微妙な10センチ。〜最終〜
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#561 [あき]
次々に出社する仲間に私は、ズキンズキンする頭痛とキリキリした胃痛で、そつなく挨拶をする。

『おはようございます』『お疲れ様です』

私らしく。今まで通り。
だけど、私の声は皆に届いているんだろうか。目も合わせないまま簡単な返事が返ってくるのみだった。
こんな日々も、今日で終わり。
私は、この後。
見た事も会った事もない社長に専務。苦手な所長に、煩い次長。インテリメガネ女主任…
一斉に集められた、本会議と呼ばれる、私の為だけの、ただの吊し上げ場に呼ばれ。
そして依願退職の手続きが踏まれるのだから。

⏰:09/10/04 17:32 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#562 [あき]
『じゃ、行こうかっ!』

出社したばかりのインテリメガネ女主任にそう呼ばれた。私は、今朝から、それなりに片付けた自分のデスクから立ち上がる。

『はいっ…』

フロア内、ぴんと空気が張りつめた。
大御所ベテラン連中の視線が突き刺さる。
私は、彼女の背中についてフロアを出た。
フロアを出て、エレベーターに乗り込む。
勤めて数年。押した事のないフロア階のボタンを押すと、静かに扉は閉まった…。

⏰:09/10/04 17:41 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#563 [あき]
たった数秒。
たった数秒で、扉は開いた。
シンとした空気の中、初めて降りたこの階の空気に圧倒される。
心の準備なんていらないよ。
そう言われた気分になる。

彼女に連れられ、大きな観音開きの扉を開ける。

ズラリと並べられたデスク。そこにズラリと座る上司。
最上階。
全面ガラス貼りのその室内に燦々と日光が降り注ぎ…
私は眩しくて目を反らした。

⏰:09/10/04 17:48 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#564 [あき]

――
―――
上司に深々と頭を下げる。私の行く末は、たった一時間で決まったみたいだった。いや、正確に言うと、決まっていたのが、一時間かけて通達されただけ。
再び観音開きのドアの前に立ち、もう一度、頭を下げると、張りつめていた糸が切れたように涙が落ちた。
咄嗟に指で涙を拭う。
そんな私の隣に立つ彼女は、私の背中を押す。

『失礼します。』

彼女に促されるように、扉の向こう廊下に立ち、そのまま二人、無言でエレベーターに向かう。

…全身が震えていた。

⏰:09/10/04 18:02 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#565 [あき]
フロアに戻りトイレに駆け込んだ。
もはや周囲の視線なんて気にならない。
今になって、心臓がばくばくと音を立て始めた。
鏡に映る私は、呆然唖然の姿だ。

(…なおちゃん…どうしよう…私……)

無意識に頭を抱えた。
いつの間にか、頭痛も胃痛も気にならなくなっていて。
ただただ、涙が溢れた。

⏰:09/10/04 18:12 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#566 [あき]
トイレの中、ポケットから携帯電話を取り出す。

震える体を必死に押さえ、両手でしっかりと小さな携帯電話を握りながら、画面を開いて、文字を綴る。

【人事的処分なし!
会社の判断は、損害額だけ返済すればいいって。クビは免れたみたい。】

そして即座に送信した。

送信しました。の文字が滲んでうまく見えなかったけど。
私は、なおちゃんに、そう送信した。
一番に知らせたかった。

⏰:09/10/05 00:00 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


#567 [あき]
【ほーか。】

即座に返事が返ってくる。何の言葉もない。
たった一文字。
もう少し、何か言葉は無いものなのかと、少々落ち込むけれど。
なのになんだか、ほっとする。

【ほーよ。ただ、損害額は返済だって。】

直ぐ様、返事。

【いくら?】

珍しく、何度も返事が返ってくる。
しかもクエスチョンマークまでついて。

私は、さっき言われたばかりの損害額を画面に綴る。
私の給料では、到底払えない額。
結局、給料天引きの月賦払いにサインした、その金額を打ち込んで送信した。

⏰:09/10/05 00:08 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


#568 [あき]
その金額に、彼もさすがに驚いたのか、少しの間があく。

冷やかしかよと諦めて、よいしょと立ち上がり、トイレの扉を開きかけたその時、また返事が返ってきた。

【払えるのか?】

まさかの言葉に再び、トイレに戻り私は画面に文字を打ち込んだ。

【払えるわけないじゃん。当分ただ働きだなっ。】


私らしく。
私らしい言葉で。
そう伝えた。

⏰:09/10/05 00:13 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


#569 [あき]
そう返事を打ち込む事で、今度こそ返事は返ってこないと思った。

彼はいつも、一方的にメールを打ち切る。

彼いわく、返信の内容に自分が納得したら、返事するのが面倒らしい。なんとも自己中であるが、メールの相手が私であると、その自己中っぷりは、見事なまでに実行される。

彼との間で何通もメールをやり取りした覚えはこの数年。
いや、再会してから?一度たりとも無い。

パタンと携帯を閉じて私は、再びトイレの扉をあけた。

やっぱり返事は返ってこなかった。

⏰:09/10/05 00:18 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


#570 [あき]
デスクに戻り、今日の仕事の書類に目を通す。お気に入りのボールペンを取り出して、ファイルを開いた。
ここには、私の苦労の結晶が集結している。
ふと感じる。
与えられた仕事。
任された担当。
責任あるエリア。
全て、私の手の中に戻ってきた。
もう、取り上げられるかもしれないという不安も。
失なうかもしれないという恐怖も。
…無くなった。
また込み上げる気持ちをぐっと押し込む。

保証されたのだ。
私は、続けられる。
この大好きで大切なこの仕事を。
続けていいのだ。

会社からは
そう保証された。

⏰:09/10/05 00:27 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


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