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#560 [[世界が開いた夏(1/3)]渚坂]
チリン―……

風鈴の音が耳に心地よい涼を運ぶ季節、私は一度目の前の縁側に腰掛け、ただ黙々と本を読む男に尋ねたことがあった。お前は私が不気味ではないのか、と。


「不気味?はは、まさか」


カラカラと渇いた笑い声とともに私の疑問は否定された。やつは左手にもっていた小説をパラパラとめくっていたかと思えば、何かを思い出したように頭を上げその漆黒の瞳が強く私を見つめた。
もちろん、彼の瞳に映る私の姿はない。私は鏡にも映らないし、水面にも映らない存在だから。


「いくら君が霊魂だとしても僕はちっとも怖くないよ。むしろ大歓迎だね」


それはお前が小説家だからだろう?ネタが欲しいだけなのだろう?と言い返せば、やつは私から視線を小説へと戻して小さく笑うだけだった。否定は、しない。


「現実は小説よりも奇なりと言ってね、僕は君のような存在が大好きなんだよ」

「……それは告白として受け取っていいのか?」

「それは困るね。幽霊に惚れるほど僕は愚かじゃない」


嗚呼、私がやつの家に来て一年が経つ。つまり都内の一角に隠れるようにして佇むこの家の主人と出会って一年が経つ。最初は私が他の人間に見えないことがすごく怖くて、自分は本当に死んだのだと痛感し涙を流すこともしばしばあった。

だが、それにももう慣れた。


「霊魂という存在にはたいそう興味があるけれど、君自身には全く興味ないから安心してよ」


真っ直ぐに私を見つめて話すやつの言葉は、もう動いていない私の心の臓に爪をかけ、深い傷をつける。

それにはまだ、慣れない。

……私が人間に恋して一年が経つ。

⏰:09/07/11 19:00 📱:F905i 🆔:tSzZ2Nw.


#561 [[世界が開いた夏(2/3)]渚坂]
チリン、チリン―――……


やつは一日を縁側に座って過ごす。左手には読みかけの小説を、足下には蚊取り線香を設置して。
少し伸びた前髪の下には銀縁の眼鏡をかけ、やつが鬱陶しそうにスラリと長い足を投げ出せば、たとえ今の格好が甚平姿だとしても誰もが見とれてしまう。


「四条センセ、こんにちは。もちろん原稿できてますよね?」


そして、たまにやってくる編集局の人間に自作の小説の原稿を渡しては、また縁側に座り読書へと耽る。これが小説家『四条幸彦』の生活パターンだった。


「先生また一人で本読んでるんですか?たまには運動したらどうです」


夏であるにも関わらず、黒いスーツ姿の編集局の人間(名は清水という)は、来る度にやつを気遣う言葉と表情を見せる。
ぱっちりと開いた瞳、ほのかに上気した桃色の頬。この女は世間一般に言う『美人』の分類に属していると私は思う。


「君みたいな目麗しい女性と一緒なら運動してもいいよ」

クスクスと笑いながらやつは立ち上がり、部屋の中へ消えていく。


「ちょっと先生、それって私のこと美人だっておっしゃってるんですかー?」

「ふふ、そうとってもらって構わないよ。はいこれ、原稿」


先生は口が達者だから、とかなんとか言うにも関わらずしっかりと熱気を持った彼女の視線は艶めかしくやつを絡め取る。その光景は女の私から見ても背中がゾクゾクするような色気を感じた。

⏰:09/07/11 19:01 📱:F905i 🆔:tSzZ2Nw.


#562 [[世界が開いた夏(3/3)]渚坂]
たっぷりと見つめ合った後、清水さんはやつから原稿を受け取った。清水さんに私は見えない。だから見せつけているわけではないのだろうけど、それでも私は心を焦がしてしまう。

“私には肉体があるのよ”そう言われてる気がして、血液の通わない私の体が熱くなる。


「んふふ、今日は仕事中なんでもう帰りますね。今度オフの日に食事にでも誘いますわ。もちろん二人っきりで…。じゃあまた、センセ」


月に一回、仕事として清水さんは家にやってくる。そして月に五回彼女は“四条幸彦”の“密接な関係を持つ女”として家にやってきては密接な夜を過ごしている。



チリン、チリン、チリン―――……

もちろん事情を営んでいる間は縁側に出て邪魔にならないようにしているが、それでもやっぱり胸が苦しい。


「人間に惚れるなんて、なんて愚かな幽霊……」

自嘲気味に笑うと少し気が楽になった。




この家に来て一年。
やつに恋い焦がれてもう一年。
この一年の間にやつは恋人を六回変えた。この一年の間に私は六回も劣等感を味わったことになる。



チリン、チリン、チリン、チリン―――……


……嗚呼、風鈴の音が忌々しい。

⏰:09/07/11 19:02 📱:F905i 🆔:tSzZ2Nw.


#563 [我輩は匿名である]
あげるぜゴルァ!

⏰:09/07/29 12:25 📱:P903i 🆔://8hkJbU


#564 [渚坂]
定期あげ!

⏰:09/08/17 00:16 📱:F905i 🆔:SlJXxl/w


#565 [遠距離前(1/3)あんみつ]
 


踏切の音がする。

もうすぐ電車が来るんだ。

もうすぐ行ってしまうんだ。

そう思うと、ずっと我慢してたものがのどの奥からこみ上げてきて、私は唇を噛み締めた。

今、目の前にいる大好きな人は、これから来る電車に乗って私の知らない街へ行く。


.

⏰:09/08/17 14:36 📱:D904i 🆔:irKb7zTg


#566 [遠距離前(2/3)あんみつ]
────────



彼女が涙をこらえているのが、痛いくらい分かった。

俺は、口から出そうになる言ってはいけない言葉を必死に呑み込む。

言ってはいけない。

彼女には彼女の生活がある。

俺は無言で彼女を抱き締めた。



────────

⏰:09/08/17 14:38 📱:D904i 🆔:irKb7zTg


#567 [遠距離前(3/3)あんみつ]
このまま時が止まれば。

彼の腕の中で本気で思った。

そんな思いもむなしく、ホームに電車が停まる。

腕の力が緩むのが分かった。

そっと体を離して彼は言う。

「……じゃあ、行くわ」

嫌だ。

「……行ってらっしゃい」

行かないで。

ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。

いとも簡単に私と彼を引き離すこの箱が、今は憎い。

電車が見えなくなって、私は彼の温もりごと自分の体を抱き締めた。

言えなかった言葉がのどにつっかえて、今も、これからもきっと、ずっと苦しい。


.

⏰:09/08/17 14:39 📱:D904i 🆔:irKb7zTg


#568 []
>>1-50
>>51-100
>>101-150
>>151-200
>>201-250
>>251-300
>>301-350
>>351-400
>>401-450

⏰:09/09/04 23:17 📱:SH904i 🆔:nVJyS6uk


#569 []
>>1-100
>>101-200
>>201-300
>>301-400
>>401-500
>>501-600
>>601-700
>>701-800
>>801-900
>>901-1000

⏰:09/09/04 23:19 📱:SH904i 🆔:nVJyS6uk


#570 [別れ/渚坂]
「こんな終わり方しか出来ない俺って最低だよな」

自嘲ぎみにしか笑えない俺には言い訳をする資格も無いのかもしれない。俺のせいでボロボロになった彼女を前にしても、気の利いたセリフなんて一ミリも思いつかないのだから。

「でもお前とはわりと続いた方なんだぜ。前の奴なんか一週間しかもたなかったから」


今更昔話に花を咲かせようって腹じゃあない。でもこう言うことで、彼女を捨てる自分の精神を庇護しているしているのかもしれない。ああ、きっとそうだ。そうに違いない。


こんな俺を前にしても彼女は一言もしゃべらない。きっと彼女はその小さな身体だけでなく心までも乾きだしたのだ。

以前は潤っていた部分が一秒ごとに乾いていく。身体も心も。確実に。俺のせいで。



……これ以上は両者とも限界だ。無理、なのだ。


「じゃあな、コンタクト。俺は今日からお洒落眼鏡をかけるんだ。今まで世話になったよ」


右手に乗っていた使い捨てコンタクトを素早くゴミ箱に入れ、その手で黒縁眼鏡のフレームを掴み、難なく装着。


「よっし、いってきます!」


外は本日も晴天なり。

今日から俺は今流行の眼鏡男子だ。

⏰:09/10/25 13:15 📱:F905i 🆔:RazuJFaA


#571 [我輩は匿名である]
あっがーれ!

⏰:09/11/18 04:36 📱:P08A3 🆔:EPpIYhCk


#572 [渚坂]
定期あげー

⏰:10/01/01 23:53 📱:F905i 🆔:dPq9enoQ


#573 [渚坂]
あげとく

⏰:10/03/28 01:23 📱:F905i 🆔:tOiw0VQo


#574 [避難訓練(1/3)◆vzApYZDoz6]
黒板にチョークを撫で付ける耳障りな音を、さらにでかくて耳障りな非常ベルの音が掻き消す。
しかもこれがまた長い。やかましい事この上ない。

かの有名なアインシュタインは、小さな子供に相対性理論とはどういうものか、と聞かれた時、『好きな子の事を考える時の時間の進みは早く、熱いストーブの前で堪える時の時間の進みは遅くなる』事を証明する理論、と説いたそうだが、実にいい喩えだ。
それが相対性理論とどう関わりがあるかなんて俺には理解のしようもないが、少なくとも言ってる事は的確である。

要は楽しい時は時間が早く、かったるい時は遅く感じるという事だが、果たして今の俺はストーブどころかオーブントースターでも足りないぐらいに時間の経過を緩やかに感じていた。
只でさえ長い非常ベルに続いて教頭のダミ声まで黙って聞かなきゃならない上に、非常ベルが知らせる警報とダミ声が告げる情報その両方が嘘っぱちと確定しており、なおかつその嘘っぱちに素直に従ってこのクソみたいに寒い中上履きのままグラウンドまで走り、最後に冷たい地面に座ってこれまでの無意味な行為の重要性を語る校長の無駄に長い話を聞くという一連の行為を、事もあろうかもうすぐ卒業する俺達3年の連中に強いてるんだから、そりゃ時間経過も遅くなるというものである。

『地震により、家庭科室から火災が発生しました。生徒のみなさんは―――』

前置きが長くなったが、つまり今は避難訓練の真っ最中で、上の鍵括弧が示すように、ちょうど今第一ステップである非常ベルが止まり、第二ステップである教頭のダミ声が響き始めたところだ。

⏰:10/03/28 16:08 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#575 [避難訓練(1/3)◆vzApYZDoz6]
それにしても避難訓練というものは、学校におけるいらない行事ベスト3に入る、と言ったら、恐らく首を横に振る奴はほとんどいないだろう。

いるとすれば運悪く席替えのくじ引きで前から2列目の真ん中の席あたりに引っ越しが決まり、授業中に居眠りしようものなら教卓に立つ教師に即座に見つかってしまい白墨を投げられるせいで日中に睡眠時間を確保できないがために、せめて授業だけでもサボれまいかと自習やら身体測定といったイレギュラーなイベントを心待ちにしているネガティブかつ不真面目な奴ぐ

⏰:10/03/28 16:12 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#576 [避難訓練(2/3)◆vzApYZDoz6]
>>575ミス

それにしても避難訓練というものは、学校におけるいらない行事ベスト3に入る、と言ったら、恐らく首を横に振る奴はほとんどいないだろう。
いるとすれば運悪く席替えのくじ引きで前から2列目の真ん中の席あたりに引っ越しが決まり、授業中に居眠りしようものなら教卓に立つ教師に即座に見つかってしまい白墨を投げられるせいで日中に睡眠時間を確保できないがために、せめて授業だけでもサボれまいかと自習やら身体測定といったイレギュラーなイベントを心待ちにしているネガティブかつ不真面目な奴ぐらいなもんだ。

同じく席替えのくじ引きで窓際の後ろから2番目という最高のポジショニングに成功した俺からすれば、避難訓練なんてミディアムレアの豚ロースに真珠を添えるぐらい没意義で意味のないイベントであり、従って第三ステップ、つまりグラウンドへの避難から如何にしてエスケープするかという思考に俺が没頭しているのは至って当然の事である。

するとどうだろうか。もう教頭の避難指示が終わりそうな雰囲気になってやがる。
エスケープの方法を考えるというのは、俺の中で楽しい事に分類されているんだろう。人間の脳みそというのは実に都合のいい構造になっているらしい。

『―――繰り返します。生徒のみなさんは先生の指示に従って速やかに避難してください』

ブチッ、というスピーカーのスイッチがオフになる音を皮切りに、周りの生徒が次々と廊下に出ていく。
俺もその例に漏れず廊下に移動し、他のクラスの連中も混じっての学級大移動の波に乗りながら、先生の視界に入らない立ち位置を確保する。

⏰:10/03/28 16:13 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#577 [避難訓練(3/3)◆vzApYZDoz6]
俺が考えたエスケープ方法とは、階段を降りる時にこっそりトイレに入ってやり過ごす、というもの。

こういう時はシンプルな方が成功率が高く、実際に俺はあっさりとエスケープに成功し、トイレの個室で足音が去るのを待ってから教室へ向かって踵を返し、我がクラスの扉を開け放して教室内を見渡す頃には、グラウンドで体育座りをしているであろう全校生徒に当たり障りのない話題からトークを展開する校長の声が、拡声器を通じて教室内まで響いていた。

ああ、当然だが教室の扉に鍵はかかっていない。こういう時は避難が最優先であり、これから火が上がるという想定の校舎にわざわざ施錠するような律儀で用心深い奴はうちのクラスにはいやしない。
誰もいない教室を眺めて小さく溜め息をつき、さてこれからどうやって時間を過ごそうかと考えていた時、不意に後ろから声をかけられた。

「ダメじゃない、戻ってきちゃ。これが本番ならあなた今頃死んでるわよ」

声の方へ視線を取って返すと、俺の後ろに女が立っていた。
学校指定のプリーツとカッターシャツの上に、焦茶色のカーディガン。化粧っ気はないが大きめの瞳と小さく整った小鼻と唇に、胸元の赤いリボンがよく映えている。
見たことがある。というか俺のクラスの女で、さらに付け加えると保険委員であり、故にこいつがサボるのは俺としては感心しないところだが。

⏰:10/03/28 16:16 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#578 [避難訓練(4/3)◆vzApYZDoz6]
「それはお互い様でしょ。急患を保健室へ連れていくのも保険委員の役目だもの」

お互い様はこっちの台詞だ。だいたいこの教室にはどこにも病人や怪我人なんていないぞ。
グラウンドでは校長の話が明後日の方向に向かい始めていた。座らされている生徒はさぞ辛かろうに。
急患をお望みならグラウンドに行くべきだな。この寒空の下で長時間座らされて、体調を崩している奴が一人ぐらいはいるかもしれん。

「大丈夫よ。保険委員はあたし一人じゃないんだし」

女は俺の横をすり抜けて、窓側の一番後ろの席に陣取った。つまり、ちょうど俺の指定席の後ろである。
手にしているコンビニ袋の中身を机の上にぶちまけて、悪戯そうな笑みを満面に浮かべて俺に向かって手招きした。

⏰:10/03/28 16:18 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#579 [避難訓練(5/3)◆vzApYZDoz6]
「今は火災発生から7分45秒。
 …結局、不測の事態に対応できるのは普段から遊んでる奴だけだと思わない?」

言い得て妙だ。俺は女の言葉に、そんな感想を抱いていた。

女の前に腰かけて、広げてあるポテトチップスをつまみ上げつつ、これらの菓子類は先程の学級大移動中に買ってきたものだという女の話を聞きながら、さてそろそろグラウンドでの校長の話が終わって生徒が帰ってくるがどうするかという俺の次なる課題の攻略法を考えている時に、ふと己の体感時間の短さに気付いた。

つまり普段から遊んでる奴は常にこういう時間感覚の中にいるからこそ、体感時間が極端に短くなる不測の事態に直面しても焦らず落ち着いた行動の取捨選択を可能にするのであり、こんな堕落した避難訓練を百回と繰り返したところでその結果は変わらないだろうし、結局それが避難訓練の学校におけるいらない行事ベスト3の座を不動のものにしてるんじゃないだろうか。

しかしそれに気付いたのは他ならぬ避難訓練のお陰であり、またクラスでもそこそこ可愛い部類に入る女子生徒との接点も得られたので、まだまだ避難訓練も捨てたものではないと認識を新たにしながら、俺は再開される授業を如何にして早く乗り切るかをまた考え始めるのだった。

⏰:10/03/28 16:19 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


#580 [我輩は匿名である]
2レスもオーバーしちまった…
意外と字数足りないもんだな。

⏰:10/03/28 16:19 📱:P08A3 🆔:swSqV4NM


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