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#561 [[世界が開いた夏(2/3)]渚坂]
チリン、チリン―――……
やつは一日を縁側に座って過ごす。左手には読みかけの小説を、足下には蚊取り線香を設置して。
少し伸びた前髪の下には銀縁の眼鏡をかけ、やつが鬱陶しそうにスラリと長い足を投げ出せば、たとえ今の格好が甚平姿だとしても誰もが見とれてしまう。
「四条センセ、こんにちは。もちろん原稿できてますよね?」
そして、たまにやってくる編集局の人間に自作の小説の原稿を渡しては、また縁側に座り読書へと耽る。これが小説家『四条幸彦』の生活パターンだった。
「先生また一人で本読んでるんですか?たまには運動したらどうです」
夏であるにも関わらず、黒いスーツ姿の編集局の人間(名は清水という)は、来る度にやつを気遣う言葉と表情を見せる。
ぱっちりと開いた瞳、ほのかに上気した桃色の頬。この女は世間一般に言う『美人』の分類に属していると私は思う。
「君みたいな目麗しい女性と一緒なら運動してもいいよ」
クスクスと笑いながらやつは立ち上がり、部屋の中へ消えていく。
「ちょっと先生、それって私のこと美人だっておっしゃってるんですかー?」
「ふふ、そうとってもらって構わないよ。はいこれ、原稿」
先生は口が達者だから、とかなんとか言うにも関わらずしっかりと熱気を持った彼女の視線は艶めかしくやつを絡め取る。その光景は女の私から見ても背中がゾクゾクするような色気を感じた。
:09/07/11 19:01 :F905i :tSzZ2Nw.
#562 [[世界が開いた夏(3/3)]渚坂]
たっぷりと見つめ合った後、清水さんはやつから原稿を受け取った。清水さんに私は見えない。だから見せつけているわけではないのだろうけど、それでも私は心を焦がしてしまう。
“私には肉体があるのよ”そう言われてる気がして、血液の通わない私の体が熱くなる。
「んふふ、今日は仕事中なんでもう帰りますね。今度オフの日に食事にでも誘いますわ。もちろん二人っきりで…。じゃあまた、センセ」
月に一回、仕事として清水さんは家にやってくる。そして月に五回彼女は“四条幸彦”の“密接な関係を持つ女”として家にやってきては密接な夜を過ごしている。
チリン、チリン、チリン―――……
もちろん事情を営んでいる間は縁側に出て邪魔にならないようにしているが、それでもやっぱり胸が苦しい。
「人間に惚れるなんて、なんて愚かな幽霊……」
自嘲気味に笑うと少し気が楽になった。
この家に来て一年。
やつに恋い焦がれてもう一年。
この一年の間にやつは恋人を六回変えた。この一年の間に私は六回も劣等感を味わったことになる。
チリン、チリン、チリン、チリン―――……
……嗚呼、風鈴の音が忌々しい。
:09/07/11 19:02 :F905i :tSzZ2Nw.
#563 [我輩は匿名である]
あげるぜゴルァ!
:09/07/29 12:25 :P903i ://8hkJbU
#564 [渚坂]
定期あげ!
:09/08/17 00:16 :F905i :SlJXxl/w
#565 [遠距離前(1/3)あんみつ]
踏切の音がする。
もうすぐ電車が来るんだ。
もうすぐ行ってしまうんだ。
そう思うと、ずっと我慢してたものがのどの奥からこみ上げてきて、私は唇を噛み締めた。
今、目の前にいる大好きな人は、これから来る電車に乗って私の知らない街へ行く。
.
:09/08/17 14:36 :D904i :irKb7zTg
#566 [遠距離前(2/3)あんみつ]
────────
彼女が涙をこらえているのが、痛いくらい分かった。
俺は、口から出そうになる言ってはいけない言葉を必死に呑み込む。
言ってはいけない。
彼女には彼女の生活がある。
俺は無言で彼女を抱き締めた。
────────
:09/08/17 14:38 :D904i :irKb7zTg
#567 [遠距離前(3/3)あんみつ]
このまま時が止まれば。
彼の腕の中で本気で思った。
そんな思いもむなしく、ホームに電車が停まる。
腕の力が緩むのが分かった。
そっと体を離して彼は言う。
「……じゃあ、行くわ」
嫌だ。
「……行ってらっしゃい」
行かないで。
ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。
いとも簡単に私と彼を引き離すこの箱が、今は憎い。
電車が見えなくなって、私は彼の温もりごと自分の体を抱き締めた。
言えなかった言葉がのどにつっかえて、今も、これからもきっと、ずっと苦しい。
.
:09/08/17 14:39 :D904i :irKb7zTg
#568 []
:09/09/04 23:17 :SH904i :nVJyS6uk
#569 []
:09/09/04 23:19 :SH904i :nVJyS6uk
#570 [別れ/渚坂]
「こんな終わり方しか出来ない俺って最低だよな」
自嘲ぎみにしか笑えない俺には言い訳をする資格も無いのかもしれない。俺のせいでボロボロになった彼女を前にしても、気の利いたセリフなんて一ミリも思いつかないのだから。
「でもお前とはわりと続いた方なんだぜ。前の奴なんか一週間しかもたなかったから」
今更昔話に花を咲かせようって腹じゃあない。でもこう言うことで、彼女を捨てる自分の精神を庇護しているしているのかもしれない。ああ、きっとそうだ。そうに違いない。
こんな俺を前にしても彼女は一言もしゃべらない。きっと彼女はその小さな身体だけでなく心までも乾きだしたのだ。
以前は潤っていた部分が一秒ごとに乾いていく。身体も心も。確実に。俺のせいで。
……これ以上は両者とも限界だ。無理、なのだ。
「じゃあな、コンタクト。俺は今日からお洒落眼鏡をかけるんだ。今まで世話になったよ」
右手に乗っていた使い捨てコンタクトを素早くゴミ箱に入れ、その手で黒縁眼鏡のフレームを掴み、難なく装着。
「よっし、いってきます!」
外は本日も晴天なり。
今日から俺は今流行の眼鏡男子だ。
:09/10/25 13:15 :F905i :RazuJFaA
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