微妙な10センチ。〜最終〜
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#557 [あき]
アパートから駅までの道程。すこし歩いただけで、汗ばむこの季節は本当に嫌いだ。
その間も、ピロピロなり続ける携帯電話に慣れた手つきで返事をする。
【じゃ。電車乗るからっ!今日も頑張ってね。】

そして、まずは一段落。入ってきたいつもの電車に乗り込み、冷ややかな空調にホッと一息ついて、座席に座った。

⏰:09/10/04 13:52 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#558 [あき]
キリキリと痛む頭痛は、出社の意欲をますます失わされた。

数十分の乗車で、私はまた歩き出す。

途中、駅前コンビニで、ミネラルウォーターを一本買って、直ぐ様ポケットに入れた錠剤をまた二錠。ゴクリと飲み干した。

駅を南に抜けて左に折れる。大きな通り。
華々しいオフィス街。
その一画。
天にまでも届きそうなそびえ立ったビル。
それが、私の愛してきた会社だ。
すぅーっと蒸し暑い空気を胸一杯に吸い込んで。
重い重い自動扉を抜ける。

⏰:09/10/04 14:04 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#559 [あき]
自動扉を抜けて、警備員さんに声を掛ける。

夜勤明けのおじさんは、早くからご苦労様とくしゃりと笑顔を向けてくれた。

今の私には、このおじさんの笑顔だけが救い。
少し立ち止まり、おじさんと会話を楽しむ。

この後、私は誰とも会話をしない。
今から退社するまでの数十時間。
私は誰とも笑い合う事はないのだから。
いや…無くなったのだから。
そして帰宅すれば…
また携帯電話の向こう側に、作り笑顔を作るだけ。

今、笑える時に笑っておかないと。
私は本当の笑顔を忘れてしまう。

⏰:09/10/04 14:19 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#560 [あき]
カチャリとドアを開けて、誰もいないルームに足を踏み入れる。
シンと静まり帰った部屋は今の私には心地好い。
壁に掛かれたホワイトボードにサラサラとサインをしてペンを置いた。その文字をじっと見つめる。見つめながら、ガンガン響く頭痛。その上にチクリと胃痛がプラスされた。

【AM9時。本会議出席】

昨日、帰社する間際に呼び止められて伝えられた今日の予定。

今日は、スーツのままでいい。ロッカーからネームを取り出し首に掛けた。

⏰:09/10/04 15:32 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#561 [あき]
次々に出社する仲間に私は、ズキンズキンする頭痛とキリキリした胃痛で、そつなく挨拶をする。

『おはようございます』『お疲れ様です』

私らしく。今まで通り。
だけど、私の声は皆に届いているんだろうか。目も合わせないまま簡単な返事が返ってくるのみだった。
こんな日々も、今日で終わり。
私は、この後。
見た事も会った事もない社長に専務。苦手な所長に、煩い次長。インテリメガネ女主任…
一斉に集められた、本会議と呼ばれる、私の為だけの、ただの吊し上げ場に呼ばれ。
そして依願退職の手続きが踏まれるのだから。

⏰:09/10/04 17:32 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#562 [あき]
『じゃ、行こうかっ!』

出社したばかりのインテリメガネ女主任にそう呼ばれた。私は、今朝から、それなりに片付けた自分のデスクから立ち上がる。

『はいっ…』

フロア内、ぴんと空気が張りつめた。
大御所ベテラン連中の視線が突き刺さる。
私は、彼女の背中についてフロアを出た。
フロアを出て、エレベーターに乗り込む。
勤めて数年。押した事のないフロア階のボタンを押すと、静かに扉は閉まった…。

⏰:09/10/04 17:41 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#563 [あき]
たった数秒。
たった数秒で、扉は開いた。
シンとした空気の中、初めて降りたこの階の空気に圧倒される。
心の準備なんていらないよ。
そう言われた気分になる。

彼女に連れられ、大きな観音開きの扉を開ける。

ズラリと並べられたデスク。そこにズラリと座る上司。
最上階。
全面ガラス貼りのその室内に燦々と日光が降り注ぎ…
私は眩しくて目を反らした。

⏰:09/10/04 17:48 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#564 [あき]

――
―――
上司に深々と頭を下げる。私の行く末は、たった一時間で決まったみたいだった。いや、正確に言うと、決まっていたのが、一時間かけて通達されただけ。
再び観音開きのドアの前に立ち、もう一度、頭を下げると、張りつめていた糸が切れたように涙が落ちた。
咄嗟に指で涙を拭う。
そんな私の隣に立つ彼女は、私の背中を押す。

『失礼します。』

彼女に促されるように、扉の向こう廊下に立ち、そのまま二人、無言でエレベーターに向かう。

…全身が震えていた。

⏰:09/10/04 18:02 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#565 [あき]
フロアに戻りトイレに駆け込んだ。
もはや周囲の視線なんて気にならない。
今になって、心臓がばくばくと音を立て始めた。
鏡に映る私は、呆然唖然の姿だ。

(…なおちゃん…どうしよう…私……)

無意識に頭を抱えた。
いつの間にか、頭痛も胃痛も気にならなくなっていて。
ただただ、涙が溢れた。

⏰:09/10/04 18:12 📱:W64S 🆔:.Nvju5zI


#566 [あき]
トイレの中、ポケットから携帯電話を取り出す。

震える体を必死に押さえ、両手でしっかりと小さな携帯電話を握りながら、画面を開いて、文字を綴る。

【人事的処分なし!
会社の判断は、損害額だけ返済すればいいって。クビは免れたみたい。】

そして即座に送信した。

送信しました。の文字が滲んでうまく見えなかったけど。
私は、なおちゃんに、そう送信した。
一番に知らせたかった。

⏰:09/10/05 00:00 📱:W64S 🆔:e7EPmjxo


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