消えないレムリア
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#101 [ぎぶそん]
身体も少し拭こうと、彼が着ているポロシャツのボタンを外した。
あらわになった首筋にややどきどきしながらも、目に見える範囲で身体を拭く。
そしてもう1度タオルを洗って、彼の額に置いた。

左手の腕時計に目をやる。
次の講義まで後1時間はあった。
今や大学に戻っても中途半端になるので、私は彼の寝顔をじっと見ていた。
もし、死なれたらどうしよう。
無理に起こしてでも病院に連れて行ったほうがいいのかな。
色んな考えが生まれながらも、私はただ黙って彼の様子を見ることしかできなかった。

最後に、風邪薬と水が入ったコップをテーブルの上に置いて部屋を出た。

⏰:12/06/10 23:37 📱:Android 🆔:Aj4GpTQg


#102 [ぎぶそん]
大学に着くと全力で走り、息を切らして次の授業がある講義室に入った。
大人数の中から佐奈の姿を見つけ、その隣に座る。
息を落ち着け、ふきだす汗をハンカチで拭う。
「かなめ、どこに行ってたの?」
「真織が今日熱出したから、家に帰って看てきた」
「何だかんだいって、彼のことが心配なんだね」
「そんなんじゃない。うつされたくないからだよ」

自堕落な生活を送ってた私だけど、小学生の頃から学校を休むのだけは嫌いだった。
大学1年の時は、全ての授業を1回も休むことなく受けた。
2年になっても続けてそうしていくつもりだ。
その大切な記録を、彼のおかげで止められてしまっては困る。
それだけだった。

⏰:12/06/10 23:53 📱:Android 🆔:Aj4GpTQg


#103 [ぎぶそん]
夕方帰宅すると、真織は布団に寝たままテレビを観ていた。
私は病気の彼のためにお粥を作ろうと、すぐに台所に立った。

「今日昼家に戻ってたの?」
彼が咳をしながら、私の後ろに立った。
「うん、まあ……」
本当は彼のことを気にかけてると思われたくない。でも嘘はつけそうもないので私は正直に答えた。
「……タオルと薬、ありがとな」
彼が後ろから私の身体を抱きしめてきた。
彼の身体が重くのしかかり、うだるようなその熱さが私の身体に伝わってくる。
「近寄らないでよ。熱がうつるでしょ」
私は彼の腕を払いのけた。
「ごめん」
彼はいつになく弱々しい声を出し、リビングに戻った。

彼が時々優しくしてくるのは嫌じゃない。
でも、それをどう返していいか困る。
だから、こうして何とも思ってない態度を取るのが精一杯だった。

⏰:12/06/11 00:09 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#104 [ぎぶそん]
後日。彼はすっかり元気になっていた。
彼はステレオマンがある木曜以外は、家に帰ってくるのが遅い。
どうやらサークルで一緒にバンドをするメンバーが決まったらしく、部室でバンドの練習をしているらしい。
この日も彼の帰宅は夜の8時を過ぎていた。

「肩揉んでくれる?」
彼がリビングに腰を下ろすと、私に背中を向けてきた。
何で私が。そう思ったが、彼が痛そうに肩を押さえてるのでやってあげることにした。
彼の肩を親指で押すように揉んだ。血行が悪いのか、結構な硬さを感じた。
コリがほぐれるように、彼の肩をまんべんなく揉み続ける。

「もういいよ、ありがとう」
彼がこちらに振り返る。
「そっちも揉んでやるよ」
マッサージをされて損はしないので、私は彼に背中を向けた。

⏰:12/06/11 22:07 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#105 [ぎぶそん]
「あー、ちょっと凝ってるね」
彼が私の肩を揉む。親指の適度な刺激が心地いい。
これはいい。私は初めてこいつに対して存在意義を感じた。
「あ、そういえば今度の日曜バンドのメンバーがここに遊びに来ることになってるから」
「勝手に決めないでよ!」
かっとなった私は振り返り、彼の身体を思いきり突いた。

その拍子で彼は床に倒れる。
私は彼のお腹の上に乗り、自分の両足を広げた。
そのまま彼に殴りかかろうとしたが、自分の股間が彼の身体と触れているのに気づき、恥ずかしさで我に返る。
彼は何も抵抗することなく、下から呆然とこちらを見ていた。

2人の間に気まずい空気が流れる。
――そんな顔しないでよ。
「馬鹿!」
私は彼の胸元辺りを勢いよく拳で叩き、彼の身体から降りた。

⏰:12/06/11 22:21 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#106 [ぎぶそん]
日曜日。昼前彼は出掛けると、その40分後に椎橋くんを含むバンドのメンバーを連れて戻ってきた。
彼がリビングに3人を招き入れる。
4人はそれぞれお菓子やジュースがいっぱいに入った袋を持っていた。

私は椎橋くん以外の、初対面となる他の2人の顔を見た。
黒いシャツを着た子は4人の中で1番背が高く、面長で目が細い。
顔の表情が希薄で、堅物そうな顔をしている。
白いシャツを着た子は丸顔で福福しい顔をしていて、小柄で私より背が低い。
彼の顔を一目見て、どこか“さつま揚げ”に似てるなと思った。

「こっちのでかいのは長田博一。足立さんと同じ文学部。
こっちの小さいのは小柴雄太。皆から“さつま”って呼ばれてる」
真織の説明を受けて、私は“さつま”の部分で声に出して笑ってしまった。

⏰:12/06/11 23:17 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#107 [ぎぶそん]
彼が訝しげな顔をして私を見る。
「何笑ってんの?」
「いや、私も“さつま揚げ”に似てるって思ったから。皆思うことは同じなんだなって」
「“さつま揚げ”じゃねえよ、“さつま”。鹿児島出身だから。失礼だろ。小柴、足立さんのこと殴っていいよ」
しまった。私は早とちりをしてしまった。
でも小柴くんは気にも止めない様子でにこにこと笑っていた。
温厚そうな子だ。小柴くんが同居人だったら良かったのに。

私たちはテーブルを囲んでリビングに座ると、お菓子を食べながら軽音楽部の話で盛り上がった。
5月に定期ライブがあるらしく、4人もミドリムシのコピーバンドとして舞台に立つらしい。
長田くんも小柴くんも、真織の影響でミドリムシを好きになったという。
真織の影響力は凄い。
私を含め、皆の中にどんどんミドリムシが入っていく。

⏰:12/06/11 23:29 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#108 [ぎぶそん]
次第に話はミドリムシの曲についてに変わった。
私もミドリムシの曲は大体聴いていたので、皆の話にすんなりとついていけた。
「ライブではどの曲をやるの?」
私は真織に質問をした。
「『ハナムケ』の中からやるよ」
ハナムケとは、ミドリムシの3枚目のアルバムのことである。
「『星座の居場所』歌ってよ」
「それ違うアルバムのだからやらない」
彼が冷めた表情でそっけなく返す。
その後も彼の私に対する態度はそっけなく、私はしょんぼりと座っていた。

談話の最中真織と椎橋くんが煙草をすぱすぱと吸うので、煙草の煙が部屋中に充満する。
私は“不快”という意思表示を見せようと、口の中に空気を溜め込み、自分の方向に来る煙草の煙を向こうにそらそうと吹きかけた。

⏰:12/06/11 23:44 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#109 [ぎぶそん]
「うわ、足立さんってそういうことするの?嫌味な奴」
真織が嫌そうな顔をするが、私は彼に構うことなく煙を吹き飛ばし続ける。
彼が吸っていた煙草の煙を私に向かって思いきり吐いた。
そのケミカルな臭いで、私はひるんだ。

「楽しそうだな。俺も女の人と一緒に住みたい」
椎橋くんが笑う。
「いやいや、そんないいもんじゃないって。それに足立さん全然色気ないし、女として見てないから」
「うるさいな。だったら早く他の部屋を探しなさいよ」
私は立ち上がり、ベッドにあった枕を彼に投げた。
私と彼のやり取りがおかしいのか、他の3人が笑う。
これまでずっと表情の硬かった長田くんも、気がつけばよく笑っていた。

皆、私のことを乱暴で口うるさい女って思うんだろうな。
本当はしおらしく振る舞って印象をよくしておきたいのに。

⏰:12/06/11 23:56 📱:Android 🆔:0B4p8YcM


#110 [ぎぶそん]
夕方、3人は帰った。
今日ここに来るまでは彼らが来るのを煩わしく思っていたが、予想以上ににぎやかな時間を過ごせた。
真織のことは快く思ってないが、彼を通して知人が出来るのは悪くないし、楽しい。

玄関で3人を見送った途端、真織が抱きついてきた。
「今日一緒に寝よ」
いつもこうだ。
他の人の前では私に冷たくするのに、2人きりになると態度を変えて甘えてくる。

皆にはこいつのことがどう見えているんだろう?
サークルではムードメーカーな存在のようで、客観的に見ても同期生から頼りにされてる感じだ。
私も彼の第一印象は自己がしっかり確立されていて、年齢の割に落ち着いた子なんだと思ってた。
でも実際は少し甘ったれた部分があって、他人の身体にべたべたと触りたがる。
まさかこんな金魚のフンみたいについてくるとは思わなかった。
本当うっとうしい。

⏰:12/06/12 00:36 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#111 [ぎぶそん]
夜。彼に強要される形で、一緒に彼の布団に寝た。
私はいつも以上にいらついていた。
今日昼間彼が皆の前で“共同生活はいいものじゃない”と言っていたのに、まるで他の部屋を探す素振りが見られないからだ。
今日もへらついた顔で私の顔を触ってくる。

「お願いだから早く他の部屋を探して。私との生活が嫌なんでしょ」
「そんなこと言ってないじゃん」
ころころと言い分が変わる彼に、私は堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしてよ!こっちはすごく迷惑してるの!」
私は私の顔を触る彼の手を払いのけた。
「分かったよ。明日ちゃんと不動産屋に行く」

私は布団を顔に被った。
布団から、彼の匂いがふわりと香った。
彼のことは疎ましく思っているが、この匂いは好きだった。
甘くて、どこか優しい感じがする。
彼もやっと他の部屋を探す気になったので、この匂いを嗅ぐのも後わずかになりそうだ。
嬉しいような、寂しいような。

⏰:12/06/12 00:48 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#112 [ぎぶそん]
翌日。学校から帰って台所で夕飯の支度をしていると、彼が後ろから話しかけてきた。
「今日、学校の帰り不動産屋に行ってきた。条件に合う部屋が見つかったら、電話くれるって」
「あっそ。いい部屋が見つかるといいね」
私は彼に見向きもせず食材を切り続けた。

その2日後。夜、リビングで彼と一緒に勉強をしていると、普段ほとんど鳴らない彼のケータイが鳴った。
彼は脱衣室に行き、そして3分もしないうちにまた戻ってきた。
「不動産屋からだった。部屋が見つかったって」
「そうなんだ。良かったね」
私は教科書を読みながら彼に生返事をした。
「とりあえず今日のところは考えて、明日電話するって言った」
「でもその部屋、ここより狭いみたいなのに家賃が高いんだよな。場所も駅からも大学からも遠くなるようだし」
「しかも風呂とトイレ共用だって。俺、別がいいって言ったのに」
私は彼の話に耳を傾けることなく教科書を読み続けた。
いよいよこいつともお別れか。

⏰:12/06/12 21:56 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#113 [ぎぶそん]
次の日。2人で夕飯を済ませた後、彼はテーブルに肘を突いてぼんやりとしていた。
「電話しなきゃ」
彼はそう口にするも、ケータイをテーブルに置いたままじっとしている。
「また引っ越すの面倒くさいな」
彼がそうぼやき、ため息をつく。そしてまた黙りこくった。
そうして、そのままの状態が1時間も続いた。
その優柔不断な態度、見ているだけで疲れる。

「あのさ」
私は長い沈黙を破るように口を開いた。
「あんたがいいのなら、別に無理してここを出て行かなくてもいいよ。ほら、私もあんたがいると家賃が少なくて済むし、食事も1人分より2人分つくるほうが楽でいいのよ」
「本当?ずっとここにいてもいい?」
彼が晴れた顔をして立ち上がった。
本当は私がこう言うのを待っていたのだろう。
「……うん」
私は照れ臭くなりベランダに出た。

⏰:12/06/12 22:09 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#114 [ぎぶそん]
手すりに頬杖をついて、物思いに耽る。

もしみどりさんに近況を聞かれたら、なんて言おう。
おっとりとした性格のみどりさんだから、「彼と仲良しになったのね。いいことじゃない」なんて言いそう。
そういえば、私の両親は私が彼と一緒に住んでることを知ってるのかな?
私の実家は山梨にあり、父は単身赴任でほとんど家にいない。
去年私がこの部屋に引っ越した時に母もついてきたけど、それ以降は皆無で、父なんかこの部屋を訪ねたことが全くない。
去年は一応お盆と正月に帰省したけど、両親とは形式的なやり取りをしただけ。
1人暮らしをしてから全くといっていいほど連絡も取らないし、家族との繋がりを感じることはほとんどない。

「今日一緒に寝よ」
真織が後ろから抱きついてきた。
今日はいつもよりもっとくっつかれてる気がする。
私にとっては近くにいない家族より、近くにいるこいつの方が存在が大きかった。

⏰:12/06/12 22:28 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#115 [ぎぶそん]
4月下旬。次の講義がある教室に行く途中、誰かに肩を叩かれた。
「かなめ、佐奈から聞いたよ。1年生の男の子と一緒に住んでるんだって?」
それは私と同じ学部で同じサークルに所属している川上まりやだった。
まりやは黒髪で化粧が薄く、真面目な性格の子だ。
彼女が私に声をかける時の話の内容は、大抵いつも同じである。
「それで、今日集会があるんだけどどうする?」

私は写真部に行かなくなってから、いつも彼女に部費を渡して代わりに払ってもらっていた。
でもそんなやる気のない私に対しても、彼女はいつもはじめに行くのか行かないのかをきちんと聞いてくれる。
私は少し考えた後、彼女に返事をした。
「行くよ」
真織が押し入れにしまっていたカメラを引っ張りだしてから、私はサークルのことが懐かしくなっていた。
私は久しぶりに部室に顔を出してみることにした。

⏰:12/06/12 22:45 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#116 [ぎぶそん]
昼休みになり、まりやと一緒に部室がある向かう。
写真部はこじんまりとしたサークルで、部員は全学年合わせても20名ほどしかいない。
階段で2階に上がり部室に入ると、懐かしい顔ぶれが揃っていた。
新入部員らしき子も何人かいて、周りにうまく溶け込めないのかおどおどとした様子で突っ立っていた。

「足立、久しいな」
渋沢先輩が声をかけてきた。
先輩はずっと部室に来ていなかった私を責めることなく、柔和な顔で微笑んでくれた。
久しぶりに見た先輩は、右手の薬指に指輪をはめていた。
「渋沢先輩。かなめ、今年下の男の子と一緒に住んでるらしいですよ」
まりやが先輩に話す。
「彼氏か?」
「違います。ただの同居人です」
「そのまま付き合ったらいいのに」
先輩が目尻に皺を寄せて笑う。
私は先輩のその笑顔が憎いと思った。

⏰:12/06/12 23:02 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#117 [ぎぶそん]
去年、先輩はいつも私に優しく接してくれていたので、もしかしたら頑張ったら先輩がいつか私に振り向いてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いたこともあった。
でも、そんなことは全然なかったのだ。
そして、それはこれからもきっと変わらない。

「そうですね。彼、かっこいいし付き合っちゃおうかな」
私は全く心に思ってないことを口にした。
理由は自分でも分からない。
でも、私の気持ちに最後まで気づかなかった先輩への、そしてそんな先輩に恋をしてしまった自分に対してのせめてもの反抗に思えた。

先輩を見ても、もう何もどきどきしない。
そんなことより今は真織への気苦労が多くて、私は過去のことがどうでもよくなっていた。
認めたくないけど、私はあいつによって救われた。
私の恋は、完全に終わった。

⏰:12/06/12 23:30 📱:Android 🆔:5A63ZlSk


#118 [ぎぶそん]
4月も後わずかになった時。
学校から帰ると、先に帰宅していた彼がリビングに座って旅行のパンフレットをテーブルいっぱいに広げていた。
「夏休みさ、お金貯めて2人でどっか旅行に行かん?関西辺り行ってみたいな。でも、北海道もいいな」
「何であんたと旅行の時まで一緒にいなきゃいけないのよ。もしそんなお金があるんだったら、1人旅するわよ」
私は彼に向かって下まぶたを人差し指で引き下げ、舌を思いきり突き出した。
「女が知らない土地を1人でうろついたら危ないって」
彼が眉をひそめて言う。

確かにこいつの言うとおり、女の1人旅は用心したほうがいい。
こんな奴でもボディーガードとして、いないよりはいたほうがいいかも。
去年の夏休みを思い返すと、毎日部屋でだらだらと過ごしただけで終わった。
それを反省して、今年は充実した日々を送りたいと思っている。
そうして私たちは旅費を貯めるため、お互いアルバイトをすることにした。

彼は口元をにっこりとさせて言う。
「夏休みもいっぱい遊ぼうな」

⏰:12/06/13 19:43 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#119 [ぎぶそん]
その後すぐに、彼は駅前にあるレンタルビデオショップでアルバイトをしはじめた。
その場所を選んだ動機は、従業員だと割引きした値段でDVDをレンタルできるという特典があるかららしい。
彼はバイトがある度、昭和時代の特撮をたくさん借りてきた。
毎日うんざりするほどそれをリビングで鑑賞するので、私も嫌でも怪獣の名前を覚えるようになった。

5月の始め。夕方帰宅すると、リビングの床に彼の学校カバンが投げ出されたように置いてあった。
その横には、DVDが入った袋が放置してある。
手にすると、返却日は今日までになっている。
――忘れてるじゃない。
私はそれを持って、彼のバイト先まで行くことにした。
嫌でも覚えたステレオマンの主題歌を口ずさみながら、駅に向かって自転車を漕ぐ。

⏰:12/06/13 19:57 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#120 [ぎぶそん]
駅の駐輪場に自転車を止め、駅に入り店がある南口に向かって突き進む。
店に着き自動ドアが開くと、レジに水色の制服を着た彼が立っていた。
彼はかなり洗練された雰囲気が漂っているので、遠くにいてもすぐに分かる。
彼は隣にいる女性従業員の人と楽しそうに話していた。
「あ、かなめ」
彼が私の存在に気づいた。
人前ではいつも他人行儀で“足立さん”と呼ぶのに、今日は呼び捨てだった。
学校以外では2人の関係をどう思われてもよさそうな感じだ。

「店長、この人が前言ってたかなめです」
彼が、カウンターの後ろにいる黒い制服を着た男性を呼んだ。
その人はこの店の店長らしく、30過ぎくらいで落ち着いた雰囲気があった。
「店長、どうですか?彼女、前言ったように“ミグピー”に似てますよね?」
「女性に向かってそれは失礼だろ。でも、ちょっと似てるかも」
店長さんが口元を手で隠して笑う。
私の顔を見て笑っていた。

⏰:12/06/13 20:12 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#121 [ぎぶそん]
真織がいう“ミグピー”とは、ステレオマンに登場する全身茶色い毛に覆われた小さな怪獣のことだ。
半開きの目で口はへの字に曲がっていて、無愛想で不機嫌そうな表情をしている。
知能が低く、地球人と仲良くなるのが好きで、どちらかというとステレオマンの味方として描かれている。
人気のキャラクターらしいが、私から見たら凄く不細工でいいところが1つもない。
私は真織を睨みつける。
こいつ、私の顔をずっとそんな風に思ってたの?
こいつのせいでまた恥をかかされた。
ひどい、ひどすぎる。

彼がレンタルDVDを陳列しに行くので、私はいらいらしながらもそれについていった。
「何か借りたいのあったら持ってきて。俺のカードで一緒に借りておくから」
彼がDVDを元の場所に直しながら言う。
いつもさんざん嫌な思いをさせられてる分、ここは彼の権限を最大限に利用することにした。
私はランキングコーナーに行き、適当に洋画を選んだ。
でも、彼が好きそうな内容のものにしようと思いながら選んでいた。

⏰:12/06/13 20:29 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#122 [ぎぶそん]
彼にそのDVDと家にあった店の袋を渡すと、私は店を出てアパートに帰宅した。
彼もその後、夜の10時過ぎに帰ってきた。

一緒にご飯を食べた後、2人でベッドに寝転がって私がさっき選んだDVDを観てみることにした。
主人公の青年がトカゲに変身すると、白熱した戦闘シーンが続く。
「今のシーンで映ってた建物、たぶん全部CGだよ」
私の後ろで観ている彼が言う。
「本当?実物にしか見えなかった」
「ハリウッドのCG技術は凄いからな。『ステレオマン』もCGに力を入れようと、向こうの技術者を呼んでるし」
そこで彼との会話は途切れ、私は一言も口にすることなく映画を観続けた。

⏰:12/06/13 20:42 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#123 [ぎぶそん]
終盤で、主人公とヒロインの激しいベッドシーンとなった。
私は慌ててリモコンを手に取り、その場面を早送りした。
テレビでも雑誌でも何でも、こういう卑猥な表現があるのは子供の頃から苦手だった。
その度に、目をそらしたりして避けた。
だから私は、そういう行為がどんなものなのか具体的に知らない。
後ろにいる彼が「何恥ずかしがってんの」と馬鹿にしてくると思ったが、何も反応がない。
振り返ってみると、彼は仰向いてすやすやと眠っていた。
とりあえずほっと胸を撫で下ろす。

そういえばこいつ、今まで彼女とかいたことあるんだろうか。
そういうこと、誰かとしたことあるんだろうか。
普通にあるよな。嫌でも目立つし、かっこ悪くはないもん。
私は彼の顔と身体を凝視して、そして最後に唇を見た。
私より年下のくせに私より先に進んでるなんて、むかつく。
 

⏰:12/06/13 20:56 📱:Android 🆔:GrDucbSQ


#124 [ぎぶそん]
後日、私もアルバイトをしはじめた。
アパートの前にあるコンビニが募集の貼り紙を貼っていたので面接を受けると、すぐに採用が決まった。
週2日とのんびりとしたペースでシフトに入る。

私はそこで自分と同い年で近くの専門学校に通う山中泉という子と仲良くなった。
目尻がつり上がった大きな目と、口角が上がり、少し突出した唇が魅力的だ。
彼女は人生を達観してるかのような雰囲気があり、とても自分と同じ年齢とは思えなかった。

バイト中、お客さんがいない時にレジで彼女とよく私語をする。
私は彼女に真織と一緒に住んでることを話した。
そして夏休み彼と旅行に行く約束をしたので、そのお金のためにバイトしているということも。

⏰:12/06/14 19:41 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#125 [ぎぶそん]
「すごく仲が良いんだね。ルームシェアのトラブルってたまに聞くし。それを考えたら幸せなんじゃない?」
泉が綺麗な長い黒髪を耳にかけて言う。
「うん。まあ……」
「いっそのこと付き合っちゃえば?彼氏いないんでしょ」
「馬鹿言わないでよ。誰があいつなんかと……」

そもそも、私は包容力のある年上の男性が好きだし。
中学も高校も、いつも同じ学校の先輩に恋をしてた。
写真部の渋沢先輩も年上だった。
まあ、どれも叶わなかったけど。
年下なんて論外にもほどがある。
「恋愛は年齢じゃない」という人もいるが、私はそこだけは譲れない。
私は好きな人に思いきり甘えたいのだ。
年下に甘えるなんて、私のプライドが許さない。

それに、あいつもそのうち彼女が出来るだろう。

⏰:12/06/14 19:50 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#126 [ぎぶそん]
その数日後。寝る前、私はお風呂上がりの彼の肩を揉んであげた。
ストラップをつけてギターを肩にぶら下げてると、肩が凝るらしい。
痛そうに肩を押さえる姿が見ていられないので、内心は面倒くさいが仕方なく揉んであげる。

「里香ちゃんから、今度の土曜一緒に楽器屋に行ってほしいって言われた」
「良かったじゃない」
ようやくこいつにも春の訪れが来たか。
「良くない。かなめも来てよ」
彼が振り返る。
「あのね、そんなことしたら嫌われるよ」
「別にいいし」
彼はテーブルの上の煙草の箱を手に取った。

里香ちゃんって、こいつと同じサークルにいる背の小さい子でしょ。
赤みのがかった長い髪が印象的で、小顔で、つぶらな瞳をしている。
月並みな表現だけど、人形のようにかわいい。
性格は知らないけど、彼女にするには申し分ない外見だ。
そうか。たぶんあの子、真織のことが好きなんだ。
だからこの間会った時私に冷たかったのか。
私が彼と一緒に住んでるから。

⏰:12/06/14 20:07 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#127 [ぎぶそん]
「どうしようかな」
彼が、煙草を吸いながら頭を掻く。
「行って来なさい。あんた、楽器に詳しいんでしょ」
「里香ちゃんがやるのはベースだから、俺が行ってもよく分からないよ」
「つべこべ言わないで行って来なさい!」
私は床に座った状態のまま、足の甲で彼のわき腹を蹴った。
こいつの好みはいまいち分からない。
里香ちゃんの何が良くないの?

その週の土曜日。昼前、彼は里香ちゃんと会うために出掛けた。
でも、昼の3時には戻ってきた。
「……疲れた」
彼がリビングでうつ伏せに寝る。
「腰の辺り揉んでよ」
私は黙って彼の指図を聞く。
彼の腰に跨がり、両手で彼の腰を適当に押してみる。
自分の身体と彼の身体が触れても、ほとんど意識することがなくなった。

⏰:12/06/14 20:18 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#128 [ぎぶそん]
「今度はどこかで遊ぼうって言われたけど、絶対断る。サークルの子と顔を合わせるのはサークルの時だけでいい」
私は黙って指を押し続ける。
「……俺、かなめと付き合ってることにしようかな」
「やめてよ!」
私は拳を握り、彼の腰を叩いた。
その弾みで彼の身体がわずかに反れる。
「冗談だって」
彼が手を後ろにして腰を押さえる。
「彼女がいることにしたいなら、本当に彼女を作ればいいじゃない」
「別に好きな子いないし。俺、モテないし」

そんなことない。自分で気づいてないだけ。
あんたのことをうっとりとした顔で見てる女の子、よくいるよ?
例えばあんたと同じバイト先にいる女の人、あんたと話してる時嬉しそうだった。
でも、私はあんたの何もかもが全くタイプじゃないけどね。

⏰:12/06/14 20:27 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#129 [ぎぶそん]
5月の第2土曜日。彼の所属する軽音楽部のライブの日になった。
朝の遅い時間に目覚めると彼はおらず、部屋にギターケースもなかった。
私は寝ぼけ眼の中、身支度を済ませる。
部屋を出ようとした時、ずっと棚に置いてあったカメラが目に入った。
今日ステージに立つ彼を撮ってみようかと考える。
あいつはスタイルがいいし、被写体にするには申し分ない素材だ。
私はカメラの表面についてある塵を払い、鞄の中に入れた。

自転車を漕ぎ、ライブが開かれる「エンパシー」という名前のライブハウスを目指す。
そのライブハウスはアパートから大学に行く途中にある商店街から、少し外れた場所にあるらしい。
商店街のそばにある大きな公園に自転車を止め、とぼとぼと歩く。
1週間前彼に渡されたチケットに描かれてる地図を頼りに、辺りを見回しながらライブハウスを見つける。

⏰:12/06/14 21:34 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#130 [ぎぶそん]
公園の周りを探索していると、2階に「エンパシー」という看板が立ってある小さな建物を見つけた。
その建物に入ってすぐにある階段を上がると、開けられたドアの前で部長の荒井さんが立っていた。
手にしていたチケットを彼に渡す。
「まおりんたちの番はもうすぐだよ」
荒井さんが私に微笑みながらチケットの半券を返す。

薄暗いライブハウスの中に入ると、客席は既にたくさんの人でがやがやとにぎわっていた。
ライブを観るのにいい場所を探そうとしていると、何人かに声を掛けられた。
皆口を揃えて“まおりんは1番目だよ”と言う。
部屋の後ろではこのライブハウスの関係者らしき30代くらいの男性たちが、色んな機材を触っていた。
私はライブが始まるまで、客席の後ろの方で何もせず立っていた。

⏰:12/06/14 21:49 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#131 [ぎぶそん]
その15分後、ステージの脇から真織たちが現れた。
客席から拍手と歓喜の声が沸き上がる。
椎橋くんがステージの後ろにあるドラムの前に座り、小柴くんと長田くんがそれぞれステージの両脇に立つ。
真織は中央に立ち、手に持っていたアコースティックギターを肩にかける。
4人がそれぞれ自分の楽器の調子を確かめる。
色んな楽器の音が乱雑に鳴る。
客席はそれを静かに見守った。

それが終わると、真織がスタンドマイクに向かって話し出した。
「えっと、俺ら1年生はミドリムシのコピーをします。頑張って演奏するので、聴いて下さい」
普段は生意気な態度の彼が、こわばった表情でたどたどしく話す。
彼が着ていたパーカーの袖をまくると、細くて白い腕が現れた。
「まおりん頑張って!」
客席の前にいる女性たちが一斉に声援を送ると、彼がその人たちに向かって小さくはにかんだ。

彼は私以外の人の前ではよく笑う。
毎日顔を合わせてる彼が、同じ布団でよく寝ている彼が、今日は少し遠い存在に思えた。

⏰:12/06/14 22:08 📱:Android 🆔:aR6SCB3I


#132 [ぎぶそん]
彼らは最初に「足袋と桜」という曲を演奏した。
桜の花びらの形と、足袋の形が似ているという発想から作られた歌らしい。
着物姿の女性が、桜が舞う道を歩く情景を歌っている。
1人称が「私」で、斎籐さんが女性の気持ちになって作ったとてもかわいらしい曲だ。
春のあたたかさを彷彿させる、穏やかな曲調になっている。

私はギターを弾きながら歌を歌う真織を見た。
彼は歌ってる時、顔の表情と体勢がほとんど変わらない。
瞬きも最小限しかしなく、まるで生命力を感じられない。
でも逆にその無機的さがクールに感じ、私はその姿が好きだったりする。
ミドリムシの曲は音程が高く、男性には歌いこなすのが難しいらしい。
それを彼は何なりと歌う。よくこんな高音が出るなと思う。

⏰:12/06/15 21:39 📱:Android 🆔:PoptUgFw


#133 [ぎぶそん]
その曲が終わると、彼は今度は楽器屋で買っていたエレキギターを手にした。
シャツの上から羽織っている灰色のパーカーに、その黒いギターはとても色が合っていた。

彼らは一言も喋ることなく、「マアボウドウフ」という曲の演奏を始めた。
斎籐さんが麻婆豆腐が大好物らしく、その思いから出来た曲らしい。
子供の時は家族のいない中1人でたくさん食べたいと思っていたけど、いざ1人暮らしで食べると何だか寂しいといった気持ちが綴られている。
私も1人で食べてた時よりあいつとご飯を食べてる今の方が、なんとなくおいしく感じる。

彼らは次に「ヴィヴァルディア」という曲を演奏した。
アントニオ・ヴィヴァルディの「四季」の「春」をモチーフにした曲で、歌詞に「ヴィヴァルディ」や「協奏曲」などが出てくる。
喧嘩別れをした友人が遠くに行くことになり、さよならも言えないまま離れ離れになった虚しさを歌っている。
「春」を意識した陽気な曲調とは相違して、とても物悲しい歌詞だ。
アルバムのみに収録された曲だけどファンからの人気が高くて、ライブでも定番の曲になっているらしい。

「世界平和、戦争反対だなんて、簡単には言えないよ。
僕だって、毎日小さな戦争を起こしてる。」
という部分の歌詞が私は好きだ。

⏰:12/06/15 22:00 📱:Android 🆔:PoptUgFw


#134 [ぎぶそん]
「次で最後の曲になります」
真織の言葉で、客席から「えー」と不満感を表す声がする。
「えっと、今日やるつもりはなかったんですけど、ある人からしつこくやってくれって言われたので、その曲をやります。
聴いて下さい、『星座の居場所』」
彼の口元が緩む。

ある人って、私のこと?
やらないって言ってたのに。
そもそも、そんなにしつこく頼んでない。
でも私は嬉しくて顔が少しほころんでしまった。
彼らが演奏を始める。
私は初めて彼が部屋に来た時のことを思い出した。
穏やかな顔でこの歌を歌っていた時のことを。

私は鞄からカメラを取り出した。
レンズ越しに彼を見る。
1度だけシャッターを押した。
椎橋くんも、長田くんも、小柴くんも皆カメラに収めた。

⏰:12/06/15 22:13 📱:Android 🆔:PoptUgFw


#135 [ぎぶそん]
彼らの最後の演奏が終わると、客席の皆が拍手をした。
私もそれにならって小さく手を叩く。

「おっ、足立さん来てくれたの?」
次のバンドの演奏が始まる前、彼が私の元に椎橋くんと一緒にやって来た。
「たまたま起きたらライブの時間にちょうどよかったから」
本当は、今日寝過ごさないようにと前日に目覚まし時計をセットしていた。
「楽しんでいってね」
そう言い残し、彼は椎橋くんと向こうに行った。

その後、いくつものグループがライブパフォーマンスをした。
どれも知らない曲ばかりを演奏していたけど、真面目に聴いた。
彼ら彼女らの演奏が終わる度、笑顔で拍手する。
でも、やっぱり真織たちの演奏が1番いいと思った。

⏰:12/06/15 22:34 📱:Android 🆔:PoptUgFw


#136 [ぎぶそん]
5番目のバンドの演奏が終わった後、客席の隅で里香ちゃんが真織の腕に抱きついていた。
彼もまんざらでもない様子で、彼女に取り合う。
彼女と遊ぶのあんなに嫌がってたくせに、へらへらしちゃって。
私は右腕を背中に回して中指を立てた。

夕方。全てのグループの演奏が終わった。
1人で静かに帰ろうとすると、真織が話しかけてきた。
「この後打ち上げがあるんだけど、かなめも来いよ」
「部員じゃないし、悪いよ」
「他にもそういう人結構いるから気にするなよ。あっ、先輩。足立さんも数に入れといて下さい」
彼が近くを通りがかった会計係らしき人を足止めした。
そうやっていつも勝手に決めないでよ!
私は打ち上げとやらに参加させられるはめになった。

⏰:12/06/15 22:43 📱:Android 🆔:PoptUgFw


#137 [ぎぶそん]
1人で一旦帰宅し、何も食べずに彼の帰りを待つ。
6時半頃、彼が帰ってきた。
7時半過ぎ、彼と一緒に部屋を出る。
彼はバイクがある駐輪場を素通りして、そのまま歩き続けた。
「バイクで行かないの?」
「うん。ちょっとね」
何だろう。彼の後ろをついていくかたちで夜道を歩いた。

商店街を抜けひたすら大学までの道を歩くと、彼が大学前の信号の近くにある居酒屋に入った。
店内は和風そのものの佇まいで出来ていて、広い玄関で靴を下駄箱にしまうと木造の階段で2階まで上がった。
階段近くにある部屋の襖を彼が開けると広い宴会室が現れ、既に大勢の部員が座布団に座っていた。
彼が適当に空いてる席に座る。私も彼の隣に座った。

⏰:12/06/16 00:14 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#138 [ぎぶそん]
「1人3千円をこっちに持ってきて下さい」
会計係の人が宴会室の隅で呼び掛ける。
私は財布を取り出そうとしたが、隣にいる彼が肩を押さえてきた。
「かなめの分は俺が出すよ」
彼は5千円札1枚と千円札1枚を手にしていた。

「まおりん、優しいな」
近くで私たちのやり取りを聞いていた男性が、彼に話しかけてきた。
「俺、無理言って足立さんの部屋に住まわせてもらってる身分なんで。こういう色んなところで点数を稼いでおかないと」
彼の言葉にその男性が笑うが、私は不機嫌になった。

別にそういう気遣いしなくていいから。
何をしても、あんたに対する私の評価は低いんだから。

⏰:12/06/16 00:22 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#139 [ぎぶそん]
午後8時。メンバーが大体揃い、荒井さんが皆から見える場所に立って挨拶をはじめた。
「皆さん、今日はお疲れさまでした。今日の打ち上げは新入生を歓迎する意も込めて盛り上がりましょう。1年生、今からこっちに来て。1人1人自己紹介をして」
荒井さんの指示で、真織も立ち上がった。

1年生が荒井さんの隣で横1列になった。
1年生は全員で11人いた。
女の子は里香ちゃんともう1人の大人しそうな子しかいなかった。
里香ちゃんが甘い声で自己紹介をすると、周りの男性たちが歓喜の声を上げていた。
彼女はこのサークルのアイドル的存在みたいだ。
私もできるなら彼女に嫌われたくなかった。

椎橋くんの自己紹介が終わり、その隣にいる真織の番になった。
「理工学部の伊藤真織です。好きなバンドはミドリムシです。今女性と一緒に住んでますが、彼女じゃありません。皆さん誤解しないでください」
彼の発言に、皆が笑う。
いちいちそんなこと言わなくていいじゃない。

⏰:12/06/16 00:35 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#140 [ぎぶそん]
全員の挨拶が終わると、また彼が戻ってきて座った。
私は誰も見ていない時を見計らって、彼の太ももを強く殴った。

その後すぐに、色々な料理や飲み物が運ばれてきた。
彼が飲み物を配っていた男性に向かって手を上げる。
「あ、先輩俺にもビールください」
「あんたまだ未成年でしょ。いいの?」
「そう堅いこと言うなよ。大学入ったら皆飲んでるって」
そうか、だからバイクに乗って来なかったのか。
勝手にしろ。私は何も言わないことにした。

全員に飲み物が行き届くと、荒井さんの掛け声で乾杯となった。
私も近くにいる人たちにグラスを掲げる。
「足立さん、乾杯しよう」
彼がビールの入ったグラスを私の目の前にやる。
私はそれを無視し、彼の目の前で烏龍茶をごくごくと飲んだ。
彼はグラス片手にしょんぼりとしていた。ざまあみろ。

⏰:12/06/16 00:47 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#141 [ぎぶそん]
「2人とも本当に仲が良いね」
彼の目の前に座ってる男性が話しかけてきた。
「違うんです、足立さんが金魚のフンみたいについてくるだけです」
それはこっちのセリフだ!この打ち上げもあんたが誘ったんでしょうが。
私は心の中でむっとした。

「足立さんって凶暴で、人のことすぐ殴るんですよ。だから俺、毎日家に帰るのが怖くて」
泣きそうな表情をする彼に、男性がげらげらと笑う。
そんなこと言って、毎日へらへらした顔でまっすぐ家に帰ってきてるじゃない。
何でこいつはわざわざ人前で私のことをコケにするの?
私は怒りで持っていた割り箸を折りそうになった。

その直後、天ぷらが入った皿が1人1人に配られた。
「俺、ナス嫌い。足立さん食べて」
彼がナスの天ぷらを私の皿に入れてきた。
私だってそんなナス好きじゃないわよ。
でも食べ物を粗末にするのは嫌いなので、私は黙ってその天ぷらを食べた。

⏰:12/06/16 00:57 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#142 [ぎぶそん]
唐揚げが入った皿が配られた。
久しぶりに見た好物に、私は目を輝かせた。
1人暮らしをしてから、贅沢な値段に感じる唐揚げはほとんど食べていない。
私は早速その唐揚げを1つ食べた。
柔らかい食感の後に、口いっぱいに肉汁が広がる。
この脂っこさが、何とも言えない至福を感じる。
私は白ご飯と交互に唐揚げをいくつも食べた。
でも、食後の最後にじっくり味わおうと1つだけ残した。

「食べないの?ちょうだい」
彼がその唐揚げを割り箸で掴み、口に入れた。
彼が気楽な顔をして口をもぐもぐとさせる。
私は怒りを通り越して、殺意が芽生えそうになった。
でもその場の楽しい雰囲気を壊してはいけないと、ぐっとこらえた。

心の中で彼のはらわたに何度も包丁を突き刺し、気持ちを静める。
死ね。死ね。無言で何度も叫んだ。

⏰:12/06/16 01:11 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#143 [ぎぶそん]
席の途中から、彼は明らかに酔っていた。
「俺らよく一緒に寝てるんです」
彼が私の肩に片腕を回してきた。
「本当?ラブラブだなあ」
目の前の男性がにやける。
「嘘です!そんなことありません!」
私は私たちを見ている周りに否定する。

「今日も帰ったら一緒に寝よう?な?」
彼がもう一方の腕を私の肩に回し、しがみついてきた。
「こいつ酔って嘘言ってます!皆さん信じないでください!」
「ラブラブだなあ、ラブラブだなあ」
目の前の男性は呂律が回っていなかった。
周りも皆錯乱状態で、顔が赤かったりふらふらとしていた。
明日になったら何も覚えていないだろう。とりあえずその場で安心する。

でも、1つ隣のテーブルで座っている里香ちゃんの突き刺さるような視線は、私をとても寒気立たせた。

⏰:12/06/16 01:22 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#144 [ぎぶそん]
午後10時。にぎやかな雰囲気のまま打ち上げが終了した。
「お疲れさまでした」
私は周りがいう2次会とやらには行かず、居酒屋の前で皆に別れを告げた。
正常な意識のない彼に自分の肩を貸して、アパートまで歩く。
彼の足元が何度もふらつくので、うまく歩行できなかった。

酔った彼はかなり饒舌だった。
「哲雄がこないだパチンコで6万負けたって。馬鹿だよな。俺、パチンコする奴の気が知れない」
「それさっきも聞いた」
「今度椎橋たちがミドリムシのライブに行くって」
「それも聞いた」

もう。何で私がこんなことをしないといけないのよ。
通りすがりの人たちに白い目で見られる中、彼を抱えてアパートを目指す。

⏰:12/06/16 01:31 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#145 [ぎぶそん]
その後、やっとの思いで自分の部屋に到着した。
「ちょっとそこで待っててよ、布団出すから」
リビングの電気を点けず、彼を一旦床に座らせようとした。
「一緒に寝よ」
その直後彼が抱きつき、そのまま私を押し倒した。
そして私に覆い被さり、私の顔を両手で持った。
「かなめ、かわいい」
その瞬間、自分の唇を私の唇に押しつけてきた。
それは、私の生まれて初めてのキスだった。
味はなく、柔らかくて生ぬるい感触がするだけ。

「やめてよ!」
私は彼を足で蹴り飛ばした。
彼は意識を取り戻すことなく、そのまま寝始めた。
私は恐怖で身体がぶるぶると震えていた。
油断していた自分も悪いけど、本当に悔しい。
ファーストキスを夢見ていたわけじゃないけど、まさかこんな不意打ちで迎えるとは思わなかった。
あいつは、今この世で1番やりたくない相手なのに。

私は自分のベッドの布団に潜り、声を殺して泣いた。
でも彼にまた風邪でも引かれたら面倒だと思い、彼の身体にそっと布団をかけた。
こんな時でも彼に気を遣わなきゃいけないのは、本当に虚しかった。

⏰:12/06/16 01:47 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#146 [ぎぶそん]
次の日。私は一睡も出来ずに朝を迎えた。
「あれ?何で俺こんなところで寝てんの?いつ帰った?」
床で寝ていた彼が起き上がった。
私も上半身を起こす。
「覚えてないの?昨日のこと……」
「全然。打ち上げのこともほとんど覚えていない」

なんということだ。
私はあんなに嫌な思いをしたのに。
私は彼を睨んだ。
視界に彼の唇が入る。
昨日私にキスをした、忌々しい唇が。
私の怒りが再び込み上げてくる。

「あんたね、昨日この部屋で私にキスしたのよ。私、初めてだったのよ。どうしてくれるのよ」
私はなりふり構わずその場で泣いた。
私の目から大粒の涙がこぼれる。
彼に初めて見せた涙だった。

「ごめん、もう酒は飲まない。本当にごめんな」
彼は両手を合わせて謝ってきた。
私は何も言うことなく、彼に背中を向けて布団を被った。
彼が何度も謝るが、私は聞く耳を持たない。

⏰:12/06/16 01:58 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#147 [ぎぶそん]
その後、リビングに彼の気配はなくなった。
やがて遠くから彼がシャワーを浴びる音が聞こえる。
彼と住むようになって、初めてわだかまりが出来た。

彼はお風呂から出て、ちょっとしてから静かに部屋を出た。
私は布団に潜り、いつまでも泣いていた。

何で何も覚えてないのよ。
酔ったら、その気がなくてもキスが出来るものなの?
そう思ってなくても、「かわいい」って言えるものなの?
何でキスをした?私じゃなくてもキスしてた?
全く記憶がないのなら、真意を知りたくても知れないじゃない。

⏰:12/06/16 02:05 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#148 [ぎぶそん]
夜、何もせずベッドに座ったままでいると彼が帰ってきた。
「これ、あげる」
彼が私に小さな白い包み紙を渡してきた。
赤いリボンを解き、中に入っていた赤い箱を開けてみた。
そこにはハート型のネックレスが入っていた。
私はそれに少し感激した。
一応、異性から初めて貰ったプレゼントだった。

これを買うために部屋を出たのだろうか。
結構高かったんじゃない?
どんな気持ちで選んだ?
私はそのネックレスを見てにっこりとした。
私の怒りと悲しみはだいぶ和らいだ。

床で立ちっぱなしでいる彼が口を開く。
「やっぱり俺、他の部屋を探すわ。もうかなめのこと傷つけたくないし」
彼は煙草の箱とライターを持って、ベランダに出ようとした。

⏰:12/06/16 02:17 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#149 [ぎぶそん]
「ちょっとこっちに来なさいよ」
私は彼にベッドに座るよう呼んだ。
彼が黙って私の隣に座る。
私はすさまじい形相をしたまま、何も言わずに彼の肩に両方の腕を回した。
そして目をつむり、自分の唇を思いきり彼の唇に押しつけた。
5秒くらいだろうか。とても長く感じた。
そして唇をそっと離し、手の甲で自分の唇を拭く。

「どう?ちょっとは私の気持ちが分かった?こんなことされたら、すごく嫌でしょ」
「……うん。すげえ嫌な気持ちになった」
彼は私の目を見てはにかんでいた。
何さ、笑ってるんじゃないわよ。
私は顔を反らした。

私は顔を背けたまま彼に話しかけた。
「あんた、キスした時私のことを“かわいい”って言ってたわよ。どうせ本音じゃないだろうけど」
「かわいいと思ってるよ」
彼が私の手を握る。

⏰:12/06/16 02:25 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#150 [ぎぶそん]
私は振り返って彼の顔を見た。
「だって、ミグピーに似てるし」
「何よそれ!不細工って言いたいの?」
「何言ってんの、ミグピー超かわいいじゃん。“ミグピーに似てる”って、俺にとっては最高の褒め言葉だよ」
私は彼の手を払って、ベランダに出ようと立ち上がった。

「あのさ」
彼の言葉で立ち止まる。
「俺がキスしたっていうの全然覚えてないけどさ、俺も……そのキスが初めてだったから」
「あっそ」
私はベランダに出て、窓を閉めた。

そんな報告、わざわざしなくていいから。
むしろ彼のファーストキスの相手が自分だと知って、気分が悪くなった。
あんたって垢抜けた外見の割に堅物なんだね。
お互いあれが初めてだったなんて、笑える。

私は星の見えない夜空を眺めながら、長い時間顔を緩ませていた。

⏰:12/06/16 02:35 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#151 [ぎぶそん]
その日以来、彼はますます私にべたべた触るようになった。
彼は毎日のように一緒に寝たがり、私はそれを必死で拒んだ。
大人びた外見にそぐわない甘えようは、本当に気持ちが悪かった。
私は徹底して彼を避けた。
近くに寄ったらすぐに蹴り飛ばし、話しかけられてもそっけなく返した。

それと同時期、私は彼に貰ったネックレスを毎日着けて学校に行っていた。
でも彼にそれを愛用してるとは思われたくないので、アパートに帰った時はいつも玄関に入る前に外して鞄に直していた。

その日の昼休み学食でまりやと一緒に席を探していると、複数の友達といる彼とばったり会った。
「それ、着けてくれてるんだ」
彼が口元を緩ませて、私の首元を指す。
しまった、と思った。

⏰:12/06/16 22:42 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#152 [ぎぶそん]
「デザインが気に入ってるだけだよ」
それだけ言って、彼の前を通り過ぎる。
私の隣で一連の流れを見ていたまりやが嘆いた。
「相変わらず素直じゃないなあ。前、『かっこいいし、付き合っちゃおうかな』って言ってたじゃん」
「あれは冗談で言ってただけだよ」
「そんな冷たくばかりしていると、そのうち向こうも嫌になって出て行っちゃうよ」
「別にいいし」
私は俯いた。

あいつがいなくなること。
想像もしたことがない。
でも、いつかは確実にいなくなるだろう。
私が大学生でいる残り3年が限度かな。
3年。それは長いのかな、短いのかな。
あいつは私にとってどうでもいい存在だ。
でも、どうにでもなってほしい存在ではなかった。

そうして1週間、2週間と時間は過ぎた。
だんだん彼も一緒に寝ようとはしなくなった。
夜布団で寝ている彼をふと見てみると、私のいる方に背を向けて寝ていた。
彼のその後ろ姿はどこか寂しく見えた。

⏰:12/06/16 22:52 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#153 [ぎぶそん]
6月初旬。私も周りの皆も半袖姿が目立つようになった。
学校が終わり、夏物の洋服を見て回ろうと駅前のデパートに入った。

特に買わずに洋服屋を見回ると、何の用もないのにおもちゃコーナーがある6階に向かった。
ステレオマン関連のコーナーに、ミグピーの人形もあった。
今日も相変わらず無愛想な顔をしている。
私はいつもあいつといる時、こんな顔をしてるんだろうな。
似てると指摘されても、無理もない。

ミグピーの隣に、“モグピー”の人形があった。
モグピーはミグピーと姿形がよく似ているが、表情は真逆だ。
にこにこしていて、とても愛嬌がある。
もし私もこのモグピーのようにいつも笑顔だったら、彼との共同生活もうまくいってただろう。

でも、あいつが悪いんだ。
すぐ勘違いして甘えてくるから。
でも、最近は少し厳しくしすぎたかな。
私はモグピーを見つめながら、その場で笑顔の練習をした。

⏰:12/06/16 23:03 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#154 [ぎぶそん]
その数日後。放課後、彼が大理石のテーブルで同じサークルの人たちと楽しそうにしているのが見えた。
あいつ、私がいなくても平気そうじゃん。少し心配して損した。
彼の隣には、女の人がいた。
確か、3年の三鷹さんって人。
美人で優しく、とても感じのいい人だ。
彼も本当は、同居人になるならあんな女の人が良かったんだろうな。
私は少しため息をついた。

その晩、私は帰って麻婆茄子を作った。
食卓の席で彼が箸を持ったまま、げんなりとした表情でそれを見つめていた。
私は内心その顔が見たかったので、にやりとする。
「俺、ナス嫌い」
彼が皿を端にやる。
私は手のひらでテーブルを叩いた。
「全部食べないと怒るから」
「じゃあ、全部食べたらキスしてくれる?」
「何寝ぼけたこと言ってんの?もういいわよ!」
私はその皿を分捕った。
2人分を食べるのはきついが、無理して全部頬張った。

⏰:12/06/16 23:16 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#155 [ぎぶそん]
夜の9時過ぎ、彼はテーブルにうつ伏せになっていた。
「……腹減った」
さすがに夕飯にお茶漬け1杯はきつそうだった。
「一緒にコンビニ行かん?奢るから」
私は彼の誘いに乗った。

2人でアパートの前のコンビニに入ると、レジに見慣れた従業員の顔があった。
「あ、かなめちゃん」
店長が声をかけてきた。
店長はサーフィンが趣味の40代前半の男性で、いつも日焼けしている。
「この子が例の一緒に住んでる男の子?大人っぽいね」
店長が気さくに真織に話しかける。
彼も店長にしっかりとした受け答えで話していた。
まさか誰も彼が実際は甘えたがりな性格だなんて、想像も出来ないだろう。
私は彼に紙パックのコーヒー牛乳を渡した。

⏰:12/06/16 23:26 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#156 [ぎぶそん]
コンビニを出ると、彼がアパートがある方とは逆の方向を指差した。
「公園に行かん?」
奢ってもらった義理があるので、私は黙って頷いた。
商店街を進み、その近くにある公園に入った。
誰もいない閑散とした公園で2人、ベンチに座る。
私は夜の公園を見回しながら、コーヒー牛乳を飲む。
彼は隣で生姜焼き弁当を食べていた。
「野菜もちゃんと食べないとバランスが悪いよ」
「母親みたいなこというね」
「あんたが病気すると、こっちまで面倒になるから言ってるだけ」
それだけ話すと、彼は黙々と弁当をかきこむ。
その姿を見て、私もそれが食べたくなった。
どうして人が食べてるものは、こうもおいしく見えるのだろう。

「一口食べる?」
彼が箸で豚肉とご飯をつまんで私に差し出した。
私はその誘惑に負け、口を開けた。
彼がこぼさないように私の口に入れる。
それを口の中で味わいながら噛む。
冷えたご飯に脂身たっぷりの豚肉は、とても相性がよかった。

⏰:12/06/16 23:41 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#157 [ぎぶそん]
彼は弁当を食べ終えると、一服し始めた。
「あ、珍しく弟からメールきてる」
彼がケータイを握り締める。
「弟?あんたって弟いるの?」
「いるよ、俺より2つ下。弟も女みたいな名前してる。“ミオリ”っていうの。えーっと、『お兄(にい)の部屋にある新品のノート全部貰っていい?』だって。さすがあいつ、真面目」
彼がそのメールに返信しようとケータイを操作する。

彼に兄弟がいたことは、今ここで初めて知る事実だった。
私は彼のことを色々と知った気になっていたが、実際は知らないことの方が多いのだろう。
そう考えると、はがゆい気持ちになった。
こんなに近くにいるのに何も知らないのは、何だか違和感がある。
私は彼について、今まで何とも思っていなかったことまで気になりだした。

⏰:12/06/16 23:52 📱:Android 🆔:gmdZmKOc


#158 [ぎぶそん]
彼が煙草の灰を地面に落とす。
「……いつから煙草吸ってるの?」
「高校卒業してからだよ」
「割と最近じゃん。何で吸うの?」
「何となく」
彼が勢いよく煙を吐く。白い煙が夜の空気に溶け込んだ。

「何でバイク乗るの?」
「歩くのが面倒くさくなったから。いつかはハーレーに乗りたいな」
彼が両手を上げて背伸びをする。
「ハーレーって、すごく高い奴?」
「うん。憧れる」
「その時は私も乗せてよ。“乗った”って皆に自慢できるから」
「いいよ。約束な」
彼がまばゆい笑顔をして、私の手を握った。
「離してよ」
私は嫌な顔をして手を払ったが、胸がきゅっと締め付けられた思いをした。

こいつは人心掌握に長けてるというか、人の心をくすぐるのがうまいんだと思う。
それを無意識でやってのけるんだから、実に恐ろしい。
だから私も放っておけなくて、こんな一緒にいてしまうんだろう。

⏰:12/06/17 00:02 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#159 [ぎぶそん]
彼が煙草を吸い終えた後、公園を後にした。
アパートに戻ると、彼はお風呂に入った。
既にお風呂に入っていた私は、歯を磨いた後ベッドの上で雑誌を読むことにした。
風呂上がりの彼が、電気を消してくれるのを待つ。

うとうとしかけている時、彼がお風呂から出てきた。
「やっぱ他のを着よう。これ暑い」
突然、彼がリビングで着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
私は初めて彼の上半身裸の姿を目の当たりにした。
顔以上に肌が白くて、細身だけど意外に筋肉がついていた。
私は、彼が私の前で服を脱いだことを怒らなかった。
目が冴え、少し放心状態になった。
彼は私に背中を向けて服を選んでいた。
足を屈んで座ってる彼の腰元に注目すると、ジャージの下から若干灰色の下着が見えていた。
私は雑誌を見るふりをして、彼の身体やその下着をじっと見ていた。

⏰:12/06/17 00:19 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#160 [ぎぶそん]
彼は着替え終わると、自分の布団を取り出そうと押入れを開けた。
「ねえ」
私は彼に声をかけた。
「毎日布団敷くのも面倒くさいでしょ。金曜とか土曜とか、次の日が学校のない日なら私のベッドで一緒に寝てもいいよ。でも、キスとかそういうことはもうしないから」
「本当に?」
彼が子犬みたいな目をして笑う。
そしてすぐに電気を消して私の隣にやって来た。今日は金曜日だった。

彼が仰向けで寝ている私の髪を触る。
「こっち向いてよ」
彼が私の顔を持って、自分の方に向けた。
彼の大きな目と、自分の目が合った。
ふいに見た彼の顔に、思わず心臓がとくんと鳴った。

こいつ、こんな顔してたっけ。
そこそこいい顔してるじゃん。
何で今まで女の子とキスしたことないの?
どう考えてもおかしいでしょ。
こいつ、本当に人間なの?
もしかして、人間の姿をした怪獣?
私ってば、何子供じみたこと考えてるんだろう。

私は思わず声に出さずに笑った。
彼が私の笑顔に目を丸くした。
でも、すぐに目を細くした。
「今日はモグピーに似てる」
彼が片腕を私の肩に回し、私の身体を自分の方に引き寄せた。
私は怒らなかった。

⏰:12/06/17 01:09 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#161 [ぎぶそん]
そのままの状態で彼と会話をする。
「あんた、本当は三鷹さんみたいな美人で優しい人と一緒に住みたかったんじゃないの」
「うーん、そういう人だと逆に気を遣っちゃいそうで嫌だな」
「私だと気を遣わなくて済むんだ」
「そうだよ。かなめといると落ち着くんだよね。気が置けないっていうか。もし他の人の部屋に住んでたら、血眼になって他の部屋を探してたよ。やっぱり住む家っていうのは、落ち着けるのが1番」
彼の言葉に、私ははっとした。
こいつのこの言葉は、私の心の中の琴線に触れた。
私は胸が一杯になった。

私は彼から離れ、上半身を起こした。
「ちょっと今日身体が冷えてるから、両腕で抱きついてくれない?」
本当は真っ赤な嘘だけど、寒そうに腕をさすった。
彼が少し嬉しそうな顔をして、私に向かって両腕を広げた。
「おいで」
私も両腕で彼の身体に抱きついた。
顔中に彼の匂いが広がる。
本当は熱くてたまらないけど、彼から離れたくないので我慢した。

私はそのまま彼の胸の中で眠った。
私は少し、ほんの少しだけ彼に心を開いた。

⏰:12/06/17 01:21 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#162 [ぎぶそん]
翌週。彼も月曜日から半袖を着るようになった。
でもいつも着ているパーカーシャツが長袖から半袖になっただけなので、特に新鮮味はなかった。
朝、彼が先に玄関で座って靴を履く。
私はその後ろで立ったまま彼の広い背中を見ていた。

「あんたって、何でパーカーが好きなの?」
「着やすいから」
「ふうん。でもあんたって、おしゃれだよね」
「そう?適当だよ」
私はその場で屈み、彼の着ている黒いパーカーのフードを掴んだ。
鼻に近づけると、彼の匂いがした。
少し幸せな気持ちになった。

「何してるの?」
「あ、煙草臭いなって」
本当は煙草の臭いはしなかった。背中はたまに本当に臭うことがあるけど。
「悪かったな」
「煙草、辞めちゃいなよ。臭いし、身体に悪いし」
「無理です」
あーあ、せっかくのいい匂いも台無しじゃん。
私はもう1度彼の匂いを嗅いだ。

⏰:12/06/17 20:48 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#163 [ぎぶそん]
水曜日。昼休み図書館で本を探していると、近くで聞き覚えのある女の子の甘い声がしていた。
その声がする方を見ると、里香ちゃんが友達と一緒に辺りをうろうろとしていた。
私はとっさに顔を俯け、本棚の陰に身を潜めた。

私は彼女が怖い。
私が彼女の好きな真織と一緒に寝てると知ったら、どんなことになるだろうか。
それどころか、キスをしたこともある。
私は彼女が彼のことを諦めてくれればいいのにと思った。
いや、彼女が彼と付き合えばいいのかな?
でもそうしたら、あの匂いを嗅げなくなる。
ジレンマだった。

その日の夜。彼と晩ご飯を食べた後、一緒に音楽番組を観ていた。
男性アイドルグループの出番で、観客の女性たちが黄色い声援を上げていた。
その金切り声が耳に響く。声援というより、悲鳴や発狂に近かった。

⏰:12/06/17 20:58 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#164 [ぎぶそん]
「周り、きゃあきゃあうるさい。歌を聴きにきたのなら、黙って歌を聴きなさいよ」
私には芸能人を見て舞い上がる心理が分からなかった。
「いやいや、男はそうされて嬉しいもんだよ。俺も女の子にきゃあきゃあ言われてみたいなあ。1度でいいから、モテてみたい」
テーブルに頬杖をつく彼がため息をつく。

そういえばこいつ、キスしたこともないって言ってたな。
――それじゃあもしかしたら……。

私は思いついた言葉が、とっさに口に出た。
「……あんたって、女の子と付き合ったことないの?」
「ないよ。告白したことも、されたこともない」
「それってモテてるのに気づいてないだけなんじゃない?ほら、こないだだって里香ちゃんに遊びに誘われてたじゃん。後、あの子ライブの時もあんたの腕に抱きついてたし」
「あの子はただのサークル仲間」
ほら。気づいてない。

⏰:12/06/17 21:07 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#165 [ぎぶそん]
「あんたって存在が浮いてるのよ。何か近寄りがたいっていうか」
「ひでえ。何その言い方。別に俺って普通じゃん」
「周りを雑草とすると、あんたはその中にいるスミレかな。とにかく異質」
「スミレって、紫色の花だっけ。女みたいであまり嬉しくないな」

そこで会話が止まると、彼が真顔でこっちを見る。
「そっちこそ、誰かと付き合ったことあるの?」
「ないよ。私も告白したことも、されたこともない」
「一緒だ」
彼が小さくにっこりとする。
その笑みが私には嘲笑に感じ、少しいらっとした。

そして瞬時に、彼が何か気づいたように目を見開く。
「じゃあ、俺たちってお互い……」
彼の照れる様子に、私は背筋が凍る思いがした。
“お互い性的経験がないんだね”って言おうとしたのだろう。
私は年下に馬鹿にされてるようで、すごくいらいらした。

⏰:12/06/17 21:15 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#166 [ぎぶそん]
私は立ち上がり、彼を突き飛ばした。
床に倒れた彼のお腹に跨がり、右手で彼の顎を掴んだ。
そして、蔑んだ目をして彼の歪んだ顔を見た。
「いい?いつかあんたの“初体験”、私が奪ってあげる。一生のトラウマにしてあげるから」
右手の力を強めた。
「楽しみにしておく」
「それまで絶対に誰ともしちゃ駄目だからね」
「分かった」
彼が首を小さく縦に振る。
そして両手で私の手首を持ち、強い力で自分の顔から離した。
抵抗してもその両手は離れず、私の顔の眉間に皺が寄った。
「そっちも俺とするまで、誰ともしちゃ駄目だよ」
彼がしたり顔でいう。

私はかっとなった。
自分の方がいつも優位な状況に立っていると思ってたのに、実際は彼の方が一枚上手なんだと悟ったからだ。
こいつはその気になれば、本当は私に何でも出来る。
今まで気づかなかった自分に、一気に恥ずかしさを感じた。
「うるさい!」
私は左手で彼の頬に平手打ちをした。

やっぱり里香ちゃんとは付き合ってほしくない。
いや、他の誰とも付き合ってほしくない。
こいつの真っ白な心と身体を、私が汚してやりたい。
こいつは私が独占する。こいつを支配したくなった。

⏰:12/06/17 21:52 📱:Android 🆔:FCqHJV9I


#167 [ぎぶそん]
金曜日。夜、彼は私のベッドに寝にきた。
隣で寝ている私パジャマをめくり、お腹の肉をつまむ。
「すげえぷにぷにしてるし。ちょっと痩せたほうがいいんじゃないの?」
「うるさい。そういうあんたはどうなのよ」
私は彼の着ているシャツをめくった。
色白の締まったお腹が現れる。
そしてそのお腹をつまもうとするが、何度やっても指がかするだけだった。
「男はそんなないよ。うわ、こっちもすげえぷにぷにしてるし」
彼が今度は二の腕をつまんできた。

「二の腕の感触は、胸と似てるらしい」
「へぇ……」
私の言葉で、彼が強く揉みだす。
会話が途切れ、微妙な空気が流れる。
しまった。余計なことを言ったと思った。
彼が何度も揉みながら呟く。
「柔らかい」
まるで、胸がそう言われてる気分になった。
「もうやめてよ!」
私は彼の手を払いのけ、彼に背中を向けた。
「そう怒るなよ」
彼が片腕を私の肩に回してきた。
「俺のこと嫌い?」
「うん」

私はこいつのことが嫌いだ。
だって、こいつといるといつも心臓がうるさくなるから。
自分の心臓まで嫌いになりそう。

⏰:12/06/18 22:52 📱:Android 🆔:70OKByZ.


#168 [ぎぶそん]
「俺もかなめのことが好きじゃない。いつもつんつんしてるし、おっかない」
「だったら何でくっついてくるのよ」
「好きじゃないけど、なぜかくっつきたくなる」
あほか。私は彼のことを無視した。
「身体ちょっと上げて。両腕で抱きしめたい」
私は無視し続けた。
「聞いてるの?身体上げて」
私は取り合わない。
「お願いだってば」
彼が私の肩を揺する。
「もううるさいわね!分かったわよ……」
私は彼に言われるがまま身体を起こした。
彼が私の身体を包み込むように両腕で抱きしめ、そして私の脚に自分の脚を絡める。

「……いつ俺とするの?」
「何が?」
「こないだ自分で言ってたじゃん。いつか俺と“そういうこと”するって」
「その話はやめて」
「避妊はちゃんとしないとね。だって、子供が出来たりでもしたら大変だし」
「そういう言い方しないで」
「ここでするの?ホテルでも行くの?」
「お願い。もうやめて」
私は首を横に振った。
「冗談だって。ちょっとからかってみただけ。おやすみ」

私は少し涙ぐんでいた。
どうしてこいつは、こんなにも私を恥ずかしがらせるのが得意なのだろう。
どうして私は、こんな辱しめを受けてもどきどきするの?
私は色んなものに苛立ちを感じながら、彼の腕を力強く握りしめた。

⏰:12/06/18 23:32 📱:Android 🆔:70OKByZ.


#169 [ぎぶそん]
「かなめ!何をやってるんだ!」
翌朝、誰かの怒鳴り声で目が覚めた。
声のした方を見ると、私の両親がリビングで立っていた。
――どうしてここにいるの?
状況がうまく飲み込めないまま、私は身体を起こす。
隣で私を抱きしめていた彼も、慌てて飛び起きる。
それは、最悪のシチュエーションだった。
私は、全身の血の気が引いた。
自分の両親に、今1番見られたくない姿を見られてしまった。

父が彼を凝視する。
「君は誰なんだ。みどりが言う“まおりちゃん”というのは、女の子じゃないのか」
みどりさん、ちゃんと言ってくれなかったのか。
少しおっとりしてると思っていたが、あまりにも抜けすぎている。
彼が床にひざまずき、顔を床につけた。
「すみません!昨日酔っ払ってかなめさんの布団に入ったみたいで……。でも、誓ってかなめさんには手を出していません」
何も悪いことはしていないのに、彼が必死で父に謝る。
でも未成年が酒を飲んだという言い訳は、火に油を注ぐだけだと思った。
父は私以上にそういう不正を嫌うから。

⏰:12/06/18 23:48 📱:Android 🆔:70OKByZ.


#170 [ぎぶそん]
「かなめ!本当なのか?」
「本当だよ。私、何もされてない」
父がテーブルに置いてある彼の煙草とライターを見た。
「君はうちの娘より1つ下だろう?未成年の分際で、煙草を吸うのかね?」
「はい、吸ってます」
彼が頭を下げたまま言う。
「飲酒の上に喫煙まで。全く、どうしようもない子だな」
父の呆れた様子の顔を見て、私は何故だか怒りを覚えた。

「ちょっとお父さん!彼のことを悪く言わないでよ!」
私は父に負けないくらいの怒鳴り声を上げた。
私は人生で初めて父に反抗的な態度を取った。気の弱い母は、父の後ろでおろおろとしだす。
「本当は彼は酒なんて飲んでない。私が……、私が昨日彼と一緒に寝ようって言ったの」
私はとっさに嘘をついて彼を庇った。
話に信憑性を持たせるために、彼の身体に抱きつく。
自分でも、なぜこんなことをしているか分からない。
でも彼がすごく可哀想に思えて、黙って見ていられなかった。

⏰:12/06/19 22:57 📱:Android 🆔:VnBGkXIc


#171 [ぎぶそん]
「何だと!そんなふしだらな生活をさせるために、大学に通わせてるんじゃないぞ!」
私は父に痛いところをつかれ、身体がびくっとなった。
私は両親に学費を払ってもらい、仕送りまでもらってる。何も言葉が出なかった。
「伊藤くんと言ったね。君は一刻も早く他の部屋を見つけて、この部屋を出ていきなさい。もし今月中に出なかった場合は、君のご家族と話をする!」
「……はい。分かりました」
彼が頷く。
それたけ言うと、両親は出て行った。

彼と2人きりになり、気まずい空気が流れる。
私は肩をすくめている彼をなだめようと、彼の肩に手をかけようとした。
その瞬間、彼が起き上がる。
「ごめんな、最後まで迷惑かけて。明日不動産屋に行って来る」
彼があっけらかんとした表情で私に言った。
私はその平然を装った態度を見て、めらめらと怒りが湧き上がった。

⏰:12/06/19 23:12 📱:Android 🆔:VnBGkXIc


#172 [ぎぶそん]
「いつかいなくなるんだったら、最初から私の目の前に現れないでよ!」
彼の身体を手のひらで何度も叩く。
「ごめん。好きなだけ殴っていいよ」
彼は一切抵抗することなく、悲しげな目をして私を見ていた。
私は肘で思いきり彼の胸元を突いた。
その拍子で後ろに倒れた彼のお腹に跨がり、両手を彼の首にかけた。

悔しい。何のために、私が自分の父親からあんたを庇ったと思ってるのよ。
あんたは、私のもの。
どこにも行かせやしない。
こいつが私のものにならないなら、いっそのこと……。

「私は、あんたの全部が欲しいのよ」
私は、少し彼の首を絞めた。
「あげるよ」
彼は何も抵抗することなく、澄んだ瞳でこっちを見ていた。

私はすぐに手を離した。
そして、その場で声に出して泣いた。
いつもさんざん辛く当たってるじゃない。
どうして嫌いにならないの?
どうして、こんな私を受け入れてくれるの?

⏰:12/06/19 23:25 📱:Android 🆔:VnBGkXIc


#173 [ぎぶそん]
「何で泣くの?泣かれると困るよ」
彼が私の頬に手をかける。
少しだけ、そのまま彼に抱きつこうと思った。でもそうすれば彼に自分が弱い人間だと思われてしまう。
私は瞬時にその手を払い、 玄関に向かって走った。
気がつけば、私は泣きながら部屋を飛び出していた。

アパート前の信号で体裁を気にし、泣くのをやめる。
目的があるわけでもなく、大学までの道をまっすぐ歩いた。
商店街の中に入り、広場にあるベンチに腰掛けた。
自分の目の前を、たくさんの人が通る。
ただそれを呆然と見ていた。

そういえば私、あいつが来てから他の異性のことを気にも止めなくなった。
以前は少なからず意識して、“かっこいい”“好みじゃない”と判断していた。
バイト先にも一応男性がいるけど、何とも感じない。
皆、私にとってただの物質になってる。

もし他の人が同居人だったら、今頃どうなってたのだろう?
何であいつだった?
あいつは私にとって、うっとうしくて迷惑な存在だ。
でも私は、あいつと出会って後悔はしていない。
私をこんなにいらいらもどきどきもさせる奴は、他にいない。
あいつは面白い。全てが自分にないものを持ってるから。

⏰:12/06/19 23:44 📱:Android 🆔:VnBGkXIc


#174 [ぎぶそん]
1時間ほどしてベンチに座ってるのが退屈になり、商店街の中を散策した。
買う気もないのに、適当に薬局や雑貨屋に入ったりした。
日が暮れて、大学まで歩いてみた。
夕暮れに染まる大学のキャンパスを、1人ふらふらとさ迷う。
途中で、軽音楽部がいつも使うあの大理石のテーブルとイスが目に入った。
そのイスに座り、顔をうつ伏せた。

あいつ、いつもここで皆とどんな話をしているのだろう?
私のことも話題に出てくるのかな?
そう思うのは、少し自意識過剰すぎるか。
あいつは、私がいなくてもやっていける。
いなくなって駄々をこねるのは、本当は私だけ。
自分で出した結論に虚しくなり、そこで考えるのをやめた。

「見っけ」
しばらくそのままでいると、近くで聞き慣れた声がした。
顔を起こすと、真織が目の前に立っていた。
「どうしてここが分かったの?」
「商店街のベンチにいた時から、ずっと後ろをつけてたよ」
全く気がつかなかった。
どうしてすぐに声をかけなかったのだろうか。
そう思っていると、彼が私に手を差し伸べてきた。
「帰ろう」
私は迷わずその手を取った。

⏰:12/06/21 00:08 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#175 [ぎぶそん]
2人で手を繋いで、誰もいない校内を歩く。
夕日で伸びた2つの影は、とても仲睦まじく見えた。
今この瞬間はこんなにも彼と近くにいるのに、近い未来これが懐かしい思い出と変わってしまうのだろうか。
私は胸が一気に苦しくなった。

「……出て行かないでよ」
私はぼそぼそとした声で喋り、話を続けた。
「明日、2人で私の実家に行こう。お父さんを説得して許してもらおうよ」
「なんでそんなに俺との生活にこだわるの?」
「あんたの作る料理がおいしいから」
本当は、彼は野菜炒めばかり作るので飽き飽きしている。
「そんな理由だけ?」
彼が立ち止まった。
びっくりして見上げると、いつになく真剣な顔をしていた。
その顔を見て、私は正直な気持ちを伝えようと決心した。

「あんたの歌ってるところがもっと見たい。あんたのバイクにもっと乗りたい。……あんたともっと一緒にいたい」
私はいつになく気持ちが高ぶっていた。
彼が大きな目を丸くした後、声に出して笑いはじめた。
そしてずっと握っていた私の手を引っ張って、私の身体を自分の元に引き寄せた。
「俺もだよ。かなめとずっと一緒にいたい」
そう言う彼の声はいつになく優しく聞こえた。

⏰:12/06/21 00:31 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#176 [ぎぶそん]
彼が繋いでいた手を離し、私をきつく抱きしめてきた。
私も自分の両腕を、彼の身体に回した。
彼のシャツから少し煙草の臭いがしたけど、今はその匂いさえもいとおしく感じた。
「あんたは私がいないと嫌?」
「かなり嫌。いや、死ぬほど嫌だね」
私はあまりの嬉しさでつい、涙が込み上がりそうになった。
自分と誰かが全く同じ気持ちでいることが、こんなにも幸せなんだとは思いもしなかった。
「かなめの実家ってどこ?」
「山梨だよ」
「近いな。じゃあ明日、一緒に行こうか」
彼の言葉に、私は彼の胸の中で何度も頷いた。

お互い身体を離し、再び手を繋いで公園を歩いた。
大学の校門を出る前、彼が口ずさむ。
「『年上であっても わがままだとしても
心で燃え立つ熱情を あなたとくべていきたい
愛想がなくても 冷たくされても
ほんの一瞬 見せてくれた笑顔が愛しい』」
「それミドリムシの歌?そんな歌あったっけ?」
「いや違うよ。昔そんな歌あったなって。何か、今の俺の……何でもない」
彼が顔に表情を失わせて俯いた。
その態度を不審に思ったが、私は気にしないことにした。
それからずっと、私たちは手を繋いだままアパートまで戻った。

⏰:12/06/21 01:02 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#177 [ぎぶそん]
夜。お風呂から出ると、彼が薄暗い部屋の中布団の上で煙草を吸っていた。
「おいで」
灰皿で煙草の火を消し、私を胸元に呼び寄せる。
私は迷わずその場所に向かうと、ふわりと抱きしめられた。
いつもよりもっと優しい感じがした。

彼は私の身体をゆっくり倒し、私の身体に覆い被さった。
私の顔を触りだし、やがて唇を触り始める。
「キスしてもいい?」
彼に真面目な顔で言われた。
私は薄暗い中彼の唇を見た。色気を感じて、どきどきする。
私はその唇をふいに指先でなぞった。
「……いいよ。でも、1回だけだからね」
彼は私の髪を耳にかけ、両手で私の顔を見た。
彼の顔が近づく。
私は目を閉じた。
彼が私の唇に、自分の唇を押し付ける。
言葉ではうまく言い表せない、不思議な感触がする。
向こうも私と同じ感触がしているのかな?
私は彼の首にしっかりと自分の両腕を絡めた。
私にとって彼はキスを1番やりたくない相手から、1番やってもいい存在に変わっていた。 

⏰:12/06/21 20:03 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#178 [ぎぶそん]
そのキスは息が出来なくなるまで続いた。
彼が唇をゆっくりと離す。
「これで3回目だね。俺にとっては2回目だけど」
彼の顔が少しにやつく。
上で私を覆う彼を見て、私の心臓の鼓動が早くなる。
私はこれ以上先があることを期待してしまった。
そして、本能で彼を求めてしまいそうになった。
明日は真面目な話で両親に会わなきゃいけないのに、何を考えているのだろう。
私は自己嫌悪した。

「もう寝なきゃ」
私は彼に顔を背けた。
「そうだな」
彼が私の隣に横になり、私の手を取る。
私たちはお互いの手を絡め、見つめあった。
「もし明日駄目だったら、新しい俺の部屋に泊まりに来いよ」
「うん」
「毎日でもいいよ」
「うん」
そこでお互いに会話が途切れた。
空気が重い。お互い明日が不安で仕方がない。
「おやすみ」
彼が手を繋いだまま仰向けになる。

しばらくして、彼は寝息を立てて眠っていた。
彼はいつも先に寝る。
私が彼が隣にいると、なぜか寝つきが悪くなる。
私は目を閉じ、彼のことを考えた。
私は自分でも彼のことをどう思っているのか分からなくなった。
でも彼にいなくなってもらうと、確実に困る。

⏰:12/06/21 20:23 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#179 [ぎぶそん]
次の日の朝。2人で身仕度を済ませ、バイクで駅まで走った。
駅に入ると彼は販売店で、私の両親に渡す菓子を買っていた。
意外と細かいところに気がつく子なんだと思った。
自動券売機で切符を買い、改札口を抜けて山梨行きの電車に乗る。
電車の中で、会話はほとんどなかった。
父を説得できなかったらどうしよう。そのことばかりが頭をよぎった。
自分の家に帰るのが、こんなに憂鬱に感じるなんて。

うたた寝をしていると彼に起こされ、電車が目的地に到着した。
駅前にあるバスに乗って、家の近くまで向かった。
バスの中で、彼は隣で目新しそうに窓の景色を見ていた。
20分ほどでバスを降り、何もない一本道を少し歩いた。
住宅地に入り、木造で出来た一軒家の前に立った。

呼び鈴を押すと、母が出た。
「お母さん?かなめだけど」
「かなめ!?どうしたの?」
「お父さんに話があるの。真織もいるから」
少し経って、母がドアを開ける。
「2人とも、昨日は突然訪ねたりしてごめんね。真織くん、主人が嫌な思いをさせてごめんなさいね」
母が悪そうに何度も頭を下げる。その姿を見て、母は私たちの味方に思えた。

⏰:12/06/21 22:20 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#180 [ぎぶそん]
中に入ると木の優しい匂いが広がり、半年前正月で帰ったのになつかしい感じがした。
「お父さん、客間にいるから」
母が1人で居間に入る。私は彼と居間へと続く長い廊下を歩く。木で出来た床が歩く度きしむ。

客間の障子を開けると、父が腕を組んで厳格な様子で座っていた。
私と真織は父に対面して座った。
真織が菓子を差し出した後、頭を下げる。
「昨日はお見苦しいところを見せてすみませんでした。お父さんには出て行けと言われましたが、それはやっぱり出来ません。どうか許して下さい」
私も彼に続いて頭を下げる。
父はしばらくの沈黙の後、口を開いた。
「君はどうしてあの部屋にこだわるのかね?」
「今の生活が充実してるんです。だからどうしても失いたくないんです」
「お父さん、私も彼が来てから変わったんだよ。あの部屋見たよね?すごく片付いてたでしょ。ご飯も自分で作って食べてるんだよ」
私はもう真織にだらしない性格がばれようがどうでもよかった。
無我夢中で父を説得しようとした。

「正直に言いなさい。2人は、お互い恋愛感情があるのか?」
父の質問に、言葉を失った。
真織が最初に答える。
「……すみません、それは分かりません。でも、かなめさんは僕にとって大切な存在です。お父さんの代わりに、僕がかなめさんを守りたいと思ってます」
たかが同居人の身分でそこまでする義理はないだろうと思いつつ、私はくすぐったい気持ちになった。
「お父さん、私も彼と同じ。彼のことが大切なの」
私は彼に話を合わせた。

⏰:12/06/21 22:43 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#181 [ぎぶそん]
「2人とも、顔を上げなさい」
顔を上げ、父の顔を見る。
いつもの仏頂面だけど、やや穏やかに見えた。
「……うん。まさかわざわざ説得しに来るとは思わなかった。もう何も言わない。好きにしなさい」
父の言葉に、私と真織は手を取り合って喜んだ。

「ただし、性交渉だけは絶対にするなよ!」
父が怒鳴る。
私は“性交渉”という卑猥な響きにどきまぎとした。
「約束します。絶対そういうことにならないようにします」
真織が断言するが、私たちは実際はそれをする約束までし、昨日はわずかながら私は彼と“したい”という気持ちまでも芽生えてしまった。
結構すれすれの状況下にいるのだなと思った。
「それからお父さん、煙草のことなんですが……」
「君はよそ様の子だ。よそ様の教育方針に、私がとやかく言う権利はない。吸いたきゃ勝手に吸いなさい」
「ありがとうございます!」
真織が笑いながら言う。
父も少し顔が緩んでいた。

⏰:12/06/21 22:58 📱:Android 🆔:/k1Vm..Y


#182 [我輩は匿名である]
毎日楽しみにみてます。頑張ってください。

⏰:12/06/22 23:36 📱:SH02A 🆔:Mw4MfKWc


#183 [ぎぶそん]
【※180 正しくは“客間へと続く”です】
【182 匿名さん ありがとうございます。出来るだけ毎日更新します】

話も大体終わると、タイミングよく隣の襖が開いた。
「かなめと真織くん、こっちにいらっしゃい」
母が笑顔で私たちを居間へと呼ぶ。
2人で居間に座ると、母は私たちにお茶と茶菓子を出してきた。
「お母さんはね、かなめの好きにさせたら?って言ったのよ」
母が目尻に皺を寄せて笑う。
「かなめ、昔から全くモテなくて心配だったし、お母さんはすごく嬉しいの。真織くんみたいな素敵な男の子といるなんて」
母の話は止まらない。
「どう、真織くん?将来、うちの娘をもらってくれてもいいのよ?」
「ちょっとお母さん!そんなんじゃないから!」
私は慌てて間に入った。
「うーん。まあ、考えておきます」
彼は苦いようなまんざらでもないような顔をしていた。

母との談笑を終え、玄関で父と母が私たちを見送る。
「伊藤くん。娘のことを頼んだぞ」
父が彼に微笑む。
私たちは笑顔で家を後にした。

実家まで来て言うのもなんだが、まさかあのぶっきらぼうな父を説得できるとは思わなかった。
それどころか、父は真織に笑顔を見せた。
真織、あんたは不思議な存在だね。

⏰:12/06/23 00:08 📱:Android 🆔:n/f22vq6


#184 [ぎぶそん]
住宅地を抜け、ゆっくりとバス停まで歩く。
「せっかくだから、この辺色々見ていきたいな」
そう彼に言われ、道を引き返してこの近辺にある私が通っていた小学校や中学校を回ってみた。
何の変哲もない公舎なのに、彼はとても楽しそうに見ていた。
私はそこで彼に自分の昔話をした。
中学も高校も友達はほとんどいなく、部活も何もしてなかったこと。勉強だけが生き甲斐の、退屈な日々だった。

最後に、中学校の近くにある駄菓子屋に入った。
子供の頃、学校の帰りによくここでお菓子を買っていた。
懐かしくなったので、彼と一緒にお菓子を買うことにした。
しばらくぶりに見た、愛想のない店のお婆ちゃんとレジで顔を合わす。
「あれ?彼氏かえ?」
お婆ちゃんは私のことを覚えてるらしい。
適当に「そうだよ」と返しておいた。

バス停まで戻って、ベンチに座り駅に向かうバスを待つ。
この辺はなかなかの田舎でバスは1時間に1本しか来ず、休日はもっと少ない。
彼とお菓子を食べながら話す。
「俺、またいつかここに来るかも」
「何で?」
「結婚の挨拶に」
「馬鹿じゃないの!」
私は彼の肩を叩いた。
「冗談だって」

私はその場で結婚というものについて考えた。
一生独身でいるくらいなら、こいつを人生の伴侶としてやってもいい。
でももし他に相手がいるなら、絶対にその人と結婚する。
こいつと結婚するということは、そのくらい最低限のレベルに達した時だ。

⏰:12/06/23 00:29 📱:Android 🆔:n/f22vq6


#185 [ぎぶそん]
夜。無事にアパートに帰宅すると、玄関でさっそく彼が話しかけてきた。
抱きつくというより、巻きつかれてる。
彼の両腕が私の胴体に絡む。
「またお父さんたちが来たらどうするの?」
私は戸惑った。
「たぶん、もう来ないよ」
彼が腕をきつく締める。
彼の手は少し私の胸に当たっていた。

「良かった、お父さんに認められて」
「そうだね」
「今日一緒に寝よ」
「明日学校があるじゃん」
「別にいいじゃん。俺がどっか行ってもいいの?」
「分かったわよ……」

私たちの関係って何だろう?
家族でもないし、恋人でもない。
友達も違う。
こんなに一緒にいるのに、赤の他人というのはあまりにも寂しすぎる。
自然と引き合う、磁石のようなものかな。
私は彼から、当分離れられそうになかった。

⏰:12/06/23 00:56 📱:Android 🆔:n/f22vq6


#186 [ぎぶそん]
その後、私たちはまた何事もなかったかのように生活した。
6月下旬。夜、テレビで男子サッカー日本代表の試合が行われていた。
他に観る番組もないので、選手のプレーを眺める。
「俺、中学の時サッカー部だったよ。3日だけだけど」
「それ、入ったうちにならない」
「家に帰って『ステレオマン』が観たくて辞めた。真面目にやってれば今頃代表入りしてたかも」
「無理無理。ところで、“オフサイド”って何よ」
「ああ、オフサイドって言うのはね……」
彼に詳しい説明を受けたが、分かるような分からないようなだった。

元サッカー部だったという新事実を知り、私は彼の素性が気になりだした。
血液型を聞くと、お互いA型だということが判明した。
「輸血できるね」と彼は言った。

テーブルに彼の財布が置いてあったので、運転免許証を見せてもらった。
証明写真の彼の髪型は今と違ってまっすぐで、襟髪の毛先が少し外側にはねていた。
清潔感があって、とても爽やかな印象を受けた。
免許証には誕生日が“8月27日”と記されていた。
「後2ヵ月後じゃん」
「祝ってよ」
「気が向いたらね」
「そっちの誕生日はいつ?」
「教えない」

⏰:12/06/24 00:37 📱:Android 🆔:3lW2THM2


#187 [あすか]
すっごい面白いです!
もう読むたびキュンキュンしてます(#^.^#)

続きも楽しみにしてます!\(^o^)/

⏰:12/06/24 09:17 📱:iPhone 🆔:cC.lDC8k


#188 [ぎぶそん]
【187 あすかさん ありがとうございます。とても嬉しいです】

そして彼の中学・高校時代の話を聞いた。
ギターを始めたのは中学2年の時。
1ヵ月ほどで弾けるようになったらしい。
高校は公立の進学校で、結構真面目に頑張ってたとか。
中学まではクラスの男子で1番身長が低かったけど、高校になって一気に伸びた。
男友達は多いけど、女友達は1人もいない。

「あのアコギは30万したよ」
彼がギターケースを指差す。
「高い!バイトでもして買ったの?」
「いや、高2の時親父に買ってもらった。ちなみにバイクも去年買ってもらった」
「バイクはいくらしたの?」
「軽く100万はしたんじゃないかな。『ハーレー買ってやろうか?』って言われたけど、そこは将来自分の稼いだ金で買いたいよな」

何でもない様子でいう彼に、私は思わず腰が抜けた。
中高生にしてその金銭は、異常に思えた。
そんな裕福なら、こんなちんけなアパートにいないでマンションでも借りて暮らせよ。
そうか。だからこいつ、こんな甘えたがりな性格なんだ。
まあ、私も仕送りで生活してるから人のこと言えないけど。

彼の両親は彼にとても甘いらしい。
お父さんは外交官で、海外に行くことがよくある。
お母さんは元客室乗務員。今は専業主婦。
ぞんざいに扱っていた彼が、一気にすごい人間に思えた。

⏰:12/06/24 18:13 📱:Android 🆔:3lW2THM2


#189 [ぎぶそん]
彼への関心は止まらない。
「あんた、何で“真織”っていうの?」
「知らん。お袋の名前が“チオリ”っていうから、似た名前にしたんじゃないの」
「チオリ?どう書くの?」
「『チ』が『千(せん)』で、『オリ』は俺と一緒」
「千織さんかあ。美人そうな名前」
「いやいや。クソババアだよ」
「弟の“ミオリ”くんはどう書くの?」
「果実の『実』に、『オリ』は俺と一緒」
「実織くん。真織と実織。2人あわせて……“真実”」
「そうそれ。超寒いでしょ」
彼が嫌そうに腕をさする。

「そんなことないよ、すごくいい名前じ
ゃん。珍しいから、すぐに人から覚えてもらえる」
「そう?名前だけだと女に間違われたり、『女の子みたい』っていちいち言われるのがうっとうしい」
「もしあんたが一般的な男の子の名前だったら、私絶対にここ来るの拒否してた」
「そうなの?じゃあこの名前でよかった」

彼が急に黙りこくり、じっと私を見つめる。
「今だからいうけど実は俺、もともとアパート探す気なかったんだよね。最初から誰かを当てにするつもりだった」
「どうして?」
私は驚く。
「1度だけ誰かと一緒に住んでみたかった。ルームシェアって奴?でも寮は嫌。門限があるから。親父顔広いし、探せばこっちで住んでる人いるだろうなって。それがかなめだったわけ」
私は彼の話が全く理解できなかった。
1人で困惑していると、彼が私の肩を抱いた。
「出会えてよかったね。俺にとっては再会になるけど」
彼の目つきがいやらしく感じる。
「あっそ」
私はそっぽを向いた。

⏰:12/06/24 18:38 📱:Android 🆔:3lW2THM2


#190 [ぎぶそん]
【※188 正しくは“その金銭感覚は”です】

彼が両腕でしがみつき、耳元でささやく。
「最初の夜『すぐに出て行く』って言ったでしょ?あれも嘘。本当はすぐに気に入ったから、ずっと居座る気でいた」
「あっそ」
「でも本当に誰の家でもよかったわけじゃないから」
「あんたがどう思おうが興味ない」
「あ、後あの日布団を買い忘れたのはわざとじゃないよ。女と寝るっていうのに、全然緊張しなかったな。かなめ色気ないからね」
彼の落胆の声にいらっとしたので無視した。
「でも『女として見てない』っていうのは最初はそうだったけど、今はちょっとなら……」
「うるさい!私はサッカー観るのに集中したいの!あっち行ってよ!」
私は勢いよく彼の腕を振り払い、ほとんど観てなかったテレビに目をやった。
試合は既に日本が1点選手してた。
「あんたのせいでゴールの瞬間見逃したじゃん!」
私は色んなことにむしゃくしゃして彼を蹴り倒す。
こいつを黙らせるのにはこれが1番だ。
何度も何度も彼を蹴った。

今日でこいつの色んなことを知った。
でもこいつの気持ちをすべて理解するのはほぼ不可能だと思う。
こいつの心は空に浮かぶ雲のように掴めないから。
届きそうで届かない、そんな人間。
だけど私はそんなこいつの心を掴んでみたい。
そして見事手玉に取り、思いのままに操りたい。
今は自分のほうが弄ばれてる気がして、腹立たしくて仕方がない。
今にぎゃふんと言わせてやる。

⏰:12/06/24 21:02 📱:Android 🆔:3lW2THM2


#191 [ぎぶそん]
梅雨の時期が続き、この日も1日中雨だった。
夜部屋で洗濯物を干していると、彼に話しかけられた。
「明日の夜椎橋ん家にサークルの皆で遊ぶんだけど、かなめも来いよ」
「私はいいよ」
「もしかしたら皆で泊まるかも知れないから。1人にしておくの心配」
「1日くらいどうってことないって」
「いや心配。ついてきて」
私は彼のしつこさにため息をつき、首を縦に振って了承した。
しかしすぐにある不安がよぎる。
「1年生って、里香ちゃんは来るの?」
「あの子は来ないよ。女子は大友さんだけ。大友さんっていうのは、里香ちゃんと一緒の1年の子ね」
私はひとまずほっとした。
それなら別に行ってもいい。

彼が物干し具に干してある私のベージュ色のブラジャーを掴んだ。
「何でいつもこんなださい下着着けてんの?」
「触らないでよ!」
私は彼の身体を突いた。
「俺とする時は、もっと色気のある下着を着けてよ。興奮しないから。さてと、風呂入ろうかな」
彼が立ち去る。
私は彼の言葉に虫酸が走った。
あいつの正体、皆にばらしてやる。
私は明日が楽しみになってきた。

⏰:12/06/25 22:40 📱:Android 🆔:RwCUvrVY


#192 [ぎぶそん]
次の日。学校から帰って、彼と一緒に椎橋くんの住む家に向かうためアパートを出た。
椎橋くんは隣町の駅の周辺に住んでるらしい。
今日も昨日と同じ雨だったので、電車を利用して隣町まで行った。
電車を降りた後彼についていくかたちで駅の裏を歩き、その近くにあるアパートの3階まで上がった。
そして彼は迷わずドアが開けっ放しの部屋に入った。
その部屋の前は大量の傘と靴が乱雑してあった。
「足立さんも連れてきた」
彼が私を皆に紹介した。
長田くんや小柴くんといった顔馴染みの子もいた。
椎橋くんの部屋は男の子らしい、青を基調としたワンルームだった。
リビングは大勢の人数でひしめきあっていた。
私と彼も人の間を縫ってベランダの窓にもたれる。

長田くんが料理上手ということで、皆に料理を振る舞ってくれた。
シーザーサラダ、かぼちゃのポタージュ、自家製酵母のパン、鮭のマリネ、スペアリブ、オレンジのシャーベット。
どこかのレストランのフルコースみたいだった。
あまりの美味しさに感嘆した。
隣にあぐらをかいて座ってる彼も、黙々と食べる。
真織もこれくらい料理が上手かったら、少しは惚れてたかも知れない。
こいつが作るのは野菜炒めかたまに焼きそばくらいだから。
まあ、私も人のこと言えた口じゃないけど。
私もこれくらい料理が出来たら、少しはこいつも口うるさくなくなるかな。

⏰:12/06/25 23:13 📱:Android 🆔:RwCUvrVY


#193 [ぎぶそん]
料理を食べた後、皆でお喋りをして盛り上がった。
軽音楽部の話が主なので、私も話に大体ついていけた。
皆の話によると同じサークル同士のカップルは何組かいて、美人の三鷹さんは同い年の熊井さんという男性と付き合っているらしい。

「市倉さんって絶対伊藤のことが好きだよな」
椎橋くんがにやける。
「市倉さんって誰?」
私は疑問を投げかけた。
「里香ちゃんのことだよ。市倉里香」
私の隣にいる真織が、煙草を吸いながら答える。
あの子、そんな名前だったんだ。
椎橋くんと真織が会話を続ける。
「かわいいよな。彼女にすればいいのに」
「俺はあの子はタイプじゃないな」
「じゃあどんな人がいいんだよ?」
「俺は冷たいような優しいような、わけの分からない人がいいかな」
何だそれ。周りも反応に困っていた。
待てよ。それってもしかして私?
でも彼には冷たくはしているが、優しくしたことは1度もない。
気のせいか。

椎橋くんがまた喋り出す。
「伊藤って何で彼女いないのか不思議だよな」
「皆知ってる?真織は、今まで女の子と付き合ったことないんだよ」
私は間に入った。
今日このセリフをいつ言おうかとずっと企んでいた。
これでこいつも少しは恥をかくだろう。
「知ってますよ。意外ですよね」
椎橋くんが答える。周りも皆頷いていた。
何だ、周知の事実か。私は拍子抜けした。
「伊藤、いっそのこと足立さんと付き合っちゃえよ」
小山内くんという眼鏡をかけた男の子が間に入った。
「俺らはないない、な?」
真織が私に向かって言う。
でもその言葉とは相違して、彼は私の腰に手を回してきた。
皆の前で怒るわけにもいかず、私も皆に向かって笑顔で頷いた。
こいつは何がしたいのか分からない。

⏰:12/06/25 23:40 📱:Android 🆔:RwCUvrVY


#194 [ぎぶそん]
談笑を終えると、真織や椎橋くんはテレビゲームをやり始めた。
何やらひたすら対戦をしていて、眺めても何が面白いのかさっぱり分からない。
視線を他にやると、長田くんと大友さんという女子は部屋の隅で楽しそうに話していた。
私はベッドの上で漫画を読んでる小柴くんに話しかけてみた。
小柴くんは話しかけやすい。
私は彼と一緒に漫画を読んだ。
内容は家族もののギャグ漫画で、これも面白さがよく分からなかった。

「足立さんもやってみない?」
真織にコントローラーを差し出された。
他にしたいこともないので、彼の隣に座った。
彼にゲームの大まかな説明を受ける。
何度攻撃を受けても構わず、とにかく最後まで天空の舞台の上にいた者が勝ちとなるようだ。
キャラクター選択の時、私は適当にたけのこみたいなキャラクターを選んだ。
バトルが開始すると、オランウータンみたいなキャラクターを選んだ彼が容赦なく私を攻撃してくる。
反撃の余地もなく、私はあっという間に舞台から落下した。
「足立さん弱すぎ」
彼がげらげらと笑う。
負けず嫌いではないけど、こいつに小癪なまねをされるのは腹立たしい。
私の闘志が燃えた。
しかしその後何度やっても彼には勝てなかった。
「部屋にゲーム機ないのに、何でそんなに強いの?」
「このゲーム実家にあるよ。高校の時よくやってたし。夏休み実家に帰ったら、こっちに持ってくるわ」
ゲームは意外と面白かったので、私は彼の言葉にわくわくした。
私は彼のおかげでまた1つ、楽しみなことが増えた。

⏰:12/06/26 00:12 📱:Android 🆔:4jnYdbck


#195 [ぎぶそん]
深夜。電気を消して、皆で床やベッドに雑魚寝した。
私も床で寝ていると、隣にいる真織に身体を揺さぶられて起こされた。
目を開けると、彼が私たちの全身を包むようにブランケットを被せた。
その直後、彼がいきなり私にキスをしてきた。
私は怒ろうとした。
でも声を出せば、皆に気づかれてしまう。
私たちの関係を、一気に怪しまれてしまう。
私は黙って見過ごすしかなかった。
こいつ、それを分かってやってるな。

彼がまた角度を変えてキスをする。
さっきより強い力で唇を押し付けてきた。
唇を一旦離すと、私の下唇を上下の唇で挟んだ。
その滑らかな感触に、全身がぞくっと痺れた。

(今のもう1回やって)
私は周りに聞こえないよう小声で彼に話した。
彼がまた私の下唇を挟む。
(それ、すごくいい)
私はうっとりとした。
(あんたもやってあげる)
私は彼の下唇をつまむように挟んだ。
(いいね。クセになりそう)
彼が小さく笑う。
私たちはブランケットの中で何度もキスをした。

(おやすみ)
しばらくすると彼がブランケットをめくり、私に背を向ける。
部屋中から色んな寝息がいびきが聞こえ、まるで夢から現実に戻ったみたいだった。
私も何事もなかったかのようにまた目を閉じた。

⏰:12/06/26 23:38 📱:Android 🆔:4jnYdbck


#196 [ぎぶそん]
翌朝。目を覚ますと、小山内くんが1人でテレビのニュース番組を観ていた。
その後1人、また1人と起きた。
誰も昨日の私たちの行動には気づいてはなかった。
真織もいつもと変わらない様子で周りと接する。
もしかして、昨日のは夢だったのかな?
私は忘れることにした。

「足立さん帰ろう」
すぐに彼が立ち上がる。
私と彼はそこで皆に別れを告げ、椎橋くんの部屋を出た。
外の雨は上がっていて、彼が私の分の傘も持ってくれた。
また駅に戻り、電車に乗る。
電車の中でぼーっとしていると、彼が手を握ってきた。
「昨日のはなかなかスリルがあってよかったね」
彼の得意顔に、私は寒気がした。
悪夢でもいいから、夢であってほしかった。
私は自分からこいつにキスしてしまったことを悔やんだ。

今の自分は品行方正に欠ける、ふしだらな女なのだろうか。
電車がトンネルに入り、反対側の窓にくっきりと映る自分の姿を見た。
髪は染めておらず、耳に穴も開けていない。
服装はジャケットスタイルを好んで、何も知らない人は私のことを比較的真面目な人間だと思うだろう。
こいつは何故こんなつまらなさそうな女に、キスをするのだろうか。
遊び半分?腹が立つが、本気で好かれるよりはまだいい。
彼と出会って、理屈じゃ考えられないこともたくさんあるんだなと知った。

⏰:12/06/27 00:22 📱:Android 🆔:bkZPdSUA


#197 [ぎぶそん]
数日後、7月に入った。
7月2日。昼休み、学食で佐奈と喋りながら定食を食べる。
「もうすぐ大学の近くの神社で夏祭りあるね。佐奈、なんと鈴木くんと行くことになったんだ。かなめも真織くんを誘ってみたら?」
「何であいつと」
彼が私の部屋に来てから、もはやセットで扱われるのが当たり前になった。
以前はその度に怒ってたけど、今となっては慣れた。
「2人、結構お似合いだよ。だって、雰囲気がすごく似てるし」
佐奈の言葉がどういうことなのかは分からないけど、私と彼は気が合う方なのかも知れない。
共同生活も今のところ、大きな波風を立つことなく順調にいっている。
あいつと一緒に夏祭りか。悪くはないな。

その日の夜。私はベッドの上でバイク雑誌を読んでる彼に、夏祭りの話を持ちかけてみた。
「今度夏祭りがあるんだって。でも佐奈は鈴木くんと行くらしいし、他に友達いないしどうしようかな」
「夏祭り?一昨日、里香ちゃんに誘われたな」
彼が雑誌を読むのを辞める。
「じゃあ里香ちゃんと行くの?」
「断ったよ。人ごみ嫌いだし。で、用は何?」
「佐奈があんたと夏祭りに行けって……でも、人ごみが嫌ならいいよ」
私は友人を出しにした。
「別にいいよ。行こう」
彼があっけらかんとした表情で即答する。
里香ちゃんの誘いは断って、私の誘いは断らないの?
里香ちゃんには申し訳ないけど、少し嬉しかった。

⏰:12/06/27 00:49 📱:Android 🆔:bkZPdSUA


#198 [ぎぶそん]
お風呂に入る前、洗面台の鏡で自分の顔をまじまじと見てみた。
春休みが始まった頃は顔くらいの長さだったのに、髪の毛が肩につくまでに伸びていた。
明日美容院に行こう。瞬時に思った。

次の日の放課後。昼休みに電話で予約を入れておいた、商店街の中にある美容院に行った。
その美容院は小規模な店内で、スタッフは男性しかいない。
こっちに来てからたまたま最初に入った美容院がここで、値段の安さと過剰でないサービスが気に入って、それ以来ずっとこの美容院に通っている。
「今日はどんな髪型にする?」
待合室のソファーで座っていると、担当の深町さんがやってきた。
私はテーブルの上にあったヘアカタログをめくった。
魅力的に思える髪型を探し、気に入ったものを1つ指差した。
「“前下がりボブ”だね。結構短くなるけどいい?」
深町さんの言葉に私は頷いた。

深町さんは現在24歳の既婚者で、とても柔らかい物腰なのでとても話しやすかった。
高校の時に好きだった先輩に少し似てるからか、彼と対面する時はいつも緊張する。
私は彼に髪を切られながら、ありのままの近況を伝えた。
「実は今、1つ年下の男の子とルームシェアをしてるんですよ」
「へえ、どんな子なの?」
「友達はよく『かっこいい』って言ってます。でも私はそうは思わないかも……。いや、少しなら思うかな……」
「何だそれ。足立さん、相変わらず面白いね」
深町さんが笑う。
「今度そいつと夏祭りに行くことになりました。もう嫌になっちゃう……」
「じゃあ彼とのデートのためにもばっちり可愛くしてあげるね」
「デート!?いや、そんなつもりじゃないですよ……」
私は“デート”という単語に恥ずかしさを感じ、黙り込んだ。

⏰:12/06/27 23:16 📱:Android 🆔:bkZPdSUA


#199 [ぎぶそん]
30分も経たないうちに、希望どおりの髪型になった。
鏡で全体を見通すと、後ろになる度髪の毛が短くなってた。
美容院を出て、色んな店のウインドウで何度も新しい髪型を確認しながら帰った。
どうして美容院からの帰りは、こんなにもうきうきとした気分になるんだろう。

アパートに戻ると、彼がベッドの上で本を読んでいた。
「ねえねえ、どうかな?」
私は笑顔で髪を触った。
「何が?」
彼はきょとんとした顔で私を見る。
「髪切ったんだけど……」
「そうなの?全然分からないよ」
そんな……最低でも10センチは切ったのに。
こいつがモテない理由、なんとなく分かった。
こいつは異性に頓着がないんだ。
私はむっとしながら、彼の隣に寝転んだ。
彼はおかまいなしに本を読み続ける。

本を閉じた彼に髪を触られた。
「あれ?何か髪の量が少なくなってる」
「だから髪切ったって言ったじゃん」
「何かいい匂いがする」
彼が私の髪を数束取り、嗅いだ。
「ワックスつけてもらったの。美容院のシャンプーとかワックスって、なんであんなにいい匂いがするんだろうね」
私も自分の髪を匂った。
「俺もそろそろ髪切ろうかな」
彼がうねりのある自分の髪を触る。
「いっそのことストレートに戻したら?免許証の写真、結構かっこよかったよ」
私は思いついたことを適当に言った。
「本当に?じゃあ戻そうかな」

⏰:12/06/27 23:32 📱:Android 🆔:bkZPdSUA


#200 [ぎぶそん]
2日後。学校から帰ると、彼の髪型が変わっていた。
髪の毛はまっすぐになり、後ろ髪の毛先が少し外側にはねていた。
大人びた中に、あどけなさを少し感じた。
これなら18歳と言われても、前よりは違和感はないかも。
しかも最悪なことに、彼の新しい髪型は私の結構な好みになっていた。
私の胸の鼓動が一気に高鳴る。

「かなり切られた。後ろがすーすーする」
彼が後ろ首を触る。
「……かっこいいよ」
私は小声でつぶやいた。
「何か言った?」
「何も言ってない」
私は気持ちが全く落ち着かず、勉強をしはじめることにした。
彼を見るとどきどきするので、とても直視できなかった。
髪型1つで気持ちがこうも変わるなんて、自分でも想定外の出来事だった。

夜。彼は私のベッドを半分占領していた。
私は彼に背中を向けていた。
眠れずに寝返りを打つと、彼の顔がちょうど目の前にきた。
悔しいけど、かっこいい。心臓がばくばくと鳴り、ますます眠れなくなった。
彼は少し口を開けて眠っていた。
――キスしてみようかな。
彼の唇を人差し指で軽く触ってみた。
反応がない。起きる気配はない。

私はそのまま自分の顔を彼の顔に近づけた。
彼の唇と私の唇が軽く触れる。
彼に気づかれるのを恐れ、すぐに顔を離した。
私は何でこいつにキスをした?小さな後悔に苛まれる。
私はこいつが好きだからキスしたんじゃない。この髪型の男性が好きでキスしたから。そう自分に言い聞かせた。
この髪型は好きだけど、早く伸びてほしい。
私はまた彼に背を向けた。

⏰:12/06/27 23:53 📱:Android 🆔:bkZPdSUA


#201 [ぎぶそん]
次の日。夜のコンビニでのバイト中、泉とお喋りをした。
佐奈や同じ大学の子には言えないことも、泉には何でも話せてた。
それは彼女が今10歳年上のサラリーマンと付き合ってるからだろうか。
性格が大人びていて、いつも的確な意見をくれると思った。
彼女に話すのは大抵真織とのことだった。
初対面で同じ布団に寝たこと。2人で私の実家まで父を説得しに行ったこと。これまでの出来事は大体話してた。

「あいつ、今まで女の子と付き合ったことないんだって」
「それいいね。過去に嫉妬しなくて済むじゃん。あたしの彼氏、昔遊んでたらしいから昔話される度焼きもち妬いてるよ」
泉の言う嫉妬とは何だろう。
渋沢先輩が小原朱実と付き合うことになったと知った時の、あの嫌な感じのことかな。
「実は、あいつとはキスしたことが何度かあるんだよね。付き合ってもないのに、私たちって変かな?」
「うーん、男と女が一緒に暮らして何もない方が少ないんじゃない?」
泉に軽蔑されるかと思ったから、その返しには心を救われた。
でも、自分がそういう自然の摂理みたいなものに敵わないでいると思うと悔しかった。

バイトが終わり、彼女と一緒に更衣室で着替える。
「良かったら今からうちの部屋に来ない?あいつも多分もう帰ってると思うから。泉にも1度あいつを見てほしい」
泉は私の誘いを、快く引き受けてくれた。

⏰:12/06/28 23:53 📱:Android 🆔:8z0lpyIw


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