
「男?女?」
「男」
「えっ、彼氏?同棲してんの?かなさんってなかなかやるね」
「違うよ。知り合いの息子さんで、頼まれたから私の部屋に住まわせてるの」
厳密に言えば知り合いの知り合いの息子になるけど、いうのが面倒なので省いた。
どうせ龍平もその辺については全く興味がないだろう。
:12/08/17 23:59
:Android
:t/xoF1WI
#284 [ぎぶそん]
「そいつ見たい。俺に紹介してよ」
「嫌だ」
「何で?俺とかなさんの間柄じゃん」
間柄って。まだ今日で顔を合わせて2回目でしょーが。
なぜか私は龍平に気に入られてる。たぶん私が彼の話を黙って聞くから。
「分かった。じゃあさ、写メとかないの?それで我慢する」
それくらいならと、ロッカーを開けて鞄からケータイを取り出した。
そして真織が写っている画像を見つけると、それを龍平に見せた。夏休みのはじめに真織とヒーローショーを見に行った時、ショーの終わりにステレオマンと写真撮影する時間が設けられて、その時一緒に撮ったものだ。
「左の人?イケメンじゃん!」
龍平の団子鼻が興奮でひくついた。
「なんかいいな、一緒に住んでるとか。楽しそうで」
私は彼の言葉を右から左に流した。17歳の龍平のいう言葉は、その場限りで重みがないから。
8月29日。晩ご飯を食べ終え、真織と一緒にキャンプの準備をはじめた。こないだ買った水着もリュックに入れる。
その途中、夜の8時は過ぎてるというのに呼び鈴が鳴った。
ドアを開けると、龍平が立っていた。
「龍平くん?どうしてここに!?」
「休憩室の棚にあった履歴書に書いてた住所、っていうか部屋の番号を頼りに来ちゃった」
私は彼の言葉に愕然とした。
その行動、まるでストーカーじゃん!
「どうしたの?」
真織もリビングからひょっこり現れた。
「あっ、写メの人だ」
龍平が真織を指差す。
「あ、この子、同じバイト先の大川龍平くん。最近入ってきたの」
私は真織に紹介したくもないのに龍平を紹介するはめになった。
:12/08/18 01:40
:Android
:poL8XlM.
#285 [ぎぶそん]
「それで、何か用?」
真織がいる手前、龍平に笑顔を作る。
「かなさん、本当に悪いんだけどしばらくここに泊めてくんない?」
龍平が細い目をぎゅっと閉じ、顔の前で手を合わせる。
「え、それは駄目だよ!」
私は両手を左右にぶんぶんと振った。
だって、明日から真織とキャンプに行くし。
でもそんな私の気持ちをよそに、真織が間に入ってきた。
「いいじゃん、泊めてやれよ。小山内には電話で急用ができたって言っておくから」
ええー!ムンクの「叫び」みたいなポーズで、心の中の私が悲鳴をあげた。
キャンプで里香ちゃんに会わなくて済むのは嬉しいけど、龍平の相手をするのはもっと嫌。だってこいつ面倒くさいんだもん。
龍平は「あざーす」とか軽いお礼を言って、部屋に上がった。
彼は肩にスポーツバッグを提げていた。結構長居される感じで、私の顔が引きつる。
私はいやいや龍平に麦茶を出した。彼は一気に飲み干す。
彼と真織はすぐに打ち解けた。
「高2ってことは、俺の弟と同い年か」
みるからに不良な龍平にも、真織は何事なく接していた。
「龍平くん、なんでここに来たの?お家の人心配しない?」
言うことがおばさんっぽいなあと思いつつ、彼に問う。
「俺ん家、片親なんよ。話すと長くなるから言わないけど、俺ん家ってとにかくすげえ複雑な環境。親父は今新しい彼女連れて楽しそうにしてる。だから俺のことは心配してない」
龍平の複雑そうな環境に、哀れみの気持ちが生まれる。
自分のことをよく話したがるのも、誰かに自分のことを強く理解してほしいから?
でもそれとこれとは別。家庭環境がどうであれ、今の非常識な行動はいただけない。 。
:12/08/18 02:01
:Android
:poL8XlM.
#286 [我輩は匿名である]
>>282なるほど、照れてるんですね。蹴ったりテーブル叩いたりする怒り方だったのでちょっと疑問だったんです。ありがとうございました(。'―'。)また、楽しみに読ませていただきます。
:12/08/18 10:00
:SH906i
:OyREmN6Q
#287 [ぎぶそん]
【※286 匿名さん いい足りなかった部分がありました。恥ずかしいのと、本当に怒ってるとの両方です。
>>210 に
「私は彼とは反対に、彼といる時は全然“素”じゃない。
今まで誰かにこんな荒々しい言葉遣いはしたことないし、もちろん暴力なんて振るったこともない。
彼といると、常に新しい自分が見えてくる。」
と書きました。
「なぜ暴力を振るうのか?」という疑問は、当の本人も分からない、が正しいのかも知れません。
匿名さんのいうヒステリックも正しいと思います(これだとあまり魅力的な主人公ではありませんが…)。
暴力的になる理由、これからうまく書いていきたいと思います。
また何か疑問やご意見がありましたら、よろしければこちらにお願いします(^^)d
感想版
bbs1.ryne.jp/r.php/novel/4172/ 】
:12/08/18 22:25
:Android
:poL8XlM.
#288 [ぎぶそん]
龍平は話を続ける。
「俺、花火大会の時に、友達とナンパしてたんだよ。そこでゲット出来た女とその日にヤったんだけど、その女、中学の時の先輩の彼女だったらしくてさ。最近そのことがバレて、ヤった相手、つまり俺の名前も吐いたらしい。それで先輩、今俺のこと血眼になって探してる。で、ここなら足がつかないだろうと思って」
龍平が眉毛を八の字にし、情けない様子で言う。
私はまたとんでもなく面倒くさいことに巻き込まれたなと思いながら、呆れた様子で言った。
「じゃあその先輩に素直に謝りに行ったら?」
「無理。絶対殺される」
龍平が土下座の体勢に入った。
「お願い。何でもするから、しばらくここにいさせて」
龍平が頭を床にぴたりとつける。
私はため息をついた。ほとほとに困っていた。
真織が龍平の前で腰を下ろし、龍平のなで肩を優しく叩いた。
「龍平くんだっけ?俺も素直に謝った方がいいと思う。1人で行くのが怖かったら俺もついていくから」
「あんたは行っちゃ駄目!」
私は瞬時に止めに入った。先輩とやらのところに行けば、きっと部外者だろうが関係なく殴られる。
真織の白くて美しい顔が、見るも耐えられないくらいぼこぼこに腫れ上がるだろう。
ううん、顔だけじゃない。腕、腹、背中、脚、全身容赦なく滅多うちにされるに違いない。
もしかしたら、殺されるかも。相手が殺す気がなくとも、死んでしまうかも――だから、真織は絶対に行っては駄目。
:12/08/18 23:39
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:poL8XlM.
#289 [ぎぶそん]
それに、一緒に謝りに行っては龍平のためにならない。1人、ことをやらかした本人のみで行かせないと。
龍平に同情する面もある。もし彼の話が100パーセント真実なら、先輩の彼女と知らないで近づいたのだから。
犯罪も、故意か過失かで刑罰の重さがだいぶ変わってくる。
「分かった。先輩にはきちんと謝る。でも1週間でいいから、ここにいさせて」
龍平の細い目は涙ぐんでいた。
真織は泊めてやれと言ったが、私は今すぐにでも彼を追い出す気でいた。でもここまでせがまれては、無下に断れない。「分かった」と言うしかなかった。
夜の11時、リビングの床に布団を敷き、龍平を寝かせた。真織と私はベッド。実織くんがちょうど3週間前にここに来た時と同じ形だ。
深夜を過ぎても、龍平のケータイがひっきりなしに鳴る。龍平は決して電話に出ない。出ないから、またケータイが鳴る。
――もう、うるさい。
私は彼を泊めたことを後悔した。
2日後の夕方、私たち3人は駅の中にある回転寿司に入った。
「今日は俺が奢るから、何でも食べていいよ」
真織は龍平にとことん優しかった。龍平もそんな彼に甘え、「真織さん」と慕った。
2人は部屋で一緒に煙草を吸い、ゲームをして遊んだり、真織が龍平にギターを教えたりしていた。
私はというもの、龍平が来てから1日1時間1分1秒がとても長く、陰鬱に感じていた。
自分の部屋なのに安らげない。四六時中彼に気を遣い、いつもの3倍は疲れてる気がする。
1週間なんてすぐに来るかと思ってた。それなのにまだ2日しか経ってない。
久しぶりの寿司を前にしてもあまり箸が進まず、なんの旨味も感じられなかった。
:12/08/19 22:49
:Android
:lbbKZsHo
#290 [ぎぶそん]
9月1日。朝、龍平はベランダの窓を開けて壁にしゃがみこみ、煙草を吸っていた。
「今日は始業式なんじゃない?」
私は彼に話しかけた。というより、今から洗濯物を干したいから彼が邪魔なのである。
「行かない、面倒くさいしつまんないし。もう辞めようと思ってる」
龍平がふああと間抜け面であくびをした。
私はその言動すべてに怒りを感じ、いや、これまでの積もりに積もった鬱憤が一気に爆発した。
「ちょっと立ちなさいよ」
私の言葉に、龍平が煙の上がる煙草を片手にひょいと立ち上がる。
私は龍平のニキビ面に向かって渾身の力を込めて平手打ちした。パシン、とハエたたきにも似た軽快な音が響いた。
「ふざけないでよ!あんたのお父さんのことはよく知らないけど、少なくとも男手1つであんたを養って、一生懸命働いて、その働いたお金で学費を払ってあんたを学校に行かせてるんじゃないの?」
親のすねをかじっている私が怒れる立場じゃないけど、この横暴な態度には我慢がならなかった。
龍平の目に涙が浮かんでいた。そして肩を震わせながら、嗚咽まじりにいう。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
大人ぶってた彼の仮面が剥がれ、17歳のありのままの素顔が見えた気がした。
「俺、今から学校に行く。んで、学校が終わってから先輩に謝りに行く。男として、けじめをつける」
龍平が腕でごしごしと涙を拭う。人間、ここまで急激に変われるものかと呆然とした。いや、龍平は心の奥底ではいつも変わりたいと思ってたのかも知れない。
:12/08/19 23:23
:Android
:lbbKZsHo
#291 [ぎぶそん]
龍平はすぐに荷物をまとめ、部屋を出た。私と真織も、玄関先で彼を見送る。
「かなさん、真織さん、本当にご迷惑おかけしました」
龍平が私たちに向かって深々と頭を下げる。
「あ、そうだ。これは俺からのプレゼント。2人で使って」
龍平がスポーツバッグの中を何やら探る。
「何これ?」
彼に銀色をした長方形の箱を渡された。深緑色の文字で0・5ミリと記載されてある。
「ゴム」
輪ゴム?輪ゴムの箱って、普通横に長くて縦に短いよね?
ヘアゴム?でも箱売りのなんて、見たこともない。
箱を訝しげに見ていると、龍平が声を上げた。
「かなさんもしかして知らない?コンドームだよ、コ、ン、ド、オ、ム」
龍平の言葉に私は「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、両手で持っていたそれをまるで時限爆弾であるかのように離した。生気を失った。
「まあ2人で楽しんでくださーい」
龍平は無邪気に笑い、手を振りながら去っていった。
――龍平の奴。最後の最後まで余計なことを。
龍平が帰った後、私は彼に貰った箱を足で蹴りながらリビングにあるゴミ箱の前まで移動させた。
「あ、あの、これ、捨てた方が、い、いいよね?つ、使わないし」
私は自分の真下にある箱を指差した。
「え?う、うん」
真織はうなだれ、首に手のひらを当てていた。
経験がない同士、性行為のためのアイテムの登場には困っていた。
「あると使いたくなっちゃうかも知れないしな」
彼の言葉に顔が熱くなり、私は箱を足で何度も踏み潰した。
箱は原型がなくなり、潰れた空き缶のように平たくなった。私はそれを拾い上げると、ゴミ箱にさっと入れた。
:12/08/19 23:59
:Android
:lbbKZsHo
#292 [ぎぶそん]
部屋はまだ龍平がつけていた柑橘類の香水の残り香が漂っていた。
私は洗濯物を干すことにした。彼に洗濯カゴから衣類を出してもらいながら、ハンガーにかける。
「あんた、何であの時龍平を泊めようとしたの?」
「何となく」
「何となく、ね。キャンプ行けなくなったけどいいの?」
「そこまで楽しみにしてたわけじゃないから。それに面白いものも見れたし」
「面白いもの?」
「かなめのマジギレ」
彼がいうのは、約20分私がここで龍平を激怒したことだろう。
「ああ、さっきのね。私もそんな出来た人間じゃないのに、偉そうだったと思う」
「――優しいよな」
彼の手が濡れたハンカチを握ったまま止まった。
「かなめは、優しいよな。前、子供の時壊した人形の代わりにって指人形くれて、風邪引いた時はわざわざ学校から戻って看病してくれたし、床で寝てたら必ず布団をかけてくれる。俺がここを出たくないのも分かったら、出て行かなくていいって言ってくれたよな。さっき龍平くんを怒ったのも、彼のためを思ってなんだろ?」
彼が優しく問いかけてくるので、私は動揺した。
「やめて、私はあんたが思ってるような人間じゃない。いつも何も考えてないで行動してるから。だからありがたく思わないでいい。それに、龍平のことは嫌いで、早く帰ってほしいと思ってた。あいつのことひっぱたいたのも、単にむかついたから。奢ったり一緒に遊んであげたり、あんたの方がよっぽど優しいよ」
私は彼の手からハンカチを取った。
「後は1人でやるから、もうあっちに行っていいよ」
ハンカチを持ってない反対の手で、彼を追い払うように手を振った。
彼は従順な態度でその場から離れた。
:12/08/20 01:37
:Android
:87iFZhWY
#293 [ぎぶそん]
――「優しい」だって。そんなこと、親にだって言われたことがない。私のこと、いつもそんな風に思ってたの?
悪い気はしないけど、初めて言われたその言葉は私の全身をむずむずさせた。
「かわいげのない女」って揶揄される方が、よっぽどしっくりくる。
だって私って、あんたにきつくてすぐ怒鳴ったり手を上げて、そのくせキスしたり胸も触っていいよなんていう意味不明な女じゃんか。
私は以前彼が椎橋くんの部屋でこんなことを言っていたのを思いだし、はっとした。
――俺は冷たいような優しいような、わけの分からない人がいいかな。
洗濯物を干し終えると、リビングの中央で彼が突っ立っていた。
服を着ておらず、下に膝が隠れる程度の黒い水着を穿いている。
繰り返し彼が行う両手を交互にかく動作は、クロールを連想させる。
「何してるの?」
「今から一緒に風呂入らん?」
「何言ってるの。馬鹿じゃないの」
「もちろん裸でじゃないよ。お互い水着でさ。暑いし水風呂入りたい」
彼のいうように暑かった。ここのところ猛暑が続いていて、ついさっき洗濯物を干しただけでも頭部から汗がだらだらと垂れ、脇の下も汗で湿るほどだった。
水風呂――その言葉を聞いただけで全身がひんやりと冷たくなるような、不思議な魔力が暑さにやられた私を誘惑する。
「分かったわよ。ちょっと待ってて」
私は押し入れの近くにあったリュックからビキニを取り出し、脱衣室に向かった。そしてそれに着替えると、再び彼の前に立った。
:12/08/20 22:49
:Android
:87iFZhWY
#294 [ぎぶそん]
「どうかな?」
その場で身体を1回転させた。
「くびれがないね」
ムッカー。余計なお世話だっつーの。
ややむすっとしていると、彼が急にはにかみだした。
「やっぱりキャンプに行かなくて良かった」
「何で?」
「あいつらには見せたくない、からかな」
この野郎この野郎。照れ笑い浮かべてんじゃないわよ。
あんたは私の所有物だけど、私はあんたの所有物じゃないから。
私は彼の前でにやけそうになるのをぐっとこらえた。
それから自動給湯器の前に立ち、給湯温度を25℃まで下げ、自動給湯のボタンを押した。
狭い風呂場は2人同時に入るとかなり窮屈で、ほとんど自由がなかった。
浴槽に水をためてる間、お互い身体をさっと水洗いすることにした。
まず、私が彼の身体にシャワーの水を当てた。彼は最初冷水の急激な寒さに身を縮ませていたけど、だんだんと慣れ快適そうに喜んでいた。
私も彼に身体を流してもらった。途中、顔に勢いよいシャワーの水をかけられひるんだ。私も彼からシャワーのホースを奪い、彼の顔にかけた。とことんふざけあった。
その後、冷たい水がじゅうぶんたまった浴槽の中に入った。浴槽は2人いっぺんに腰を下ろす余裕がないので、私が彼の太ももの上に跨がった体勢でいる。
お互い素肌を密着させた状態で、対面にして喋る。
「2人一緒だと狭いね」
「狭い方がいい」
:12/08/20 23:16
:Android
:87iFZhWY
#295 [ぎぶそん]
彼が私の二の腕を触りはじめた。
「女の肌って、なんでこんなに柔らかいの?不思議」
「知らない。私としては、男の硬い肌の方が不思議」
「お互い違うから惹かれあうのかな?」
彼は引き続き二の腕を触っている。
「唇は男も女も同じ柔らかさじゃない?」
私は彼の唇をつまんだ。ぷにぷにとしていて、動かす指が勝手に反動する。
彼は二の腕を触っていた手を離し、自分の唇を触る私の手を掴んだ。
「こうした方が感触が分かりやすいんじゃない?」
そして、私の唇にキスをした。その唇の柔らかさが、私の唇へと伝わる。
水の中にいるのに、体はたちまち熱を帯びた。
彼にその後なすがままに耳や首筋を愛撫されていると、部屋の呼び鈴が鳴った。
龍平かな?おおよそ忘れ物をしたとかで。
「俺が出るよ」
彼が上がった。彼は脱衣室で軽くタオルで全身を拭くと、玄関へと向かった。
ほっとしたような、寂しいような、どっちでもないようなで、私は1人心臓をばくばくとさせていた。
:12/08/20 23:56
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:87iFZhWY
#296 [ぎぶそん]
玄関は風呂場の壁を越えた向こう側にあり、彼が風呂場のドアを開けたまま行ったので、彼と訪問者の声がはっきりと聞こえてきた。
「よっ!今俺らキャンプから戻ってきた。お前がいなかったから、市倉さん不機嫌だったぞ」
「お前なんで海パンなんか穿いてんの?」
小山内くん、それに椎橋くんの声がした。
「何か用?」
真織がたずねる。
「今日の夜暇?俺ん家の近くの河川敷で花火やる予定なんだけど来ない?っていうか、本当は向こうでやる予定だったんだけど、後でお前も入れてやろうってことになったからやらないで持って帰ったんだぞ」
椎橋くんが言った。
「いいよ。でも、足立さんも一緒でいい?」
「オーケー。お前って本当足立さんのことが好きだな。いつも足立さん足立さんって言ってる」
「足立さん、友達がいなくて可哀想な人だから」
おい!おおっと、落ち着け私。これは、お互いのためを思っての嘘だから。
仮に彼が「うん、そうだよ。俺、足立さんのことが好き」などと否定しなければ、一気に周りから冷やかしの目で見られる。
人前ではよそよそしくいるのが正解なのである。
椎橋くんたちが去り、彼が戻ってきた。
「椎橋たちが今日の夜花火しようって」
「聞こえてた。ええっと、里香ちゃんは来るのかな?」
「来るんじゃない?いつもそれ聞くね」
「えっ!ああ、女の子もいた方が安心だなーって」
全くそんなことない。でも、私があんたと一緒に住んでるから、私はあの子に嫌われているとは、さすがに里香ちゃんに悪くて言えない。それだと私が間接的に愛の告白を述べているようだもの。
「ところで、さっきの続き、する?」
「しません!」
私は浴槽から出た。
:12/08/21 00:21
:Android
:ieRUI2iI
#297 [ぎぶそん]
夜の8時。彼と一緒にバイクで集合場所の河川敷に向かった。
夜のだだっ広い河川敷はうすら寒く、私たちの他に鉄橋の下で騒いでる若者グループもいた。
「足立さんも連れてきた」
真織が私の肩に手をやる。
椎橋くんや小山内くんを含むメンバーは、私に対して笑顔で会釈してくれた。
そんな中、里香ちゃんはあからさまに嫌そうな顔をしていた。
彼女の気持ちは、じゅうぶんに理解できる。もし私が彼女の立場だったら、ものすごく辛い。好きになった人に異性の同居人がいるなんて。しかも2人はそこそこ円満な関係と見た。
だから私は彼女にそしられたとしても黙って受け入れるつもりだ。
「鍋さんは?」
小山内くんが椎橋くんにたずねる。
「遅れるから先に始めてていいって」
鍋さんって誰だ?まあいいや。
そして椎橋くんの一声で輪になり、さっそく手持ち花火をやることになった。
里香ちゃんは常時真織の隣をキープしていた。そのか細い手は真織の服の袖を掴んで放さない。
里香ちゃんはまるで私がここに存在していないかのごとく、徹底して目を合わせなかった。これは悪態をつかれるよりも、よっぽど精神的にくる。
何で私、年下連中とちまちま花火をやってるんだろう。
でも、里香ちゃんの真織に対する動向はできるだけ見張ってないと。
真織が里香ちゃんからの誘惑に負け、うっかりベッドイン――なんて事態はなんとしても避けたい。
あいつの初めては、私のだから。
そう思いながら、ススキ花火からあわただしく散る火花を見ていた。
:12/08/21 22:21
:Android
:ieRUI2iI
#298 [ぎぶそん]
3本目の花火に火を点けようとした時、1人の男の子が私たちのところにやって来た。
この人が「鍋さん」?こんな人真織の仲間内にいたっけ?いや、打ち上げの時新入生として挨拶してたかな?覚えてない。
その男の子は私の隣に座った。彼は私と目が合うと、無表情のままぺこりと頭を下げた。なんとなく、怖い。
「あっ、鍋さんは足立さんとは初対面だっけ?足立さん、この人、鍋さん。鍋島充さん。学年は俺らと同じ1年だけど、歳は足立さんと同じですよ」
彼の隣にいる小山内くんが、私に彼を紹介してくれた。
私の大学は1浪して入学した者も珍しくはない。無愛想ではあるが、私はここにいる唯一の同級生に安心感を覚えた。
火花の光で照らされる鍋島くんの顔は非常に美しく、頭の先から足の先まで洗練された雰囲気が漂っていた。
前髪は目にかかるくらい伸びていて、どこか陰のある感じがする。
鍋島くんがズボンのポケットからケータイを取り出すと、ケータイにぶら下がってあるストラップが揺れた。
地球そのものの丸いからだに手足が生えただけの、シンプルなデザイン――見覚えがあった。
「あっ、それちきゅ丸くんだよね?」
私はストラップを指差した。
「知ってるんですか?」
「うちに人形あるから」
「ちきゅ丸くん好きなんですか?」
彼の黒目がちの目が見開く。
「えっ!?う、うん!」
本当は興味がないけど、そう言わざるをえないような気がした。
「初めて会いました、自分の他にちきゅ丸くん好きな人」
目は笑ってないけど、彼の口元がわずかに緩む。これが彼なりの笑顔なのだろうか。
:12/08/21 23:16
:Android
:ieRUI2iI
#299 [ぎぶそん]
そして鍋島くんはちきゅ丸くんについて冷静に熱く語りだした。
まるい1頭身のからだがたまらなくかわいくて、グッズ収集に精を出しているのだという。
彼の話から、ちきゅ丸くんの他に月の助くん、太陽太郎くんなる関連キャラクターもいることが判明した。
里香ちゃんの物言わぬ敵対心に心を痛めてたから、鍋島くんの存在にはだいぶ救われた。
アパートに戻って、すぐにこのことを真織に話した。
「さっき鍋島くんと話した」
「鍋さん?あんまり話したことないけど、1度だけ一緒に学食食べたっけ。あの人すげえかっこいいよな。男の俺でも話してて緊張する」
「あんな人軽音サークルにいたっけ?」
「途中から入ったんだよ。確か6月だったかな」
それだったら見たことないのも頷ける。
「あんたってさ、いつも里香ちゃんと何話してるの?」
私は話題を変え、ずっと気になっていたことを彼に聞いた。
「今日は中原中也の詩についてかな。その前は三島由紀夫、小泉八雲の時もあったな」
彼の口から出たのは意外にも、日本を生きた作家たちの名前であった。
「あの子本の虫みたいでさ。俺も本読むから、誰かと語りたいみたい」
なるほど、それでべったりなんだ。かわいい上に文学少女なんて――里香ちゃん、恐るべし。
それなのになぜあんたは私を選ぶの?
:12/08/22 21:38
:Android
:bcLC0y5M
#300 [ぎぶそん]
2日後。バイト先で龍平と顔を合わせた。
彼はあの後先輩に謝りに行ったと言う。
彼は殴られた。
その悲痛さは、彼の顔面が物語っていた。3日前のことだから、腫れはだいぶ引いていたけど。
「でも、俺はかなさんのビンタの方が痛かった」
「それはないでしょう」
「ううん、心に響いた感じ。俺、今のまんまじゃ駄目だと思った」
私は龍平からされて嫌だと思ったことをすべて許すことにした。
そして、彼からのプレゼントを速攻で捨てたことを心の中でわびた。
翌日。昼の12時前、呼び鈴が鳴った。
近頃は訪問者が多いな。そう思いながらドアを開けた。
「久しぶり。元気してる?」
佐奈だった。
「一昨日鈴木くんと水族館に行ってきたの。これ、そのお土産」
彼女が持っていた紙袋を差し出す。そして他に話があると言うので、私は彼女を部屋に入れた。
「真織くん、久しぶり。相変わらずかっこいいね」
彼女はリビングで真織と対面すると、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ。
私は彼女に麦茶を出した。彼女はそれをおちょぼ口で1口飲むと、話をはじめた。
:12/08/22 21:53
:Android
:bcLC0y5M
#301 [ぎぶそん]
「実はね、今日の夜同じサークルの先輩たちと合コン行くことになって、かなめにも数合わせに来て欲しいんだけど」
「合コン!?鈴木くんはどうしたの?」
「相変わらず進展はなし。佐奈は向こうから告白してくれるの待ってるのに、やきもきしちゃう。それに、他にいい人いたらそっちに乗り換えるし。女はしたたかに生きなきゃ」
そういうと、彼女はまた麦茶をちびちびと飲んだ。
私は彼女の言葉に苦笑いをした。
でも、彼女のこんな正直なところが大好きだったりする。
『他にいい人がいたら乗り換える』という彼女の発言は、これまで何度も聞いた。
でも、結局彼女は鈴木くんという男の子を約1年以上思い続けてる。
その鈴木くんとやら、見たことないけど面食いの佐奈が惚れるくらいだから、そんなにいい男なのかな?
「合コンの相手グループ、医学部の人たちなんだって。しかも、全員かなめの好きな年上」
な、何ですと!?だいぶ興味をひかれた。
私は真織の目を見て言った。
「――というわけで私出かけるから、今日の夜は1人で食べといて。年上の医学生だって。ああ、素敵な人がいるといいな。何着て行こう」
「誰もかなめのことなんか相手にしないと思うよ」
ピッキーン。真織の言葉で、一気に気分を害した。
:12/08/22 22:10
:Android
:bcLC0y5M
#302 [ぎぶそん]
「あんたは私の何を知ってるの?私、普段あんた以外の人の前ではかなり大人しいから。あんたといる時とだいぶ違うの。ね、佐奈?」
私は佐奈に同意を求めると、彼女は「うん」と言って頷いてくれた。
その後彼女は麦茶を飲み干すと、立ち上がった。
「それじゃあ、今日の夜また来るね」
佐奈が帰ると、彼はさっそく彼女からのお土産の箱を開けた。
「これ何?」
四角い箱の中には、12個の丸いピンク色のお菓子が入っている。
「知らない?マカロンだよ」
「マカロン?そりゃまたかわいらしい名前だな。……んっ、うめえ!」
彼はそれをいくつも口に入れ、リスみたいに頬いっぱいにため、もごもごと食べていた。
全く子供ね。私は夜の一大イベントに備え、しばし仮眠を取ることにした。
夕方。水色のワンピースを着て、化粧を入念にした。
洗面台の前で髪型を整えていると、彼が私の真後ろに立った。
「本当に行くの?こんなところ触っていいの俺だけじゃなかったの?」
彼が後ろから私の左胸を鷲掴みにした。
私はその手を払い、振り返った。
そして、彼に向かって人指し指を突き立てた。
:12/08/22 23:31
:Android
:bcLC0y5M
#303 [ぎぶそん]
「それはそれ、これはこれよ。言っとくけど私、あんたじゃなくてあんたのカラダに興味があるだけだから。そこんとこ誤解しないで。あんたと求めてるのも、カラダの関係だけ」
どう、ひどい女でしょ?ほら、もうさっさと私のこと軽蔑しなさいよ。
「このひょろひょろの体がいいの?」
私の予想とは裏腹に、彼は自分の両腕を交互に見た。
そのマイペースな態度に、ますます頭がのぼせた。
「もうあんたのそういうところが疲れる。どうしてそう調子を狂わせるの?年下のくせに、私より優位に立とうとしないで!いい?私が上で、あんたが下。私は女王アリ、あんたは働きアリよ」
「働きアリはメスだよ?」
「うるさい!揚げ足を取るな!」
私は足の甲で彼の脚を蹴った。
えーいうるさいうるさい。私が他に恋人を作れば、あんたは見事私から解放されるんだよ。
こんな横暴で狂気じみた女と、もう一緒にいなくていいんだよ。
これは、あんたのためでもあるんだから――
彼はあくびをしながら、脱衣室を出た。
「まあ行ってらっしゃい。行ってもたぶん恥をかくだけだと思うけど」
「それ、どういう意味よ?」
「別に」
:12/08/23 00:50
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:woe9kXy6
#304 [ぎぶそん]
その10分後、佐奈が訪れた。
「佐奈についてきて」と言われ、ママチャリを漕ぐ彼女の後にぴったりとついて自転車を漕いだ。
大通りに出て、駅とは反対の道をひたすら進み、青信号で反対の道へ渡ると、彼女は古い神社の前で足を止めた。
神社の前では男女数人が立ち話をしていた。佐奈が「さくら先輩」と声をかけると、背の高い女の人が手を上げた。
そしてグループが動きを見せ、ぞろぞろと歩いてどこかに向かう。私と佐奈も1番後ろでそれについていく。
気がつけば洒落た居酒屋の個室に座っていて、男女5対5での合コンの席が開かれた。
まず、男性からの自己紹介となった。
彼らは全員サッカー部所属で、そこは佐奈や彼女の先輩らと同じだった。ただ、同じサッカー部でも医学部とはキャンパスが違うので、佐奈たちの部とは全くの別物になっている。
ぽっちゃりした人、茶髪でホストみたいな身なりの人、出っ歯で、げっ歯類みたいな顔の人。
どこにでもいるような人たちだけど、医者の卵と思えば無条件で光輝いて見えた。
:12/08/23 22:21
:Android
:woe9kXy6
#305 [ぎぶそん]
「1番左にいる人、かなめ好みじゃない?」
私の隣にいる佐奈が、私の耳元でささやいてきた。
私は彼女の言うその男性に目をやった。
黒髪で短髪、フレームなしの眼鏡をかけている。凛とした態度で、身動きをとることなく座っていた。
その男性が自己紹介をはじめた。
「桜庭夏樹です。医学部医学科所属で、現在4回生になります」
彼の発する重低音の声が耳に心地よく響いた。佐奈のいうように、桜庭さんは私にとって好印象だった。
次に女性陣の自己紹介となった。
1番最後となった私は、名前と学年、学部学科、サッカー部ではなく隣にいる佐奈の友人だということをつぶやくように言った。
その後、未成年の私と佐奈以外は酒を飲みながら、近くにいる人同士でお互いの質問疑問を混ぜた談話がはじまった。
私は佐奈と男性たちの会話を聞いたり、訊かれたことを答えたりしながら、何度も自分の腕時計に目をやった。
:12/08/23 22:41
:Android
:woe9kXy6
#306 [ぎぶそん]
あいつ、今頃何してるかな。晩ご飯、何を食べたんだろう。
真織の顔がちらつく。すぐに邪念を捨て、その場を楽しむことにした。
ホストみたいな人のおどけた話にあははと笑うけど、ほとんど頭に入らなかった。
料理に手をつけても、1人でこんなご馳走を食べていることに罪悪感を感じ、味覚がにぶる。
自分でも気づかないうちに、かなりあいつに毒されていると思い知った。
2時間ほどで店を出て、もっと親睦を深めようと、近くにあるアミューズメント施設でボーリングを行うことになった。
私の足取りは憂鬱だった。
ボーリングを最後にやったのは去年の夏、佐奈を含む同じ学科の子たちと遊んだ時。
スコアはいつもよくて70がいいところ。めちゃめちゃ格好悪い。
施設に入ると、周りと同じようにシューズを履き、ボールを投げた。
私はガターを連発し、その度にホストみたいな人が「ドンマイ、ドンマイ」と笑って励ましてくれた。
その何気ない笑顔が、自分をより情けなく感じさせた。
真織が言っていた「恥をかくだけ」とは、このことだったんだなと気づいた。
でもボーリングに来たのはただの偶然。それに彼は私の下手さも知らない。
それじゃあ何、私は何をしても恥をかくって言いたかったの!?
くそっ、真織め。自分の番になり、怒りに身を任せ、8号のボールを投げた。
そのボールはまっすぐ突き進むと、ピンを9本倒した。
:12/08/23 22:58
:Android
:woe9kXy6
#307 [ぎぶそん]
自分の番が終わった後自販機で缶コーヒーを買い、テーブルに肘をついて飲んだ。
「足立かなめちゃん、だっけ?」
片手に缶ジュースを持った桜庭さんが隣にやって来た。
「かなめ、ってかわいい名前だね」
男みたいで嫌だな、とずっと思っていた自分の名前を、彼が褒めてくれた。
「ありがとうございます。桜庭さんの名前こそ素敵ですよ、『夏樹』って」
そう、真織と同じ中性的な名前だ。――って、いかんいかん。また私、あいつのこと考えてる。
「ありがとう。あ、敬語遣わなくていいよ。俺のことも、『桜庭くん』って呼んで」
「分かりました、あっ、分かった。桜庭くん」
「そのワンピースもかわいいね。似合ってるよ」
桜庭くんは私の着ていたワンピースを指差し、にこにこと笑う。
彼に2度も褒められた私は、気分が高揚した。
どうだ真織。私だってね、桜庭くんのような素敵な人に出会うことだって出来るんだよ。
そして居酒屋では2人で話ができなかったので、とそのまま立ち話をした。
桜庭くんは精神科医になりたいらしく、ゆくゆくは地元の厚木市で開業できたらな、と言う。
この夏休み、バイトで貯めたお金でイタリアまでサッカーの試合を観に行ったらしい。
その話のすべてが別世界に感じた。
:12/08/23 23:25
:Android
:woe9kXy6
#308 [ぎぶそん]
「――かなめちゃんは、彼氏がいるの?」
突然桜庭くんに訊かれた。
「え?いないよ。どうしてそんなこと聞くの?」
彼の質問に私が否定するように手を振ると、彼が私の着ていたワンピースの襟をつまんだ。
「だってこれ、キスマークだよね?」
彼の指先に目をやると、私の右鎖骨から約2センチ下の部分がほんのりと赤くなっていた。
「虫刺されじゃない?」
私はそこを痒くもないのに掻いた。
「ううん、これは間違いなくキスマークだよ」
医学部で人体の構造におそらく詳しい彼が言うのだから、間違いないのだろう。
でもなぜ?――真織!?あいつの仕業か!きっと私が昼間寝てる時にやったんだな!
「実は私、今年下の男の子と一緒に住んでるんだ。彼氏じゃないよ、ただの同居人。そいついたずら好きで、今日私がここに来るの知ってて、こんなことしでかしたんだと思う」
私は泣きそうになりながら言った。
桜庭くんは私の話にうん、うんと首を縦に振りながら聞いてくれた。本当に恥ずかしい。
それからあいつのことを思うと、今まで抑えていた怒りがめらめらと湧き起こった。
「そいつ、生意気だし、甘えたがりだし、すぐ人のことからかうし、未成年なのに煙草は吸うし、そのくせドーテイのくせに妙に色っぽいカラダして、もう、だーいきらい!私がどんなに怒鳴っても暴力を振るっても怒らないし。同じサークルのかわいい子に好かれても、見向きもしない。きもいきもいきもいきもい!」
まくし立てて言ったので、ぜえぜえと息を切らした。
:12/08/24 00:23
:Android
:FsaPFYBI
#309 [ぎぶそん]
桜庭くんがふっと笑った。
「好きなんだ」
「え?」
「その男の子のことが好きなんだ」
「違うよ!大嫌いって言ったじゃん!」
「嫌よ嫌よも好きのうち、って言うじゃない?それに本当に嫌いだったら一緒には住めないんじゃないかなあ」
彼がくすくすと笑うので、かぁーと全身が熱くなった。
私は完全に墓穴を掘ったようだった。もう、その穴に入りたいと思うほど恥ずかしかった。
誰にだって理想があると思う。それは私も同じ。
包容力のある年上の男性と結ばれ、素直に気持ちを表現し、甘え、とびきりの笑顔を見せる。
今、がんばればその願いが届く範囲にいるのに。
それなのに、あいつが気になって気になってしょうがない。
年下で、生意気で、冗談ばかり言って、甘えたがりのあのクソガキが。
私の理想の男性像とはほど遠い、むしろ真逆のあの男が。
彼が気になる。その気持ちを封じ込めなければ、押し殺さなければと思うのに、時々ついうっかりと垣間見せてしまう。
いけない、と思って、またそっけなくする。
それでもあいつは子犬みたいな目をしてやってくる。
いくら冷たくしても、私のことを一向に嫌いになろうとはしない。
そればかりか、近頃はこんな私のことを、「大切な人」や「優しい」などと言うようになった。
あいつ一体何なの!?怖いよ、気持ち悪いよ。
もう、どっか行ってよ。ううん、行かないで。
あいつが私を壊した。私の理想を、プライドを崩壊させた。何で私をこんな気持ちにさせるの?
私も私よ。どうしてあいつのことばかり考える?
私はあいつがたまらなく憎い。そして、たまらなく――
:12/08/24 00:47
:Android
:FsaPFYBI
#310 [ぎぶそん]
その後何事にも集中できず、魂が抜けたような気持ちで帰路を辿った。
佐奈が帰り際「やっぱ佐奈、鈴木くんにしよーっと」と、あっけらかんと言っていたのが唯一の救いだった。
アパートに戻ると、真織はベッドの上で文庫本を読んでいた。
「どうしてこんなことしてくれたのよ!」
私はワンピースの襟を広げて鎖骨の下を彼に見せた。
「変な虫がつかないように」
「せっかく桜庭くんっていう素敵な人と仲良くなれたのに、あんたのせいで恥かいちゃったじゃない!」
「だから行っても恥かくだけだって言ったじゃん」
彼があざ笑う。
「もう何てことしてくれたのよ!おまけにあんたのことす……す、好きって勘違いされたじゃん!」
「俺のこと好きじゃないの?」
「当たり前でしょ!」
「あっそ。俺も俺もかなめのことが好きじゃないよ。だーいきらい」
彼が本に目を向けたまま、まるで先生に当てられて教科書を読む生徒みたいな調子で言った。
さんざん気のある素振りを見せて、その態度は何なの?
彼が本を閉じ、立ち上がった。
「――出て行く」
「えっ?」
「お互い嫌ってる同士でぎすぎすするのも嫌でしょ。俺も1人暮らしはじめるよ。今までありがとう」
彼はショルダーバッグを持ち、そのまま玄関へと向かった。
私は目が右に左に何度も動いた。心臓も鎌かつるはしかが突き刺さったように痛む。全身からわずかに冷や汗が出た。
:12/08/25 23:08
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:IveFXFwc
#311 [ぎぶそん]
【※310 “俺もかなめのことが”です】
「お願い!行かないで!」
私は走って彼を追いかけ、後ろから思いきり抱きついた。
リビングの明かりが後ろから差すダイニングの中央で、2人が立ち止まる。
「ごめん嘘ついた!あんたのこと嫌いじゃないよ、嫌いじゃない、嫌いじゃないから……」
本当はもっと言いたいことがたくさんあった。
でもこう言うのが今の自分にとって精一杯だった。
「――――――本当、かわいいんだから」
彼が蚊の鳴くような声で言った。
“かわいい”。何故だろう。桜庭くんに言われた時より数段嬉しさがあった。
彼が自分の腰まわりに絡んでいる私の両手をそっと握る。
「ちょっとプライドが高くて、ちょっと偏屈で、ちょっと不器用なところが、たまらなくかわいい」
私は彼の言葉をしっかりと聞いた。
ねえ私。私のことここまで思ってくれる人、この人以外に現れると思う?――
彼は私の手を離し振り返ると、私の頭を撫でた。
「嘘だよ。出て行かないから」
彼のいつもの屈託のない顔に、涙が出た。
「あっ、でも1つ謝らなくちゃいけないことがある」
「何?」
「マカロン、毛利さんからのお土産、1人で全部食べた」
彼の指差す方を見ると、テーブルの上に空の箱が置いてあった。
私は涙を拭いながら笑った。
私はこいつがたまらなく憎い。そして、たまらなくああああ愛し――。
今はまだ自分の心の中でさえも言えないのであった。
:12/08/25 23:32
:Android
:IveFXFwc
#312 [ぎぶそん]
次の日の朝。ベッドの上で、私は彼に執拗に迫られていた。
「今度合コンに行ったら、もっと目立つところにつけるよ?こことか」
彼が私の首筋をしゃぶる。
「あんた、本当は経験豊富でしょ?」
「ないよ。どうして?」
「なんか、慣れてる気がする……」
本当、悔しいよ。
その時、隣の部屋からドンッと大きな物音がした。
私と彼は思わず壁を一瞥して、お互いの顔を見合わせた。
――ドンッドンッドンッ。
音は鳴り止まない。
隣には渡瀬明穂さんという社会人の若い女性が住んでいる。
様子が気になったので彼と一緒に部屋を出て、彼女の部屋の呼び鈴を押した。
「あの、隣の足立ですけど、何かありました?」
インターホン越しに彼女と会話をする。
「うるさくてすみません。棚を作ってて」
棚!?
「よかったら手伝いましょうか?ちょうど男手もいるんで」
私は真織の顔を見た。
「いいんですかぁ?困ってたところなんです 」
すぐに彼女がドアを開けた。
:12/08/27 22:24
:Android
:RHxcUp2M
#313 [ぎぶそん]
渡瀬さんは身長が170センチ近くあり、手足が長くすらっとしている。
ドアを開けた彼女はすっぴんに眼鏡で、白いキャミソールを着て黒いウォームアップズボンを穿いていた。
貧相な格好だけど、持ち前のスタイルのよさで様になっていた。
「こちら、伊藤真織くんです。今、訳あって一緒に住んでるんです」
私は早速彼女に彼を紹介した。
「そうなんだぁ。初めまして」
彼女が彼に礼をすると、彼女のウェーブのかかった長い髪が小さく揺れた。
その後すぐ、私たちは彼女の部屋に上がった。
彼女の部屋はカーテンや小物が全てピンク色で愛らしく統一されていて、同じ間取りなのに味気ない私の部屋とは全然雰囲気が違っていた。
彼女が作ろうとしている本棚は組み立て式のようで、リビングの床に白く塗装されてある板が何枚も重なっていた。
「日曜だし、日曜大工をしようと思って」
彼女はその板の近くで腰を下ろすと、かなづちを持った。
パイプベッドの上にはマンガがどっさりと置いてある。
本棚の用途がすぐに浮かぶ。
:12/08/28 21:54
:Android
:EnHF6Pok
#314 [ぎぶそん]
「恋人さんに頼まなかったんですか?」
彼女に恋人がいることを知っている私は彼女にたずねた。
「彼とは遠距離なの。彼は島根県の出雲市に住んでるんだ。出雲大社があるところだよ。後半年したらこっちに来る予定なんだけどねぇ」
遠距離か。もし真織とそうなったら、とてもじゃないけど耐えられないな。
私はすっかり彼に依存してしまっていた。
その彼は初対面の女性の本棚づくりに神経を注いでいる。
彼が板の穴に専用の釘をねじ込み、その部分をまた違う板の穴と重ねる。
「あっ、そうやるんだぁ」
渡瀬さんはそれを感心そうに見ていた。
その後も彼女の握りしめるかなづちは全く出番がなく、彼の手で静かに作業は続いた。
そうして1時間もしないうちにスライド式の本棚は完成し、3人で協力して中にマンガの巻数を揃えて収納した。
「本当にありがとう。よかったら、お昼食べていきませんか?少し早いけど」
彼女の部屋のハートの形をした壁掛け時計の針は、まもなく11時を差そうとしていた。私と彼は彼女の言葉に甘えることにした。
「マンガ読んでいいですか?」
彼が台所に立つ彼女にたずねる。
「いいけど、少女マンガしかないよ?あっ、そうだ」
彼女がペンギンみたいなよちよち歩きでリビングにやって来て、本棚をきょろきょろと見た。
「これ面白いよ」
そして彼女は彼に「ラブ・シェアリング」というタイトルのマンガを渡した。
カバーの表紙には、学校の制服を着た男女がフローリングにあぐらをかく姿が描かれていた。
:12/08/28 22:18
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:EnHF6Pok
#315 [ぎぶそん]
すぐに彼はそのマンガをぱらりとめくり、私も隣で覗き込んだ。
ごく普通の女子高生石崎麻奈が、憧れの聖矢先輩とひょんなことから共同生活をし恋を育むという、甘酸っぱいラブストーリーが綴られている。
男女がルームシェアをするという設定は、すぐに私の心を掴んだ。
ページをめくる彼もマンガの内容に集中していた。
「出来たよぉ」
1巻を3分の2ほど読んだところで彼女に呼ばれ、2人でダイニングテーブルのイスに腰かけた。
テーブルの上には湯気の立つカルボナーラと氷水が3つずつ並んである。
私たちはそれを熱いうちに食べながら、お互い同じ大学であること、それぞれのサークルとバイト先の場所などを彼女に話した。
反対に彼女のことも色々と知った。年齢は26歳。丸の内にある会社で事務職をしている。彼氏の名前はケイちゃん。その彼氏とは2年前旅先で知り合った、など。
「かなめちゃん、真織くん、あたしのことは明穂でいいよぉ」
彼女は凛々しい顔立ちとは対照的に、ゆっくりとした喋り方で朗らかに笑う。
彼女との昼食を終えた後、彼がさっき読んでいたマンガを手に取った。
「このマンガ、借りていいですか?読み終わったらすぐ返すんで」
「うん!全部持っていっていいよ」
彼女が棚から「ラブ・シェアリング」と書かれたマンガを全部取り出す。
私と彼はマンガ10冊を1人5冊ずつ持って、彼女の部屋を出た。
:12/08/28 23:10
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:EnHF6Pok
#316 [ぎぶそん]
部屋に戻って、持っていたマンガをテーブルの上に置いた。
「おいしいパスタご馳走になったし、明穂さんにも旅行のお土産買ってこようか」
いよいよ春から計画していた彼との旅行も後1週間と迫っていた。
「このアパートって、他にどんな人が住んでるの?」
彼がベッドに座ってマンガをぱらぱらとめくりながら言った。
私たちの住むアパートは3階建てで各階に7部屋ずつあり、群青色の外壁が特徴的だ。
入居時築5年と聞いたから、今だと6年は経っている。まだ割と新しいので人気の物件らしく、常に入居者でいっぱいである。
1年以上住んでいるけど、ご近所トラブルなどのいざこざは見たことも体験したこともない。
さっきみたいな物音があるのが反対に珍しい、至極平和な場所だ。
「反対隣の204号室には私が来た時は気弱そうな男の人が住んでたけど、すぐに引っ越した。ちょっとしてすごく体格のいい男の人が来たような。香田さんだっけ。1階には10歳くらいの女の子がいる3人家族が住んでると思う。後、にこにこしたおばあちゃんもよく見る」
「そっか。俺もそのおばあちゃんと中学生の男の子くらいしか顔を合わせたことがないな。万が一の時のためにも、さっきみたいにご近所さんと交流はあった方がいいよね」
明穂さんの部屋から物音がした時、もし自分1人だったら黙って見過ごしていたかも知れない。
真織、あんたがいたから、また誰かと親しくなれた。それも1年以上ずっと部屋の壁の向こう側にいる人と。
:12/08/30 00:08
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:EbtstAVU
#317 [ぎぶそん]
私も彼の隣に座り、彼のお腹辺りで開いているマンガを覗いた。
「少女マンガって意外と面白いな。マンガとか中学ぶりに読んだ」
物語はちょうど恋のライバルとなる高嶋先輩の登場で、主人公の麻奈が複雑な心境で彼女と聖矢先輩の仲睦まじいやり取りを見ていた。
聖矢先輩は誰に対しても優しく、麻奈の恋心に全く気づいていない。
2人はワンルームの1室をカーテンで半分ずつに仕切って生活している。
近くて遠い、そんな2人の微妙な距離感が胸をきゅっと締め付ける。
2巻、3巻とところどころにあるギャグシーンに2人で時々笑いながら読んだ。
3巻の途中で、聖矢先輩のモトカノなる田川理佐という大学生が登場した。
モトカノか。真織にはそう呼べる女性はこの世に1人もいない。
彼がもし高校時代共学に通っていたら、最低でも1人か2人くらいは彼女が出来ていたと思う。
もし彼の過去がそういう風だったらどうなっていたかな。
考えるだけでも息が苦しくなり、胸倉を両手でぎゅっと掴んだ。
「どうしたの?」
彼が上半身を縮こまらせている私を見る。
「ううん。何でもない」
もし彼の過去がそういう風だったら、他の誰かとキスをしたり体の関係になったことよりも、他の誰かに少しでも夢中になっていた事実があることに悲しさを覚えていたかも知れない。
それからそのマンガを立て続けに5巻まで読んだ。
最初は麻奈の一方的な片思いだったけど、徐々に聖矢先輩も彼女に心を開くようになった。
この2人はこれから一体どうなるのだろう。
そして、私たちのこれからもどうなっていくのかな。
:12/08/30 00:41
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:EbtstAVU
#318 [ぎぶそん]
9月中旬。真織との関西旅行が幕を開けた。
4日間の間、京都と大阪をそれぞれ2日間に分けて観光する予定だ。
朝早くに私たちが乗った新幹線は、およそ2時間半で京都駅に到着した。
京都駅を出ると視界に広がる空は雲1つない晴天で、まるで私たちを快く出迎えてくれたようだった。
まず八坂神社の本殿でお参りをし、秀吉とねねの寺として知られる高台寺を拝観した。
二年坂、三年坂を登り、清水寺に向かう。朱塗りの仁王門が勇ましく立っていた。
夏休みのシーズンを外して来たのに、さすが京都一の観光スポットということもあって境内は観光客でごった返している。
三重塔をカメラに収め、本堂に上がった。
「大学受験は『清水の舞台から飛び降りる』気持ちだったなあ」
彼が清水の舞台をゆっくりと歩きながら言う。
「私も私も。あの時は死ぬほどがんばったよ。トイレに入ってる時も勉強してたし」
「じゃあどっちかが落ちてたら出会ってなかったんだね」
彼が笑う。
「……落ちればよかった」
私は彼にそっぽを向き、先に進んだ。
「ええー」
後ろから彼の気落ちした声が聞こえる。
嘘嘘。今の大学受かって本当によかったよ。
:12/08/30 22:50
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#319 [ぎぶそん]
本堂を降りて、滝水を飲むと御利益があるという音羽の滝に向かった。3つの筋からは、それぞれ細い水が流れ落ちている。
群がる列に並び、左から順番に流れ落ちる水を専用の長い柄杓で汲み、3つとも1口ずつ飲んだ。冷たい水はちょうど喉の渇きを潤してくれた。
水を飲んだ後、清水寺を後にすることにした。
「どの水飲んだ?」
歩きながら彼がたずねてきた。
「え?全部飲んだけど」
「全部飲んだの?全部飲んだら欲張りと見なされて利き目ないって言うじゃん」
「そうなんだ。水おいしかったし、それだけでいいよ」
「そうだな、御利益を求めて水を飲む俺こそ欲深いのかも知れないな」
彼が私の頭を撫でる。
清水坂周辺で休憩にと、小さな甘味処の店に入った。
4席しかないカウンター席でみたらし団子を食べ、食後にあたたかい宇治茶を飲んだ。
お茶は湯飲みの底が透き通るほどに鮮明な黄緑色で、すっきりとした味わいは私を感慨無量の思いにさせた。
「このおぶう、ほんにおいしおすな」
彼が音を立ててお茶をすする。
「いるよね、よその方言使いたがる人」
「郷に入っては郷に従えだよ。あー、おいしおすおいしおす」
私は裏返った声で京都弁をいう彼がおかしくて、口に手を当てて笑った。
彼は私の太ももに手を置くと、こう言った。
「ほんにかいらしいどすな」
:12/08/30 23:44
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:EbtstAVU
#320 [ぎぶそん]
甘味処を出て、市バスを利用して銀閣寺に向かった。銀閣寺を象徴する観音殿を、錦鏡池を隔てて望む。
東側には青々とした庭園が広がっている。
屋根の上には漆黒の鳳凰が雄々しく羽ばたいている。
この鳳凰には銀閣に祀られている菩薩観音を守る意味があると、旅行雑誌の説明文で知った。
「“侘び寂び”ですなあ」
彼がしみじみと言う。
「意味知ってるの?」
「……説明すんの難しい」
彼は困ったように首を掻いた。
銀閣寺に続いて、金閣寺にもやって来た。金閣寺を代表する舎利殿を、鏡湖池を隔てて望む。
その鏡湖池にはいくつかの大小の島が浮かんでいた。
漆塗りに純金の箔を張った建物は神々しく、鏡湖池に映るその姿も麗しくゆらめく。
こちらの屋根の上には黄金に輝く鳳凰が優雅に羽ばたいていた。
金閣寺が1950年に放火した時、あの鳳凰はたまたま取り外されていて無事だったらしい。
目に見えないものは信じない私だけど、舎利殿の上で舞うあの鳳凰は気高く遠いものに感じる。
:12/08/31 22:20
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:oJzCNo8E
#321 [ぎぶそん]
その後も仁和寺、上賀茂神社、下鴨神社と、世界遺産を堪能した。
夕方になり、三条大橋から四条大橋までの鴨川の河川敷を歩く。
川沿いにはカップルらしき男女のペアが何組も座っていた。
私たちの前を、学生服を着た高校生の男女が、横幅20センチの間隔をあけて歩いていた。
付き合いたてなのかお互い何だかそわそわしていて、照れくさそうにしている。
ふいに、男子高校生の嬉しそうな横顔が見えた。隣の女子高生は、さっきから首をきょろきょろとさせている。
「――あんたって彼女いなかったんだよね。欲しいと思わなかったの?」
私は前にいる2人の微笑ましさに笑みを浮かべながら、隣で一緒に歩いている彼に訊いた。
「うーん、欲しくはないこともなかったけど、他に夢中になってたものがあったから」
「何?」
「読書。音楽も怪獣も好きだけど、読書が1番好き」
確かに彼は部屋でよく本を読んでいる。
だけどそれと同じくらいギターも弾くし特撮番組も観てるので、まさかそんなに読書だけ比重が大きいとは思わなかった。
「俺さ、15歳の時から毎日欠かさずずっと――」
そこで彼の口が止まる。
「何?」
私は彼を見た。
「いや、何でもない」
彼が首を垂れる。表情はどこか暗い。
その言葉の続きが気になったけど、言いたくないのなら無理に言わせたくはないので、私も追及はしなかった。
:12/08/31 23:08
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:oJzCNo8E
#322 [ぎぶそん]
日も落ちそうな頃、彼が事前に予約を取ってくれた温泉旅館にチェックインした。
2階の角部屋に入ると、サスペンスドラマに出てくるような空間が広がった。
8帖の和室の中央に赤黒い座卓と2人分の座椅子があり、床の間には「和」と書かれた掛け軸と、丸い壺が飾られていた。
デッキテラスにある窓から外を眺めると、雑木林が一面にあるだけだった。
私は食卓の上にあった急須に茶葉を入れ、ポットのお湯を注ぎ、少し間を置いて2つの湯飲み茶碗に淹れた。
床脇にあったテレビの電源を点けると、音楽番組をやっていた。
メンバーは全員現役女子高生なのか、4人の女の子たちが同じセーラー服を着てバンド演奏を披露していた。
それを私も彼もお茶を飲みながら観賞する。
遠い地に来て、ここではじめて現実に戻った気がした。
「みんな私より年下そうなのに、楽器が弾けてすごいなあ」
私はお茶に息を吹きかけながら言った。
「こいつら弾いてないよ」
彼もまたお茶に息を吹きかけている。
「どういうこと?」
私は首をかしげた。
:12/09/02 00:53
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:WewZe9mU
#323 [ぎぶそん]
「当て振りって言って、音楽番組なんかは基本楽器を弾かないんだよ。楽器の音は録音。機材トラブルがあったら困るとかで。まあでもプロだし楽器ができることに変わりはないけど」
「そうなんだ。ちょっと残念だけど、事情があるなら仕方ないね」
彼の説明を聞き改めて彼女たちを観ると、その一生懸命さがどこか虚しく思えた。
虚構。夢を売る商売も、そうやって割り切っていかない部分がたくさんあるんだろうね。
彼女たちの演奏が終わり、彼が立ち上がった。
「そうそう、風呂は別々だから。ここら辺で混浴がある宿を探しきれなかった」
「よっしゃあ!」
私は両手の拳を握った。
「ほんと残念。そういうことで、また後でな」
彼はタオルや浴衣を持って、部屋を出た。
私もすぐに入浴の準備をし、1階にある大浴場に向かった。
大浴場は高齢者が多く、温泉に入ったままグループで話し込んでいた。
私も身体を洗った後、ひとり温泉に浸かる。
にごり湯の中には湯の花がちらほら混在していた。
美肌のためにと、何度も顔を浸けた。
温泉から出て脱衣場で浴衣の着方が分からず悪戦苦闘していると、背の低いお婆さんが親切にも代わりに着付けてくれた。
「1人で来たの?」
そのお婆さんが柔和な顔でたずねる。
「えっと、その、男の子と……」
「まあ若いね。じゃあこれもどうせすぐ脱がされちゃうんだね。おほほ」
お婆さんが目尻にいっぱい皺を寄せて笑う。
私は一気に緊張した。
:12/09/02 01:29
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:WewZe9mU
#324 [ぎぶそん]
また部屋に戻ると同じ浴衣を着た彼がいて、私の髪をドライヤーで乾かしてくれた。
乾かし終わると、私の着ている浴衣の襟を左右にかばっとめくった。
「もうさすがに跡はないね」
彼が私の右鎖骨らへんをなぞる。1週間以上前に彼からキスマークをつけられた部分だ。
「あれ、どうやってつけたの?」
私がそうたずねると、彼は今度は自分の着ている浴衣の襟を広げた。
そして私の頭を抱きかかえ、自分の胸元に寄せた。
「ちょっと吸い付いたらすぐつくよ。やってみて」
温かい彼の体温が顔に移る。彼の生命の鼓動もはっきりと聞こえる。
「し、しないよ……」
私は彼の身体を両手で押した。
それから間もないうちに、仲居さんの手で次々と懐石料理が運ばれてきた。
「まじうめえ。やっぱ肉より魚だよな」
ハンバーグが好きなくせに、現金なんだから。
私はおいしそうに焼き魚を食べる彼を白い目で見た。
彼の着ている浴衣はまだはだけていて、胸元が半分覗いていた。
彼の上半身裸姿は見たことがあるけれど、中途半端に見え隠れしていると逆にみだらに感じる。
私は彼の胸元に見惚れてしまった。
「何ぽーっとしてんの?」
彼が眉をひそめる。
「え?料理がすごくおいしいなって感心してた」
私はカワハギの天ぷらをぱくっと口にいれた。
:12/09/02 02:43
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:WewZe9mU
#325 [ぎぶそん]
長い夕食を終えて、2人デッキチェアに座って色んな話をはじめた。
「和室って、オバケ出そうな独特の雰囲気があるよな」
彼が部屋全体に目を通す。
「じゃあさ、ここで俺が餓鬼の頃に考えた世にも怖ろしい怪談話をしてあげるわ。その名も『はなさかじいさん』」
彼が人差し指を立てて言った。
私は両手を膝の上に置いて、黙って彼の話を聞くことにした。
「ある日の夜、去年死んだ爺さんが夢枕に立ったのがきっかけで、ナオトは墓参りに行こうと決意しました。
次の日の夜、ナオトは薄気味悪い墓地に行き、お爺さんの墓を参りました。
その直後、誰かがいる気配を感じました。なんと、死んだ爺さんが幽霊となって現れ、墓の真横に立っていたのです!
ナオトはびっくりしてその場から逃げようとします。すかさずお爺さんも追いかけ、ナオトの手をぐっと掴みます!
ナオトは必死で抵抗します。でもお爺さんの手をなかなか振りほどけません。
そこでナオトは言いました、『離さんか爺さん、離さんか爺さん』と―…」
「………………」
私は彼の話が終わっても無言のままでいた。
「あれ?やっぱつまんなかった?」
彼が拍子抜けしたように頭を掻く。
私は口を真一文字に結んだまま笑いをこらえていた。肩がぷるぷると震える。結構ツボだった。
:12/09/02 23:09
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:WewZe9mU
#326 [ぎぶそん]
やがて瞼もだんだん重くなり、目を何度もこすった。
「そろそろ寝ようか」
私は立ち上がり、隣の部屋へとまっすぐ歩き出した。
襖を開けると、薄暗い6畳の部屋に、敷布団が2つ敷いてあった。
私は脱衣場で出会ったお婆さんの言葉を思い出した。
どうせ今日も彼と何事なく終わると分かりつつも、はげしい動悸に襲われた。
身体を横向きにして布団に入ると、彼も私と同じ布団に入ってきた。
「布団1つでいいのに、な?」
彼が私の胴体を腕1つで抱える。
「暑苦しい。あっち行ってよ」
私は彼の手から離れようと、その場で両足をばたばたとさせた。
「何もしないよ」
後ろからそう小さくつぶやくのが聞こえた。
私は足を動かすのをやめ、身体を後ろに180℃回転させた。
瞬き1つしない彼と目が合った。
こいつはいつもそう。前にいても、後ろにいても、まっすぐな目で私を見ている。
私は少しの沈黙をすぐに遮った。
「あのさあ、さっきの話、『はなさかじいさん』、結構面白かったよ」
「本当に?」
彼の顔に笑みが浮かぶ。
「後……、今、本当はそんな暑苦しくなんかない、かな」
「本当?じゃあもっとくっついてもいい?」
「うん」
彼が私を両手で強く抱きしめる。
旅先であろうと何事なく終わる今日が、お婆さんの予感を見事に壊す彼が、彼のおだやかな胸のリズムに合わせて、心地よく感じた。
:12/09/19 23:38
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:.9O/32XA
#327 [我輩は匿名である]
よんでます!
頑張ってください\(^o^)/
:12/09/22 01:41
:F08A3
:OdsSxEP.
#328 [我輩は匿名である]
かなや
:13/02/23 00:04
:F08A3
:sCbQL2XM
#329 [○○&◆.x/9qDRof2]
(´∀`∩)↑age↑
:22/10/04 21:14
:Android
:nH.OoPsQ
#330 [○○&◆.x/9qDRof2]
:22/10/04 21:15
:Android
:nH.OoPsQ
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