【特別企画】1日限りの恋愛短編祭り!【投下スレ】
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#280 [◆1y6juUfXIk]
 
今この瞬間だけ、俺は俺じゃない。俺が書く小説に出てくるような、タフでクールなナイスガイだ。

太郎は自分にそう言い聞かせた。

ポケットに手を突っ込む。
一次選考通過者に贈られた万年筆。
太郎にとっては大事なそれを、躊躇なくポケットから抜いた。

抜くと同時に親指でキャップを弾く。

弾くと同時に踏み込んで、男の胸めがけてねじり込む。

「くっ!?」

「だああああ!!」

⏰:08/09/14 19:38 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#281 [◆1y6juUfXIk]
腕の力だけでは、人間の体にナイフはそうそう簡単に刺さるものじゃない。
タックルをかける要領で体をぶつけ、自分の体重を使って突き立てる。

花子に教わった通りのやり方を、狂いなく実行した。
男ともつれ合って床を転がる。

「ぐぎゃあああ!!! ひいいいい!!!」

「うるせぇな、黙ってろよ」

先に立ち上がった太郎が、床でのたうち回る男の顔面を、渾身の力を込めて踏みつけた。

男が気絶したのを確認し、花子の猿グツワと縄をほどく。

⏰:08/09/14 19:38 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#282 [◆1y6juUfXIk]
「警察を呼ぼう」

「それは……」

「やっぱり何か事情があるんだな? …とりあえずうち来いよ」

花子に服を着せ、気絶した男を路地裏に放り出して救急車を呼んだ。


太郎の家で、とりあえず花子の傷に薬を塗る。
男から引っこ抜いてきた万年筆についた血をタオルで拭いながら、太郎は花子に聞いた。

「あの野郎がお前のピンプか?」

⏰:08/09/14 19:39 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#283 [◆1y6juUfXIk]
花子は無言で首を横に振る。

「私のピンプはあいつが殺した」

「え?」

「あいつ自身のことはよく知らない。警察だか何だかの関係者らしいけど……

最初は客として来て、2度目に仕事をしないかって持ちかけられた。仕事内容は殺し。
ハニートラップ、って聞いたことない?」

「……いや」

⏰:08/09/14 19:39 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#284 [◆1y6juUfXIk]
「当時の私は欲に目が眩んで、いろんな奴を殺した。ナイフの使い方も、男の喜ばせ方もあいつに教わった。

クソ仕事だった。でも逆らえば何をされるか分からないし、それに……」

「金か」

「…しょうがなかったんだ!! 高校も出てない、家族もいない私なんて他にどうすることも……」

「誰も咎めてないよ。だから落ち着け」

「……ごめん…」

⏰:08/09/14 19:40 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#285 [◆1y6juUfXIk]
いつの間にか花子の目は、涙で少し滲んでいた。
太郎は、静かに花子の肩を抱いた。

「……それで金が貯まって…あいつから逃げ出したってわけか。だがあいつは追ってきた、と」

「そう」

花子は、手のひらで顔を覆った。

「私の人生は、真っ暗だった。夢を持っていたあなたが羨ましかった。

……私は生き延びても、やる事が何もないの。ただ追われ続けるだけ……それで、あの木に行ったらあなたがいて……」

そこで花子は言葉を切り、しばらく顔を覆ったまま沈黙した。

太郎も何も言わず、花子を見守っていた。

⏰:08/09/14 19:41 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#286 [◆1y6juUfXIk]
 
やがて、花子は言った。

「……私達、今日限りで他人になりましょう」

「何だって?」

「もしこのあとどっちかがあの木で死んだら、残された方は『あいつを救えなかった』って悩む事になる」

「…そうだな」

「もう行くよ。お元気で」

花子が立ち上がったが、太郎にはそれを止める事はできなかった。

⏰:08/09/14 19:42 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#287 [◆1y6juUfXIk]
花子はドアの前で一度立ち止まり、振り返った。

「あなたの作戦って、結局なんだったの?」

「いや…もう言っても意味ねぇ気がするけど」

「いいから」


「1週間で、お前を俺にホレさせる」




それを聞いた花子は、太郎の家を出ていった。



「それ、失敗じゃなかったと思う」

そう言い残して。

⏰:08/09/14 19:42 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#288 [◆1y6juUfXIk]
花子が出ていったあと、太郎はパソコンを立ち上げた。
書きかけの私小説にも、これでオチがつく。

だが、どうにも筆が進まない。
心にモヤモヤとしたものが残っていた。

コーヒーを飲んだり部屋の中をうろつき回った挙げ句に、太郎は洗面所へ向かった。

鏡の中の人は落胆したような、すっきりしない顔をしている。

⏰:08/09/14 19:43 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#289 [◆1y6juUfXIk]
「彼女はああ言ったが、計画は失敗さ。なぜなら……お前が彼女にホレちまったからな。

これからどうすればいいかなんて、考えなくても分かるだろう?

お前は彼女にホレたんだから、小説のオチはまだ決まらない。

……行けよ。行くんだ」

すでに夜明けが近い。
花子が出ていってから4、5時間が経っている。

迷っている時間はなかった。

太郎は服を着替えて家を出た。

⏰:08/09/14 19:43 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#290 [◆1y6juUfXIk]
家に帰る気がせず、花子はいつもの喫茶店に1人でいた。

落ち着こうとコーヒーを1杯頼んだが、頭の中はこんがらがって何を考えればいいのか分からなかった。

「これから、どうしよう……」

あの男は恐らく警察に捕まるだろう。
もう逃げる意味もなくなった。
かといってやる事も何もなかった。

これから、どうすればいいのか。

それを考えたとき、太郎の顔が頭に浮かんだ。

それ以外には、何も思い浮かばなかった。

窓の外はすでに明るくなってきている。

花子はコーヒーを飲み干し、支払いを済ませて喫茶店を後にした。
 

⏰:08/09/14 19:44 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#291 [◆1y6juUfXIk]
 
もし、あの人が死ぬつもりなら、その時は自分が止めないといけない。

先にその場所に着くために、足は自然と早くなる。

太郎は始発に乗って、林の中を続くハイキングロードから。

花子はタクシーに乗って、子供の頃に見つけた秘密の抜け道から。

2人は、共にあの木へ向かっていた。


自分はやっぱり、あの人と一緒にいたいから。




─それって、どう転んでもバッドエンドじゃない?─

─さぁな。万一のハッピーエンドが、あるかもしれないだろ?─


   ....お し ま い

⏰:08/09/14 19:45 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#292 [◆1y6juUfXIk]
>>217-291
自 殺 志 願 者 -太郎と花子の最後の2週間-

投下終了でーす
次の方どうぞ!

⏰:08/09/14 19:46 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#293 [◆SjNZMOXdWE]
それでは投下させていただきます!

⏰:08/09/14 20:43 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#294 [◆SjNZMOXdWE]
 

 ■■■■■■■■■□
 青虫は
   空に恋をし
       蝶になる
 □■■■■■■■■■

.

⏰:08/09/14 20:45 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#295 [◆SjNZMOXdWE]
木枯らし吹きすさぶこの季節‥

万年遅刻魔のこの俺、今日も軽快に裏門の奥にあるフェンスを越える。


 間宮 翔 17歳

よく“ショウ”って間違えられるけど正しくは“カケル”

その名の通り、いつかこの大空を翔けるようなデッカイことをやらかしたいと思ってる。


鼻唄まじりに昇降口までスキップする。

冬の匂いって何か好き。

⏰:08/09/14 20:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#296 [◆SjNZMOXdWE]
深呼吸するとキンッて冷たい空気が肺いっぱいに広がって、五感が鋭くなる感じも大好き。

上履きをパタパタ鳴らして誰もいない廊下を歩く。

俺のクラスは2−C、3階のグラウンド側。

このタイミングだとHRとかぶるなぁ‥

なんて考えながら窓の外を眺める。

枯れた木の枝に三羽の雀。

昔、ひな太圭太郎と誰が一番高いとこまで登れるか競ったっけなぁ‥

⏰:08/09/14 20:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#297 [◆SjNZMOXdWE]
ガキの頃からふざけたことしか言わない圭太郎。

それに比べて寡黙で男気溢れるひな太。

二人とも俺の幼なじみなんだけど‥

ひな太は小学校に上がると同時に転校しちゃってそれっきり。

圭太郎はまぁいいとして、ひな太‥元気でやってっかなぁ‥




なんてセンチに物思いに耽っていると

⏰:08/09/14 20:47 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#298 [◆SjNZMOXdWE]
「間宮あぁ!お前はまぁた遅刻かあぁ!?」

学年主任の武田先生、通称ハゲ先が首にぶら下げたホイッスルをカチャカチャ振り回しながら怒鳴ってきた。

その音量ったら半端ない。

思わず飛び跳ねちゃった俺。

するとハゲ先の陰から長い巻き毛を細かく揺らしてクスクス笑う女の子が見えた。


 !?


 幽霊!!?


ビビりな俺はまたもやビックリ。

⏰:08/09/14 20:48 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#299 [◆SjNZMOXdWE]
だけどよく見るとちゃんと足だって付いてるし、ちらっと見えた笑顔が‥

笑顔が‥‥


か‥

「わいい‥」



  は?

 俺今何つった!?

「何だ間宮?わけわからんこと言ってないで、はよ教室入れ!」

⏰:08/09/14 20:49 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#300 [◆SjNZMOXdWE]
ハゲ先に首根っこをつかまれ、半ば強引に教室に放り込まれた俺。

何だ何だと駆け寄ってくる圭太郎を無視して、さっきの彼女を目だけで追う。

真っ白な肌に栗色の巻き毛。

化粧っ気はなくてナチュラルな感じ。

だけど唇はぷるんぷるん‥

「もぅガッとしてギュッとしてチュウゥゥゥってしたい‥」

⏰:08/09/14 20:49 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#301 [◆SjNZMOXdWE]
 
 !!

耳元でいきなり聞こえた圭太郎の声のせいで、背筋に気持ち悪い心地が走る。

「なっななな何言ってんの?バッカじゃねぇ!?ぶぁーか!ぶぁーあぁか!」

変な汗をかきながらうろたえまくる俺を、鼻で笑う圭太郎。


「ストライクゾーンどんぴしゃってとこですか!」

至って冷静に俺の感情を逆なでする。

「だぁかぁらぁ!」

ハゲ先にも負けないくらいの怒鳴り声で圭太郎にかみ付く。

⏰:08/09/14 20:52 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#302 [◆SjNZMOXdWE]
教室中がしんとしたところでHR終了のチャイムが鳴った。




もちろん俺は担任から呼び出し。

こってり説教をくらって教室に戻ると、ニタニタと嬉しそうに圭太郎が駆け寄って来た。

「女の子のケツばっか追っかけてるからこんな目に合うんだぜ〜?んっとしょうがねぇなぁ、翔ちゃんは」

「翔ちゃん言うな」

頭を撫でようとしてくる圭太郎の手を思い切りよく振り払う。

⏰:08/09/14 20:52 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#303 [◆SjNZMOXdWE]
「はぁぁ‥昔は可愛かったのになぁ‥‥俺の翔ちゃんを返せ!!」

そう言って今度は首を絞めてくる。

「やめとけって!今じゃ俺のが10センチは背ぇ高いんだぜ?」

いつまでもガキのイメージ引きずられてちゃ困る!

そう思ってわざと襟を正しながら、ぴんと背筋を張って見せた。

「くっそぉ!正確には9.8センチだけどな!!もぉいいや‥せっかく聞いてきてやったのに、転校生情報‥お前には教えてやんないっ」

⏰:08/09/14 20:55 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#304 [◆SjNZMOXdWE]
ぷいっとあっちを向いたかと思うと圭太郎はそのまま教室を出て行ってしまった。


 転校生って‥

 さっきの美少女?

うそうそ、気になる!


「待ってくれよ親友〜!」

「るせっ!しっしっ!あっち行けよ!俺は忙しいの」

足早に廊下をすり抜ける圭太郎。

さすがチビっこなだけあるぜ‥

⏰:08/09/14 20:55 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#305 [◆SjNZMOXdWE]
「待てよ圭太郎ぉ!ごめんってば圭ちゃん許して〜」

いつもこう言えばたいていのことは許される。

ほら今回もこうやって

「しゃあねぇなぁ‥俺がいないと生きてけなぁい!っつったら許してやるよ」

「それはさすがにキモいって!」

二人で笑って階段を下りる。

向かった先は音楽準備室。

ここが圭太郎と俺のおサボりスポットだ。

⏰:08/09/14 20:56 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#306 [◆SjNZMOXdWE]
 


「で?情報って何?どうせ名前とかどっから来たとかだろ?」

焦る気持ちが口に伝わりついつい早口になってしまう。

「まぁまぁそうせっつくんじゃねぇよ」

すると圭太郎は準備室の椅子に腰掛け、足を組んでから大きく息を吸った。

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

俺の喉がゴクリと鳴った。

「‥‥‥‥‥‥‥‥」


沈黙に耐えれなくて目をそらそうとした瞬間

⏰:08/09/14 20:56 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#307 [◆SjNZMOXdWE]
「やっぱやめた!自分で聞いた方がいいよ、こういう事は」

思わず前につんのめった俺はその勢いのまま圭太郎につかみ掛かった。

「そりゃないぜ圭ちゃぁぁあん!」

言ったと同時に口元を手で抑えられて「しー!」と人差し指を立てられる。

こうなるとますます気になる謎の美少女‥

「名前だけでも‥」

「だぁめ!」

⏰:08/09/14 21:01 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#308 [◆SjNZMOXdWE]
頑として口を開かない圭太郎に苛立ちながらも、こうなったら自力で聞きに行くしかないとよわっちい根性を奮い立たせていると

「なぁお前、藤堂ひな太のこと覚えてる?」

急にトーンを抑えた圭太郎が神妙な面持ちで話し掛けてきた。

「え?あぁ、覚えてるよ。よく三人で木に登ったじゃん。お前と違って優しくてカッコよくて、俺の憧れだったよ」

それが今どう関係あんだよ!

⏰:08/09/14 21:02 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#309 [◆SjNZMOXdWE]
俺はそんな事よりどうやってあの美少女に近づくかを考える事に集中したいんだ。

「そっか‥お前、あれからあいつと会ったか?」

「だぁ!もぉ何なんだよ?会ってねぇよ!ひな太が転校して今の一度も!見かけた事すらない!」

お願いだからシュミレーションの邪魔をしないでくれ。

「‥そっか、だったらいいんだ‥‥」

その時圭太郎がどんな表情してたかなんて覚えてないけど、今なら想像がつく。

⏰:08/09/14 21:05 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#310 [◆SjNZMOXdWE]
きっと目新しいおもちゃを手にした子供のように、目をキラキラ‥いや、ギラギラ輝かせてたに違いない‥




圭太郎の真意を知るのはこの数時間の後だった。

まさか俺にこんな運命が待っていようなんて‥‥




.

⏰:08/09/14 21:07 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#311 [◆SjNZMOXdWE]
「ねぇねぇ、あの子の名前わかる?」

昼休み、まずは隣のクラスの女子にリサーチ。

本当根性ないんだ、俺。

こんな時だけ圭太郎のノリの良さが羨ましくなる。

「あぁ、七川さん?なんか前にもこっちに住んでたことあるらしいよ」

思ってもみない名前以外の情報ゲット!

七川さんかぁ‥

名字もなんか可愛い。

「こっちに住んでたっていつ頃?」

⏰:08/09/14 21:08 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#312 [◆SjNZMOXdWE]
「さぁ?あたしのクラスの子はみんな知らないって言ってたし、小さい頃じゃない?」

それだけ言うとナントカさんは行ってしまった。

まだもうちょっと聞きたいことはあったけど、我慢我慢‥

次のターゲットを絞っていると、七川さんの周りに人だかりができているのが目にとまった。

少しうつむいて顔を赤くしてる七川さん‥

そんな表情もたまらなく可愛い。

⏰:08/09/14 21:09 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#313 [◆SjNZMOXdWE]
「あぁあ〜お前いいの?あれ」

またも俺の背後からちょうど耳元めがけて囁いてくる圭太郎。

「気持ち悪いなぁ、何がだよ?」

「あれだよあれ」

そう言って圭太郎が指さした方へ視線をたどれば、学年一‥いや校内一のモテ男、石橋一樹が視界に入った。

何でも石橋に触れられたら、誰でもかれでもイチコロらしいのだ。

その石橋が向かう先には‥なんと愛しの七川さんが!

⏰:08/09/14 21:10 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#314 [◆SjNZMOXdWE]
「あっどうしよ!圭太郎!どうしたらいい?」

焦った俺は、やり場のない感情を圭太郎に訴えかける。

「知〜らね!自分で何とかすればぁ?」

そう言うと圭太郎は意地悪そうに歯を見せてヒヒヒと笑ってみせた。

ぐ‥ちぐじょー!

どうすりゃいいんだこんな時!?

俺はここでただただ指加えて見てる事しかできないのかぁ?

それでも動こうとしないこの足‥

ヘタレにもほどがある。

⏰:08/09/14 21:10 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#315 [◆SjNZMOXdWE]
そうこうしているうちに何とも華麗な手さばきで、石橋が七川さんの白魚のような手にそっと自分の手を重ねた。



‥終わった。



さようなら俺の愛しい人‥


せめて一言だけでも会話したかった。



だけど次の瞬間奇跡が起こった。

⏰:08/09/14 21:12 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#316 [◆SjNZMOXdWE]
 

石橋の手を物凄い勢いで払いのけた七川さんが、俺めがけて走って来たんだ。


半泣きで頬を紅潮させた七川さん。

スローモーションで再生されてるような感覚‥

ゆっくり、ゆっくりと俺の方へ翔けてくる。

そのたび揺れる栗色の巻き毛。

俺の方へ伸ばされる腕は折れそうなほどか細くて‥

⏰:08/09/14 21:19 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#317 [◆SjNZMOXdWE]
思わず一歩前に出ると同時に飛び込んできた七川さんを、体ごと抱きとめた。



「‥翔ちゃんっ」


わずかに聞こえた七川さんの声も「ヒュ〜♪」という圭太郎の口笛のせいで掻き消された。


  え?

 今何つった?

 翔ちゃん??

⏰:08/09/14 21:19 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#318 [◆SjNZMOXdWE]
疑問符を飛ばしながらも俺の心臓は限界を優に越えていた。

絶対七川さんに聞こえてるよなコレ‥‥

だけどわずかに動くたび鼻をかすめる七川さんの甘い香りが、俺の正気を奮い立たせる。


「あっあのっ七川さん?」

俺の胸元に埋もれる七川さんに、恐る恐る話しかける。

すると俺にしがみついた七川さんの手に、さらに力が入るのがわかった。

⏰:08/09/14 21:27 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#319 [◆SjNZMOXdWE]
「大丈夫だよ、もう恐くない‥」

よしよし、と栗色の髪を撫でてやる。

そんなに全身で頼られちゃうと、いくらヘタレな俺でもカッコイイセリフの一つくらい言えてしまった。

もちろん耳まで真っ赤だろうけど‥


はっと我に返ったのか、急に俺から離れた七川さんは俺よりさらに顔を赤くして戸惑いを隠せないようだった。

まごまごしているその仕草も可愛いすぎる。

⏰:08/09/14 21:30 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#320 [◆SjNZMOXdWE]
「おい、ひなたぁ‥お前そんなに大胆だったっけ?」

圭太郎の言葉に、俺は自分の耳を疑った。

 ひ‥

 ひ‥‥

「ひな太ぁ!!?」

からかってるとしか思えない。

何て失礼なこと言うんだコイツは!

さてはヤキモチ妬いてるな‥

「圭太郎、何言ってんだよ!ひな太なわけないだろ?ごめんね七川さん、コイツたまに変なんだ!」

⏰:08/09/14 21:30 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#321 [◆SjNZMOXdWE]
笑ってごまかそうにも俺の頭をよぎったのは、さっき呼ばれた「翔ちゃん」の一言‥


 え?


 まさか?


うそ、だって‥‥


「そう、そのまさかだよ。正真正銘、藤堂 ひなた本人だ」

踏ん反り返る圭太郎に目の前の七川さんもコクリと頷く。

⏰:08/09/14 21:30 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#322 [◆SjNZMOXdWE]
 

 は?

 えぇぇ?

有り得ないだろぉ!?

「だってひな太は男だし!一緒に木ぃ登ったし!だいたい名字が違うじゃん!アイツ藤堂!目の前にいるの七川さん!!」

「親が離婚して‥こっちに帰ってきたの」

申し訳なさそうに上目使いでそう言ったのは七川さん。

⏰:08/09/14 21:36 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#323 [◆SjNZMOXdWE]
「あはは、あ、そう‥そうなんだ‥?」

 多分俺今、涙目‥

「改めまして‥七川日向です‥ただいま、翔ちゃん」

ひな太は女で七川さん?


しかも日向って!

 なになに?

いつから間違ってたの?


.

⏰:08/09/14 21:39 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#324 [◆SjNZMOXdWE]
 

遠ざかる意識の中で、日向と圭太郎の手が俺を支えてくれるのがわかった。

いつかもこんなことあったっけ‥

あぁそうだ、あの時‥




――――――‥‥‥

それは俺達がまだ木に登ってじゃれ合っていた日のこと‥

⏰:08/09/14 21:40 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#325 [◆SjNZMOXdWE]
俺が木の枝にひっついてた何かのサナギを取ろうとして、木から落ちそうになったのを二人が支えきれずに三人一緒に落っこちて、仲良く病院送りになった日までさかのぼる。

俺だけ処置が長引き、あとの二人は待合室で俺のことを待っててくれた。

その時、まさかこんな会話がされてたなんて、当時の俺が知るはずもなく‥




「転校‥するんだ‥」

⏰:08/09/14 21:40 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#326 [◆SjNZMOXdWE]
日向のいきなりの告白にうろたえる圭太郎。

「もう会えないの?」

「わかんない‥だけど、次会う時にはちゃんと女の子らしくなってるから‥」

大きな目をさらに大きくして驚く圭太郎。

「翔ちゃんには、そのいつかまで言わないで。今はまだこのサナギにもなれてないけど‥絶対、蝶々みたいに綺麗になって‥綺麗に‥なって‥‥翔ちゃんのとこへ戻ってくるから!」

⏰:08/09/14 21:40 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#327 [◆SjNZMOXdWE]
 



‥‥‥――――――

「てな事があったわけよ!」

なんとか意識を保った俺は、引き続き昼休みの音楽準備室で昔話を聞かされた。

俺の隣にはひな太改め日向がいる‥

もちろん俺と同じくらい顔を真っ赤にして。

⏰:08/09/14 21:45 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#328 [◆SjNZMOXdWE]
「‥何て言うかその‥‥」

まごつく俺を見るに見兼ねた圭太郎が

「ま、そういう事だから!後は二人でごゆっくり!」

また意地悪そうにヒヒヒと笑って俺達を残し準備室から去って行った。

「‥ひ、日向‥?」

ここにいるのがあの、ひな太?

信じられない思いでいっぱいの俺を、日向が笑顔で包んでくれる。

⏰:08/09/14 21:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#329 [◆SjNZMOXdWE]
「あの時は‥おてんばだったし‥みんな私のこと男の子だって思ってたから‥でも、騙すつもりはなかったの‥ごめんなさい」

そんな事はどうでもいい!

「俺んとこに戻ってくるって‥どういう意味?」

ヤベっ、圭太郎の意地悪がうつっちゃったかな‥

「えっ」と小さく呟くと、さらに顔を赤くしてうつむく日向。

「こっこういう意味って思っても、いい?」

⏰:08/09/14 21:46 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#330 [◆SjNZMOXdWE]
そんな日向がめちゃくちゃ可愛い過ぎて、思わず日向を抱き寄せる。

コクンとわずかに首が揺れて、日向の甘い香りが俺達を包む。


人ってこんなにあったかいんだ‥

窓から漏れる光に反射して、日向の髪がキラキラ光る。

そういえば‥ひな太の髪も、柔らかかったっけ‥

だけどこんなにいい匂いはしなかったな‥

なんて、幼い頃のひな太の面影を、俺の傍らで小さくなってる日向の姿に重ねてみる。

⏰:08/09/14 21:47 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#331 [◆SjNZMOXdWE]
するとわずかに白い息を吐きながら、日向がぽつりと呟いた。

「‥翔ちゃん、知ってる?」

その声が少しかすれてて、思わず耳を傾けると同時に、日向の肩をもう一度強く引き寄せた。

「知ってる?青虫はね、空に恋い焦がれて一生懸命綺麗になるの。少しでも空に近づきたくて、羽まで伸ばして空を翔けるの‥」

俺の胸にうずくまりながら、日向が窓の外を見る。

「ねぇ翔ちゃん‥私、蝶々になれた?」

⏰:08/09/14 21:47 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#332 [◆SjNZMOXdWE]
「あぁ、俺にはもったいないくらい‥綺麗‥に‥なったよ‥」

自分で自分が恥ずかしい。


俺ってこんなセリフ言えるんだ‥

「まっまさか蝶に帰省本能があるとは知らなかったけどな!」

照れ臭いのを隠すように、わざとおどけて話してみる。

その勢いで日向の頭に俺のこめかみがコツンとぶつかる。

⏰:08/09/14 21:52 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#333 [◆SjNZMOXdWE]
「‥‥‥‥‥‥」

顔を見合わせるとお互い耳まで真っ赤っか。

俺と日向の笑い声が、甘い香りと共に準備室をいっぱいにする。

俺が空だと笑う日向。

どうせ翔けるなら青空がいい。

空にたどり着いた蝶には、一体どんなご褒美が待ってるんだろう?




「日向‥」

⏰:08/09/14 21:52 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#334 [◆SjNZMOXdWE]
きっと空だって蝶が可愛くて仕方ないから、優しく見守るだけじゃ済まないだろ。

そんなこじつけを考えながら、日向のおでこにキスをする。

顔を見合わせるとまたも笑顔がこぼれてしまう。

「こんな‥俺でいいの?」


おでこをくっつけて、日向にだけ聞こえるくらいの声で話す。

まばゆい程の甘い笑顔で頷く日向は可愛過ぎて‥‥




時が止まったんじゃないかと思えるくらい、長い長いキスを交わした。

⏰:08/09/14 21:53 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#335 [◆SjNZMOXdWE]
いつも見上げればそこにあるあの空ように‥

永遠に君を見守り続ける。


‥甘ったるいこの感覚は、さしずめ花の蜜ってとこかな‥‥?




  □■■■■■■■■   HAPPY END
  ■■■■■■■■□

⏰:08/09/14 21:53 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#336 [◆SjNZMOXdWE]
【投下終了】

青虫は空に恋をし蝶になる

>>294-335

次の方どうぞ‥

⏰:08/09/14 21:55 📱:SH706i 🆔:☆☆☆


#337 [◆8HAMY6FOAU]
今から投下します!


タイトルは「踊り狂え、愛しきピエロ」です

⏰:08/09/14 22:17 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#338 [◆8HAMY6FOAU]
俺は彼女のことをあまり理解してなかったんだと思う。

「好きな人が出来たの」

そう告げる彼女の眼は、斜め右下を向いていた。
考えもしなかった事態に頭の中が真っ白になって、沈黙のパレードが彼女と俺の間を延々行進する。
いつまで経っても俺は、言葉を返せなかった。

⏰:08/09/14 22:19 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#339 [◆8HAMY6FOAU]
 

一人暮らしのアパートに帰って彼女の言葉を思い返すと、心臓を鷲掴みにされた気分になって情けなくも涙が溢れた。
ゴミや雑誌が散らかり放題の戦場みたいな部屋、その真ん中にだらしなく敷かれた万年床の布団に座り込んで、ただただ泣いた。
四年間恋人として過ごした女(ひと)との思い出が、鳴咽を漏らし泣きじゃくる俺の脳裏に浮かび上がっては消えていく。

⏰:08/09/14 22:20 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#340 [◆8HAMY6FOAU]
 
まだ俺たちが付き合いたての頃、大学の帰り道に寄ったスーパー。
慣れた手つきで夕食の材料を選んでは黄色いかごに入れていく彼女の後ろ姿を、俺は世界で一番の幸せ者だと思いながら眺めていた。

「ねぇ、野菜炒めでいいかな?」

俺がいくら我が儘を言っても、何時間と待ち合わせに遅れても、どれだけバイトの愚痴を零しても、彼女はいつも天使みたいに優しく頷いてくれる。
かわいくて、気が利いて、頭も良くて、その上料理も出来る彼女。
この時、俺はコイツと結婚しようと心に決めたんだった。

⏰:08/09/14 22:21 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#341 [◆8HAMY6FOAU]
 

なのに、どうして俺は。


一年も経つと俺は、彼女を放置するようになっていた。
約束を破るのも、電話に出ないのも、メールを返さないのも、日常茶飯事。
しかも最低なことに、そうやって彼女を放置している間俺は幾度となく他の女たちの嬌声を浴びていた。
映画俳優として有名になるのが夢だった俺は、オーディションに落ちる度に彼女を放置し、小さな役を貰う度に彼女を求める、そんな愚行を繰り返した。
理由はわかっている。
彼女の瞳に映るには、どうしても自信が必要だったんだ。
虚勢やら見栄やらを何もかも食い尽くしてしまうような、あの透明な視線が恐かったのかもしれない。

⏰:08/09/14 22:22 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#342 [◆8HAMY6FOAU]
 
実際、彼女は俺の浮気を見抜いていた。
一度二度バレてからはそれを隠そうともしなくなっていた俺に、彼女は訊く。

「遅かったね。また女の子と一緒だったの?」

そう言われるともう、開き直るしかなかった。
自分が間違っているなんてことは俺の中でも果てしなく明白で。
ただ、彼女の前では何故か自分の非を認めることが出来なかった。

「どうしてそういうことしちゃうの? 他に好きな人が出来たんなら、正直に言うべきだよ」

⏰:08/09/14 22:22 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#343 [◆8HAMY6FOAU]
 
違う、好きなんかじゃない。
俺が好きなのはコイツだけなんだ、信じてはもらえないだろうけど。
言い訳をすると、役者仲間が女癖の悪いやつばかりなのがいけなかった、俺は流されていた。

「自分を持たなきゃダメよ。あなたには才能があるんだから」

彼女は役者としての俺の才能を、絶対的に認めてくれていた。
どんなに小さな役しか貰えなくても今まで続けて来られたのは、その事実があったからだ。
彼女の支えが無かったら、俺は諦めていただろう。
しかしそんな恩を感じながらもどうしてか素直に甘えることは出来なくて、俺はその後も数えきれないほどの禁忌を繰り返す。

⏰:08/09/14 22:24 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#344 [◆8HAMY6FOAU]
滑稽な男の、滑稽なプライドだった。

それなのに、彼女は俺を責めない。
何故そうなるのか、と控え目に訊いてくる以外は、俺の裏切り行為について一切触れなかった。
俺はその理由を、彼女が優しいからだと、俺のことが好きで仕方ないからだと思っていたけれど。
今思えば俺は、彼女のことをマリア様みたいに、或いはロボットみたいに崇めてしまっていたのかもしれない。
宇宙より広い心を持ち、何をしても傷つくことはなく、永遠に俺を好いていてくれる存在だと。
けどそんなはずないんだ。
彼女だって人間であり女性であり、同時に俺の彼女でもある。

⏰:08/09/14 22:25 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#345 [◆8HAMY6FOAU]
俺の行為に嫉妬もすれば嫌になることだってあるだろう、いや、あって当然だ。
俺はなんて馬鹿なことをしていたんだろう。

つまり、答えが出た。
俺が抱えていた一番大きな問題をたった今解き終えた。
だからだろうか、胃につっかえていた汚物を全て吐き出せたような肩の荷が降りたような不思議な安堵感を得て、俺はその時初めて雨が降り出していたことを知る。
薄い壁を隔てて耳に伝わる静かな雨音が、俺に決断させた。


俺は彼女と付き合ってちゃいけない人間だ。

⏰:08/09/14 22:26 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#346 [◆8HAMY6FOAU]
 

彼女は完璧な女性だ。
俺なんかが汚しちゃいけない、もっとお似合いのヤツがいるんだ。
そうだ、好きな人が出来たって言ってたじゃないか、そいつと幸せになってくれたら、それでいい。

⏰:08/09/14 22:27 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#347 [◆8HAMY6FOAU]
 
思い立ったらすぐに立ち上がった。
まだ顔は溢れ続ける涙でグシャグシャだが、この雨なら気にすることもない。
溜まっている洗濯物の中に混ざり込んでいた黒い上着を引っ掴んで腕を通すが、生地が絡まってなかなか通らないことにイライラする。
腕をグイグイねじ込みつつ、俺の眼は鞄を探していた。
やっと袖に腕が通るとすぐ、ちゃぶ台の下に発見した鞄を肩にかけ、ちゃぶ台の上のタバコとライターと原付の鍵を床にボトボト落としながらジーンズのポケットに突っ込む。
部屋のドアを勢いよく開けるのと同時にサンダルをつっかけてそのまま走り出す。

⏰:08/09/14 22:27 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#348 [◆8HAMY6FOAU]
 
屋根の外に出た瞬間、大粒の雨が体を打つ。空は灰色の絵の具を塗りたくったようにべったりしていて、その透明感のない雲は凄まじいほどに水滴を落とし続けていた。
雨の日は危ないからバイクに乗らないで、と彼女に言われていたが今はそれどころじゃない。
一旦ポケットに入れた鍵を再び引っ張り出しながらバイク置き場に向かって駆け抜ける。
駐輪場の粗末な屋根が見えて、俺はそのままUターンした。
やっぱり彼女との約束は守りたい。
今更だけど、俺はやっぱり彼女が好きだったんだ。裏切りたくなんか、なかったんだ。

⏰:08/09/14 22:28 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#349 [◆8HAMY6FOAU]
 

普段なら原付を飛ばして一瞬で走りぬける道を、惨めに濡れながら息を切らしてメロスの如く走る。
俺は、ひとつのことだけを考えていた。
横を走るでかいトラックが撥ねた水を被ろうと、濡れたコンクリートに滑って転ぼうと、信号無視した車に轢かれそうになろうと、俺は彼女のことだけを脳内に浮かばせていた。

――どう言えば、うまく伝わるだろう。
俺の歪んだ本音を、どんな言葉にすれば理解してもらえるだろう。

赤い光が俺を立ち止まらせる。
降り続ける雨は、だんだんと強さを増していた。
もう俺の耳には、コンクリートと水滴のぶつかる音しか聞こえない。

⏰:08/09/14 22:31 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#350 [◆8HAMY6FOAU]
 
――いや、理解してもらおうなんて俺は……。
彼女はずっと理解してくれていたのに。それを無下にしたのは俺自身なのに。

着てきた上着も、破れたジーンズもその中の下着も伸びた髪も濡れてグチョグチョだ。体に纏わりついて余計に不快感を与える。
それでも、信号が青になるとまた走り出した。

――彼女のところに行っても、会ってくれるかどうかわからない。
今までどんなひどい行為をしても、彼女は俺を突き放さなかった。待っていてくれた。
俺はそんな彼女に甘えて、欺いて、期待して、……振られたんだ。

⏰:08/09/14 22:31 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#351 [◆8HAMY6FOAU]
 
何台もの自動車が水溜りを蹴散らしながら車道を走り抜けていく。
その横を俺はバチャバチャ音を立ててピエロみたいに走った。
完全に濡れ切った髪からいくつも水の筋が垂れて、目を開けていられない。
でも顔面に流れるのは薄汚れた空から降ってきた水分だけじゃなくて――俺はまだ、泣いていた。
前から歩いてきた相合い傘のカップルがそんな俺を見て嗤う。

――頭のおかしい奴とでも思われてるんだろうな。
構わないさ、実際俺は狂ってた。
あんなひどい仕打ちを受ける罪なんて彼女には一つもなかったのに。
罰を与えられるべきなのは俺だ。
だから嗤えよ。気が済むまで嗤ってくれよ。

⏰:08/09/14 22:33 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#352 [◆8HAMY6FOAU]
 
もう少し走れば辿り着く。
目指していた建物の大きな影を認めて、俺はそれを畏敬の念を含んだ眼差しで見上げた。

――もう繕ったりしない。
今まで平気で嘘を吐いて虚勢を張って誤魔化してきた愚かな背徳者は、ありのままを曝け出すと誓うよ。
それが俺の償いだ。


彼女のマンションのエントランスは花畑と見紛うほど植木や花壇で溢れていて、ここを通る度にお前は場違いだと言われているような被害妄想に苛まれた。
この世で最も美しく我が身にとってただ唯一守るべき花を放り出して、簡単に股を開く安っぽく汚らわしい女たちと交わるような汚れた人間はここに来てはいけないんだ、と。

⏰:08/09/14 22:34 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#353 [◆8HAMY6FOAU]
だから俺はよっぽどのことがない限り彼女の部屋に入らなかった。
そして今、俺と彼女の間によっぽどすぎるくらいよっぽどの事態が起きている。
俺は迷わず足を進めた。


彼女の部屋は四階の端、エレベータで上がるとすぐだ。
四階のボタンを押して気付いた。俺の眼からは相変わらず涙が流れている。
もう顔面の感覚が麻痺して、自分の顔がどんな表情を映しているのかさえわからない。
というか、髪も服もビショビショ、顔は恐らく最低にひどい状態でしかも泣いている。
こんな無様な恰好を彼女に見せるのはいくらなんでも、と躊躇ってから、すぐに思い直した。

⏰:08/09/14 22:35 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#354 [◆8HAMY6FOAU]
 
これでいいんだ。
彼女の前で、俺は繕いすぎた。
だから虚構にがんじがらめにされて、真実を隠すのに必死になって、彼女の透き通る視線に怯えるような馬鹿になってしまった。

全身にかかっていた重力が解け、目の前の壁が両側に開いた。その先にある薄暗い世界は、しかし、さっきまでよりいくらか明度を上げたように感じた。
エレベータは俺を四階に降ろすとまたすぐに上昇を開始する。
それを見届けてから、俺はびしょ濡れの髪を弄んで無造作に整えた。
上着を脱いでギュウっと絞ると、大量に水が溢れて床に飛び散る。シミになっていく。
下に来ていたTシャツも腹の部分だけ絞る。またシミが増えた。

⏰:08/09/14 22:36 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#355 [◆8HAMY6FOAU]
ジーンズは水分をたっぷり含んだまま。
俺はこれから電気椅子に拘束されに行く死刑囚のような、それでいて、たった今刑期を終えて刑務所から解放される服役囚のような、多面的感情に溺れていた。どちらにせよ俺は犯罪者だ。罪は重い。


四〇八号室、表札に名前はない。ここが彼女の部屋だ。
表札の下のインターホンに人差し指を乗せてまだ流れる涙を空いた手の甲でぐいと拭うと、目をつぶって人差し指に力を込める。
チャイムの音が雨音と混じり合って空間を支配したが、それからすぐにドアの向こうから緩いテンポの足音が届いた。

⏰:08/09/14 22:37 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#356 [◆8HAMY6FOAU]
 
目の前の扉が開くと、そこには彼女がいた。白いワンピースを着て鳶色の長いストレートヘアを胸まで下ろしたその人は、やっぱり天使そのものだった。

「……ゴメン、悪かった。俺やっぱり好きだ。他のやつなんかに負けないぐらい、好きだ」

頭のてっぺんから爪先までびしょ濡れの上にひどい顔をして泣いている男が吐いた情けないセリフに、彼女は恋愛映画のヒロインよりロマンティックで残酷なくらい優しい笑顔を返す。
さっきまでの懺悔は天使を目にした瞬間全部吹き飛んでしまって、俺のこの脳みそは紛い物なんじゃないかと思った。

⏰:08/09/14 22:39 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#357 [◆8HAMY6FOAU]
俺にとって彼女は、無罪のみを言い渡す裁判官で、全てを許す神で、正しい方向を示す母で、そこはかとない愛を生む女で。


「おかえり」


自分が濡れるのも構わず、境界線がわからなくなるほど俺を強く抱き締めた彼女は、もう一つの解答を俺に教えてくれた。
この先も俺たちのスクリーンには、間抜けなピエロと麗しいヒロインのラヴストーリーがエンドレスで流れ続けるという真実の答えを。

⏰:08/09/14 22:39 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#358 [◆8HAMY6FOAU]
踊り狂え、愛しきピエロ

>>338-357


終了しました。
次の方どうぞ!

⏰:08/09/14 22:44 📱:SH903i 🆔:☆☆☆


#359 [◆j9RqQwYZbM]
今から投下します!

タイトルは,

【花と君とあたし。】

⏰:08/09/14 22:49 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#360 [◆j9RqQwYZbM]
「別れたぁ〜!!
っていうかフラれたぁ!!」

突然の大声に店内に居る客という客の視線が、一斉に自分へと注がれる。そりゃあそうだ。
静かに花を選びに来ている人間からすれば、場違いにも甚だしい行動。

しかしそんな冷ややかな視線にも慣れている私は、店内の空気などお構いなしに、いつものようにある人物をキョロキョロと探し始める。

第一今の私に周りを気にしていられる程の余裕なんて、これっぽっちも残されていなかった。

「…イタッ!?」

すると突然、後頭部を何かで叩かれ思わず大声を上げる。

⏰:08/09/14 22:56 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#361 [◆j9RqQwYZbM]
「おい!これ以上大声出すな!
店はお前の家じゃねぇぞ!?」

振り返ると手には新聞紙を握り締めている長身の男が、呆れた表情で突っ立っている。
どうやら私の後頭部はコレで叩かれたらしい。

「…プッ…あたしより声張ってんじゃん」

そんな彼とは逆に、注意している本人が一番声を張り上げているのが可笑しくて、私は思わず吹き出した。

「…ッ!うるせぇーよ!とりあえずちょっとこっち来い」

そうこうしている間に、私はほぼ無理矢理の状態で店の奥へと連れて行かれる。

⏰:08/09/14 23:02 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#362 [◆j9RqQwYZbM]
店の奥へと彼に手を引かれている間も、客の視線が痛々しい程感じられた。

確かに逆の立場だったら私はウザイ客だろうな〜なんて考えていたら、いつもの広場に通された。

様々な種類の花が植わっている花壇が円を書くように敷き詰められた広場には、小さなベンチとテーブルが真ん中幾つか置かれている。

私はこの広場が好きなんだけど、今は使われていないらしくほぼ花の在庫置き場になっている。

⏰:08/09/14 23:12 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#363 [◆j9RqQwYZbM]
「…で?今度は何で別れたんだよ?」

ついつい綺麗な花に見とれていた私は、彼の声で一気に現実へと引き戻され急に腹が立って来た。

「そうだった!もぉ本当聞いてよ〜!今度はさぁ…」

私はずっと抑えていた気持ちを声の出る限り彼に伝えようとする。

そして彼はいつものように必死で話す私を彼は黙って聞いてくれる。

これが私と彼の関係の全てだった。今も昔も。

⏰:08/09/14 23:18 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#364 [◆j9RqQwYZbM]
彼、こと"大庭咲良(オオバサクラ)"は2つ年上の私の幼なじみでこの花屋の一人息子だ。

兄弟の居ない私にとっては幼なじみであり兄のような存在でもある。

そのせいか私は何か嫌なことがあったり心配事があったりすると、必ずこの花屋に駆け込んで咲良に話を聞いてもらっていた。

まぁその相談事の9割方が私の恋愛についてなのだが。

⏰:08/09/14 23:26 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#365 [◆j9RqQwYZbM]
今回の相談もそうだった。つい最近まで付き合っていた彼に突然、「重い」と言ってフラれてしまった。

フラれた彼に何の未練も無いしむしろあんな奴もうどうでも良いのだけど、いつも思うことがある。

彼の言う"重い"って一体何?
私にとって好き=いつも一緒に居たいとか、相手をいつも想いやっていたいとか、そういうこと。

それなのにその想いを"重い"だなんて言葉で片付けられちゃ、納得出来るワケが無い。

だから私はいつも自分に合う人を求めて沢山恋愛をしてきた。
でもいつも結果は同じ。

なかなか思う通りにいかなくてまたこの花屋に来てしまうんだ。

⏰:08/09/14 23:35 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#366 [◆j9RqQwYZbM]
「…で結局フラれた、と」

「…まぁ…まとめたらそうなります」

支離滅裂な話を終えた頃時計に目をやると約30分が過ぎていた。
咲良に喋ればスッキリすると思っていたのに、意外と未消化な気持ちで居る自分に驚いた。

暫く沈黙が続き、咲良はゆっくりと席を立ち上がる。

⏰:08/09/14 23:43 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#367 [◆j9RqQwYZbM]
数分程して帰って来たかと思うと、咲良はおもむろに何かを私に差し出して来た。

「そうだな…今の沙保にはこの花を…花言葉は」

「もぉぉ!!咲良の花の慰めは要らないって!!」

咲良の言葉を遮るようにそう言うと、私はテーブルにうつ伏せる。

「お前…本当失礼な奴だな!人が心配して選んだ花を受け取らないなんてよぉ!!」

まだ馬鹿げた文句を言いながら、咲良は不機嫌そうにイスに座り直す。

⏰:08/09/14 23:49 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#368 [◆j9RqQwYZbM]
花屋の息子だからか知らないが、咲良はいつもその時の私の状況に合わせた花言葉の"花"を選んで私にくれる。

それが咲良流の慰め方らしいのだが、私にしてみれば何の意味も無い行動に思えてならない。

「そんな花くれるんだったらさぁ〜私のことだけ考えてくれる人を連れて来てよぉ…」

周り一面に咲いている花を見ながら、私は思わずそう呟いた。

すると突然、咲良が席を立ち上がって一目散に奥の店内へと戻って行った。

咲良が奇怪な行動を取るのは日常茶飯事なので、私は気にせずテーブルに伏せていた。

⏰:08/09/14 23:56 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#369 [◆j9RqQwYZbM]
テーブルに顔をうずめたまま、急に静かになった広場で一人ふ、と思った。

[きっとまた恋しても、"重い"とか言われてフラれるだけなんだろな…]

この恋をバネにして!なんて、口では簡単に言えるけれど実際はそうじゃない。
毎回毎回、失恋する度に心身共々ボロボロで、自分ばっかり責めて、泣いて…。

そんなことを考え出したら急に悔しくて、悲しくて、涙が頬を伝った。

「こんな時に…一人にしてんじゃないよ…バカ咲良…ッ」

⏰:08/09/15 00:03 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#370 [◆j9RqQwYZbM]
すると突然、顔の下に敷いていた腕を力強く引き上げられた。

「一人で…ハァッ…泣くな!!俺が居る意味が無いだろ!」

驚いて見ると息を切らした咲良が私の手を握っている。

「だ…ッだって!っていうか、勝手に飛び出して行ったのは咲良の方じゃん!!」

突然のことに動揺した私は、急に泣いている自分が恥ずかしくなって慌てて涙を拭く。

その言葉を聞いた咲良は思い出したように、私の手を握る右手とは逆の手をまた勢い良く差し出した。

「これ…お前に渡せるの、今しかないと思って」

咲良はそう言って俯いた。
見ると咲良の手には、一輪の赤いバラがあった。

⏰:08/09/15 00:11 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#371 [◆j9RqQwYZbM]
「…バラ……?」

まだ現状が理解仕切れていない私は、じっとその花を見つめる。

そんな私を咲良は苛々した様子で暫く見ていると、胃を消したように突然大声を上げた。

「バラの花言葉ぐらいだったら、お前も知ってるだろ!」

「花言葉…?」

そこまで言うと咲良はまた恥ずかしそうに俯いた。
咲良を見つめながら、私はゆっくりと思い出す。

バラの花言葉。
確か……。

「ー……ッ!!!!!!!!」

思い出した途端、自分の体温が急上昇していくのが分かる。

「そ…れって…」

バラの花言葉、"愛・愛情"。私が何よりも欲しがっていたモノだ。

⏰:08/09/15 00:18 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#372 [◆j9RqQwYZbM]
「口で言わなきゃ分かんねぇのかよ…この鈍感」

いつになく顔を赤らめている咲良はバラをテーブルに置くと、私を見つめ直す。

「花言葉で告白って…。プッ…相変わらずダサいなぁ〜咲良は!」

大真面目に言っている咲良を前に私は思わず吹き出して言う。
咲良の方は一世一代の告白をまさか笑われるとは思っていなかったらしく、キョトンとしている。

「お前…っ…普通ここで笑うか…ッ!?」

咲良はそこまで言うとまた口を紡ぐ。
というよりも、紡がざるを得なかった。

咲良の唇を、私が塞いだから。

⏰:08/09/15 00:24 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#373 [◆j9RqQwYZbM]
何で気が付かなかったんだろう。

私が今まで恋をしていて不満だらけだった理由。それは、いつも相手に咲良を重ねて思っていたからだ。

咲良のような優しさや温もりを相手に求めては、拒まれていた。

そりゃあそうだ。
咲良の優しさは咲良にしか生み出せない。

こんな簡単なことに気が付くまで、随分時間がかかったものだ。

⏰:08/09/15 00:30 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#374 [◆j9RqQwYZbM]
ゆっくりと唇を離すと、咲良から花の良い香りがした。
どこか懐かしくて心があったかくなる香り。

「沙保…お前って本当に無茶苦茶だな」

ようやく自由になった口を咲良は不満そうに開いた。その顔はバラより赤くて、また私は笑った。

「無茶苦茶な私に愛を誓ったのは咲良だよ?
最後まで付き合ってもらうから」

私はそう言って微笑むと目を閉じる。
咲良の甘い香りに包まれるのを、心地良く感じながら。

⏰:08/09/15 00:34 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#375 [◆j9RqQwYZbM]
【花と君とあたし。】

>>359-374

投下終了です!

次の方どぞ!

⏰:08/09/15 00:36 📱:W52P 🆔:☆☆☆


#376 [◆vzApYZDoz6]
業務連絡

投票開始しました!
bbs1.ryne.jp/r.php/novel/3873/
匿名でなら作家さん自身が投票するのもアリなんで、お好きにどうぞw

なお、24:00〜26:00はマージンタイムです!
投票はすでに受付開始していますが、この時間に投下された作品も投票対象になりますのでまだ投下してない方はお早めに!

⏰:08/09/15 00:52 📱:P903i 🆔:☆☆☆


#377 [◆ZPM9124utk]
今から投下させて
頂きます。

題名は【歩道橋の上で】

⏰:08/09/15 01:40 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#378 [◆ZPM9124utk]
大学の授業が終わり
大学1年生の
立架絢が自宅への帰り支度
をしているところに
近くで話していた生徒
の声が聞こえてきた。

「ねーねー最近あの歩道橋
に男の人がずっといるの
知ってる?」

⏰:08/09/15 01:41 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#379 [◆ZPM9124utk]
「え、何それナンパ?」

「ん〜わかんない…。でも
超イケメンで〜女の子
ガン見してるらしいよ。」

「え〜どうしよ、
見てみたいな。」

絢は鞄に本を詰める手を
休ませて生徒達の話に
思わず聞き入って
しまっていた。

「誰か待ってるのかもね!」
「なーんかそれロマンチック!」

絢は生徒達の話が
一通り済むまで聞くと
鞄を提げコートを羽織り、
生徒達を尻目に
部屋を出て行った。

⏰:08/09/15 01:43 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#380 [◆ZPM9124utk]
…―今更あの人が
いる訳ないよね、うん。
だって一年も前の話だし…。

絢はそんなことを思いながら
大学を出て外の冷たい
風を受けコートの襟を
少し立てた。




『カランコロン』

絢は数ヶ月ぶりに聞くドアに
取り付けられたベルの音色
を少し懐かしく思った。

「いらっしゃいませ…
絢ちゃん!久しぶり!!」

コーヒーを淹れていた
短髪の青年の
店員が嬉しそうに絢に
声をかけた。

⏰:08/09/15 01:45 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#381 [◆ZPM9124utk]
「久しぶり、元気してた?」

絢も微笑みながら、
店員の近くのカウンター席
に腰を下ろした。

「元気元気!あの頃は
店に慣れなかったけど、
今はこの通り副店長だよ!!」

店長は誇らしげに
制服の胸ポケットに
付けていたネームプレートを
指した。
確かに「副店長」と印刷
されている。

⏰:08/09/15 01:47 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#382 [◆ZPM9124utk]
「たった一年で!
…変わるもんなんだね。」

「うん、一年は大きいよ。
あ、絢ちゃん何頼む?」

「それじゃあ紅茶を。」

メニューも見ずに即答した
絢に副店長は頷き、
淹れたコーヒーを他の店員に
渡すと、今度は紅茶を
淹れ始めた。

「絢ちゃんは、アイツが
いなくなった、ってだけで
何にも変わらないね。」

「…アイツって、」

「峰原悠二のこと。」

⏰:08/09/15 01:48 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#383 [◆ZPM9124utk]
副店長は少し寂しそうな
表情をした。

「…一年前はよくここに
2人で来たしね。そういえば
…悠二と友達だったよね、
最近元気なの?」

絢は少しざわついている
店内の中でひっそり言った。

⏰:08/09/15 01:49 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#384 [◆ZPM9124utk]
「それが、一年前から連絡
取れなくてさ…。
他の峰原の友達も連絡
取れないって言ってて…。」

副店長は悲しげな面持ち
で言い、カウンター越しに
絢に紅茶を渡した。

「それっていつから?」

絢はとても嫌な予感がした。
興奮して少し声が大きくなる。

「12月20日、去年のちょうど
今頃だよ。あ、明日だね。」

⏰:08/09/15 01:51 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#385 [◆ZPM9124utk]
…―間違いない。
彼と別れた日だ。

絢は紅茶に手もつけず
鞄に入れていた財布から
千円札を乱暴に抜き取り、
副店長に渡した。

「え!?絢ちゃん!??」

副店長が驚いている間に
絢は鞄をつかみ、勢い良く
店を出た。

…―もしかして、
歩道橋にいるのは…

⏰:08/09/15 01:52 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#386 [◆ZPM9124utk]
絢は雑踏をかき分けて
例の歩道橋まで急いだ。
人にぶつかったって
コートがめくれたって
気にもしなかった。
ただ、絢は歩道橋にいる
女性を見ているイケメンが
誰なのか確信していた。

緑色の急な階段を
一気に駆け上がる。

男性はいた。

歩道橋の真ん中で
悲しい目で通る人々を
眺めている。

…―一年前の翌日に
この場所で別れた
元彼、悠二だ。

⏰:08/09/15 01:53 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#387 [◆ZPM9124utk]
「ゆう…」

そう言って伸びた手を
絢はふと我に返って
制した。

…―今更悠二に声
かけるものじゃ
ないかもしれない…。
まして、あんな別れ方
だったんだから…。

絢は悠二を見つめながら
制した手を強く握った。

…―でもみんな心配してた
し、私が一声かけるくらい…。

⏰:08/09/15 01:54 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#388 [◆ZPM9124utk]
絢が脳内で悶々と
悩んでいると、
歩道橋を通った子どもが一人
悠二に近づいた。

「お兄ちゃん何してるの?」

不思議そうな顔をして
その子どもは悠二に聞いた。

悠二はしゃがみ込むと、
子どもに微笑み、答えた。

「大切な人、待ってるんだ。」

「大切な人?それって
お兄ちゃんの彼女なの?」

「……たぶん。」

⏰:08/09/15 01:55 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#389 [◆ZPM9124utk]
悠二は少し困ったように
言った。そんな悠二に子どもは
へんなのー、と言って、
歩道橋を駆けていった。

「…だよな。」

絢には悠二がぼそりと
つぶやいたのがわかった。
人ごみに混ざったざわめき
なんてもう聞こえなかった。
悠二にスピーカーが
ついているかのように
彼の声だけ聞こえた。

「…何もかもわかんない
なんて変だよな…。」

⏰:08/09/15 01:56 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#390 [◆ZPM9124utk]
「どういうこと?」

いつの間にか絢は
悠二の目の前に
しゃがみ込んでいた。

長い沈黙が流れた。
悠二の目はまん丸だ。

「…………え?」

悠二が絢に向かって言った
第一声はそれだった。

「………すみません、
もしかしてあなた、
立架絢さんですか?」

…―これは冗談?

絢の思考は停止する。
悠二は絢を見つめたままだ。

…―もし本当に悠二が
忘れたとしたら、彼の記憶
が丁度消えているのなら…。

⏰:08/09/15 01:57 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#391 [◆ZPM9124utk]
絢はうつむいて、
悠二を見つめた。

「すみません、違います。」

…―これはきっと
彼にとって、私にとって
一番いいのかもしれない。

悠二は、絢の答えを聞くと、
慌ててぺこりと
謝り、立ち上がった。

「そうですよね、すみません。
よくその人に
似ていたもので。」

「…いえ。それより、
さっき、何もかもわからない
って…。」

⏰:08/09/15 01:58 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#392 [◆ZPM9124utk]
絢も立ち上がって悠二
と並び、橋の下を眺める。
鞄を握り跡がついて
しまいそうなくらい
強く掴んだ。

「あ、はい。僕、丁度一年前に
事故で記憶
なくしちゃいまして、」

絢の目の前が真っ暗に
なった。

「事故っていっても
ぶつかった程度なんです
けどね…でも厄介なことに
なかなか記憶が
戻ってくれないんですよ。」

「…………。」

何も言い出せない絢を
お構いなしに悠二は
話を続ける。

⏰:08/09/15 01:59 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#393 [◆ZPM9124utk]
「親や少人数の
親しい友人に大まかな話を
聞いて大体の記憶は
取り戻したんですが、一年前
の数ヶ月のことだけ
誰に教えてもらっても
しっくり来ないんですよ。
ほら、あのパズルで形が
似てるピースが
当てはまらないみたいに。」

「…………はい。」

なんとか絢は頷いた。

「立架絢さんという女性が
僕の大切な人だった、
ということはわかるんですが。」

⏰:08/09/15 02:00 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#394 [◆ZPM9124utk]
同じく絢は頷く。

…―落ち着け私。
彼にとって私を思い出さない
方が幸せなはず。

「記憶って大きいキーワード
を思い出したらあとは
思い出せるらしいんです。
あと少しなんですよね。」

…―そのために早く
私のことを諦めせなくちゃ。

絢の呼吸が荒くなる。

「て、ごめんなさい。
見ず知らずの人にこんな
こと話してしまって…。」

悠二は慌てて絢に
謝った。

⏰:08/09/15 02:01 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#395 [◆ZPM9124utk]
「記憶をなかなか
思い出せないのは、あなたの
どこかで思い出したくない
自分がいるんじゃない?
そんな辛い過去、忘れたまま
の方がいいに決まってる!
こんな先の見えない
記憶探し、馬鹿みたい!!」

絢は悠二に言った。
胸が痛くて今にも
倒れてしまいそうだった。

⏰:08/09/15 02:02 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#396 [◆ZPM9124utk]
絢が歩道橋を引き返そう
とした時、悠二の足元に
見覚えのあるマフラーを
見つけた。

…―私が去年あげた
マフラー。

「これ、落としてる。」

乱暴にそれを悠二に
押し付けると絢は
振り向きもせずに歩道橋の
階段を駆け下りた。

⏰:08/09/15 02:03 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#397 [◆ZPM9124utk]
悠二はマフラーを
受け取りながら絢の
背中を見つめていた。

「さっきの…もしかして……。」

一人暮らししている
マンションの部屋の
鍵を開けてベッドに
倒れ込んだ絢の顔は
涙でぐちゃぐちゃだった。

「…あのマフラー、
まだ使ってた…。」

ふとさっきの情景が
絢の中で思い出された。

「悠二…。」

絢はいつの間にか
眠って夢をみていた。

一年前の話だ。

⏰:08/09/15 02:04 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#398 [◆ZPM9124utk]
絢は7年間片思いしていた
異性に男友達だった
悠二に後押しされながらも
思い切って告白した。

「ごめん、君に興味ないから。」

返ってきたのは、
期待していた言葉より
何倍も何倍も冷たい言葉。

その態度に絢が
傷つかない訳がなかった。

何ヶ月も家に引きこもった
絢を心配した悠二は
見舞いついでに絢に
声をかけた。

⏰:08/09/15 02:05 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#399 [◆ZPM9124utk]
「絢に最高の場所、
教えてやるよ。」

絢がしぶしぶ付いていくと
そこはただの歩道橋だった。

ぼやく絢に悠二は
歩道橋の上から向こうを
指差した。

「絢、ほらあれみて。」

絢の瞳に映ったのは
クリスマス期間限定で
道路の端々の木に付けられた
数え切れない程に
輝いているイルミネーション
だった。

「こんなの、知らなかった…。」

⏰:08/09/15 02:06 📱:F705i 🆔:☆☆☆


#400 [◆ZPM9124utk]
絢は目を丸くして
笑顔で景色を眺める。

「絢、もし良かったら
俺とつ、つ、付き合って
くれないか!??」

絢を先ほどから見つめていた
悠二は緊張した面もちで
告白した。

驚いた絢は固まった後、
はにかみながら、

「…うん。」

と返事をした。

⏰:08/09/15 02:07 📱:F705i 🆔:☆☆☆


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